駿河の国 西伊豆物語
第16作、第24作、第28作、第41作、そして号外で第39作、
西伊豆4作品と焼津作品ラストシーン5作品そろい踏み
男はつらいよ 寅次郎葛飾立志編
男はつらいよ 寅次郎春の夢
男はつらいよ 寅次郎紙風船
男はつらいよ 寅次郎心の旅路
そしてなんと番外編で
男はつらいよ 寅次郎物語
駿河の国 ロケ地完全踏破レポート
この5つの作品ラストはなんとすべてほぼ同じエリアなのだ!(焼津だけちょっと離れてはいる)
同行してくださったのはいつもの通り ロケ地調査関東TM
日本で最も多くのロケ地を詳細にめぐっているちびとらさん。
日本で最もロケ地を探すのが天才的に上手な寅福さん。
そして私吉川孝昭。
第16作「葛飾立志編」のラスト、西伊豆西浦足保にて ロケ地調査関東TM3人衆
第41作「心の旅路」ラスト 西伊豆内浦長浜にて ロケ地調査関東TM3人衆
駿河の国 焼津港俯瞰
まずは第28作「寅次郎紙風船」
焼津港俯瞰風景から行ってみよう。
12月5日早朝私たちは東京から東名高速道路を
一路西伊豆に向かった。
しかし、当日の朝の段階ではまだ西伊豆のライブカメラでは
富士山は雲の中。
天気予報では晴れ時々曇りのはずなのだが、どうも様子がおかしい。
そこで三島を通過した時点で私はまずは西伊豆をあえて通り過ぎて
焼津を先に調査することをお願いした。
焼津ならとりあえず駿河でも西の方なので雲は取れていると推測したのだ。
焼津市民の心の山である高草山をぐんぐん車は登っていった。
眺めが良い吹笛段公園の上か下か・・・
世界初登頂
本当は真実の映画撮影時の俯瞰風景ロケ地はここ↓高草山の中腹
紙風船 焼津港俯瞰 動画
https://youtu.be/fb2II9PlyP8
可能性が最も大きな候補地 ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/CvhKczTg2Pm
焼津港俯瞰お奨めの場所
しかしそれよりも上に登って行くと美しい俯瞰風景が味わえるのだ。
このお奨め場所から受けるイメージは本編と似ている。しかし見れば分かるようにやや高度が高い。
撮影する私の後姿を寅福さんが撮ってくださった。
お茶畑の農業用モノレールが見える。
一段下の曲がり角からの俯瞰。ここのほうがさきほどの上のダイナミックな風景より
本編のイメージは、より近いが、いかんせん、ここは木々が増えすぎて展望が悪い。
もうひとつ下の曲がり角↓ここはかなり本編とはピッタリしている。
寅福さんも仰るとおり、この場所が結局は最有力だと思われるがどうも目視では俯瞰感が弱いのが気になる。
つまり見え方隠れ方理屈ではあっているのに、目視の印象がどうも違うのである。
木々が生い茂っていて分かりづらいのも欠点。
しかし、真実はひとつなのでここが映画カメラ撮影位置と決定。
この位置はやや低いと思い、車から降りての撮影は現場ではしなかったが、
近場の古墳や丘の見え方そして道との関係を考えると
皮肉にもここの場所の可能性が高い。
ただ、映画と比べてここでは俯瞰の雰囲気が出ないので
さきほどのもっと上の場所がリアル。。
映画撮影位置決定 やはり先ほど添付した場所だった。 ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/CvhKczTg2Pm
港に下りてゆこう。
焼津港
港町には八代亜紀がなぜか似合う・・・
八代亜紀が1976年に発表したシングルである。
演歌に全く興味がない私だが、この歌はスカッとしていて良い。
八代亜紀のシングルの中でも「なみだ恋」「舟唄」「もう一度逢いたい」と
名曲のひとつに私は数えている。
もう一度会いたい
1976年 八代亜紀
山口洋子 野崎真一
あんな男と 言いながら
今日も来ました 港町
波のむこうはまた波ばかりの片想い
さよならも 聞こえない
情なしのうつり気の後影
もう一度 逢いたい
泣けば鴎も まねをして
あなた呼んでる 別れ町
うらむことさえ出来ない女のほつれ髪
咲いて散る 赤い花
酔いどれて泣きぬれて追いかけて
もう一度 逢いたい
夢は引き潮想い出も
潮風(かぜ)と逃げてく出船町出船町
ブイの宿命(さだめ)か浮いては沈んで流されて
縋(すが)りつく 恋ごころ
もう一度 逢いたい
ここの焼津ロケ地はぜひこの「もう一度逢いたい」を聞きながら
