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淡路恵子さんを偲んで 役者というものの凄み
第38作「知床慕情」
いやはや、三船敏郎さんと淡路恵子さんの存在感の凄さ。う〜んと唸ってしまった。
演技はもちろん上手いのだが、そんなもの以上に彼らの世界観が見事にスクリーンに広がっていた。
当時映画館で観た私は、ひさしぶりになんとも幸福な気持ちになれたことを今思い出している。
愛の告白を受けた時の淡路恵子さんの少女のような表情…、久しぶりに役者の凄みを見せてもらった瞬間だった。
彼女のひとつひとつの表情を見ていると、説明的な物語は不要、とまで思えてくる。彼女の目、表情、口跡が、
このふたりの長い歴史を物語り、それだけで、深い感慨に胸が熱くなるのだ。
やはりそうなのだ。あれが役者というものだ。
人は一生懸命の演技を見せるのではなく、その人そのものの生き抜いてきたその姿を、
その背中を見せるのだ。
やはりいつも書いているが、役者はもう芝居をする前からその
結果は決まっているのだ。生身の体をさらけ出してこの世界の成り立ちを語ると言う人間が成し得る最も直接的で
かつ最も困難な仕事、それが役者だ。全部自分の過去と現在が露出する。
三船さんは、絵になる。もう文句なしに『役者』だ。渥美清と三船敏郎。これを見ないで何を見る。
確かに野良犬や用心棒、七人の侍などの三船さんは目がギラついて出色だが、「知床慕情」の三船さんは、私たちの
世界に棲む住人だ。そんな親しみやすい三船さんをスクリーンで見ることが出来たこと自体が嬉しい。
私は三船、淡路のお二人の姿をスクリーンで見た日のことを今でも覚えている。それはなんとも晴れやかな、
心に涼やかな風が吹き抜けた時間だった。
あのお二人がスクリーンに出られているだけで、この物語は格調が高くなる。
あの第17作「夕焼け小焼け」の宇野さんと岡田さんをも、ふと思い出す。あの時私たちは彼らの生きてきた道を
演技の背後で見ていたはずである。役者というのは正に築き上げてきた「世界観」が全てなんだとあらためて心に
刻ませてもらった。
悦子さん、下を向いてしまう。
寅「勇気を出して言え。
今言わなかったらな、おじさん。
一生死ぬまで言えないぞ」
順吉、後を向いたまま肩で大きく息をして
振り向き、
目に力をこめる。
順吉「よし!」
と悦子さんの方を見て
順吉「言ってやる!」
寅「うん!」
順吉、気合が入ってきて
順吉「言ってやるぞ!!」
寅「よし!」
ドシドシと大またで悦子さんに近づいて行く。
寅「行けえーへへへ!!!」
とコブシを突き出し、
満面の笑みで順吉を送り出す。
いけえええーへへへ!!!!
順吉の歩きに圧倒されて、
男どもバタバタ自らひっくり返って逃げ出す。
マコト「あああ!」と思いきり転ぶ。
ずんずん悦子さんに近づく順吉。
りん子「父さん!なにすんの?」
順吉、悦子さんの目の前まで来て、
肩で息をする。
マコト、婿養子、船長ら
順吉の表情を見ながら、一緒に緊張。
マコト、緊張しながらも目がワクワクしている。
悦子さん、順吉を見ている。
口を引き締め、悦子さんを見る順吉。
船長、順吉に合わせて息をする。
悦子さん、真剣に順吉を見ている。
順吉「俺が行っちゃいかんという訳は、
…俺が、俺が…、
ハアハア…」
順吉、言葉に詰まり、…ウイスキーのビンを見て、
後を振り向き寅を見、
もう一度悦子さんを見つめ。
順吉「俺が、惚れてるからだ!
…悪いか…」
順吉、悦子さんから
目をそらさないで力を込めて見つめる。
りん子のテーマが大きく流れる。
悦子さん、震えながら
順吉を見つめ続けている。
順吉を見つめる悦子さんの表情が崩れていき、
大きく震え、
悦子「は…」
見る見る涙が浮かび、
涙があふれ…
手で顔を覆い、泣いてしまう。
遂には目を瞑り、
大きく嗚咽しながら下を向いていく。
悦子さんのメガネに映る順吉の姿。
寅、呆然と立ち尽くし、
寅「はあ…、
本当に言っちゃったよぉー…」
感動で心が打ち震え、
まぶしく二人を見て、
目が潤んでいくりん子さん。
みんな時が止まったように静か。
誰一人動かない。
順吉はずっと悦子さんを見つめている。
淡路さん、
私はあなたの少女のような涙を忘れません。
合掌