2020年3月11日掲載

佐藤利明著 「みんなの寅さんfrom1969」  レビュー&読書メモ



656ページ、905グラムに染みわたる「多幸感」



昨年2019年秋、私はバリ島長期滞在中だったが、長年の寅さん友達である、映画研究家(本人的には娯楽映画研究家)の佐藤利明さんから
メールとLINEで連絡が何度かあり、
「今度男はつらいよの集大成となる完全本を刊行することになり
本の最後、巻末に何十ページも使って「データバンク」を作っている。それゆえ、すでに「ロケ地の詳細な場所」を作りこんで行く課程の中で
吉川さんはじめ、小手寅さん、寅福さん、ちびとらさんたちのサイトを参考にさせていただいた。
しかし、もう少し完全にしたいので、最後の追加と今までのロケ地記述の訂正の監修を協力して欲しい」ということだった。

私も私の友人も締め切り間際まで一生懸命協力し、そのぎっしり詰まったロケ地パートは、なかなか充実したものとなった。
実は時間とページ数の都合で10数箇所以上のロケ地を割愛したが、それは、この本の「重版」が決まったら補填したい。

この佐藤さんの本全体としては、
この8年間の「男はつらいよ」の寄稿、連載、コラム、それらをギュッとひとつにまとめ、
その上、巻末に40ページものデータバンクを充実させたこともあり、百科辞典のように分厚く、漬物石のように重く、
聖書のように内容的に普遍性を帯びたものとなり、最後のprofileも入れるとA5判・656ページ、重さ905グラムにも膨れ上がったのだ。
その脅威のページ数と重さを聞いてこんな分厚い本・・・はたして売れるんだろうか・・・と心配してしまった。



昔から、もう15年ほどは佐藤利明さんの寅さんの仕事を遠くから見ているが、時々せつなくなる時もある。

佐藤少年のころより、深くこの「男はつらいよ」シリーズを愛しすぎた、知りすぎたゆえの一人相撲に見える孤高、孤独。
そして50年積み上げてきた歴史とそれに伴うプライドを無理やり自ら打ち破り、格闘し、
彼がこの映画から受け取ってきたあの母親の羊水に包み込まれるような「多幸感」を
この世知辛い世の中に、あえてわかりやすくその本質を伝えようとする不断の錬金術的努力。
その結実が、あの歴史的な仕事であった2008年から2年間続けた衛星劇場の濃密な掘り下げインタビューであり、
みんなのための700回以上続けた文化放送の番組「みんなの寅さん」であり、誰でも気軽に読める各新聞の寅さん記事であり、
そして、明快なコンセプトのもと、膨大な音源を収録し続けたあの4セットの寅次郎音楽旅シリーズだ。

それらを総合的に統括し、まとめあげた今回の「みんなの寅さんfrom1969」656ページ。
それはバイブルなみの重量、存在感。
まったくこの映画シリーズがDNAに組み込まれていないと到底できない凄まじいバイタリティと言えるだろう。




この本の文章の出所をもう一度詳しく書くとこういうもの↓

時系列で書いてみる。

2008年から2年間続けたCS衛星劇場での男はつらいよのスタッフキャストへの詳細なインタビューの一部抜粋や思い出。
2008年から2014年までかけてプロデュース,制作した音楽D男はつらいよ 寅次郎音楽旅シリーズ4作品のライナーズノーツ一部抜粋や思い出。
佐藤さんが今まで掲載して来た男はつらいよに関する文化放送のラジオ番組「みんなの寅さん」シリーズの膨大な言葉とコラム、最後の挨拶、
この番組は2011年から始まってなんと2016年まで5年半、701回!も続いたのだ。
内容が少し重複するものもあるが、
東京新聞「寅さんのことば」、
夕刊フジ「みんなの寅さん」、
デイリースポーツ新聞「天才俳優渥美清 泣いてたまるか人生」等々の活字のコラム


新しく公に発表掲載するものとしては
2015年、柴又が重要文化的景観になる会議の際の調査委員会メンバーとして提出した「文化的景観調査報告書」全文、
それと、今回の映画、お帰り寅さんの前後のこと。

そして最後に掲載されている今回整理され、追加され、訂正されたキャストやロケ地などを中心とした数々のデータバンクの内容。
(ロケ地のデーターバンクは私や私たちの仲間の協力の元に積み重ねていった。ページと時間の都合上ロケ地全部は掲載できなかった)


上記、これらの活字をほぼ総まとめにし、全員集合した集大成本が「みんなの寅さんfrom1969」なのだ。



     
      



この8年間の大きな連載文章を全部集合させ掲載した構成ゆえ、
重複する内容も実は時々見受けられるが、書いている時期やその時の気持ちなどが違うので
その表現や切り口が微妙に違っているのがなかなか味わい深いと言える。
そういう楽しみ方もアリだと思う。


そしてこの集大成本は、もう映画評論家や映画人の誰も真似できない濃度と内容となっている。
手で持ち上げるだけでもけっこうな重量。うたた寝の枕やフィットネスにも使える(笑)

各作品かなり詳細な解説で、特に佐藤さんにしか書けないトリビア満載な内容にも関わらず、なぜか抜群に読み易い。
いたるところユーモアに溢れ、読み物として純粋に面白い。

今までに実に多くの映画評論家さんが書いてきた「男はつらいよ論」を私もほぼ全て読破はしている。、
それらの本には、この映画と平行して起こっていった日本の経済成長期の流れや都市化、非自然化などと寅さん映画のコンセプトを
関連付けた、この映画に対する社会的分析などが主題だった気がする。
この佐藤さんの本はそれらの評論本と比べて、まったく異種のものだ。

少年期から大好きだったお父さんと行った寅さんの日々。
その思い出を懐に、50年間培ってきたファン目線のコンセプトをDNA的に持っているゆえ、学術的、評論的な本とは真逆の読み易さが特徴。
この「男はつらいよ」を外側からではなく、内側から観ている寅さんワールド的視線をこの本の全ての文章に感じる。
しかし、実は、柔らかなユーモアたっぷりなファン目線にも関わらず、
後々のこの映画の研究に大いに役立つ「渥美さんの人生」「超詳細な資料」「トリビア系」も山盛り入っているというのはなんとも愉快だ。

本全体に感じられる「優しさ、柔らかさ、読み易さ」のわけは、
決して自分の分析力を前面に誇ることなく、あくまでもこの映画シリーズが佐藤さんや観客に与えてきた『多幸感』を
活字を通して今を生きる人たちと後世の人々におすそわけをしたい気持ちから来ている。。
また、言い方を変えると、
映像によりこの少年期から長く味わってきた「劇場での幸福な感覚を活字に残したい」一心で書いているからとも思う。
彼は真性の「寅さんファン」なのだ。

私も全48作品の内容を自分のこのサイト「男はつらいよ覚え書きノート」で十数年にも渡って書き写し続けた時のシンプルなコンセプトは
この映画を映像を観ずしてもなんとか映画を見たあとの幸福感やカタルシスを、そしてさわやかな感動を「活字」を通して
自分のために残したいというところだった。

佐藤さんもきっと同じなのである。同時代の他者のため、後世のファンのための本なのだが、やはり自分のためなのだ。
自分が体験してきた「多幸感」を自分のためこそ普遍化し、いつも思い出せるように形にし、動かしがたいものにしたいのだろう。

つまり、彼はもの書きのプロなんだが、
寅さんに関しては、損得を超えた自分のライフワークとして書いている、だから読んでいて楽しく、読み易く、
映画同様幸福な気持ちになれるのだ。

もとより、佐藤さんは佐藤さんのファンとしての眼があり耳がある。
6歳からお父さんと一緒に映画館通いをし、
この映画に生の感覚で親しみ、中学生以降も封切り時に観て、感覚を熟成させてきた言葉の説得力がある。
本編記述にも調べ方が浅いゆえの勘違いや間違いがほぼない。
この本編の内容に誤りがないということは「寅さん本」の中では稀有なことなのだ。
普通は寅さん本に関しては、どの書籍も、ムック本も、実に間違いが多い。
下調べが弱いと言うよりも、担当者たちがこの映画をさほど知らないんだろう。

ということで、この分厚い本は、
佐藤さんの熟成された真性ファンならではの、正確な、でも堅苦しくなく柔らかい言葉に出会える656ページなのである。


ちなみに、チャチャッと、簡単な各作品のあらすじのみを手っ取り早く知りたい人は
インターネットのウィキぺディアや松竹の公式ページを読まれるのが良いでしょう。
佐藤さんのこの本はあらすじを手っ取り早く大づかみに読むための本ではなく、
「男はつらいよの世界」の中にどっぷり浸って、360度寅さんの世界の中で、あちこち寄り道をしながらも彼の言葉で言う、
かつて観客が劇場で味わってきた「多幸感」を読者みんなで共有できる魔法の秘密本なのだから。


この圧倒的ファン目線の完全本に、他のあまたある寅本にない深い喜びや共感を感じない寅さんファンは偽者といえるだろう。




     「かもめ歌」からのワンシーン 近藤こうじさん作
     







さて私のこの本の全体の包括的な感想はここまで。






原稿用紙90枚分の読書メモ     かなり長いメモなので、お好きな箇所だけ拾い読みしてください


ここからは、それぞれの章で、
私が印象に残った佐藤さんの文章の面白い箇所や納得の箇所を具体的に短く書き出しし、
思いつくままに感想やコメントをメモしていったものをここに羅列して行こう。
いつもいつもあんな重い本を開いている時間は取れないので、自分のサイトにヒントを羅列し
本の内容をこのページを見ただけで思い出しやすくするためだ。

ここからは読むだけでも40分はかかるかなり長いメモ書きゆえ、お好きな箇所だけ読んでください。
この下↓↓に続く膨大な本文の書き出しや感想はコアなファンさんなら逆に頷くことも多いはずだ。


佐藤さんのようなコアなファンだけが持つことのできる珠玉の言葉に溢れたものは
やはり同じファンが気づき、ファンが書きとめ、ファンが残して行く。


あくまでも「読書中の直感的感想メモ」なので、さほど推敲はしていない。
これらのメモは文章にさえなっていないかもしれない、
内容がきわめて断片的ゆえになんのことかわかりにくいとは思うが
しかし、運動神経で書いて行った文章は、それはそれで臨場感があって心地良いと思い、
ある程度そのままメモのまま載せることとした。
即興メモとはいえ、全ページに渡っているので
かなり長いものになることをご了承ください。(原稿用紙で90枚ほどになった)

お時間のある時にでも、「みんなの寅さんfrom1969」を横に開きながら、
何日かにわたって、お好きなところだけちょろっと読んでみてください。


ただし、私はあくまでもただの画家であって、プロの評論家でもないし、映画関係者、出版関係者でもない、
そしてこれは個人の私的サイトであるゆえに、
例のごとくすべての作品、書物、サイト、などの感想、レビューにも、しがらみゼロ、忖度はしないポリシーですので
本の中の誤記なども指摘しますし、わがまま勝手に紹介したいところだけをメモしていることをご了承いただきたい。
私は映画人からも業界人から遠い私人で、しがらみがない分だけより一層「正気」でいないといけないと思っている。





ここから下は、
私の言葉は色を着け、佐藤さんの文字は黒文字にした。
(しかし時々混ざってしまってるかも)

ただし、私のことに関する記述箇所は赤文字にした。




まずは第1章の前に・・・・



プロローグ



この部分は、「みんなの寅さん」で使われた
各作品の導入部分の短い短い小さな解説を掲載してある。




第1作 男はつらいよ

「しかばねに水と書いて尿
しかばねに米と書いて・・・・」

この部分を短い作品紹介で使う佐藤さんは
やっぱり放送作家というより、当事6歳のちびっこ映画ファンだったことがうかがい知れる。



第2作 続男はつらいよ

「この息子にして、この母あり」

この言葉に大笑い。うまいなあ。ファンなんですねえ。



第3作 フーテンの寅

「何もそこまで、というのが寅さんであり、
その理想は果てしないのです。」

この言葉もなんだか可笑しい。やっぱりファンなんですねえ。



第5作 望郷篇

「何でもカタチから入らないと気が済まない寅さん。それがまたいいのですが」

笑いました。



第6作 純情篇

「従兄妹の嫁行った先の夫の姪」

短い解説でここの部分書くのが佐藤さん。ハハハ



第7作 奮闘篇

寅の描いた新婚生活に「ホーム・スイート・ホーム」を使うところがなんだか可笑しい。



第8作 寅次郎恋歌

「このまま行ったら、どういうことになるんでしょうか?」

このセリフのセレクト
これは大笑い。

「それはおまえだろ」

と、つっこみを入れたくなるロークをめぐる寅の暴走!




