世界初登頂
浦安の三浦節子さんの豆腐屋さん
ピンポイント発見レポート
浦安は東京から近いこともあっておおよその場所だけは
わかっていた.
しかし、どうしても長年誰もがピンポイント発見ができず挫折した場所が
数ヶ所存在していた。
その疑問を2014年1月に私と寅福さんとちびとらさんの
3人で1つを除いてすべて解明したのだった。
どうしても遠くでのロケ地の発表を優先して来たが
ようやく12月になって時間が取れたので
本日2年ぶりに発表します!
■一つ目はここ↓メインの節子さんの住む豆腐屋。
さくらが歩く豆腐屋さんへの道と蕎麦屋が見える逆からのアングル。
この2つの路地の映像だけがロケ撮影。
蕎麦屋さんを拡大してみる。
豆腐屋の路地を抜けた真正面の「蕎麦屋「喜八」
(喜の漢字は七が三つ)
「寅さんDVDマガジン」などは
当事のフラワー通りにあった豆腐屋さんの「埼玉屋」だって
書いてあったが、位置も遠いし、川沿いでもないので立地条件がまったく違う。
あまりにも安易な記述だった(ノ_-;)ハア…
■2つ目はここ。川から水門を眺める。
位置がずっと不明瞭だった。
浦安のロケ地地図
■それではまずメイン
節子さんの実家『三七十屋』さんから(三浦豆腐店)
それで、
喜八のあった真裏にある正福寺に電話して確認してみた。
80歳ほどのお歳のご住職さんが電話に出られて
ここのお寺で佐藤蛾次郎さんと渥美さんが
ロケされたことはおぼろげに覚えていらっしゃった。
あの「米の湯」さんのあたりで
映画の撮影があったことも覚えられていた。
そして
地図上の赤丸部分にあると思われた豆腐屋さんの場所には
店らしきものはなく池田さんという家があるだけだった。
このあと正福寺さんのおばあちゃん99歳と
お嬢さん(70歳)へのインタビューで
その豆腐屋さんはもともとなかったことが判明する!
ちなみに正福寺境内は源ちゃんが縁日でバイをしていた場所。
99歳のおばあさんの証言。
豆腐屋さんは実際にはなかった!
お風呂屋さんの左横には魚の問屋さんがあった!
平野さん新井さんの問屋さん(屋号は長兵衛)
本編では架空の名前「町田利三郎商店」としてでてくる
あの小さなお店。
ダメ押しで平野さんのその隣の「新井さん」にも平野さんの魚屋さんと
あの路地のトタン小屋が変わっていないかどうかお聞きし
その通りだと証言を得られた。(平野さんはご病気で留守だった)
ちょうど新井さんの家の前に 平野さんのあのトタン小屋が見えるのだ。
だからあの小屋が変わっていないことを覚えていらっしゃった。
もうこのあたりいったいそこらじゅうで
大勢が「魚の卸業」を営んでおられた。
正福寺さんと新井さんの話をまとめるとこうなる。↓
■ 豆腐屋は山田組が作った架空の店。
撮影のために境川沿いにあった
路地(私有地)の奥の境川沿いにあった普通の家の池田さん宅を使った。
路地から出たフラワー通り真向かいは蕎麦屋「喜八」
■さくらが路地を曲がるときにあった魚の卸の店は実際にあった店。
しかし名前は実際に使われていた「長兵衛」ではなく
山田組が勝手に「町田利三郎商店」と名付けて看板をつるした。
■向かいにあった蕎麦屋は実際にあった「喜八」さんをそのまま撮影した。
正福寺さん証言
https://youtu.be/8eJO4Ls3lj0
道沿いの家新井さん証言
https://youtu.be/tFpd452-U48
これですべてが合致。
境川沿いに三浦宅があるので寅が住むような
川に突き出たような小屋も理屈的にはあり得るわけだ。↓
(もちろん実際は大船のセット組み)
一方、資料読解でお世話になったのはここ↓
浦安市立中央図書館
約20年前に画期的な公共図書館として開館し
貸出冊数日本一を達成、
日本一の公共図書館という評判を
ずっと維持し続けている浦安図書館
写っているのは寅福さん。
ひたすらこの場所を調べる。
浦安市立図書館資料室で閲覧した撮影当事の住宅地図。
赤丸が豆腐屋として使われた池田さん宅。
黄色丸が蕎麦屋さん
水色線がさくらの歩いた道。
かろうじて「三七十屋」と読める。向こうはすぐに境川
右の銭湯はまだ健在。家と銭湯の間に魚介類を扱う問屋さん(平野さんと新井さん)が
あったことを正福寺の奥さまが証言!