ご覧ください。↓
youtube もう一度逢いたい
https://youtu.be/DoYFvJjEB8U
いわゆる「焼津港」というのは現在は新しい焼津港のこと。
第28作「紙風船」のころの焼津港は現在旧焼津港となっている。
愛子の兄を乗せた遠洋漁業船が
今まさに焼津港を出港しようとしている。
大きく分けて、寅たちの位置からのカメラはこの3方向に分かれる。
上のカットはピンクの方向
寅は愛子が心配でそして懐かしく
『もう一度逢いたくて』駿河の国にやって来たのだ。
本編ではこのような展開
焼津港
八代亜紀の『もう一度会いたい』が流れている。
「♪恨むことさえ、できない女のほつれ髪〜、咲いて散る 赤い花 〜…」
愛子が今まさに出航する兄貴のまぐろ漁船を見送りに来ている。
愛子「手紙受け取ったら返事書くんだよォー!!」
愛子「兄ちゃーん!」と、手を振っている。
その時
背後から愛子の肩を叩く手が…
愛子振り向いて
愛子「寅さーん!どうしてェー!!?」と、大きな目を見開いている。
寅「おめえがな、真面目にやってるかどうか心配だから
見に来たんだ、ハハハ」
愛子「わ、ハハハ、ウソー!うわああ」と、寅に抱きつく愛子。
この愛子の緑の花柄ハンテンは第24作で、さくらが着ていたもの。
第26作ではすみれちゃんが着ていたもの。第34作ではなんと寅が着て、
第37作では満男の部屋にかけてあった。
流れ流れの山田組御用達ハンテンなのである。
寅「なんだ、あの船にアンちゃんのってんだろう、どれだ?」
愛子「あのね、黄色いハチマキした二枚目の男の人いるでしょほら!
愛子「兄ちゃーん!!この人が寅さんよー!!」
デッキの柵にまたがって力いっぱい叫んでいる兄貴。
寅「おーーい!!まぐろいっぱい獲って来いよォー!!、
金が儲かっても外国の女なんか買うなーァ!!」((((((^^:)
まわりのみんな大爆笑。
寅、手を振りながら
寅「酒もやるなよ〜!博打もするなあ!可愛い妹が待ってるぞー!!」
愛子「タハハハ!!」
愛子「お兄ちゃーん!!」と、力いっぱい手を振り続ける。
愛子の目から涙が…。
そんな愛子を見て兄妹の強い結びつきを感じるとともに、
なんだか自分も、柴又で待つさくらのことを
しみじみ思い出す寅だった。
愛子はさくらで、さくらは愛子なのだ。
外洋に出る兄の船。
どこまでも青い空、光る海。
正月 海は快晴である。
と、いう物語のラストだった。
さて、ロケ地レポートに入ろう。
焼津港と言えばやはりみなさんのイメージは「かまぼこ屋根」
ジャストのカメラアングルはここ。 もうかまぼこは跡形もない。
もう名物のかまぼこ屋根はなくなったが・・・
いくつかの物証が今も残る。
10年前 解体直前の同じ付近のかまぼこ屋根
現在の航空地図 赤丸が愛子と寅の位置
まだ、かまぼこ屋根があったころ、1976年の航空地図 赤丸が愛子と寅の位置。映画撮影は1983年
1975年の航空写真 当時はかまぼこ屋根だらけ
大きく分けて、寅たちの位置からのカメラはこの3方向に分かれる。
彼らの背後に古い食料雑貨店が見える。「船員サービスセンター」
2012年のストリートビューでは、まだ船員サービスセンターがまだ写っている。
撮影当時の建物たちが残ってるのを見たかったのは山々だが
このように新しい展開になってから行くのも
実は私はそんなに嫌いではない。
なぜだろうか・・・。
やはりそこに次の世代の風を感じるからだろうか。
何十年前から同じ建物というのもノスタルジックでよいが
どこか痛々しくもある。
時は流れ、物も人も変わっていくのだ。
現在の同じカメラ位置から同じアングル。
数年前に訪れた寅友の写真を拝借 壊される2年前だったようだ。
焼津港ロケ地風景 動画
https://youtu.be/er9gCEly2qI
寅と愛子ちゃんは左の波止場の南端に歩いて行く。
物証
端まで歩いて行く寅たち。
寅友が昔撮影した写真拝借 かまぼこ屋根が壊される数年前。
動画
https://youtu.be/ChmhFObAeyA
大きく分けて、寅たちの位置からのカメラはこの3方向に分かれる。
数々の物証
この3点は今も同じ。
追加
大きく分けて、寅たちの位置からのカメラはこの3方向に分かれる。
そしてあのラストシーン
赤の灯台と 白い灯台
船が入港!
