2023年11月21日アップ

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 号外!!

  

 第48作『寅次郎紅の花』
 満男と泉 
 幸福な未来が見えるあの難攻不落ロケ地
 ついに新発見!!



      







    満男と泉は赤い糸で結ばれている。


   満男と泉の歴史は高校生のブラスバンド時代に遡る。

  
      高校時代ブラスバンド部で、二人はとても仲が良く、お互いが惹かれ合ってもいた。

    しかし、彼女の両親が離婚することになり、母親と彼女は名古屋に引越して行ったのだった。



     



   満男の浪人時代に泉ちゃんから手紙が来て、何度かやり取りをしている中に
    彼女が母親と二人暮らしで淋しい思いをしていることが書かれてあり、
    元々高校時代から彼女のことが好きだった満男は、名古屋経由で佐賀県まで
    泉ちゃんに会いに行ったのだった。





     第42作『僕の伯父さん』

    浪人時代に高校2年生の泉ちゃんを励ましにバイクで佐賀県まで駆けつける満男。

     





   孤独の中にいた泉ちゃんは本当に嬉しかったと思う

     



    別れ際にキスをしようとするがヘルメットが邪魔をして失敗

     




     この第42作『僕の伯父さん』のラスト 
    別れた父親に呼ばれて 泉ちゃんは正月に名古屋から東京へやって来たのだった。
    どんどん親密になれて幸せそうな二人。


    




    そして、1年後


    
第43作「寅次郎の休日」で、

    再び東京に来た泉ちゃん。
    父親と母親にもう一度やり直してほしいと願い、父親に会うために東京にやって来た。
    そのついでに柴又のとらやとさくらの家にやってきたのだった。



     



     



    しかし、父親は秋葉原の勤め先にはもういなかった。
    大分県の日田という町で女性と二人で住んでいるとのこと、
    意を決して泉ちゃんは父親を連れ戻そうと博多行きの新幹線に飛び乗るのだった。
    そんな泉ちゃんを放ってはおけず、満男も発作的に新幹線に飛び乗ってしまう。


   



    日田の父親は東京時代よりもが幸せそうで晴れやかなことを確認し、
    父親と住むことを諦め、悲しみの中父親と別れていくのだった。


     





    そして正月、またもやアポなしでさくらの家を訪れる泉ちゃん。
    名古屋で母親と仲良く暮らしている様子。
    大喜びで家に向かう満男だった。


     




  第44作『寅次郎の告白』

   泉ちゃんは短大に行くことを諦め、高校の教師の推薦をもらって、
   東京銀座の『山野楽器』で勤めようとしていた。。
   しかし、現実は甘くなく、実は、高校から山野楽器への就職は
   指定された都内の推薦校から選ぶことになっていたのだ。
   こうしてあえなく就職活動は失敗する。

   名古屋の自分の家では、母親に恋人ができてしまって、離婚して間もない母親なのに
   もう新しい男ができてしまったことが許せなくて、家出をしてしまうのだった。

   旅先の鳥取から満男に淋しい気持ちをハガキの短い言葉で吐露する泉ちゃん。
   それを読んだ満男は驚き、すぐさまさくらが止めるのも聞かずに一路鳥取砂丘に行くのだった。

   倉吉で駄菓子屋のおばあちゃんに救われた泉ちゃんは、偶然にも寅にばったり出会い、
   耐えていた心が崩壊し、おいおい泣いてしまうのだった。



   翌朝、おばあちゃんのはからいで、鳥取砂丘まで満男に会いに行く泉ちゃんと寅。
   砂丘のてっぺんから転げ落ちてくる満男に感動し、心から満男を愛おしく頼もしく思う泉ちゃんだった。


    



    名古屋に戻る山陰本線の中で満男は泉ちゃんの手を握り、
    泉ちゃんは満男の手を握り返すのだった。


      



    



