2024年1月14日



■PERFECT DAYS 映画館で観ました。




木漏れ日の平山さんに会いに行く旅




ここ5年くらいの中では一番のなんとしても観たかった映画です。124分


ドイツのヴィム・ヴェンダース監督と言えば、
ちょうど僕が大学4年生だったか、その次の年だったかの公開映画

『パリ、テキサス』が印象に残っています。人間の心の再生をロードムービーで描いた『パリ、テキサス』は
ナスターシャ・キンスキーの不思議な美しさとともにあの頃の僕にはなんだかまぶしかった。

そんな作品を作ったドイツのヴィム・ヴェンダース最新作

「PERFECT DAYS」

日本を扱い、ほぼ日本人だけが出てくるので日本映画のよう。
ドイツと日本の合作映画。
今回もドキュメンタリタッチとロードムービー(自動車の中)
がけっこう目立っていましたね。
このヴィム・ヴェンダースさんはほんとこの2つの要素が大好き
なんですねえ。

観たい席で静かに観たかったので1月の平日になりました。



同じ世界を生きているようで、みんな違う世界を生きている。

今度は今度、今は今。



とても集中力が必要な静謐な映画で、僕のまさにツボど真ん中でした。
平山役の役所広司さんが味わい深く
彼の演技の引力に最初から最後まで惹かれました。

主人公の平山の感覚と集中力とこだわりは小津安二郎監督のあの集注力と鋭敏さ。
小津さんの感覚を具現化した笠智衆さんはいつだって「平山」を演じていましたものね。
この映画、いつもの役所さんの主演作のような活劇アクション
殺人、刑事、やくざ、逃亡、余命、などとは無縁ですからね。
そういうものは期待しないでくださいね。
ヴィムヴェンダースならではの、
平山の日常を描くドキュメンタリーの部分が感じられるので、当然淡々と日常のルーティンが行われるのです。
映画集客に欠かせないちょっとひとふり
『味の素』的な
大きな事件や余命ものはありません。
なにかがきっかけで社会的地位を捨て、人生を降りて、
その後、空と木、つまり木漏れ日に救われる
日々、人の役に立つシンプルな仕事を誇りを持って着々とこなしながら今日も、
森で木漏れ日を見上げる。ただそれだけのこと。

アパート二階は平山の隠れ場所であり『居場所』ですね。
二階撮影は、
小津安二郎のローポジションを意識している気がしました。
ちょっとした人間模様以外何もほぼ起こらないこの映画なれども
きっと100年の時の淘汰に耐えるでしょうね。


ラスト4分の朝日を浴びての平山の表情の変化。
過去の悲しみも死への絶望も、それらすべてを超えていった生命の歓喜の表情に心が震えました。
役所広司の生涯の一生一品になる予感もします。

この映画はこの先、世界に広がっていくでしょう。


みなさんも役所さん演じる木漏れ日の中の平山さんに会いに行ってください。



    
     


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ここから↓↓はネタバレ。

映画観る前は危険 近寄るべからず



    





以下↓↓は、レビューであり、詳細な覚え書きメモです。映画観てない人はこれより↓↓は自己責任です。
あ、それでも読むのですか?じゃあ……まあ、どうぞ。↓↓





     グーグルストリートビューで平山の『居場所』見つけました↓↓江東区の亀戸です。

     



過去にいろいろ、社会的地位をかなぐり捨てたか、もしくは文学的な仕事を目指したが無理だったか...
背負いきれず家族を捨てたか…
精神的な挫折と絶望的な悲しみがあったと思われる主人公ですが、・・・
もしくは何か不道徳な罪を犯してしまった過去があったのかもしれません。
何があったかはあまりはあかされません。