第10作 寅次郎夢枕

「被害妄想」 という言葉

もう、寅そのものですね、ハハハ

と、思ったらその後急にもう反省で自分を卑下する寅。


佐藤さんの言葉

寅さん極端すぎです

これは笑いました。声出して笑った。ハハハ



第11作 寅次郎忘れな草

リリーがつぶやく「アブク」の話に寅が

「それも上等なアブクじゃねえやな・・・」

このセルフは身につまされるのに笑いますね。



第13作 寅次郎恋やつれ

歌子ちゃんがとらやでハンバーグ作った時の態度の豹変

180度態度が変わります

笑いました。



第14作 寅次郎子守唄

木谷京子さんに逢わせないようにしくんでいたさくらたちにオカンムリの寅が
京子さんがお団子を買いに戻ってきた途端の、この豹変ぶり、たちまち穏やかになってしまいます。
これぞ寅さん!

これぞ寅さん!ハハハ。



第15作 寅次郎相合い傘

「寅さんもリリーを想い、リリーも寅さんを想っている」

シンプルですがいい言葉ですね。



第16作 葛飾立志編


柴又駅前の喫茶店(キッチャ店)で本を読んでいる・・・

※ちなみにこの喫茶店は当事のコサカフルーツの二階の「YAMAYA」さん。


キッチャ店 とルビをふるのが評論家でなくやっぱ佐藤さんは「ファン」なんですよ。



第17作 寅次郎夕焼け小焼け

「粋な寅さんといなせなぼたん」

粋と鯔背(いなせ)を使いこなしているのがいいですねえ。



第18作 寅次郎純情詩集

綾さんの家で、「『あにいもうと』の歴史も微妙と言うか
大幅に改ざんしてしまいます」

はははははは 大幅に改ざんは、その通り!


第19作 寅次郎と殿様

「そういったことを信じて、生きていこう」



第20作 寅次郎頑張れ

寅さんはお目々アタックを重視してることがわかります。
「できるか青年!」と言われてもですが・・・・

ハハハハハハ


寅の「お目々アタック」は、第1作からの伝統ですね。



第22作 噂の寅次郎

救急車で運ばれた寅さん「誰が呼んだのか!」と糾弾を始めます。
ところが早苗さんが呼んだと知って急に態度を軟化してデレデレ。
寅さんが調子に乗って救急車が病院まですぐ着いたことをしゃべる寅さん。

「呆れた博の「
早いですね」の一言も秀逸です」

これも可笑しい ハハハ。
早いですね、にピントがそこに合うのが佐藤さん秀逸^^



第23作 翔んでる寅次郎

満男の作文に注目しているのが、完全にファン目線^^

「最後に学校の先生の「本当に困ったおじさんね」という一言が、駄目押しとなっています


面白いですね〜〜。



第24作 寅次郎春の夢

マドンナの圭子さんと娘のめぐみちゃんたちと日米の恋愛観談義をして
「ここで寅さんの恋愛持論である「お目々アタック」です。
とはいえ、玉砕の例を持ち出してどうするんですか!とツッコミを入れたくなりますが・・・。」

はははは 玉砕の例・・・ これもその通り



第27作 浪花の恋の寅次郎

この物語は実は最初の瀬戸内の島での出会いが大きなポイントになっているのだが
佐藤さんはこの短い解説の中でその島での一期一会をピックアップしている。


その後船着場での別れ際、寅さんはおふみさんに

「じゃあな、幸せにやれよ」と声をかけます。浪花の恋はこの瞬間に始まったのかもしれません。



第28作 寅次郎紙風船

愛子の「何考えてんの今?」
シリーズでおなじみの自意識過剰ギャグで、これから二人が名コンビになることを予見させてくれるのです。

この自意識過剰ギャグ って第6作、第45作とけっこうありますよね〜〜



第29作 あじさいの恋


訂正箇所
加能の能は×
加納が○

懐が旅先」で

寅が時々使うしゃれた言葉を拾う佐藤さん。
長年のファンならではのチョイスです。



第30作 花も嵐も寅次郎

「江戸川での二人のデートの段取りをつける寅さんですが
「ぽっかり浮かぶ白い雲」から空飛ぶトンビまで、相変わらず情景描写は素晴らしいです。」

情景描写だけが素晴らしく肝心なところはお目々理論に頼りっぱなしの寅のことを
鋭く指摘しているところが可笑しい。



第31作 旅と女と寅次郎

岐阜の千日劇場と言われた時
一瞬ドキッとするはるみ。
トウモロコシ焼いてたろ」にホットするあたりの呼吸が見事です。

この作品はここが一番面白い^^

ローマの休日を意識して「佐渡の休日」いいねえ〜〜



第32作 口笛を吹く寅次郎

江戸川土手で源ちゃんになにげに朋子さんのことを自慢する寅

「大人の分別を見せる寅さん、ちょっと格好つけています。
なにも、源ちゃん相手に自慢しなくても、と思いますが、
なんとなく優位に立ってる寅さん、
それがまた可笑しいのです。

これもファンならではのチョイス



第33作 夜霧にむせぶ寅次郎

「お前も地道に暮らしてるんだなぁ」としみじみとした寅さんのことばに、
昔の登と寅の二人を知る、僕たちの胸が熱くなります。


じっくり自分の人生の時間の長さでこの映画シリーズを見て来たことがはっきり文章に表れたのがここの部分でした。

共感ですね!



第34作 寅次郎真実一路

寅さんがふじ子さんの、その一挙一投足を見るだけで幸せだと、
恋愛至上主義、美女礼賛派の寅さんはとうとうと語ります。

博は手厳しく「問題あるなぁ」と評論しますが、

そう言う考え方だから僕たちは寅さんが大好きなのです。


これも無条件的ファン目線 ははははは



第35作 寅次郎恋愛塾 


物売りの影に隠れていた。


影は×
陰が○



物売りの陰に隠れていた寅さんが
備後屋さんに見つかった時に「神のお恵みがありますように」と言うのがおかしいです。
寅さん、カソリックのマドンナ若菜と出会った後だけにです。

そこかしこに寅のおかしみがあります。



第38作 知床慕情

角館市に流れる檜木内川堤の、
満開の桜まつりをバックに、故郷・江戸川の在りし日の
桜並木を思い出す、寅さんのモノローグです。

少年時代の寅さんが、父平造と、さくらのお母さん、つまり寅さんの育ての母と花見に出かけたことを
思い出します。
寅さんの心の中に広がる情景は映画を観ている僕たちの胸の中にも広がって行きます。


第38作でこの冒頭をピックアップするのはやはりこの映画を愛してるんですね。



第39作 寅次郎物語

でのラスト付近旅支度をする寅の様子を紹介。
ここも地味ながらファンには印象深いシーン
「寅さんは自分の稼業は「労働ではない」と言います。
わかっちゃいるけど博のように堅気にはなれない。
そこが渡世人のつらいところなのです」



ちょっと中略して・・・




第45作 寅次郎の青春

どっかにええ男おらんじゃろか とつぶやく蝶子さんに対して
この俺じゃダメかな」と名乗りを上げます。
史上最も男前な寅さんの登場シーンです。

史上最高の男前 と言う表現が可笑しい。



ちょっと中略して・・・



第48作 紅の花


リリーの家で過去のマドンナたちの消息をたちどころに答えてしまう寅さん。

恋の「アフターケア」 

この表現笑えます。




さてここから本格的に第1章です。




第1章  2015年 葛飾柴又 地域文化的景観調査報告書
(書籍への記載としては初記載)
 



この後 柴又が国の重要文化的景観に指定される。



この文章はこの本の総論的意味合いにもなっている。



これがかなりの充実内容

長編なのだ。

タイトルは


「男はつらいよ」にみる柴又


36歳の寅さんが懐かしい故郷柴又に帰ってきたのは昭和44年の4月20日宵庚申で賑わう縁日の午後だった。

こういう正確さは、大事です。


当事の感覚からすれば葛飾柴又は東京の下町というより東京の「東の外れ」であり、
江戸川を挟んで、千葉県との県境と言うイメージが強かった。

映画が進んでいくにつれ、「理想的な下町のコミュニティ」と受け止められていく。

下町ではなく、田舎だった事実を粛々と書いていて心地よい。



店の戸は季節に関係なく開け放されており、勝手口も閉められたことがない。

これはこの映画の大きなコンセプトなのだが
この非現実的なコンセプトをしっかり文字化できるのは頭が整理されているからだろう。


お互いの気持ちを推し量る前に、
直裁的にことばをかわして感情をぶつけ合う姿が描かれている。

その濃密さが親密さと理解され下町気質として、イメージが定着していった。


濃密さが親密さとして・・・は秀逸



寅さん以前の映像化された作品を紹介

昭和32年 東宝の「大番」

1963年 昭和38年日活の「野獣の青春」
まだ桜並木が残っていた江戸川堤が登場する。




山田洋次と柴又の出会い。

これもいろいろな書物ですでに書かれてはいるが
この本はそこを詳細にしっかりまとめてある。

昭和37年ごろ「下町の太陽」のプロット作りを当事葛飾区新宿の早乙女勝元の自宅で
行っていた。帝釈天の二天門、帝釈堂のたたずまい、そして門前町の雰囲気に感慨を
覚えたと言う。

特に、題お経寺のすぐ裏に、悠々たる江戸川が流れる光景にいたく感心したようだったと、
当の早乙女勝元さんが佐藤さんに語ってくれたそうだ。
そして木屋老舗に入る。

1994年の図書新聞に掲載された山田監督のこの時の思い出も紹介されている。

ある日、冬近いうす寒い日だったような気がするが、僕は高砂のお宅を訪ねたのである。
思えばぼくも早乙女さんも若かった。
名前もなく貧しかった。
僕は世田谷の団地の1DKに暮らしていたし、早乙女さんは一戸建てではあるが
邸宅というような表現とはかなり遠い家に住んでおられた。
「お昼は柴又の帝釈天で食べましょう」
実はその時まで帝釈天を知らなかった。
なかなか面白いところですよ。という早乙女さんに連れられて、僕は
はじめて柴又の町を訪れたのである。

戦災をのがれた、帝釈天の参道のみやげもの屋の並ぶ通りには
古い東京の下町の生活が色濃く残っていた。
木屋という老舗の団子屋で、おでんと茶めしを早乙女さんにご馳走になった。
よもぎの香りの強い草団子というのもはじめて食べた。何もかも珍しかった。

この時、木屋老舗で早乙女と山田監督の相手をしたのが、女将の石川光子さん。
とらやのおばちゃんのモデルであり、山田監督の小説「けっこう毛だらけ」で、さくらの母の名前となる。




このあと

山田監督が「男はつらいよ」のテレビドラマを誕生させるまでが詳細に書かれている。
このあたりは今までにもいろいろな書物やサイトで書かれてはいる。

フジテレビの小林俊一プロデューサーの奮闘と山田洋次さんへの脚本依頼のかけひきなどが
リアルなタッチで解説されていく。

そして、そのことで山田洋次さんと渥美清さんはまじめにきちんと話をすることになって行く。

その話し合いの場でテキヤの話、啖呵バイの話が次々と出てくる。その話に聞き入った
山田さんは小林さんからのオファーを条件付で引き受けることとした。

このあたりはいろいろな書物にもおおよそは書かれている。


次に「舞台」をどこにするのか?が書かれている。


「青べか物語」の浦安
が第1候補。しかし埋め立てがすでに始まっていた。
西新井大師
深川不動
入谷鬼子母神

どこも、もう都会の空気になっていた。


この時山田監督が思い出したのが
下町の太陽脚本の打ち合わせの時に、早乙女勝元に連れられて行った
葛飾柴又帝釈天と江戸川の光景だった。
柴又は空襲に遭わずに古い家並みが残り、江戸時代からの風情を残す
帝釈天があり、周辺には畑もまだ残っていた。
江戸川から一望する光景は、まさしく、野や川、悠々たる自然に囲まれた
「ふるさと」そのものであった。江戸の匂いと牧歌的、それが「寅さんの故郷」と
なったのである。


山田監督のインタビュー紹介

柴又という言葉がまた、とても響きがよくて、
どことなくローカルで、何となくいいでしょう。
ちょっと垢抜けないところがあってね。
「葛飾柴又」というのは、
葛飾の「カ」という始まり方とか柴又の「タ」という終わり方とか
語感的にもいいですね。




