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お気楽コラム


寅次郎な日々

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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 



第44作「寅次郎の告白」山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇(6月14日)

朝日新聞夕刊コラム 「これでいいのだ!」(2014年5月21日)

一期一会 龍野に響くハーモニカ「男はつらいよ」(2014年5月13日)

寅とリリーの蜜月の棲家沖縄、国頭郡の国頭家がわかりました。(2014年4月7日)

上野駅高架下の酒場 富永課長の「まるき」とマイケルの「永谷不動産」(2014年3月22日)

車寅次郎と浅田真央 起死回生の結末とカタルシス起死回生の結末とカタルシス(2014年3月1日)

第47作「拝啓車寅次郎様」宮典子さんの鎌倉の自宅と車窓風景を発見!(2014年2月15日)

第39作「寅次郎物語」三浦半島大浦海水浴場についに登頂!2014年1月24日

第39作「寅次郎物語」秀吉のお母さんの住む別荘地はなんと伊勢志摩ではなかった2014年1月8日


第8作「寅次郎恋歌」のラストシーン 、第10作「寅次郎夢枕」の名シーンを行く(2013年12月27日)

寅さん記念館絵画展のスナップ写真(2013年12月22日)

小諸病院の院長よ永遠なれ 【すまけいさんのアリア】(2013年12月10日)

「作品集」のお知らせと川井みどりさんの新たなる発見(2013年11月15日)

吉川孝昭展 蒼穹の江戸川  葛飾柴又寅さん記念館  (2013年10月29日)

ついに陥落、難攻不落の最後の大物柴又ロケ地(2013年10月13日)

みたびの 播州龍野スケッチ旅行 全日程快晴(2013年9月26日)

車寅次郎は果たして何作品で本当にふられたのか(2013年9月10日)

備中高梁 マニアックロケ地全解明編(2013年8月7日)

播州龍野 超マニアックロケ地完全制覇 後編(2013年7月25日)

号外!「男はつらいよ幸福の黄色いハンカチ(2013年7月11日)

号外! 満男と泉ちゃんの黄色いハンカチ風景(2013年6月30日)



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570


         お気楽コラム  【 寅次郎な日々 】  たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年6月14日 寅次郎な日々570


第44作「寅次郎の告白」
山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇

前編  倉吉と鳥取砂丘





さて、いろいろ展覧会が重なり、
アップが遅れましたが、5月のGW直前に2日間に分けて
めぐった山陰の全てを2回に分けてレポートして行こう。



       1991年秋 泉ちゃんを想いながら鳥取砂丘の馬の背のてっぺんで海を見る満男

   



   
   2014年5月 同じ場所で再現を試みる私の息子(龍太郎)

     




今回の2日間の内
4月28日は、兵庫県竹野切浜海岸の山陰本線車窓、安部駅、聖子さんの川原町、鳥取駅周辺は
おなじみ私のサイトにも何度も登場しているロケ地めぐりの達人【小手寅さん】と私の二人。

4月30日は倉吉、日本海の泊、青谷、宝木、あたりの山陰線車窓、鳥取砂丘は小手寅さん、私、そして東京から
龍野へ展覧会に訪れた息子の龍太郎の三人。

2日間で450キロ走破。
ミラノレッドのホンダ風天号を飛ばしまくった(*´∇`*)

結局この滞在中山陰と因島全部あわせて風天号の走行距離は750キロメートルになった。



      






さて、まずはどこから紹介するかな・・・
本編の順番に行きましょうか。




最初は、第44作の物語通り 美しい白壁の町「倉吉」行きましょう。


ロケ地めぐりは4月30日

まずは、倉吉 打吹公園での悲しみの泉ちゃんです。

泉ちゃんが悲しみを抱えてるのは銀座の山野楽器への就職に失敗したからではない。
母親の心の変化が唐突で、無神経だからなのだ。
確かに泉ちゃんも言うように、かつて父親に捨てられてしまった母親は、
新しい男性と幸せになる権利はある。
しかし、ものには順番があり、手続きがある。
泉ちゃんが心底納得でき、母親を祝福できるまで母親は結婚を急ぐべきではないのだ。
第43作から第48作まで続く泉ママのあのような自己本位な無神経な言動は泉ちゃんを
傷つけ続けたのではないだろうか。


倉吉シーンの一番最初の俯瞰映像は
ふしみ屋の裏手、
美容院を経営されている林さんという方のビルの屋上から撮影したものと今回判明。

二つともまったく同じ位置から方向だけを変えて撮影しているのでとても分かりやすい。



     



     






私たちが行った日は林さんのお店はものすごく混んでいまして
靴を脱いでおじゃまして屋上に上がっての撮影を
お願いできる雰囲気はなかった。

地上からの写真はこういう感じ ↓


   





   




    
蔵沿いに歩いてふと振り返ると白いビルが見える。これが林さんのビル。

    





そして・・・



     俯瞰が終わって吹打公園内での泉ちゃんが映る。

      


     息子の龍太郎が泉ちゃんのいた場所辺りにたたずんでくれています。

    




      母親に恋人ができてしまった泉ちゃんはなんだか傷ついてしまい山陰への旅に出かけたのでした。

    




     
同じく息子が寂しい後姿を演出してくれています。

    



動画

http://youtu.be/e9_5NfOqA60



NG動画
http://youtu.be/a9ov1b0QD7M




泉ちゃんは葛飾高校時代の満男との思い出を回想していくのだった。
好きなんだね満男のことが・・・

     



     



     




     

 


        この場所は世界初登頂ですね^^

      






    







    そのあと泉ちゃんは鍛冶屋の「ひろせや」を見学する。

   



    ひろせやは現在大きな道が現在は横切っています。↓

   



    




向こうの家々も電柱は同じかもしれませんが
当時を思わせる家はないですね。
僕が取材した日はあの味わいのある看板は取り外されていました。

廃業したのか休業なのかは不明です。

このひろせやがここから移転していないことがわかる
貴重なアングル
(これも一応高羽アングル)↓


     


    




       ひろせやを通過した泉ちゃんが伏見屋さんの前にやってくるのです。


    




     



そして

ふと「ふしみ屋」という駄菓子屋で足をとめるのです。(実際は店ではなく普通の民家)

そこにはテレビ版寅さんのおばちゃんが住んでいたのでした


      



現在は「
赤煉瓦3号館」の建物になっている。

      







      




      





      




     









ふしみ屋でアンパンを食べている時に
洞察力の鋭いおばあさんに夕食を一緒に食べようと勧められ、
いきなり豆腐を買ってきてくれと頼まれます。

普通はありえない展開ですが
おばあちゃんの洞察力が鋭敏なので泉ちゃんの心が読めたと解釈しましょう。


      




今は、ふしみ屋はもう閉じています。
っていうよりあのふしみ屋はもともと普通の家を山田組のスタッフさんが
駄菓子屋さんにしたてたという話だ。
今はふしみ屋ロケがあった民家の引き戸に男はつらいよのロケ時のスナップ写真が貼ってある。

      







      







      




で、泉ちゃんは、このように豆腐を買いに行くのだが
実は、実際は、あのふしみ屋から徒歩で20分はかかる場所に豆腐屋さんはあるのだ。

      




      




  



        豆腐屋さんは今はそこだけ無くなっていました(T_T)

      




         豆腐屋さんは今はそこだけ無くなっていました(T_T)

       





         その横の家は今も同じ。

       





         三角のずいぶん狭い空間にあの店があったことがわかる。

       




       隣の家の軒先や向こうの電柱などはそのまま

      






      



「すいません、お豆腐ください」

「自分で取ってください」


「・・・はい」



       
    




じつはこれも本編と同じアングル(高羽アングル) 電柱付近を見てください。同じでしょ^^

    
       




豆腐屋への道 動画
http://youtu.be/2LZ8Aa-jrCI





  




そしてとぼとぼと、泉ちゃんは豆腐が入った鍋を持ちながら伏見屋に戻っていくのです。

このシーンの撮影は伏見屋から徒歩3分で、
かなり近い場所です。

つまりあのお地蔵さんと豆腐屋さんだけが遠いんですね。^^;


この川辺の小屋は今もあります。




     
     



     


この日は前日の雨の直後で川の水が多かったこともあり川の中に入り、
子供たちの再現はやめました。




そしてここで寅登場!


      
もの凄い偶然で^^;寅と泉ちゃんの再会

     



      
小手寅さんが寅の役をしてくださいます。

     





柿の木や

向こうに見える家の窓など
面影がまだある。


    




    柿の木は大きくなった。

    





驚いた泉ちゃんは
我を忘れて寅の元に走っていくのだった。

    




独りぼっちだった泉ちゃんは嬉しかったんだろうね(*´∇`*)

  



泉ちゃんの走りを再現してみた。


採用動画 テイク3

http://youtu.be/j5-BUb-9Tu8





不採用動画 テイク2

http://youtu.be/xdJZ4GL6_e4




この場所及び柿についての簡単な解説動画

http://youtu.be/QzjBHIq2wy4





おじいちゃんが現れてNG

動画 テイク4


http://youtu.be/t0Ru1NOL7u8




   




   




      
息子は欄干をうまく乗り越えて鍋を川に落としてくれた↓

     



映画撮影当時はこの小さな橋に欄干はなかったが
現在は安全の事を考えてこのようなかなり高い欄干がある。

それゆえ、再現時にはナベを真下に落とすというより
斜め横に放り投げるに近い動きが必要だ。

そしてこれだけは何度も撮影がしにくいので
ぶっつけ本番で1回で決めた。

息子の龍太郎がナベを欄干の外に投げながら
小手寅さんに抱擁する段取り↓

1回でOKがでました。

本当はもう少し引いて撮影されているのだが
せっかくのぶっつけの演技なのであえて
アップでお見せしようと思い近くで撮影した(*´∇`*)

やってみるとわかるが、抱擁する形のままナベを高い欄干越しに投げるのは
なかなか難しいのだがなんとか息子は上手に欄干の外に落としてくれた。


この日は前日が雨で水量が多く流れもあったので
ナベにタコ糸をつけて流されるのを防いだ。





再現動画↓

泉ちゃんと寅 涙の再会 抱擁シーン 。

そのあとのナベだけのシーンもあえてカットしないでそのまま撮影している。


涙の鍋落し再現動画成功!