  第45作「寅次郎の青春」


    母親と離れて東京の表参道のCDショップで働きだした泉ちゃんは、
   満男の家族と頻繁に付き合い、かなり仲良くなっていた。

   その後、泉ちゃんは、高校時代の親友の結婚式に宮崎に行き、
   またもやその後寅と偶然出会い、
   寅の怪我がきっかけで宮崎に飛行機で駆けつけた満男と合流する。
   その際、満男に、結婚が女性の幸せだと考えるのは嫌で、
   自分で自分の人生を切り開いて歩いて行きたいと主張するのだった。


    


     しかしこの直後、母親が心臓の手術をすることになり、泉ちゃんは勤めを辞めて
    名古屋に戻らざるを得なくなったのだ。
    泉ちゃんは泣きながらも満男と東京駅ホームで別れてしまうのだった。

    別れのキスは満男にも泉ちゃんにもあまりにもつらいものとなった。


     




     目を潤ませて新幹線に飛び乗る泉ちゃん。

     彼女は何年もあの業の深い母親に振り回される孤独な哀しみの青春だった


     




      





      第48作「寅次郎紅の花」


      こうして歯車が狂ってしまった二人は、疎遠になり、数年が過ぎて行った。

     ある日、突然東京に訪ねて来た泉ちゃん。

     彼女は満男に結婚話を打ち明け、そのことを相談したのだが、
     自分に自信のない満男は彼女を引き止めることができなかったのだ。

     密かに結婚を止めてくれると思い、満男に相談したのに満男は止めてはくれなかった。
     暗い表情で新幹線に乗る泉ちゃん。
     心の奥では満男に愛の告白をしてほしかったのだろうが、もうなにもかもが遅すぎたのだ。

     結局、二人は何年もいろいろあったが、
     泉ちゃんの結婚によって決定的に破局を迎える。



     そして津山での泉ちゃんの結婚式当日

     なんと満男は泉ちゃんの進む道で待ち伏せをし、花嫁ハイヤーに突っ込み
     「結婚なんかやめろよ、結婚するなよ!」、と大暴れをしてしまう。


      




      




      


      泉ちゃんの結婚をめちゃくちゃにしてしまい自暴自棄になった満男は、
     死ぬことも考えながら最後、奄美大島へ流れついていく。
    
     一方泉ちゃんは、あの満男の邪魔が入った時から
     新郎からはもう心が離れて一人名古屋に戻ってしまう。

      それと同時に、結婚式を壊してしまった満男の真意をどうしても確かめたくて、
     泉ちゃんは柴又に行き、そして博に満男が奄美大島の加計呂麻島に流れ着いたことを聞き
     はるばる飛行機と船でやってきたのだった。


     加計呂麻島の浜辺で満男に会い、強く真意を聞く泉ちゃん。




      



      満男はついに泉ちゃんに大声で愛の告白をするのだった。


      




      元々満男のことが好きだった泉ちゃんは、満男の愛の告白を聞き、幸福感に満ちて行く。

     長い空白期も含めた紆余曲折と絶望の末、
     二人の恋の歯車が再び噛み合いはじめたことを確信する二人だった。

      

 



      そして何週間か経ったある日・・・


     泉ちゃんは、勤め始めた名古屋のショッピングセンターの公衆電話から
     浅草の満男にデートの電話をするのだった。

     このシーンにより、
     この二人は完全に恋人になり、、結婚を意識していることが暗示されている。


      




       二人で名古屋と東京との間の静岡でのデートを約束するのだった。


       





       



     この泉ちゃんと満男の電話シーンがインサートされることによって

    この二人の激動の結婚騒動は収まり、

    現在は結婚に向かってまっしぐらなのが分かるゆえに
    観客の私たちは心から安堵するのだ。

    泉ちゃんの姿を観客たちが見ることができる最後のシーンでもある。

    いろいろな意味でこの公衆電話のシーンはとても印象深い。





この電話シーンを詳細に再現してみよう。↓↓



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名古屋 


泉ちゃんの働いてる大型ショッピングセンター





     





泉「あ、私、フフフ ごめんね仕事中。

  今度の土曜日休みが
  取れたのだから一日フリーよ。

  どうしよう?東京へ行こうか?






