お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2016年3月14日 寅次郎な日々 598 第18作「純情詩集」 信州上田、立科、全踏破レポート完結編 &(第40作)真田町も行きました。 先月200万アクセス記念の号外で 第18作「純情詩集」のロケ地動画をアップしたが、 あの2日間のロケ地めぐり全体のレポートは まだ、掲載していなかった。 で、ようやく今回一挙公開してみようと思う。 昨年2015年から信州の地は私にとってぐんと身近になった。 それは「北陸新幹線」の開通が影響している。 地元富山、金沢での展覧会仕事が多い私の場合、 新幹線での途中下車が可能になった信州は 格好のスケッチ場所に変わったのだ。 特に2001年に行って以来気に入っている秋の塩田平は 私のスケッチの常連さんモチーフだ。 今年の秋も東京から富山、金沢での仕事の行き帰りに 合計3回立ち寄り、黄金色に染まった塩田平とその周辺の 山並みをスケッチした。 そして、そのついでに、あの純情詩集のロケ地も 幾度か回っても見た。 そして、その結実が 今回11月初旬に寅さん仲間3人で出かけた このロケ地めぐりの旅である。 寅福さん、ちびとらさん、そして私吉川孝昭の3人。 この3人でもう5〜6回は関東地方を中心にロケ地めぐりをして来た。 寅福さん、ちびとらさんは 日本最高レベルのロケ地めぐりのエキスパートだ。 私の記憶では、この3人をして、一度ロックオンした未踏峰ロケ地を 探せなかったことはほとんどないと思う。 今回の信州上田は未踏峰ロケ地は10箇所以上に及んだ。 その中で最後までてこずり、3週間以上かかったのが 200万アクセス記念で紹介したあの夕暮れの農道を歩く寅の風景である。 それでは、その世紀の「夕暮れ風景発見」の経過も含めて 今回はいつもと趣向を変えて 「純情詩集」の本編の物語順に紹介してみようと思う。 なお、私の寅友で、上田市にご縁がある小関さん、そして越後の滝沢さんには 大きなご助言をいろいろいただきました。 ありがとうございました。 まずはOPの夢の直後 寅は散髪をしてもらっている。 その店の子供が兄を呼ぶあのシーンだ。 「おにいちゃ〜〜〜ん」 これはもう10年以上前に発見した「中塩田駅舎」裏の風景である。 中塩田の駅舎は美しい・・・ こちらは正面から見た写真。 この駅舎正面のすぐ横5メートルに美容院(理容院)があったのだ。もう閉店している。 この店がモデルだったのかもしれない。 さて、本編に入っていこう。 本編では・・・ 寅はとらやの人たちと家庭訪問騒動により喧嘩をし、 柴又を出て行ってしまう。 そして彼の向かった先は信州上田。 まずこの雄大な山のパノラマ↓から信州物語りは始まる。 このシーンの山本直純さん作曲の音楽がなんとも美しい。 みんなで世界初登頂 信州上田ロケのファーストシーンがこのススキのシーン。 全体ではこのように見える。 そしてパノラマ風景が広がる中、寅が歩いていく。 山がこう見えるのは直線ラインで何箇所かある。 おそらくこのカメラ位置(山田池の南60メートル)が一番可能性が高い。 このシーンは建物が一切映っていないのであくまでも100パーセントとは言い難いが まあ、85パーセントこの場所だとは思う。 先ほどのパノラマの撮影位置から徒歩3分。 世界初登頂 このパノラマの位置は別所温泉から車で5分の山田池の南土手下。 実は上田市にご縁がある小関さんのご助言もあって、 数年前2010年ごろからストリートビューで確実には押さえてはいたが ピンポイントは昨年9月のスケッチの際に確定した。 この風景のスケッチは2回描きに行った。そして3回目の訪問はこのロケ地めぐりの日。 その3回とも晴れた日だったが、 このように本編同様にバックの山まですべて見えたのは2回だった。 この地方は雨が比較的少ないが、山がこのようにクリアに見えることは実はさほど多くないのだ。 