2023年8月16日掲載

号外!!

第22作「噂の寅次郎」

早苗さんが身を寄せるあの美容室ついに発見!!




   



苦節12年 遂に奇跡的な偶然で発見!

  

なんと立石でも大船でもなかった。
幸福の青い鳥は私の家のそばにいた。


柴又昭和建築『ママの店』が羅針盤だった!!

 


    






■序章



悲しみの大原麗子さん


この第22作の大原麗子さんはいやはやほんとうに麗しく、光り輝いている。
こうして画像をキャプチャーしていても
どこで切り取っても絵になるのだ。
普通なかなかこんなことはない。だから大原麗子さんだけを見ていてもかなり満足するはずだ。

そしてそれを聞く者たちをシビレさせるあの声。

第34作「寅次郎真実一路」の38歳の大原麗子さんも
この第22作に勝るとも劣らない哀しみと色気だったが、

この若々しい32歳の大原麗子さんは真実美しいのである。
全作品中一番の美しきマドンナと評する人も少なくない。



特に上にも書いたように大原麗子さんはどんな役を演じてもどこか陰がある。
どこか悲しみを背負っている。
晩年は孤独で、62歳で亡くなった時もそうだろうなあと思ってしまった。

ギランバレー症候群の再発と本人は言っていたそうだが、
どうもそうではなく、複合的に体調が上がらなかったそうである。

後に、1983年制作の降籏康男監督の「居酒屋兆治」の神谷さよ役は
大原麗子さんの生涯の代表作になったが
あんな悲しくいたたまれない役はなかった・・・





    


    



    
大原麗子さんは熱烈な高倉健さんのファンで、晩年まで彼を尊敬して止まなかったそうだ。

    



大原麗子さんの役への打ち込みは大変なもので、
そのせいか、数々の撮影現場でもいろいろ軋轢が生まれたそうだ。
50歳を超えたあたりからはそういうこともあって映画へのオファーは激減し、
二人で歩んできた母親の最後の介護のこともあり心身ともに疲労が重なったという。
映画女優としてのプライドと孤独な影を落として最後の10年を生きていたそうだ。


そして

この第22作「噂の寅次郎」の早苗さん役も、いたたまれない悲しみの中にいるヒロインだ。

本編では、どうしても好きになれなかった夫と離婚するしないで悩みながら別居し、
とらやに店員として働きにきたのだ。
大原麗子さんはこの作品の公開の1978年に実生活でも渡瀬恒彦さんと離婚している。

なんであのような見目麗しき離婚寸前の彼女がこともあろうに
柴又の小さな団子屋であるとらやで働くんだ?
なんてこの映画を見るたびにそう思ってしまう。
三平ちゃんやかよちゃんならいい意味でもとらやにぴったりなんだが、
早苗さんではどうもオーラの種類が違いすぎるのだ。場違いもいいとこである。

ま、どうやらいろいろ人生であって来たのだろう。それに見た目とは違うちょっと変わった人らしいのだ。
とにかく、こんな絶世の美女がとらやで毎日働いてくれるという
絶対にありえないような設定になったからには観ている観客も寅も黙って見過ごすわけには
当然いかないのだは当たり前のことだった。


ちなみにこの早苗という名前は、
前年、1977年の市川昆監督作品「獄門島」が由来。

網元である本鬼頭分家の娘で鬼頭一の妹役の鬼頭早苗を大原さんが悲しく演じていた。
そして翌年のこの1978年秋制作の「噂の寅次郎」だ。

山田監督は前年の映画「獄門島」のヒロイン鬼頭早苗から名前を拝借したのだ。



     


でも大原麗子さんは本当はお茶目で明るい役も似合う。

私が何度も再放送を観たテレビドラマ「
雑居時代」では
明るく快活なヒロインを演じて日本中の人気者となったのだ。






■第1章





この「噂の寅次郎」に話を戻そう・・・


離婚直前で、夫婦の住まいである墨田区押上の自宅を出て、
夫の荒川英樹さんと別居しながら友人の友子の美容室に身を寄せている早苗さん。

早苗さんがさくらにしゃべった内容では
とても良い夫だったが最後までどうしても好きになれなかったそうだ。

結婚時からおそらく男性に対しての愛情はなく、
荒川英樹さんの一方的な愛情に応える形で結婚してしまったのだろう。


     


