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最重要レポート
第17作 男はつらいよ
播州龍野 ぼたんの住む家 世界初の内部調査
■ 第一部 ぼたんの家 内部調査レポート 映画との類似点
2021年9月初旬
非常に無念ではあるが、あの、たつの市龍野町の日山地区にある『ぼたんの家』が
老朽化により建て壊しをされることがわかったのだ。
今年、あの家が空き家になった後、町屋再生の龍野のNPO法人に
あの家の観光資源活用をお願いしていたのだ。
つまり、まずは、龍野の観光資源のために、あの家と土地を買い取る、
もしくは土地を借りるという方向で話を進めていただいていた。
しかし、速攻であの土地を持ち主さんの言い値で買い取るなんてことはできないのも当然の事ゆえ
良き落としどころを模索していたところだった。
土地の持ち主さんが龍野を離れ神戸にお住まいだったことも
この話がなかなか進まなかったことの一因だった。
龍野在住の私の絵のコレクターさんで、友人でもある吉田さんがその建て壊しの情報を聞き、
現地へ赴かれた時、建て壊しの業者さんがすでに入りこんでいた。
モルタル木造のこの家は、水路側の家の側面が土壁が見えていて、
1976年の映画撮影時でかなり古い感じだったので、
そこからさらに45年ほど経っている。
おそらく最低でも築70年は経っているだろう。
強い地震などで崩壊する可能性もあり、安全性を考えると仕方ないのかもしれない。
壊される前に、すぐにでも飛んで行って撮影したかったが、
私は東京にいるゆえ、どうしても写真が撮影できない。
そこで、最初にこの情報をお知らせいただいた私の絵を十数枚お持ちのコレクターさんであり、
ぼたんの家から徒歩圏でお仕事をされている友人の吉田さんと、
12年来の繋がりの深い寅さん仲間で龍野や日本全国の数々のロケ地調査を毎年共同で行ない、
文字通り同じ釜のめしを食べた龍野在住の小手寅さんのお二人に
今回急遽なことゆえ、無理に無理を言って何度か詳細な撮影をお願いした。
現場の業者さんに許可を取ってお二人とも撮影に入ってくださった。
ところで、
本編の中で、ぼたんの家の玄関先の外のシーンは当然完全ロケだが
実は家の内部のシーンは全て大船でのセット撮影であることが昔から判明している。
特に部屋の中の照明は、あきらかに高い場所からの強いセット撮影の光であることが自明になっている。
では、玄関から台所までの土間(廊下)は一見、薄暗いのでロケ撮影かと
思われるだろうが、実は玄関の路地向かいに見えるお向かいさんの屋根の瓦が
明らかにセットの屋根なので、内部撮影はロケ無し、オールセット撮影と確定したのだった。
向かいの家の瓦屋根がいかにもセットの作りもの。↓
瓦の位置も、当事の向かいの家の瓦を見るとセットの方は高さが低すぎる。
しかし、山田組は、あらゆる映画の中で毎回毎回、実際の現地の部屋の内部構造を
必ず半分以上はそっくりに再現しようとするのだ。
映画は元々作り物ゆえに、物語の都合に合わせて勝手に好きなように
作り変えてしまっても良いのだが、大抵の作品で、それがたとえ全てセット撮影だとしても
現地の本物の内部構造や内装に似せて、時間とお金をかけてセットを作りこむのが
山田組のポリシーであり習性だったようだ。
それゆえ、2012年に現地を訪れてから、毎年のように内部調査を狙っていたのだが
長年あの家には住人がおられ、調査に難色を示されていたゆえに諦めていたのだ。
追記:その少し前まで、
今から十数年前までは元々の土地の住人であるおばあさんが長い間お住まいで、
ロケ撮影のことも覚えていらっしゃったようだ。(龍野の長年の友人である吉岡幸彦さんの証言)
この日本映画史上の名作である「寅次郎夕焼け小焼け」(1976年度キネマ旬報第2位)の中で、
龍野の町のロケ撮影調査はとても重要で、2012年〜2013年にかけて、
1ヶ月近くかかって、私と仲間ですべての調査を終えたのであるが
しかし、物語の大きなクライマックスであるラストシーンの芸者ぼたんの家の内部調査は
上記のように、その家の住人の迷惑になると思い、実行に移せないままであったのだが、
はからずも皮肉なことに、今回の建て壊しによって
撮影のために中に一時的に入ることを許可され、調査できたのである。
この調査内容は、今後の映画「男はつらいよ」を研究する人々の参考になると思われ、
現在と未来のこの映画の真摯な研究者たちのために、
今回微力ながらこの最高の名作のラストシーンでもある、ぼたんの家内部調査レポートを
掲載しようと思う。
今回の調査でも、
ロケ現場とセット撮影では、数々の類似点と相違点があった。
最も重要なシーンは
廊下から玄関を撮影したシーンと
牡丹の絵が飾られていた床の間の部屋のシーンの二つだ。
シーンその@
■玄関から奥に伸びる廊下(土間)と1階の2つの部屋、階段、台所など
実際の家は、玄関を入ってまっすぐの廊下(土間)が奥に続いている。
