アーカイブ
龍野ロケ地調査 全制覇 編 (2012年〜2013年)
播州龍野 全ロケ地制覇 序章 続編 最終編 エピローグ
私のサイトはPC専用で、
スマートフォーンには対応していませんので
スマートフォーンで読まれる方は文字がガタガタになることをご了承下さい。
お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年4月14日 寅次郎な日々 その517 播州龍野 全ロケ地制覇 序章 豪腕小手寅さんとめぐる春の龍野 (注意)今回のコラムは長いです。全部読むのに40分はかかります^^;ヾ 2012年4月14日 寅次郎な日々 その517 播州龍野 全ロケ地制覇 序章 豪腕小手寅さんとめぐる春の龍野 2012年 春 前回京都ロケ地をたっぷり回ったが、実はあの次の次の日、 今度は播州龍野へも行ったのだ。 京都にわが友カケちゃんがいるように、 播州龍野にも親友『小手寅さん』がいる。 本州西部関西以西に関していえば、行かれたロケ地では、どんな細かい部分も見落とされずに もめぐられている。 めぐるだけではなく、次にめぐる人のために詳細な記録や位置もしっかり書きとめていらっしゃる。 東にちびとらさんや寅福さんがおられ、 西には小手寅さんがいらっしゃる。 私の友人は実に心強い達人たちだ。 私のサイトのリンクのページにも小手寅さんのサイトは貼ってある さて、この日 2012年春分の日の播州龍野は暖かくて快晴。 まずこの写真をみていただきたい。 この写真は2012年3月20日 午後4時半すぎ 夕暮れ時に あの有名なロケ地で、 私たちと一緒に龍野をめぐってくださったこれまた親友の 神戸の寅ヴィックさんのタイマーで撮影したものだ。 左から私、真ん中が小手寅さん、右が須磨からわざわざご一緒してくれた寅ヴィックさん。 そう。この場所は第17作「夕焼け小焼け」のラスト。 「ぼたん!東京どっち!?」の高羽アングル^^ 午前中から全てのロケ地をめぐり、 そしていくつかの奇跡を生み出したあとの 自信^^;にあふれる3人の表情。 龍野の名士、小手寅さんは、水戸黄門さんのように お忍びで案内してくださっているので 話し合って一応そのつどぼかしをかけることにした(^^)ヾ OPの海辺ロケから始まり、 小さな場所、一瞬の短いショット、 当事者インタビュー、 そしてラストのあの山の上からの俯瞰、 そしてなんと、このあと ロケ地に建つ意外なギャラリー喫茶にも出会うのです。 一日ですべて踏破した男たちの達成感のある顔だ。 それでは、始まり〜。 まずは、朝9時、 須磨にお住まいの寅ヴィックさんと須磨駅前で待ち合わせをして一路龍野へ。 寅ヴィックさんは毎夜、自宅の白壁に寅さんを100インチほどに映し出しながら寝るという日々を もう何年も続けていらっしゃる、本物の「寅さん依存症^^;」の寅キチさん。 龍野も一度、ご家族で行かれている。 今回は、私が彼の愛車ジャガーに乗せていただき、龍野ロケ地めぐりをご一緒していただいた。 さすがジャガー。高速を使うと55分であっという間に着いてしまう。 そして、小手寅さんと龍野観光駐車場で合流。 この日は「雛流し」の行事があったので、 車が駐車場に入れなかったら困ると思われ なんと何十分も前からずっと駐車場の場所取りを してくださっていたということ。 なんと、心優しい・・・。ありがとうございます!! そして・・・ おもむろに彼が私と寅ヴィックさんのために車から持ってこられたのは例の! あの手作り非売品の 龍野ロケ地めぐりパーフェクトガイドブックだったのだ! ここに龍野のすべてのロケ地とそのシーンが載っている。 嬉しい(T T) ありがとうございます!! で、出発! まずは 小手寅さんの車に乗って オープニングに出てくる。 ジョーズの夢からさめた寅が小魚に指をかまれる あの漁港に向かう。 あそこは町中からちょっと遠いので 半分諦めていたが 小手寅さんは迷うことなく 颯爽と車を飛ばしてくれました(〜〜) 何と心強い&楽しちゃってすみません(^^;)ヾ やって来た〜! 御津(みつ)町岩見漁港です。 日本で最初にこの場所を発見したのはもちろん小手寅さん。 現場に着くなり さすがにお二人とも高羽アングルに沿って 早速ピンポイント攻撃していた。 ここは龍野の町から真南に下った漁港 たつの市御津町岩見1370 付近 倉庫や家は変わっても裏山の形でロケ地は探せる。 寅が釣りをしていた付近。↓ 小手寅さんと酒井さん そしてカメラが引いて タイトルが出る直前のシーン↓ 左の小屋は取り壊されてもう無い。 山の形や海から突き出ている鉄の杭が今も一緒。 石で組んだ防波堤も今も健在! 手前の電柱や向こうの小屋はもうない。 この海岸は僕と寅ヴィックさんで探したら間違いなく 午前中から探しても一日中かかっていた。 ロケ地めぐりの鉄人小手寅さんのおかげだm(_ _)m さて、先はまだまだ長い。 20分ほど取材して 次ぎのロケ地 あのポスター制作&広告スチール撮影にだけ使われた ぼたんと寅が日傘で相合い傘しているあのたんぼの田舎道! あそこに連れていってくださるということです! これまた楽しいお話をしているうちに、 あのスチール写真撮影が行われた たつの市揖西(いっさい)町の佐江地区に 10分ほどで着いてしまいました。 佐江公民館から南へ300メートル、本道から外れた真南の道。 この場所は小手寅さんのご友人が奇跡的に撮影時のことを 覚えていらっしゃって、教えてくれたそうです。 車を降りると、道は舗装されているけれど 山の形やおおよその雰囲気は今も同じ! あの撮影の頃はちょうど地道から アスファルトを敷こうとしている途中だったそうです。 なるほど、それでああいう道だったんだ… こて寅さんに寅さんを 寅ヴィックさんにぼたんを演じてもらい 私が、写真に簡単な傘の絵を描いてみた。 これは決まった! 高羽アングル&山田演出^^ 山がまったく同じ!! 2013年いちごさんと小手寅さんで。 2013年 同日 いちごさんと酒井さんで。 蘇りますね〜〜〜。 う~~ン楽しい^0^ 寅と青観再会の『清江橋』(^^)/へGO 清江橋は、 さきほどのスチール撮影のたんぼ道と同じエリア。 あそこから直線で北上する。 たつの市揖西町清水地区に架かっている小さな橋。 清水地区と佐江地区を結ぶ橋なので『清江橋』 オレンジ色が「清江橋」 赤色がぼたんと寅の日傘ツーショット。 寅がちんたらこの橋を渡っている最中に、 青観を乗せた龍野市役所観光課の車が通るのです。 車、クラクション ビッビー! 課長「何やあの男」 青観、寅を見て驚く 車が止まって、 課長「もう一回鳴らして」 ビッビー!! 寅、歩いて車の位置まで戻ってきて 寅「なんだこの野郎、人のケツからブーブーブーブー」 というシーン ここでは寅ヴィックさんに、寅になってもらい 橋を渡っていただいた。 今度は小手寅さんにお願いした↓ ここで、青観と合流して、 古い町並が見える揖保川の西側。 文化保存地区あたりを車は通って行く。 (揖保川の東側は普通の市街地なのでロケは ほとんんど行われていない) さて・・・ 小手寅さんの車は、この橋のあと、 元の駐車場に停め。 