そしてその後↑にも書いたが、当事の卸をここで営まれていた新井さんにもインタビューで確認。
左の家の庭にある小屋は材料は変わっているが、場所やあり方は今も同じ!!だそうだ。
こんもりした植木の向こうにあったのが地図上で書いてある「池田さんの家」で、
そこを三七十豆腐屋(節子さんの豆腐屋)と撮影用に設定ただけ。
植木の家が豆腐屋があった場所(当事池田さん宅)。右手に日傘(三脚^^;) もうすぐに境川が突き当たりに見える。
境川に面した池田さんの家が豆腐屋ロケに使われた。
3人でさくらが歩いて行った路地の入り口で同じアングルで 世界初登頂記念撮影。
動画
https://youtu.be/S3b3wKpQyBI
動画
https://youtu.be/jrfSHlpeFbo
庚申塚で道を聞くさくらのセリフ
「お蕎麦屋さんの向かいの路地ですね」
そのお蕎麦屋さんの名前は「喜八蕎麦屋」さん(喜は漢字としては七が三つ)
喜八の喜の漢字は「七が三つ」
ありし日の喜八さん (喜の漢字は七が三つ)
本編でもかろうじて七が三つが見える。
喜八の暖簾はこの昔の写真では映画と同じでした。
隣の正福寺の石碑が見える。
今はもうマンションです。
「フラワー通り情報サイト」より拝借↓
寅さんDVDマガジンが勘違いしていた豆腐屋「埼玉屋」は節子さんの「パーマふじ(ふじ美容院)」の
横のお寺(東覚寺)の左端↓にあったので正福寺からかなり離れていて位置的には全く関係ない。
画像はフラワー通り情報サイトより
「フラワー通り情報サイト」のお店地図にロケ地を書きこませていただきました↓
ピンクが節子さんの自宅豆腐屋(三七十屋)
グレーが蕎麦屋「喜八」
赤が節子さんの勤める「パーマふじ」
ロケ地の「新橋」も「境橋」も見える。
■2つ目の未踏峰
境川のこのカメラ位置。
当初、私たちはこのカメラ位置を
「神明橋から東を映したものだ」と思っていた。
なぜなら、東の水門がけっこうはっきり映っているから
かなり近い橋から撮影したのだろうと。
これは事前調査で神明橋だと思っていたころの資料↓
しかしこれは橋がひとつずれていたのだ。
境川沿いの雑貨屋さんの聞き込みで
わかったこと↓
『あ、これは東側の水門ですが
『金屋』が映っているからこの神明橋ではなく、
もうひとつ西に引いたところにある大きな江川橋からの撮影ですね』
と証言された。
同時刻に、ちびとらさんも、逆側の岸辺で
境川近くの魚河岸の方に、同じように「金屋」の
看板のことを言われて
江川橋だと気づかれていたのだった。
で、合流して確認し、決定事項とした。^^
神明橋でなく、
もうひとつ後ろの大きな橋江川橋だったのだ!
この動画でしっかりご理解してください。
http://youtu.be/DbkXd8FkDqE
ということで
この熊川力蔵さん経営の船宿『金屋』の看板の位置が
カメラ位置の決め手になった!!
浦安市立図書館資料室で当事の住宅地図を見ると「金屋」が存在する。
江川橋から東門を撮影したことがわかる。
現在はこうなっている。東の水門も江川橋からでもしっかり見える!
向こうに見える橋が当初思っていた「神明橋」
金屋はここにあった↓
そして
その他のロケ地場所も、もちろん制覇した↓
役場がある新橋
これは↓山本周五郎の「青べか物語」を映画化したものなのだが、
川島雄三監督が1962年に作った作品。
この映画には古い時代の荒っぽくて面白い浦安がたくさん出てくるのだ。
もうひとつの画像はフランキー堺さん扮する五郎がお嫁さんに逃げられてしまって
怒ってスクーターを乗り回しているシーン。
フランキー堺さんの渡っているのが昔の「新橋」
あの寅とさくらが別れた「新橋」の昔の姿が映り、
旧役場もこのようにしっかり映っている。
ちょうどさくらと別れるときの寅のバックに
この建物映っていたでしょ(*´∇`*)
このシーン、後ろの役場が同じ!
図書館の資料によるとこうなっている↓
この「望郷編」の撮影の時はもちろんもう木造ではないがそれでも橋は昔の面影はあったようだし、
役場や建物もまだ風情があった。
当事の住宅地図 まだ役場があった。
新橋で寅が吹くラッパ再現してみました。
https://youtu.be/cOHGb869z1o
新橋はかなり何度か拡張されているのだ。
橋のたもとの「松の湯」さんは変化がないので
それにあわせていろな変化を判断した。
昭和44年の地図や昔の写真と比べ合わせて
総合的に判断した結果、
なんと
撮影当時の橋の真ん中は今の歩道に近いライン。
撮影当事の橋のセンターは現在の橋の歩道と車道の境あたり。
スナックプチと高村はきもの店 その向こうには松の湯が当事あった。
映画のカメラは道から川にはみ出して撮影されている。
それゆえこのように寅福さんも腕を出して撮影された!