映画本編とほぼ同じだと思い現地ではここだと思った。 ほぼ、世界初登頂
後日にわかったこと。
同行された寅友の寅福さんが、
どうも違和感が残ると、その後、
家でストリートビューで探された結果、
この位置が正しいと思われるピンポイントだと判明した。
赤い灯台には映画撮影時より尾ヒレがついて長くなっているし、
左に見えている白い灯台は良く見ると、手前の防波堤でなく、
その向こうに新しくできた遠くの防波堤に建っているのである!
灯台は撮影時と比べて、現在は
赤白左右が入れ替わったが上から見ると2つの灯台は
前後にかなり距離があるゆえの現象だとわかる。
図解するとこうなる。
ストリートビューで見ると真実のピンポイントはここになる。
https://goo.gl/maps/8sF4dzbeVcx
スキッと見るとこうなる。
きれいに晴れるとラストシーンエリアからはこうも見える。
さて午後からいよいよ西伊豆へ!
焼津港は晴れていた
西伊豆の「内浦、西浦」はどうか・・・。
午前9時半の通過時は雲がずっと富士山を隠していた。
今はスマホで西浦のライブカメラを見ることができる。
私たちがようやく沼津から南下して行くころ、富士山が
雲から抜け出してきた。
まずは第41作「寅次郎心の旅路」
北から南に下っていく。
気多神社 沼津市内浦三津112
ラストの啖呵バイ
気多神社
【祭神】意氣長多羅司姫命
【例祭】10月18日 例祭
その上手の丘の上からの俯瞰。
まず導入部分にいきなり富士山の映像。
よかった〜〜〜
富士山が見えてた〜〜〜。
それも本編に似て良い感じで雲がかかっている。
こればっかりは天候しだいなので「運」なのだ。
もちろん、できる限り晴れた日を事前には選ぶのだが
みんな仕事を持っている身なので完全には選べなく、
最後は賭けるしかなかった。
ほっとした。
あの富士山を見るために山道を歩いてゆく。
映画のアングル。 映画と同じ雲の上から富士山がバランスよく見えた!!
アップで撮影
少し引きで撮影
富士山の見え方が見事!
沼津市内浦三津
富士山はちょうど真ん中あたりに見えた。
登頂達成動画
https://youtu.be/F86wKYs8QYM
本編ではこういう展開だ。
伊豆 内浦 氣多神社の夏祭り
ヨーロッパのバッタもんカバンをポンシュウと一緒にバイする寅。
寅「オーストラリアはウイーン製バッグ!」
ポンシュウ「ヨーロッパ!ヨーロッパだよ!」
消費税おまけ。
男子高校生A「おっちゃん、おっちゃん、ウイーンはさ、
オーストリアの首都じゃろが」
男子高校生B「オーストラリアは、カンガルーの国じゃ」
寅「そういうこともありました昔は、ね、
若い男が理屈を言うと女にもてない!な!」と、切り返す寅。 さすがだね(^^)
と女子高生達の方を見て笑い飛ばす。
大笑いしている女子高生達。
寅「やけのやんぱち日焼けのナスビ、
色は黒くて食いつきたいが
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ!ときた!」
氣多神社の鳥居と旗
内浦 長浜地区
海の向こうに富士山が映って
さてロケ地調査に戻ろう
そして気多神社の鳥居からの海
向こうに見える電柱は現在は少し移動していた。
船が通ってくれるまで粘った! 通った!
気多神社の鳥居越しに見える海と過ぎ行く船
https://youtu.be/qwlfTE0sbdQ
引きの構図
「オーストラリアはウイーン製バッグ!!」┐('〜`;)┌
こういうアングルも見逃してはいけない。
ピンポイント ストリートビュー
https://goo.gl/maps/gqUgTmYz2c92
そしていよいよラスト
淡島とヨットハーバーが見える内浦長浜の海
引いて全体を撮影するとこうだ。
実は左に見えている岬や右に見えている淡島は
第39作「寅次郎物語」のラストでなぜか出てくるのだが
その不思議な奇跡の話はこのページの最後にする。
ところで少し余談だが、
同行された寅福さんは日本一の「高羽アングル」継承者であるのだが
映画アングル再現のために毎回腰がしっかり入った【寅福ポーズ】と言われる体制で撮影される。
しかし、この撮影地に限っては、伝説にさえなった不動だったあの寅福ポーズが
アレンジされて新しくなっていた。
これはこの日のため、この場所のために彼が新しく考案した「富士山」を意識したポーズなのだ。
足の三角形と富士山の三角形。
このお互いの角度が見事に響きあっている。
誰も真似できないし、真似もしたくないこの足と腰の入り方は、
その後誰言うともなく【三角開脚富士見の法則】に基づいた
【富士見ポーズ】だと広まって行った。
現在では多くの寅さんファンの間で従来の【寅福ポーズ】と区別して
【富士見ポーズ】と呼ばれ、使い分けられ、親しまれている。
本来はあくまでも数学的な法則であってポーズの名前ではないが、
ポーズ自体を指す言葉として多く用いられている。
寅福さんの不動の姿勢とゆるぎない高羽アングルを意識して
短く「不死身の法則」「不死身ポーズ」と書かれることもある。
見事な2つの三角形の響き合いが見える 富士見ポーズ
閑話休題 ^^
場所はここ↓
ラストのピンポイント
ピンポイント ストリートビュー https://goo.gl/maps/TF2HuyGs9VM2
さてここから「西浦の足保」に行こう!