http://youtu.be/YTs5U8s3fH0




このシーンでは豆腐(ゲキオチ君)が
ナベからはみ出して失われる可能性が
非常に高かったため豆腐は入れていない。

豆腐をナベに入れたのはナベだけが落ちるシーンから。

ナベが大きな音をたてて水面に落ちたため
鯉たちが寄ってきているのが見えるでしょ。

この衝撃で
ほんの少しですがわずかに小さくナベがへこんだ^^




なお、別のカットで鍋だけがポチャンと落ちる
短いカットもある。


この動画はその鍋だけのカットの撮影↓。


     本編

    



     再現

     




豆腐落とし 鍋だけのメイキング動画
http://youtu.be/m50mfdoqIAM



そのあと安心したのか泉ちゃんは寅の胸で泣きじゃくるのだった。




      





再現動画

http://youtu.be/gZVejdCmDes




予告編では 橋から落ちるときに豆腐は
こなごなになっていたが
本編ではカットを変えてなんとか豆腐は
鍋の中で助かっていた^^

子供たちが豆腐が入った鍋を持ち上げて助けてくれるのだ^^

なかなかいいシーンだった。



     




     





     




        地図上Aがふしみ屋 Bが鍋落としの橋

     





さて

話は進んで

翌朝の朝の風景  女子高生自転車通学

とにかく山田監督はどの作品でも
この手の朝の高校生通学を
100パーセント入れる┐('〜`;)┌


ふしみ屋のあの横の路地をずっと歩いて行って
つき抜けた四つ角から逆にカメラを伏見屋の方へ向けた時の撮影。
ふしみ屋から蔵沿いを歩いていくだけ。徒歩4分。


     






      




       






このエリアの全体説明動画

動画
http://youtu.be/elCZvQjO7xQ






で、早朝 ワゴン車が伏見屋さんにやってくるわけだ。

そんなに早く来て

満男が朝っぱらから砂丘にいるのかなあ・・・

倉吉から1時間半以内で砂丘に着いてしまうけどねえ・・・


      





    



そして

寅と泉ちゃんを乗せて砂丘へと出発して行く。



すばらしき杉山とく子おばあちゃん。
一人の娘さんの人生を救ってくれた人生の達人。

    




    




見送る杉山とく子おばあちゃん。

泉ちゃんにとっては
観音さまのようなおばあちゃんでした。



さらば倉吉。


僕らの旅も日本海へと移りましょう。



さて、泉ちゃんと寅を乗せたワゴン車は
遂に日本海沿岸に到達します。

まず、「魚見台」がロケ地になっています。



    

 

   



   





動画

http://youtu.be/oYdJRYmwOxE



BGMつき歩き動画

http://youtu.be/iySQUaCZPEg







そのあとのシーン。





丸い岬が見えてきます。


ここは、世界初登頂



    



    

  


    






動画
http://youtu.be/SSGSosmFwBQ







次に


鳥取砂丘に着く直前のシーン。

気高中学校の目の前。


ここも、世界初登頂


          




     





   





遂に泉ちゃんは鳥取砂丘に到着する。

小手寅さんはこの石碑は移動しているんじゃないかっていうが
移動していない可能性もあるのでは・・・と思っている。

石の積み方
小山との関係などが似ているからだ。

     




     





      茶色の建物は今もそんなに変わらない。

     




     





満男は鳥取砂丘の一番高い場所である「馬の背」のてっぺんで待っていたことが分かる。 


    




    





     1991年秋 泉ちゃんを想いながら鳥取砂丘の馬の背のてっぺんで海を見る満男

     



      2014年5月 同じ場所で再現を試みる私の息子(龍太郎)

     







      





  




      




   







   




   




   


こけ方がうまく行かなかったがかなり雨が降ってきたので
1回でやめた。
それゆえ、走りよるところまでの動画にしますね^^;


動画 
http://youtu.b
e/kmk_0HIrsvM









そして今回の大きな収穫

泉ちゃん、悲しみの絵ハガキ 回想シーン。

これは本編ではなくなんと【予告編】から映像を取り出して
徹底的にストリートビューや数々のサイトで調べ上げた結果
事前に見つかったのだ。


ここも世界初登頂



これね、ちょっと見たら普通に波打ち際に見えるのだが、

実はね、海から10メートル以上高い位置なのだ。

動画で説明↓



動画 

http://youtu.be/HxfsQd8W1TY






   





   




       砂丘の中にもストリートビューは徒歩で入っていた!

    




    




今回はこのあたりでお開きとしましょう (^_^)



次回6月下旬更新は、鳥取駅周辺と
満男と泉ちゃんが手を握り合う山陰本線車窓風景再現と
聖子さんの住む川原町、その後の安部駅などを紹介。





続く^^;
     




 朝日新聞夕刊に連載中のコラム「これでいいのだ!」に掲載された私に関する記事

   


    
 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では
      このように写真も大きく拡大できます。↓


 



終わり







ガレリア

兵庫県たつの市の「ガレリア」で
で今年も染織工芸と絵画の展覧会を開催します↓

2014年5月1日〜5月13日 水曜日休み


   




   







寅次郎音楽旅 寅さんの言葉




男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば】



友人の佐藤利明さんがプロデュースした作品。
もちろん彼が大きな骨格であるコンセプトを決め、曲や言葉をセレクトし、
そして全体を俯瞰的に監修された寅さん最新作CDだ。

寅次郎音楽旅の4作目。

いや、もう、4月からこのかたずっと4つの連続展覧会で多忙が続き、
ちょっとした合間の休日も仲間との「ロケ地めぐり」が続き、
そしてその事後処理とサイトへの記事アップが続き、


ようやくそれが一段落した今、
1ヶ月半間寝かせて熟成させておいた、この
男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば」を聴いている。

相変わらず使われているスチール写真は貴重で美しいものばかり。
佐藤さんの手にかけたものは、とにかく本の時もCDの時も常にスチールは絶品。
もうね、音楽聴く前に、このスチールだけでわかるでしょ、内容の充実が。



     



昔からまあ、寅さん名言集なるCDはいくつかは出ている。
しかし、佐藤さんはその名言とそれに関係した音楽を組み合わせた。
ここまで徹底した融合と数は日本初の試み。
こうしてセリフと音楽を混ぜて聴いていると不思議な臨場感に包まれていく。
なんだかこういうのは初めての体験。
これこそ映画の音楽(劇伴)の醍醐味なんだろう。

今回CDは2枚組み。
寅の「言葉」が本編から直接90箇所選ばれている。
そしてそれに関連させた音楽がオリジナル音源から108曲。
合計198トラックをCD2枚にちりばめている。200近い収録って、ものすごい数だ^^;


     


もとより、佐藤さんは佐藤さんの眼があり耳がある。
6歳からこの映画に親しみ、感覚を熟成させてきた言葉のセレクションがある。

たとえば第8作「恋歌」OPで、雨の日に旅の坂東鶴八郎一座を励ます寅の言葉、

まあ、こんなことはいつまで続くもんじゃねえよ。
今夜中にこの雨もカラッと上がって明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。
お互いにくよくよしねえでがんばりましょう


あのあと、大空小百合ちゃんとのやり取りの中で流れる曲ががいいんだな〜。名曲ですね。
もちろんその曲も収録されている。


    



そして同じく坂東鶴八郎一座とのささやかな再会と別れを描いたあの
第18作「純情詩集」で、別所温泉での早朝の別れのせつなの言葉。

おーい、
しっかりやれよお!
またいつか、日本のどっかできっと会おうな!



このあたりの旅人どうしの一期一会の地味な味わいを入れるのが佐藤さんの眼。

そしてコアなファンたちが待ちに待っていた
第23作「翔んでる〜」の布施明さんが歌う「
とまり木」のセレクト 
これもこの歌の詞の持つ重要さをわかっている佐藤さんの優れた感覚。



そしてこのシリーズの中でも出色の寅のセリフ。
第27作「浪花の恋の〜」の中で、失意のどん底のふみさんや弟の恋人を慰めるあの言葉。
あの言葉によって私たちはどれほど慰められたかしれない。

そら、今は悲しいだろうけどさ、ね、
月日が経ちゃあ、どんどん忘れていくもんなんだよ.
忘れるってのは、ほんとうにいいことだなぁ…



     




第29作の丹後伊根の波打ち際での、失意のかがりさんへの言葉。
あの言葉は万人の男女の胸にしみる。

そりゃ、こっちが惚れてるぶん、向こうもこっちに
惚れてくれりゃあ、世の中に失恋なんてのは
なくなっちゃうからな

 

     




また、第38作「知床慕情」ラストの寅のハガキ

暑中御見舞い申し上げます・・

これを渥美さんは

「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」と独特の言い回しで渋くナレーションでつぶやく。

この味わいのある渥美さんの「しょちゅう・・・」のセリフを佐藤さんはなにげに拾うのだ。

この独特の言い方である 「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」は
私もいつか誰かに必ず言ってみたいと昔から思っている言葉だ。



第47作「拝啓車寅次郎様」で寅がとらやで満男に鉛筆を売るバイを見せてやるのだが
その鉛筆の話の中で、母親の話をとつとつとするあの「寅のアリア」なども選ばれている。
あのアリアは私が大好きな話。
あの話の中の母親とは、実はさくらのお母さんとの思い出なのだ。
産みの母親に恵まれなかった悲しく孤独な寅に、血のつながりの有無を超えて
寄り添い、分け隔て無く育てたさくらのお母さん。

少年期のデリケートな寅の心のひだを垣間見る美しいアリアだった。

そのような寅の心の琴線を繊細な佐藤さんは必ず拾い上げてくれる。

そして嬉しいことに、
音楽も今回もまた
20曲近い本編未発表バージョンを惜しげも無く収録された。
この世の中に初めて出る約20曲を聴くためにだけこのCDを買っていいのだ。

今回も含めて、今まで出された「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」の音楽CD4つは
昔から数々の音楽のプロデュースを仕事にされてる佐藤利明さんの結晶とも言える。
この仕事は、世の中での影響力も含めて
彼のこれまでのあらゆる仕事の中心のひとつとなる大きな仕事とも言えると私は思っている。


そういえば、大きな仕事と言えば、もちろん震災の年に始まって、もう3年以上続いている
文化放送の「みんなの寅さん」も確かに影響力のあるもの凄く大きな仕事だが、
かつて6年ほど前にCS衛星劇場「私の寅さん」で、佐藤さんは、2年間の長きにわたって
「男はつらいよ」の数々のスタッフやキャストに本質的な内容のロングインタビューをしていったのだ。
彼のあの腰が入った強い踏み込みによる濃密な仕事こそが、誰もできない佐藤さんならではの
偉大な仕事だったと今でもしみじみ思う。
山田監督へのインタビューにしても、
数年前に行ったNHKの「100年インタビュー」なんかよりCS衛星劇場での佐藤さんと山田監督の
やり取りのほうが山田監督がそれまで言わなかった隠された本質的な会話が多く、
その美しいキャッチボールを見ながら心が心底震えた記憶がある。
あの衛星劇場での数々のインタビューの仕事こそが歴史の長い淘汰にこれからも耐えていくだろう。