そんな悲しみの離婚寸前で自活しないといけない状況に追い込まれた早苗さんが
密かに身を寄せているのが立石駅から歩いてすぐの友子の美容室兼自宅。

この夕暮れの美容室の時はまだ英樹さんと正式には
離婚届出し合っていないので
名前は荒川早苗さん。


とらやで働きはじめ、

そして
いよいよ数日後に、

自宅があった墨田区区役所で離婚届を提出する。


こうして元の
水野早苗に戻るのだ。

もうこの離婚の日の早苗さんは従兄の肇さんの助言にも耳を傾けないで
ハンドバッグの口を開けたまま歩いてしまい、財布を道に落とすという・・・・
ギリギリのどん底精神状態。

こんな離婚の日は、本当は家でじっとしていたいけど、友子の美容室は人の家・・・
行き場がない早苗さんは仕事場のとらやに午後からたどり着いても
精神が弱ってしまっている。

「あのね、さくらさん・・・今日から私荒川じゃないの水野早苗になったの・・・」

と、離婚を発表してしまう。

しかし、ついに悲しみの気持ちを隠すことができないで、
二階に駆け上がりさくらの前で号泣してしまうのだった。




早苗「……私、別れたらどんなにすっきりするかと思ってたのよ。

   でも、手続きすませたら、
   何だか急に張合いがなくなったみたいに……
   私、この先何をあてにして生きてけばいいのか……


        


早苗「こんな気持になるなんて、
   昨目まで想像もしてなかった…
   こんな気持になるなんて……


大粒の涙がとめどもなく頬に流れていく早苗さんだった。

   



   


おさえていた気持のたかぶりが一気に吐き出されたかのように、
顔を押え、泣き出す早苗さん




この長いシリーズの中で
涙をこんなに頬に溢れさせた女優さんは倍賞千恵子さんを除けば
この大原麗子さんだけだ。
この役に懸ける思いが伝わってくる。


        


早苗のテーマが静かに流け続ける。


降り続く雨。


        


かける言葉もなく、その姿を痛ましく彼女を見て、
そして下を向いてしまうさくら。


        


透明感のある「早苗のテーマ曲」が心を震わせる名シーンだった・・・


早苗のテーマhttps://youtu.be/m7Oa1O-SSgI




そのような人生の底に沈む早苗さんだがこの今回の話題、
美容室のシーンは
悲しみの離婚手続きの直前シーンである夕暮れの立石商店街。

話は元に戻って

とにかく京成立石駅からの夕暮れ歩き

寅の岡惚れ救急車騒動に巻き込まれ、
それでもなんとか初日を終わらせ、ほっとして帰路に着く早苗さん。



まずは京成立石駅ロケ



これは京成立石駅だとすぐにわかる。↓今から20数年前にすでに解明。


    


    



       


      →  


      →   



   



   
青丸が階段撮影場所。
   
赤い線が早苗さんが歩いて行ったと思われる現在の役所通り商店街道筋。

   



   数年前まで残っていた
魚第本店 
   お客さんたちはみーんな大原さんを見ていた(;^_^A

   


   



   




そして立石駅から徒歩圏にある美容室



   立石駅近くの商店街四つ角を歩いて美容室に帰って来る。近くにナショナルの電気店。

   



   友人の友子が牛乳の空瓶を出すために顔を出す。

   


早苗「
ただいま

友子「
おかえり


   美容室の赤ポストからサンケイ新聞の夕刊を取る早苗さん

   



   庭に入っていく早苗さん。店の側面にもガラス窓があり、店の中が見える。

   



   玄関の引き戸を開けて、入って来る早苗さん。

   




   友子役は
宗田千恵子さんが演じている。


   友子の夫は熊倉正博さんが演じている。
 
   たぶん、けっこうこれは髪結いの亭主!

     




   店から友子が忙しそうに顔を出す。




   店から台所へは暖簾をくぐれば直行でるようになっている。


    



   友子は美容室からカーテンをけて台所の中に入って来る。



友子「バパ、おかず、できたの

亭主「スプーンがないから探しているんだよ

友子「いやねえ、六時には塾に行かなきゃいけないのよ

早苗「私、今手伝うわ



友子「早苗

早苗「え?

友子「お団子屋さんどうした?勤めることに決めたの?

早苗「うーん…、とってもいい人たちなの



   




友子「あんたも変な人ね

早苗「どうして?