ここからはぶらぶら歩くことになりました。 この駐車場の近くにヒガシマル第2工場があり、 メインのロケ地が密集しているんです。 まず、駐車場に一番近いところから、 第2工場のすぐ北東。徒歩数分。 青観の初恋の人、志乃さんが 青観が乗っている車に手をふり 静かに別れを告げる名シーン! いよいよやって来ましたあの名シーンの場所! 僕はこのシーンが観たいために17作を観るんです。 手を降る志乃さん役は 今度は小手寅さん!^^; もうほんとうにあの第2工場から石を投げたら届くような場所に 志乃さんが花を持って手を降る家があったのだ!。 たつの市龍野町日山330 付近 寅と青観を乗せて走り去る日産セドリック。 手を降りながらいつまでも小さくなっていく車を見つめる志乃さん・・・ こんなひそやかで美しく昇華された愛の交流のシーンは このシリーズで、この場面を置いて他にない。 この別れの前の晩、 あんなに気丈夫に青観に自分の人生観を語った志乃さん。 しかし、それでも、もう一目、もう一目でいいから 彼のあの姿を、あの表情を、あの目を、 胸に焼き付けたかったのだろう。 もう二度と会うことはない二人なのだから。 青春の哀しくもせつない思い出が 長い歳月を経た後に ほんの一瞬彼女の前に鮮やかに蘇り、 初夏の風とともに過ぎ去っていった・・・。 彼女の人生もいつの日か終わり、 青観の人生も終わりを告げる。 それでも青観が青春のすべてをかけて渾身の想いで彼女を描いた絵は 残り続ける。 ここにこのふたりの救いがあると思いたい。 そのことは、 人生の全てを絵だけに賭けてしまった孤独な青観の、 生きた確かな証であり、 そこに絵を描く人間としての冥利がある。 そして志乃さんが手をふっていた場所と 同じエリアの日山地区にあるのが この作品のメインロケ地 ■ ぼたんの家とその前の路地だ。 ひぐらしがカナカナと鳴いているなか、 ぼたんの家の路地にたどり着く寅。 ちょうど、折りしも、ぼたんが下駄を川の水で 洗いに外に出たところに出くわす。 キャンデーを捨てて、そっと足音を忍ばせてぼたんに近寄る寅 そっと忍び寄り 背中を指で軽く突付く。 振り返るぼたん ぼたん「……」 遠くで『金魚〜え〜、金魚〜』 寅、あらぬほうを見て、知らん顔 そのあと、ぼたんを見て、手で敬礼 寅「オス!」 ぼたん「いや〜…、寅さんやないの…」 寅「ニカッ」と笑う 三味線が ペンペンペンペンペンペンペンペン ぼたん、上から下まで見て、 ぼたん「なんでえ…?」と感動している。 寅「決まってるじゃねえかよ。」 寅「おまえさんと所帯を持とうと思って やって来たんだよ。」 寅「イッヒヒヒ」 たつの市龍野町日山367 付近 赤が志乃さんが青観に手を振っていた場所 ピンクがぼたんの家(青は山下洋館) 黄緑がラストで寅が東京に向かって手を合わせる場所 路地の雰囲気はすっかり変わってしまったが、 ぼたんが下駄を洗っていた あの場所や石垣や、ぼたんの家は、今も現役で健在だった。 先ほど同様 ぼたんを寅ヴィックさんに、 寅を小手寅さんに演じていただきました。 ぼたんの家の屋根瓦やトタンもまだ現役。屋根の形は少し変わったが あの当事とまったく同じ。 追記: 小手寅さんが2021年6月28日に撮影↓ 追記: 2021年6月現在 空き家になりましたので 再度2021年のぼたんの家を掲載します。 ↑の現在の、手前右のブロック塀の場所に 「夏休みのくらし」を書いた 黒板がかつて吊るしてあったわけだ。 本編と見比べると分かりますが屋根が換えられてしますね。↓↓ ■追記: 2021年現在 空き家になっているので、再度家屋の写真を添付いたしますね^^ さて 今度はぼたんの家から路地を通して道の方を見るアングル。 これも本編で2回出てくる。↓ ぼたんが歩いている背中に洋館が見える。 左側には「ビクターの犬」の置物。 たぶんレコード店か電気店だったと小手寅さんは言われた。 路地の雰囲気は片方の土壁の家があとかたもなく 壊されてしまったことでなくなったが↓ 道向こうの洋館は色を塗り替えて今も健在。 なんでも「山下洋館」って言うとか・・ 山下洋館の場所からぼたんの家を見るとこうなる↓ このラストシーン、 ここから劇的なラストを迎える。 寅は青観の心に感動し、 ぼたんの家を飛び出して路地を駆け抜け、 ヒガシマル第2工場の道に出て 路地を駆け抜け道に出る。 そこはもちろんあの道! 「東京どっちだ!」の道! ちょうど、僕が写真を撮っている位置あたりが 寅が手を合わせていた場所だろう。 路地から出ておろおろする寅。 「ぼたん!東京どっちだ!」 ↓の地図の黄緑の場所。ピンクは、ぼたんの家 たつの市龍野町日山382 付近 こんな立て札が!^^↓ そのまま体を反転させて見るとこうなる↓ ヒガシマル第2工場。 左側にかつて工場があった。 本編では下の画像のように おなじみ装飾の露木さんがエキストラ^^ 今は普通の大きな民家。 右側の大きな家は2012年の今も健在! 赤が志乃さんが青観に手を振っていた場所 ピンクがぼたんの家(青は山下洋館) 黄緑がラストで寅が東京に向かって手を合わせる場所 このあたりはどれでもすぐ近く。 いや〜〜〜しかし さすがロケ地の宝庫播州龍野。 おそるべきロケ地数・・・ 小手寅さんはこれまた徒歩圏の 梅玉旅館近くのちょっとしたロケ地を案内してくれた。 小さな一瞬のロケ地もたくさん教えてくれたのだ。 菊屋商店 角の橋 たつの市龍野町本町30 付近 これは寅が梅玉旅館初日に バカ騒ぎをして眠りこけている朝に この梅玉旅館の近く、菊屋商店角 小さな「あいおい橋」を 龍野高校の女子学生が 自転車で通学している風景描写。 赤丸ポストはなくなって、 小さな四角いポストが申し分けなさそうに ちょっと離れた川沿いに設置されていた。 ちなみに龍野高校は 小手寅さんの奥様やお嬢様が通われた高校^^ 旧制中学の流れをくむ伝統のある高校です。 略称は「龍高」(たっこう) あの龍野ゆかりの三木露風もここに通った。 そういえば・・・ 上の「あいおい橋」の四つ角、 当然すぐ向こうは「梅玉旅館」なので・・・ 後に梅玉旅館を寅と青観が発つその間際、 寅へのお土産の「もろみ」を持ってぼたんがこの四つ角付近から 梅玉旅館へ向かって走ってきた^^ そしてぼたんからお土産をもらって 駅に向かって出発した寅や青観を乗せたセドリックは この四つ角を左に曲がっていくのだった。 その車を追いかけて ぼたんは、この四つ角近くまで走って行く。 左角の特徴ある家は今も同じ! 青く囲ったところは梅玉旅館付近。 赤は朝の龍野高校の自転車シーン 黄緑はラスト付近で氷を切っている場所。 小さなロケ地 「あいおい橋」付近にほのぼのしたあとは 今度はとって返して、雄大なロケ地。 ぶらぶらと 揖保川の龍野橋へ。 ここの橋では3つのシーン 一つはラスト近く揖保川で水遊びをする子供たち (↓の続編では写真添付あり) 二つめは、そのシーンの直後、 傷心のぼたんを慰めるために 龍野を訪れる寅。この橋の中ほどで アイスキャンディを買う。 ちょうど小手寅さんが立っている場所あたりが 寅がアイスキャンディを買った場所。↓ 三つ目は物語中盤 龍野橋のたもとにセドリックを止めて 「鶏籠山(けいろうざん)」をアピールする観光課長とやる気がない寅。 