さくらの幻覚 そして 冬子さんの涙
  


TV版「男はつらいよ」演出 小林俊一監督逝く。




           





小林俊一監督が亡くなられた 79歳。


小林俊一さんといえば、数々のテレビや映画作品プロデュースで有名だが、
やはり彼の本領は「演出」だと思っている。

小林俊一さんは日本大学時代からずっと「演出」で生きて来られた方だった。
渥美清さんとは若いころから浅草の演芸場ですでに知り合っていたと言われる。
そしてそして小林さんは渥美さんと一緒に仕事をすることができたらと夢見て来られた。


昭和41年、

フジテレビでテレビドラマを徐々に担当できるようになってきた小林さんは、
ついに念願の渥美さんと組み、新作落語の「三遊亭歌笑」をモデルにした連続ドラマ
『おもろい夫婦』を発表した。相手役は中村玉緒さんで、これは大人気を博した。
渥美さんは同時にTBSの連続ドラマ『泣いてたまるか』にも主演、こちらも爆発的な
人気を博したのだった。

そして、いよいよ人気が頂点近くまで上がってきた勢いのある時に、
小林さんと渥美さんは一世一代とも言える「
渥美清の決定版」を作る。

渥美清でなくては成り立たないドラマ。
見た人が心から笑って、明日への活力になる明るいドラマ。
そのコンセプトの元に実力派の山田洋次さんに脚本をお願いしていく。
自分の映画にも何度か出てもらって、それ以来渥美さんに強い関心を持っていた山田さんは、
2度3度、小林さんや渥美さんと話し合いをするうちに、渥美さんの言葉によってインスピレーションがわき、
新しいドラマを書くことを承諾して行ったのだ。

こうして、山田洋次さんが中心となって書かれた脚本を、毎回小林監督が演出し、
あの不朽のテレビドラマ「男はつらいよ」が誕生していった。


そして現在残っている初回と最終回の映像を見ると小林監督の秀逸さがわかる。
特に最終回の演出は冴えに冴えている。

今は不幸中の幸いで、第1話と最終第26話が家庭用のDVDで見れる。
十数年前はテレビ版寅さんは、VHS化もままならず、
まったく見れなかったのだから、世の中のこのドラマに対する意識も進んできてはいる。

ちなみにこのDVDには特典が付いていて
最初の小林俊一さんと山田洋次さんとのビック2対談や
小林さんと作詞家の星野哲郎さんとの主題歌誕生秘話対談、
ラストの当時のフジテレビの美術スタッフさんたちと小林さんの
裏話満載座談会がなんとも面白い。


当時の風が私たちの肌に沁み渡る感じがする。
あの臨場感は何度見てもたまらない魅力だ。

テレビ版「男はつらいよ」そのものもそうだが、
あれらの対談を再度見ることも、終始縁の下の力持ちだった
小林監督の供養になると思っている。


実際の作品の中も2話だけとはいえ、
映画版とはまた違う魅力に溢れているのだ。

なんといってもまず第1にはあのさくら役の長山藍子さんの魅力。
渥美さんが強烈に共演を熱望したらしい。

映画版第5作『望郷篇』ではとても残酷に寅を振ってしまうが、
テレビ版のさくらの長山さんは、繊細で兄を深く思いやる優しい妹を
柔らかく演じておられる。彼女の芝居はとてもしっとりしていてなんとも素敵だ。
兄のことを大事に思っていることが伝わるしみじみといい芝居だ。

特に第26話(最終話)での、
兄の死という現実を認識したくないさくらの気持ちの揺れの芝居はこれはもう秀逸。
小林監督の演出も冴え渡っている。

博士(博)が寅は死んだんだと何度言っても、静かな口調で
「どうして分かるの?なにが証拠なの?」と、現実を認めようとしないのだ。
まるで夢を見ているような…そんな表情で…。

(まあもっとも寅のお骨も死亡診断書の写しも、
病院からの直接連絡も何も無い状態で
腹違いの弟の雄二郎に帽子だけ持ってこられても
信じられないというほうが正しいといえば正しい)