寅は緩やかに農道を曲がって行く。 当時はこのあたりの道はまだ存在していなくて 地道の農道が細く通っていたようである。 パノラマ動画 https://youtu.be/FvPMnLVeY1U 今回のカメラ位置よりほんのちょっとだけ、 おそらく2〜3メートルほど山田池に近いあぜ道 だと推測できる。現在の道ではこの↓の撮影位置が 最も山の見え方が近いのだ。 寅はやや左に曲がっていくのだが、上右の当時の航空写真で見ると どうも左に曲がっていく道が見当たらない。 おそらくこの黄色矢印のあたりの細いあぜ道があったのだろう。 ■追記 訂正 2022年2月 この山田池土手の映画撮影ポイントは間違っていた! なんと山田池の上からの映画撮影だった!! 映画カメラピンポイントを、ストリートビューで見てみるとこうなった。↓↓ 3つの点の間隔が合致する場所はここ↓ 山田池基本資料 山田池は、貯水量が20万トンを超える大きなため池。 貯水量V=26万トン、堤高H=11m 自然の丘陵地形を利用し谷側を大規模な堤でせき止めた巨大なため池で、 強大な政治力や経済力と農業土木技術の向上により出現できたダム的開発型のため池。 その水源は、別所温泉を流域とする一級河川湯川から導水されている。 1976年の映画撮影当事と現在の航空写真を比較↓ 1976年撮影 現在の航空写真 ついに2015年には家がなくなり更地になった。 5年前の調査と比べてみよう↓ 5年前にあたりを付けた場所からかなり西(徒歩で700mほど)で 山田池を通り越してややそのまた高台からの撮影だったのだ。 寅はこのあと独鈷山の山麓、 古刹『前山寺』に向かう。 長野県上田市にある真言宗智山派の寺院。 812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として 開創山号は獨股山又は独鈷山。 本尊は大日如来。独鈷山の山麓にあり、 塩田城の鬼門に位置する。 寺名は「ぜんざんじ」と呼ばれることもあるが、 正式には「ぜんさんじ」である。 現在は普通の撮影では同じアングルは、塀があって無理。 一脚で2メートル持ち上げるがそれでも方向はずれる。 アンパンを食べる寅。 今はこのようにセンターに手摺りが作られている。 「未完成の完成の塔」と呼ばれる国の重要文化財の三重塔がある。 私が2001年に家族と信濃デッサン館に行った時に、徒歩圏だったので 立ち寄ったがあの素朴な三重塔は確かに美しかった。 普通の三重の塔の二層目から上にもある窓や扉がない。 古来より寺院やシンボルは未完成のままに使うことがある。 あえて未完成にしておいて、焼失のジンクスを避けていたらしい。 上二層は長い胴貫が四方に突き出し、 窓や扉がないので未完成を強く意識させる。 石畳は横幅が石4枚になっていた。 そして塩田平の風景が2カット映し出される。 この風景は2つとも みんなで世界初登頂! まあ遠望でかつ、田んぼと丘しか映っていないので ほぼ特定は不可能と思われたが、 なんとか広大な上田市の盆地を探して探しまくって2週間後見当がついたのだ。 その時の考察が↓の画像。 事前調査の時、寅友のみなさんたちとストリートビューで 2週間探してようやく見つけ出した向こうの丘の稜線。 みんなで世界初登頂 当日そこへ行ってみると、丘の見え方はほぼここなのであるが、やや高さが足らない。 完全なピンポイントは森で覆われてしまっていた。 その手前のやや高度が低い位置から撮影した。 今回の撮影場所は塩田城址入り口付近の道から山田池土手を撮影。 もうひとつのシーンはこれ、 上の風景カットよりさらにヒントがない。 ここも散々探して、2週間ほど後に寅友の越後の滝沢さんにも一緒に探してもらって ようやく探し当てた。 上の風景カメラ位置から車で5分ほど。歩いて20分ほどかな。 まず最初にわかったのは向こうの丘陵のピンポイント。 別所温泉駅の手前の「八木沢駅」付近の家々だった。 