友子「
だって、もうちょっとなんとか気の利いた仕事無かったの?

亭主「しゃれたブティックとかさ


友子「キイちゃん!塾に行く時間よ!」と、二階に向かって叫ぶ友子。


早苗、その言葉を背に聞きながら、階段を上がって行く。



             



柴又の団子屋は『気が利かない仕事』らしい。
地位が低いんだねえ〜〜〜(´;ω;`)ウッ…




二階の部屋





小学生の息子が漫画雑誌を読んでいる。

早苗、入って来て声をかける。


早苗「キイちゃん、ママ呼んでるよ


      姉夫婦には「キィーちゃん」という息子がいるようである。

    


キィーちゃん「えー」

キィーちゃん「ヤダなーーー!!」って言いながら

しぶしぶ下に下りていく。


一階から声がする


友子の声「
早く食べていきなさい。ケンちゃんもう行っちゃったわよ



畳の上に散らばった雑誌を片づける早苗。




窓の外から遠くを行く救急車のサイレンが聞える。


カーディガンをハンガーにかけながら


早苗、クスリと思い出し笑いをもらす。


今の救急車のサイレンで、
とらやでの珍騒動を思い出したんだろうね。

まあ、あの寅の態度見りゃぁ誰だって笑うわな(^^;)





    








第2章


さて、このロケ地がいったいどこかということだが・・・



当たり前だが、上にも書いた通り早苗さんは

夕暮れ時に、京成立石駅の階段を下り、北口を歩き
おそらく北上したと思われる。


   




探すポイントは

四つ角あり&信号あり

この四つ角は少しいびつな形

ナショナルの店(パナソニックの店)

向うに 
少し高い目立つビル、
 
ずらっと並ぶ商店街の街灯

そして

手前には
美容室電柱、



まずは上↑のルートの区役所通り商店街を捜し歩く。



     この区役通り商店街を北上し、信号を探し、パナソニックの店を探すために、聞き込みもした。
    しかしどこまで探しても大きな四つ角に電気屋さんとそのすぐ横に美容院は見当たらない。

   立石駅の南側の東立石地区も自転車で回ったが見つからない・・・

     



      2023年時点で存在する『パナソニックの店』
      この黄緑のパナソニック店店は信号のある四つ角にはなかった。


      




立石地区には実は大きな道路以外は信号は意外と少なかった。
なので信号のある四つ角にパナソニックの店、そして美容院。
結局その後も用事のたびに訪ねて、2時間探したが

この町にはそのような店も位置関係も無い。




★おそらく、こういう時は立石ではないぞ・・

 大船撮影所の近くか
 その周辺のことが多かった・・・



そして迷宮入りになってから約8年ほどが経って行った。

ある日、寅福さんからLINEがあり
かなり信用できる場所を見つけたと言われるのだ。
場所は大船からすぐ。


その候補地が↓↓ここ



  寅福さんが見つけた鎌倉市の候補地
 神奈川県鎌倉市大町3丁目3‐31

   



パナソニックの店の近くに少しいびつな三叉路が見える。
四つ角ではないが・・・本編も三叉路っぽくも見えなくもない。
しかしこのいびつな曲がり方や、左手前に見える壁の在り方などが本編に似ている。



    



    小さな川のあたりに美容室はあったということなのか??

       



      本編でもマンホールのようなものも道路に見えている気もする。

         



しかし、その後私は念のために
現在のそのパナソニックの店(
パナステージしんこう鎌倉店)に思い切って電話をかけてみた。


   


たまたまご主人が電話に出られたゆえ、
かつてすぐ横の方に美容院があったかどうか聞いてみた。

ご主人は最初美容院はあったかもしれないと言われまして
私もとてもいったんは喜んだのだが
自分では記憶に自信がないので
近所の方に聞いてくださるということで、私もいったん電話を切り・・・、

2時間後に私は再度電話した。
ご主人はちょうど美容院があったかもしれないそのあたりの家の方二人に聞いてくださっていた。
このあたりは住宅地で、美容院が作られたことは一度もなかったと断言されたそうだ。

それでも、寅福さんは最後の望みとして
鎌倉市図書館から映画撮影時の1978年のゼンリン住宅地図での
この大町3丁目3付近のコピーを図書館職員さんにお願いされて郵送してもらったのだった。