玄関に近い部屋のほうがやや幅も畳の1枚幅の分広め。
映画本編も玄関の方の部屋は実際の部屋を参考にやや広く作ってあるのが分かる。
セットながら、実際の間取りの再現性が強いと思って良いだろう。
アップにしてみると、
映画セットの部屋の方も玄関寄りの部屋の方が幅が広く、
やや出っ張っているのがわかる。
実際の廊下(土間)は玄関から奥のお風呂までまっすぐではあるが、
2階への階段のエリア確保のためか
台所の立ち幅を取ったりしているためか
台所エリアの廊下(土間)は広く取ってある。
それゆえ、玄関寄りの部屋と比べて、後ろの方の部屋は幅は狭く細くなっている。
二階への階段も映画セットとは位置が少し違う。
セットの方は二階への階段が部屋の方に引っ込んでいる。
実際の階段は廊下(土間)の方にかなり出ている。
台所の位置はほぼ合っているが、実際の台所はシンクが廊下に50センチほど出っ張っている。
しかし、廊下と言い、階段と言い、台所の位置といい、ぼたんの部屋といい
あきらかにこの実際の家の内部をかなり参考にしているのは確実だ。
映画セットのカメラ位置には中庭のような植物が植えてあったが
実際は風呂があった。
この↑の写真は吉田さんに風呂の中に入って撮影していただいた。
ぼたんは寅を引っ張って廊下(土間)を玄関から奥に向かって走ってくる。
そして台所の向かいにある部屋で履物を脱いで部屋に上がっていく。
シーンそのAのT
■絵が飾られている床の間の部屋。(ぼたんの部屋)
奥のつきあたりの部屋に絵が飾ってある。このシーンは、手前の部屋からも撮影
実際の同じ位置には床の間はなくて、押入れがあった。(吉田さん撮影)
部屋と部屋の間に狭い廊下があり、二階への階段がある。
数日後に小手寅さんが赤い牡丹の写真を持って(写真が絵の位置とは違うのはご愛嬌)
撮影に再度入った時には、襖はすでに取り外されていた。
シーンそのAのU カメラアップ
■床の間があるぼたんの部屋のアップ
本編セット撮影では天井は斜めになっている。天井の高さもかなり高い。
実際は床の間は無く、押入れがあった。天井も水平で、セットと比べて高さはかなり低い
シーンそのAのV 逆のカメラ方向
■この床の間の部屋の違うカメラアングル
このシーン、カメラは台所、階段、玄関方向に向けられている。
セットでは、台所の壁が背後に見える。
床の間がある部屋のすぐ横の土間は台所。(小手寅さん撮影)
この一連の室内シーンがセット撮影だとわかる大きな証拠は部屋の光。
絵が飾ってある部屋の光が強く、高い位置からのもの、つまりセット特有のものだ。
誰でも分かる見分け方は、
廊下(土間)から見える玄関の向かいの瓦屋根の高さ。
瓦部分の高さがぜんぜん違うのと
瓦の様子が完全にセットの作り物。↓↓
玄関向かいの家の塀が高く、塀の上の瓦は人間の頭のかなり上に設置されている。
一方、映画本編の家の内部土間廊下越しに見える玄関向うの家の瓦は低いところに作られている。
向かいの家の塀を見て下さい。かなり塀の瓦が高い位置にあるでしょ。
【実際の家の見取り図】
内寸 幅約4,5m.長さ約8,4m.(グーグルアースの俯瞰地図からの計測)
この実際の家の見取り図に、
あえてセット撮影における役者の立ち位置を入れてみました。
→の通り、玄関から走って
寅の立ち位置が黄色● ぼたん立ち位置が赤色●
━ ピンクが牡丹の絵
【映画本編映像のカメラ位置と方角】は、以下の通り↓
映画本編での時系列 @→A→B
@ 土間から上がってすぐのカメラ位置
A 隣の部屋の中ほどからのカメラ。
Bはカメラ固定でCへ左にパンしていくのだ。
Bと、同じカメラ位置のまま左にパンしたのがこの映像。
追記:
龍野で毎年私と歓談する7年来の寅さん仲間であり、友人である
龍野在住の吉岡幸彦さんは
十数年前に寅さんロケ地マップを制作する際に一度
このぼたんの家の中に入られた人だが、
彼はなぜ内部に入れたかと言うと、その当時は元々昔からお住まいだった
住人のおばあさんがまだ健在で、
そのおばあさんが親切に家の内部を案内してくださったそうだ。
もちろんロケ撮影の時の様子も覚えていらっしゃって
スタッフたちは、牡丹の絵も持ってきて玄関の方の部屋には壁があるので
その壁の方に飾ってみたりしていたそうだ。
山田組はこのように、後に大船でセット撮影をするとは言え、
必ず一応現地でいろいろトライしてみるのが常だった。
それどころか、他の作品では一応渥美さんやゲストの俳優さんに現地で
演技までさせていることも少なくない。
実に興味深い『習性』といえるだろう。
吉岡さん貴重なお話ありがとうございました。
■ 第二部 ぼたんの家の玄関周辺外部ロケ
家の内部は全て大船の撮影所で作ったセットでの撮影だが、
ぼたんの家の玄関先や路地でのシーンはもちろん実際のロケだ。
■ぼたんの家の外部ロケ
ぼたんの家から緑の洋館がある道へのカメラ。
もう山下さんの緑の洋館から伸びる左右の趣のある塀や壁は
とうの昔に模様がわりしたり、更地になり家自体が無くなったり.
