男はつらいよ
寅次郎相合い傘オープニングの映画館ロケ地資料
このページはこのロケ地のことをみなさんで助け合いながら確定して行く時に使っている
私がリンクを添付して見ていただいている青森県の方々や私個人のための業務用のページです。
まだ非公開ですのでたまたま開けた人は下記↓の内容はまだ観ないようにしてください(-人-)
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http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/otokono-to.htm
この発見は2017年6月初、八戸のY.Eさんからのメールで始まった。
Y.Eさんのメールはこのようなものだった。↓ (個人情報としてさしさわりのないところだけを書きました)
『寅さん第15作「寅次郎相合傘」の最初に、寅さんが映画館で居眠りをしている場面がありますが、
この映画館は青森市にあったスバル座です。
青森市の合浦(がっぽ)公園の近くにあり、国道4号線のすぐそばにありました。
取り壊しになってからかなり経ちますが、この辺りでは有名な映画館でした。
私も高校生時代(昭和44年4月~昭和47年3月)にお世話になった映画館でしたが、
昭和50年あたりに封切になったこの映画を、大学生活を送っていた九州で見てびっくりしました。
自分が高校時代に通っていた映画館で寅さんが眠っている場面があり、また、
寅さんが映画館を出ていくときに映画館のおばちゃんが映画の画面に出てきたからです。以上です。
青森市のスバル座に間違いありません。
青森県八戸市 Y.E
そのあと私は独自に青森の郷土史に詳しい相馬信吉さんの証言をメールで伺ったり
青森観光協会の方の証言をメールで得たり、いろいろ情報が集まって来た。
そして、青森県立図書館のスタッフさんたちが私の要望に応えて
一生懸命探してくださった『青森シネマパラダイス』という書籍の中に
この男はつらいよのロケのことも少しだが記述されていたのだ。
『栄町のスバル座でも男はつらいよのロケが行われ、
海賊物の映画を観ながら寅さんが居眠りをしているシーンが撮影された』
とある。
張山喜隆さんのイラスト 青森スバル座と高栄劇場 1950年代~1960年
もぎりのおばちゃんは
上記の八戸のY.Eさんのメールによると本当に当時スバル座で働いていたおばちゃんだそうだ。
手前上映中の看板がある建物がスバル座 向こうが元高栄劇場、撮影時はスケートリンク場。
「高栄劇場」は上記の東奥羽日報社刊「青森シネマパラダイス」によると
昭和40年に閉館し、その館をスケートリンクなどのスポーツセンターに使っていたようだ。
『スケート』という文字の下半分が見えているようだ。
黄緑がスバル座 赤がスケートリンク(元 高栄劇場)
青は寅が歩いたであろう道。
撮影当時の航空写真
現在の航空写真
現在の同じ場所と映画のアングル ストリートビュー
撮影カメラは東から西へ向いていた。西へ伸びる道。
Y.Eさんによると、当時のスバル座は西側に入り口があり、上映されている客席は東へ伸びていたそうだ。
当時の航空写真で言うとこうなる↓黄緑点線は寅が出て行った経路。
当時と同じ家はほとんどない。 わずかに細い赤屋根の家が残っている。(ピンク丸)
1軒だけ今も屋根が同じの二軒だけの細長い赤い屋根の家(ピンク丸)。
赤い屋根と隣の緑の屋根の関係は当時の航空写真でも確認できる。
当時のスバル座か、もしくはスケートリンクの外観写真があれば100パーセントとなる。
今のところは80パーセントの確立でロケはここだと思います。
最後の建物の写真が欲しい!
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http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/otokono-to.htm