私もかつて自分のサイトでこのことは紹介した↓
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi24.html#391


そして上にも書いたように
もうひとつの男はつらいよに関する濃密な仕事。
それがこの「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」シリーズ 4つ(CDにして9枚)というわけだ。


深くこの男はつらいよシリーズを知りすぎたゆえの、愛しすぎたゆえの一人相撲に見える孤高、孤独。
そしてその積み上げたプライドを無理やり自ら打ち破り、格闘し、
彼が長い歳月をかけてこの映画から培った愛情のエキスを
この乾燥しきった世知辛く複雑な世の中にあえてわかりやすく優しく、
しかし深く深く本質をこそ何が何でも伝えようとする不断の錬金術的努力。
その結実が、あの歴史を作った衛星劇場の濃密な掘り下げインタビューであり、
みんなのための文化放送の番組であり、誰でも気軽に読める東京新聞の寅さん記事であり、
そして、明快なコンセプトのもと、膨大な音源を収録し続けているこの寅次郎音楽旅シリーズだ。
まったくこの映画が好きじゃないと到底できない凄まじいバイタリティと言えるだろう。

いったいどこまで行く気なんだろう。
ちょっと忙しすぎるのでお体を大切にしてほしい。
それにしても、数々の行動が早すぎて追いつけないよ まったく ふ〜〜〜 ┐('〜`;)┌















寅さんのことば


友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       
















    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作 
できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                          矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos

            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          



【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ








569


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年5月21日 寅次郎な日々569



龍野ガレリアでの展覧会に
寅さん仲間がたくさん来てくださいました。
ありがとうございました。



朝日新聞夕刊コラム 「これでいいのだ!」


 朝日新聞夕刊に連載中のコラム「これでいいのだ!」に
 掲載された私に関する記事

   








龍野のガレリアでの展覧会の会期も残り少なくなったある日
寅さんつながりの友人である小泉信一さんが
夕方突然わざわざ大阪の朝日新聞本社
から車を飛ばして駆けつけて下さった。
彼は見た目は↓のようにカジュアルな寅さん風の下町紳士だが
実はれっきとした朝日新聞本社の編集委員なのだ。
2011年に寅さん記念館での個展に来てくださったのをきっかけに
品川での展覧会も来てくださった。
その後、会うたびにマニアックな寅さん話も際限なくし合える仲だ。

会いに来てくださっただけでなく
きちんと新聞取材も長くしてくださって嬉しかった。

それで、その取材の結晶がこの文章である↓

   



 朝日新聞夕刊に連載中のコラム「これでいいのだ!」に掲載された私に関する記事

   


    
 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では
      このように写真も大きく拡大できます。↓


 



 
   小泉さんはガレリアの二階からの眺めを気に入っておられた。

    


第48作「紅の花」での石倉ベーカリーのモデルになった
石倉さんご夫婦と娘さんたちや従業員の方たち。そして小泉信一さん
そしてその右横が私で、
私の右隣はずっとお世話になったガレリアのオーナーさんである井上さん。
石倉さんのご主人はごらんのように
長田の寅さんとして
寅次郎の格好で来てくださいました(*^▽^*) 





    
石倉さんご家族と私

    


石倉さんたちは龍野の町を私と散歩されました。
ご主人の寅さんは龍野の風情のある町並みに見事に
はまっていました。


   



龍野市の栗原市長さんも副市長さとともに訪れてくれました。
寅さんのロケ地に龍野の町が使われたことに
とても興味を持たれ、龍野の町並み保存のことや
「寅次郎夕焼け小焼け」の話題で30分大いに盛り上がりました。

    


    


息子醤油蔵をモチーフにした2分のアニメーションも興味深く観てくださいました。

    

龍野市長のHP
http://www.city.tatsuno.lg.jp/shisei/shichou/shityonoheya.html


ヒガシマル醤油の取締役である浅井さんも龍太郎のアニメーションを
興味を持って観てくださり、醤油つくりのことについていろいろ語ってくださった。

     




そして以下↓の写真たちは
僕の展覧会のために遠くから駆けつけてくださった全国の
果てしなく
ディープな寅さん仲間の方々です。
一部しか紹介できませんが写真を取り忘れた方々続出ですいませんm(_ _;)m
しゃべるのに夢中で写真はどうしても忘れるのです^^;ヾ


    
左端は今回アニメーションをこの展覧会で発表した息子の宮嶋龍太郎
   
   


    


     


     


      


      


       


       


       


       


          
  インドネシアの青年たちとの深夜の交流もありました(^ー^)ノ

        




            ロケ地めぐりの達人たちと2日かけて750キロの山陰ロケ地制覇の夜に乾杯

 


     

みなさん ほんとうに遠くからありがとうございました。



また、今回龍野滞在中に休日を利用して
第44作の兵庫と鳥取と倉吉のロケ地を小さなシーンや車窓まで完璧に制覇し、
別の日に今度は第32作の因島のロケ地も完全制覇した。
これらは5月末までにアップする予定。



終わり







ガレリア

兵庫県たつの市の「ガレリア」で
で今年も染織工芸と絵画の展覧会を開催します↓

2014年5月1日〜5月13日 水曜日休み


   




   









寅さんのことば



友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       
















    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年5月13日 寅次郎な日々568


一期一会  雨にけむる鶏籠山とハーモニカの音色




兵庫県龍野市、揖保川のほとり
ギャラリー「ガレリア」での日々も明日が最終日。
本当に多くの人々が来てくださり感謝以外の何ものでもない。
ガレリアの馴染みの多くのお客様方、
龍野の町で知り合った私の仲間の方々、
ほぼ毎日、特に遠くから来てくださったたくさんの寅さんファンの方々、
そして長い付き合いの全国から来てくださった私の多くの寅友たちや記者さん。
毎日がんばってくださったオーナーの井上さん、お兄さんの若林さん。
セコンドであり、縁の下の力持ちの松本さんをはじめ若いスタッフの方々。
そして、私をいつもしっかり支え続けてくださった地元龍野の寅友の小手寅さん。
本当にありがとうございました。
こんなにいろいろな方々に支えられるなんて予想だにしてなかったので
驚きの毎日であり、そしてなによりも凄く楽しかった。


     今回は私の息子の宮嶋龍太郎も新作発表をガレリアで行った。↓

   


本日は最終日の前の日
雨にもかかわらずはるばる堺や赤穂から寅さんファンの方が来てくださった。

赤穂の方はなんとハーモニカ演奏をしてくださり
そしてなんと「
男はつらいよ」を演奏してくださったのだ!
やさしくしっとりとした彼女のハーモニカの音色は旅を続けている私の心に沁みた。

雨けむる龍野の町と鶏籠山を遠くに眺めながら
3度4度と演奏してくださった。

ガレリアでの演奏動画
http://youtu.be/gpXno3YBZ6k


ハーモニカを演奏する赤穂の小河由美さんと雨にけむる鶏籠山




今回来られた方々のお写真(一部です)は数日後にまたアップします。
また、今回龍野滞在中に休日を利用して
第44作の兵庫と鳥取と倉吉のロケ地を小さなシーンや車窓まで完璧に制覇し、
別の日に今度は第32作の因島のロケ地も完全制覇した。
これらは5月末までにアップする予定。



終わり







ガレリア

兵庫県たつの市の「ガレリア」で
で今年も染織工芸と絵画の展覧会を開催します↓

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寅さんのことば



友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       
















    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年4月7日 寅次郎な日々567

真夏の夜の夢  
寅次郎ハイビスカスの花 


寅とリリーの蜜月の棲家
沖縄、国頭郡の国頭家がわかりました。




   


   





リリー「私達…夢見てたのよ、きっと。ほら、あんまり暑いからさ」

と寅に微笑むリリー。


寅「そぉーだよ、夢だ、夢だ、うん」

博「そうですね」

寅「うん」


これは第25作「ハイビスカスの花」のラスト付近で
寅がリリーにはじめて
リリー、オレと所帯を持つか」とつぶやき、
それに対してリリーがしらふではぐらかす。
というこのシリーズの絶頂期のせりふである。




どさ周りでやつれたあげく、沖縄で血を吐いて入院したリリー。

どん底のリリー。


そんなリリーをはるばる東京から駆けつけ賢明に励まし看病する寅。
このシリーズ最大のヤマバがこうして訪れるのだ。

そして寅の一生懸命の励ましと介護があって
リリーは遂に退院し、国頭郡の本部(もとぶ)町の離れの一軒家に寅と二人で下宿する。

ここから先は寅の四十数年の歳月でも未知の世界。
つまり、寅にとって女性と二人っきりで生活することは今の今までなかったのである。
人生の新しい扉が開かれたのだ。

しかし、寅はその扉から中を覗きこむだけで満足してしまっている。
泡盛を飲んでリリーの横で眠っているだけでこの世の極楽になってしまう寅だった。
今までそんなことすらなかったのだから。

そしてリリーがいつもそばにいる安心感とリリーが健康を取り戻していく様子に
安堵する気持ちとが入り混じり、寅の行動にしだいに弛緩が混じり始める。
リリーは入院していたころの寅の自分に対する一生懸命さが薄れていくような気がして
こころが少し寂しくなっていくのだった。


     



そして遂に

リリーはもう一歩踏み込んで、リアルな日常を寅と共におくりたいと願うようになる。
ある夜、彼女は寅に自分の偽らざる気持ちを告白するのである。

寅には最後、とらやがあるが、
リリーは、自分でその『居場所』を築かねばならない。寅はその方向を避ける。
男として自信がないのが半分。そして残りの半分が渡り鳥としての業がそうさせるのだ。

寅はリリーの告白を受け止めることができないまま・・・。

傷ついたリリーは一人内地に帰ってしまう。


     