西浦の足保はなんと2作品のラストシーン
ほぼ同じ場所で撮影されている。
第16作「葛飾立志編」は海を中心に、富士山も入れて撮影された。
それに対して
第24作「春の夢」は16作のすぐそばの
天神社前の啖呵バイを中心に撮影され、富士山は入れなかった。
まずは第24作「春の夢」
西浦足保 天神社前
まさに、西浦足保に到着した時の動画
https://youtu.be/OokOsBEmKu0
富士山が美しかったです。
第16作とだぶらないように
海の前なのだがあえてカメラは山の方に向いている。
天神社の鳥居が見える。
右の家は今も面影が残っている。
ここは私が2010年7月複数回の電話で調査し、 世界初登頂した場所。
山を向くと第24作のピンポイント。https://goo.gl/maps/Y7XzvFuimoB2
そのまま体を回転させ海の方向を向くと、 第16作「葛飾立志編」の船着場。
西伊豆 静岡県沼津市西浦足保
第16作「葛飾立志編」のラストと同じ港町
『天神社(てんじんじゃ)』の初詣をねらってバイをする寅。
第24作の船 第16作の船
この神社、地図には場所は載っているが2010年当時は名前が載っていない。
いろいろ調べたあげく、現地、西浦の地区センターなどに
電話で何度かお聞きして「天神社(てんじんじゃ)」だとわかった。
世界初登頂(2010年)
事の仔細は
2010年7月12日寅次郎な日々447
「春の夢」のラスト『天神社』のこと
を御覧ください。
縁起物のおたふくと鈴のバイをする寅。
寒いので石油缶で火を焚いている。
首からぶらさげていたお守りは
マイケルにあげてしまったのでここではしていない
テキヤ仲間、近所の家にお湯を湯のみに貰っている
テキヤ仲間「おばさん、悪いね、もう一杯ちょうだい」
おばさん「はい」
寅はまた、ここでも紀州でのバイ同様
初代ポンシュウと一緒にバイ。
寅「よお」
初代ポンシュウ「よお、おめでとう」
寅「おう」
ポンシュウの息子を見て
寅「どうした坊主。おまえ母ちゃんいなくても、
ずっと元気でやってたか」
物語前半で女房に男を作られ逃げられたポンシュウを慰め
彼の息子に500円をあげた寅だったのだ。
寅、ポンシュウに
寅「大変だな、おまえも」
ポンシュウ、ちょっと照れて、苦笑い。
寅「??」
向こうから女性の声
女性「なおちゃーん」
寅「??」女性の方を見る。
女性「ほら、ほーら、また忘れて」
と、忘れ物をポンシュウの息子に渡す女性。
寅、ポンシュウを見て「?」という仕草。
ポンシュウ「あれかい?
あれはつまりそのー、なんてのかな」
息子やって来て
ポンシュウ「こいつのな、新しい母ちゃん」
女性「あ…、あのうちのが
いつもお世話なってます」とお辞儀。
会釈する寅。
ポンシュウ照れて
ポンシュウ「行けよ」
女性「うん、 よろしくおねがいしまーす」
ポンシュウ「ほら、行けって」
寅、ちょっと呆れた顔している。
ポンシュウ照れまくって
ポンシュウ「ヒヒヒ、まあいいじゃねえか」と、
そそくさと隣の露天の準備に。
女性の声「とうちゃーんこれいいのー」
ポンシュウの声「ああいいんだよー」
田中世津子さんと 小島三児さんのコンビは、
第43作「寅次郎の休日」で復活。
寅は小島三児さんの酒屋さんで酒飲んで煮しめ食べて、
指を5本(500円)出されたので、「安いな」って言って、
なんと50円だけ置いていったことあったなあ…。
あの時寅は「釣りはいらねェ」ってほざいてた(^^;)
なんだかあの息子さんが幸せそうで、
そのことがちょっとほっともし、
ポンシュウがデレデレして悔しさもある寅だった。
お守りを首からかけていない寅の啖呵バイが始まる。
寅「ちきしょう!フフ!正月早々やってられねえや!