「男はつらいよ」のタイトルが決定されるまでのことが次に書かれていく。
これはいろいろな資料にすでに書かれている。


愚兄賢妹

北島三郎の「意地のすじがね」の中の「つらいもんだぜ男とは」

泣いてたまるかの最終回「男はつらい」(山田洋次脚本)


テレビドラマの「とら屋」のセットは亀家の当事の間取りを参考にしている。
映画版もその間取りを踏襲。

亀家の先代ご主人によれば、映画化にあたり、松竹の美術スタッフが
その後改めて採寸。


テレビドラマ中は外景が必要な時は16ミリキャメラでロケーションをして
それを放送時にインサート。

基本の芝居は全てセット フジの新宿区河田町スタジオ


そして、テレビドラマの登場人物や物語の紹介が入る。

昔からこのフジテレビドラマ「男はつらいよ」について詳細に書かれた本はほぼない。
キネマ旬報や脚本集の付録として何話かが掲載されてはいるが。

それゆえ、このあたりの記載は私の友人が運営する偉大な研究が詰まった
テレビ版寅さんサイト」とともに、この本は資料としても大事。

http://jonathanfactory1.web.fc2.com/




このあたりベトナム戦争激化 反体制ものが流行


そしてテレビ版の全26話の最終回の時が来て

寅さんがハブに噛まれて死んでしまう・・・

しかしキャスト、視聴者らからもう抗議にあい、
山田監督は映画で再度生き返らせることを決意。

このあたりも佐藤さんも含め、いろいろなサイトや書物に記載はありますね。


寅さんがいなくなり、柴又の「とら屋」までがなくなるという物語はファンにとって
衝撃的であった。

このテレビ版の最終話時点ですでに「寅さん」は作り手のものではなく
「みんなの寅さん」になっていたことがわかる。


この発言は重要で

大部分が山田監督の脚本作品であるが
すでに映画作品の前段階から「みんなの寅さん」になっていたことがうかがい知れる。



長沼六男カメラマンが映画版第1作の冒頭の水元公園の桜と
最終作の第48作「寅次郎紅の花」を撮影したご縁を書かれている。






車寅次郎の 名前の由来にも触れている。


「二人の寅さん」


車姓 が渥美さんの生まれた上野車坂に由来していたのは知られていること。


それより、篠田正浩監督から話を聞かれた
江戸時代の非人頭の「車善七」の存在の紹介は面白い。


「寅次郎」の方は

柴又で香具師たちの露天をしきる地割りなどをする世話役だった「兵隊寅」
その男が戦争中に駅前で万歳で見送ると不思議なことにほとんどの男たちは帰還することができた。
と、佐藤さんも木屋の女将さんから聞いたそうだ。
柴又の古くからの住人は寅さんのモデルは兵隊寅と思っている。


そして もうひとつのモデル

松竹の喜劇の神様 斉藤寅次郎監督だ。


これはいかにもありそうな路線。。。


当事制作中だったアメリカの「西部戦線異常無し」を意識して「全部精神異常あり」


斉藤寅次郎監督は
「男はつらいよ」が人気を博した後、現在の寅さんに悪いからという理由で
名前を本来の本名に戻してしまった。


これは驚き!


山田監督と渥美さんは恐縮して表敬訪問して謝ったということだ。



これは私も知らなかった。



国民的映画と柴又


シリーズが始まったころの帝釈天参道はまだ舗装されていなかった。

うーん、第1作を目で見るかぎり継ぎはぎではあるがアスファルト舗装はされていたが?

おそらく美しく石畳のようにはなってなかったということなのもしれない。
もしくはやや原始的なアスファルト舗装であって痛んでいたし、つぎはぎも多かったと
いうことなんだろう。


てんぷらの大和家さんの歴史が古いのはまったく知らなかった。

大和家を営む大須賀家の歴史は古く、千二百年前に遡る。

明治時代、縁日で、天ぷら、寿司、団子などの商いをしていた。
いわば寅さんの大先輩。


第8作で出て来た喫茶店ロークは現実とフィクションの境界をなくしてしまう
特別な装置として機能していた。

これは佐藤さんの見事な分析だ。


第31作までロークは映画の中でその看板が見えているので
十分に境界をなくす特別な装置になり得たのだろう。


このあと、柴又4丁目に存在したさくらのアパートや散歩先生の金町の家
そしてさくらの一軒家の移り変わりとそれぞれの具体的な住所など

この柴又金町界隈のこれらのポイントが大きな意味で
現実とフィクションの境界をなくす特別なエリアになっていったことを書かれていた。



そして、参道のリアルな柴又屋がとらやと名前を変えたことにより
映画の中のとらやもくるまやに変わり、いろいろな変化を見せつつ
終局へと歩んでいったことが記されている。


最後はリリーと二人で再び奄美へ


「男はつらいよシリーズは、寅さんが20年ぶりに葛飾柴又に
帰還するところからはじまり、
26年後に、リリートいう最高のパートナーとともに
葛飾柴又を後にする、柴又という土地が主役の物語でもあったことが、
シリーズを通して見続けていくと実感できる」


と結んでいる。



アナホベの寅と寅さん埴輪



シリーズ中の1992年、東大寺正倉院から「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」が発見された。

このことは他の書籍にも記載はある。この柴又の寅さん記念館にも記載はある。


養老2年(711年)

大嶋郷は小岩〜柴又〜水元 あたりを言ったらしく 当事の地名で嶋俣里(シママタ)がその中に入っている。
シママタは当然シバマタ

1091人の戸籍のうち

孔王部 刀良(アナホベノ トラ)男性7人

孔王部 佐久良売(アナホベ サクラ)女性2人


を見つけた。

実に面白い偶然だ。



その後

2001年に柴又駅横の踏み切り近くにある柴又八幡神社にある、前方後円墳柴又八幡神社古墳」から
シルクハット型の帽子を被った埴輪が出土した。

出土したのは渥美さんの命日8月4日

寅さん埴輪


私の絵画展が毎年行われる寅さん記念館にもこの埴輪のレプリカがある。





「寅さんテーマパーク」としての柴又


佐藤さんは柴又を訪れる観光客の心理をこう書く





柴又を訪れた人々は「映画そのもの」と、かつてスクリーンやテレビで観た光景が
眼前にあることに感動し、参道の団子屋や、鰻屋に立ち寄ると「寅さんがいるかもしれない」
という感覚になる。

ここは映画の撮影場所だった、という認識よりも「映画の中に入りこんでしまった」気持ちになる。
京成柴又駅を降り立つのは、寅さんではなく、旅先で寅さんに声をかけられ「困ったことがあったら、
東京は葛飾柴又、帝釈天参道にある「とらや」を訪ねて来な」という言葉に
背中を押されてきたマドンナたちだった。


改札口は寅さんワールドのメインゲートであり、
参道に立ち並ぶ商店はワールドバザール。
正面の帝釈天題経寺はシンデレラ城で、
その裏を流れる江戸川はアメリカ川
矢切の渡しはジャングルクルーズ。
そしてメインアトラクションは「寅さん記念館」

このように柴又はテーマパークとしての要件を満たしている。



この佐藤さんの意見は7〜8年前から聞いていて
帝釈天の門前町としての昔からの柴又を愛している人にとっては
こういう遊び感覚は受け入れがたいことなんだろうが・・・
なるほど確かに現在柴又にやって来る観光客は、
ほぼみなさんそのような夢の入り口に来たと思っていると納得した記憶がある。
柴又は帝釈天門前の伝統文化と映画のテーマパークが共存する魅力一杯の町なのだ。




来訪者は柴又駅で

「さくらと寅さんの別れ」を思い出し、
改札口で寅さんや源ちゃんに迎えられるマドンナやゲストの気持ちになる。
団子屋の裏手にはタコ社長の印刷工場があるのではないか?
寅さんが「相変わらず馬鹿か」
と、声をかけて来そうな参道を歩いていると既視感に見舞われる。
多くの人が映画を見ることとは違う、観た映画の中に入り込む、
バーチャルな感覚になるのである。

シリーズが終了してすでに二十数年の歳月が経っているのに、
テレビで男はつらいよが放映された翌日
、特に週末には多くの人が柴又を訪れてくる。
来訪者にとっての「男はつらいよ」が今も続いているかのように。

現在では駅前に後ろ髪を引かれるかのように振り向く寅さん像と、
最愛の兄を見送るさくら像が、この土地を訪れる者を
出迎えて、見送ってくれる。

土地が映画を引き寄せ、映画が人々を引き寄せる。
その中心にあるのは帝釈天題経寺であり、参道の賑わいである。
葛飾柴又は、映画の舞台でなく、永遠に続く「男はつらいよ」と
寅さんの世界の入り口でもあるのだ。


佐藤さんらしい楽しいアイデアをたっぷり楽しめる文章。





ここからは映画本編を解説



第二章   昭和44年〜48年 (第1作〜第13作)


ここからは、佐藤さんがラジオ番組やコラムで作品たちを紹介していった
第1作から第12作までの内容が書かれている。
↑に書いた「プロローグ」はショートだが、この第二章は各作品が多めに語られている。

またトレビア的な話題やゲストたちの来歴もこれでもかというくらい豊富に入っている。




それはそうと

数々のイラスト。この名場面は誰が選んだのか、佐藤さん自身なのだろうか・・・、
近藤こうじさんなのかもしれない・・・
漫画家近藤こうじさんのイラストの名シーンチョイスがなかなか良いのだ。
近藤さんは佐藤さんのラジオ番組を聴いて寅さんファンになられたと聞いている。



     
「忘れな草」のワンシーン
     









桜が咲いております。



春の桜が本編で映るのは

さほど多くない

第1作
第2作
第7作
第38作もOPで。




第1作 男はつらいよ


テレビ版の最終話で ハブを取りに連絡船のデッキで
寅さんが「島育ち」を唄います。

後に第48作「紅の花」の茶の間シーンでリリーがこの歌の悲しい物語を
語り唄う。


テレビ版の寅さんを佐藤さんは

きつくネジを巻いたゼンマイ人形のような、キビキビした動き、鮮やかな口跡

と、表現している。


プロローグと同じく テレビ版の最終話での抗議のことを書いている。


江戸川桜並木は昭和39年には開発のために切られていました。

テレビ版が終わってすぐに長沼さんが受けた指令は「とりあえず桜を撮っておけ だった。



纏を上げながら


関東名物、柴又帝釈天の庚申祭りだ!


佐藤さんにしては珍しく
本編ではないセリフ
書かれている。
改定稿あたりの脚本から取ったのかな?


纏のシーン

ゑびす家の若旦那の若き日の姿

寅さんの吹き替えは亀家の旦那


木信夫
後藤泰子
谷よしの

の記載あり。

彼らはもちろん松竹大部屋の重鎮


映画では20年ぶりの帰還だが
観客にとってはフジテレビのドラマから5ヶ月ぶり



フジテレビの小林俊一プロデューサーさんの彗眼なくしては
車寅次郎は我々の前に姿を現すことはなかった。


この本は、ここ8年の文章を集めたパッチワーク的な構成になっているゆえ、
タイトル、ロケ場所、など、
いろいろな第1作の成り立ちは上記↑と重複する点はある・・・。



メインテーマの主題歌について

これも周知のことも多いが


小林俊一さんは「意地のすじがね」の作詞者星野哲郎さんに
「男はつらいよ」の作詞を依頼。
それがテレビ版の時

作曲は山本直純さんに依頼しますが、
多忙の直純さんは、〆切ギリギリまで曲に手をつけることが出来ず
もうタイムリミットという日の前夜に一気に書きあげたのが
主題歌「男はつらいよ」でした。



あの主題歌のイントロのメロディだけは直純さんのお弟子さんの玉木宏樹さんが作られている。
詳細を知りたい人は私のサイトの第1作の本編をお読みください。




テレビシリーズのシナリオ立風書房の「男はつらいよ」大全集
第3巻に第14話が収録されている。


私もこの本は持っている。また、キネマ旬報にも載っている。

お正月、散歩先生の家で寅さんたちが「幸せについて」語り合うというものでした。

佐藤さんはテレビ版と映画版についてこう結んでいる。


僕らの世代はテレビシリーズに間に合いませんでした。
しかし、残されたシナリオやVTRを通して、その原点の放つ熱いエネルギーの
片鱗に触れることができます。その原点が、どんな風に映画に発展していったのか、
全48作の映画シリーズから、読み解いてゆくのも、ファンや研究者に
与えられた楽しみでもあるのです。