紆余曲折の後、ようやく二人はとらやで再会し、
心から仲直りをする。
そしてリリーと寅は過ぎ去ったあの夏の夢の日々を
ゆっくりと大事に回想するのだった。


寅「暑い一日が終わって、夜になると、ス――ツと涼しい風が吹いてなあ…、
  遠くで波の音がザワザワザワザワザワザワ 


リリー「ほら、庭に一杯咲いたハイビスカスの花に、月の光が差して…、いい匂いがして」

寅「うん。昼間の疲れで横になってウトウトしてると
  お母さんの唄う沖縄の哀しい唄が聞えて来てなあ」


リリー、懐かしい『白浜節』を静かに口ずさむ。

まるで自分の気持ちを託すかのように。


リリー「♪我んや白浜ぬ 枯松がやゆら  
   春風や吹ちん 花や咲かん 二人やままならん 枯木心」


リリー「私、幸せだった、あの時…」



寅は未だ夢から覚めやらぬ感じであの冒頭に紹介した言葉を呟く。



「リリー…オレと所帯持つか…」



     





                 




この物語は、自らの旅人の美学に殉じながらも、
ほんのつかの間、まるで子供のママゴトのように、
定住を夢見た二羽の渡り鳥の甘く哀しい物語である。
現実の泥を被りたくない寅のわがまま、身勝手、そして心意気。
寅の恋愛の行き着くところを、
つまりその限界を描いてしまった作品ともいえよう。


「あーあ…、夢か…」

寅がそう呟いた短いあの言葉に、
寅の人生が言い尽くされていた。
彼は夢のように生き、夢のように人に恋をし、そして夢の中で死んでいくのかもしれない。

さくらがラスト近くでそっとつぶやいた言葉、

「夢から覚めたって幸せとは限らないもんね、お兄ちゃんは…。

これが寅という人なのだ。



話を本題に戻そう。


さて今回、このロケ地のピンポイントを知らせてくださったのは、
私の寅友であり、SNSの仲間であり、
私たちの周りからはロケ地探訪の天才とまで呼ばれている
京都市の深草在住の寅増(とらぞう)さんだ。
彼の寅さんロケ地探訪歴はもうかれこれ20年ほどになる。

その彼がついに遠く遠く沖縄に行かれ、
あの寅たちがつかのま住んだ蜜月の棲家をついに探し当てられたのだ。
寅増さんは、龍野を描いた私の絵もお持ちのコレクターさんでもある。
東京にも何度か来ていただいているし、龍野での展覧会も来ていただいた、という
とても深いお付き合いの方だ。


ちなみに
このロケ場所はもともと国頭郡本部町健堅(けんけん)付近だということは
色んな方々や雑誌などからもわかっていたし、
私も最終チェック段階で編集協力し、名前を載せていただいている
講談社の「男はつらいよ寅さんDVDマガジン」のまとめ本
「男はつらいよ寅さんロケ地ガイド」にも健堅(けんけん)あたりに
あの蜜月の家『国頭(くにがみ)家』があったことはしっかり載っている。
またあの舞台になった漁港が『浜崎漁港』だということまではつきとめているが

それより詳しいピンポイント情報がなかったのである。

そらまあ、そこまで行けばある程度掴めるのかもしれないが
それはもぅあの国頭郡本部町は東京からは時間がかかるのだ。
今の私には不可能。(T_T)

なかなか飛行機に乗り、はるばるあそこまで行って
地道に一日中かけて探すというようなことはしないものなのである。
那覇空港からバスで国頭郡本部町まで2時間以上かかってしまう。

寅増さんはこれまでも、ロケ地における数多くの世界初登頂を成し遂げてこられたが
おそらくこの国頭郡本部町の国頭家も正式で正確な記録としては世界初登頂だと思われる。

少なくとも今までプレスやインターネットを含む巷のどのメディアにも紹介されていない。


さてそれでは寅増さんの貴重な写真をいくつか使わせていただきながら
寅増さんになり代わって紹介して行こう。



地図↓で頭の中に正確な場所を入れてください。

 





まずはこのシーン。
私が大好きなシーンだ。

夕方寅がバイから戻ってくるのをひたすら待っているリリー。
そして寅が道の向こうに現れるのである。
このころはまだ寅は水族館のイルカのお姉ちゃんに入れ込んでいないから
文字通り、リリーとの甘い蜜月の時期だ。

    



この塀が、二人が下宿していた国頭家(くにがみけ)の外の塀だ。
風除け 津波除け 泥棒除けも兼ねているのかな。

    




     
寅増さんが撮られた写真↓ (本編を再現した高羽アングル)
     





そして外門を入って6〜7メートルほど歩くとようやくこの画像で見える内門↓があり、
その中に左に母屋、正面に離れが建っている。

     


現在はこの外の門とそれにくっついている白いトタン屋根の倉庫だけが残っており
撮影がまさにここで行われたことを物語ってくれる。
6〜7メートル奥には、今は内門もなく、その向こう左の母屋も
そのまた奥のリリーの住んでいた離れも今はない。
もうあの敷地跡には人はいないようだ。

そして今は道から見て右側にブロック塀ができ、隣の肌色鉄筋の大きな建物が迫っていた。
このブロック塀のあたりは映画撮影時は庭(植物)があったところだ。

第48作「紅の花」で撮影された、奄美、加計呂麻島のリリーの家の前には建て札があり
寅さんファンが今も多く訪れているのに
こちらの「ハイビスカスの花」の本部町健堅(けんけん)の方は
知る人さえ誰一人いなかったのだ・・・。


私にとっては加計呂麻島の諸鈍長浜にあるリリーの家と同じくらい
この名作「ハイビスカスの花」で二人が蜜月期を過ごした国頭家は思い出深い。

確かに観光化されてしまうのも問題があるが
このように建物や道がなくなっていくのもつらい。
それならばいっそうのこと、少し観光化されるかもしれないが
みんなに広く知ってもらって道や家を残す方向で
行くほうがいいとも思う。
観光化するといったってそんなにお客さんは来ないから
国頭郡の行政がそれらの維持費を出すかどうかが実際の問題ではあるけどね。



     
この写真も寅増さんが撮られたもの。↓この写真は道から撮ったので内門があったところまではまだ遠い
      外門と内門は結構距離(6〜7メートルほど)があることがこれでわかる。
      外門にくっつくように建っている倉庫の白いとたん屋根は撮影時の面影がそのまま残っている。

      


      倉庫の白いトタン屋根が本編でも少し見える↓

      




この外門の中からの映像はとても貴重で結局このアングルから見た現在の
向かいの2軒の家が物的証拠の最後の決め手となった。↓
そして外門の長い塀の一部が向かって右側にしっかり見える。

     



外門の中に入って撮影すると撮影時に映っていた家が今も残っているのがわかる。
     この写真も寅増さんが撮られた写真↓

     




この国頭家の夜のシーンは全て大船のセットで撮影されたのだが、
夕暮れ時のこのリリーの離れはまだ光があったせいか
かろうじて現地ロケで撮られている↓

      


一方、この夜のシーンは大船のセット撮影↓ 実によく再現してはいるがやはり違う。

      



       これは現地ロケで撮影された母屋の前

         



  これは大船のセットで撮影された母屋の前。植物などいろいろ違う。特に母屋の柱が違う。

       




一方・・・


      国頭家から伸びている浜への細道はどうなっているかというと・・・

      



残念ながら石垣はもうない。みんなブロック塀。でもまだ地の道。
      この写真も寅増さんが撮られたものです。↓
      



それでも今も面影が残ってる箇所はいくつかある↓

  


ただし、実はこの道は国頭家からまっすぐに浜へ伸びている道ではない。
ちょっと離れた場所から海へ伸びている地道だったのだ。
でもまあ、家から浜への道まで歩いて数分なので違和感はない。




   浜崎漁港の浜のほうから逆にあの細道を見るとこうなる↓

    



   この写真も寅増さんが撮られたものです↓ 
   現在はこうなっている。建物も含めやや面影が残っている。

後にリリーが寅に愛想をつかせて早朝に一人内地に帰った後
リリーを追いかけ、この浜崎港の船着場から横の島の瀬底島への連絡船に
飛び乗り「東京へ連れてってくれ!」と懇願するのである。

イルカのお姉さんもこの浜からの連絡船を使っていた。

    




以上です。

寅増さん、レポートやお写真でのお知らせありがとうございました。
長旅お疲れ様でした。

この国頭家のピンポイント情報はロケ地探索において
大きな前進でした。



私も数年以内に行きたい場所だ。遠いけれどもやはりどうしても行きたい・・



リリーの夢を見てたのよ・・か 


       





行かれる方のために、地図と航空写真を再度添付↓しておきます。


浜崎漁港からの細道がそのまま国頭家に直結していないことが地図でもわかる↓
本編の中でも2つのカットで撮られている。


国頭郡本部町建竪1093付近






  赤く囲んだのが国頭家。黄緑がリリーの離れがあった場所。(今はもう外門と倉庫以外なにもない)
  赤い矢印は浜崎漁港の浜辺からのリリーの歩いていた細道(上の地図参照)

  






話は変わって・・・


   ところで誰かこの場所をご存知な方いらっしゃるでしょうか?^^;
   沖縄ロケの中で最も難攻不落の場所です↓

   





終わり




ガレリア

兵庫県たつの市の「ガレリア」で
で今年も染織工芸と絵画の展覧会を開催します↓

2014年5月1日〜5月13日 水曜日休み


   




   









寅さんのことば



友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       
















    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ








566


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年3月22日 寅次郎な日々566

上野駅高架下の酒場
富永課長の「まるき」とマイケルの「永谷不動産」


3月19日にバリ島から帰ってきた。
いきなり翌日用事で上野に。
用事が終わって手ぶらで帰るのはいやなので
せっかく上野まで来たのだから
前々から行こうと思っていた富永課長のなじみの店「まるき」
とマイケルが飲み明かした飲み屋路地を行こうと急遽決意!