えーい、さーもうヤケだ!ねえ!
汚わい屋の火事でやけくそだ。
焼けのやんぱち日焼けのなすび、
色が黒くて食いつきたいが
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときた!
さあどうだい!
今日は特別大奉仕!ね!
これもうタダでもってっちゃって、さあ!
ただで持ってけこの泥棒ヤロウ!さあどうだー!
鶴は千年亀はは万年ってやついでねー!
あなた百までわしゃ九十九まで、
ともに白髪の生えるまでときた、ね!
夫婦二人で…」
天神社の鳥居が見える。
遠く連絡船が見える伊豆の海
鷲頭山はじめ沼津アルプスの勇姿を背景に江浦湾が映って…。
最後に初代ポンシュウ家族の幸福を表現するところが山田監督の感覚。
この類のハッピーエンドでの代表は第32作「口笛を吹く寅次郎」でのラストだ。
レオナルド熊さんとあき竹城さんのカップルは最強無敵のお似合いだった。
この第24作のラストの展開も結構捨てがい味がある。
ポンシュウの息子が今度は幸せそうでとても心地良い余韻だった。
さて、それではロケレポートに戻ろう。
橋の欄干は高さも様式も変わった。そして道幅も広げられた。
今もこの家は面影が色濃く残っている。
建物全体、引きのカメラ
初代ポンシュウの小島三児さん
全体を見るとこうなる。
第16作と同じ連絡船が見える!
田中せつ子さんと小島三児三コンビは第43作「寅次郎の休日」でも夫婦役。
そしていよいよ終わりが近づいてくる。
このアングルは高羽さんは素晴らしい冴えを感じる。美しい構図だ。
これはきれいな高羽アングルで〆たい。
天神社 鳥居から境内への石段。
そしていよいよラストシーン!
富士山はもっと左にあるので、見えない構図。
つまり、第16作で同じ場所を使ってしまっているので
このロケ地がどこかを知られたくなかったのかもしれない。
そうでなければ富士山を見せたはずだ。
沼津アルプスの5つの山が見えるラストシーン。
このシーンのピンポイントは今回の最大の難関で
私有地の畑の斜面だと思われる。
しかもその私有地のカメラ位置にいくまでに
目立ってしまう位置なのだ。
思案していると
その私有地の前の家の方(マルセイ水産の社長さん宅)が出てこられて
何をしているのか尋ねられた。
不審に思われたのかもしれない。
私は名刺をすぐさま見せて怪しい者ではないことを伝え
ピンポイントのカメラ位置に立てないものかと思案しているのですと答えた。
社長さんはそういうことなら短い時間であれば自分の家の2階ベランダから
撮影してくれば良いとおっしゃってくださった。
マルセイ水産の社長さんの自宅二階ベランダからも撮らせていただいた。
マルセイ水産の社長さん宅2階ベランダから見た風景。↓
撮影位置はここではないことがわかる。
位置的にはもう少し左奥のみかん畑の隙間から撮らないとないといけないことがわかった。
そこで・・・
乗りかかった船ということで^^;
マルセイの社長さんにお願いしていろいろ許可を得て、
今回に限りみかん畑出の撮影をさせていただいた。
社長さんありがとうございました。
おかげさまで世界初登頂ができました!
こちらも美しい高羽アングルで〆たい。 世界初登頂!
沼津アルプス5峰
webサイトより拝借
大きく捉えるとこうなる。
さて次は最後
第16作「葛飾立志編」のラストシーン。
田所教授と寅の旅のシーンである。
こちらは第24作と違い、
海が中心に撮影されている。
まずは、あの連絡線のシーンから徒歩15分の場所で撮影。
第16作と第24作のピンポイントロケ地
西伊豆・ 静岡 沼津市西浦 足保
(三津浜と大瀬崎の中間にある西浦地区)
用心崎そば、足保公民館そば 天神社前
寅と田所教授が旅をしている。
上にも書いてきたように
第24作「春の夢」ラストでも同じこの足保港とこの天神社が使われている。
後ろの建物で同じ場所だと言うことがわかる!この建物が共通していることを
発見したのは、現地ロケめぐりをおこなった寅友の「ちびとら」さんだ。
2012年の11月末にこの2つのラストの共通のビルを発見された。
寅「おーい、もうちょっとゆっくり歩けよォ、
もう、先を急ぐ旅じゃねえんだからさァ、
年寄りは年寄りらしくのんびり歩いたらどうなんだい」
田所「君と歩いていると、僕は休んでばかりいないといかん」
寅「チッ」
田所「少し、体の鍛えようが足りんのじゃないのか?