最初に桜井さんが立ったのは橋の角の交通安全のポールの左側。 桜井さんの背中アップが見えて 「ここから見える鶏籠山が一番美しいと言われています」はポールの右側!! まずは@の場所に立つ。 その後Aの位置になって、 「ここから見える鶏籠山が一番美しいと言われています」と芝居をする。 と、思っていたが・・・ 実は↓↓ 2022年再調査 追記 訂正↓ 2022年、春、 桜井さんと寺尾さんの演技は すべて@の方で行われたことを友人たちと確認しました。 Aではなかったということです。 これは@の場所↓ 現在の龍野橋から見た鶏籠山の雰囲気は こうなっています↓ 当たり前だが山は一緒。変わりはない。 これはAの場所↓ 追記(↑参照)で書いたが @もAも同じ場所だったことが判明!! 全て@の場所での演技だった。 「ここから見える鶏籠山が一番美しいと言われています」と芝居をする。 このAではなかった。すべて@での撮影だった。 今も残るあの交通安全のモニュメント。 なんでしょねあれ? ライオンズクラブのマークが入っているので 寄付されたものかも。 その横の電柱ポールも同じ。 追記: 2014年 朝日新聞の小泉編集委員さんがわざわざ大阪本社から来て下さいました^^ 本編同様の黒塗りの車でしたので、本編のように停めていただきました↓↓ そして、今も同じようにあのお店のような役場のような 妙〜〜〜に気になる建物が存在する。 現在は何かランチなどを提供する店のようだ。 音楽や演劇、教室のチラシも貼ってあるので そのような催し物もするのかも知れない。 この「ガレリア」という館はいったい何だろう?? たつの市龍野町富永1439 付近 赤が鶏籠山がきれいに見える龍野橋東詰めガレリアの前。 黄緑がラスト付近で寅がアイスキャンディを買った龍野橋の場所。 ドア越しに「ガレリア」の中を覗いて見ると なにやら、昔の役所のようなものを改造して お店を開いている感じだ。 ピンポイントロケ地であることのご縁があるので 入って見たい気もするが かなり先を急ぐ旅の途中・・・ またできればあとで・・・ということで。 僕らはあの不思議な店に後ろ髪を引かれながらも 橋を戻っていきました。 特に僕がなぜだか妙に後ろ髪をひかれていた。 なぜだろう・・・ 名前は「ガレリア」 たぶんイタリア語だと思うが・・・ サブタイトルが 「アーツ &ティー」 気になる・・・ この「ガレリア」はこの旅の最後に もう一度ご縁が繋がることとなることを この時は知る由もなかった。 よしロケ地めぐり、半分まで来たぞ!! さて ロケ地めぐりの続き。 龍野橋で、しばしたたずんだ後はまたまったり歩きながら町の中に戻っていった。 そんなに歩かないで着いたのは「龍野公民館」。 さてここはどのようなロケ地でしょうか?^^ ↓ たつの市龍野町立町68 付近です。 ここは、実は映画で「龍野市役所」に使われた建物だったのです。 本当の市役所は揖保川の東側である市街地にあるのだが それでは風情がないと思ったのかもしれない。 この西側地区にある公民館を使ったのだった。 と言っても、映画ではほとんど全望は映らず、わずかに「龍野市役所」の文字が見えるだけ。 ただし、前の民家はバッチリ映ります。 それゆえ、ここが公民館であることがわかったのだ。 右の民家は黒田さん。 現在はおみやげ物などを商っているようだ。↓ この3月20日は祝日だったので公民館は閉まっていた。 昔駐車場だったところの外に扉ができていた。 一応駐車場の中に入れたので、3人でうろうろしてはみた。 映画では、ここでも、 セドリックの扉が開く時、見物人やスタッフが映っていた^^;↓ まあ公共施設と言うのは昔からこんなもの。 赤が公民館。 ピンクがおばあさんが雨戸を開ける「晴風」 黄緑が「特報」の中で寅がアイスキャンディをほおばる場所(本編では龍野橋) 青が芸者さんたちが夕暮れ時に歩いているのを映しているカメラの場所。 芸者さんたちは如来寺のそばを歩いている。 水色は裁判所前(検察庁) 緑は青観が見ていた龍野小学校の校庭からの眺め。保育園の真向い。 茶色は青観が散歩していたお城の横「霞城館」の場所。 オレンジも青観が散歩していた「旧脇坂屋敷」「カトリック教会」の場所 そそくさと次ぎに行こう! そこからもう少しまた歩いて 区に着いた。 ここは僕が前前から行きたかったロケ地。 別に何がおこったと言うロケ地ではないのですが 夕暮れ時、たつの芸者さんたちが梅玉旅館にでかける 趣のあるシーン。 あ〜〜、龍野だな〜〜って思える風景なんだよね、 このシーンは。 如来寺の大きな屋根と鐘楼が見える。 たつの市龍野町上川原116 地図は上に記した青の場所。↑ なんとこの場所は、事前の宣伝「特報」で 寅がアイスキャンディを食べている場所でもあるのだ!! 本編にない映像なので特ダネでしょ(^^)↓ アイス売ってるおじさんも本編と服装が違う!凝ってる〜〜♪ 寅がアイスをほおばってるのは地図の黄緑の場所。↓「晴風」のそば。 さて、このあともうひとつ もうすぐ近く 小さな小さな、しかし風情のあるロケ地を小手寅さんは紹介してくれた。 朝の龍野風景です。 この店は「淡口しょうゆ饅頭」で有名な「晴風」というお饅頭屋さんです。 答え: 実はこのシーンは、 このあたりの道沿いは古い町家が今も残っている。 ちょうど赤い線で記した部分が車が走っていた区域。 「にせ山崎街道」を堪能したあとは、とって返して また、南へ違う道を戻って行った。 ↑にも出てきました「如来寺」の裏北、 文化資料館別館を通り過ぎていくと お城への坂を緩やかに登って行く。 このお城への坂の突き当りに 「地方裁判所の支部」が見える。 「裁判所」に聞き覚えありませんか? 実はあの観光課長さんが眠りこける寅の横で この正面に見える裁判所のことを言っているのだ。 「突き当たりが裁判所で、左が小学校です。 青観先生もここの卒業〜〜〜はあああ(あくび)失礼…」 たつの市龍野町上霞城101−3付近 真正面に検察庁、裁判所が見えます↓ 現在の検察庁、裁判所はこう↓ 突き当たりが検察庁および裁判所、 突き当たって右がお城 突き当たって左に行くと青観の出た小学校。 この坂を寅たちの車は登って行った。 で、検察庁、裁判所を左に曲がっていったシーンもあります↓ この、検察庁、裁判所を左に曲がってすぐの 突き当たりの家は今も面影を残している↓ 石垣は今も同じ。 この家の正面玄関の植木は ちょっとだけ上に成長したようだ^^ 玄関の引き戸はよく見ると今も同じ。 水色で記したのが裁判所の前を通った上のシーン 青観も卒業した龍野小学校。 校庭向こうの家にまだ面影が残る。(この校庭写真は小手寅さんが撮られたもの) 青観は懐かしげに校庭を眺めていた。 上の地図↑の緑が青観が立っていた校庭脇の位置。校舎の真横、保育園の真向かい。 たつの市龍野町上霞城86 付近 保育園の真ん前 左に校舎が少し見えるくらいの位置。 このあたりは寅を乗せた車の中から見えるロケ地。 こういうなにげないロケ地を めぐるのもなかなか味わい深いものだ。 ちなみに映画では映らないが 上に書いたように、 裁判所の前を右に行きますとご覧のようにお城↓文化資料館が中にある。 信州から来られた脇坂氏のお城。龍野藩5万石。 脇坂氏のご先祖様はあの「賤ヶ岳七本鎗」の一人。 豊臣方だったため、江戸時代は外様だったのを 努力の末途中から譜代に昇格させたお家。 後には幕府老中も2人出た。 そういえば、観光課長が 三木露風の家と言われる場所は実は複数あるらしい。