なんせ、ヒントになる家もたんぼも変わってしまっているので 大きな単位で森と村の形を探って行くしかなかった。 寅福さんや越後の滝沢さんと粘って考察。ほぼこの場所だと決定。 とそして、わかったのは、向こうに見えているのは塩田平の「八木沢地区」「法輪寺」というお寺 『手前の大きな白い館』はどこを探しても今は見当たらない。 おそらく、ずいぶん前に何らかの理由で壊されてしまったんだろう。 1975年の航空写真でこのエリア一帯を探してくれた滝沢さんからのメール! 私もサイトの航空写真で画像を見てみると 見事にあの大きな建物が見える場所がそこにあった。 みんなで世界初登頂 現地での3人のフィールドワークで、ピンポイントを探っていった。 ちびとらさんのスペシャルな聞きこみの結果あの白い建物は昔【共同稚蚕飼育所】だったそうだ。 そして40年前はこのあたり一帯はこの蚕のための桑畑だったそうだ。 もうずいぶん前から桑畑はなくなり。利益が上がる果実園になっている。 養蚕の時代が終わり、作業所も、桑畑もこの地から姿を消して行った。 映像の範囲はここ。 あの白い建物があった手塚地区は手塚治虫さんのご先祖が住んでいた場所。 先日、NHKの手塚治虫さんのファミリーヒストリーで紹介されてびっくりぽんだった。 黄緑の線は制作当時の高台のカメラ位置と思われる位置。 本編制作当時は見晴らしが良かったので見渡せたのだろう。 現在はどこもかも森になって遠くの風景は見渡せない。 桑畑が見える風景:上田市前山1617 柿の木が見える風景:上田市前山541 寅の啖呵バイが行われる神社が映し出される。 舞田駅の北 徒歩15分 塩野入神社 私が一人で9月末に訪ねた時は、映画同様まさに稲刈りの直後だった w( ̄▽ ̄)wワオッ!!同じ!! ややアップ気味にしてみた。 本来のカメラは田んぼの中からの可能性がある。鳥居が大きく見えるトリミング 雨ごいの祭り「岳(たけ)の幟(のぼり)」の一幕 獅子舞(三頭獅子)が舞われていた場所。 石段は今もまったく同じ。 寅は石段のすぐ横で啖呵バイをしていた。 お風呂、台所用品^^; 映画撮影当時寅の向こうにあった木は現在は切られて、存在していない。 神社全体は映画でのイメージよりこじんまりしている。 寅の背後に見える山々。 当時より枝が伸びて山が見えにくくなっている。 ちょっと踏み込んで撮影してみた。 映画撮影当時の住民さんの雰囲気というか「気」がとてもよい。 現在の同じアングルはこうなっている↓ 鳥居を神社の敷地の中から撮影していた。 現在は、細かった若木もこんなに太く高くなっていた↓ そして夕暮れ時 立科町の田舎の農道を歩く寅。 ここの場所特定はいやはや本当に時間がかかった。 3週間もストリートビューや航空写真で探し、 この最終ロケ地調査の前に、2回も事前に現地に降り立ち、このロケ地を探した。 新発見の立科町牛鹿(うしろく)よりもう少し北歩いて25分の場所。 当初前々から当たりをるけていた東御市八重原地区。 おそらくここだと思って、現地でスケッチまでしたのだった。 山の見え方はほぼ一緒だが、手前が似てるようで似ていない・・・ 東御市八重原地区 結局9月下旬と10月中旬の二回にわたって現地でのスケッチがてら この夕暮れシーンを探し続けた。 しかし、山の形は正解でも、近景がどうも微妙に違う・・・。 そしてあの地蔵さんはストリートビューに引っかかってこないし、 現地で1時間歩いても見つからない・・ 手前のお墓も地蔵さんの向こうにわずかに見える石碑のような大きなものも見つからず・・ 私は、近辺でのスケッチを終えてまた東京へ戻っていったのだ。 その後もストリートビューや航空写真で探してはいたが・・・ 間違いなく山の見え方からして このエリアなのだが・・ とは言え、半径400〜600メートルはほぼ山の見え方が同じなのだ。 そんなある日 寅友の越後の滝沢さんから朗報が入った。 