実はこの2つの作品の上野ロケは誰もが探せばたどりつけるはずなのだが
どの本にもどのサイトにも
マイケルと寅が別れるじゅらく前の中央通交差点だけは記されているが、
その前の高架下路地のピンポイント位置が載っていないのだ。

第34作の富永課長のなじみの店「まるき」も誰もピンポイントでは記していない。

     


     


     

この3箇所にピンポイントすれば、ひょっとして日本初登頂^^;

地図で観ると広大な線路の流れの中に路地が
入ってる感じなのだ。
つまり線路の中に店店がある。




     



まず、
第24作「春の夢」
マイケルと寅が呑む町上野。


上野6丁目13-6

「武文」割烹・小料理屋は今も健在。

斜め向かいの音楽店「蓄晃堂」もまだある。こちらは京浜東北線高架
その向こうの2つのラーメン店もまだある。


       





       





マイケルと寅が早朝に歩く道はここ↓山手線高架

今も残る
不動産屋「永谷」のドーム型の入り口。↓


株)永谷
〒110 0005
東京都台東区上野6丁目11−14(山の手線高架)




ここはちょうど
「まるき」の裏の筋
つまり山の手線寄りの筋にあたるんです。

上野駅の前にある大きな中央通りから
ロケ地に行くときは目印は
京浜東北高架にある「ユニクロ」


ユニクロを挟んで両方の筋に
これらのロケ地はある。


       





         



動画


http://youtu.be/WbQCI0RfLVA







第34作「真実一路」
富永課長と寅が呑んだ「まるき」

実は、つい数年前までまだ「まるき」あったが、
今はホルモン焼き屋「極みや」になっていた。
その2軒隣の
薬局「美生堂」は今も健在^^
うなぎ屋はつい最近違う店になってしまっていた。
「消化栓」は健在。

東京都台東区上野6-12-14(京浜東北線高架)


        






        



    



終わり






寅さんのことば



友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       
















    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ












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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年3月1日 寅次郎な日々565

車寅次郎と浅田真央 

起死回生の結末とカタルシス

運命の直前6分間練習



   



映画「男はつらいよ」がなぜあんなにもラストに感動があるかというと
それは私たち観客の気持ちの上昇の幅(落差)があるからである。

たとえば第8作「寅次郎恋歌」で
マドンナ貴子さんとの心のすれ違いに絶望し、
孤独の中寒い夜に一人旅立つ寅。

この時寅の孤独はピークに達している。


   

そしてラスト、

秋の甲州路で、
一期一会の思い出深い坂東鶴八郎一座との再会。

「先生!私です。いつか四国でお会いした小百合です」
「おお!小百合ちゃん!雨の降った日の」
「はい!」

心から信じれる陽気な仲間たち。

晴れ晴れとして、寅は「救い」を味わうのだ。

そして観ている私たちにも大きなカタルシスが押し寄せてくる。



   


いつだって寅はふられようが惚れられようが
得恋を諦め、傷心のもと旅だって行く。
愛を与える事だけを運命付けられ、それゆえ
宿命的にどん底に突き落とされるからこそ
一人旅する日本晴れのラストシーンが永遠のカタルシスになる。




実は先日、これに似た至福を味わった。



2014年 2月20日 
ロシア ソチオリンピック
アイスバーグ・スケーティング・パレス

フィギュアスケート 女子シングル フリー


浅田真央のフリー演技・・・


地獄と天国

不思議だ・・・





今回は上位3人がSPもフリーも高レベルだったので
浅田真央は納得のSPで今季最高の点数をだしたとしても
つまりSP、フリーともども最高でも3位ではあったのだ。


でもそれとは別に
地獄のSPとの落差が大きかった彼女の自己最高のフリーの演技が
大きなカタルシスとともに世界に感動を呼び起こすできごととなる・・


メダルとは関係なく・・・

というより、
メダルを獲れなかったからこそ、
今後何十年も語り継がれ、心に残り続ける
素晴らしい名シーンを作り出すこととなったのだ。


SPの地獄をみんなで味わった事で
この日の完璧なフリーは世界中のみんな、少なくとも日本中のみんなが
救われ、そして、感動した。

この「救われた」と言う気持ちは
SPの地獄なしにはありえないことだった。

なんとも皮肉なことだ。

一寸先は闇 一寸先は光なのだ。



フリー演技の直前・・・



SPの大失敗により、もうメダルは遠のき、
残るのは、浅田真央が最後個人として大きく救われること。

全ての観客は、もうそこ一本。

これこそみんなの一番の願いだったのはひしひし伝わっていた。

もちろん私も、願いはそれだけ。


そして、浅田真央が過去のしがらみを突き抜けた演技をした直後は
伝えきれない大きな心の震えが訪れ、もうそれは至福だった。


「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」



実は私は7年ほどずっと浅田真央を応援してきた。
彼女の国際大会はほぼ全部生放送で観てきた。

浅田真央は氷の天才なのだと7年前から確信し、その滑りを追いかけてきた。
私たちの心を震わせて開放させてくれるアーティストだと。


韓国のキム・ヨナは美しい線を寸分狂うことなくトレースする
有能な絵描きさんの才能に似ている。
再現能力があまりにも非凡で素晴らしい。


それに対して

浅田真央は自分で思い切って線を描く感じと言えばいいだろうか。
だから彼女が調子がいい時は観ている私の予想をはるかに超え、鳥肌が立つ。



キム・ヨナには感心し感服する。凄いって唸る。

浅田真央には心が開放され感動する。



ロシアの優勝したアデリナ・ソトニコワは若いせいか
体が軽いゆえにジャンプの滞空時間が長く
回転もしっかりしていた。
競技的に、そういうことが「加点」になる競技なのだ。


もちろん採点において、ホームのエコヒイキはそれなりにあると思う。

ないわけがない。

キム・ヨナとアデリナ・ソトニコワのフリーの差
5・76点は開き過ぎなのは世界の皆さんが思うとおりだ。


でも・・

そのアドバンテージを差し引いてもやはり2点ほどの差で
ロシアのアデリナ・ソトニコワさんが僅差でやはり勝ったと思う。


キム・ヨナはバンクーバーより抜群に美しかったが
スタミナがちょっときつそうだった。
後半特に微妙にステップやスピンでの開放感が弱かった。


コストナーは実に優雅で美しかった。
さすがの真のアーティストだった。

だから
この順位は「競技」である以上妥当だと思う。





ここで、ちょっとこの「競技」について補足する。


たとえば男子では誰でもできる高くて大きなジャンプを女子がやってしまうと
大きくそのたびに「できばえ点」が加点されて行くるのがこの競技なのだ。
結局「男子」をやってしまうと勝てるわけだ。

だからアデリナ・ソトニコワがキム・ヨナに勝ってしまう。

つまり女子フィギアスケートはやはりバレエダンスや
芸術演技の競争ではなく
体操競技と同じく筋肉やバネ、瞬発力勝負の部分が大きいわけだ。

でも・・・

キム・ヨナが敗れたのはやはりそれだけじゃないと思う。

なんていうか・・・

生命力の差とでもいうのか・・

芸術性はまだまだ低くても
やはり生き物として輝いていたのは
アデリナ・ソトニコワだったのだ。

しつこく言うが

極めて正確なトレースの線と
生のフリーハンドの線の違いと言うのは
絵画においては本質的なものでもあるわけだ。

もちろん
どんな選手もみんな
コーチの振り付け通り練習して来ているのは同じなんだが
おそらく人生観がでる。
それを私は「生命力」と言いたい。


キム・ヨナは絶対に安全な足し算しかしない。

絶対に間違わないくらい練習を重ねた確かな足し算。
もちろん芸術的にはかなり高いレベルだが・・・

「身を捨てない」のだ。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という行為の中で
成功体験をしたことがないのだろう。

韓国と言う国のお国事情がそうさせたのかも知れない。

キム・ヨナはメダル授与後のインタビューのあとで
気持ちがようやく軽くなったって号泣したそうだ。



とまあ、
このように美を競う反面「スポーツ競技」でもある以上
浅田真央も今回のフリーは
究極のプログラムで臨んできたのだ。

それが「
8トリプル

「8トリプル」とは、文字通り、3回転ジャンプを「8つ」跳ぶこと。
浅田真央のいつものフリープログラムでは、
トリプルアクセルを2回入れていたため、
コンビネーションジャンプは、「3回転半+2回転トゥループ」になっていた。
3回転ジャンプは7つ。

しかし、ソチ五輪フリーでは、トリプルアクセルを1つに減らし、
いわゆる3回転+3回転のコンビネーションジャンプ
(「3回転フリップ+3回転ループ」)に変更。

これで、3回転ジャンプが「8つ」になった。

トリプルアクセルを2回から1回に減らしたのは、
プログラムを易しくするためでもリスク回避でもない。

3回転+3回転のコンビネーションを入れることで、
逆に基礎点を上げる作戦だった。
むしろ難易度は上がっていた。

浅田真央のソチでのフリープログラムの基礎点の結果は66.34。
ソトニコワ(61.43)、キム・ヨナ(57.49)、コストナー(58.45)を
大きく上回ったのだ。




さて


話は戻って・・・



あの19日、魔のSPの地獄のあと
翌日もまぶたを腫らし あきらかに寝不足の顔で昼の練習に臨んだ浅田真央の映像は
冴えが全くない状態だった。

その直後の佐藤コーチandお姉さんの舞さんからの電話での
びっくり水「叱咤の渇」と昼練習後の貴重な睡眠and赤飯

そして決定的に浅田真央を生き返らせたのは
本番直前6分間の練習。

間違いなく地獄のSPからの歴史に残る
起死回生の24時間だった。



深い奈落から遥か上の空が見えて

もうメダルを意識しないですむんだと思った時
はじめて自分の追い求めたスケートができると思ったのだろう。
ここまで落ちてようやく「覚悟」ができたのだ。
あとはもう「自分が心から納得できればいいのだ」と開き直ることができたのだろう。

そして最後の6分間練習で、今までちぐはぐだったすべての「タイミング」が
ピタっと完全に合致したのだ。
「身を捨てる」ことにより幼虫から蝶へ脱皮した。
あの最後の6分間の練習で彼女はおそらく理想としていた未来が
パーッと見えたんだと思う。

私は生放送であの6分間練習をしっかり見ていた。

なんとトリプルアクセルも3回転連続ジャンプも
静かにしかし完全に自信に満ちながらスイーッと決めていた。

会場がざわめく・・・・


昼の練習が最悪だと聞いていたので
この6分間練習は信じがたい光景だった。

これのどこが最悪なんだ・・・?