…この細い路地を選んだ山田組の気持ちはこのエリアにはもうない。
今度は逆に、道方向からぼたんの家へ向けたカメラ撮影
水路のところにある石垣がわずかに45年前を偲ばせる。
この3枚の写真は2013年5月私が撮影したもの。↓
左は1976年映画本編 右は2013年撮影。 同じ場所だとわかるこの石垣が証人だ。
2013年撮影
向かいの家も塀は20年以上前からブロック塀に変わっている。2013年5月撮影。
ぼたんの家の水路に沿って建っていた土壁の蔵はとうの昔になくなり、
15年以上前から金網の駐車場になっている。2013年撮影
撮影当事と比べてぼたんの家も二階の屋根の向き、
(もしくは庇の有無)が変わっている。2013年撮影。
おそらく20年以上前に二階の屋根は大きな工事をしたのだろう。
二階の屋根を見比べていただきたい。明らかに屋根の方向が違う。(庇の可能性もあり)
2013年9月撮影。珍しく晩夏の撮影。
これは、2012年春に寅さん仲間の寅ヴィックさんと小手寅さんと私でぼたんの家を初訪問した時の写真。
吉田さんの動画から、画像に転換しました。↓
2012年撮影
これは2013年5月に撮影した時のもの。
これは建て壊す直前の2021年9月初旬の小手寅さんによる撮影。
『グーグルアース』で映画の寅の足跡をたどり、
俯瞰地図でマークしてみた。
路地からぼたんの家、そして『東京どっちだ』の道までのコース。
追記:
ラスト、
走り出した寅を追いかけ路地を走るぼたんの撮影場所を記しておきましょう。
ロケ地調査の日本一の鬼才、友人の寅福さんとのやり取りの中で
ほぼ75パーセントここだと確定しました。
たまたま、2021年9月20日に息子の宮嶋龍太郎が龍野国際映像祭の準備で3日間龍野に滞在していたので
無理に無理を言って、ここのシーン↓↓を撮影してもらった。深く感謝!!
寅とぼたんが走って行った水路横の路地。撮影当時はこのあたりは家々で建て混んでいた。(2015年撮影)
黄緑はぼたんが走った道。ピンクはカメラ位置です。2013年撮影
■ぼたんの走った道を現在の航空写真で見るとこうなる。
この空き地がまだ家々で埋っていたころの1976年の映画本編と同じ状態の航空写真。
ピンク●はカメラ位置。黄色線はぼたんの走った道。赤はぼたんの家。
現地動画 https://youtu.be/ereeCuprLDc
■ 第三部 吉田さんと小手寅さんの動画撮影と2013年吉川の動画
動画撮影(世界初)入り口から入ってぐるり撮影。↓(吉田さん撮影)
https://youtu.be/6Eh2rjQMYNM
https://youtu.be/67y-2W_Xgos
■ストリートビューによる ピンポイント位置。
住所:たつの市龍野町日山368
https://goo.gl/maps/VK4hEyLanqpzdAxV6
その他、いろいろな動画をランダムに撮ってもらいました。↓↓吉田さん 小手寅さん 撮影
動画撮影(世界初)入り口から入ってぐるり撮影。
https://youtu.be/67y-2W_Xgos(吉田さん.玄関から内部廊下重要動画)
https://youtu.be/ngBWDCJ_-_I(吉田さん.ぼたんの部屋)
https://youtu.be/ql_oa9_Uz0w(玄関寄りの部屋からぼたんの部屋を撮影)
https://youtu.be/Zzlv8y1vajk(吉田さん.二階の二部屋)
https://youtu.be/sM1lfO73CLs(小手寅さん.水路から内部のぼたんの部屋)
https://youtu.be/trVF4u17vpg(小手寅さん.玄関周辺)
https://youtu.be/k8IhyKr8wR4(小手寅さん.路地の入り口から水路まで)
https://youtu.be/OYpFSfXdB8k(小手寅さん.水路から家の内部)
https://youtu.be/8stk1XikPR8(重要:小手寅さん.ぼたんの部屋と廊下)
https://youtu.be/s8QhY7Xa6ls(小手寅さん:ぼたんの部屋 逆方角のカメラ)
https://youtu.be/p1QmnqawsoQ(小手寅さん 台所 ぼたんの部屋)
8年前の家のぐるりを撮影した吉川の動画も紹介しよう。↓
2013年 https://youtu.be/Y0jL-zCRMQ8
(2013年吉川撮影:ぼたんの家の前から東京どっちだのラストシーンまで。長年の寅さん仲間たちと一緒に)
2013年 https://youtu.be/NhPK6yrd3dU
(2013年吉川撮影:龍野在住の冨岡さんと伊藤さんをぼたんの家のぐるりを案内する)
2013年 重要 https://youtu.be/ITikZ1tVKJQ
(2013年吉川撮影:入り口の路地からラストの東京どっちだまで)
この写真は2013年5月に私が撮影したもの。もちろんこのころは空き家ではなかった。
■ 第四部 内部写真アラカルト 玄関寄りの部屋、二階の部屋、階段など
この階段を上がると妹さんと弟さんの部屋がある。弟さんはたぶん末っ子。
本編では使われなかったのですが、二階には2部屋あります。
ぼたんは、妹さんと大学生の弟さんとの3人暮らし。
二階の2部屋は妹さんと弟さんの部屋と思われる。↓↓
こちらは二階の玄関寄りの部屋。一階の廊下の上にまで広がっているので広い。
こちらは二階の奥の方の部屋。ぼたんの絵が飾ってある床の間の部屋の真上の部屋。