その夜、寅が帰ってきたと気配を感じ、
布団から起き上がって玄関で幻覚を見るさくら。
生き返ったような鮮やかな笑顔で寅を玄関で迎えるのだった。
寅も生まれてくるであろう赤ん坊のおもちゃを手に持ち、
音を鳴らしながら満面の笑顔で
さくらに優しく語りかけるのだった。

しかし、それはやはり幻覚だったのだ。



             



それでもさくらは、寅の幻影を追い、裸足で外に出て走っていく。
そして「お兄ちゃん!」と叫びながら寅を必死で追いかけるのだった。

このさくらの姿は、まさしく、
お能の「道成寺」 に出てくる『安珍と清姫の物語』そのものだ。
さくらは、安珍を慕って、幾山千里越えて、飛ぶように追いかけていくあの清姫だ。

あのシーンにはそのような鬼気迫る怖さがあったのだ。



            



さくらは公園のところで寅に追いついたが、
その瞬間、寅の後姿がスッと消えてしまう…。


呆然と立ち尽くすさくら。

その時、はじめてさくらは辛い現実を認識したのだった。


遂には、さくらを追いかけてきた博士(博)の胸で号泣し、
悲しい現実の全てを受け入れていくシーンでこの物語は終わる。

山田洋次さんの幻想的な脚本。
そして、小林監督の美しい演出。

このシーンは見事だった。





また、同じく、マドンナの冬子さん役の佐藤オリエさんも絶品だった。
テレビ版全26話を通してたった一人だけのマドンナであった冬子さん。
(
テレビ版では彼女の名前は夏子さんではなく「冬子さん」なのだ

あの映画版第12作『私の寅さん』にも使われた
寅との別れの場面は、映画版とは違って
冬子さんは寅の目を見つめて涙をこぼし、
「寅ちゃんごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」と謝るのだ。


あの「別れの曲」のシーン、ちょっと寂しげな声で、
寅が桜の花を追って南から北へ旅をする話をしている時、
冬子さんは、寅が別れを言いに来たことをその言葉と気配で気づいたのだった。

目が潤みはじめ、寅を見つめ続ける冬子さん。
本当に目をそらさずずっと見つめる。

このカットは、私にはとても長い時間に感じられた。

そしてついに
「寅ちゃん、ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」と
涙が頬を伝っていくのだ。



             



寅は、その姿を見、その言葉を聞いて、
「お嬢さんが、あっしに謝ることはありません、
あっしは別にどうってことないんです」
と、ひたすら恐縮して冬子さんをかばう。



             



そのあと、冬子さんはもう一度寅をそっと見つめ、

スッとそのまま顔を上げて…

庭の桜を強い瞳で見上げる。


この時の佐藤オリエさんの表情とその瞳はこの連載ドラマ中、
最も視聴者が感動したカットとなった。

脚本を担当した山田洋次さんの力量も凄いが
このシーンは、まさに演出を担当した小林監督の面目躍如。



             



その瞳はもはや、悲しみに泣き暮れる色ではない。

悲しみも切なさも超えたところの彼女の純な生命がほとばしるような強い目だった。
佐藤オリエさんの、若い、とても感覚的で鋭敏なセンスを強く感じてしまった。

そして彼女のビビッドな目と重なるように
哀しげな寅の表情をカメラはアップで捉え続ける。

なんという深い孤独…。



             



そしてまた

桜が映り


最後にカメラは遠くから二人の背中を映すのだった。



             



あの演出にはさすがに私は泣いた。

ぐっと寅の気持ちに寄り添っている。

やはり冬子さんは寅のことを大事に思っているのだ。


私は、テレビ版「男はつらいよ」と言うと、
真っ先に、この、冬子さんが目を潤ませながら寅を見つめる「別れの曲」の夜を思い出す。

寅の気持ちを分かり、とてもいとおしく思ってくれる冬子さんが私には誰よりも魅力的だった。
全26話同一マドンナというのは実にいいもんだ。
それが敬愛する散歩先生のお嬢さんの冬子さんだからなおさら最高だ。

映画版第4作「新.男はつらいよ』でもそうだったが、
小林俊一さんは、実にしっとりとした見せ場を繊細に作られる。
映画版ではラスト付近で夜中にそっと出て行く寅の姿とそれに気づいた
おいちゃんたちの表情や柴又界隈の人々の風情が印象的だった。