なんとあのお地蔵さんが探していた地区の 約500メートルでストリートビューによって見つかったというのだ!! それがこのストリートビュー↓ まったくぴったり同じ!! 長野県北佐久郡立科町牛鹿1476-1 付近 そしてその地蔵さんから歩いてすぐの場所に なんとあの寅の歩いた農道があったのだ!! 私が考えていたエリアのわずかに外(南)にあったので そこまで探しきれていなかったのだった。 最初の候補地である八重原から歩いて25〜30分。 10月中旬 私は北陸での仕事の帰り、 またもや上田駅で途中下車し、黄金色に輝く田んぼと山々をスケッチしながら この世界初登頂の地に人類で始めて足を踏み入れたのだった。 その時、使わせていただいたタクシーの運転手さんが なんとこの「男はつらいよ」の大ファンだったのだ。 本当に偶然に駅で待たれていた方を拾っただけ。 彼の名前は寺尾さんと言い、そんじょそこらの寅さんファンではない。 現地に着くまでの15分間での会話で、その深い理解と知識に驚いてしまった。 彼はもちろん48作品をDVDで持っている。 で、当時毎週放送していたBSジャパンの「男はつらいよ」もなんと録画しているという 筋金入りのコアなファンさん。 いろいろな作品の会話もどんどん弾む。 そして、タクシーが現地の立科町に着いたあとも、 私の調査に30分以上もお付き合いくださり、いろいろ私の再現動画にも 協力してくださったのだ。 寅さんの大ファンである上田タクシーの寺尾孝次さんに写真を撮っていただく。 本当はこの位置、この角度が正しい。↓ お地蔵さんとお墓は少しだけ後ろに移動していたのだ。 この位置だと向こうの森も大きな馬頭観音の石碑もぴったり一致する。 10月18日は快晴だった! ロケ地を背景に寺尾孝次さん 雲がなんとも可愛い。 寅のように歩いてみた。 https://youtu.be/vDLGLLZrtSQ 寅さんファンの寺尾さんが歩く牛鹿地区 https://youtu.be/GwUANEYKXoU 寺尾さんが撮影してくださった私が寅の農道を歩く再現動画 それでは, 11月の晩秋のロケ地めぐりの紹介。 あの寅が歩いた紫の夕暮れ風景を再現した動画を見ていただこう。 3度目の旅でようやく実現できたのだ。(T^T) みんなで世界初登頂 動画をお楽しみください。↓ 蘇る寅の歩く夕暮れの信濃路 立科町 ■ 第18作「純情詩集」 ロケ地再現オリジナルバージョン動画【紫の山々】 注意:ご覧になるときは、youtubeの画質設定の歯車マークを押して 高画質のHDに設定しなおしてください。 https://youtu.be/2PeMjvldBl8 注意:撮影当時見える電柱は、現在は動画で見た通りもう少し左に移動されている。 ■ 第18作純情詩集 ロケ地再現動画アレンジバージョン動画【赤く燃える山々】 注意:ご覧になるときは、youtubeの画質設定の歯車マークを押して 高画質のHDに設定しなおしてください。 https://youtu.be/OGR-pOr0wE0 注意:撮影当時の電柱は、現在は動画で見た通りもう少し左に移動されている。 このお地蔵さんは百日咳根治の祈願らしい。 現在の写真で、向こうにチラッと見える大きな石碑(馬頭観音石碑)も健在。 なお、右に見える低い石碑は現在は真正面のお宅庭に保管されている。 寅が歩い日も快晴だったが、私が歩いた日も快晴に恵まれた。何度か行ってわかったが 山の夕暮れjは雲がかかることが圧倒的に多く、なかなかこのような快晴はないのだ。 寅さんの熱烈なファンである上田タクシーの寺尾孝次さんとの出会いも 嬉しいできごとだった。 夕暮れの農道を歩く寅 ロケ地めぐりへの車内1 https://youtu.be/qV8kBZxuAUE 夕暮れの農道を歩く寅 ロケ地めぐりへの車内2 https://youtu.be/BbERTXPenAQ 夕暮れの農道を歩く寅 ロケ地めぐり 現場到着1 https://youtu.be/VZyMiANDgYY 夕暮れの農道を行く寅 お地蔵さんと馬頭観音の移動について。 