露風が5歳まで両親とくらした生家は幼稚園の坂を上がりきった左の角の白壁の家(検察庁の斜め前)。 写真にも焼板の部分とか、白壁が写っているらしい。お城から下って正面の家。 最近たつの市が生家を買い取り今後の活用を考えているところだそうだ。この家が有名。 おそらく観光課長が寅を連れて行ったのはこちらのほうだろう↓ また、龍野城の坂から降りた正面の家も
小手寅さんと相談して、 たつの市龍野町中霞城202 付近
赤が志乃さんの家があった場所
さて食事をした龍野公園から町中に降りていった。 十文字川沿いを歩いていくと・・・あの場所^^ 午前中に梅玉旅館のそばまできて、 小さなロケ地をめぐったが、 今度は「梅玉旅館」そのものに逆方向から やって来た。 龍野ロケでは、あまりにも有名なロケ地。 たつの市龍野町本町5 付近 寅が「しかし 龍野じゃなあ・・・」と懐かしげに回想するあの梅玉旅館。 塀の上の泥棒よけは当時と今も同じ(^^;) 本編でも 川の中から撮影↓ 道からの入り口が変わってしまっていたが、 古いほうの入り口も健在。↓ (これは寅ヴィックさんのお写真^^↓) 女将さんがいろいろ説明してくださった。 小手寅さんは、梅玉旅館のロビーに入ったことがない。 と言われるので、 「ここまで来たら入ってみましょう」と僕が言って 本来は3人とも人見知りなんだが、おそるおそる 引き戸を開けてロビーに入ってみた。 ロビーに入ると 白髪の紳士さんがいらっしゃり、 ロケのことをおそるおそるお聞きすると とても気さくにいろんなことを説明してくださった。 彼こそは、第17作本編でも出演されていた あのご主人の山本さんだったのだ。↓ 今は息子さんが跡を継いでおられるが、 撮影当事はバリバリの現役の老舗旅館ご主人で いろいろお世話をなさったとのこと。 ↓ ロケはなんと一週間も行われ、 キャストさんたちも渥美さんや太地喜和子さんはこの 梅玉旅館をとても気に入り、旅館のみなさんと 仲よくなられたそうだ。 宇野さんや岡田さんはお年でしたので、 あまり騒がれない 静かな別の旅館で滞在されていたとのこと。 また青観の姓が 「池ノ内」とつけられたのは、隣の市 「相生市」の 「池ノ内町」からヒントを得たそうだ。 本編では青観が取材された雑誌を博が読んでいる シーンが出てきますがそこには「池ノ内」と 書かれているので相生市の「池ノ内」なんだねきっと。 相生市でお生まれになった小手寅さんはこの事実に とても感銘を受けられたようだった。 後日、小手寅さんは、 お車で相生市の池ノ内まで 確認に行っておられるくらいだ。 「池ノ内」を信号機の表示に確認! また、もうひとつ、梅玉のご主人から新事実が語られた! 太地喜和子さんがポスター撮影で使った あの着物と帯と日傘。 てっきり松竹が大船から持ってきたのだと 思い込んでいたら なんとなんと 梅玉のご主人の奥様の着物と帯と日傘を 太地喜和子さんに撮影用にお貸ししたということだった!! 太地さんもスタッフさんたちも 大変気に入ってらっしゃったということだ。 で、せっかくなので それ以降ショーケースに入れてお客さんに見てもらっているのだそうだ^^↓ おお!ほんとだ!ぼたんの着物と帯と傘だ!! 置物の横に台本も飾ってあった。 なんとこれが第一稿!。 第17作「夕焼け小焼け」の準備稿や第一稿は タイトルが「柴又の伊達男」と言って、 「寅次郎夕焼け小焼け」ではないのだ。 これは私も知っていて、 実は、昨年1月に銀座の松竹大谷図書館で発見した。 全作品の準備稿と第1稿を調べていて気づき、驚いていたのだった。 この龍野ロケがあまりにも美しく撮れたので タイトルも龍野にちなんで変更されたとのこと。 しかし、まあ、 こんなところにも第一稿が置いてあるんだね...。 この長いシリーズの中でも この第17作だけがそのように 途中でタイトルが変わっている。 そういう希少価値という意味でも重要なもの。 その他、ショーケースの中には渥美さんからの お礼状のハガキもあった(カラーコピー) 文字が妙に美しかったので、 奥様か誰かが代筆されたんですねきっと^^ 当事のロケの様子を撮影したお写真も額に入れて 飾られていた。 ただ、ガラスに入っていないのでだいぶ変色してはた。 ネガはあるのでしょうか? と僕が聞きましたら 写真屋さんに撮らせたのです。とおっしゃった。 ネガはどちらがもっていらっしゃるのだろうか? 保存は大丈夫なんだろうか? 当時、それこそ滞在中は町中大騒ぎで ロケがあるたびに、 大勢のギャラリーが集まったそうだ。 とても満足した僕たちは丁寧にお礼を言って 次の機会には宿泊か食事をさせていただきますと 約束し、おいとまをした。 梅玉には食事する場所もあるので食事だけしてもいいと思う。 お食事処は「片シボ」と言う。 龍野にしかない天然記念物の「片しぼ竹」に 由来した名前だそうだ。 1000円〜2000円内で大体のご膳は食べれる。 あ〜、満足した^^ さて、ロケ地めぐりの続き。 ああ! そういえば、 お昼ごはんを食べる前に 青観が立ち寄った志乃さんの家を見たが、 その直前に青観が立ち寄っていたお城の近くの「霞城館」も 案内してくださった。 ちょうどあの裁判所や小学校のすぐ北。 おっとお城の角の石垣の上に 映画撮影当事はなかった見張り用の小天守ができている! たつの市龍野町上霞城11 付近 青観の歩いたまま カトリック教会がそばにある旧脇坂邸の道にも立ち寄った。 たつの市龍野町中霞城118 付近 赤が公民館。 ピンクがおばあさんが雨戸を開ける「晴風」 黄緑が「特報」の中で寅がアイスキャンディをほおばる場所(本編では龍野橋) 青が芸者さんたちが夕暮れ時に歩いているのを映しているカメラの場所。 芸者さんたちは如来寺のそばを歩いている。 水色は裁判所前(検察庁) 緑は青観が見ていた龍野小学校の校庭からの眺め。保育園の真ん前。 茶色は青観が散歩していたお城の横「霞城館」の場所。 オレンジも青観が散歩していた「旧脇坂屋敷」「カトリック教会」の場所 で、さっきの梅玉旅館を、おいとましたあとの続き、 で、6分ほどで丘の上の「赤とんぼ荘」に着いた。 さて、大満足で僕らは「赤とんぼ荘」を後にし、 おそるおそる、「ここは飲食できますか」と聞くと。 「いらっしゃいませ。はい、どうぞ」という美声。 とても美しく品のいい松本さんと言うお店のお手伝いの女性が この建物の由来やお店のコンセプトなどの 私の質問に答えてくださった。 松本さんによると、なんとここは、お食事だけでなく「ギャラリー」や「教室」も行っているのだそうだ。 (オーナーの方は井上美佳さんとおっしゃる。 いつもはいらっしゃるらしいがこの時はたまたま外出されていた。 お二人は学生時代の友人だそうだ) なんと、後にオーナーの井上さんとはお電話で何度か会話する事になったのだ。 