ゴッホ展
2002年10月11日
日本を発つ前の日に兵庫県立美術館で「ゴッホ展」を見た。ゴッホの絵がデッサンもあわせて40数点ある。
世界にあるゴッホの絵は昔ほとんど見たのだが、ここ7年は1枚も見ていない。42歳になった自分がどのように
感じるかも自分で興味があった。だから無理やり予定をこじ入れてなんとか根性で見に行った。
そして見た。何枚かの絵。それらは「絵」そのものだった。『「人が絵を描く」というのはこういうことなんだな。』
とあらためて納得した。それは昔の自分の意識と比べてより鮮明に、ある種確信に近いものになっていた。全く
何の迷いも無く「絵とはこういうものなのだ。」と素直に思えた。
一緒に飾られてあった友人のゴーギャンやベルナールの絵がプロのしがらみが見え隠れするのに対してゴッホは
プロやアマチュアとかいう枠を超えて、「絵を描く人」そのものの絵でありそれ以外の余計なものを感じさせない一途さと
才能溢れる感覚的なタッチがあった。対象を本当に大切に慈しむように描いている。もちろん来ていた絵の全部が
全部いいと思ったわけではない。ゴッホだってうまくいっていない絵はたくさんある。結構失敗作も多い絵描きさんである。
この展覧会では深く感動したものが4枚あった。この4枚はもう何度か以前に見ているが見るたびに感動が大きくなる。
そういう絵って普通めったにない。やっぱりゴッホは本物の絵描きだ。
だいたい、展覧会の40数枚の中で心底感動できる絵が4枚もあるなんて、好き嫌いの激しい私にとっては考えられない
多さなのだ。いつもは1枚あればいいほう。
そしてそれら4枚を何度も見続けた。私の絵の見方は、どんなにその絵が気に入っても長く1枚を見ない。短い時間で
何度も繰り返し見る。時々遠くのほうからじっと見る。そうするとその絵の「本当」が見えてくる。だから最初に気に入った絵
だけをぐるぐる繰り返し見るのだ。
ゴッホの絵を見ると自分もすぐ絵を描きたくなる。今まで何度も行き詰まり、そのたびごとに何十回とゴッホの絵に救われて
きた。なんて美しいタッチなんだろう。これだけ純粋に絵のことだけを考えてこのような集中力のある絵を描けば10年しか生き
られないのは当たり前なのかもしれない。人間のエネルギーとはそういうもんだと、まじめにそう思う。
今回は弟のテオにあてた手紙なども何点か展示されていてこの兄弟の絆に焦点があっていたのもマニアックでよかった。
それにしても日曜日だったこともあって美術館は混んでいた。こんなに多くの人がゴッホの絵に本当に心底興味を
持っているとはとうてい思えないが、これがきっかけで絵というもが好きになる人も増えることとは思う。
この美術館には展示の絵をイヤホン解説してくれるサービスがあって大勢の人がイヤホンをしながら順番に絵を見ていた。
しかしこのやり方は間違っている。まず真っ白な状態で「絵」を見る。何度も見る。好きな絵がある。そのあとでその絵の背景
を知りたくなる。この順番は不変である。最初はイヤホン無しで右脳をフルに使って感覚的に見たほうが良い。
帰り際、ぞろぞろ並びながら絵を見ていく人を遠くに眺め、相変わらずのゴッホ人気にため息がでた。
ゴッホの生きている間にこの100分の一でも人が彼の絵に興味を持ったら彼はどんなに勇気付けられたろうか。
そして現在彼の小さなタブローでさえ数億円で取引されているのを見て、生前1枚しか絵が売れなかった天国のゴッホ
はなんていうだろうか。ばかばかしい感傷的な空想なのは百も承知でこのことをどうしても考えてしまう。
(下。1885年作 聖書のある静物 : ヌエネン時代にゴッホはたくさんのこのような
どちらかといえば暗い感じの習作をたくさん描いているが、私にとってこの絵は習作
どころか立派な彼の代表作のひとつだと思う。真っ正直な絵だ。誰がなんていったって
絵はこれでいいのだ。と、思う。)
(右下。1887年作 麦藁帽子を被った自画像 : パリ時代にも自画像をたくさん
描いているがタッチが軽やかでいい具合についている。いくら見ても飽きがこな
い絵だ。)
(下。1888年 花咲く桃の木 :感覚的なタッチと美しい色。アルル時代を代表する
傑作だと思う。)
(右下。1889年 玉葱と本のある静物 : これもタッチがいい。対象を慈しむように
大切に描いている。お仕事のタッチやアバウトなタッチ、無駄なタッチはどこにも見当たらない。
この2枚の絵はゴッホ自身も絶対気に入っていたと思う。)
(兵庫県立美術館の入り口付近)
以上バリ日記より抜粋