号外!!
ついに判明!柴又の朝日印刷正面ピンポイント!
今まで不明だった朝日印刷とタコ社長の自宅がようやく物証と共に完全判明しました!!
やはり「とらやさん」の裏手ではなかった!!
10月9日ごろでしたか、私がまだ富山県で展覧会の仕事で超多忙の時、
またもや天才寅福大明神さんからLINEがあった。
あのタコ社長の家が判明しそうだというのだ。(この忙しい時に〜〜(-_-メ))
そもそも、タコ社長の家や朝日印刷は本物の印刷工場を毎回借りて内部ロケをしていた。
大船撮影所の裏手5分位の所にあった『三誠印刷会社』を借りて撮影を長い間続けてきたのだ。
しかし、それは内部撮影のことであって
外からの撮影はほぼなかったと言ってよい。
もちろんとらやの裏ということだから
柴又7丁目なのかもしれないが
外部からの撮影はわずかに第6作「純情編」↓で工場入り口がアップで映るのみである。
第29作「あじさいの恋」では
かがりさんにつけふみを渡された寅がタコ社長の裏手から道へ出て行く様子がロケされている。
これは、実はなんと柴又ロケではなく大船ロケだったのだ!
2010年ごろに大船駅から徒歩圏の、
鎌倉市立大船保育園近くで撮影されたことが寅福さんによって判明した。
ストリートビューではこのアングルになる↓
しかしそれはそうとして・・・
朝日印刷はやはり葛飾区柴又にあってほしいのである。
それでは朝日印刷の柴又ロケはぜんぜんないのかといえば
実は第10作「夢枕」で朝日印刷通用口への路地入り口がロケで映るのだ。
これは実はきちんと帝釈天参道ロケなのである。
ちょうど大和家さんと木屋さんの間の路地がピンポイントロケだったのだ。
しかしどの作品でも朝日印刷自体は、工場正面の引きの構図は映らないのである。
しかし、たった一度だけ
タコ社長の家の様子が引きの構図で行われたことがある。
皮肉にも工場の様子でもなんでもない地上げ屋対策の看板を屋根に掲げるときに映るのである。
工場の中村君が屋根に上がり看板を取り付けているシーン。
これは第40作「サラダ記念日」の前半でタコ社長が地上げ屋に対抗して「この土地は絶対に売りません!」と
気勢をあげるのだった。
その時の映像が下記の数カットだ。↓
さすがにこれだけはっきり家々が映ったら
場所が分かりそうなものだったが、いろいろロケ撮影で「とらや」が使われた裏手など細かく現地で
調べてはみたがどうもこのシーンのような家は柴又にはなさそうだった。
それで私も私の寅友たちも寅福さんもこれはあの毎度の「大船トリック」だと思いこんでいた。
結果的になぜ柴又で見つからなかったかと言うと、今、こうして判明してから思えば・・・だが、
今から10数年ほど前に大きなマンションが建設された結果
このピンポイントの家々がそのマンションの敷地からしか見ることができなくなったせいなのだ。
それゆえこのあたりの家々は玄関の方からは人が見ることができるが
このような後ろのほうはもう誰も見ることができなくなったと言うことだ。
一般公道からは立ち入れなくなってしまったゆえにストリートビューだけでなく
私が足で歩いても分からなかったわけだ。
それから・・・もう何年経っただろうか・・・
今年の10月9日ごろ上記のごとくLINEがあり、見つかりそうだ!とのこと
10月12日に東京に戻った私は翌13日に寅福さんと柴又で落ち合い現場に向かった。
そもそもなぜ寅福さんが柴又のここだと判明できたかというと
この建物を見つけられたからなのだ。
それもストリートビューが入りこめない場所にもかかわらず見つけられたのは
寅福さんがグーグルアースの立体地図を駆使した結果だったのだ。
彼は大船もかなりくまなく探されて駄目だったので
もう一度初心に帰って柴又をグーグルアースで探されたのだった。
たとえストリートビューが入っていない路地や空間であっても
このようにグーグルアースを上手に使いこなせればこのように↓特徴的なビルの発見に至るわけだ。
この2つのビルは20メートル以上離れているが重なって見えた場合
背丈が高い後ろの肌色ビルがくっついて見えるのである。(寅福さんの画像より拝借)
寅福さんにそう言われて、自分の家のバルコニーから覗いてみると、しっかりといろいろな目印や撮影場所などが目に入ってきた。
私の家のそばだったのだ。
本編で見えていたあの茶色の建物は現在も健在。屋上に作られた不思議な小部屋も全く同じ!
その横の窓の形も側面の柵も配管も同じ!