二階は2部屋とも幅目一杯に作られているので広い。
二階への階段はこのようになっている。
1階の2つの部屋の間を小さな60センチほどの廊下があり階段が設置されている。
実際の家は、廊下から見たら階段はこう見える。
映画では廊下の邪魔にならないように階段はもっと右に引っ込んでいる。
ぼたんの絵が飾ってある部屋の横は、映画では竹で囲った柵の向うに植物が生えた中庭があったが、
実際の家はこのようにお風呂場だった↓↓これより後ろは無い。
映画本編では竹垣で囲われた中庭(植物あり)実際のこのカメラ位置はお風呂場。
映画の中で床の間があった部屋は、実は正面奥は押入れになっており、
その横の壁は大きく窓が作られている。
右のお風呂の場所は本編では竹の囲いで飾られている中庭があった。左の押入れの部分に床の間があり
牡丹の絵が飾られていた。
玄関寄りの部屋の方が奥の部屋よりも畳1枚ちょっと分大きいゆえに、廊下は手前は狭く、
奥は広いのだが、
奥には台所のシンクが置いてあるゆえに、その分だけ左に曲がり、廊下はまっすぐに行けないのだ。
玄関寄りの部屋から見たらこうなる。
こちらの玄関寄りの部屋には玄関方向に全面ガラス引き戸があるゆえに、
サイド(水路側)は壁。窓は作られていない。
廊下土間から玄関寄りの部屋を玄関方向に向かって撮影。 右前にトイレのドアが見えますね。
玄関寄りの部屋はガラス戸があるゆえに明るい光が射している感じ。
玄関寄りの部屋から、階段がある小さな廊下を通り越して、奥の部屋を見る。↓
これは映画で使われた構図だ。
奥の部屋は土間が広く取られている分、部屋自体は細長、やや狭い。
押入れを背中にして台所と階段方向を撮影した。
これは本編の構図↓と一致するように撮っていただいた。(小手寅さん撮影)
ぼたんが下駄を洗っていた水路。
もう一度正面を紹介。
側面から見た家。建て壊しの準備がなされていた。
この側面の写真は今から9年前、2012年に最初に龍野を訪問した時のものだ。
ぼたんの家の一番後ろから水路を撮影したらこうなる。(吉田さんは良いところに目を付けられる)
下駄を洗っていた水路はもう今は雨でも降らないかぎり水は流れてはいない。
家の後ろからも、しっかり撮影された吉田さんのセンスは素晴らしいです。
ぼたんが取っていたのは明治牛乳。このような青い箱が玄関に取り付けてあった。
本編でも側面に『パイゲンC』の文字が読める。
側面に 『パイゲンC』 の文字が読める
正面に明治牛乳 側面に『竜野販売所』の文字が読める。
2021年5月頃私が撮影
2013年5月に私が撮影したぼたんの家。
2021年9月初旬 近くの民家に埃や建材が飛ばないように囲いが取り付けられていた。
最初の龍野訪問時、2012年4月に正面から私が撮影した時のもの。
小手寅さんが来られた時、吉田さんの撮影時にはあった襖もすでに外されていた。
いよいよ建て壊しのタイミングが近づいているのが写真からわかる。
私の絵のコレクターさんでもある龍野の吉田さん、そして長年の寅さん仲間の小手寅さん、
ご多忙中にもかかわらず、急遽の撮影のお願いを快諾して下さり本当にありがとうございました。
心より深く感謝申し上げます。
追記:
龍野に滞在のたびに歓談し、お食事もご一緒する寅さん仲間であり友人である
龍野在住の吉岡幸彦さんから
9月16日の午前中に撮影されたお写真をいただきました。
なんだかさっぱりしてしまいましたね。
まるでなにもなかったように更地が広がっていました。
ぼたんが下駄を洗っていた路地は公道?ゆえか残っていました。
9月16日 吉岡幸彦さん撮影
ぼたんの家はすべて更地になりました。
かろうじて基礎の石垣だけが残っている。
さらに追記
龍野国際映像祭で4日間龍野に滞在した息子が撮影してくれました。↓↓
2021年9月20日 動画撮影:私の息子の宮嶋龍太郎
https://youtu.be/PINpQXpMLnU
2021年9月21日 動画撮影:私の息子の宮嶋龍太郎
https://youtu.be/-EuF-llQZXQ
ぼたんの家が唯一正面に見える映画のアングル
現在、だいたい同じアングルで撮影。こうなった。 以下、2021年9月21日 宮嶋龍太郎撮影
ぼたんの家の後ろの庭から台所と玄関を撮影した映画アングル。
ぼたんの家の後ろの庭から台所と玄関を撮影した映画アングル。
ピンポイント撮影 2021年9月21日 宮嶋龍太郎撮影
ぼたんの家の床の間を撮影した方角↓↓(2021年9月21日宮嶋龍太郎撮影)
映画での隣の部屋のカメラ位置はこのへんかな…↓
■ラストシーン 『東京どっちだ』 動画撮影
(2021年9月21日昼宮嶋龍太郎撮影)
https://youtu.be/hfXsxfuRECE
■龍野.ぼたんの家路地から東京どっちだまでのロケ地全部を動画撮影
(2021年9月21日夕方最終撮影 宮嶋龍太郎撮影)
https://youtu.be/yPgsATEWZJI
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声
■ 第五部 エピローグ 感動の本編ラストシーン 再掲載
最後にぼたんの家が映るラストの物語を詳細に書き記しましょう。↓↓
第17作 男はつらいよ
ラストシーンを抜粋
1976年7月24日封切り
スマートで弾けた脚本と演出、安定感抜群の109分。これぞエンターテイメント!