すべての雑音が消え、タイミングが見事に合っている。


あの6分間練習が全てだったと思う。

目に力が蘇り、顔に全く迷いがないのがありありと見えた。
なんという回復力。
彼女の類まれな才能がプレッシャーを超えていったのをまざまざと見せつけられた。

もうこの時点で、

実は私は成功をかなり確信した。
そう思わせてしまう何かがこの6分間練習にはあった。



運命を大きく分けた
2月20日フリー演技直前の6分間練習は
ゆっくりではあったが見事に体が動いていたのだ。
完全に24時間前の浅田真央ではなかった。



フリー演技直前の6分間練習に向かう浅田真央。
この時点で目に大きな力が感じられる。↓

   




ラフマニノフの一生一品 最高傑作

「ピアノ協奏曲第2番」




そして奇跡が起こり・・・


  




浅田真央が泣いた。


7年間見てきて・・・彼女はちょっとやそっとじゃ泣かない人。


その浅田真央が感極まって「喜びの涙」を見せた。



結局私は

浅田真央のこの顔をLIVEで観るために7年間応援して来たんだなって
しみじみ思った。




     


    





     






     







     






     







      









      









      







「何かあったら、僕が助けに行くから」


そう言ってリンクに送り出した佐藤信夫コーチ。







今までにない大きな演技で滑り終えた浅田真央を感動の顔で見つめる佐藤信夫コーチ。
私はこの佐藤コーチの表情を忘れない。

     






車寅次郎に感じるあのなんともいえないカタルシスを

浅田真央のこの演技にも強く大きく感じ、

どうしょうもなくこみ上げてくるものがあった。

長い間応援し続けてよかった・・・・




「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」






本当にありがとう 真央ちゃん。







     












        











終わり







    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ











564


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年2月15日 寅次郎な日々564

第47作「拝啓車寅次郎様」
宮典子さんの鎌倉の自宅と車窓風景を発見!





今回はバリ島から更新。




宮典子さんは人妻である。
それゆえか寅も積極的にはアプローチはしていない。
あくまでも人助けの延長にあるちょっとしたひと時って感じだ。

それでも典子さんが柴又のとらやにやってきた事を
さくらから聞いた寅は、
やはりもう一度だけ会いに鎌倉に行きたくなったのである。

満男に運転してもらって首都高速を一路
鎌倉の住宅地へ行く寅。


動画
http://youtu.be/GEaDtklOyNE



そして、鎌倉の鶴岡天満宮前を通り・・・

鎌倉市梶原3丁目27付近




三浦半島の秀吉とおふでさんの住む別荘を出発して
鎌倉へ向かったのは2時半だったがここからがかなり
3連休の渋滞に巻き込まれてしまって、
ちびとらさんがいろいろ裏道を探したにもかかわらず
結局宮典子さんの家にたどり着いたのは夕暮れ時だったのだ。


満男が運転する先に典子さんの娘さんがいる。↓


      



今も家の塀も車庫もほとんど同じ↓

       



郵便ポストと電話ボックスは形は変わってはいるが今も残っている。

      




      



   



宮典子さんの家も薄暗い時刻なので街灯がついていた。
典子さんに扮する私^^;

    



   


そして結局寅は幸せそうに娘さんと話しながら外へ出かける
典子さんを見て、安心し、
声をかけずに帰っていくのだった。

   


取材を続けるうちに、もうすっかり暗くなってしまった。

   


この宮典子さんの家を満男たちが見つけるまで
ちょっとの間道に迷うが
実はこの迷っていた道は、
この場所から車でなんと15分もかかる七里ガ浜の近くだったのだ。

ここは、ストリートビューで、
ローラー作戦で1日かけて見つけ出した。


鎌倉市七里ガ浜東2丁目


満男達はこのあたりをうろうろする。
宮典子さんの家は、実は、ロケ地的には
この七里ガ浜東からかなり北東(車で15分)の梶原町にある。

       



    



    



    



    



着いた時にはすっかり夜の6時前になってしまっていた。

    


動画
http://youtu.be/pF2kr7gh2b4







終わり







    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
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前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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2014年1月24日 寅次郎な日々563
第39作「寅次郎物語」三浦半島大浦海水浴場についに登頂!
秀吉とおふでさんの涙の再会を再現


1月末から海外出張でバンコクとバリ島に行く。
それまでにやらねkればならないことがあった。


一枚の航空写真がネットから手に入った。

この航空写真は映画公開から4年前の1983年の航空写真だ。
当時の様子がはっきりと見て取れる。

 


もうこうなると現場に行くしかない。

第39作「寅次郎物語」
秀吉とおふでさんの幸福の黄色いハンカチ。
2014年 1月12日
私は友人のちびとらさん父子の車で
クライマックスの土地三浦半島に行ってきた。


1987年公開の第39作「寅次郎物語」は
このシリーズの中で出色のロードムービーだ。
この物語は、御前様がいみじくもおっしゃったように
仏様が寅の姿を借りて淋しい秀吉を
助けられた物語でもある。

御前様は、こうも言われた。

「仏様は愚者を愛しておられます。
もしかしたら、私のような中途半端な
坊主よりも寅の方をお好きじゃないかと、
そう思うことがありますよ、さくらさん」

ひたすら愛を与えることだけを
生きがいとして、愚かだけれども
無欲に生涯を貫いていく
孤独な寅の真骨頂がこの言葉に集約されていた。

さすが御前様はちゃんと人間を見ておられる。

それにしても寅は優しい。

秀吉を連れて母親を探す長い旅にでてやるなんて、
さくらもおばちゃんもできはしない。
確かに児童相談所の人がさくらに言っていたように
秀吉を行政に任せることはまこと正論ではあるが、
人が人に連れ添ってあげる人の世の情けは
何にもまして大切なのだ。

寅のやったことは間違ってはいない。
危なっかしいけれど、あれで正解だと思う。

おふでさんの気質を熟知しているからこその
寅の決断と行動なのだから。

そしてそのロードムービーのクライマックスは
あのおふでさんと秀吉の再会のシーン。

天王寺、和歌の浦、花の吉野、そして伊勢志摩。


僕ら観客の思いを遥かに超越して
伊勢志摩から350km.
あの幸福の桃源郷は
三浦半島の南部
浦賀水道の向こう房総が見える
眺めのいい、美しい湾の上に静かに建っていた。

深い感慨が押し寄せてきた。


さて話を最終アタックの出発の朝に戻そう。

1月12日晴れ 絶好のロケ地登頂日和。
三浦半島 大浦海水浴場の別荘跡地 
神奈川県三浦市南下浦町松輪

世界完全未踏峰

朝8時過ぎに待ち合わせ。

ちびとらさん、息子さんの7歳になるゆう君。
そして私。
品川を出発して一路 三浦へ!
はるばる出かけて行った伊勢志摩で、
悔しい思いをしたちびとらさん父子にとってはリベンジの旅だ。
そして私も一緒に登頂する。

品川を出発してしばらくすると
第1作のロケ地「大井オートレース場」が見えてきた。
そして・・そこからまた十数分後
途中の首都高速湾岸線で
フロントグラス越しに、ちびとらさんからの
嬉しい「世界初プレゼント」のお知らせがあった。
いきなり車の中から世界初登頂。d(*⌒▽⌒*)b


これは第何作のどのシーンかお分かりになるだろうか?
大田区京浜島1−2−6

   


答えの動画↓

動画
http://youtu.be/GEaDtklOyNE


幸先がよいので気分も乗ってきた。

そこからさらに1時間

そして、ついに見えてきたのです(T_T)




もうすぐ別荘に着くのでどきどきし始めた頃の様子。
7歳のゆう君の絶妙な「合いの手」をお楽しみください。
動画 序曲
http://youtu.be/Yjiwosj6GF0

山田監督が隠しに隠したこの秘境についにたどり着いたのだ。

神奈川県三浦市南下浦町松輪 (大浦海水浴場の上)


房総半島も鋸山もしっかり見える。
写真では房総は薄く見えているが
肉眼ではもっとしっかり見えているのだ(*´∇`*)


一郎丸の看板はストリートビューの時と比べて新しくなっていた。

あとで先代の女将さんに聞いたら
「すべては君に逢えたから」で北海道のシーンが少しあるそうで
それをこの一郎丸さんで撮影したようだ。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ またもやロケ地差し替え・・・



車がおふでさんの別荘に入る時の模様を動画で撮影してみた。
僕自体がカメラからでなく
実際の風景を直接見ているので
カメラ自体は斜めになったり
ゆれてしまっていることをお許しください^^;ヾ

スマホによる小さな音の本編のBGMと
ちびとらちゃんの執拗でやんちゃな大きな声の
「合いの手」が入っている( ̄∇ ̄;)



動画
http://youtu.be/I04ipw23LO8


本編当時は
マサキで囲まれた雰囲気のある通路だったのだが
十数年前にマサキは枯れてきてしまったので
一郎丸のご主人が抜かれ、整備された。
マサキはこの写真のように端のほうに少し残っている程度です。

   



本編で見えていた2つの民宿、

「鈴信(すずのぶ)さん」と「一郎丸」さんの屋根が
同じように今も見える(*´∇`*)

あの車が止まったところに生えていた
樫(かし)の樹だけが大きくなったのだ。




     



     






ちなみに


あとで先代さん夫婦にお聞きしたところ
柿の木も本編のようにちゃんとあって
毎年柿を実らせていたそうだ。

あの柿の実はひょっとして本物の柿だったのかもね〜。


このあと先代の女将さんのお孫さんの奥様にお話を聞いたりしていると
先代の女将さんも来られましていろいろ貴重な当時のお話をたくさん話していただいた。






別荘が
取り壊されたのは
今から十数年前だそうだ。





海側の風景なんですが

現地に立ってみると、

どうも本編よりも広い。


これは新しくなにか変えたのではないかと
思い、先代の女将さんにお聞きしてみた。

本編と比べても↑海に近いほうの土地(当時は畑だった)が広い。

先代の女将さんのお名前は「鈴木イチ子」さん


     


このあたりは「鈴木」姓がかなり多いそうだ^^;

女将さんの向こうに見えているテントは
夏場にたくさん駐車場がいっぱいになるので
その時の警備やレジのためのものだそうだ。

この海に近い部分の土地はなんと
本来はもっと下に有って
撮影当時はカメラ位置からは
見えなかったそうだ。


3分の1ほどが土を盛られて、同じ高さまで上げられて
その後駐車場にしている。
夏場の休みの時は満車に近いくらい来るということ。


つまり、撮影当時はカメラはこの位置↓より海よりには
下がれなかったと言うこと。
当時の限界線はここだったのだ。


     


それでは証言動画をどうぞ

http://youtu.be/mEon-04u6FY

あの別荘全体が見えるシーンの撮影はこの位置からだったのだ。

     


     




この別荘についてある「物語」がある。

この写真を見てください。

一郎丸さんに残されている
撮影時のたった1枚の貴重な写真だ。

3人でお昼ご飯をいただく時に
見せていただいた写真。

河内桃子さんと握手しているおばあさんを見ていただきたい。

1987年(昭和62年)の秋の撮影。

当時だいたい彼女は90歳くらいだったらしい。

なんとこのおばあさんは104歳まで生きられる( ̄∇ ̄;)