しかし、やはり、その撮影当時のゼンリン住宅地図の当該ピンポイントには住宅しかなくて
美容室はもちろんのことお店自体なかった。

失意のもとに私も寅福さんもこの場所を候補から除外せざるを得なかった。






それから数年間


寅福さんも私も、ちびとらさんも、
このシリーズの他のロケ地を次々に見つけ、
現地調査したりしていた。

そして、この見つからなかった第22作の早苗さんの美容室はお蔵入りさせていた。


そんな2021年の秋のある日


私と寅福さんとちびとらさんとで遠路
福島県会津湯川村に高羽撮影監督さんの台本を見に行ったのだ。

高羽さんの台本には緻密な書き込みメモが多くの作品の多くのシーンにも書かれていて、
私はかつて2011年から2014年まで寅さん記念館でこの台本を毎年観ることができたのだ。
高羽さんの生まれ故郷の湯川村の宣伝PRのために職員の方々が
柴又の記念館まで泊まり込みで来られて
お餅をみなさんにプレゼントしたり、お米をプレゼントするだけでなく
高羽さんのこの全作品台本を記念館の休憩室で気軽にお客さんに見せてくれたのだ。



    
このように↓湯川村のPRのために高羽さん所蔵の台本を
   4年間ほどすべて持ってきてくださっていた。

    



そして、2021年秋

そしてさらに緻密に台本を調べるために片道3時間半をかけて
遠く山深い会津の「湯川たから館」に私たち3人(吉川、寅福、ちびとら)は行ったのだった。
その中に台本が陳列されている高羽哲夫記念館がある。

     

     


高羽哲夫記念館の館長さんの高倉さんにお願いして
全作品を今までよりも長く閉館まで調べることができた。




その中に第22作「噂の寅次郎」の
例のあの美容室の書き込みもあった!!




    会津湯川村まで見に行った高羽さんの台本。

   その当該箇所の上に添付されていた付箋 そこには『
東立石』と!!


    



★このメモを発見した時の動画
https://youtu.be/RyqRsWdteu0






このメモを真に受けた私は東京に戻った翌日

さっそく、葛飾中央図書館で美容室と信号と電気店を探した。
かつて一度は2011年にしっかり住宅地図と自転車で探しているが、
今度こそ高羽さんのあの付箋メモがあったので、もっと念入りに再度探した。


上にも書いたが、
この立石地区は信号自体が非常に少ないのだ。

しかし一か所見つかった!!
美容室と信号は完璧 角は電気屋ではないが雑貨屋。



  名前は「やよえ美容室」

    




    




★このメモを発見した時の動画
https://youtu.be/RyqRsWdteu0


四つ角がある。
信号がある。
美容室がある。


あ〜〜しかし

角には当時「日用雑貨」の店があった。
パナソニックの電気屋ではない。

しかし、他に候補は無かったのだ。

しかし、私は高羽メモの
付箋に書かれた『東立石』を信じていた。



ダメもとで現地へ行くしかなかった。
柴又の自宅から自転車で約20分。

私が見つけた東立石の候補地
東京都葛飾区東立石2丁目5





動画:痛恨の失敗 
東立石だと断定し、
現地調査したら 間違いだった。

https://youtu.be/EoJPue47kSI






しかしこの動画でわかるように
まったく美容室のデザインが違った。
角には昔から日曜雑貨店しかなく電気屋は一切なかった。



一方、ちびとらさんも、独自ルートで
彼の仕事仲間に立石エリアを担当している人がいて
このロケ地のヒントを探してくれるように言ってあったのだが
なかなか良いヒントは出てこないようだった。



この寅福さんの鎌倉市と私の東立石撃沈で
私たちは完全に迷宮入りしてしまい、
もう早苗さんの美容院は
今後10年20年と見つからないのでは…と思っていた。







第3章

奇跡の偶然が待っていた。






もうほとんど諦めて2年近く経ち・・・

私たちは、
他の未解明ロケ地を発見したり現地到達したりの日々だった。


そんな2023年8月11日未明

寅さんロケ地とは全く関係ないことで、私はストリートビューを駆使して
自分の住んでいる柴又地区のとある建物の10年前を追っていた。

あの、私が柴又に引っ越してきた時から妙に気に入っていた柴又の建物『
ママの店』が
3年ほど閉じていたのだが、ついに更地になってしまったのだ。
私の家からたった4分の場所にこの昭和レトロの「
ママの店」はあった。