もしくは、何かの人知れない部分で死に至る病がじわじわ進行していて、肌でも感じている・・・

そんな上に羅列したどれかの境遇なのかもしれません。


でも、姪っ子のニコ家出を受け入れてあげて、実の妹が運転手付きの高級車で引き取りに来た時に、
過去に権力者の父親との深い亀裂が生じたことを垣間見ることができます。
平山はこの映画で二回涙を溜めます。一回目はこの時の妹との別れ。平山は現在の平穏な余生的暮らしと
過去の大きな挫折や悔恨の傷が今も同居しているのでしょうね。

一階の台所の隣の部屋のあの雑多な段ボールたちと
二階の清潔で簡潔な美しさとは辻褄が合わないですよね。あれは、二階の部屋だけは守りたい自分の精神が表れています。
彼のそんな精神のアンバランスを暗示しているのでしょう。

そしてラストはそれらが全て昇華されていく。

とにかく表面的には起きてから寝るまで、不変のルーティン
でも、空や木漏れ日はちょっとずつ毎日全部違う…とにかくモノクロの木漏れ日の影が
多くのシーンで散りばめられています。
このような影の表現は、ヴィムヴェンダースの得意な分野。


墨田区との境、江東区亀戸のアパート。

一階台所と物置空間、
二階畳部屋2部屋。
つまり、メゾネット形式のアパートです。
でも平山の部屋だけがメゾネット形式。
あとの部屋たちは一階と二階は別世帯。
平山は他の部屋よりわずかに贅沢ですね。
あ…、でも、風呂無し。

低い棚にはずらっと音楽カセットテープが並んでいる。

      

その近くには本棚
鎌倉の「クルミッ子」の茶色の缶が積み上げられている。


持っている自転車のカゴがとても印象深い。長方形の黒のカゴ(大きめ)




      


外で掃く箒の音で夜も明けきらない早朝に、自然に起きて、
決まった行動で布団をたたみ、置き、
仕事の前の歯磨きや植木ポットの水やりをし、
ガラケーなど、持っていくものを下駄箱の上から持って行き、鍵を持ち、小銭コインも掴んでドアを開ける。
普段は、玄関の鍵は閉めていない気がする。
このあたりはどこからでもシンボリックなスカイツリーが間近に見えるんですね。

       

同じ行動…、

まだうす暗い時刻ドアを開けたら 空を必ず見上げます。
この空を見上げる行為はとても大事で、
この行為が平山の毎日の喜びであり祈りなんでしょうね。

この早朝の一瞬の心の解放のために過去に全てを捨てたとも言えるのかもしれませんね。


     

       

アパートの前でサントリーBOSS(カフェオレ)を飲み、
軽四のネイビーブルー色の、ダイハツハイゼットに乗りながら朝日を浴びて、1960年代〜1970年前後のカセット音楽(主に洋楽)を聴きながら運転。

序盤ではANIMALSの「House Of The Rising Sun」
(朝日の見える家)


★映画で流れる順番に↓↓

●アニマルズ「The House of the Rising Sun」(1964年)

●ルー・リード「Pale Blue Eyes」(1965年リリースのアルバム『Words & Music, May 1965』収録)

●オーティス・レディング「(Sittin‘ On)The Dock of the Bay(1968年リリースのアルバム『The Dock of the Bay』収録)

●パティ・スミス「Redondo Beach」(1975年)

●ザ・ローリング・ストーンズ「(Walkin’ Thru The)Sleepy City」(1968年)

●金延幸子「青い魚」(1972年リリースのアルバム『み空』収録)
金延幸子は女性シンガーソングライターの草分け的存在

●ルー・リード「PERFECT DAY」(1972年)

●ザ・キンクス「Sunny Afternoon」(1966年)

●浅川マキ「朝日のあたる家(朝日樓)」(1971年リリースのアルバム『MAKI II』収録)。
アニマルズ「The House of the Rising Sun」を自ら手がけた日本語詩でカバー

●ヴァン・モリソン「Brown Eyed Girl」(1967年)

●ニーナ・シモン「Feeling Good」(1965年)