これは↓寅福さんが果敢に柵の外に腕を出して撮影した写真。そうすることによって映画のアングルに近づけるのだ。
松の湯は変わっていない。今の歩道と松の湯の間に高村はきもの店とスナックプチがあった。
寅たちの向こうにいくつか店が見える。
地図の中でも松の湯の手前に、
「高村さんのはきもの店」や近藤さんの店「プチ」がある。
一方こちらは
寅が源ちゃんを見つけるのは豆腐屋さんの向かいにあった正福寺の境内。
この正福寺の奥さんの証言が大きく「豆腐屋」ピンポイント発見調査を前進させた。
この作品では寅はなんと1回もバイをしていないのだ!!
今はこんな感じ。
三浦節子さんの働く店。
そして三浦節子さんのパーマ屋さん「パーマふじ」
実家の豆腐屋からフラワー通りを東に歩いて5分。
今は空き地になっている。この翌年2015年にはついにこの寿湯銭湯も廃業し、
2016年現在は更地になってしまった。
「パーマ ふじ」 2009年のストリートビューではまだあった!惜しい!!
「フラワー通り情報サイト」のお店地図にロケ地を書きこませていただきました↓
ピンクが節子さんの自宅豆腐屋(三七十屋)
グレーが蕎麦屋「喜八」
赤が節子さんの勤める「パーマふじ」
ロケ地の「新橋」も「境橋」も見える。
当事の住宅地図 黄緑が「パーマふじ」
そのあと寅とさくらは境橋を渡って行く。
このあたりはまだまだ川幅が狭い。
ふじ美容院から境橋へ
https://youtu.be/GjZRAYDJHLY
「寅さ〜ん〜〜あげおくれよ〜〜〜」
橋も家屋もほとんどもう面影はなくなっている。
記念撮影
テレビ版博(博士)登場!!
寅「不器用な野郎だね、あいつは、
おまえの亭主の博に似てやしねえか?」
井川比佐志さんは
テレビ版「男はつらいよの」博(博士)役!
寅「同じ種類だな!」
これはテレビ版からの寅さんフアンにはたまらない言葉
山田監督のサービス。
また、このころ制作した映画「家族」の主人公の夫婦役が
この倍賞さんと井川さんの二人。
これもサービス!
ちょうどこのころ「家族」を制作したので夫婦役が共演したわけだ。
橋を渡ったところのこの建物はまだ名残がある。
石の塀に名残がある。
井川比佐志さんはテレビ版の男はつらいよで博(博士)役をした。
ガードレールも換えてないんじゃないかな…。町内会の掲示板はさすがに新しい^^;
ここは↓、さくらが道を聞いていた「庚申塚」。
新橋からすぐです。
かばん屋さんへのインタビューによると
向かいはかばん屋さん
道を聞いていたのは雑貨屋さん
手前に、カメラ位置には魚屋さんがあったらしい。
さすがに「庚申塚」は、45年の時を経てもそんなにも変わっていない。
そして西の端 水門そば
そして私たちが最後に向かったのはこの映画の浦安導入部分の場所↓
境川の一番西。水門そば。
本当はすぐ上に大きな鉄橋が見えるのだが、
風情を出したくて高羽さんが上を切ったのだろう。
メトロ東西線が走り、鉄橋がある西の水門近く。
青べか物語の千本という船宿がある場所として有名。
本当の名前は「吉野屋」さん。
さくらが歩いている後ろの方に今も存在する。
本編カメラは人だけが上がれる細い橋。境川歩道橋から撮影。
寅福さんとちびとらさんには、このシーンのさくらと漁師のおじさんを再現してもらいました。
こちらは予告編↓しっかり水門も鉄橋も見える。
浦安のロケ地地図
追加
2016年12月26日
このロケ地も行って来た。
浦安に向かって小舟が流されていくシーン。
昔はこうして橋の上から撮影できたが現在は京葉道路が人の通行禁止なので
下の川辺から撮影した。
俯瞰では撮れないが、一応左右は映画の構図をそのまま意識した。
寅は右の方に流され、浦安で境川に入り込んでいくのだろう。
2年間お蔵入りしていた浦安を
ようやくアップすることが出来た!!ふ〜〜〜〜〜。
■エピローグ
喜びに満ちた寅が『月の法善寺横丁』を歌いながら自転車を漕ぐ1カット。
このシーンだけは迷宮入りしました。
この短いシーンの中でいろいろなヒントがあります。
「富士銀行」「麻雀クラブ」と「梨花」も
しかし、一筋縄じゃ行かない。
富士銀行はもともと浦安には支店がない!
それでは大船か!?
大船の富士銀行支店は駅前にあったが
ぜんぜん立地条件が違う!
梨花も調べたが該当はない。
旅と調査はこれからも続く・・・・
。