お名前は 鳥海愛子(とりうみあいこ)さん

彼女こそがあの別荘の土地と畑、そして家屋の持ち主だった。

彼女のことをちょっと話しましょう。



      


この話は、民宿「一郎丸」さんの自宅居間でコタツにあたりながら
ゆっくりとそのおばあさんのことをお聞きした時のもの。

映画撮影自体は静かに行われていたようで
一郎丸さんの家がなんとスタッフやキャストたちの
荷物置き場兼着替え場兼食事場になったようだ。

山田洋次監督は思ったより気さくで明るい人だったようだ。
渥美清さんは静かであまり動かなかった印象があるとのこと。
当時役者さんからサインをもらったりしましたとおっしゃっていた。

ただ、スタッフさんたちは
撮影そのものを近くからずっと見るのは
あまり好まれなかったようだ。

それゆえ、あまり撮影現場そのものの
様子は見ることができなかったとおっしゃっていた。

やはり世間的には伊勢志摩と思わせないといけないための
隠密撮影のせいかもしれない^^;

それでも朝からやって来て夕方遅くまでしっかり撮影はかかったようで
ずいぶん長くおられましたとのこと。

河内桃子さんも五月みどりさんもきれいだったとおっしゃっていた^^


別荘の持ち主である鳥海愛子さんはおそらくずっと撮影をごらんになっていたのだろう。



さて・・・鳥海さんのこと。


その鳥海さんはもともと京都にいた方。

公家さんたちと親交が深かった古い家の出身で、
当時財閥の商社のエリートさんであった鳥海三郎さんと
結婚されて
京都から中国上海に渡り、
長い間お手伝いさんが何人もいるような
ずいぶん裕福な暮らしをされていたようだ。

ところが戦争に負けてしまって
大量に持っておられた今で言う何億円もの南満州鉄道の株券が
すべて紙くずになってしまわれて失意の中日本に戻ってこられ
ご主人も動乱の中お酒を飲みすぎて体を壊してしまわれ
愛子さん本人も心臓を悪くされて
暖かい保養地を探されていたのだった。

それこそ理想の土地を求めて
日本中をいろいろ回られたらしい。

もう、お手伝いさんが何人もいる消費生活はやめて
自給自足をしながら
今までとは違った晩年をおくりたい・・


そんな中

ここの三浦半島南部も探され

この風景と気候がとても気に入られ
この別荘地の周辺の土地を買われ
あの白い家を建て、畑を作られたのだった。

中の3部屋はっすべて洋間
一番メインの部屋には洋風暖炉が作られていた。

台所と風呂もあり、
二人で半自給自足の生活を始められていったそうです。

しかし、若いころからそうだったように
愛子さんは三浦に移ってからもとても気位が高く
一郎丸さんたちご家族以外の人々との交流はほとんどなかったようだ。


主にご主人が中心に
野菜を育て
ヤギを買い
鶏を買い・・・
ハチミツをつくり・・・
家が傷んだときは一郎丸さんの先先代のお父さんと
先代のご主人とでいろいろ修繕をしてあげたり、
ヤギの乳をいつも飲ませてもらったり
親交は深かったということ^^


ご主人は家の前の自分の農地で
けっこういろいろなものを作られたようだ。

映画撮影の時には
すでにご主人は亡くなられていた。

だから、あの映画で映っている畑は
曲がり角のところも全部
鳥海さんの土地だった。


ご主人に先立たれてからも
あいかわrず愛子さんは気位が高くて
扱いが大変だったらしいが
一郎丸の先代の女将さんのイチ子さんが(写真や動画参照)が
一生懸命助けてあげたそうだ。

    



一郎丸のご主人は鈴木辰雄さん女将さんは
先ほど書いたようにイチ子さん。
先先代のお父さんの鈴木一郎さんが
この民宿を始められた。
一郎さんは「島渡し」が得意で、釣り人に人気があったそうだ。

    
 釣りのアドバイスをされていたころの鈴木一郎さん
     


ちなみに・・・鈴木一郎さんは野球はしなかったそうです ヽ(´〜`; ォィォィ

その一郎さんのお供で
まだ当時中学生くらいだった息子さんの辰雄さんも
よく鳥海さんの家に行ってはいろんな手伝いをしたそうです。

後年、「男はつらいよ」の映画撮影のきっかけも
もともと鳥海愛子さんと山田洋次さんが知り合いだったと
言うことなのだ!

愛子さんは撮影に来た山田監督を「洋次さん」って呼んでいたので
おそらく古くからの親しい知り合いだったと思われる。


そのあともその話題の時は「洋次さん」って
近所の少年に対してのように
おっしゃっていたらしい。

この三浦に引っ越してからは鳥海さんは東京にはほとんど行かず、
ほとんどここから遠くは出かけていなかったので
山田監督との関係はおそらくそれ以前だと思われる。

上にも書いたように鳥海さんは
上海に長くいらした。

満州鉄道の株もたくさんお持ちだった。

山田監督のお父さんも満州の大きな会社で働いていたと
本に書かれてあっったので、
ひょっとして中国大陸のころ、つまり山田監督が
中国大陸で少年だったころに
知り合った仲なのかもしれない。

彼女が50歳くらいの時に山田洋次少年は
まだ中学生くらいかな。

そうでないと、当時もうすでに大監督だった山田監督に
「洋次さん」とは言わないからねさすがにね〜^^;


なんとも不思議な関係だ。


これは私の勘だが、
山田監督がまだ大学生か社会人になりたてのころ
ひょっとしてこの昔、中国大陸時代からの知り合いである鳥海夫妻の住む
三浦の大浦海水浴場に来てるのではないだろうか・・・

いい場所だから一度おいで って手紙かなんか書いて
呼んだのではないだろうか。

大船撮影所からも車で1時間ちょいで行けるのだからね。


そして若き山田監督自身もこの景色や桃源郷のような雰囲気を気に入り
いつの日かここを使いたいと心に留めておられたのでは。。。

だからこそ、こんな伊勢志摩から350キロも離れた場所にもかかわらず
第39作「寅次郎物語」のクライマックスを撮影されたのだと・・
そういうことなんじゃないだろうか。

あくまでも私個人の推測ではあります(*´∇`*)


この鈴木一郎さんと鳥海三郎愛子夫妻がとてもウマがあったせいで
そのあとの鈴木辰雄さんイチ子さん夫妻も夫に先立たれ、
残された愛子さんのお世話をすることになっていくのだ。

映画撮影が行われていたあとも愛子さんは
相変わらずの性格で、誰かがあのマサキの通路を歩いて敷地に入って来ようものなら
手で向こうへ行きなさいという合図をして追い返していたようだ。^^


それでも一郎丸さんたちの助言で、
貯金もほとんどなくなってしまった愛子さんに対し、
今後少しでも収入があったほうがいいだろうということで
シェル石油会社にあの別荘を貸して
保養地として使ってもらっていたということだ。

普段は愛子さんが別荘に住んでいるが
シェル石油関係のお客さんが来たら
愛子さんは別荘の後ろに建てた小さな部屋で
寝泊りされていたとのこと。

とにかく亡くなる年までずっと、愛子さんは夫婦で住んだこの家を
いじられるのが絶対に嫌で
ペンキがはげてきて塗りなおしましょうかと
一郎丸さんたちが言っても
頑なにこのままでいいとおっしゃっていたそうです。

晩年はさすがに雨漏りもしてきて
なかなか大変だったらしいが
それでも、これでいいと言ってなかなか直させようとは
しなかったということだった。

ちょうど映画撮影していたころは
シェル石油に貸していた頃だったらしい。


みなさんもおわかりなように、
あの本編を見てちょっと家が傷んでるなあ・・
という印象を受けたものだから
私なんかは100パーセントすでに長い間空き家なんだろう
って思ってしまっていた。

あの映画撮影の後も
ハゲハゲになりながらも10年以上も愛子さんや時々はシェルの社員が
あの洋館に寝泊りしていたわけだ。


映画の中で曲がり角にあったあの鉄の門が見えるが
あの扉はシェル石油のスタッフさんが
取り付けたものらしい。

すまけいさんの車が止まるシーンで
エアコンの機械も見えるが、あれもおそらく
シェル石油さん側が取り付けたものだと思われる。

洋間ばかりで暖炉もあったので
シェル石油の多くの外国人たちが泊りがけにやってきたらしい。

彼らはちゃんと食材を買いこんで
自分たちで料理していたとのことだ。

一方
もともと炊事などはあまりしてこなかった愛子さんだったので
あまり動けなくなっていった最晩年はもっぱら一郎丸の女将さんである
イチ子さんがお風呂の世話、選択、毎度の食事を運んであげる等々
まるでおばあちゃんと孫娘のように接していかれたようだった。

それでも気ままな性格は最晩年も同じだったらしく
お風呂に入りたいと言ったあと、お風呂を沸かし終わったら
やっぱり気分が悪くなったのでやめるなんてことはしょっちゅうあったようだ。

もうずいぶんお体が動けなくなってからも
病院に行くことは拒否されて
ひたすら家の中でイチ子さんに面倒を見てもらったとのこと。

中年期から心臓が悪かったので
かなり何度も危ないときがあってその時はお医者さんがわざわざ
車で往診に来てくださったのだ。

そして最期の時も
やはり病院に行くことをいやがられたので
鈴木さん夫妻が最期をあの別荘の中で見取られたそうだ。

お葬式もあの別荘の中で鈴木さんたちがしてあげたということだった。

愛子さんの親戚は伊豆と京都と九州におられて
お葬式には何人か来られたらしい。


それで、それまでに、愛子さんの借金も少なからずあったので
親戚の人たちと相談されて、
この愛子さんの土地を買い上げる形で一郎丸さんら何軒かが
借金を支払ってあげたそうだ。


愛子さんは
「私が死んでもこの家はこのままにしてほしい」と言っていたらしいので
5年ほどはそのままにしていたが
もうかなり家自体が危うい感じになってきたので
十年以上前に取り壊しましたと言っておられた。


で、今は畑もなくなり家もなくなり
すべて駐車場になって・・・

そこにはただ風が吹いているだけ・・・..( = =)




で、お昼になったのでこの「一郎丸」さんの座敷で
お昼をいただいた。(2日前に予約済み)

エアコンと石油ストーブの両方がついていたので
食事の部屋は暖かかった。

ゆう君は石油ストーブが珍しいのかこのようにあたっていた^^


     