お地蔵さんを護っている石合(いしあい)さんの証言 お地蔵さんは移動していた! https://youtu.be/2RYYtblcJRU その1 https://youtu.be/e_XtYd6Tank その2 さて、バイを終えた寅は、その日どこに泊まったかは知らないが(あのあたりは宿はない) 翌日昼に上田電鉄別所線に乗って別所温泉に向かうのである。 このパノラマ風景もなかなか雄大だ。 幾重にも重なる山々と秋の稲刈り風景。そしてその中を走っていく別所線。 このシーンが一番塩田平らしい風景とも言えよう。 この風景は「舞田駅」のすぐそばにある。 この風景は山の形と別所線の存在で比較的場所特定が簡単なのだが、 最初は私を含め寅友たちはこのピンポイントよりやや西だと思っていた。 歩いて3分の距離なので山の見え方はほぼ一緒なので近くの家で判断した。 この近場の家で特徴的な大きな屋根を持った家が今も残っていたのだ。 このピンポイントのズレに気づかれたのは寅福さんだった。 寅福さんからの報告で、私もその家をストリートビューで確かめ、位置を訂正したのだった。 みんなで世界初登頂 どちらの場所も舞田駅のすぐそば この写真の場所が最初思っていたピンポイント。9月下旬撮影。↓ ここからの眺めはとても絵になるので何枚も描いた。 映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」に出て来る 青と白の車両の現代バージョン 【7200系7255編成「まるまどりーむ号」】だ。 原型はもちろん映画に出てくる「丸窓電車モハ5250形」 方向が別所温泉駅行きだったので あの第18作「純情詩集」の名シーンと一致するのだ。 本来のカメラ位置とは若干ずれてはいるが、 上にも書いたように、ここの方が山と田んぼの関係が絵になる。 9月中旬に撮影した映像。 https://youtu.be/7QTQSe4SopE スケッチの合間に記念撮影 ピンポイント場所のズレのきっかけになった家の屋根はこれ↓ 撮影当時は赤色の屋根。 ストリートビューでの寅福さんの発見により、映画と同じ屋根だとわかる。 そして11月初旬に現地でしっかり確認!↓ 今は黒色の屋根 ちょうど撮影時に別所線が通った。 別所線が通ったときの動画 https://youtu.be/h-WvSDgI_GI ちょっとここで横道にそれる。 第35作「恋愛塾」でのOP舞田駅のロケ地。 ところでこの舞田駅といえば、このシリーズで もう一度登場する。 第35作「恋愛塾」のOP、 姨捨山の夢を見ていて谷よしのさんに起こされるのだ。 駅舎の形は変わったが、山は一緒。 別所線も中塩田駅舎や別所温泉駅舎は味わい深いが、舞田駅はちょっと寂しい・・・ さて、純情詩集に戻ろう。 寅は別所線に乗っている。 寅の乗った電車から見た車窓風景。 実はこれは逆走だった。 本編では別所温泉に向かっているはずが これは上田駅方面へ向かっている電車で撮影された。 これも少し時間がかかったがなんとか寅福さんとのコンビネーションで発見。 寅福さんはYoutubeで同じ風景を発見された。 この動画当時はこのように↓しっかり山が見えたのだが・・・ 現在は建物が線路横に建ってしまって・・・見えにくくなった。 でもまあ、この場所で撮影されたのは確か。 みんなで世界初登頂 塩田駅と中野駅の間。電車は上田方面に逆走している。 寅を乗せた電車は別所温泉駅に入ってくる。 10月18日一人でのスケッチ旅の時に、ついでに別所温泉駅で撮影。 別所温泉駅に入る寅を乗せた電車 再現動画 https://youtu.be/zVMaFCV7pZU 別所温泉駅のアルファベットの壁文字 現在木の枝や看板の屋根などが邪魔をして同じアングルでは撮影できなくなっている。 改札をくぐって出てくる寅。 