「夕焼け小焼け」は、今までに私がこのシリーズで最もたくさんの回数を見た映画である。
そのほんとうの理由は自分でもよく分からないのだが
映画というものが持っている全ての面白みが偏ることなく絶妙のバランスで詰め込まれているからかもしれない。
私にとっての作品としての評価という意味では、第1作や第8作、第15作のほうが高いのだが
この第17作はなぜか見た後に満腹感を感じられるのだ。物語の振幅が大きいからかもかもしれない。
また、この頃になると、脚本や演出がこなれてきてスマートでギクシャクしないものになっているので、そのような、
ゆったりとした安定感が心地よいのかもしれない。総合的な完成度が高い気品のある作品と言ってもよいと思う。
とにかく実に「見易い映画」「楽しめる映画」なのである。
第1作「男はつらいよ」を見ていると、楽しめるというよりは、あまりにも懐かしく、美しく、
そして初々しい荒削りな魅力に溢れている。
第8作「寅次郎恋歌」も楽しめると言う言葉は似合わない。
人生の奥深さと、人間の世の哀しさ、
旅の孤独、が見事に描かれた長編大作だ。
それゆえに立て続けに見るときついものがある。
第15作「寅次郎相合い傘」は美しく切ない、ふたりの恋の物語で、心が震える最高傑作だ。
楽しい場面もたくさんあるし、「放浪者の栄光」の物語でもあるが、やはり「切ない恋の物語」でもある。
それに対して、この第17作「夕焼け小焼け」はとにかくすんなり安心して楽しめるのだ。
つぎつぎに物語が展開していってあれよあれよと
いう間にクライマックスへ。そして最後に感動が待っている。
落ち込んだ時、この作品を見たら元気が出る。悲しくて仕方がない時この作品を
見ると、明日も生きていこうと、そう思えるのである。
そして、青観と志乃さんの隠された初恋の物語、このもう一つの核があるゆえにこの物語には深い懐が存在する。
岡田嘉子さんの眼 ― 人生のふたつの後悔 ―
この映画には宇野重吉さんの初恋の人、志乃役で往年のスター、岡田嘉子さんが出演している。
彼女の体から出るあのオーラはいったい
なんだろう。人の歩めない道をあえて歩んで来たものだけが持ちうる優しくも強い眼光。凛とした姿かたち。
今日の今日までいろんな役者さんの演技を見てきたがあのようなオーラは、
あとにも先にもあの龍野での岡田嘉子さんだけだった。青観役をみごとに演じきった宇野さんとともに心底
感服した。
岡田嘉子さんは戦前にソ連へ亡命し、戦中戦後の数々の苦しい体験を経て、
日本へ一時帰国している時にこの映画に出演されたのだが、
かの地での厳しい環境の中での体験があの姿かたちになって、見る私たちを圧倒したのであろう。
日本で役者のことだけを考えて安穏としている
たくさんの俳優さんと生き様が違うのである。あの優しさの奥にある眼の力は普通じゃない。何かを視、体験してきた眼だ。
愛人と手を取って南樺太の国境線を越え、亡命したが、運悪くスターリンの大粛清の最中だったこともあり、
愛人は銃殺、岡田さんも10年もの間
厳しい収容所で強制労働を強いられた。
10年間の収容所生活から解放された岡田さんはモスクワ放送のアナウンサーになって後に滝口慎太郎氏
と結婚,彼の死後、1972年に滝口氏の遺骨とともに、宇野重吉さんらが出迎える中、実に34年ぶりの帰国を果たす。
この「夕焼け小焼け」に出演した当時、岡田さんは一切そのことを人にもスタッフにも言わなかったため
この衝撃の事実がわかったのはその後、ソ連に戻ってからだという。
「私、近頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。
ああすればよかったなあ…という後悔と、
もうひとつは、
どうしてあんなことしてしまったのだろう…、という後悔…」
この言葉は、あとから考えると、岡田さんの人生そのものであり、
岡田さん以外の人には言えないセリフだったと今でも確信している。
あの眼光を持ったまま、岡田さんは14年後に日本を去り、ソ連に戻り、
かの地で独り寂しく永眠された。
ソ連に戻る際、友人の杉村春子さんが「日本の方が暖かいのに」となんとか止めようとしたが
、岡田さんは寂しそうに笑い、「東京のあわただしい
空気より、静かなモスクワの方が肌に合うんですよ。
それに私を愛してくれた2人の男が眠っている国だし」と杉村さんに言ったそうだ。