佐藤さんのこのことば、頷くことしきりだ。

テレビ版の参考資料: 私の仲間が運営している 「テレビ版寅さんサイト






第2作 続男はつらいよ

公開は第1作からたったの2ヵ月半後

当時は3週間で1本なので、驚くような早さとも言えない

ここで四人の満男君のことに触れている。

第1作 高砂駅前の川忠本店の店主になっている石川雅一さん。 柴又慕情だけ沖田康浩君

ミヤコ蝶々さんの詳細な経歴あり

テレビ版の焼き直しだがシリーズ屈指の傑作


やはりテレビ版の散歩先生と冬子さん(映画では夏子さん)が出れば名作になるよねえ〜。



テレビ版最終回には映画では描かれていない、
墓参りの時に寅さんの心情を吐露するシーンがあります。↓


「いつか先生がうめえこと言ったね。
人生は一人旅だって。
この俺なんざ本当の一人旅だよ。
さんざんっぱら親不幸した挙句の果てだからねえって言えばそんだけだがね。
そいでも時々夜中になると溜息が出るんだよ。
男はつらいよね、先生、本当につらいよ。」

佐藤さんはこう締めくくる。

あとにも先にも寅さんが「男はつらい」と本音をもらしたのは、この時だけです。
散歩先生の墓前で語りかけるこのシーン、
最終回の冒頭に出てくるのですが、
映画「続男はつらいよ」を観終わったあとに改めて観ると
実に味わい深いのです。



この時の寅の気持ちは、
教師を辞めて25年間バリに絵を描きに行ってしまった親不幸の道楽息子である
私の気持ちと日常だ。




第3作 フーテンの寅


森崎東監督が制作


森崎監督の詳細な経歴など

「旅笠道中」が本編で何度も歌われるが
その歌の内容と寅の心情。


佐藤さんはこの「森崎さんの寅さん」を肯定し、

初期の寅さんのエネルギッシュなパワフルさは
後のシリーズとは違った「若さ」の魅力に溢れています。
初代おいちゃん森川信さんと、渥美清さん、二人の軽演劇出身の喜劇俳優の
絶妙なかけあいなど、まさしく「至芸」が堪能できます。」
と書いている。

森崎監督は

テキヤ稼業の哀感にスポットを当てようと思った。





森崎監督は渥美さんを

光り輝くような演技をする俳優」と佐藤さんに話してくれたそう。


「フーテンの寅」のシナリオはかなり実際の本編とは違うのだが
佐藤さん
もその事に触れている

「マドンナお志津と刑務所から出てきたその亭主のために
ヤクザの親分を前に、仁侠映画の主人公よろしく大暴れをするストーリーでした。
この準備稿は
『森崎東党宣言!』に収録されていますが、かなりハードな展開で
森崎監督が寅さんに託した想いを窺い知ることができます」

しかしそれではあまりにも観客が期待する「寅さんの世界」とかけ離れているので
改めて山田監督、小林俊一さん、宮崎晃さんとでシナリオを書き直してクランクインしました」


このあと本編の内容が長めに書かれている。


四日市の掃き溜めの底辺の家で鼻水を垂らしながら泣く清太郎、
名優花沢徳衛さんのうまさが際立ちます。
男はつらいよでは異色かもしれませんが
森崎東監督作品の王道ともいうべき名場面です。




■俺が芋食ってお前のケツから屁がでるか!

■労働者諸君!


この二つの寅のセリフは森崎監督の側からの発案。





第4作 新・男はつらいよ


小林俊一さんが監督


おもろい夫婦

テレビ版男はつらいよ

で小林さんと渥美さんは組んでいる。

第3作と第4作の間が42日間!



ハワイ騒動でとらやに戻った寅さんたちが観ていたドラマ


この本では「三匹の侍」でフジの看板番組

とあるが

どうも長門さんが槍を持っていないし
あの主人公の人相とは違う気もする。
三匹の侍は長門さん演じる桜京十郎は、
つねに髭を生やしているのが特徴。


しかしこの第4作のテレビ時代劇の長門さんは
髭がまったくない。それゆえ「三匹の侍」ではない。


私のサイトにはこう書いてある↓

これは、なんていう時代劇なのか?
長門勇さんが目立っているので
1964年の『
道場破り』かな…。
それとも同時期の『いも侍 蟹右衛門』『いも侍 抜打ち御免』
『続道場破り 問答無用』あたりかな…?

長門さんの着物的には『いも侍』あたりか…?


   

   


三匹の侍 ×
道場破り、or いも侍 ○






佐藤さん

OPの峠の茶屋で渡した
板垣退助の百円札にこだわっている。

いいなあ〜〜〜


第4作は小林俊一さんゆえに言動やキャラクター、その空気も含めて
テレビ版の寅さんに最も近い







第5作 望郷篇


これで幕引きをしよう。


もう一つのロケ地候補だった「浦安」
ユートピア的な存在。 もうひとつのとらや。


テレビで二十六回櫻を演じいた長山藍子さん。

ふたりのさくら 観客にとってはこの上ないプレゼント。

テレビ版の杉山とく子さん、井川比佐志さん、



テレビファンにとっては最高のシュツエーション。


テキヤの末路の哀れさ、父親と息子の確執

疾走する機関車

なぜ労働に目覚めるのか?
そのプロセスを丁寧な語り口で描いていく山田演出の醍醐味が堪能できます。


このころの寅さん、さくらの懸命のことばだけでは、改俊しませんが・・・・
これ笑いました ハハハ


第2作の寅のあげた5千円がこの第5作で使われる。
宵越しの金を持たない放浪者と定住者の違いはここにある。


鉄道マニアとしての山田監督の中でも
この作品の力強く走る機関車の描写はシリーズの鉄道シーンの最高峰でしょう。


回想シーンのインサート

線路の上 汽車の警笛 「銀はがし」技法使用。

そんな言い方あるんだねえ。


CS衛星劇場 山田監督へのインタビューからの抜粋が載っている。


「まあ、最初からきちんと設定したわけじゃないけど
運がよかったんでしょうね、
妹の世界とお兄さんの世界がうんと対照的になって、
対照的でありながらお互いに惹かれあって続いていくっていうのかなあ、
放浪者は常に定住したいっていう憧れがあるし、定住者は常に旅立ちたいって
憧れを持っているっていうことなんですね。」



中略


山田「僕は「家族」という映画を作っていたんだけれど
    その「家族」を途中で切り上げてそして「望郷篇」っていう作品を作ったんです。」

佐藤「完結篇として』取り組んだ作品ですね。」

山田「そうそう、長山さんが出て、井川さんが出てね。」

佐藤「それで、優秀の美を飾るつもりでつくることになったと」

山田「うん、だから、そういう意気込みがあるわけですよ。
   これでお仕舞いにすると、そういう僕の意気込みやら、渥美さんたちの意気込みやらが
   こう、一つの力になったんじゃないかなあ。とても元気のある映画ができたんですね。
   そしたらこれがまた、今までを上回るヒットを遂げちゃったんで、まあ、終わるに終われなくなったっていうか
   今度はもう観客に押されるようにして、今さらやめるってわけにはいかないって感じがしてきちゃってね。




実はこの第5作「望郷篇」の澄夫のエピソードは、
実はテレビ版の第10話のリフレインでもあります。


テレビ版では
熊本に住む寅さんが昔世話になった東雲の銀蔵親分が危篤となり
昔芸者に産ませた子供を探して欲しいと頼まれます。
その息子は今は機関士になっていて・・・・


映画の「男はつらいよ」シリーズは前期の作品群には
テレビ版からのアイデアがたくさん取り入れられている。
これは山田監督的には二番煎じと言うか、
新しいアイデアではないということで
表立っては言ってこなかったが
研究者にとってはとても重要なことなのだ。





第6作 純情篇



まったく逆さにしても血も出ない状況での執筆。


ふるさとの川 江戸川

寅のふるさと「葛飾柴又」は精神的には京成柴又駅を入り口とすれば
題経寺の背後にある江戸川が出口であり、他の世界との「結界」になっている。


川向こうの松戸市が物語で描かれることはほとんどなかった。
清寿司のある五香駅そばくらい。


第5作「望郷篇」の大ヒット
映画「家族」の高い評価

第6作は人気喜劇映画以上に待望の山田洋次作品として期待されていった。


あにいもうとの別れ

名場面となりました。




■この第6作解説の中で私(吉川孝昭)と寅福さんに関する記述がある。


野毛山での啖呵バイの話。

佐藤さんを含め いろいろな本や雑誌にもどこの神社か不明のままだったが


ところが、長らく「男はつらいよ」を研究している寅福さんと吉川孝昭さん、二人の知人が
、このキネマ旬報にも記載されていた「野毛山ロケーション」の記述から調査をして、この場所が神社でなく
野毛山にある横浜成田山こと成田山横浜別院であることを突き止められました。」


私のようなWEBサイト運営の在野の一ファンに対するフェアな気持ちを持たれているのは
全ての映画の文筆家の中で佐藤利明さんだけだろう。


このあとロケ地めぐりのことに触れている。


余談ですが、
こうしたロケ地を特定したり、ロケ地を巡ったりするのは、ファンにとっては何よりの楽しみの一つです。
映画をめぐる情報というのは、当事の資料だけでなく、その作品を観たファンの印象やアクションによって
どんどん更新されて行きます。
映画に触れる喜び、味わう喜びはそんなところにもあります。



佐藤さんはこの分厚い本の中で
私(吉川孝昭)のことを巻末の「協力」も含めて5回も書いてくださっている。
それは佐藤さんのマナーの良さがまずある。
そしてそれ以上に私に対するこの映画のファンとしての仲間意識といたわりもあるのだと思う。

昔、講談社がDVDマガジンを出版した時、
私や私の友人たちのサイトから実に多くのコアなロケ地情報を得たにも関わらず、
事前には連絡も無く、私や友人たちからの情報だという記述も最後までなかった。
わずかに講談社が本にまとめた時に私も協力して欲しいと頼まれたゆえ、修正点や削除点を監修したが、
私の名前が「編集協力」に載っただけであった。
WEBサイトというのは、その性質上、非常に不安定な存在であり、不正確であったり、匿名性もあるゆえ、
活字の世界の方々は普通はWEBサイトのことは書籍などでは紹介されないことがほとんど。

それと比べれば佐藤さんは柔軟性があり、そのフェアな姿勢が良い。




森繁さんについても書いてある。

この作品で、森繁さんをゲストに招いた時の渥美さんの感激は察するに余りあります。






第7作  奮闘篇


山田監督による唯一の「春の寅さん

見ず知らずの他人が困っている少女のために、それぞれの立場を越えて人肌脱ぐ。
こういう時の寅さんは、本当に頼もしいです。

実際の交番ではなくロケセットだったこと。

撮影は終電が終わった深夜に行われたこと、
深夜にも関わらず見学のファンが多かったこと、

第17作 で榊原るみさんが出演。


ミヤコ蝶々さんの詳細な来歴


津軽出身の花子はまるで天使のようで、
シリーズに登場したマドンナの中でも深い印象を残してくれます。

この回は何度観ても素晴らしく、渥美清さんもお気に入りだったそうです。


柳家小さん 談

研究家はみなさんお持ちのキネマ旬報「男はつらいよ大全」

「よく落語をそのまんま映画にしたような映画がある。
お話にそのまんま落語を使うわけです。
けれども形だけで、落語の心をよくかみしめて映画にしちゃくれない、
そんなんじゃないんだね。

笑いの中に、ジーンと涙をにじみ出させるところを出させるところを出す。
笑って観ているうちに、淋しさと、哀歓が出て、自然と涙がにじむ。
笑いにいろいろ情が絡んでくる。これですよ」






第8作 寅次郎恋歌


この作品はこのシリーズ初のお正月洋画劇場でのロードショー
それゆえにシリーズ最長の尺 1時間53分。

メイキング フーテンの寅さん誕生



準備稿での寅の夢

何やら楽しそうに笑いながら貴子が寅のおかわりをしてやる。
学が学校であったであろう出来事を身振り手振りで話している。
寅は、一日の労働から解放された一家の主人らしく
あぐらをかき、黙々と箸を運んでいる。
先に食事を終えた竜造とつねはテレビに夢中である。
そこへ博とさくらがやって来て、寅に丁寧に挨拶する。
寅は鷹揚に頷くきりで、その代わり貴子がやさしく二人を招き入れるのである。


このシーンはスチール写真としてはPRポスターなどで使われている。


この映画のパンフレット表紙は、貴子との結婚を匂わせる記念写真風です。



OPで雨の中、坂東鶴八郎一座の公演中止。

「明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ、
お互いにくよくよしねえで頑張りましょう。」の言葉どおり
ラストでは晴れ晴れとした気持ちで寅さんと再会します。