撮影当時はこのようにサイドにも改札があり、混んでいる時間帯などに限って 降りてきたお客さんは駅舎の中からと、このサイドからとで出入りしていた。 現在は駅舎の中からのみ出入りする。 カネモト味噌カネモト醤油は同じ看板様式を守っている!w( ̄▽ ̄;)wワオッ!! 40年の歳月の間にいろいろ変化している。 階段を上がる坂東鶴八郎一座の看板。 向こうの家の屋根は形式は今もほぼ一緒。右の屋根はタクシー会社で現在はビル。赤い丸ポストは同じ。 別所温泉の住宅地が俯瞰で映る。 この高台の場所は私の寅友の小関さんが最初に発見されたのだ。 小関さんは故郷がこの上田市なのでいろいろ助言をいただいた。 11月初旬の山は赤や黄色が混ざっていた。ちゃんと柿が今も実っている。 一方こちらは10月中旬の山。映画ではこのような色だったので、 風景描写のB班のロケは10月中旬までと考えてよい。 カメラ位置はこの火の見櫓の高台にある。映っているのは柿の木 そして温泉街の中をカメラは映し出す。 温泉街の真ん中 坂東鶴八郎一座の公演の口上 「ますや」の前で公演の宣伝が行われている。 この俯瞰は当時の『別所村役場』の屋上あたりから撮影したもの このアングル写真をはじめて公に発表したという意味では 3人ともども世界初登頂 現在は上田市別所温泉センターになっている。 屋上は行けないので許可をもらって3階の踊り場から撮影した。 別所温泉センターには「別所村役場跡」の石碑が建っている。 ここからはカメラがほとんど5メートル範囲内で撮影している。 北向観世音(現在は北向観音) そして、カメラは駅のほうも映す。 【北陸新幹線 上田駅を実現させよう】の垂れ幕。 今ようやく新幹線の上田駅が実現しました(T_T) この垂れ幕があったのは役場。 撮影では寅が1泊し、さくらが引き取りに行った「別所温泉警察署」になっている。現在は別所温泉センター 店のテントのストライプもかなり変わったが一応同じデザイン。 北向観音は天長2年(825)、慈覚大師が創建したと伝わる古刹。 千手観音を安置する重層の観音堂の屋根が映る。唐破風(からはふ)屋根 11月のロケ地めぐりでは出店が出てしまっていたので、 10月のスケッチ旅で撮った写真を添付。 一座との宴会の夜 当時みやげ物屋さんだった「いづみ屋」を旅館に仕立てて側面中心で撮影した。 現在は「三楽」というみやげ物屋さん。すっかり二階は塀で覆われてしまっている。 こちらは石橋からいづみ屋大通りに向かって正面が中心の撮影 石橋は今も同じ姿↓ 宴会の翌早朝 温泉街の真ん中 向こうのほうに寅が泊まっていた「いづみ屋」が見える。手前は柏屋本店(別館) 世界初登頂 9月の私の聞き込みと分析によりこの場所が確定した。 映画撮影当時は「大師湯」は今の規模よりこじんまりとしたものだった。 その後すぐに大師湯は立派なものが建てられ現在にいたっている。 映画の中俯瞰映像でもこの大師湯の背後の旅館と右隣のビル旅館が遠くに見える。 橋を渡ってすぐに、この建物があることがわかる。 細い煙突と隣のビルの雨どいなどが一致 現在と40年前、あきらかに「大師の湯」は 当時はああいう大きなものではなかったことがわかる。 坂東鶴八郎一座との別れの朝の風景は寅の部屋からの撮影。 「先生、 車先生」 小百合ちゃんたちは別れの挨拶に来たのだ。 道の左方向には一座の面々がー。 清々しい気持ちで一座の座員たちを見つめる寅。 呼び止め、最後の別れを惜しむ寅。 「しっかりやれよ! またいつか、日本のどこかできっと会おうな!」 一脚を伸ばして撮影。 アングルとしての世界初登頂 これは橋をまたいで橋の外側にあった台に乗って、一脚を伸ばして撮影した↓ さて そしてお金もないのに、一座に大判振る舞いをした寅は 当然ながら警察署に拘留されてしまうのだった。 青ざめた顔で、はるばる東京から山深い別所温泉まで 寅を引き取りに来たさくらだった。 