井上さんもとても気さくで気持ちの優しい方だった。 ガレリアのかたがたは、ここがロケ地だということもよくわかっていらっしゃって、 このような↓資料もお店で作られていた。 さすが〜〜(^^) で、なんと戦前は小さな銀行だったそうだ! 戦後になってしばらくすると、そこの銀行は閉じてしまったとのこと。 その後は、その家の持ち主のおばあさんが 長い間一人で住んでいたそうだ。 そのあとご近所だった井上さんが買い取られて 道向こうで美容院(アポロ美容院)を営んでおられるお兄さんも その隣の家を手直しして「アポロスタジオ」と言うライブを行う場所を 作られたということ。 妹さんが経営しているこのガレリアは カフェ&ランチ。洋楽のライブや アジアの染織工芸や絵画を発表。 アポロスタジオは和のライブ。 そしてガレリアの企画展の際の作家さんの簡易宿泊所。 ということだそうだ。 このお店の風景を見てほしい。↓ 吹き抜けで1階は玄関口にギャラリー、飲食する空間にも 絵が掛けれるようになっている。 二階も素敵な8畳と6畳くらいの和室が二つある。 小手寅さんと寅ヴィックさんも私がこの空間を気に入ったことがわかられたようで ここで「展覧会」をされたらどうですか? みたいな雰囲気になった。 しかし、そうは言われても、龍野は、まあ小さな地方都市だし、 こりゃ赤字かも知れないなあ・・ と思いながら、ちょっと探りをお店の松本さんに入れてみると・・・ 実は・・この「ガレリア」はけっこう知られていて、 姫路や神戸、そして大阪からも 企画展にこられる方も少なくないそうだ。 そして二階の片方にも展示ができるそうだ。 絵画の展示だけなら赤字かも知れないけれど、 染織工芸が中心だったら黒字になるんじゃないだろうか・・ そんなことを私は漠然と考えていた。 小手寅さんは私が沈思黙考する様子をはたで見ながら 「本気ですね^^」なんていうような意味のことをおっしゃっていた。 この内部空間はレトロ&古民家好きの私のツボにはまったのだ。 私の富山の越中八尾のアトリエも築百年の古民家で、吹き抜けがある。 どうです。いい雰囲気でしょう^^ この雰囲気は、なかなかのもの。 二階も展示室になっていて 東南アジアやインドの染織品や洋服などが飾られていた。 私も持っているインドネシアの更紗展の 「岡田コレクション」のカタログなども置いてあった。 企画展の時はこの部屋も使えるらしい。 もう一つの部屋は週に3日〜4日ほど言語のや手仕事などのカルチャー教室が 行われる部屋でここからはあの鶏籠山や揖保川、龍野橋が綺麗に見える。 ここでお茶を飲むことも可能。 じっくり1時間以上くつろがしていただいてお店を後にした。 実にいい空間だった。 ガレリアの中の私。↓この時は来年にここで企画展が実現しようとは夢にも思わなかった。 後日談: その後、オーナーの井上さんと電話やメール、画像資料などのやり取りをし、 来年2013年5月2日から5月14日までの2週間、 この「ガレリア」で絵と染織工芸の展覧会を 企画してくださることに決まったのだ! まさに寅さんのロケ地、それもピンポイントのロケ地で 企画展を開いてくださるなんて夢のようだ。 ご縁があったんだなあ。。。この播州龍野と私は。感慨深い・・・。 で、元の駐車場に戻って小手寅さんといよいよお別れをした。 1日中一生懸命案内してくださったお礼とお会いできた記念に 昨年寅さん記念館で個展を開催した時の小さな水彩画を、 お礼に一枚進呈した。 食卓にいつも飾ってくれているらしい。 小手寅さん、ありがとうございました。 来年5月の企画展の時も いろいろお世話になるかも知れません。 よろしくお願いいたしますm(_ _)m さて、すべてが終わった。 午後6時 小手寅さんとお別れして、 僕らは一路須磨に向かった。 そして須磨駅近くの寅ヴィックさんの家で 少しだけ休憩させていただくことになった。 しっかりしたお兄ちゃん大河君と 可愛い絵を描くのが大好きな弟さん大和君。 そして優しくて美人な奥様の4人家族。 来年くらいまでは名古屋出張で、 土日だけ須磨のご自宅で過ごされるそうだ。 30分ほどの休憩のつもりが2時間もおじゃまし、 おまけに夕食までご馳走になってしまった。 寅ヴィックさん、そして奥様 ありがとうございましたm(_ _)m 長い長い「龍野ロケ地めぐり日記」はこれで終わり。 最後までお付き合いくださった方々へ感謝です! エピローグ 追伸 その後、小手寅さんから連絡があった。 この旅で解明できなかった、風景がある。 本編、龍野シーンのオープニングに出てくる龍野の風景描写。 あの場所をつい先日、小手寅さんは探し当てられたのだった。 もうここまでくると神技としか言いようがない。さすが地元だ。動物的簡勘が働くのだろう。 ■小手寅さんのリニューアルしたロケ地サイト せっかくなので、取り急ぎ、このサイトでも画像で紹介しておきましょう(^^) 龍野シーンのオープニング。黄菖蒲咲く龍野風景 (後日訂正が入り、新発見の場所が見つかる)下の「続編」に記載。 小手寅さんは山の形からきっかけを探されていく。 佐江地区の集落 (後日訂正が入り、新発見の場所が見つかる)下の「続編」に記載。 山と家の関係を微調整して行くと、 ピンポイント、撮影のカメラ位置としてはここらへん。 ただし人の私有地ゆえに許可が必要です。 この場所の記事は↓の「続編」に記載。 小手寅さんによると、これらの風景は、 実はあのぼたんと寅の日傘ツーショットが撮影された場所から目と鼻の先らしい。 あの寅と青観が再会する「清江橋」からも近い。 後年追記: 正しい地図の位置。↓(詳細は『続編』に記載) 2つの風景描写のカメラ位置は↓↓ 航空写真では↓↓ ということで、龍野ロケ地完全制覇 序章でした! アーカイブは このまま 族編 ↓↓に続く。 |
↓
お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2013年6月18日 寅次郎な日々 その549 播州龍野 未踏峰ロケ地 完全制覇 続編 これまでに登頂されて来なかった龍野ロケ地を まとめてみよう。 龍野は名作第17作「夕焼け小焼け」のメインロケ地だけあって かなりのシーン数になるおおよそ数えただけでも30シーンはあるのだ。 私のいつもお世話になっている龍野在住の小手寅さんが 大事な名場面は数年前にすでに全て事前に 調査してくださっていた。 それゆえ私も昨年龍野を訪れた際にメインの場所は 小手寅さんの案内で回らさせていただいたのだ。 しかし、龍野はまだまだ奥が深い。 まだまだそれでも救いきれないロケ地やB班が独自撮影した風景ロケ地があるのだ。 以下未踏峰をまずはおさらいしてみよう。↓ @ 龍野導入部分の最初のカット。 寅友の小手寅さんもなかなかピンポイントで 探せないでいた場所。 今回初登頂!成功! A その直後のカット。 これも山の形や家々などで判断するしかない 非常に難しいカット。一度発見したと思われたが、今回訂正!!新発見!! 今回初登頂!成功! ちなみに、 @とAが映った直後、車の中の青観たちの姿が 入り込む。その時の車窓風景があるが これは私が乗り込む前に小手寅さんがピンポイントで落城させてくださっていた。 