僕より10も若いんだろう!」
寅「また、お説教か?そこが大学教授の悪い癖なんだよ。
だから、女に振られるんだぞ、おまえ」
田所「その話は言うなって言ってんだろう」と、おろおろ。
寅「赤くなりやがった。ハハハハ、
よう!誰なんだい、教えてくれよ、
タバコ屋のババアか?」
田所「そんなんじゃねえ!」
寅「ん、じゃあ、あの、三味線のおっしょさん、
いい年こいて真っ白に白粉塗った奴」
田所「バカ言え、オレの愛した人はベアトリーチェのごとく、
麗しく、賢く、気立てのいい人だ」
寅「だから誰なんだよ教えてくれよ」
田所「それは言えん!」
寅「誰なんだってさァ〜」
田所「うるさい!」
寅「そんな、お怒りにならないでお兄さま」
と田所の肩に手を乗せ女言葉でじゃれる寅
ベアトリーチェ
ダンテの『神曲』に登場する愛の象徴。
ベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた実在の
少女の名である。しかし、のちに成人した時に再会したダンテは、
その繊細で臆病な気質ゆえにすれ違いがあり、彼女を傷つけてしまい、、
その後ベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。ダンテはそれを知ってひどく
嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた。
ベアトリーチェは愛を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると
考えられている。また、あくまでもダンテのイメージであり、実在はしなかったとも
言われている。
田所「ええい!」と振りほどいて速歩きで船着場へ。
寅追いかけながら、
寅「お髭のお兄さま、わたし好きよ!」
田所小走りになって逃げる。
振袖姿の娘さんたちそれを聞いて笑っている。
寅、娘さんたちのほうを見て二カッと笑いながら
田所を追いかける。
この二人は、凸凹コンビ。実にウマが合う感じ。
楽しい旅が待っている気がする。
ピンポイント ストリートビュー https://goo.gl/maps/bc96JHPVGWq 富士山がちらっと見える。
真珠の養殖小屋が見える。
実はこの坂の上は最後は行き止まりになっている。映画では通り抜けている。
引きで撮影すると坂道が見えるが、実は坂の上は小さな村はあるが
大きな町への通り抜けはできない道なのだ。
本当はこのように富士山が全部見えるのだ。ラストで美しく富士山を見せるために
このシーンの本編では裾野だけが見えている。
日章旗の背後に白く富士山の裾野がチラッと見える。
もう海を囲む形で高い堤防ができてしまっているので堤防を乗り越えて撮影した。
第24作との共通点は沼津アルプスが見えること。
ピンピント ストリートビュー https://goo.gl/maps/skFK7QwypBo
本編の背後には、真珠の養殖の小屋が映っている。
インタビュー動画
https://youtu.be/2YATmQeg1Rg
背後に見えるのは真珠養殖小屋。
実はこれは誰も知らないことだが・・・
日章旗の背後に白く富士山の裾野がチラッと見えるのだ。
現地で富士山を確認してはじめてこのことがわかった。
映画本編のアングルは今ではこのようになってしまっている。
ただし、茂みが刈り取られて富士山が全部見える。
で、仕方がないので
コンクリ堤防の上にカメラを持ち上げて・・・・↓
大きな波除のコンクリ堤防ができてしまって、当時の右と左が分断されたので、仕方なく構図を変えてずらしながら
左右両方を撮影した。
ようやく撮影当時の物証である海辺の石積みの船着場が見えた↓
ちんたら歩く寅and失恋をしつこく聞き続ける寅。
逃げる田所教授 追いかける寅
埋め立てがかなり進んで海が減った。
コンクリートのはしけは撮影当時は短かったのだが現在はかなり長いものになっている。
ピンポイント ストリートビュー https://goo.gl/maps/JgJFE7wWVsm
岡本茉利さんがいる船着場
船の車掌さんが叫んでいる。
あの大空小百合ちゃんを
演じている岡本茉莉さん!
私は、この人の大ファン!