        






浅草 光陽商事 



満男「そうだなあ〜。

  たまにはこういう事しないか?あの東京と
  名古屋の中間地点で会うの,

  例えば浜松とか静岡とかさ




    満男の会社の例の事務おばちゃん、微笑ましく視線を向ける。



      





二人とも、津山での結婚式ぶち壊し騒動など忘れてしまって
今やもうすっかり結婚直前のアマアマ状態(^^;)








泉「あ、面白いじゃないそれ、

 じゃあ、
 静岡にしようかあたし行ったことないし、

 どこで?何時?




満男「時間しらべて今夜泉ちゃんの家に電話するよ、

  それでいいだろう? 

   うん、じゃあね





もう満男は極楽浄土に住んでいます(^^)






以下略・・・



      






      






      





 このロケ地はいったいどこなのか!?


  スクリーンにはなにもヒントらしきものは映っていない。
  店員の制服からもなにも具体的なものは出てこない・・・



   このシーンの重要性は強く意識してはいたが
   このロケ地のショッピングセンターには
   場所がわかる何のヒントもないのだ。

   どこか・・・泉ちゃんの住む名古屋か?

   それとも大船撮影所のある神奈川か?

   それとも東京のどこかなのか・・・


   ★設定はもちろん名古屋市内なんだけどね。



   15年ほど前にも再び

   彼女の着ている制服や一階の売り場風景などを
   インターネットで調べたがまったく当たりがなかった。


  もうロケ地判明は暗礁に乗ってしまい、
  完全にお蔵入りになってしまっていた。







   月日は流れ 2023年


   そして、11月14日夜

   たまたま55インチモニターでこの「紅の花」を観ていた私に、
   研究室から帰って来た息子の龍太郎がモニターを観て


   「あ、このショッピングセンターの
 ガラスのいろいろな場所に
 向うの風景や建物が映りこんでいるよ
」と、

   助言してくれたのだ。


   そう言われてみると

   確かに!!

  何かいろいろ見えてきた。


   DVDでは見えなかったが

   今は55インチモニター&Blu-ray
   観ているゆえに情報が目に飛び込んでくる。



    大きく伸ばして見てみる↓↓



     





   うっすらだが・・・かなりいろいろ映りこみが見える。

  
そしてガラスに映っているゆえに
  左右反転しないと解読できない。


  
そこでソフトを使って左右を反転させてみる。

   ↓↓


     



   そしてコントラストを強くしてみる↓↓           



     赤丸が「おそば」と書かれたタワーがある。

   その手前に黄色丸の
タワーというか
   ポールのようなモニュメント
がある。

   そして水色囲い
丸い電灯が固まった街灯、これは目立つ。
   その向こうに二階建ての住宅。手前に
植え込みが見える。

   


    そして ピンク囲いに
アルファベットの看板が!!

     



     
コントラストを強くしてアルファベットを読む。

      




      読めた! MITSUKOSHI

      




  三越だ!!


 そしてその三越の目の前に
 このショッピングセンターがあるはず。



  しかし、一般の住宅屋根がガラスに映っているので
  いわゆる日本橋三越や銀座三越などとは違うデパート系ではなく
 三越の小型店舗のような販売店だと思われる。

  大きな三越デパートまでは遠いから行けないが
  お土産物や贈答品などを販売している三越の小型店舗は
  全国にけっこうあるのは前から知っていた。




  設定は、名古屋で勤めている泉ちゃんだが、
  松竹の撮影所か遠くないところで撮っている可能性が強い。

  こんな店内と電話口しか映さないってことは
  撮影の場所がバレたら困るからだろう。


  ゆえに


  ロケ地は名古屋ではない。人気女優の後藤久美子さんを
  全国どこにでもありそうなショッピングセンターのために
  そんな遠くには行かせられない。


  まず、最初に、
  この場合お決まりのパターンは、
  松竹大船撮影所から往復が簡単な三越


  つまり、
  神奈川県にある、もしくはかつてあった三越デパート、
  もしくは小型の販売店。が怪しい!



  龍太郎も検索を手伝ってくれて
  いろいろチェック。

  横浜市の三越・・・都会すぎる。一般住宅はそばにない。
  藤沢市の三越・・・三越系列のデパート

  
そして30分以内にいきなりのヒット!!

  鎌倉市の三越・・・なんと
大船に存在した!