   



あの昭和時代の市場、戦後40年代50年代の市場を象徴するような買物ビルは
昔はけっこうどの町にもあったが
令和の今では全て立て壊され、新しいビルに生まれ変わったのだ。

私はあの雰囲気が大好きだった。

戦後闇市のような不気味さもあり、時々中で営業していたお肉屋さんとか雑貨屋さんを
チラチラっと見ては、外の出店のお買い得品の日用雑貨などを1つ2つ買っては帰って行ったのだが
2年前を最後に完全にテナントが撤退して、ビル自体を閉じてしまった。

おそらく建物自体が老朽化し危うくなったのだろう。




     私が撮影した最後の「ママの店」 2022年6月頃撮影

     




戦後直後の日本の名残 柴又で最も絵にしたい建物だった『ママの店』 
このネーミングがなんとも心地よくいつまでも頭に残っていた。
ある意味柴又の隠された象徴だった。


それでストリートビューのタイムマシンで
次々に2009年から2022年までを見て行ったのだ。




グーグルストリートビューで見て行くママの店の移り変り↓ 2009年7月 中には肉屋さんと雑貨屋さんが入っていた。



4年経過 2013年7月 旗を飾り 果物は外に飾らくなっている。食品の割合は増えた。






2015年4月 雑貨の出店は真ん中にも進出している。




 2016年11月 特売日旗を作って 呼び込み積極的に! 出店の展示もかなり見ごたえがあった。





2017年8月 旗が経年劣化により薄くなって来た。テナントが終わりそうな空気が出ている。





 ついに2018年最後のテナントが去り、誰も居なくなった。ひょっとしたらもともと立ち退きが知らされていたのかもしれない。






2019年2月 年々少しずつ痛んできている。テナント募集の黄色い紙がせつなく感じられる。兵どもが夢のあと




そして2020年11月 廃墟に近くなって来た。






2021年4月 コロナ禍の真っ只中






2022年9月 最後の雄姿 このあと数か月で壊されていく。






航空写真では天井はかなり痛んでいることがわかる。





そして、このママの店の建物を斜めからも見てみたいと思い、
2009年のストリートビューを斜めに設置してみた。


↓↓このように


    



すると右端
四つ角信号の角に
パナソニックの店が見えた。


猛烈なある種の予感を感じ

全身に震えが来た。


四つ角の信号
ナショナルの店(パナソニックの店)
・・・・

散々今まで、京成立石の町の中や大船駅のそば、
鎌倉市の町中で上記のような条件を血眼になって探してきた
あの条件だ!!



ストリートビューで背中を振り返った



   
ああ!

    


   
あああ!!

   



   


   


    
このビルは!!全く同じ!!
 ママの店のそばだから、
 あのビルは間違いなく2度ほど
 行ったことがある
柴又一郵便局だ!

    





ややいびつな四つ角で 
信号、
ナショナルの店(パナソニックの店)

向うに 少し高い目立つビル

まっすぐに伸びる商店街の街灯



     


 パナソニックから遠くに伸びる道路 そして左に見覚えのある高いビル!!

  





      




    
完全にここだ!

    





    
パナソニックの店を今度は美容室があるかもしれない方向に
   ストリートビューで見てみると!!
   なにやらそれらしき店が!!

  美容室、電柱、タイルの花壇囲い



   パナソニックの店(サトームセン)は2009年はまだ営業していた。
   閉店後も2014年までその姿を見ることができる。
   
   

 あった!!! 

 それもなんとなんと本編の郵便受けに
 書かれていた【三和】だ!!【三和美容室】!!

 しかも表札は
「中村」!!

 
電柱もある!!

 花壇もある!!


  

    東京都葛飾区柴又1丁目22
     




     
郵便受けの「三和」は人の名前ではなく、
  美容室の名前「三和」だったのかあ!!!

  ミワでなくサンワだった!


     




     





  そして壁の落書き「中村」こそ、
  ここの家の人の名前!!だった。

  






     
完全に120パーセントここだ。


     
世界初登頂!!

     
銀河初登頂!!

苦節12年・・・あまりにも苦労し、
辛酸を舐めたロケ地ゆえに
この奇跡の偶然に、感慨も深く
しばし呆然となった。



    
映画当時に近い航空写真ではこうなる。

    



    
ママの店が羅針盤になってくれたのだ!!こんな偶然あるだろうか!!