で、朝から仕事として、渋谷区でいろんな公園の多くのオブジェ的なモダントイレ(居心地が良いのか悪いのかわからないようなモダントイレ)の掃除作業。
この清掃作業を極めてきちんと丁寧に、便座分解したりして、独自アレンジも入れて創作的に黙々と行います。
掃除を越えた小津安二郎的なマニアックな行動。時にはトイレの隅の壁に紙が挟んであり、その見知らぬ誰かと間接的に「三目並べ」。


モダンでかなり綺麗なトイレとはいえ、1日使われた後の公衆トイレはそこまで綺麗なトイレのはず絶対にないのに、
この映画ではそんなところは表現しないのですね。きれいなままのトイレをさらに綺麗にしている。
ある種の片面だけ見せている。汚いトイレを見せないのはどうなんだという意見と、いやいやそんなところのリアリティは要らんのよ、と、
意見が分かれるところですね。僕はそういうリアリティは要らない派。


トイレのある公園ではホームレスの田中泯がいつも怪しく木漏れ日を表現して踊っています。
なんだかこの人は異空間に存在している・・・
平山は、光と木々を毎日身体で写実し、舞っているこのホームレスに少なからず感動し、尊敬の眼差しを向けています。
ホームレスは平山にわずかに会釈をし、平山もそれにこたえる。

ホームレスはもちろんのこと、平山も同じように「目には見えない世界」をひっそりと大事にしているところが共感するんでしょうね。
なにもしゃべらなくてもわかるんでしょう。

渋谷区の都市計画の中、トイレはモダンになり、これと同時にこのホームレスもいずれは渋谷区から消えていく、
正確に言えば行政に排除され、追い出されていく、のかもしれません。

おしゃれな都市の光と影。

トイレの仕事は渋谷中回って午後まで行います。
昼休憩は、決まった場所。
代々木八幡宮の杜の階段上のベンチでサンドウイッチと白牛乳

コミュニケーションを取りづらそうなOLさんがサンドウイッチを平山のやや離れたベンチでいつも食べています。
平山はニコッと微笑むけど、彼女はそれはちょっとそこまではできない感じ。
でもふたりとも同じルーティンで毎日昼をこの杜で過ごすところに僕なんかは安堵もするのです。

その昼休憩のついでに
その深い杜のある神社の木漏れ日を毎日フイルムのインスタントカメラでモノクロフイルム使って撮影したり、
その休憩する神社のモミジの木々に芽が出たら、
宮司さんの許可を得て貰って帰り、亀戸のアパートの2階でたくさん育てています。

二回の窓際の部屋で毎朝霧吹きでシュッシュ。
紫の紫外線の光を木々に当て、一日中紫の紫外線を植物に当てて、
朝、部屋を出ていく。この植木の器は、小津安二郎が愛した湯呑みと同じ模様あり!
ヴィムヴェンダースさん、こんなとこにも小津愛が。

夜も当然、二階窓際の部屋は、紫の光は当てっぱなしなので映画としての効果は絶大ですね。

それにしても、あのフィルム現像の店はもう経営維持は難しいんだろうなあ・・・店の主人と平山の会話が極端に短いのが良いですねえ。

カセットの穴に鉛筆ぐるぐるして巻き締めるのはよくやった〜。



同じようで決して同じではない一日一日。

そのわずかな違いが平山にはいつも新鮮なようでした。
この平山さん、人と話すのもそんなには嫌そうには見えないなあ…。自分からは誘うような会話はないけれど、
人への好奇心はかなり持ち続けていますね。

で、毎日のそれらのトイレ仕事が終わったら
自転車で江東区、墨田区のアパート付近から
桜橋を使って隅田川を渡り、浅草周辺に向かう平山。

ひょっとしてこの隅田川を西に桜橋を渡る行為は、彼にとっての安らぎのエリアへの門なのかな。

あ、その前に、まだ日の高い間に
毎日、My自転車で家のそばの午後3時頃開く曳舟の銭湯に一番風呂。風呂は短め。
ここでも、銭湯仲間にニコッと会釈。
脱衣場でうたた寝しているおじいさんをうちわで仰いであげる。
やはり、平山は寡黙で受け身な人ですが、それでも人間が好きなんですね。