  現在はもう無い。



   ネットで検索すると、


  大船にあった『
鎌倉三越』 この画像が!!

  今から15年ほど前の画像かな。

   見た通りデパートではなく小型の販売店。
   二階はレストランやダンススクールが入っていたそうだ。
   三越からの物品は1階のみ展示という、三越のお土産、贈答品専用のような館。


    

    
この大船の三越がとても怪しい!!

    
閉店は2009年3月1日だったそうだ。

   紅の花が公開された1995年秋はまだまだ営業真っ盛り。



 ストリートビューで確かめるもの。


 ガラスに映っていた あの

 ●ビルの上部の「おそば」の看板
 ●白いモニュメントタワー

 ●丸い形をいくつもくっつけた街灯

  植え込み


  左右反転したあとのガラスに映った外風景

     



   大船の三越があったビルの住所を
   ストリートビューでこれを探してみる。




       









       おおお!!三越だった建物はほぼ変わっていなかった!!

      




  三越のあとは『BOOK OFF』になっていた。


  そしてこの建物の周辺で・・・おそばやの看板、
  白いモニュメントタワー
  丸い電球の集まる街灯、植え込みをぐるぐるっと探す。

 あった!!!!


   


    ストリートビューゆえに映画カメラの角度とは違うので
  若干の位置のずれはあるが

  もう間違いなくここ!6つも7つも物証があるが

  三越販売所の存在が一番大きな決め手。


   


    



  そして旧三越、現在のブックオフの目の前に
    予想通り『ショッピングセンター』があった!!

    


  名前を調べてみると

  館の名前は『イトーヨーカドー』や『ブックオフ』ではなく
 松竹大船ショッピングセンター
  という名前が今もなお使われていた!!


    





  松竹大船ショッピングセンターとは

  現在のこの左右二つの館の総称らしい。二階も渡り廊下で繋がっている。




      





       1983年 映画撮影の1985年当時に一番近い航空写真。

       




       





  撮影当時渡り廊下をくぐると、もうすぐに大船撮影所の門があった。
  現在はジャスト同じ場所に

  鎌倉女子大の門がある。


  そのもっともっと昔は


  なんとこのイトーヨーカドーや三越の表玄関近くから
  すでに大船撮影所の正門があったのだ!!





   この正門はイトーヨーカドーとBOOKOFF(三越)の表玄関付近

      



      昔は松竹大船撮影所は、これくらい大きなエリアだった↓↓

      






   【松竹大船撮影所の歴史】

  松竹大船撮影所は、1936(昭和11)年に
  狭さと騒音が問題となっていた松竹蒲田撮影所(現在の東京都大田区)に代わる形で開設され、
  主に現代劇の撮影が行われた。大船駅との間には住宅地が分譲され、
  資金調達という目的のほかに、街頭ロケの場所としても活用された。
  当時建設された住宅や橋の一部は現在でも残っている。

  最盛期には、時間がない映画のスタッフが短時間で食事できるように工夫された
  「かつめし」(とんかつをご飯と一緒に型に入れてお皿に載せたもの)が
  付近の洋食店で考案され、次々と出前されたなどというエピソードも残っている。


  以前は泉ちゃんが勤めていたイトーヨーカ堂の場所には、
  1968年12月にオープンした30レーンの松竹大船ボウリング場があったが、
  オイルショックの煽りを受けて7年で閉鎖された。


  鎌倉三越は、1974年に三越の経営による
  家具専門店「ファニチャーセンター」として営業を開始。
  1981年からは「大船三越エレガンス」と名称を変更して、
  家具だけでなく、衣料品や食料品も扱うようになる。

  その後、年配の顧客が多いことから、
  高齢者向けのメンズ・レディスファッション、ファッショングッズの売り場が
  ほとんどを占めるようになったが、家具やリビング用品の売り場も存在感を放っていた。


  1970年代後半(昭和50年代半ば)には、大船撮影所の敷地の一部を切り離し
  現在のこの松竹大船ショッピングセンターとして
  鎌倉三越(小型販売店)とイトーヨーカドーを核として二階を渡り廊下で結び
  多角経営を拡大していった。