ここからはさくらが主人公のロケ地 さくらが乗った別所線の車窓風景 世界初登頂 10月中旬の別所線の車窓から撮影したもの。同じ家が映っている。 新発見!さくらの車窓風景 https://youtu.be/wgvz50K8CAk もうひとつのさくらの丸窓はかなりの難攻不落で、 ボケているし、ほとんどヒントもない風景。 わずかなヒントはこの丸窓の外↓ 田園が広がる直前に赤い屋根がある。 なにやら天窓がある家が見える。 なにか、天窓の家の前に建築中の平屋も見える。 そのわずかなヒントを手がかりに滝沢さん、寅福さん、私をはじめとした寅仲間は 別所線の田園地区をローラー作戦で調べ続けた。 いくつもの場所が空振りをし、無駄骨になった・・・ある日、 寅福さんが大きな手がかりの場所と家を見つけられた。 それがこの↓の場所。 別所線で上田駅から出発して中野駅と舞田駅の間だ。 映画の前年には天窓の家のみが航空写真に映っていたが 86年の航空写真では天窓の家の前にも家ができている。 これがひょっとしてあの建築中の家だとしたらビンゴ!である。 そして現在の航空写真で見ると、すでにあの天窓屋根の家はなくなっていた。 赤く囲ったのがなくなった天窓の家。 上田市中野957付近 この場所をストリートビューで見てみよう そっくりだ! ストリートビューから見た、あの家の直後の山はこれ↓ 確かに山の形は似ている!! そして、最後に私が本編の別のシーンでこの天窓の家を見つけたのだ! それがこのシーン。 そう、あの寅が乗った別所線が田園を通過するシーン! ここにあのさくらの車窓の天窓屋根の家がなんとなんと映っていたのだ!! 本編を拡大すると天窓がある家が見える。 そして私たちは2015年11月初旬 あのさくらの丸窓から見えていたあの場所に降り立ち ついにあの現存する平屋の方に向かって歩いたのだった。 寅福さんといっしょに世界初登頂 そして、あの平屋の住人の方(山極・やまぎわさん)にお話を聞くことができました。 やはり予想通り、あの昭和51年(1976年)撮影の年の10月末ごろに棟上をし、 その年の年末に完成したそうです。 それではインタビュー動画をご覧ください。 動画 https://youtu.be/DbFE5X3vCXQ そして・・・・ さくらの電車は別所温泉駅に入って行く。 この画像は直接線路に立って撮影したもの↓ もう少し線路横を歩いて駅舎に近づいてみる。 電車の中からの撮影・前方展望画像 こちらは別の電車での前方展望 さくらの車窓 別所温泉駅への前方展望 https://youtu.be/OnCg460zAEY さくらはなぜか『ハイヤーの車庫』の中に歩いていく。なぜ・・・? ハイヤー車庫はもう今はない。草花が植えられている。 ハイヤーの車庫から出てくるさくら 現在車庫は取り壊され、植物が植えられている。 さくらは道を聞いた人の車に乗せてもらって 別所警察署(当時の別所村役場でロケ)に到着する。駅から車でたった3分^^; 上にも書いたが「役場」現在は「別所温泉センター」になっている。三友軒は今も健在 建物は完全に建て替えられているので、一応参考程度に合わせてみた。 このあたりのロケ地は数日前の寅と大空小百合ちゃんとの出会いの場所とほぼ同じ。 そして 寅を引き取り、別所温泉駅にパトカーで戻るさくら。 車庫はなくなり、塀が作られ、このように日本庭園のような庭になっている。 ナベさんと寅の別れの挨拶。 さくらは沈んでいる。 このカットは駅から町方向を映したアングル。今も40年前の面影は残っている。 そしてナベさんはパトカーに乗って去っていく。 二人は駅舎に入っていく。 さくらは寅に対して怒っている。 さっさと先に歩いて行く。 さて信州上田はここまで このあと私たちは 第40作「サラダ記念日」の真田町の おばあちゃんの家もめぐった。 上田市真田町 個人の自宅であることと、諸事情により詳細な住所は控えさせていただきます。 お許しください。 