寅次郎の夢のシーンでも何度も登場する。
本編でもちょっとした役でちょくちょく出てくる。
大空小百合役や夢のシーン以外でも
青観のお手伝いさん役、
看護婦さん役、
留吉の元彼女役、
船の観光案内嬢役、
出前を運ぶ店員役、などなどである。
ゆっくりメインテーマが流れて
岡本茉利さん「船が出ますよ〜!お乗りになるんですかぁー?」
向こうに見えていた岩は40年が経って木々でこんもりなってしまっている。海は埋め立てが進んでいた。
第24作の船 第16作の船
田所「あーい、乗るぞおー!」
寅「ハハハ、先生!おーう!」
寅乗り込みながら
寅「おう、ネエちゃん、乗ってくよ」
岡本茉利さん「はい、どうぞ」
アップで撮影
船着場はこのように長く伸びてしまっていた。
昔はこのあたりでコンクリは終わっていた。
現在はぐんと伸びて、周りも堤防や防波堤や埋め立てだらけになった。山は今も同じ。
『人はいさ心も知らずふるさとは富士ぞ昔の美に匂ひける』 というところか。
おもいっきり後ろに下がるとこうなる。
船の汽笛「プォ〜〜ッ」
『初荷』
船の正月用の松を使ったお飾りものと
世界の国旗のミニ旗たちが
富士山をバックに翻っている。
霊峰 富士山がくっきり見える。手前は愛鷹山
シリーズ中もっとも大きく美しく富士山が
見えるのがこのシーン。
第8作「恋歌」のラストの富士山と共に
忘れがたい富士の姿だ。
撮影時は船着場が短かった。その後船着場は長くされ、西側もすべて埋め立てられた。
第16作と第24作のピンポイントロケ地
以上、4作品ラストシーンの詳細レポートでした。
寅次郎物語のラスト
号外!!
しかしこれで終わりではないのだ。
実は先日2月27日に
ある新発見があった!
第39作「寅次郎物語」のラストシーン風景は
実は伊勢志摩ではなく、西伊豆だった!!
私は、この7月、
名古屋で一番の「男はつらいよ」のファンである中島さんと
7月中旬に三重県の湯の山、四日市、伊勢、志摩、
とロケ地現地調査をする予定でいる。
つまり第3作「フーテンの寅」と第39作「寅次郎物語」のロケ地を調査しているというわけだ。
そのためにいろいろ事前の資料集めやストリートビューや当時の航空写真などで
考察している。
おおよそすべての特定が終わったのであるが
ひとつだけわからないのが「寅次郎物語」一番最後の5秒間の風景の場所。
寅友の寅福さんにも手伝ってもらいながら進めていたのだが
寅次郎物語のラストの俯瞰風景がもうずっと誰もわからないままだったのだ。
寅は伊勢の二見浦でおふでさんと秀吉、
そして船長の3人が仲良く正月のお参りをしているのを見て
安心してラストを迎える。
そして最後は伊勢の海が映って終わり。
簡単に、本編ラストの展開をおさらいしてみよう↓
伊勢 二見ヶ浦
夫婦岩の海を見ながら満男の問いかけを
今も自分に問うている寅だった。
一応、ポンシュウにも聞いてみる寅だったが
ポンシュウは皆目わからないようだった((^^;)
そして!なんと、超偶然、というか、お約束(^^;)というか…
おふでさんと秀吉、そして船長の3人で
お伊勢さんの初詣に歩いているのを見つける
すぐに岩陰に隠れる寅たち。
ポンシュウたちも一緒に隠れて、
ポンシュウ「なんで隠れんだよ」
寅「オレたちのような人間がな、声をかけちゃ迷惑なんだ。
それくらいのことわかんないのか、バカヤロウ」
楽しそうに歩いていく3人。
秀吉がおもちゃと風船を持っている。
船長、風船を持ってあげて、手から離れそうになる『芸』をする。
この芸は絶品。
大笑いしているおふでさん。幸せそうな笑顔。
二見興玉神社と 龍宮社の間に架かる赤い契(ちぎり)橋を渡っていく3人。
【二見シーパラダイス】の水族館に行くのかな…
寅遠くで見守りながら、
しみじみ…
寅「そうか…、船長が秀のてて親か、
いいだろう、あいつだったらいいだろう」
船長独身だったのか…(^^;)
バイに戻る寅。
寅「さあ!ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、
色が黒くて食いつきたいが、
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ!
どう!四百!四百円!どう!え!
四谷赤坂麹町チャラチャラ流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちションベン!さあ!
白く咲いたがユリの花、四角四面は豆腐屋の娘、
色は白いが水くさいときた!」
伊勢の海が映って遥か向こうは知多半島
終
となっている。
当然このラスト俯瞰は、
近場の伊勢、鳥羽、志摩だと思い、向こうにうっすら見えるのは知多半島だと
考察して行ったが・・・・。
いくら探しても、この地形がない!