甲州路でのこの再会シーンでは、富士山の姿が映っています。



放浪者たちにも「りんどうの花」が咲いていることを
観客に教えてくれる素晴らしいラストシーンです。


佐藤さんの優しい感覚が花開いた美しい言葉だ。



     「寅次郎恋歌」のワンシーン
     






第9作 柴又慕情


この作品から寅さんの夢の中で

あにいもうとの再会が定着して行く。

第1作でリアルに描かれたテーマがこれ以降「寅さんの夢」として
リフレインされます。

それは、さまざまなシュチュエーションの中で「あにいもうとの再会」が
繰り返されて行きます。



第43作「寅次郎の休日」の「車小路寅麿」まで延々と続きます。





ラスト近く 江戸川土手でのあにいもうとの別れのシーン

「じゃあどうして 旅に出ちゃうの?」

「ほら、見な。あんな雲になりてえんだよ」





寅さんがなぜ旅に出るのか、失恋して傷ついたから、だけでなく
自由気ままに空に浮かぶ雲になりたくて旅に出るのです。
永遠の旅人・車寅次郎に僕らが憧れるのはこの自由さなのです。








第10作 寅次郎夢枕


夏の日のドブ板


アイリスは参道の空き店舗を、山田組が飾りこんで作ったお店。

佐藤さんのこの記述を考えると、
アイリスはこの映画当事すでに閉店していたのだろう。


「夏の日のドブ板じゃないけどな、そりっ返ってるじゃねえか!」と応戦します。

「夏の日のドブ板」とはお見事です。

寅さんが時々放つ「見立ての面白さ」は
渥美さんの言い回しのおかしさであり、山田監督の落語的センスでもあります。


寅さんが国鉄金町駅から歩いてくるのは
地方から国鉄を乗り継いで帰ってくるので、
キップが「東京都区内」だから、金町で降りる。


なるほど、「東京都区内」のキップね。うん

佐藤さんはもちろんその理由以上に

寅さんにとってふるさとの川に再会するのが「帰郷の作法」


OP タコ社長の奥さんが子供を叱っている。
チャンバラごっこしていた子供はそうなると朝日印刷の御曹司?
と考えてもいいかもしれません。

なるほど〜〜


この作品は「得恋」の寅さん。


小学校3年生の佐藤少年にとっては

「あーー、惜しい!」と、しみじみ思いました。


失恋をしない寅さんなんて、という見方ではなく、
さくらが「寅さんの幸せ」を願うように、
観客である僕たちも「寅さんの幸せ」を願っているのです。
この作品を包む優しくてやわらかい雰囲気は、さくらや千代の「寅さんへの想い」が
はっきりと描かれてるからなのです。



これも、ファン目線の美しい文章だ。
佐藤さんが常々書いている「多幸感」がこの作品には溢れている。




「叶わぬ夢」を見続ける寅


あくまでも寅さんが見る夢です。

窮地に陥っているのは可愛い妹・さくらですし、
いざと言う時無力な恋人は博です。

自分はカッコいいヒーロー。
そのヒーローが抱く孤独の影は、生き別れになった妹への想い。
第1作でのさくらとの20年ぶりの再会は、寅さんの人生において
最高の感激の瞬間だったことが、この「夢」からも伺えます。


夢はその人間の深層心理。

寅の見る夢は研究に値する大きな宝物だ。

夢の中の女性が、
瞼の母の時もあれば、マドンナの時もある、しかし、やはり妹さくらが一番多い。

寅と妹さくらとの相性は彼らの幼少期から抜群である。
寅の夢を見ていると、寅がさくらに会わなかった青年期の20年が
彼にとってどんなにか心の重石になっていたことが良くわかる。
さくらに会いたいが、今さら会えない。望郷の念止み難し、やはり会いに行きたい・・・
この強い想いが20年間ずっと続いていたのだろう。
そして佐藤さんが書かれているように、
第1作でついに20年ぶりに愛おしい妹と再会した
その人生最高の感激がいつまでも忘れられなくて、
ずっと最初に味わったあの再会の至福の瞬間を手を替え品を替え

シュツエーションを工夫して夢で再体験し続けている人生なのだろう。


夢に関して・・・↓


第41作「寅次郎心の旅路」の終盤

御前様は寅さんについて、「元々は寅の人生そのものが夢みたいなものですから。」
と言います。
さくらは「そうですね。だとしたら、いつ覚めてくれるんでしょうね」と微笑みます。

このことをさくらから聞いた寅さん、夢から覚めたように
立ち上がって、旅立ちの準備をします。
そこで寅さんはこう言います。
「じゃあまた夢の続きを見るとするか」
寅さんの人生が「夢」であるなら、「男はつらいよ」シリーズは、
僕らファンにとっても、夢のようなひとときなのです。



この夢の話のくだりは非常に深い思想が隠されている。
なかなか一筋縄ではいかない話だ。






第11作 寅次郎忘れな草


牧童 車寅次郎

リリートの出会いで
根無し草の生活に猛省した寅さんが、職安に飛び込んで
栗原さんの牧場を訪ねます。
栗原さんにしても
「一番草の時期で猫の手も借りたい」ところだったので採用されます。

栗原家の表札に、寅さんが自ら名前を添える場面に、寅さんの想いがみてとれます。
かまぼこ板か何かに金釘流でこう書いてあります。

牧童 車寅次郎

さて、栗原さんの牧場に住み込みで働いた寅さんでしたが
その結果は映画をご覧いただければわかるように三日坊主となります。
想いとは裏原に、体力が続かない、というのも寅さんらしいのですが。


ラスト、寅さんは再び

栗原宅を訪ねて、再び牧場の手伝いを買ってでます。
再び牧場の手伝いを買ってでます。
「さぁ、働きましょう!」
と、大張りきりの寅さんの姿は、観ていておかしくすがすがしい気持ち良さに溢れています。
おそらくはまたすぐにダウンしてしまうのでしょうが、
栗原さんも、「また、疲れるからおよしなさいよ」と笑いつつも
寅さんの「働きましょう!」の気持ちは嬉しかったと思います。

このラストはただ滑稽なだけではありません。
寅さんの「労働に対する憧れ」と「自己反省」が画面から伝わってくるから、それが気持ち良いのです。

これもまた佐藤さんならではの優しい柔らかな文章。


訂正必要

第37作「柴又より愛をこめて」は×
第36作「柴又より愛をこめて」が○




僕らはなんとしても、寅さんにはリリーと添い遂げて欲しいと願うことになります。
しかし、現実にはさまざまな障害や、行き違い、タイミングも含めて、なかなかうまく行かないものです。

この「忘れな草」でも、決定的なことがあるわけでもなく、リリーの「つまんない」という気持ちを
定住者との暮らしの中で受け止めることができなかった寅さん、との「
とりあえずの別れ」がやってきます。

リリーが酔ってとらやを訪ねてきた翌日、寅さんは錦糸町にあるリリーのアパートを訪ねます。
荷物をまとめて出て行った空っぽの部屋にリリーの暮らしぶりの残骸が窺えます。


「遥かなる山の呼び声」で渥美さんが吹く口笛

小林旭の「さすらい」


これは「流れ者シリーズ」の主題歌


浅丘さんのこと、毒蝮さんのことなどの逸話が豊富に記載されている。


この第11作の解説は秀逸。





第12作 私の寅さん


長旅をしてきた人には・・・・


この回は、いつも旅に出ている寅さんと、ずっと柴又でその身を案じている
家族の立場を入れ替えた「逆転の発想」です。
誰もいないとらやに寅さんを閉じ込めてしまう面白さ。


第8作寅次郎恋歌のラストがリアルに実現してしまった


長旅をしてきた人のための寅のアリア。

長旅をしてきた人は優しく迎えてやらなきゃなあ

「待つ身のつらさ」が前半の笑いとなって行きます。

楽しい旅行のショットの合間に、ひがみっぽくなっているショットが
インサートされていくのです。
寅さんが拗ねれば拗ねるほど家族の気持ちは重たくなっていくのが
またおかしいのですが。

もう子供です。

東京を全滅させてしまうほど寅さんは淋しかったわけです。

いいですね、佐藤さんのこの言葉↑


この第12作はもともと「
山本富士子さん」がマドンナを演じることが発表されていた。
五社協定の影響で出演できず。


佐藤さんは第28作「紙風船」の同窓会騒動のカワウソにも触れている。
マエタケさんが2回目の登場。


これは私(吉川孝昭)の考えだが、
デベソ と カワウソ 同じ柳という姓だが
これは別人間と考えないとデベソが可哀想だ。
カワウソには寅への愛情はかけらもないが、デベソには友情があった。

山田監督は時々このような非道な設定を作ってしまう。
第12作「私の寅さん」の愛おしきデベソをファンは愛していることを
山田監督にはわかってほしい。
第37作の大空小百合ちゃんキャスト選択の非道、
「お帰り寅さん」における満男と泉が結ばれなかったことの非道。

作品がこの世界に産み出されたあとは、
その作品はもう監督のものではなく多くのファンたちのものとなるのだ。





第13作 「寅次郎恋やつれ」

浴衣 きれいだね


やがて実家に戻って歌子を訪ねる寅さん。
多摩川の花火大会の夜
庭先から静かに現れた寅さんと、浴衣姿歌子が交わす会話は、第9作「柴又慕情」の夜の題経寺の
シーンと呼応する場面です。
自立を決意した歌子の晴れ晴れとした表情。

自分の役割を終えたことを悟っている寅さん。
ひとこと「浴衣きれいだね」と言って去ります。

寅さんの気持ちは、観客には痛いほど伝わってきます。
しかし歌子はそんな寅さんの想いは、想像だにしていない、
なんとも切ない場面です。

でも、そんな寅さんを心から応援するのは、
われわれファンでもあります。
寅さんの味方は、俺たちだぞ!と。




この「恋やつれ」の文章の中にも
私(吉川孝昭)に関する文章がある。



「絹代さんに失恋して 津和野を去り
島根県は石見福光の海岸に佇み、物思いにふけります。


そして、いつものように
益田市大浜にある大日霊神社で傘の啖呵バイをします。

そして美しい吊橋(安富橋であることを知人の吉川孝昭さんからご教示されました)
を渡るショットへと続きます。」






第3章 昭和49年〜54年(第14作〜第24作)


第14作 寅次郎子守唄


女房に逃げられ赤ん坊を背負った男を見送る踊り子(春川ますみ)、
その姿を眺めていた寅さん「訳ありかい?」
と、声をかけ、
渡し舟をみつめながら二人はことばを交わします。




寅「ここで踊ってるのかい?」

踊り子「こんな景色のよかこつへ来て、暗かとこで女の裸見てどこがよかつかねぇ」

寅「別に裸を観るわけじゃねえよ。姐さんの芸を観に来たと思えば腹も立たねえだろう」

踊り子「兄さん、よかこと言ってくれるね」


踊り子の自嘲気味なことばに
寅さんは「姐さんの芸」と素晴らしい表現で、彼女の仕事を称えます。
寅さんはさりげなくアンパンを差し出し、それを食べながら二人は呼子の海を見つめます。

映画「家族」の中で、赤ん坊を亡くして悲しみの淵にいる倍賞千恵子さん扮する民子に、
私もね、子供を亡くしてるのよ。と、声をかけて、
泣きながらその気持ちに寄り添う女性を演じています。

「家族」の春川ますみさんは、流れ流れて、九州の呼子のストリップ小屋で
寅さんとひととき言葉を交わしたのではないかといつも思います。

寅さんの芸人に対する眼差しはいつも優しく
温かい時間が流れている名シーンとなりました。



「家族」の春川ますみさんと「寅次郎子守唄」の春川ますみさんを
関連付けたのは苦労人の佐藤さんならではの温かな眼差しだ。



この第14作「寅次郎子守唄」の解説の中でも
私(吉川孝昭)に関する記述がある。↓


「大川弥太郎のアパートは京成関屋
吉田病院は牛田駅
コーラスの練習をしているのが、北千住の柳原商店街近くにある
聖和幼稚園だと認識したのが、数年前、インターネット「男はつらいよ覚え書きノート」
でのインターネット「男はつらいよ覚え書きノート」での吉川孝昭さんの指摘でした。
吉川さんのサイトは、実に微細に「男はつらいよ」の世界を研究しておられ、
新しい視点への刺激を受けることが多いです。」



