本願寺黒書院のこと
2003年4月15日
昨日NHKが国宝シリーズをしていた。出てきたのは本願寺「黒書院」という江戸初期の数奇屋風書院造りの部屋。
徳川家光の頃に本願寺の良如上人が作った。
中は粗木を用いた私的な室で、歴代ご門主が寺務をとった所らしい。当時も現在もほとんど誰も入ることが出来ない
「裏」の部屋である。 「表」の部屋も隣に有る。「白書院」と言う。それはもう華やかな贅を尽くした接客も兼ねた部屋だ。
黒書院の中は一の間(門主室)二の間を中心に、茶室、鎖の間、広敷などがある。幾何学絞様(きかがくもんよう)の欄間
や、一の間の床・違棚の配置、釘隠の意匠にも特殊な考慮がなされて張り詰めた空気と静けさを漂わせていた。何よりも
狩野探幽筆の襖・貼附の墨絵が素晴らしく、部屋の隅々まで「調和」が一部の隙もなくなされていた。
私がその部屋のたたずまいからまず感じたのは「母の羊水」のイメージだった。
隣の「白書院」が豪華絢爛の「人目や評価を気にした表のシャバの世界」ならこの黒書院は「自分だけのための心の空間」を
再現した部屋だな、と直感した。「自分の居場所」だ。
話を聞いていくと、当時の良如上人が徳川家に気を使って、白書院などの豪華絢爛な部屋や門を接待のために作ったのだ
が、実際の彼の心は、ちょうどそれとは逆の「静寂」を求めていた。とのことだった。それで白書院で思いっきり色を使いまく
って豪華な絵を描いた探幽に、今度はそれとは全く逆の、静かで内省的な水墨の世界を要求したのだそうだ。良如の気持ち
を理解した探幽はその部屋に見事に調和したそれまでの狩野派とは異質の水墨画を精魂込めて描いたという。
完成して後、良如はこの部屋を心の棲家としてこよなく愛し、5年後にこの世を去ったという。
2年前に建てた私の住んでいるこのジャングルの棲家も私と宮嶋が「自分達の心の棲家」として造ったものだ。どの部屋もどの
場所も人の目を排除して自分の眼だけを掬い取って造った。それぞれの場所を大事にしたいので、台所も、食堂も、浴室も、
トイレも、寝室も、居間も、アトリエも、全て別棟にして、それぞれの場所で不便を楽しんでいる。今年の2月からはアグンライの
家族数人以外はウブドの友人や日本からの友人をも含めたどなたにも一切来訪を御遠慮いただいている。冷たいと思われるか
もしれないが、静かな心で絵と向かい合いたいという気持を大事にした結果だ。
そのかわり家の外や町では人といくらでも会って、楽しんでいる。私や宮嶋にも心の羊水、「黒書院」は必要なのだろう。
家の子猫たちは瞬く間に大きくなっていく。もう大人と同じ食事をし始めている。成長が早い。メスはこのあとたった6ヵ月後に
子供をもう産めるのだから凄い。このままではドンドン増えていって猫に家を乗っ取られるだろう。
本願寺 黒書院
衛星放送の機械の上は温かいので彼らのお気に入りの居場所
以上バリ日記より抜粋