B そして清江橋で寅を拾い、車は龍野の町の中に 入っていくのだ。 その時のカット。 ここは意外にも難攻不落の場所なのだ。 今回初登頂!成功! C ドンちゃん騒ぎの翌朝、寅は無理やり観光課の案内で 町を連れ回される。 その時の車窓風景の中で、「門の外 地区」が映った直後の 3〜4秒のカット。この数秒もなかなか難攻不落だった。 今回初登頂!成功! D 2日目のドンちゃん騒ぎの直前の夕焼け。 この屋根と向こうの丘だけしか映らないカットは ロケ地としてはギリギリで、これ以上アップで撮られると もうそれはロケ地映像ではなくなってしまう。 このぜったい無理だと思われていた場所も 私たちは落城させたのだった。 今回初登頂!成功! E そして、最後にてこずったのがこのカット。 志乃さんが手を振るあのシーンの直前のカット。 ほんの数秒。 どこかわからないのだ。 しかし、残り滞在時間をあと数時間残すところで なんとか龍野の全ロケシーンを完全解明した。 今回初登頂!成功! F この子供たちの水浴びシーンは もちろんガレリア近くの揖保川川原なのだが 今までに誰一人ピンポイントでその場に立った人はいない。 実際今回ピンポイントの場所を特定するために川原を歩いたが 結構時間がかかった。 今回初登頂!成功! これから何回かに別けて 以上7ヶ所の初登頂記録を書いていきたい。 さて、まず大きな発見その@ あの龍野導入部分の風景。 私は最強のメンバーである小手寅さん、ちびとらさんと3人で探索。 龍野は全員昨年も来ているし、地元の小手寅さんの事前調査などもあって 揖西町エリアだと言うことは山の見え方である程度見当は付く。 で、事前に地元龍野の住民である小手寅さんが見つけてくださった場所を まずはあたってみるが、どうもギリギリでしっくりこない。 3人で聞き込みをしているうちに大きな目印が今も残っていることがわかっていった。 実は、映画で映っているこの赤丸の家ね。↓ これがなんとまだ残ってたのだ。 でも、新築の家が前に建っていて、かなり近づかないと見えて来ない。 だからなかなかわからなかったのだ。 近くの農家の方に聞いてこの建物だけが残っていること がわかったのだ。 三村さんの家。 そしてその家の方、三村さんに直々お聞きして映画のあの赤丸の家と 同じ家であることが確定。 家のそばまで行ってその家の方に確認。 今も変わること無く同じ形でお住まいになっておられたのだ。 そして映画のカメラの方向に徐々に離れて行ってみる↓ ちょうどピンポイントだと思われる場所まで後ろに下がって行き、 そこにある家の方々に取材敢行! 出羽さんとおっしゃる家で、まさしくこの出羽さんの納屋の塀から撮ったものだった。 大きくはみ出ていた柿の木は、数日後に今度は京都から来られた寅増さんと 出羽さんの納屋を再訪した際に、数年前におじいさんが柿の木を切られたと証言。 そして、その木は茂みに今も残っていた!確かな物証。 寅増さんが指差すのが映画で映っていたあの柿の木の枝の部分。↓ ↓写真の右の壁を見ていただきたい。 上の納屋の白壁がまだ残り ラインも残っている。 この下の部分も トタンがはがれている部分を覗くと 黒い板塀がまだしっかりあった! そして前の家の鬼瓦が今も一緒! 黄菖蒲が咲いていたのは黄色で囲った部分だと思われる。↓ このあと小手寅さんから、あの出羽さんの家の庭に5月末に菖蒲が咲いていたとの吉報が入った^^ それも映画と同じ黄菖蒲だったのだ。 この写真は小手寅さんが今年5月終わりに撮られたもの。↓ あの家も写っている。 ということで たつの市揖西町前地206 出羽邸の納屋前 で決定! 難攻不落の場所に登頂!
この緑の屋根が見える風景のピンポイントは 下のページ↓↓の最終編に記載 アーカイブは このまま 更なる族編 ↓↓に続く。 |
↓
お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2013年7月25日 寅次郎な日々 その552 播州龍野 超マニアックロケ地完全制覇 最終章 ■基本的、代表的な龍野のロケ地は昨年にめぐり終わっている。↓ 2012年 517 豪腕小手寅さんとめぐる播州龍野 全ロケ地制覇! で、今回前半はすでに書いた。 あの黄色い菖蒲風景の直後の緑の家が見える風景も 調査済みだったと書いたが 写真を載せるのを忘れていた。 ここ↓ たつの市揖西町前地 (出羽宅のすぐ東付近) あの黄色い菖蒲のすぐそば、同じ地区。 あの本編で映っている緑の屋根が写真家の竹内一夫氏の家であったことを 覚えていた人が多かったのだ。 ああいう特徴的な屋根がある皆さん覚えているのだろう。 緑の家は向こうの赤で小さく囲った新しい家に生まれ変わっていた。 しかしよく見てみると昔の緑屋根の時と同じ形式で建て替えられている。 手前の大きく映っていた家は 実はこの赤で囲ったまだ新しい家。 僕らの最終決定取材中に 小手寅さんがその朝事前朝取材した時にお世話になった方が たまたま車で通りかかって「場所見つかってよかったですね」 「楽しそうでいいですね」と励ましていかれた。 山と家の関係を微調整して行くと、 ピンポイント、撮影のカメラ位置としてはここらへん。 ただし人の私有地ゆえに許可が必要です。 ■ピンポイントストリートビュー https://goo.gl/maps/BQ2SfKX1JkyubthG9 2つの風景描写のカメラ位置は↓↓ 航空写真では↓↓ さて後編↓ みなさん、このカット覚えておられますか。 第17作「夕焼け小焼け」、寅の龍野滞在二日目の夕方。 『赤とんぼ』が流れる中、夕焼け風景がいくつか映りこむ。 その中のひとつがこのカット。 このカットを特定するのは絶対不可能と言われてきた。 難攻不落の大城 夕闇迫る龍野風景 屋根と丘の上の昔の赤とんぼ荘。 偶然からおこった貴重な証言により落城の瞬間の動画が撮れた↓。 下↓↓に詳細に記載 きわめて偶然に撮影時に店の3階ベランダをお貸しされた証人の奥様と出会い 一気に発見まで至った瞬間映像が下にある↓。 町のハズレにとても魅力的な元質屋さんがあり その家を小手寅さん、寅増さん、僕で眺めていると そこの奥様がたまたま通りかかられて 今は空き家になってしまった当事の質屋さんの 3階ベランダからこの夕焼け風景を撮影したことをおっしゃってくれた。 これはさすがに小手寅、寅増、そして私の3人ともびっくり仰天した。 いきなり偶然に落城!! たつの市龍野町門の外40付近 6メートル上空から動画で撮影した映像から選んだ画像↓2013年9月撮影 動画 http://youtu.be/RtwmW4OoPOo 2012年9月 後に6メートルの竿を使い、動画撮影に成功するのだが それがこの動画。 まずは2つの動画のうち 本家本元の風景撮影の動画から。 撮影成功動画 http://youtu.be/XyqKaSnvanU 動画第2段 見守り隊 動画。 見守り隊 動画 貴重 http://youtu.be/wDwWbJDikRo ちなみに動画の中に映っておられる白いシャツの男性↓は、 この質屋さんの前で理容店を経営されている岩崎さん。 岩崎さんはいろんな助言をしてくださった。 