さて この場所も本編の流れのまま紹介しよう。 まずは夕方の「中込キクエ」おばあちゃんの家の前の山 おそらくこの場所、このアングルだとは・・思う。 実はここにお住まいのおばあちゃんのファーストネームはなんと「菊江さん」! 山田監督らしいなって思いました^^ 夕暮れ時のおばあちゃんの家の前。 なくなったものもあるが、残っている建物もある。 翌朝風景 この場所↓は超難攻不落だった場所。 今回完全解明した。 翌朝のおばあちゃんの家の奥にある高台からの撮影。 はるか下に小さくおばあちゃんの屋根が見える。 おばちゃんの家(水色)より高台にあるのが赤と黄色の家。 この赤と黄色2軒の家は高台ゆえかかなり前から無人だが なんとか現在も朽ち果てながらも残っている。 撮影時にはなかったが、現在黄色の家の屋根はトタンで囲まれている。 当然本編カメラ位置は黄色の家の上手にあるが 現在黄色と赤の家の上手(本編のカメラ位置)は 木々が生い茂りとうてい撮影ができない状態。 それゆえ、黄色と赤い家の下の道からのみ撮影可能。 左に見えるのがおばあちゃんの家(水色)。 右側は本編で大きく映っていた青い屋根(黄緑)。 ちょっと引いて見てみるとこうなる。 カメラポイントは木々が生い茂っている。 ストリートビューを使って・・・ 20メートルほど遠いところの道路からの遠望 さて小諸病院の原田真知子先生登場だ。 急カーブ ※敷地内で撮影する時はその家の住民の方に必ずお声をかけて許可を取ってください。 トイレは今も一緒 向こうの屋根がなくなっている。 撮影当時かなり痛んでいた大きな白い蔵はさすがにもうなくなっている。 もうこのあたりもどんどん家が壊れてなくなりつつあった。 おばあちゃんの人生のクライマックスが 今ひっそりと静かに始まっている。 この景色の中で「サラダ記念日」のクライマックスが静かに展開される。 「サラダ記念日」の最重要シーンは後半の真知子さんと寅の絡みではなく この前半のキクエおばあちゃんの深い想いと涙である。 後部座席に乗ったキクエおばあちゃん。 おばあちゃん「ちょっと待ってくれんかな…」 寅「先生、」 真知子「うん?」 寅「ちょっと待ってくれって」 真知子さん、小さく頷く。 静かな音楽がゆっくりと流れる。 車のガラス窓を開けるおばあちゃん。 おばあちゃんは、 哀しげな目で、 自分の棲家を眺める… 秋の透き通った陽を受けて、 枯葉が、ゆっくりと舞っては落ちていく。 朽ち葉色の世界が静かに広がっている。 おばあちゃん「これがへえ… 見納めだ」 透き通ったおばあちゃんの目が、急に悲しげになる。 寅「そんなことは無いよおばあちゃん、 な」 寅「きっと良くなってまた帰ってこれるって、 先生もそうおっしゃってくれたじゃないか」 悲しい目をしたまま、 住処を眺めて両手を合わせるおばあちゃん。 目をつぶって淋しさに耐えながら一心に拝む。 そして涙がこぼれていく。 真知子さんもどうすることもできない。 おばあちゃん「ありがとう先生、走ってええよ」 と、下を向いて泣いている。 真知子さんも、涙が出てしまってハンカチで鼻を押さえる。 下を向く寅。 そしてゆっくり車は家を後に走り去って行く。 主がいなくなった棲家が秋の空気に輝いている。 遠い旅 いろりの残り火 消えゆくように 枯葉降る庭 眺めつ逝きたし 一脚を伸ばして最後のシーンを撮影 そして・・・・ このようなシーンもあった。 このアングル写真は、私は撮り忘れたので、一緒に巡ったちびとらさんからいただきました↓ 信州 上田、立科、真田、ロケ地全踏破レポート 終わり 次回は第46作「寅次郎の縁談」 本編完全版 完結編をアップします。 読売新聞朝刊(東京版)
夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)2011」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
|