まったくどこだか皆目わからないのである。
しかし、そこは3人寄れば文殊の知恵。
みんなでああでもないこうでもないと知恵をめぐらせ、
最後は井戸掘り名人のコンシェルジュ寅福さんの第六感で
伊勢とはまったく近くはない、はるか東の伊豆半島の付け根、
沼津市内浦からの眺めだとわかったのだ!!
このお手柄は数年に一度の大きなお手柄である。
その物語のラストシーンが全く数百キロも離れた別の場所で撮影されていたなんて
考えられないことだからだ。
場所は 沼津市内浦!!
そう、まさにあの第41作「心の旅路」のラストシーンとほぼ同じ場所の
丘の高台からの撮影だったのだ。
現在書いていたこのレポートの場所だった!!
物凄い偶然。
これはだから、伊勢の海ではなく 西伊豆の海 駿河湾
そして向こうにうっすら見えるのは
知多半島でなく駿河の国(静岡市や焼津市)!!
昔、・・・
この第39作のおふでさんの住む別荘や二見ヶ浦は伊勢志摩が舞台とされていたが
実はおふでさんの別荘に限っては三浦半島であることを
3年前に私はつきとめた。
そしてよりによってまたもや同じ作品「寅次郎物語」でもう一度トリック撮影。
今度は寅福さんが発見されたのだ。
この伊勢二見ヶ浦のシーンの直後、ラストの俯瞰風景がはるか東の西伊豆の内浦だったわけである。
この駿河湾も当時は真珠の養殖があった。
第16作も同じ場所でのロケだったが寅の背中に真珠の養殖の作業小屋があった。
伊勢志摩の真珠養殖と海の風景が似ているのでだまされてしまったというわけだ。
山田組はこの第39作「寅次郎物語」で
2度もトリックを使ったのだった。↓
1回目はこれ↓
■第39作「寅次郎物語」三浦半島大浦海水浴場に
ついに登頂!2014年1月24日ロケ地探訪
■第39作「寅次郎物語」秀吉のお母さんの住む別荘地は
なんと伊勢志摩ではなかった2014年1月8日ロケ地探訪
そして2回目がこの沼津市内浦。
つまり、衝撃の新事実!!
この第39作「寅次郎物語」が駿河湾だとわかってしまったので・・・
なんと車で10分以内のほぼ同じ位置で山田監督は
4作品もラストシーンを作っていたことが判明した!!
どんだけこの西伊豆の内浦and西浦が好きなんだ!!( ̄∇ ̄;)
第39作「寅次郎物語」 ラストシーン 伊勢志摩ではなく沼津市内浦
これ以外でも浜名湖付近で2作品のラストシーン、
第6作「純情編」と第36作「柴又より愛をこめて」なども大きく言うと同じエリアだ。
昨年12月に実際に調査に行ったばかりなのに・・・
ストリートビューでアングルを合わせてみた。
30年近く経った今もさほど変わっていない風景であった。
寅福さん 世界初登頂
もうちょっと似させて合わせてみた。
100人中100人がこの風景は当然伊勢志摩と思ってしまうのだ。
手前の丘がはっきり見える場所(丘のやや後方の高台)がカメラ位置。
このカメラ位置ももうすぐ解明されるだろう。あの第16作、24作の西浦ロケ地もこの風景の中に見える。
カメラ位置としてはこの丘の上に上がっていく細い道からの撮影が可能性ある。
なぜ二見ヶ浦の近くの海で撮影しなかったのだろうか。
たとえば鳥羽とかでラストの風景を撮影しなかったのだろうか。
あの当時から鳥羽は観光地でかなり開発されていたからかもしれない。
山田監督は美しい半島があったとしてもそれが観光化された風景はあまり好きではなかったのだろう。
しかし、本当の理由は今となっては霧の中。
「わけをきこうじゃねえかよ」 って感じです^^;
たとえばこれは現在の伊勢、鳥羽の池の浦風景と知多半島。この風景はさほど開発が映っていない。
このあたりではなぜだめなのだろうか??俯瞰撮影の日に天候に恵まれなかったのか?わからない・・・
おそらく私たちがまだ見つけられていない日本各地にいくつかある難攻不落の場所も、
こうした映画的なトリックが
複数使われているのかもしれない・・・。
謎は今も霧の中である。
蔦紅葉 果てはあるやら 冬の霧
以上、奇跡の【号外】でした。
このあとは
3月下旬に第47作「拝啓車寅次郎様」本編完全版 前編 をアップいたします。
その後3月末からバリ島へ行きます。