佐藤さん、恐縮です。
『新しい視点への刺激を受ける』のは主に私の方かもしれない。


訂正箇所

唐津のストリップ小屋は×
呼子のストリップ小屋が○





第15作 寅次郎相合い傘


大杉侃二郎さんについての詳細な情報


大杉さんの「お掃除芸」

歌舞伎「御摂(ごひいき)勧進帳」での弁慶の芸
別名「芋洗勧進帳」


この相合傘の中で
第二次世界大戦中に流行した名曲「リリーマルレイン
を使う予定だったことを知りました。
残念ながら本編で使われることはありませんでしたが
「リリーマルレイン」はレジスタンスとしても活躍した
女優マリーネ・ディートリッヒが唄い、彼女の強さとともに
大衆の記憶に残るヒット曲です。


佐藤さんは「続寅次郎音楽旅」の中にこの幻の「リリーマルレイン」を入れている。


車寅次郎の人生で大切な女性を三人挙げるとするなら

妹さくら

育ての母親

そしてリリー


NHKドラマ少年寅次郎は育ての母親について詳しく表現されています。


「さよならまたそのうち来るわね」

「お兄ちゃんと一緒にね」

この言葉にさくらの願いがすべて込められています。

リリー四部作が「男はつらいよ」シリーズの中でも体温が高い傑作となっているのは
寅さんだけでなく、
さくらのリリーに対する思いもあるからなのです。


同感。

これは私も昔から言ってきたこと。
リリーシリーズはさくらがカギを握っていると信じてやまないのだ。





第16作「葛飾立志編」

寅さんは「己を知るために」学問を志して
柴又に帰って来た筈なのですが、「己を忘れ」
いや、「己に従って」その志が不純なものになります。

笑えます。



お雪さんのことを語る寅のアリアは絶品です。

映像には一度も登場していないお雪さんの姿が
僕らの心のスクリーンにありありと映し出されるのです。

渥美清さんの話芸に託した山田監督の見事な演出でそこにお雪さんの姿が見えてくるのです。
しかも桜田淳子さんに瓜二つで。


ラスト付近

寅さんは礼子との会話をきっかけに旅立つことになるのですが
ここから「とらや」を出て行くまでの一連の、さくら、礼子、電話をかけてくる田所先生
、おいちゃん、おばちゃん、それぞれ一人一人の心の動きが、丁寧に描かれます。
孤独を湛えながらも、寅さんの物腰も実に柔らかいのです。
シリーズにおける寅さんの旅立ちのなかでも、優しさに満ちた名場面となりました。



第17作 寅次郎夕焼け小焼け


秘めたる恋

和夫さんでしょ


岡田嘉子さんはソ連でその激動の半生を送ってきた歴史的な人物。
その岡田嘉子さんに「後悔」について語らせるという、
山田監督の演出はある意味スリリングであり、それゆえ深い感銘を与えてくれるのです。


ラストの爽快さ

マドンナの幸せを願ってその後を訪ねる

ここではぼたんと二人で「幸せをかみしめる」シーンが用意されています。

あの「東京どっちだ」の幸福な感覚は、ぼたんと寅さんだからこそ、なのです。

このシリーズがこの後48作品作も大きな礎は、やはり15作から19作にかけての黄金の傑作群あればこそです。


大雅堂のモデル大屋書房


訂正箇所

書店内もロケーションは×
書店内は大船撮影所のセットが○


店主は1万円からどんどん自ら値段をつり上げる、は×
店主は最初10万円と思い、半分の5万円とし、逆に6万円とし、もうひとつ上げて7万円に決定が





第18作 純情詩集


ふたりのナベさん いいですねえ^^



およそリアリティのない話をする寅さんに
一同ドッと笑いますが、雅子とさくらの表情は曇っています。
これがまたリアルでせつないのです
この時の茶の間の会話は、後になって「あの時はああいう話をしたのに」
と、この場にいる誰しもが思う。

ラスト、再び寅さんが旅立つこととなり
柴又駅までさくらが送ります。
向かいのホームにはねんねこ半纏に赤ちゃんを背負ったお母さん
そして結婚式帰りの若い娘たちの姿があります。
明日に続く「生」を描いているのです。


「俺、あの時からずうっと考えてたんだよ。
いい店あったぞ」とさくらに話します。

「花屋よ。あの奥さんが花ん中に座ってたら似合うぞ」
もはや叶わぬ夢」なのですが、
これが寅さんの綾への素直な気持ちです。
この直前のシーンで、雅子は寅さんに
「お母様のこと愛してくれてた?」と質問をしますが
寅さんははぐらかしてしまいます。
でも、この駅のシーンで、寅さんの気持ちはハッキリさくらと観客に伝わります。


この『寅次郎純情詩集」は人が人を想うことの大切さを、
ぼくたちに気づかせてくれるのです。


このシーンに多くの人の心が浄化されたことだろう。
佐藤さんのけれんのない文章だ。








第19作 寅次郎と殿様

掛け違うと、面倒で厄介なことになってしまうことも
ちょっとした配慮で、皆が幸せになる。
人が人を想うことの優しさに溢れた、お伽噺のような
幸福にあふれた「寅次郎と殿様」なのです。

この作品の「多幸感」を大切にする佐藤さん。
この「寅次郎と殿様」が彼はかなり好きなんですね^^


鞠子と殿様。
夕映えの江戸川土手、
殿様の手を引く鞠子。
それを見送る寅さんとさくら。
山本直純さんの「殿様のテーマ」が優しく、ユーモラスに場面を彩ります。

この夕焼けの美しさ
何度もこの作品を観てしまうのは、ここにも理由があります。



「あれ?俺、あんたの名前知らねえんだ。
あんた、なんていうんだい?」

「堤鞠子です」


「いいお名前だ。堤鞠子さん!
社長、偶然だねぇ」


「この人がそうだったりして」

この社長と寅さんのやりとり、最高です。
ここからの展開の至福感は何度観ても
素晴らしいです。
ぼくはこのシーンを観るたびに、幸せな気持ちになるのです。





第20作 寅次郎頑張れ!



愛のワルツ

「愛のワルツ」は中村雅俊さんと大竹しのぶさん
の「愛のテーマ」として劇中に流れる、山本直純さんの美しい三拍子の曲です。

この「愛のテーマ」はこの膨大な48作品の中でも
山本直純さんの才能がきらめく名曲だ。






第21作 寅次郎わが道をゆく


はい、エイト・ピーチェスです

ハハハこれ笑った^^


電話のベル

「自分で取んなさいよ」

寅さん、しぶしぶ受話器を取って

はい、はい、こちらエイトピーチェスです


エイトピーチェスとはSKDの人気レビューで
8人で踊るセクシーな踊り。

菜々子は寅さんのことを、
少女のころのように、親しみをこめて「お兄ちゃん」と呼んでいます。

男はつらいよの中で寅さんを「お兄ちゃん」と
呼んでいるのはさくらだけ。



訂正箇所

ブルートレイン「はやぶさ」は×
ブルートレイン「みずほ」が○


国鉄
14系寝台車の「みずほ」

    




『反省 車寅次郎』

留吉「力強い見事なタッチの字ですよ」


あそこはほんと可笑しい^^




第22作 噂の寅次郎


人にはそれぞれ任というものがあるからな。


これはおいちゃんの名セリフ


早苗を見たとたん
御前様はうっとりとし
源ちゃんは仕事を放り出し
タコ社長は「美人が来たよ、いやあ色っぽいのなんのって」




第23作 翔んでる寅次郎


「ママは今幸せ?」

「まあ、幸せだわね」

「それじゃあ、あれだわ、あなたの考えている幸せとは違う幸せが欲しいの」


お互いを想い合うこと、
相手の「幸せ」を願うこと、相手が自分の幸せを願ってくれること、
それが「ほんとうの幸せ」だということを、この作品は教えてくれるのです。




井上ひさし

渥美清さんのことを

「悲しみをおかしみで表現できる役者」と評した。



工場の中村君の新婦、古沢規子は伊藤昌子さんという方が演じている。


訂正箇所

川千屋は×
川千家が○



心で歌え心で

とまり木

シンガーソングライター
下村明彦さん作詞作曲

オリジナルは昭和54年4月発売のファースト
アルバム「サウンド・エッセイ」収録曲

この「とまり木」からこの物語を発想したのかもしれない。
この歌のテーマこそ寅さんそのもの。

倍賞千恵子さんも2年後にシングル曲として歌っている。





第24作 寅次郎春の夢


この作品のもうひとりのマドンナはさくら

「これは肝心なことだけど 博には黙ってろよ、な」



尊皇攘夷派の寅さん






ここからは第4章 渥美清さんの人生を語る


■第4章 天才俳優 渥美清 泣いてたまるか人生 
デイリースポーツ紙 掲載


「がんばれ ふんばれ されど いばるな」


12歳にして孤独を知ってる少年

映画「家族」の中で宿の主人が観ているのが
「マドロス姿の渥美さん」のテレビドラマ。
実は、「
おれの義姉さん」なのです。

ありがとう佐藤さん、このテレビ番組を知りたかった!



学校でも、軍需工場でも、
つねにいかにしてサボるか それを考えていた渥美さん。


お兄さん田所健一郎のペンネーム
九鬼幽太郎(随筆、小説)

長男が生まれた時、若くして25歳で亡くなった健一郎さんの
「健」の字をとって「健太郎」と名づけました。

コスモスひょろり ふたおやもういない


ふた間しかない小さな借家の庭先に、
渥美さんの母、多津さんが大好きだというコスモスの花が咲いていた。
その情景が目に浮かんだそうです。






■第5章 みんなの寅さん 夕刊フジ連載


寅さんの背広

新しい背広に取り替えるタイミングは、
襟が立たなくなった時が目安でした。



寅次郎恋歌のメイキング「フーテンの寅さん誕生」でのインタビュー


渥美清さん

柴又の帝釈天があって江戸川が流れているのは
飯に味噌汁とお新香がついているような、
 本当に決まりみたいに思える



忘れな草 上野

寅さんが旅立つ時、さくらは財布から折りたたんだお札を伸ばして、
寅さんの紙入れに入れる場面があります。

「お金、もう少し持ってくれば良かったね」
 倍賞千恵子さんが一番好きなのがこのシーンだと伺いました。


谷幹一さんの結婚式 川甚



博の役割

「つまり・・・兄さんの言いたいことは・・・」

博、いつもナイスな解説


寅でなくとも守ってあげたくなる榊原るみさん
「帰ってきたウルトラマン」のヒロインとしてアイドル的存在


私もあれは観ていた。初回からずっと登場していて、
ウルトラマンこと郷秀樹の愛しいガールフレンドで、
その笑顔は歴代最高のアイドルだった。




啖呵バイのバイネタ仕入れ

第35作「寅次郎恋愛塾」
五島列島の啖呵バイで
「ここにあるこういう道具も、ネタ元という問屋へ行って、これ、一日いくらで借りてくるの」


ビジネス上の秘密を漏らす。



どんなにリッチになってもソウルフードは永遠なのです。

シリーズ半ば頃まで、撮影のために食卓に並ぶお惣菜は
装飾・小道具の露木幸次さんのお母さんが毎回作られていた。
倍賞千恵子さんによれば、リハーサルの時に手が出て、本番では少なくなることもあったとか。




寅さんの夢

大事なのは、これは「寅さんの夢」なので
演じているのは倍賞千恵子さんではなく
あくまでもさくらなのです。


演じているのは女優倍賞千恵子さんでなく
妹のさくら・・・・

なーーーるほどこれは納得






■第6章 昭和55年〜60年(第25作〜第36作)


ここから再び本編解説 第25作〜



第25作「寅次郎ハイビスカスの花」


相合い傘でさくらの提案を受けたリリー、寅さんはテレてその話はそれでおしまい。
なんとも勿体ないとは、映画を観ているわれわれの気持ちでもあります。

でも、だからこそ、
物語は第25作「寅次郎ハイビスカスの花」へと続いていくのです。


第15作「寅次郎相合い傘」から引きずっていた気持ちをぽろっと口にします。

リリー、オレと所帯持つか・・・・

一瞬、茶の間の家族はギョッとします。
リリーもキョトンとしてしまいます。
寅さんは自分の言葉にハッとします。

結局、今回はリリーが

「いやなあ寅さん 変な冗談言って」

と、その場をとりなします。

「私達夢を見てたのよ、きっと。
ほら、あんまり暑いからさ」

と、リリーの言葉で、寅さんのプロポーズは「夢」に終わります。

柴又駅のホーム、別れ際

リリーはもし旅先で病気に「なったり、つらい目にあったりしたら
またこの間みたいに来てくれる?」と、微笑み

寅さんは「ああ、どこでも行くよ」と頼もしい返事をします。
電車の出発間際、寅さんはリリーに「幸せになれよ」と声をかけます。


「幸せになれよ!」これが寅さんです。



リリーの気持ちを受け止めることはできなかったけど
リリーの幸せを願うことはできるのです。



だから実に幸福なラストシーンが待っています。
このシーンは、この二人の「これから」への希望に溢れています。


佐藤さんの温かなファン目線。




     「ハイビスカスの花」のワンシーン
     







第26作 寅次郎かもめ歌


「潜水艦」の見立てがおかしい。


杉山とく子さんについての詳細


「この空き部屋なんだい?下宿人でも入れんのか?」


それはね、お兄ちゃんの部屋。泊まる部屋があると安心でしょ

と、さりげなく言います。

Home Sweet Home




     「かもめ歌」からのワンシーン
     







第27作 浪花の恋の寅次郎


出逢い、そして・・・・


瀬戸内の小島

のどかな昼下がり

何気ない旅先でのひととき。
こういう時の寅さんはカッコいいです。

相手に深く立ち入ることもなく、そっと寄り添って
同じ空気の中に佇んでいる。
そんな感じがします。


別れ際、渡船に乗る寅さんと女性が互いに名乗り合います。
二度と会うことことはない。ひとときの出逢い。
瀬戸内海の波光、夏の陽射し。
高羽カメラマンが捉えた、美しい日本の風景。
山本直純さんによる短いけれども印象的な「旅のテーマ」
ぼくたちは、こうしたシーンに「男はつらいよ」の世界を感じて、
とても暖かい気持ちになります。