  しかし、2009年に鎌倉三越は撤退し、BOOK OFF が入り込んだ。

  1995年には鎌倉シネマワールドが敷地の一部を使って開設されたが、
  渥美清さんの死去(1996年)による「男はつらいよ」シリーズの打ち切りや
  松竹の経営悪化により、わずか3年で1998年12月に大船撮影所全体の敷地が
  売却されることとなり、60余年でその歴史を終えた。



  【短命に終わった鎌倉シネマワールド】

  鎌倉シネマワールドは、松竹の創業100周年事業として
  企画された映画のテーマパークである。
  時代劇や「男はつらいよ」のセット、
  さらには黄金期のハリウッドについての展示を目玉に、
  1995(平成7)年にオープンした。開設当初は大変な人気となり、
  観光バスで次々と観光客がやってきたが、
  渥美清の死去によって2年目から急激に入場者数が減少して巨額の赤字を出したため、
  1998年12月にわずか3年で閉鎖されてしまった。



  鎌倉女子大学へ

  その大船撮影所の敷地は鎌倉女子大学に売却され、
  現在は同大学・短期大学の大船キャンパスとなっている。

  鎌倉シネマワールドはこの「紅の花」が公開された1995年にオープンされ、
  最初の1年間だけはものすごい人気だったが
  中身がスカスカだったことと、渥美清さんが1996年に亡くなったことにより
  2年目からお客さんが激減
3年目で閉館となった。





     シネマワールドの紹介サイトより拝借↓

     




      




  松竹の『鎌倉シネマワールド』説明動画

    https://youtu.be/XQuCAOl3Hes?si=1hU0ERykqHGDIJVq




      現在は鎌倉女子短大の敷地になっている。

      

 



 追記すると↓↓


 松竹がまだ大田区蒲田に撮影所があったころ、大船はかなり田舎で、
 田園の中に競馬場があった。


 小説や映画の舞台にもなった大船に引っ越す前の昭和初期の
 大田区の蒲田撮影所。山田洋次監督のキネマの天地でも昭和8年、9年設定で、
 この蒲田撮影所が舞台。
 映画が無声映画からトーキー時代に移り変り、蒲田の騒音が映画に悪影響を出し始めたことや
 映画制作をいくつも同時進行するために、神奈川県の大船に引越しが行われた。

   



   この鎌倉エリアの大船の競馬場後に松竹が撮影所を作った。

   1936(昭和11)年に
   それまでの松竹蒲田撮影所(現在の東京都大田区)に代わる形で開設



     1933年 昭和8年 松竹が引越して来る前の大船地区
    この競馬場の跡地にすぐに松竹大船撮影所として買い取ることになる。

     




  全盛時はまだ車が珍しい時代。撮影所には1千人ほどのスタッフがいて、
  監督やスター以外は、駅から歩いて撮影所に通っていたという。

  同時に8組の同時撮影ができる館があったらしい。

  また広大な敷地には桜並木があり、春になると地元住民に開放されて、
  花見客で賑わっていたという。


  ★ショッピングセンターのガラスに映っていたおそばやさんの【浅野屋】さん

  
蒲田から松竹と一緒に引っ越してきた『ちびそば』

  『でぶそば』に対抗して『ちびそば』(当時の店主がチビだったからだそう)と
  呼ばれ愛されたお蕎麦屋さん。
  松竹が蒲田にあったときに蒲田で創業。大船に移転と同時に移ってきたそうです。

  創業100年の老舗。なんて松竹撮影所愛のあるお店なんでしょう。

  
  
中華の『でぶそば』(最初の頃は現在のヨーカードーの位置にあったのだ)

  
この話題になっている泉ちゃんの電話シーンでガラスに映っていたのが
  
その「浅野屋」で、↑↑の「ちびそば」だった店。

  
私も2回食べた『でぶそば』の「半チャン半ソバ半シュウ
   
渥美清さんのお気に入り。

       








      
初期のできたばかりの大船撮影所

      



      




      
歳月は流れ・・・昭和30年代の大船撮影所

      



      




      同じく昭和30年代の大船撮影所

      