    




東京都葛飾区柴又1丁目22

■ストリートビューピンポイントhttps://goo.gl/maps/LYFeDVDtFGCK8SMB6






    
翌日、金町の葛飾中央図書館で
 当時のゼンリン住宅地図でも確認



    
道はやはりいびつな四つ角だ!
  なんと
三和美容室の目の前は金町消防署の新宿出張所だった!!
  それゆえにいびつに道路がここだけ広いのか
  現在は青和信用組合柴又支店。
  

    



ちなみに
このゼンリン住宅地図には
ナショナルの店(現在のパナソニックの店)という記述はない。
何年の住宅地図を見ても
固有名詞の「サトームセン」としか書いていない。
もし私がこの住宅地図だけを見ていたら
この「サトームセン」を「ナショナルの店」だと
想像できただろうか。

やはり百聞は一見にしかずだ。



    




ナショナルの歌
https://youtu.be/Kw76bnsS5hU





   黄色丸が「ママの店」

    




    ママの店、パナソニック(サトームセン)、三和美容室まで入れるとこうなる。↓

    




        




   パナソニックの店(サトームセン)と美容室だけをアップにするとこうなる。

    




なんとここは自分の日常の自転車コース。
高砂で買物をしたり外食をする時は100パーセントここを通過する。
この道をずっと柴又にまっすぐ北上すればなんとなんと一度も曲がらずに
私の家の横まで着いてしまう!そこは帝釈天の大鐘楼だ。
その大鐘楼から徒歩15秒で私の家。






  赤い矢印は常日頃、高砂から柴又へ戻る時の私の自転車方向。一度も曲がらずにほぼ家まで帰れる。

   




  1976年の住宅地図にもここのクリーニング店はすでに存在している。そして赤囲いの柴又一郵便局

   




  1976年の住宅地図にはすでに「つるやクリーニング」と出てくる

    




    当時は「葛飾新宿四丁目郵便局」という名前 現在は「柴又一郵便局

    





        柴又一郵便局は柴又地区の中では一番大きな規模。
           






もう一度 しみじみ 長年の苦労を思い出しながら大きな物証を眺めてみる。↓↓





      映画の構図で2014年のストリートビューをもう一度観てみる!!

     




     パナソニックの店と郵便局と四つ角の信号機

       






      




東京都葛飾区柴又1丁目22- 4
■ストリートビューピンポイントhttps://goo.gl/maps/LYFeDVDtFGCK8SMB6





第4章



さて、ここからは、現地調査だ。発見の次の日


2023年8月11日朝7時30分


さっそく私は現地へ向かった。


私の自宅から自転車で普通にまっすぐに曲がらず漕いで4分!!
なんという近さだ。




      ちなみに、2015年以降パナソニックの店(サトームセン)はご主人が亡くなられたそうで
    更地になり消えてしまう。
    
東健トラストという不動産屋さんがテナントで入っているビルになっている。

           




     本編に構図を合わせる。


     



     





     後日、光がきれいな瞬間を狙い 台風上陸前日 キツネの嫁入りになった。晴れ雨

    


       





    



    
    



    




    




     





      このシーンは長めの1カットだ。

   撮影カメラはゆっくり右にパンしていく。


       庭の中に入っていく早苗さん

      




      




      



      





      本編同様このあと

    
夕暮れ時も買い物途中だったので立ち寄って撮影してみた。




      





     







     


      




       




      壁に白いチョークで「中村」と書いてある。これは、後の、お孫さんの証言によると
    お母様の中村純子さんが幼少期に書いたことがわかる。
  

    





      






      



      




      2014年までパナソニックの建物はあったのだ。
      




早苗さんの友人友子さんのモデルになられたここの50年来のオーナーさんであり
美容師の中村和子さんに直接お会いして事情を説明し、
しばし覚えておられることなどを2度に渡ってインタビューした。

★この「三和」は「サンワ」と読む。

ご主人が新潟の箕輪出身 箕輪のミは(3)(三)と読める。
和は「和子」さんの和

それをあわせて「三の和」で「サンワ(三和)」





■夕暮れの動画説明
 https://youtu.be/V8TUpSFEQNE





         