多磨霊園にある墓碑には「悔いなき命をおしみなく」という自筆が刻まれている。
私がインドネシアでの生活に悩み、苦しんでいた30代後半、ひょっとしたら…、
この「夕焼け小焼け」の岡田さんの深い眼光とあの凛としたお姿、
あのセリフを見聴きするために何度もこの作品を見ていたのかもしれない、と
今、これを書いていてふと思った。そうかもしれない…。
私は岡田嘉子さんに救われたのかもしれない…。役者は人生が出る、生き様が出る。
渥美さんや、岡田さん、宇野さん、笠さんを見ていると
そう思う。撮影現場で一生懸命体当たりの演技をしてもしょうがないのだ。
そんな甘い物ではない。勝負すべきは日々の孤独の中での生き様なのだから。
志乃さん宅のお手伝いさんの役でなんと第7作「奮闘篇」のマドンナである榊原るみさんが
ノンクレジットで友情出演していたが、志乃さんの
静かな生活に溶け込んだ清楚な実にいい演技だった。
宇野重吉さんという存在
池ノ内青観を演じた宇野さんの存在感も凄まじいものがあった。
何から何まで宇野さんは「池ノ内青観」そのものだった。あの人の
姿かたちにも、独特の「怖さ」「厳しさ」が滲み出ている。たった一言で人生を感じさせることができる人。
それが宇野さんだ。おそらく宇野さんも岡田さんや、渥美さん同様にただですまない厳しい人生を送ってきたのであろう。
最晩年の彼の生き様を思い出してはそう感じている。
山田太一さん脚本の名作「ながらえば」でテレビドラマの歴史に残る笠さんとの真剣勝負の演技を私たちに見せてくれた宇野さん。
笠さんと渡り合えるのはもう後にも先にもあの時代宇野さんしかいなかったのである。
宇野さん扮する青観がラスト付近で目を細めてふと呟くあの言葉「そう…寅次郎君は旅か…」は忘れられないセリフだ。
この一言でこのシリーズ
のイメージをすべて言い表していた。見事な姿かたちだった。
また、龍野での寺尾聡さんとの親子共演もなかなか印象深い。
いずれにしても宇野重吉と岡田嘉子というふたりの優れた感覚の人間によって演じられた龍野のあの静かな夜の会話は、
この作品に最高の気品を与えているばかりでなく、あのシーンの存在が、
この長いシリーズ全体のイメージをも高めているほどの強烈なインパクトを持っていた。
「夕焼け小焼け」の奥深い懐がここにあるのだ。
美しい播州龍野と弾けるぼたん
この作品では播州龍野がしっとりと実に美しく描写されている。そんな古い町並みの中で溌剌と健気に生きる芸者ぼたん。
このコントラストが実にたまらない。太地喜和子さんの当たり役である。お互い裏街道を歩く者どおし、出会いから寅との
相性は抜群だ。太地さんはほんとうに大輪の真っ赤な牡丹の花そのものだった。失意のどん底で、寅の熱い気持ちに打たれ、
とらやで人目もはばからず号泣するぼたん。
そしてラストに「絶対に譲らへん、一千万円積まれても譲らへん!一生宝もんにするんや!」
と宣言するぼたん。あれらの太地さんの顔を私は忘れない。
この長いシリーズではいわゆる「悪者」というような人物はほとんど出てこない。
みんなどこかしら人間臭さを残した憎めない連中ばかりだ。
しかしこの第17作にはこのシリーズで唯一といっていい「悪い奴」が登場する。
ぼたんの虎の子の200万円を騙し取った鬼頭という男だ。
そのことでとらやの面々はずいぶん親身になって手伝おうとするが、すったもんだ
の果て、結局泣き寝入りという厳しい結末が待っている。どんなにさくらたちの心が清らかでも、
どんなにタコ社長が奮闘しても、寅が怒って
怒鳴り込もうとしても、どうすることもできない厳しい現実がそこにはあったのだ。
この金銭的損害と悪者征伐に関してはこの作品は容赦なく
救いを遮断させている。現実の社会はこのような不条理な出来事や悪意に満ちた事件で溢れているからだ。
この時の寅は本当に心底怒る。マドンナのためにこんなに本気になって怒った寅は
この17作をおいて他に無い。その心にぼたんは救われ号泣するのである。
人は、最後の最後はお金でなく人の心に救われる。綺麗ごとでなくほんとうにそうなのだ。
人生で涙が枯れ尽くすまで、とことんまで辛酸を
なめた人ならそれはみんな実感として知っていることだ。
この作品はほんとうに無力で惨めながらも
励まし合いながら寄り添いながら生きていく人の世の切なさと温もり、そして気高さをラストで謳いあげて終わっていく。