      昭和21年(1946年)↓


     当時の松竹大船撮影所は
    現在のイトーヨーカドーやBOOKOFFの真ん前まで有り、

     
ちょうどその間の大通りが入口の正門だったことが分かる。
     
正門へ至る道は「松竹通り」と呼ばれていた。

      



   
      昭和50年代頃の松竹大船撮影所

      





     



     この60年間続いた大船撮影所で秀でた名作を数々作ったのが小津安二郎監督だった。

   このころの松竹の映画の多くは『大船調』と呼ばれ、
   家族の心の襞をしっとりと描くというコンセプトだけでなく、
   小津監督に代表される
ローポジションを維持する
   あの独特の構図の総称でもあったわけだ。


     小津監督がこだわったローポジション用のキャメラ。↓↓低いなあ〜〜〜。

     映っているのは小津組の名カメラマン 圧田雄春(ゆうはる)さん


      





      そして高度経済成長期

      この航空写真を見ると、
     
1977年敷地の一部(北の端)に30レーンもあるボーリング場を建設したことがわかる。
     
現在のイトーヨーカドーの建物の北側半分。
     
「松竹通り」の最終地点が撮影所の正門(現在のBOOKOFFとイトーヨーカドー入口)

      




     その後、オイルショックなどで、ボーリング場は潰され、
    
その後すぐにイトーヨーカドーや三越がすでに建っているので
    
撮影所の敷地はかなり狭くなってきた。1983年撮影
    
イトーヨーカドーと三越の間の道が松竹通りの最終地点で
    大船撮影所の正門にあたる。

    
この後、2000年に、すべてのこの大船の映画撮影所はなくなってしまう。
    64年間の命だった。


       





        






      2000年ごろ・・・



      完全に大船撮影所が閉鎖される直前の狭くなった撮影所の入口。
     
大船撮影所売却反対&団結の幕が張ってある。

       




       上にもすでに書いたが、跡地には、松竹が経営する『松竹・鎌倉シネマワールド』が作られた。

       



       元々大船撮影所があったのがこの水色囲みのエリア。
       現在は鎌倉女子大とイトーヨーカドーやBOOKOFFショッピングセンター

       三越の南隣、元、大船撮影所敷地内に建てられた鎌倉芸術館




       





       



       現在のイトーヨーカドーとBOOKOFFの間の松竹通りが元々の大船撮影所の門があった入口


       




       





       







   話を元に戻そう。




 現地取材開始




  そして翌日昼に柴又を出発し一路大船駅へ向かった。

  博士論文執筆中の龍太郎も半日休んでくれて、
  私一緒に大船へ付き合ってくれたのだ。





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    翌日2023年11月15日 お昼




    柴又の自宅から1時間30分かかって・・・





      




    大船駅から東へ歩いて7分。

  イトーヨーカドーとBOOKOFF(旧三越)が遠くに見えてきた。


    
この四つ角の場所に昔松竹大船撮影所正門があり、「松竹前」の江の島電鉄のバス停があった。

    この信号も「松竹前」

     




   ついに来ました!大船駅徒歩8分 松竹前信号 目の前にどーんと
   イトーヨーカドーとBOOKOFF(旧三越) 



   
ロケ地説明動画

     https://youtu.be/OTMlxCZ1cPc?si=kP-B7Vd586c2vTQY




       





       
       



       この赤丸囲いの向う自動ドアの横が泉ちゃんが電話をかけていた場所だ。

       




       柱の色は茶色に塗り替えられているが
    今もほぼ映画撮影時と同じ間取り、
    天井のライトも増やされてはいるが名残は十分にある。


       



       





      映画と現在と天井のライトに合わせてピンポイントを決める。


      



       





       柱の色もアイボリー色から茶色に塗り替えられていた。

       



       





  ロケ現場にて 高羽アングルを説明する 動画


    https://youtu.be/CdNST5TvixY?si=g75qCZKX949GL-xq



  ★位置 ピンポイント ストリートビュー

    https://maps.app.goo.gl/BkG78jYcpv8nbYK68



  泉ちゃんのカメラ位置 確認動画

    https://youtu.be/1oag9DA2ILE?si=Mn0gJ2CHrM1VbAzL





      今もガラスに映る、 おそばやの浅野屋さん(ちびそば) と白いタワー 
    そしてBOOKOFFOFFのアルファベット

      