その後、自転車で、少し離れた地下鉄銀座線、浅草駅地下街のいつもの浅草焼きそばの福ちゃんで、店員に手を広げながら
「おかえり-、ハイハイハイハイ、お疲れさん-!」と『白魔術の合言葉』をかけられて、
酎ハイとおつまみで今日の疲れを取り、明日への活力とし、店のテレビ中継の野球を観るでもなく観ながら軽く飲みます。

銭湯でも、居酒屋でも、古本屋でも、小料理屋でも、どの場所でも、決して長居はしない。

しかしまあ、こんなところで飲むなんて、人混みが結構気にならない人なんだねえ。


     



ごくたまに、日曜日とか…古本屋のあと、
浅草寺の裏手、奥観音エリアまで足を伸ばし、

歌の上手な美しいママのいる小料理屋に行き、歌を歌ってもらう。ママの店に行く時は必ず玄関に置いてある腕時計をはめる。
あらゆるルーティンの中で、この日曜日の夕方外出の時だけ、
意識して自分から人に会いに行くのですね。ママも平山をなんとなく意識している感じ。


なんとママは石川さゆりさん!!日本語バージョンの「朝日の当たる家」を熱唱します。

ニューオリンズの朝日楼という女郎屋に売られてきた女性の歌です。伴奏をする客はなんと、あがた森魚さん。
あの深夜食堂の「流しの五郎さん役」を思い出します。
あがた森魚さんの奥さんは逃げてしまったと聞いて
(ママの元夫も7年前に逃げたらしい)



ママのつぶやき


「どうして、このままじゃいられないのかな…」


家を捨てたかもしくは家庭を捨てたと思われる世の中を降りているような平山にも当てはまるなにかがあるのでしょうが
それは僕らにはわからないまま……。



     
      


夜に必ず商店街の古本屋で100円で買った文庫本を読み、部屋を暗くして、枕元のスタンドで読むのです。そして寝る。


毎日、必ず幻想的なモノクロの夢を見ます。


     




自転車をこいでいる少年期の思い出?

父と手をつないだ少年期?

悔恨・・・

女性…

アヤ・・・

ニコ・・・

ママ・・・

いろんなバリエーションの木漏れ日の影の夢。

中に誰かが居たりいなかったり・・の夢。



     


      

マニアックな歌。
金延幸子「青い魚」などを聴きながらまた今日も現場に向かうのです。


優しい気質なんだけど、イマイチ仕事に身が入っていない仕事仲間のタカシや
その彼女もどきのガールズバーに勤めているらしい不愛想なアヤに迷惑をかけられたり、
パティ・スミスの Redondo Beachが入ったカセットテープが無断で彼らに拝借され、行方不明になったり



      



何年もずっと会っていなかった姪っ子のニコが大きくなって母親と喧嘩して家出してきて、数日泊めてやったり、

いろいろ小さな人間模様はありますが
誠実さと寡黙さと絶妙の間合いの保ち具合で、なんとなく乗り切って行きます。


超チョイ役の清掃の臨時代役の安藤玉恵さん!が演じる佐藤さん。 あの「深夜食堂」のマリリン!!登場
たった1分ほどの登場でしたが輝きが凄かったですね。
彼女の目は生きてたなあ・・・。ぜひ安藤玉恵さんのキビキビした空気を味わってください。



      


      

平山の二階に何泊もしているニコ(平山はその間は気の毒にも1階の台所の横で寝ている)はトイレ清掃の仕事を手伝いますが、
彼女は、平山のこの仕事ぶりを真っ直ぐな眼で見ていましたね。ニコは平山の日常や仕事や昼の過ごし方
になにかを感じて、平山に敬意を持っているようでした。
なので、数日とは言え、平山と仕事も日常も共にし、彼女の人生に平山の存在と思い出を入れ込んだわけです。
逆に平山にとっても、この感覚的で聡明な姪っ子ニコの存在はとても大きかったと思うんですよね。