その1ヶ月前、
絵描きにとって絵を描くことは『真剣な仕事だ』と言って、
ぼたんをなんとか救いたい寅の頼みをにべもなく断った青観。
絵を描くというのはある意味とてもエゴイスティックな行為だ。
寅は、そのことを瞬時に見破り、啖呵を切る。
やがて、時が流れ、
青観は寅のその言葉を心で受け止め、
「絵描き」としてでなく「人間」として寅に答えたのであろう。
絵を描くなんて行為は最後のギリギリでは人にとって二次的な行為である。
最後は人は人に寄り添い、人と共に歩むのである。
青観は最後の最後に寅の気持ちを新たな気持ちで受け止めたのであろう。
そしてその気持ちを知った寅もまた、新たな気持ちで東京に向かって手を
合わせ、青観の心意気に感謝したのだった。
寅が龍野で遠く東京を想って祈っている正にその時、青観はさくらと共に
江戸川の風に吹かれ、遠く寅次郎を想っていたのではないだろうか。
こんな美しく、ほろ苦く、そしてリアルな感動に打ち震えるラストはこのシリーズでもめったにない。
『青観の人としての心』
そのことがわかるぼたんの家の質素な床の間に飾られた青観から送られた『赤いぼたんの本画』。
しかし、実は本編では、本物のロケ撮影でのぼたんの家の内部は一切映らないのだ。
あのぼたんの家の路地と用水路、玄関前は全てロケだ。
そしてぼたんの家の内部は全て大船でのセット撮影だ。
それでは、ラストシーンを抜粋しましょう。
本編、ラスト5分
播州 龍野 入道雲
あのしっとりとした龍野のテーマ曲が流れている。
揖保川で遊ぶ子供たち 後ろに鶏籠山が見える。
揖保川に架かる龍野橋を寅が暑そうに歩いていく。
龍野橋でアイスキャンディー屋
寅、ちょっと戻って
寅「1本くんねえかい」
キャンデー屋、チョコレート味のアイスキャンディーを渡す。
寅、耳の裏と帽子の間に挟んだ100円玉を取り出し、
スッと渡して、キャンディーを受け取り、
釣りは要らないっていう仕草
寅「美味い」って呟いて
さっとカバンを持ち歩いていく。
こういう時の寅って、実にカッコいい。
さりげない仕草が堂に入っている。
こればっかりは渥美さんしかできない
見事な立ち振る舞いだった。こういうところが
この映画の懐の深さにもなっている。
氷屋がノコギリで氷を切っている
寅がアイスキャンディーを持ちながら暑そうに歩いていく。
ぼたんの家の路地
ひぐらしがカナカナと鳴いているなか、
ぼたんの家の路地にたどり着く寅。
ちょうど、折りしも、ぼたんが下駄を川の水で
洗いに外に出たところに出くわす。
キャンデーを捨てて、そっと足音を忍ばせてぼたんに近寄る寅
そっと忍び寄り
左を見て
右を見て
背中を突付こうとする寅
背中を指で軽く突付く。
ツン、
振り返るぼたん
ぼたん「……」
遠くで『金魚〜え〜、金魚〜』
寅、あらぬほうを見て、知らん顔
そのあと、ぼたんを見て、手で敬礼
寅「オス!」
ぼたん「いや〜…、寅さんやないの…」
寅「ニカッ」と笑う
三味線が ペンペンペンペンペンペンペンペン
ぼたん、上から下まで見て、
ぼたん「なんでえ…?」と感動している。
寅「決まってるじゃねえかよ。」
寅「おまえさんと所帯を持とうと思って
やって来たんだよ。」
寅「イッヒヒヒ」
ぼたん「……」
ぼたん、大きく表情が動き
ぼたん「ちょっと!ちょっと入って!」
寅「…!!」
寅「なんだよ、なん…」
ぼたん「いいから、ちょっと、はよ!!」
寅「…!!」
と、手をひぱって家の中へ連れて行く。
ぼたんの家の中
寅「なんだ、あいた!」
ダダダダ!っと
廊下を走って奥の部屋に入る。
寅「なんだよおい、え?」
ぼたん「はよ!上がって!」
ぼたん「…!!」
ぼたん「見て!!分かる!?」
ぼたんのテーマが流れて
ぼたん「青観先生の絵や!」
壁に掛かった額装された真っ赤なぼたんの花の本画
寅「……!!」
ぼたん「ついこないだ送ってくれたんよ」
ぼたん「私、びっくりしてしもうて、
添えてあった手紙にはな…、
龍野でいろいろお世話になったから、
君に上げると、それしか書いてへんのんよ」
釘付けになってじっと絵を見ている寅。
ぼたん「でね、私市長にこの絵を見せたん、
そしたら市長さんもびっくりしはって、
200万円だすからこの絵を譲ってくれ言わはったん」
ぼたん「けど私譲らへん!絶対譲らへん!」
ぼたん「1000万円積まれても譲らへん!」
ぼたん「一生宝もんにするんや!