それにしても、このテレビ版をたった2話見ただけでも、
いかに映画版の物語がテレビ版の物語に支えられているかよくわかる。
どちらも才能豊かな山田洋次さんが中心に脚本を書かれてるとはいえ、
テレビ版の影響力は多大なものがあることがわかる。
大きな物語の流れからちょっとした会話まで随所にテレビ版の断片が出てくるのだ。


いつの日か、この、フジテレビが制作したテレビドラマ『男はつらいよ』が真に再評価された時、
あの別れの夜の、二人のやり取りの見事さと、それを支えた小林俊一さんの演出、
そして最後の最後に二人の表情を見事にアップで重ねて表現したスタッフの
鋭敏な感覚は絶賛されるだろう。



もちろん、そのテレビ版のリメイクである映画版第12作『私の寅さん』の
あの別れの曲のシーンも、
スタッフたちは集中し、時間をかけて、上手に上品に撮っている。

りつ子さんも、寅の気持ちは敏感に感じて、自分の気持ちを優しく、しかししっかりと寅に伝えている。
そこはさすがに演出も逃げていない。そして二人ともやり取りに品格すら感じられる。
演出に弛緩した穴はない。さすが山田監督だ。
第12作のクライマックスといってよいと思う。

それでも、私の人生にはあのテレビドラマの冬子さんの、
寅を大事に思い、寅に寄り添う気持ちこそが、
そして、寅のために流したあの涙が、やっぱり大事だ。

あの、一番最後に彼女が桜を見つめる命の輝きの目は
私には何物にも代えがたい宝物なのだ。


これこそが小林俊一監督の演出の奇跡だと言えよう。




       







そして、それから2年後・・・





もうひとつの顔 映画版 「新.男はつらいよ」 


柴又に吹きぬける風を撮った監督 小林俊一


 


         





ところで小林俊一さんと言えば

田宮二郎主演の1978年にフジテレビで放送された『白い巨塔』(全31回)の制作だ。
リアルタイムでもしっかり見ていたし、後に全作品をかつて私はDVDで見た。

田宮さんの鬼気迫る本物の芝居に圧倒されると同時に
演出に携わった人々の鋭敏な感覚にも脱帽してしまった。
あんなドラマは二度と制作出来ないだろうと今でもそう思う。
完全にスタッフもキャストも仕事の域を超えたステージまで
到達してしまっている作品だ。襟を正して見ないといけないドラマ。
そういう域にあるドラマなんてそうそうはない。
そのスタッフの一番中心におられ、
この作品をリードし、コントロールし、プロデュースし、大活躍だったたのが、
小林俊一さんなのである。


田宮さんの白い巨塔からさかのぼること10年前、
同じくフジテレビであるドラマが大きな人気を博したのが
上に書いてきたテレビドラマの『男はつらいよ』なのである。


僕たちの好きな白い巨塔』というディープなサイトのインタビューで、
小林さんはこの二つのヒット作品について、

「白い巨塔」の財前五郎と「男はつらいよ」の車寅次郎は両方とも、自分の分身みたいな気がする。
2人はまったく両極端なんだけど、よく考えるとどっちも同じなのだ、と仰られていた。




                  



『人間っていうのはみんな両極端なものを持っているのであって、
悪人になったり善人になったり、やさしくなったりいじわるになったり、
まじめになったりいいかげんになったり、
それを振り子の幅みたいにどんどん片方の端っこにふっていけば、車寅次郎になるし、
その逆にふっていけば、財前五郎になる。
寅さんみたいに自由になりたいと思うこともあるし、
でも、仕事をやるときは財前みたいに
一生懸命やりたいって思うこともある』そのように語られていた。



小林さんは、渥美さんにほれ込み、
上にも書いた「おもろい夫婦」でのプロデュースからはじまり、
テレビドラマの「男はつらいよ」で渥美さんとの間に満開の花を咲かせたが、
今回、思い出深いあの『車寅次郎』をもう一度、
今度は大きなスクリーンで演出する機会を得たのだ。