    横を通るのが『柴又一番街商店街』 にぎやかな商店街 

    道向うの焼肉お弁当屋さんの高秀子さんはこの土地に
    45年以上お住まいでこの通りも横切る通りも商店街がにぎやかでいろんなお店があったそうだ。
    本編のように街灯もズラーーっと着いていたそうだ。

    なぜこんな場所を選んだかの中村さんの質問に山田組スタッフは、
    商店街がにぎやかで前の道が大きく信号があって
    それなりに駅から近い場所という設定なので、ここが合ったようだった。



【インタビュー動画】


●三和美容室の中村さんにはじめてお会いした瞬間の動画
https://youtu.be/wWd2G1xWMFs



●三和美容室の中村さんに再度インタビューhttps://youtu.be/Mz5aq327_ns


●三和美容室店内でのインタビューhttps://youtu.be/4sZdJMZoBwg


美容室店内https://youtu.be/svtkD2KZ-vo


●壁の落書きについてhttps://youtu.be/QwkknhaWQb8


●パナソニック店の道向かいの焼肉弁当店での聞き込み
https://youtu.be/ZWQCKOrsJy0
店主さん高秀子さんの証言





    ★中村さんは、本編での早苗さんの友人である友子さんの立ち位置をドアの近くで再現してくださった。
     美容師のユニホームは実際は映画のような白ではない。黄色のエプロン系。

     




      ただこのワンシーンのためにこの友子さん役の宗田千恵子さんはここで待機していたのだ。

      







       本編同様美容室と母屋は繋がっていることが横から見るとわかる。

       



        


 



        




        中村さんは、気さくに私との記念撮影に応じて下さった。

         





【インタビュー動画】


●三和美容室の中村さんにはじめてお会いした瞬間の動画
https://youtu.be/wWd2G1xWMFs



●三和美容室の中村さんに再度インタビューhttps://youtu.be/Mz5aq327_ns


●三和美容室店内でのインタビューhttps://youtu.be/4sZdJMZoBwg


●美容室店内https://youtu.be/svtkD2KZ-vo


●壁の落書きについてhttps://youtu.be/QwkknhaWQb8


●パナソニック店の道向かいの焼肉弁当店での聞き込み
https://youtu.be/ZWQCKOrsJy0
店主さん高秀子さんの証言




       



この焼肉屋さんでの動画内容

道向うの焼肉店の女将さん(高秀子さん)は映画撮影の頃すでにこの柴又に住んでいたらしい。
それで、そのころはこの焼き肉弁当店はまだ開店していなくて、違う人が店をしていたそうだ。
なにか野菜かなにかを店頭で売ってるようなそんな短い間の商売だったとか・・・
その後すぐに女将さんが買い取り、焼肉を始められた。

柴又一郵便局方向は
まずさきほどの野菜を売る店の隣には今もあるクリーニング店(経営者が同じかどうかは不明)、
そしてとんかつ屋、そして郵便局だったらしい。
三和美容室の通りの角はパナソニックの店、道を挟んで消防署、だったそうだ。

撮影の頃はこの焼肉弁当の店の前はにぎやかで「一番街商店街」と呼ばれていたそうだ。


●パナソニック店の道向かいの焼肉弁当店での聞き込み
https://youtu.be/ZWQCKOrsJy0
店主さん高秀子さんの証言





■夕暮れの動画説明
 https://youtu.be/V8TUpSFEQNE




■ストリートビューピンポイントhttps://goo.gl/maps/LYFeDVDtFGCK8SMB6




     
現在は柴又1丁目商会
 「柴一」
     












第5章



しかし、長い歳月がかかった・・・

物証がある程度豊富に見つかりそうな映像なのにこんなにも発見できなかった理由としては・・・









【発見が遅れてしまった理由 その1】

撮影があった11月は秋のつるべ落としが激しいが
それでも1時間ほどはまだ空は明るいはず。
立石駅から何駅も離れていると連続撮影は難しいと思い込んでしまったのは
思い込みで、実際の11月初旬なら立石駅の撮影からまだ1時間は空は明るいのだ。

思い込みはいけない!

実は立石駅から離れていても夕暮れの撮影は間に合ったのだ!!