そして向こうに見る肌色のビルの斜めのラインも同じ!物証だらけ。
この時点で100パーセントピンポイント決定。
こうやって、やや斜めから見ると茶色のビルと肌色のビルはそこそこ離れていることがわかる。↓
茶色ビルの後ろにあの斜め傾斜のある肌色のビルが見える。
吉川材木店の店のビルでした^^ 吉川さんのプライベートな自宅は実は私のマンションの横にあるのです。
そして話は戻って
10月13日に2人で現場調査
なんとなんと公道からはこの家々はほぼわからない状態なのだ。
マンションに囲まれてしまって家の前に行けない。
映画当時は裏からでも出入りできたのだろうが、このマンションがギリギリの敷地にできてからは
その当該家の人たちも参道からの路地を伝って表の玄関からのみ出入りしているもよう。
だから、グーグルアースがなかったら絶望だった。
このように↓どこもかも3つのカメラ位置とも道から遠いのでストリートビューは無理なのだ。
ピンク色は工場の中村君が屋根の上に座っていたピンポイント。
赤丸はそれぞれのカメラ位置
これで見ると山田組御用達の木屋さんの裏がタコ社長の青い屋根の家だったことがわかる!
そうなのだあの看板を掲げていた屋根は木屋さんの裏の彼らの住宅施設だったのだ!
ロケ撮影をし続けたとらやさんの裏手ではなかった!!
映画の設定的には木屋さんこそが寅の育った「とらや(くるまや)」なのだ。
つまり映画の本来の設定に忠実に従った結果ということだ。
さすが山田組!!木屋さんにこだわるね〜〜〜。
特にこの第40作「サラダ記念日」の撮影前に帝釈天参道の店の屋号のことで
山田組にとって悲しいできごとがおこってしまったので、
実際のロケで木屋さんの裏に朝日印刷の存在をしっかり位置づけ、ここは絶対に売りません!と
言い切ることによって、拝金主義を咎め、それと同時に
映画の「とらや(くるまや)」は木屋さんが真のモデルなんだと主張したかったのかもしれない。
なんて・・・今振り返ってそんなことも思ってしまうのである。
そういう意味でも今回は意義のある大きな発見だったと思うのである。
そこでピンポイントの前にあるマンションの管理人さんに事情を話し、
お願いして許可を取り敷地の中から撮影させていただいた。
■特別に許可されましたゆえに入り撮影できました。無許可では決して敷地内には入れません。
それらの写真がこれである↓(とあるマンション敷地内からの撮影)
これ以上右寄りからの撮影はマンションの壁や天井が障害になってできない。
左のビルは窓と柵がどんぴしゃ!!
これが最後の決め手になった!!煙突は左に移動して入るが形はどんぴしゃ!!
この画像から再度考察すると、
四角いビルの方は映画撮影当時は煙突の下はただの焼却小屋があっただけだったが
現在は煙突の敷地に洗濯物干し場が作られ、
煙突の位置は2メートルほど移動したがタコ社長の家も左隣の四角い鉄筋の建物も今もしっかり残っている!!
もちろん映画の当該シーンはもっと右からの撮影だが、
上にも書いたが、カメラがマンションの駐車場の中に入りこんでしまうので、
やむなくこの横の空間から一脚を使って高い位置から撮影した。
https://youtu.be/om5dfCkdI3o 動画
マンションの右の外側の路地からもかなり斜めではあるが撮影は可能。
しかし、ストリートビューはこんな路地には来ないのである。
この社長たちが立っている家の下の空き地は
今は大きなマンションの敷地に入ってしまっている。つまり、ギリギリでマンションが建っているのだ。
さて、次に・・・・
この高い屋根からの撮影は普通は無理なのであるが・・・・
かなり遠くの柴又街道沿いの駐車場からではあるが
1脚を2つ繋いで3メートルの高さから撮影を試みたのがこの画像。↓
タコ社長の屋根 手前の白いビルと煙突 そして向こうに見える茶色と肌色のビル!
向こうのビルの窓のデザイン、配管、形、同じまま。
手前の煙突は洗濯干し場ができたときに位置がずれている。
ちょっと後ろからのアングル
実は・・・・・
その直前のカット。私の部屋が見えているのだ!
これは現在の『やぶ忠さんの裏のビル』からの撮影の可能性が強い。
私の部屋のバルコニーからの眺め。ここからもポイントがいろいろ見える。
最初の発見に繋がる目印になった特徴的な2つのビル。
私のマンションが本編で映った時の
カメラ位置であるやぶ忠さんの裏手ビル。 スカイツリーも見える。
当事の航空写真の緑の丸と横の空き地(タコたちが立っていたのがこの空き地)は
上にも書いたが、大きなマンションになってしまっている。↓(左下の昔の航空写真は寅福さんの画像から拝借。)
赤丸がカメラ位置。ピンク丸が工場の中村君がいたタコ社長の家兼朝日印刷工場。
その後いつもの江戸川土手下、川甚の道向こうにある「菜花」で寅福さんと二人で食事と歓談(*^.^*)
寅福さんはシャイなのでちょっとだけお顔をぼかしました(;^_^A
朝日印刷の場所が分かって本当に良かったよかった。^^
寅福さんの当該記事URL
https://love.ap.teacup.com/torafuku/217.html
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