1970年当時、山田監督はといえば、他の映画制作で手が空かないのと同時に
渥美さんとの演出面での摩擦などがあり、
前作の第3作に続き、今回も脚本の共同脚本執筆に留まるのみである。
森崎東監督はすでに第3作制作の真っ最中で体は2つはない。
そこで次なる監督は上に記したようにテレビ版「男はつらいよ」に
演出やプロデューサーとして深く携わってこられた小林俊一監督に
なんとかお願いすることとなった。

この第4作は松竹が無理して早く作らせたお陰で
なんと1ヵ月半で作らざるを得ないはめになったのである。

そのようなご自分の分身のようなテレビドラマの車寅次郎を、
映画で急遽演出することとなったことはある意味たいへんなことだし、
やっかいな難仕事ではあれども、ある意味チャンスでもあったとも言える。

つまりここにきてテレビドラマで展開していたあの正調「男はつらいよ」を
制作するチャンスにめぐり会ったともいえるのだ。
それがたとえ、制作費や製作日数に大きな制限があったとしても、
やはりこれはチャンスと言えると思う。

それこそ、小林さんが上で仰ったように財前五郎のように
映画監督として、小林監督として一生懸命仕事をがんばれるまさにその時が来たのだ。






手を伸ばせば届く息づかい   懐かしい柴又の風と匂い


制約の関係でこの作品にはほとんどロケらしいロケが出てこない。
しかしそのぶん柴又参道がたっぷり出てくる。
ロケが無いのはつまらないとおっしゃる人も多いとは思うが、
私にとっては風吹く柴又参道がたくさん映し出されるこの作品は
とても嬉しく貴重なもので、古き良き庶民の町、柴又を
しっとりと窺い知ることができる数少ない作品なのである。

また、登場する人々も佐山俊二さん扮する蓬莱屋、二見忠男さん扮する弁天屋この二人は絶品である。
あんな味が出せる役者さんはそうはいない。
彼らの存在自体が柴又の風情なのである。
そしてそれらを囲むように谷よしのさんたち柴又の御一統さんたちが
実にいい顔でスクリーンを駆けずり回っている。

全48作中、こんなに柴又風情がしみじみ描かれた作品は無い。
第3作『フーテンの寅』と比べて演出が柔らかく自然体で落ち着いている。
人々のセリフに力みが無いのはさすが小林さんである。
第3作には寅次郎のリアルな皮膚呼吸が聴こえてきたが、
この第4作には柴又という町のリアルな息づかいが感じられるのである。
洗練され精錬された山田監督作品の持つあの上質の気品と比べると、
確かに小林さんの演出はギクシャクした部分や未醗酵な部分は若干あれども、
伸ばせば手が届く臨場感のある風と匂いがそこにはある。
これはなにものにも代えがたい「小林ワールド」なのだ。




                             




そういう意味ではこの映画シリーズのオリジナルである『テレビ版男はつらいよ』の
あの独自の雰囲気を最も強く醸し出しているのがこの第4作とも言えよう。
やはり小林俊一監督の特色がはっきり現れている作品となって行ったのだなと、
今も思い出すたびに静かな感慨がわいてくる。

またエピソード的にも抱腹絶倒のハワイ旅行騒動やその後の泥棒騒動など、
テレビ版の名場面のアレンジが多く採用されている。
この前半部分がメインと言ってもいいほどテンポのいい展開である。

私はこの小林監督が作った「新.男はつらいよ」の存在はこのシリーズの中で
リアルな柴又を私たちに示してくれる数少ない映画だと思っている。
柴又とはこういう町だ。こういう町にさくらや博やおいちゃんおばちゃんは生きている。
寅はこの町で育ったんだ。

そうしみじみ思わせてくれる小林監督の演出だった。

そう、この第4作「新男はつらいよ」は映画の中に柴又の懐かしい風が吹いていた稀有な作品だったのだ。

小林監督は あの 柴又の風のような人だったに違いない。

作品は人を表し、人は作品ににじみ出るからだ。


     




小林俊一監督 あなたのテレビ版「男はつらいよ」のあの演出を
そして映画「新.男はつらいよ」のあの演出を

私は忘れません。  


ありがとうございました。


合掌。





       





以上  緊急臨時掲載でした。