    



つるべ落としの秋とはいえ、
立石駅から車にすぐに乗り込めば15分で柴又1丁目の美容室に着く。
カメラリハは替え玉で終わらせているので、

大原さんは
すぐにテスト、本番とたぶん20分で撮影を終わらせたと思われる
なんせあの美容室の前の道を歩くだけなのだから。




   立石駅ホームの向うに空が見えるがまだそこそこ明るい


    




   京成立石駅の空よりもかなり暗くはなってはいるが、それでもまだ夜とは言えない明るさがある。

     




この2つの画像の暗さの差は1時間以内だと思われる。
京成立石駅から車でダイレクトに来れば16分。

もともと山田監督たちは京成立石駅には行かず美容室前で替え玉リハを繰り返し、
京成立石駅の撮影はB班撮影にし、
スタッフの車に乗り、柴又1丁目に着き、すぐに。
テスト、本番にいけば大原さんが到着してから30分で撮り終えられるはずだ。



  京成立石駅から自転車で美容室に行っても車で美容室に行っても同じ時間かかる。
  車は大きな道路で行くしかないからだ。それでも
16分で着く。

    






【発見が遅れてしまった理由その2】


私は12年前から柴又に住んでいる。
そして週に数回この柴又1丁目の道を自転車で通る。

それゆえ、
こんなエリアは日常なのだ。オンとオフのスイッチがあり
柴又での日常はオフなのだ。

この道を通る時にはロケのことは考えたことがまったくなかった。

それと、もうひとつ

私がこのシーンを強く意識し始めたのはここ6〜7年。
パナソニックの店は2014年には更地になってしまっている。
本格的に強い意識で捜査し始めた時には不動産屋さんの新しいビルになっていて、
パナソニックの店はすでにリアルには可視できない状態になっていた。







【発見が遅れてしまった理由 その3】


この自宅の赤い郵便受けに書いてある「三和」という名前に対して
てっきりずっとこの家の人物の苗字だと私は思っていたが・・・

これを店の名前だと思えばよかったのだ。

インターネットで検索をかけると

三和美容室で

首都圏では、地名でなく固有名詞としては
渋谷と我孫子と柴又など・・・3つ、4つの美容室が出てくる!!

ああ・・・ここに早く気づけば・・・悔しい


今から思えば
赤い家の郵便受けにその店の名前を貼ってあるのは
実によくあることだった。



   




   
壁には当時幼児だった娘さんの中村純子さんが書いた「中村」の文字。

   



     郵便受けには「三和」の文字。
    Blu-rayでははっきり判読できる!


      



    
あの壁の落書き「中村」はまさにこの家の方の苗字だったのだ。

     





【発見が遅れてしまった理由 その4】

やはり会津の高羽哲夫さんの台本に貼ってあった付箋

【東立石】

これはアッパーカットというかクロスカウンターだった。

違うとわかってからも、東立石がなかなか頭から離れなかった。

ロケ地変更後のメモを書き忘れたりするのは高羽さんの台本でも時々見かけるので
さほど珍しいということもないが、

やはり長年見つからないロケ地のことは藁をもすがる気持ちがあるので
信じてしまうのである。

高羽さんは嘘は書かない。

最初はロケ地は京成立石駅のそばの東立石の美容室に決まっていたのだろう。
ひょっとしたらあの私が失敗した「やよえ美容室」だったかもしれない・・・。
しかし、おそらく商店街の賑やかさなど立地の雰囲気が合わなかったのだろう。



変更はギリギリでされたのかもしれない。

それゆえ、この台本に書く余裕はなかったのだろう。


   







結びに・・・


ともあれ

長い長い十年来の宿題をやり遂げた気持ちだ。


私やちびとらさんと長く同じ釜の飯を食べてきた寅福さんは
あのパナソニックの店付近から眺めた、いびつな四つ角と信号機の向こうに背の高いビル
そして街灯がありそうな遠くに伸びる道。これらは
夢にまで見た光景だった」としみじみ言われた。それだけ何度も挫折しながらも
諦めずにそれこそ何十回もトライしてきたからなのだ。

   


   



このような難関ロケ地発見はなかなか一人ではできない。

モチベーションの維持が難しいからだ。
お互い考察しあい、時にはみんなで現地に行き、
このロケ地に関し、膨大な時間を使い数々のトライをお互いがしてきたのだ。

私と同じように苦杯を舐めながらも諦めず、私の何倍もこのロケ地捜査をトライしてきた
求道者寅福さんがいなければ私は偶然でさえここは探せなかった気もする。

寅福さんに感謝。

      





2023年8月16日掲載