けどなんで…??」
寅「ぼたん!」
ぼたん、振り返って「??」
寅「ちょっと来い!」と家を飛び出す。
細い路地をめちゃくちゃに走る寅
ぼたん「どこ行くん!?」
寅「ぼたん!」
と迷路のような路地を走っていく寅
外の黒板
夏休みのくらし
一、安全なくらし
正しく自転車に乗る。
交通ルールを守ろう。
二、健康なくらし
早寝早起きをする。
10時まで外に出ない
三、一日一善
自分に合ったものを進んでしょう。
四、毎日するもの
かんじ、にっき、
必ずするもの
復習、読書
寅、少し大きな道に出て
空を見上げる寅
寅「ぼたんよお!!」
ぼたん「なんや、どないしたん!?」
ひぐらし カナカナカナ
遠くで風鈴屋
ぼたん走りながら
ぼたん「えー!!??」
ようやくぼたん追いついて
寅「おい!東京どっちだ!東京!」
ぼたん「えー?東京?」
寅「東京!!」
ぼたん「えー、こっちやろか?」
寅「こっち、こっちか?」
ぼたん「あ、ちょっと待って…こっちや、」
寅「え、なんだ」
ぼたん「あ、ちゃうちゃう、え〜〜っと」
寅「どっちなんだよ!はやくしろよ、おい!」
ぼたん考え込んでいる
寅「どっちなんだよ」
ぼたん「やっぱりこっちや!」と手をパン!と打つ。
寅「こっちか」と静かに頭を下げる。
ぼたん、寅の前を歩いて、
ぼたん「寅さんどないしたん???」
寅「人の前に立つなよ!」とぼたんを払いのける。
ぼたんよろけて
ぼたん「ァ…、ほんまにもう…」
寅、醤油の樽に上り、
パンパン!と、かしわ手を打って、両手を合わせ
寅「ハイ…」と目をつぶる。
カナカナカナカナカナカナ…
寅「先生…、勘弁してくれよ。
オレがいつか言ったことは悪かった…、
水に流してくれ…、
この通りだ…」
と頭をもう一度下げて両手を合わせる。
テーマ曲ゆっくり盛り上がっていく。
寅「先生、ありがとう。
ほんとうにありがとう」
手を合わせ、目を閉じゆっくりと頭を下げる寅
醤油の大樽を異動させている従業員たち
ぼたん「ちょっとちょっと、東京はこっちやったね」と指差す。
従業員役でスタッフの露木さんが出演(後の備後屋)
従業員A「東京?こっちやろ?」と逆の方向を指差す。(^^;)
ぼたん「え!?」
従業員A「なあ、東京こっちやな」
従業員B「そや、こっちや」
カメラ、道とそのまわりの町をゆっくり俯瞰していく。
ぼたん「寅さん寅さん!東京こっちやて!」
寅「おめえ、こっちだって…」
従業員A「こっち」
寅、頭を下げて
寅「どうも」と逆を向いて
また、手を合わせて拝み始める寅
従業員C「おい、東京はこっちやで」とまた、今度は逆の方角を指差す。
寅「え!どっちなんだよ!」
従業員たち口々に逆を言い合っている。
東京の方角は、
寅は最初の方角でまずまず正しかったのだ。
寅、樽から降りて、
寅「おめえたちからかってるんじゃねえのか!!え!」
と駆け寄る。
ぼたん、寅に突き飛ばされて
ぼたん「いつっ!」
寅と従業員たちのドタバタが俯瞰映像でどんどん小さくなっていく
赤とんぼ荘からのカメラ、古い蔵のある町並全体と揖保川を写していく
今、龍野は夏真盛りである。
音楽最高潮に達し、終の字幕
青観は絵を描いた。
絵描きにとって絵を描くことは仕事だと言って、
寅の頼みをにべもなく断った青観。
絵を描くというのはある意味とてもエゴイスティックな行為だ。
寅は、そのことを瞬時に見破り、啖呵を切る。
やがて、時が流れ、青観は寅のその言葉を心で受け止め、
「絵描き」としてでなく「人間」として寅に答えたのであろう。
絵を描くなんて行為は最後のギリギリでは人にとって2次的な行為である。
最後は人は人に寄り添い、人と共に歩むのである。
青観は最後の最後に寅の気持ちを新たな気持ちで受け止めたのであろう。
そしてその気持ちを知った寅もまた、新たな気持ちで東京に向かって手を
合わせ、青観の心意気に感謝したのだった。
寅が龍野で遠く東京を想って祈っている正にその時、青観はさくらと共に
江戸川の風に吹かれ、遠く寅次郎を想っていたのではないだろうか。
なんだかふとそんな気がするのである。
終わり
【おまけ 特報】
■龍野全ロケ地全制覇 パーフェクトレポート
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