実は岩崎さんもこの第17作のロケ地めぐりが大好きで 個人的にもいろいろ回られている。 龍野はやはり奥深い。 左から岩崎さん 私 小手寅さん 竿を繋いで6メートルに! 【龍野ロケ導入部分の車窓風景】 このような小さなカットはこの龍野ロケにはまだまだ多いのだ。 特に車窓風景が多いのがこの龍野ロケの特徴。 車窓と言えば まず、青観が寅と出会う前の車窓風景。 ここのシーンは事前に小手寅さんが見つけてくださった場所。 小手寅さんさすがにばっちり^^ たつの市揖西町前地137 付近 車窓はここから始まる↓ 向こうに見える山の見え方は撮影から40数年経った今も同じ。 向こうに見える家々にも名残を残しているものもある。 ■この場所の ピンポイントストリートビュー https://goo.gl/maps/V1fd421XisG1tkv56 この家々の前を走るシーンの撮影↓↓は、なんとなんと たった50メートルほどの間で何でも車が繰り返し撮影されているのだ。 このあたりは全て数十メートル範囲で映りこんでいる。 ピンポイントストリートビュー ■https://goo.gl/maps/jmE3aV7weciYxJSD8 説明動画 http://youtu.be/moOFVdlSX0k このあたりは徒歩圏で全部撮影している。 寺尾聡さんが居眠りをするこのシーン車窓風景は、 意外にほとんどのファンの人が行っていないと思います↓↓ ■ピンポイントストリートビュー https://goo.gl/maps/ric2x28874FnKzwU7 徒歩圏ですべて撮影している。 で、その後の小さなロケ地探しが苦戦・・・難しかった。 市役所のセドリックは、そのあと、寅を清江橋のたもとで 拾って、町の中に入っていく。 その、町の入り口付近のカットがこれ。 この場所は・・・・探しても探しても確証が得られないまま 時間が過ぎ去ったが 私の展覧会場のオーナーである井上さんの協力で 思わぬ展開となっていったのだった。 あそこは前日に僕と井上さんが捜しまくって 原田さんと言う井上さんの友人でもある地元の方に 連れて行っていただいた場所なのだ。 原田さんに会えなかったら あそこは見つかっていたかどうか。。。^^;ゞ 動画 蘇るあの時の原田さんの鮮やかな発見↓ http://youtu.be/xY_FreHTM3Y ここの場所で数年前まで 喫茶店を開いていらっしゃったのだ↓ http://youtu.be/rRK0fUgS8CY 最後の詰めの部分は長谷川さんと言われる方の家が 本編に映っていたことだった。 これはもう確実。↓ http://youtu.be/7GqE0ZWLtMI 後日仲間の小手寅さん、寅増さんと3人で最終確認。 http://youtu.be/Azmr674YPoY 今も残る共通箇所 赤い囲み↓ 兵庫県たつの市龍野町日山210の4 付近
さてもうひとつの難攻不落の車窓風景がある。 梅玉旅館で大騒ぎした翌朝、 寅が無理やり車で町を連れ回されるあの車窓風景だ。 龍野でも古くから営業されている「醤油饅頭」で有名な 吾妻堂の女将さんの証言(娘さんが代弁) 菊屋四つ角のある菊屋通り!の可能性が濃厚に! つまり梅玉からもまあまあ近いし、 市役所からも近い。 動画 吾妻堂の女将さんと娘さんには 本当にお世話になりました。m(_ _)m http://youtu.be/ExmT5B08e4E そして、そういう頭で再度本編の当該箇所を 何度か見続けていると、なんと菊屋の看板が映っていたのだ! 金網で仕切られた月極め駐車場が今も健在!↓ 車窓から見えるアパートも看板ははずされているが壁面や間取りが今も同じ↓ 赤で囲んだアパートは富士グローブという手袋工場の工員さんのアパートだったのだ。 今も奇跡的に建物は残っていた。 3人で現場検証 動画 http://youtu.be/B4l5PKrD6Z0 動画 そして、その近くのご近所の竹内さんの証言。 http://youtu.be/YoDWEIiAKPw そしてダメ押しで車窓風景の最後の家が 和菓子屋さんの壁が当事と同じことをつき詰め 完全制覇した。 で、車窓風景動画で再現 菊屋さんの通り 菊屋さんから最後の和菓子屋さんまで 小手寅さんの車で再現。 再現 テイク1 動画 http://youtu.be/mu8tcEWPvYI ちなみに観光課長(桜井センリさん)が青観が絵に描いたと寅に伝えた古い民家はこれ。↓ ちょうど菊屋さんの隣の隣あたり。 当事自賠責保険の取扱書をしていたそうで その看板も画面には映る。 そういうことが聞き込みで分かっていくのはなかなか面白い。 「あ、これ、!この建物は昔青観先生もお描きになってますさかい・・」↓ 車窓はそれ以外でもまだある。 寅と青観が梅玉旅館から出てくるシーンでもいっぱい車窓が映る。 梅玉から一応どのカットも徒歩圏ではあるが 位置はちょっと飛んだりしてはいる。 寅の背後に日山ポンプ倉庫が見える↓ 地図のB番 地図のC番 これは梅玉からほぼ徒歩圏ということもあり、 事前に地元の小手寅さんに見つけていただいていた。 動画 http://youtu.be/Cr8Mo2uuQrg 残す車窓風景ロケ地は車窓の中でも難攻不落だれもお手上げだった 青観が志乃さんを車窓から見つける直前の3秒間の風景。 つまり、上記の日山ポンプから日山ごはんと車が進んでいって 志乃さんの見送る場所へ行くまでの数秒が不明なのである。 志乃さんが花を持って立っていたのは ヒガシマル第2工場の前のあの有名な中原さん宅だが その直前はジグザグに曲がっている。 しかし本編ではまっすぐ走っていて 曲がっていない。 志乃さんの永遠の別れのシーンに 直接繋がる大事な3秒の物語でもとても重要。 青観の眼の色が変わる瞬間の風景でもあるからだ。 先日同様、 もう一度「吾妻堂」さんで聞いてみたが、なかなか心当たりは無いようだった。 そんな時道でお尋ねしたあるご婦人がご親切に、 友人とお二人で、私たちのロケ地探しに1時間もお付き合いしてくださったのだ。 実はあとでわかったことなんだが あの時の青い服を着ておられた富岡さんという方はガレリアの井上さんと仲のいい友人であり、 そしてもう一人の「タル林商店」というお店の奥様は なんとなんと井上さんがずっと僕に会わせたがっていたあの 山田組の照明監督の青木さんとも親交があった伊藤さんと言う方だった。 あちゃ〜〜〜〜。 僕はそんなこと何も知らないものだから あつかましくも一緒に場所を探していただいた。 ガレリアに戻ってから、井上さんに富岡さんとタル林商店さんの 事を話したらびっくりされて 「その人ですよ!伊藤さんは!」って言われた。 それで、僕はすぐに電話していただいて さきほどの失礼とお礼を言ったのだった。 伊藤さん、富岡さんとはそのあともっと仲良くなり 展覧会最終日の午後にいろんな資料を持って ガレリアにきてくださった。 おまけにお二人ともカゴやアクセサリーも買ってくださり まことに恐縮でした。 さて話は戻って ロケ地をあそこでもないここでもないといろいろ探しながら 行く先行く先でこのお二人の人脈を使ってくださり、 徐々に場所特定をしていった。 