       左右反転すると実際の風景と同じになる。

       





       ダイレクトに、実際の風景を見るとこうなる


        




        旧三越の館の中には『喫煙室』があり、
     その狭い部屋の中にこのような写真ボードが飾ってあるのだ。


        







        







        大船駅前の交番 この交番のところにかつて
    三越がイトーヨーカドーと道を挟んで
    存在したことがわかる案内板地図がある。


        



        赤丸のところが泉ちゃんの立ち位置(カメラ位置) 三越の文字が今も残る!!

       





      元の大船撮影所の敷地内だったところ(三越の裏手)に現在は『鎌倉芸術館

      




       大船撮影所の跡地は現在鎌倉女子大学になっている。

       




       砂押川沿いの場所に、松竹マークのマンホール。

       










  せっかく大船に来たのだからということで


  同じ『
寅次郎紅の花』のこのロケ地も行ってみた。


   かつての大船撮影所のスタッフ、キャスト御用達は、『でぶそば』と『ちびそば』

   
店主の体形にちなんだ通称”ちびそば”と呼ばれていた蕎麦屋の『浅野屋
   
中華の『でぶそば』(最初の頃は現在のヨーカードーの位置にあったのだ)が
   
道路向かいにあった。

  イトーヨーカドーから徒歩3分。この浅野屋さんにもロケ地があり、
  浅野屋(ちびそば)の前の道は寅とリリーが通ったロケ地なのだ。




      



      





      住所: ピンポイント ストリートビュー 










    このイトーヨーカドーから徒歩10分なので
   ついでにここも行ってみた。

    寅友の寅福さんが今年見つけた場所。


    
第21作「寅次郎わが道をゆくラスト付近、

    
高砂在住の紅奈々子のマンション





     ★今年の夏の掲載参照↓

    号外!!2023年8月3日
    
ついに紅奈々子の自宅マンション発見!!
   





  ピンポイント ストリートビュー
   
https://maps.app.goo.gl/uRbngBuumQvBKM2r5





      



      




      奈々子がマンションから出てきたのがこの赤囲いの位置

      






         




       






       マンション踊り場二階からの俯瞰撮影


       




      もう映画撮影時のマンションは壊され、新しい建物の2階へは上がれないので、
    仕方なく下から撮影。
    ゴミの収集緑ネット手前1メートルあたりが電話ボックス

     







       




       









       




       













あと、大船駅に戻るついでに『ぐるぐる橋』の真下のここも行ってきた。


第23作「翔んでる寅次郎」で、
布施明扮する小柳邦男の安アパート。
今年の夏に寅福さんが新発見され場所。





線路わき 笠間跨線橋(ぐるぐる橋)

跨線橋(こせんきょう)とは橋の一種で、鉄道線路をまたぐもの。





    ★僕が今年の夏に掲載した号外参照↓↓


  号外!!2023年8月9日
      第23作「翔んでる寅次郎」
  邦男の再出発のアパート発見!!

  





         住所 ピンポイント ストリートビュー



     小柳邦男アパート到着説明動画
   https://youtu.be/JPrxkjF_xKc?si=svYJznrozL1KHUtS

      
     赤丸が例のお店。黄色い線が露地を邦男が歩いたルート。黄色丸が邦男の部屋

    






       





       このぐるぐる橋は車専用道路だが、歩行者用の階段も付いていて、歩道を歩いて線路向うに渡ることができる。

       





        小柳邦男が住んでいたアパートが左に見える
     (もちろん今はまったく違う新しいアパートになっている。大きさも全く違う。


        






   小柳邦男の安アパート。撮影当時の名前は『第二福住荘



        




        




        





        コンクリートの垣根は44年経った今も同じ。

        




        掲示板は位置はほぼ一緒だったが、中身は新しく作り変えられていた。

        

       









      曇天の寒さの中、遠路付き合ってくれてありがとう 龍太郎。



         



         




2023年 11月22日 掲載