「会ってやれよこんな広い世の中にたった二人っきりの姉弟じゃねえか。
会いたくねえわけがねえよ、な?」



弟が急死したことを聞かされます・・・


幼い時の弟のイメージしかないふみに、運転手人や工場の仲間である吉田たちから
亡くなった時の状況、人柄が語られ、映画には登場しない、ふみの弟、英男という人が見えてくるのです。
やがて英男が結婚の約束を交わしていた娘・信子がふみに挨拶をします。

この一連のシーンは弟・英男の生きた証をふみが実感する、
悲しいけれども、美しい心が感じられる名場面です。



「でもあの子可哀想やねえ、恋人に死なれて、これからどないするんやろ」

「今は悲しいだろうけどさ、ね、月日が経ちゃあ、ね、どんどん忘れていくもんなんだよ
 忘れるってのは本当にいいことだなぁ」



初音礼子さんのプロフィール

宝塚歌劇団 初音麗子 男役として雪組の組長







第28作 寅次郎紙風船


帰去来

山門は我が産土
雲騰る南風のまほら
飛ばまし、今一度
筑紫よ、かく呼べば
戀ほしよ潮の落差
火照沈む夕日の潟
盲ふるに、早やもこの眼
見ざらむ、また葦かび
籠飼や水かげろふ
帰らなむ、いざ、鵲
かの空や櫨のたむろ
故郷やそのかの子ら
皆老いて遠きに
何ぞ寄る童ごころ

常三郎の部屋の白秋の詩 = 山田監督の父親の部屋にあった白秋の詩


柴又駅前での二人の別れは渥美清さん、音無美紀子さんのキャラクターの掘り下げのうまさと、
山田監督の見事な演出で名シーンとなりました。

果たして、光枝は寅さんのことをどう思ってるのか?
観る人によって、さまざまな解釈があると思います。


これもまた「男はつらいよ」の楽しみなのです。

高校生の時はさっぱりわからず、大人になってからわかったことですが・・・






第29作 寅次郎あじさいの恋


この回のタイトルバックは、変則的です。
主題歌の一番が終わっての間奏が、新たに作曲されて
新たに作曲されて、そこに寅さんの旅の絵描きの芝居が入るのです。

場所は長野県大町市の木崎湖

寅さんが柴又へのはがきを書いています。
ところが懐かしいという漢字を書けずに、
近くにいた画家のおじさんに訊ねます。
演じているのは劇団民藝のベテラン田口精一さんです。

問わず語りに寅さんがとらやのこと、さくらのことを話します。

旅先で寅さんが柴又のことを語る場面、
僕は大好きです。
帰ればいつもけんかになってしまうのですが、
「ふるさとは遠くにありて想うもの」
でもあり、故郷と家族を想う、その望郷の念がしみじみ伝わってきます。

おじさんに「ほうどこなんだ?君の故郷は?」と、問われ

「東京は葛飾柴又、江戸川のほとりよ」

と答えたところで主題歌が続いていくのです。

何度観ても、聞いても、鳥肌が立つほど「いいなぁ」と思います。






男はつらいよの主題歌でのあの印象的なイントロの誕生に触れる。

あのイントロを作曲したのは山本直純さんのお弟子さんの玉木宏樹さん



男はつらいよ主題歌クロニクル

数々の歌詞

第1作 第2作 第3作 第4作 第5作 第7作 

第17作〜第19作


この主題歌遍歴のページうまくまとまっている。






第30作 花も嵐も寅次郎


夢のシーンで歌うのは「SCANDAL!!」
1983年「JULIE SONG CALENDER」
に収録された、微々杏里さんが作詞、沢田さんが作曲。
微々杏里さんとは女優の藤真利子さんのペンネーム。


「吹けば飛ぶよな男だが」 女装の蛾次郎さん。


人見明さんの詳細な履歴、説明






第31作 旅と女と寅次郎



「あ、思い出した!
去年、岐阜の千日劇場、あそこの前でトウモロコシ焼いていたろう?」


ステージのスクリーンに倍賞千恵子さんの「下町の太陽」が映されている時
とある女性歌手が「誰?この可愛いい女優さん」と、都はるみさんに聞きました。
するとはるみさん
「知らないの?さくらさんよ」

ぼくは聞くともなくこの会話を耳にして、
ああ、京はるみさん、柴又のことを忘れてないんだなあと、
感無量でした。







第32作 口笛を吹く寅次郎



門前の寅さん習わぬ経を読む



旅先の寅さんが三年前に亡くなった博の父の墓参りに
菩提寺の蓮台寺を訪れます。

寅さんは墓前で

「博はちゃんとやってるからな、
さくらとも仲良くやってるし、何の心配もいらねえよ」


と、報告します。

第1作 第8作 第22作 での博の父と寅さんの交流を観てきた観客にとっては
しみじみと味わい深い名場面です。

一人で映画館の暗闇に座っていても、映画が始まると劇場全部に「寅さん」を愉しむ連帯感が生まれ
物語を共有し、ともに笑い、ともに泣いて、それを至福のときと感じていました。


冒頭とラストに登場する、レオナルド熊さん扮する季節労働者の父親エピソードに、
第8作「寅次郎恋歌」でひょう一郎が語った「りんどうの花」が投影されていて、
それが深い感動に繋がるのです。






第33作 夜霧にむせぶ寅次郎


「幸せな恋もあれば、不幸せになる恋だってあるでしょ。
不幸せになることがわかっていながら、どうしょうもなかったのね、風子さんは。
でも、大丈夫よ、あの娘は」


夢の中で


マキノ佐代子さんの黄色いドレス = ハイビスカスの花のラストでリリーが着ていた黄色いドレス。



登との再会

「女将さん、登のことお願いいたします。」

道中ご無事に親分さん」

中川加奈さんの毅然とした芝居







第34作 寅次郎真実一路


花にたとえりゃ 薄紫のコスモスよ




柴又銀行 = さくら


真実 諦めただ一人

真実一路の旅を行く

真実一路の旅なれど

真実鈴振り 思ひ出す


健吉が見失っていたと思い込んでいた故郷のコスモスは、
妻のふじ子であり、息子と3人のかけがえのない日常だったと気づいたことを
感じ取ることができます。



山田監督は、
健吉の足取りを追うふじ子と寅さんの旅を通して、
美しい故郷の山や河に立ち戻った健吉の魂が浄化されていくプロセスを
観客に体感させてくれます。
夫が見たであろう風景を見つめることでふじ子は、
次第に自分の真実を見い出していったのではないかと、
「寅次郎真実一路」の幸福なラストシーンを見るたびにぼくの心も浄化されるのです。






第35作 寅次郎恋愛塾


君がため 春の野に出でて若菜つむ わが衣でに雪は降りつつ」


若菜が民夫と結ばれることは、
天涯孤独となった彼女に家族ができること。
誰にでもできるささやかな幸せです。


一人暮らしのハマおばちゃんは、
寅さんとポンシュウと三人で楽しい夜を過ごします。
飲むほどに酔うほどに陽気になるポンシュウは、三門忠司さんの
「片恋酒」を唄って踊ります。月明かりに映るポンシュウのシルエットは、
天使のような無垢さ神々しさすら感じます。


墓堀りのあと にぎりめしを出されて・・・


ポンシュウ「うめえなあぁ」

寅さん「働いた後だからな、労働者というのは、毎日うまい飯食ってるのかもしれねえな」







第36作 柴又より愛をこめて

From Shibamata With Love


結婚したものの、「愛ってなんだろう」
と迷う二十四歳のあけみ。
独身のまま今日まで来てしまった真知子先生。
そして寅さん。

さまざまな世代がさまざまな立場で
愛について悩み、そして人生を歩んで行く姿がこの「柴又より愛をこめて」に込められています。
明るい笑いの中に見え隠れする、人生の屈託、喜び、

ぼくは「ああいい映画だなぁ、この映画を大事にしたい、それがファンていうものよ」

と、寅さんのように思うのです。

佐藤さん、ナイス


身につまされることとおかしいことが同居している。
それが「男はつらいよ」の世界でもあります。




夢のシーン 

NASAの基地のような


羽田空港の管制塔レーダーの夜明けのショットを撮影

迫力あるシーンとなった









第7章  昭和61年〜平成7年(第37作〜特別編)


幸福の青い鳥


すまけいさんの詳細な説明




実現しなかった夢

脚本 第2稿

鉄道官舎での機関士の寅が家に帰って来る。

さくらが待っていて「お嫁さん」が決まったのよと寅さんを案内する。



岡本茉利さんが志保美悦子さんになってしまったが
寅さんがこれまで旅先で触れ合ってきた別の人の娘さんというニュアンスで味わえば良いのでは・・・


そうは言っても岡本茉利さんを思うと割り切れないのが私の心理、ファンの心理。





第38作 知床慕情



淡路惠子さん。

「渥美ちゃんの映画(父子草)で引退して
渥美ちゃんの映画で復帰したの」


寅さんは3年に一度ずつゆっくりと歳を重ねてゆく


この「
跡取り見習い」は、見事に失敗するわけです。

笑いましたこの表現^^


「うちはいらないからね」

さくらの気持ち






第39作 寅次郎物語


「寅次郎物語」には「人はなんのために生きているのか?」

という人生の大命題への明快な答えがあります。


旅の中で行きずりで出会った隆子というマドンナが
寅さんと秀吉との出会いによって癒されていく、いわば再生の物語です。


寅さんは「大丈夫だよ、まだ若いんだし、な。これからいい事いっぱい待ってるよ、な」

これは「男はつらいよ」の本質であり、車寅次郎の「相手を思う性質」なのです。
男はつらいよを観て、いいなぁと思うのはこうした心が浄化されていくような台詞や
、状況、気持ちにふれるからなんです。


隆子「生きていてよかった・・・」

ふで「生きていて良かった、と・・・」


寅「ああ、生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃないか
そのために人間生きてんじゃないのか」



このことばに、ぼくたちが生きている理由、
「男はつらいよ」を観続けている理由、車寅次郎という人のことを大好きな理由、
そのすべてがあります。
「男はつらいよ」シリーズを観ること「寅さん」を思うこと、それは「ああ、生まれてきて良かったな」って
思うことでもあるのです。


これからもぼくたちが生きていくには、あまりにもつらいこと、悲しいこと
理不尽なことがあると思います。

それでも、ぼくたちには「男はつらいよ」があり、いくつもの「生きていて良かったと思える瞬間」
を映画の中で味わうことができるのです。


だからこそ、今日も、明日も、明後日も、
「大丈夫だよ。これからいいことが、いっぱい待ってるよ」なのです。


この文章は「寅次郎物語」の存在意義の中核を言い切っている。






第40年 寅次郎サラダ記念日


雲白く 遊子悲しむ


「この病院はあなたを必要としている、それが何よりも大事な事で
あなたが抱えている問題などはたいしたことじゃない。
子供と会いたければ呼び寄せればいい。
そうやって苦しみながらですね、
この土地で医者を続けていくことが、自分の人生だってことに、
あなた、どうして確信がもてないんですか」

真知子が抱えている悩みを承知の上で、明快にこう言うのです。

寅さんが満男に
「自分の頭でキチンと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかな
、と考えることができるんだ」と言った言葉と、