     
銭湯の後 隅田川の桜橋で二人で交わす会話は名シーンです。


同じ世界を生きているようで、みんな違う世界を生きている。

今度は今度、今は今。


あ、そうそう、ニコか乗るあの白い自転車ね、
あれ、ニコが買ったのかな……

レンタルなのかな。



     

     

それにしても
ニコが二階で広々と寝て、
平山は一階台所の横の雑多な段ボール置き場で寝るなんて、……

とらやでマドンナが宿泊する時の寅の臨時の荷物部屋よりも落差あるよなぁ……。



銭湯からの平山の電話で、彼の妹がアパートにニコを引き取りに来て、
少年期から平山の好きな鎌倉の『クルミっ子』渡されて、

大きな軋轢があった父親の話を少しして、父親に会ってほしいという妹の希望には頑なに拒否をしてしまう平山。
いったいなにがそうさせるんだ。

トイレ清掃の仕事のことも聞かれて・・・

まさに別れるその時に妹をハグしますよね。
普通は日本ではめったなことでは妹をハグしません。
でも、感極まってハグします。

本当はもともと、この二人、
映画『男はつらいよ』の寅とさくらのような、いや、それ以上の深い心の繋がりがあったのかもしれませんね……。
平山はこの妹をどこまでも愛おしく、大事に思って
少年期と青春期を過ごして来たんでしょうね。

今は棲む世界が違うなんて……

そうでないと別れた直後にあんなに泣きませんからね。

父親ともう逢えないであろう悲しみと、妹も失わざるをえない悲しみ。


妹が平山のことをニコに絶対に話したがらないのは、なにか強烈な悔恨と悲しみが妹の方にも残っているからなんですね。


いったいこの家族たちの過去に何があったんだ?



     

     


休みの日は黒いMY自転車で町をぶらつきます。上にも書いた古本屋で100円の文庫本を買い寝る前に読みふけるのです。



     



たとえば、日本全国のいにしえの木に対するエッセイ、幸田文の「木」

不安心理を心の声として丁寧に描いているパトリシアハイスミスの「11の物語」

アメリカのノーベル賞作家のフォークナーの、2つの別々の物語を合わせた『野生の棕櫚』(やせいのしゅろ)


毎回の古本屋の女店主の的確なコメントが秀逸!


で、このような文庫を夜に読むのです。
ちなみにパトリシアハイスミスの「11の物語」の中に書かれている短編「すっぽん」の
主人公の少年は、母親の圧力に耐えきれず刃を向けますが、姪っ子のニコもその主人公に強く共感していましたね。
ニコも日々母親(平山の妹)の圧に耐えかねているのかもしれませんね。
だから、ついに家出をしたのでしょう。



このように淡々と日常が繰り返され、
寡黙な、でも、研ぎ澄まされた感覚を丁寧に描いています。「晩春」のあの『影』の怪しい空気感もいたるところに散りばめられ、
完全にあの怪しさを取り入れていますね。
まあなによりもその精神性こそが小津安二郎的なんですね。

上にも書きましたが、出てくる登場人物も主なる人は、それぞれ少しの問題や迷惑や欠点はあれども全員何らかの意味で
人間性溢れる魅力的な人に描かれています。


姪っ子や妹の出現で、
平山の昔の心の深い傷が時々浮き出たり消えたりしていることに僕らは気づきます。



そして物語の終盤近く、
平山の心が大きく振幅します。
ママさんの元夫で、ママさんを裏切り別の女生と再婚した男が、ママさんを訪ねてきたところを目撃してしまうのです。



   ママの小料理屋をストリートビューで見つけました。奥浅草(奥観音)でした。↓↓

   