そしてついに行きついた場所は・・・ なんと山下洋館(ぼたんの家の路地入り口)のまん前!! そう、日山ポンプ、日山食堂と通過してその50メートル向こうの山下洋館。 あの映画の車の順路のままだったのだ! しかしここまで来てはみたものの、実はまだなんの物証も人の確かな証言もまだない。 お二人も含めてみなさんあのあたりだろうと口々に言われるだけだ。 そこで思い切ってお二人は町内のよしみでこの山下洋館のご主人である山下さんを呼んでくださった。 私はもうここが正念場だと思って本編のチャプター写真をすぐさま山下さんにお見せした。 山下さんは、僕らのいきなりの大勢での聞き込みに そしてもっと大きな物証がその夜に本編映像の中から見つかったのである。 この画像見てください。↓ これは雨どいの位置から約1秒後の映像。 この赤い囲み! これはあのビクター犬です! ぼたんの細い路地からも見える 山下さんの横の電気屋さんの端に 置いてあったビクター犬を発見!! そしてこの黄緑色で囲った壁。 まさしく山下洋館ぢゃないですか! 青観の向かって右の背後に『ビクター犬』。 左の背後の電柱から曲がっていく路地の行きつくところは『ぼたんの家』 小手寅さんと翌朝、再度検証。 ちょうどビクター犬が置いてあったところに座っていただいた。↓地図のD番 下の地図の説明 @梅玉旅館を出発 A梅玉の先、菊屋四つ角 B日山ポンプ倉庫 C日山ごはん D山下洋館前 Eぼたんの家 Fラストで寅が樽乗る場所 G志乃さんが手を振る「中原邸」 ちなみにあのビクター犬の電気屋さんは「山本電機」さんで ちょっと今は車で5分のところに引っ越されていた。 昔も今も山本電機さんは 消火器をかなり手広く扱っていらっしゃったということ。 だから青観の背後にも丸い消火器扱い店の看板が見えるのである。↓ 実は・・・ あのビクター犬は柴又にも有る。 帝釈天参道 ちょうど私のマンション下あたりの 細長い骨董屋さん店先においてあるのだ。 ちょと不思議な気分^^ . . 本編ラスト付近 水浴びシーン これは ピンポイントは難しかったが 橋と山との関係でピンポイント到達!! これで龍野ロケ地は車窓風景や僅かな風景描写も含めて 完全制覇したということになります。 ・ . 追記: 小手寅さんが2021年6月28日に撮影↓ アーカイブ 龍野ロケ地調査編 全編 終わり 下の「エピローグ編」に続く↓↓ 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
|
アーカイブ エピローグ編 ↓↓
お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2013年9月26日 寅次郎な日々 その555 特別編 みたびの 播州龍野スケッチ旅行 全日程快晴 2013年の今年、11月末の寅さん記念館での個展と 来年5月のGWに開催する龍野の「ガレリア」個展の2つを兼ねて 今回1週間滞在した。 今回もガレリアの井上さんとお兄さんの若林さんには大変お世話になり本当に感謝! 小手寅さんにも前々回、前回同様いろいろお世話していただき感謝! この龍野滞在は東京からやって来た息子とも合流。 息子の龍太郎は藝大学内での制作発表(展覧会)が今年2013年12月にあるので そのための取材(アニメーション制作) この道も夕暮れ時には観光客も去り、また日常がやって来る。 到着した翌日は「中秋の名月」ガレリアの上にも満月。 今回は 息子と小手寅さんとで 6メートル50センチの棒(竹3本繋ぎ)でミニ三脚とデジカメをくくり付けて 映画とまったく同じ高さから動画撮影をした。 みなさん、このカット覚えておられますか。 第17作「夕焼け小焼け」、寅の龍野滞在二日目の夕方。 『赤とんぼ』が流れる中、夕焼け風景がいくつか映りこむ。 その中のひとつがこのカット。 このカットを特定するのは絶対不可能と言われてきた。 難攻不落の大城 夕闇迫る龍野風景 屋根と丘の上の昔の赤とんぼ荘。 ところが 今年のGWの展覧会滞在時に奇跡的に見つかったのである。 きわめて偶然に撮影時に店の3階ベランダをお貸しされた証人の奥様と出会い 一気に発見まで至った日記を5月にアップしたことはまだ記憶に新しい。 町のハズレにとても魅力的な元質屋さんがあり その家を小手寅さん、寅増さん、僕で眺めていると そこの奥様がたまたま通りかかられて 今は空き家になってしまった当事の質屋さんの 3階ベランダからこの夕焼け風景を撮影したことをおっしゃってくれたのだ。 たつの市龍野町門の外40付近 しかしこの質屋さんの3階は床や階段が崩れ掛けているため、建物にはもう入れない。 そして・・・あれから4ヶ月・・・ 私と小手寅さんと息子で外から上記の6メートル竹に小さな三脚を付け、 一番先にデジカメを差し込む。 二人がかりでそっと持ち上げ、映画本編と同じ高度からの動画撮影を試みたのだ。 まず午後4時にリハーサルを遂行。見事成功! そして夕焼けが出始める頃、撮ったのがこれ↓ 2013年9月20日午後6時05分動画撮影↓ 37年の歳月を飛び越えて見事に同じ風景が蘇ったのだ! 映画本編での映像↓ まずは2つの動画のうち 本家本元の風景撮影の動画から。 撮影成功動画 http://youtu.be/XyqKaSnvanU 動画第2段 見守り隊 動画。 見守り隊 動画 貴重 http://youtu.be/wDwWbJDikRo ちなみに動画の中に映っておられる白いシャツの男性↓は、 この質屋さんの前で理容店を経営されている岩崎さん。 岩崎さんはいろんな助言をしてくださった。 実は岩崎さんもこの第17作のロケ地めぐりが大好きで 個人的にもいろいろ回られている。 龍野はやはり奥深い。 左から岩崎さん 私 小手寅さん 光と影が変化するたびにイメージが変わって行く。息子も精力的にスケッチと撮影。 今回、いろいろガレリアの井上さんの働きかけで、 醤油蔵の中でもめったに人が入れない場所も取材させてもらった。 取材に疲れたら「ガレリア」でランチandアイスコーヒー くららベーカリーのくららさんがやって来た。 この日は暑かったが、でも楽しかったです。 あの第48作「紅の花」で石倉ベーカリー(大助花子さん)がでてくるが、 その石倉ベーカリーとは実はこのくららさん夫妻のこと。 あの映画ではご夫婦でエキストラとしても出演されている。 寅さんがやって来た! 「なんでえ?」 「決まってるじゃないかよ、 おまえと所帯を持つために来たんだよ」 第17作「夕焼け小焼け」参照^^ 神戸の垂水からやって来てくださった「垂水の寅さん」 風のようにさっそうと・・・容子がいいねえ・・ 実は寅さんは上にも書いた私の友人であるくららさん(石倉さん)と一緒にやって来られたのだ。 くららさんのグループはなんと総勢38人!すごい人数です・・・w( ̄▽ ̄;)wワオッ!! 結構大変な1日だったが・・なんだか不思議に楽しい思い出が残っている。 息子も入って記念撮影 全日快晴で、もう朝も昼も夕方もいろいろな光でスケッチができた。 よし!! GWに仲よくなった方々とも次々に再会。 よし!! というわけで大満足の龍野滞在でした。 終り これでアーカイブ 「龍野ロケ地全制覇 完全版」は全て終わりです。 |