この院長のことばが呼応します。

しかも、院長は現場で日々闘っている人です。
理屈だけじゃなくて「行動の人」です。
同時に、真知子先生に惚れていることもあるのですが。


時が来て、遊子は旅に出るだけです。





第41作 寅次郎心の旅路

ヘルマンの愛の力 パッション


さくらは博の乗った京成線に飛び乗ります=×

さくらは博を追いかけ
博を押すように一緒に京成線に飛び乗ります。=○



九州の父親に会いに行く泉の新幹線に
飛び乗る満男

さくら譲りのパッション

誰にも一度は訪れる奇跡の瞬間



淡路惠子さんの追悼を詳細に書かれていた。




第42作 ぼくの伯父さん


「な、考えてみろ、
田舎から出てきて、タコの経営する
自分を醜いと知った人間は決してもう醜くねえって。な。
 考えてみろ、田舎から出てきてタコの経営する印刷工場で働いていた おまえの親父が
3年間、じーっとさくらに恋をして何を悩んでいたか、
今のお前と変わらないと思うぞ。
そんな親父をおまえ、不潔だと思うか」


当事の山田監督曰く

「吉岡君がいいんだよ」

「とても良くなってきたんだ。」



「どげんしなさったと?」

青春よ


寅さんの成熟↓

「私は甥の満男は間違ったことをしていないと思います。
慣れない土地へ来て、寂しい思いをしているお嬢さんを慰めようと
、両親にも内緒で、はるばるオートバイでやって来た満男を、私は
むしろ良くやったと褒めてやりたいと思います」


「はやいとこ、この土地の言葉覚えて、良い友達を作んな、よかか?」

「よか」






第43作 寅次郎の休日



発車のベルが鳴ります。
ドアが閉まろうとしたその瞬間、
満男は思わず新幹線に乗り込みます。
驚く泉はあっけにとられています。


この満男の行動は
第1作で博を追いかけて
京成電鉄に飛び乗ったさくらと同じです。

この母にしてこの息子あり です。


「伯父さんは幸せだと思っていたとしても
お母さんの目から見て不幸せだとすればぢっちが正しいのだろうか」

この満男のことばに、寅さんはなんと答えるでしょうか?

「天に軌道のあるごとく、人それぞれに生まれ持った運命があります」

とは、啖呵バイの口上ですが


幸せとはことほど左様に、人それぞれなんです。




三崎千恵子さんがこのころお亡くなりになったので
三崎千恵子さんの詳細なプロフィールあり



    
「ぼくの伯父さん」のワンシーン
    





第44作 寅次郎の告白



「手の届かない女の人には夢中になるんだけど
その人が伯父さんのことを好きになるとあわてて逃げ出すんだよ」


鳥取駅で二人を見送った寅さんは
いつもより一層、孤独の影を感じさせてくれます。
駅の近くの旅館で「部屋空いてるかい?」と寅さんが聞くと、
女中さんに「満室なんです」と断られてしまいます。


こうしたショットに、旅先の寅さんの孤独を見るのです。

佐藤さんはこのなにげないシーンを大事にする。
「男はつらいよ」はこのような「間奏」にこそ
味わい深さが存在する。





第45作  寅次郎の青春


「お姐さん、その男この俺じゃ駄目かな」
と、カッコ良く 言い放ちます。
「まあいいさ、ちょいとだけ良い男ぶらせてくれよ」
この時の渥美さん  本当にダンディです。



「失恋しない寅さんなんて」とシリーズ中期はそういうファンも多く
それを映画評にしている評論家もいました。

寅さんの愚かしきことの数々を笑うことが、シリーズ初期の
「男はつらいよ」の楽しみ方でした。

リアルタイムでは確かにそうだったかもしれません。

しかし全48作品を1つの長い物語として味わうことができる現在、
車寅次郎と言う人の「恋」を発端にした「幸福について」をテーマに
1作1作が丁寧に紡ぎ出された作品であることを
みなさんすぐに気づかれると思います。

車寅次郎という人の「相手の幸せを考えることが自分の幸せ」という「生き方」に
触れることができるのが、観客の幸せでもあります。



まさにその通り!
この映画はある意味進化し、変貌し、
それはその時その時の観客の要望でもあったわけだ。






第46作  寅次郎の縁談


瀬戸内の島繋がりの話題


第32作「口笛を吹く寅次郎」もラストで因島大橋の近くで、
寅さんはかつて吉備路で出会ったレオナルド熊さん扮する労務者と幼子と再会します。

母を失った女の子を不憫に思っていた寅さんは、
因島大橋工事の飯場の女性(あき竹城)が女の子の新しい母親に
なったことを知ります。

ラスト、物干しにはためく、親子三人の洗濯物のショットに、
第八作「寅次郎恋歌」の「りんどうの花」が庭先に咲いている
本当の人の暮らしを感じることが出来るのです。

佐藤さんの名文。




「両親の心配をよそに、この孤島で可愛い娘さんと歌を唄っていたか。
さぞかし気が晴れただろうな」




「故郷を思うこと」がそれまでの寅さんの人生だったとすれば
その「故郷に帰ること」もまた寅さんの人生になったのです。

れは確かに「変節」かもしれませんが、
作り手、演者、そして観客がその「変化」を望み、
ゆっくりと重ねていった時間の中で、寅さんも映画も
「成長」していったのだと思います。
かつてのアウトローがヒーローとなっていった
「男はつらいよ」シリーズというのは、実に魅力的なのです。

この映画は観客、ファンと一緒に
成長していったことはリアルタイムで毎年体験した私にとっても頷けることだ。
初期は初期、中期は中期、満男シリーズは満男シリーズだ。




第47作「拝啓車寅次郎様」


佐藤さんはこの47作の時大船撮影所のセットにも行かれ
いろいろなことを目撃されている。

このことは、男はつらいよ研究においてとても重要な証言になって行くだろう。


この作品の劇場用パンフレット制作を担当していたゆえに
山田監督にインタビューの文字校正をお願いしに行ったのだった。

その時のさまざまな感動、感激を詳細に書かれている。




ああ、自分は「男はつらいよ」の現場にいるんだなあという感激を
しみじみ噛み締めていました。





第29作「あじさいの恋」で
かがりと寅さんの別れを見つめていた小学生の満男は、
寅さんに「燃えるような恋をしろ」と檄を飛ばされるようになったんぽです。

歳を重ねていくうちに、寅さんや満男、観客に流れた時間を考えると
ここにも感慨があります。
変わっていくもの、変わらないもの。
それがフィルムの中に刻まれているのです。






第48作 寅次郎紅の花


佐藤さんがただ一度だけ 松竹本社の地下の試写室で観た作品。


「苦労したんだなあ ご苦労さまでした」

第1作「さくら、苦労かけたなぁ、ご苦労さん」


第1作で妹さくらへかけた言葉が、第48作では被災地の人々への
、そしてニッポンの皆さんへ向けての「ご苦労さまでした」となっているような
気がしています。


平成7年 松竹試写室

「男が女を送るって時はな、その女の家の玄関まで送るってことよ」

この台詞に万感の想いを抱きました。






ハイビスカスの花 特別篇



「伯父さんはどうしているだろう」


最後、出張から帰った満男が、帝釈天参道のくるまやに
立ち寄るショット。

店員の三平ちゃんと佳代ちゃんが、満男を出迎えます。
変わらない日常がさりげなく描かれます。
三平ちゃんが満男に「ご苦労さま」と声をかけます。
ここでも「ご苦労さま」なのです。

やがて参道を家路につく満男を捉えたキャメラが参道の
上空に上がっていきます。
便後屋と挨拶を交わす満男。
カラスの鳴き声、そして源ちゃんが撞いてるであろう鐘の音が
聞こえてきます。
キャメラが帝釈天の山門である二天門を捉えたあたりで、
ワンフレーズ「男はつらいよ」のモチーフが流れるのです。

この作品の冒頭と最後の撮影部分は、いわば額縁なのですが
このシーンは、山田監督渾身の名場面です。



寅さんは今でも旅の空で、変わらず元気にやってるのだと
思っています。





エピローグ


拝啓 みんなの寅さん リスナーの皆さまへ

と、長く続いたラジオ番組の最後の挨拶をされている。





終章 お帰り寅さん


長い映画史の中で、これほど観客の主観に訴えるシリーズはなかったと思います。
懐かしの映画の主人公としてではなく、まるで自分の家族のように「寅さんを想う」その体験を
提供してくれる作品なのです。


山田監督は「みんなの寅さん」を令和のスクリーンに連れて帰ってきてくれたのです。
そこで「寅さん」の物語は、観客であるわれわれが「語り継いでいく物語」なのだと、
エンディングに流れる渥美清さんの歌声に包まれながら、
万感の想いとともに実感することができるのです。





あとがき


この「あとがき」の中に

私や私の友人である小手寅さん、寅福さん、ちびとらさんの名前も
こう紹介してくださっている。↓


「巻末のデータベースのロケ地は
『寅さん』研究での盟友・吉川孝昭さんと、寅福さん、ちびとらさん、小手寅さん、たちが
長年、現地を訪ね歩いて、映画に記録された撮影地を特定されたものです。
在野の専門家の地道な研究の成果です。
ありがとうございます。」


そして巻末に


みんなの寅さん データベース


これはかなり膨大で、かつ精巧。40ページに渡って文字がビッシリ!!
後々の研究にこのデータベースが役立つのは間違いないだろう。

ある意味「男はつらいよ」の研究に
一番役立つであろうページはこのデータベースなのだろう。
特に「
キャスト」と「ロケ地」は松竹公式ページに記載されていないものが多く
私も監修を手伝った「講談社のロケ地本」でもなかなか全ては記載できなかったが
その後の7年で私や友人によって判明した多くのロケ地が今回はかなり入っている。

キャストも端役の方々の名前が大部屋の方々も含め、ほぼ完全に記載されている。
特に朝日印刷の工員や台詞がほとんどない大部屋俳優は調べることが困難で
かつ、作品ごとに変わる。
私のサイトなどにも端役のキャストのことはそこそこ書かれているので
かなり役立ったとは思うが、それ以上にちょっとした役まで詳細に書かれてある。
佐藤さん、よくぞここまで詳細に調べられた。素晴らしい。
今後の研究の上で大いに役に立つだろう。


まさに珠玉の「キャスト」と「ロケ地」である。



最後のページで


協力者たちが30人以上書かれているが
私(吉川孝昭)の名前や友人の名前も書かれている。

そして、私たちのWEBサイト↓も書いてくださっているのは嬉しい。


吉川孝昭
ちびとら
福井茂夫(寅福)
江見潮(小手寅)




WEBサイト

男はつらいよ覚え書きノート
ちびとらの寅さんロケ地の旅
男はつらいよ 飛耳長目録
潮Gの車中DEロケ地旅




以上、ここまでが「みんなの寅さんfrom1969」の感想でした。




最後に、ちょっと・・・

この本に書かれている部分で、佐藤さんの大きな仕事と言えば、もちろん震災の年に始まって、5年半701回続いた
文化放送の「みんなの寅さん」が確かに影響力のあるもの凄く大きな仕事だと言われるのかもしれない。
社会にダイレクトに与えた影響としてはその通りだとも思う。

一番上にも何度も書いたが、実はその数年前に2008年からCS衛星劇場「私の寅さん」で、
佐藤さんは、2年間の長きにわたって「男はつらいよ」の数々のスタッフやキャストに
本質的な内容のロングインタビューをしていったのだ。
彼のあの腰が入った強い踏み込みによる濃密な仕事も、誰もできない佐藤さんならではの
偉大な仕事だったと今でもしみじみ思う。
山田監督へのインタビューにしても、
NHKの「100年インタビュー」よりCS衛星劇場での佐藤さんと山田監督のやり取りのほうが
山田監督がそれまで言わなかった隠された本質的な会話が多く、
その美しくも緊張感のあるキャッチボールを見ながら心が心底震えた記憶がある。
インタビュー番組はホスト役の長年培ってきたその分野の懐によって黄金にもなるし鉛にもなるのだ。



私もかつて自分のサイトでこのことは紹介した↓
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi24.html#391



■あのCS衛星劇場での数々のインタビューの仕事、
■寅次郎音楽旅の4つのCD、
■そして5年半701回続いた文化放送ラジオ「みんなの寅さん」シリーズ。これにより寅さんファンが激増した。
■そしてその文化放送「みんなの寅さん」や新聞掲載を総まとめにしたこの「みんなの寅さんfrom1969」の刊行

佐藤さんのこの4つは、男はつらいよ研究物として、ファンたちのバイブルとして、
歴史の長い淘汰にこれからも耐えていくだろう。



     「あじさいの恋」のワンシーン