ちょっとヤケになって隅田川の遊歩道でビール飲んで、タバコのピース咳き込みながら吸っている平山が
初めて人間臭くて愛おしく思ってしまいますね。


落ち込んでいると、なぜかエイトマンのようになぜか自転車の平山に追いついた三浦友和さんが平山を超偶然に見つけ、近づいて来ます。


実は、重い病で死が近い三浦友和さんだったのです。

彼と平山との会話で、影を重ねると濃くなるかどうかを
試します。平山はなんとなく濃くなった気がするとしつこく主張します。


三浦友和さんをいたわっているんですね。

そして、おちゃらけて一生懸命影踏みする二人。
この二人のシーンは、僕には死の影が見えます。
これは平山の過去の悔恨の裏側の部分でもあり、平山の「虚無」や「無情」への抵抗です。

このシーンは明らかにメタファでしたね。

この平山の急変というか、アクティブな影踏みシーンは僕にはとても大事なシーンになりました。


それにしても、三浦友和さんのナチュラルな空気感が素晴らしい!


そして、その出来事の翌朝・・・


ラスト4分の朝の通勤ドライブ

ニーナ・シモンの「feeling good」を聴きながら朝日が顔を染め、
突き抜けた微笑みの平山の目にゆっくり涙が溜まって行きます。

映画史上に残るであろうこのラスト。

役所さんの静かな一人だけの早朝の通勤ドライブでの演技は、作り顔ではなく、平山そのもの。

彼の過去の挫折も悔恨も、現在の余生的厭世的な生き様も、木漏れ日に感動する鋭敏な感覚も
、今まさに生きることの喜びと死に直面する絶望も、解決しようが解決しなかろうが、すべてを含めて同価値で同時成立すること。
そしてそれらすべてが一斉に昇華していくことが朝日が当っていくあの表情によって表現されていた気がします。


それにしても、このラストのBGM

ニーナ・シモンの「feeling good」が力強く極めて効果的!!


役所広司の面目躍如。


彼の最高傑作になっていますねきっと。



この映画は『片面』の世界。

一日使った汚れた公衆トイレは見せない。そして、登場人物は心根が良い人ばかり、
汚れたものを見せるリアリティはこの映画には表現されていないんです。

ある意味人生の片面だけ見せている気がします。

美しい『結晶』だけを見せる映画なんですねこれ。


それを、
こんな複雑で厳しい人生の穏やかな部分をのみ見せるなんて桃源郷的だし、
人生模様として片手落ちだと思うのか、

いやいや、そのような映画があっても良いし
そのよう理想や理想郷を描いてくれて癒された、感謝したい、
と思うのか・・・ どちらかですね。

映画『男はつらいよ』シリーズにも言えることですが
いろいろなトラブルはあれども全体的には
人生の片面のみを描いているこの映画は僕には救いなんですね。

こんな映画をこそ心は欲しているわけです。





あ、でも、言っときますけど、この映画、人にはまずお勧めできません。

退屈で観てもつまらないかもしれません。
辻褄が合わない部分も何箇所かありますし…

しっかり細部に至るまで
小さな差異と役所さんの心のヒダを神経使って追わないと、同じことの繰り返しに一見見えてそのまま映画が進んで終わってしまうからです。
たぶん、そういうなんとなく観てる人は途中でちょっと寝てしまうかもね。


なので、観察力、集中力が必要です。
僕は基本、映画を勧めた時の他人の集中力の弱さには昔から散々痛い目にあいまくってきましたので、
この映画は活劇要素がほぼないゆえに人にはあまり勧めません。



31歳から教師を辞め、
遠くバリ島のジャングルで住み、娑婆の中で、人々の渦の中で活動することを降り、
熱帯雨林の気候の中でひたすら家族だけで暮らし、
孤独の中で売れることのない絵を何十年も描いてきた僕には、
この平山の、完全に娑婆を降りているんだけど人への興味は失わず、心は覚醒しているその心境その感覚がドンピシャでした。


僕はBlu-ray買いたいほど気に入りました。ツボでしたね。


映画館でもう一度観よう。


      


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