お刺身
煮魚
野菜の筑前煮
漬物たくさん
カニの味噌汁
ご飯食べ放題

でした。

お刺身は絶品。

消費税込みで 1600円でした。

ゆう君には食べやすそうなものが複数ついていた^^

一郎丸さんのHP
http://ichiroumaru.com/index.html

山田監督は昨年「小さいおうち」を作られたが
この別荘のイメージなどもあったのかもしれない。
今も監督のイメージの中に生きているのではないだろうか。

この前のインタビューで
ああいう小さいおうちのような生活を
満州時代に送っていたようだ。

山田監督の原体験は満州・・
愛子さん夫妻の中年期の活動も中国大陸にあった・・・

山田監督はお母さんにちょっと縁が薄い人なのだ。
青春期の途中でお母さんが家を出てしまう。

なんかいろいろな絡みがあるような・・。

監督にこのことをいろいろ聞いて見たい気もする。

さて、

食事が終わって外に出てみると


ちびとらさんが

「午前t中よりも房総がはっきり見えてますよ」と言ったので

しっかり見てみると

おおお


    



写真ではさほど午前中と変わっていないようにも見えるが
肉眼で見るともっと房総の向こうの町までも見えた。

今日はいい日だ。



さて、三浦でもメインエベントの時間がやってきた。

あの秀吉とおふでさんの涙の再会の動画を撮影したのだ。

運のいいことに午後から暖かくなり、動きやすくなった。


ゆう君(ちびとらちゃん)を
まずアーモンドチョコを買ってあげると言って
撮影協力させました。悪い大人の典型 ブワッハハ!(▼▽▼)



出演   ちびとらちゃん
      彰


音楽 山本直純さん(小さくBGMとして)


撮影監督 ちびとらさん
録音監督 ちびとらさん
助監督   ちびとらさん
カチンコ  ちびとらさん

総監督   彰(演技&演出)


別荘はもうないので
おおよその居場所を決めて撮影した。

まったくの本編の再現と言うよりは
私のイメージでやった映像であることをご承知ください。


涙の再会再現動画

http://youtu.be/1RMk9bBw7lI




さて

一郎丸の女将さんによると
映画撮影の頃はこの赤丸で囲んだ小屋はあったそうで
この小屋と母屋の関係からも東西南北の中でのそれぞれの位置がおよそわかるのだ。

別荘の出入り口付近は、
あの小屋よりだいたいですが
3メートルほど海寄り。


     




右が1983年の航空写真
左が現在の航空写真


  


   





1983年の航空写真に撮影時の詳細を足すとこうなる↓
   


赤丸が上に添付した母屋の隣の小屋
青い丸は樫の木
黄緑の線はマサキの入り口への道
水色の線は当時の畑の端

これで見ると右の1983年の航空写真で
赤丸の隣に見える
白い屋根の家があの別荘!!


これによっても当時の位置がドンピシャでわかる。

まあ簡単に言ってしまえば
別荘出入り口付近は
赤丸小屋より3〜4メートルほど海よりに建っている。

そして横は樫の木の端から始まっている。

当時会社に貸していたために
その時に別に住むために
後ろにも屋根(部屋)を継ぎ足してあるのだ。

別荘についてのおおまかなまとめ動画。↓
http://youtu.be/Z_OttLsnmOQ



    寅の後ろに見えていた森とスピーカーは今も健在。↓
       


    



    




寅たちの周りに見えていた愛子さんの畑は今は全部駐車場に変わり、マサキの垣根も様変わりしてしまった。
    


    




ちょうど別荘の出入り口があったっと思われる場所で
先代の女将さんである鈴木イチ子さんと記念撮影。

     





   




このロケ地めぐりの帰り、
第47作「拝啓車寅次郎様」のマドンナ、宮典子さんの家にも
立ち寄った。

その顛末は、2月10日ごろインドネシアバリ島で更新します。




終わり







    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ










562


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年1月8日 寅次郎な日々562

世界初公開

第39作「寅次郎物語」秀吉のお母さんである
おふでさんの住む別荘地はなんと伊勢志摩ではなかった!












第39作「寅次郎物語」はこのシリーズの中で
出色のロードムービーだ。

この物語は、御前様がいみじくもおっしゃったように
仏様が寅の姿を借りて淋しい秀吉を助けられた物語である。

御前様は、こうも言う。

「仏様は愚者を愛しておられます。もしかしたら、私のような中途半端な
坊主よりも寅の方をお好きじゃないかと、そう思うことがありますよ、さくらさん」

ひたすら愛を与えることだけを生きがいとして、愚かだが無欲に生涯を貫いていく
孤独な寅の真骨頂がこの言葉に集約されていた。
さすが御前様は人間を見ている。

それにしても寅は優しい。秀吉を連れて母親を探す長い旅にでてやるなんて、
さくらもおばちゃんもできはしない。
確かに児童相談所の人がさくらに言っていたように
秀吉を行政に任せることは正論だが、
人が人に連れ添ってあげる人の世の情けは何にもまして大切だ。

寅のやったことは間違ってはいない。危なっかしいが、あれで正解だと思う。

そしてそのロードムービーのクライマックスはおふでさんと秀吉の再会のシーン。
天王寺、和歌の浦、花の吉野、そして最後は伊勢志摩。
流れてきた最後の場所の伊勢志摩が
あのおふでさんの養生する松井真珠店の別荘だ。

眺めのいい、海のそばに静かに建っていた。



    



昨年の年の暮れ、
私の寅友の「ちびとら」さんは、この秀吉とおふでさんの再会の場所である伊勢志摩を
遠く東京から息子さんを連れて泊りがけで訪ねられた。



あの別荘は賢島の松井真珠店の別荘だという設定なので、
彼はまず松井真珠店に入って行ったのだ。

今まで講談社の寅さんDVDマガジン担当の方々も
僕の寅友のロケ地をめぐられてる方々もどなたもあの別荘地はわからずじまい。

ちびとらさんはカギを握ってると思われる松井真珠店での聞き込みに
集中されたのだった。

ラッキーなことに社長さんがいらっしゃった。

別荘が撮られた場所を訪ねると、
社長さん曰く「
あの別荘は実はこの伊勢志摩じゃないらしいんですよ


ちびとらさんはショックで目の前が真っ暗になったのだった (ノ◇≦。)


社長さんが言うには「
鳥羽」のほうで撮影されたらしいということだった。

しかし、その後、今は隠居されている先代の社長さんが店に来られて
実はあの別荘のロケは「鳥羽」でもなく、もっと東の「
関東地方」らしい
と言われたのだ。

はっきりとした地名は覚えていらっしゃらないようだった。


先代さんはちびとらさんをあの別荘のモデルになった松井真珠店の
別荘に連れて行ってくださったそうだ。
そのモデルになった別荘はお店からたった7〜8分のところにあったということ。

しかし、おそらく山田監督も高羽さんもなんらかの理由で
ギリギリではその場所を選ばなかったのだ。

おそらく別荘のイメージが監督にはもともとあったのだろう。
あのおふでさんと秀吉が悲しみの時期の跡にようやく再会する場所。
やはり山田監督はかなりこだわったに違いない。


本編のこの
大トリックに気づいた人は未だ日本では誰もいない。
松井真珠店の先代社長さんとその情報を聞かされたちびとらさん父子のみ。


失意の元にちびとらさんは東京に戻り、
その山田監督が密かに仕掛けたこの大トリックのことを僕ら寅友に報告された。



「関東」と言ってもかなり広い。

寅は第43作「寅次郎の休日」の夢で
関東関東と言ってもいささか広うござんす。」と言っているが
あのような別荘がある場所と言えば

まず
熱海、伊豆半島、そして三浦半島、もしくは房総あたりであろう。


私はちびとらさんの報告を聞いた時から
大船撮影所からさほど遠くはない三浦半島や伊豆に焦点を当てた。


とにかくあのシーンでは、観客に伊勢志摩だと思ってもらわないといけないため、
あの別荘の場所がはっきりわからないように撮影されている。


     トリック撮影のため、ヒントはこの数秒の風景にしかない↓

    






あの別荘の入り口を車が曲がる時に見える広々とした対岸。
そしてそこにはちょっと尖った山が見える。




     



伊豆半島にはああいうふうに広い対岸ととんがり山が見える場所は一切なかった。

熱海近辺で少し似た場所があったが、やはり対岸の見え方がちょっと違う。


拡大するとこういう対岸。もうヒント映像はこのシーンだけ。


     




地図や画像で調べ始めて半日が経ったころ
私は三浦半島を調べていた。


同じころ、ちびとらさんからのメッセージが届き
どうやら「三浦半島」が怪しい・・ということだった。


そして私は三浦半島に完全に的を絞り、ローラー作戦に出たのだ。


その数時間後に興味深い風景が見つかったのだ。

それがこの画像↓


    



あのとんがった山とその先の微妙な起伏がとても似ている。
このとんがった山は「
鋸山」向こうに見えるのは房総半島だ。



私はもっと似た画像はないかそれから数十分三浦半島東側に的を絞って
検索を数時間・・・次から次へと 繰り返して行った。


そうするとほぼ似たものが見つかったのだ!

場所はほぼ一緒。

手前の建物も一緒。

それぞれのポイントも一緒



   



あの対岸風景は
浦賀水道と房総の鋸山
だったのだ。




画像によると

三浦市南下浦町付近だということ。


その後対岸が
このように見える場所は金田湾周辺。


南下浦町
菊名、松輪、金田付近・・・
もしくはその延長上 南部 あたり


しかしそこからが、なかなか場所をしぼり、突き止められない。
当時の航空写真や現在の航空写真で調べて行ったが
ヒントが少なすぎて掴みきれない。

ストリートビュー」もかなりあのあたりは通っているが
なかなか突き止められない。




その直前のシーン・・


車窓風景の前半はおそらく伊勢志摩だと思われる。
なぜなら
秀吉君の髪の毛の伸び方が別荘についてからと違うからだ。


   このシーンは伊勢志摩で撮影↓
   



つまり、車内の前半と別荘の曲がり角からのシーンは
かなりの日にちのずれがあるということだ。





      前半の車内の秀吉君          車を降りた後の秀吉君

    



ということで三浦半島でのロケはあの鋸山が見える瞬間から
先だけだということになる。


それからさらに数時間、
ストリートビューによるローラー作戦でついに見つけたのだ!


映画のシーンがストリートビューに現れたのだ!



大浦海水浴場がある 神奈川県三浦市南下浦町松輪


    




二つの風景に共通点はこんなにもたくさんある。


    




    






そしてダメ押しは、


当時からあの別荘があった近くに民宿を構える
一郎丸」さんと「鈴信」さんの存在。

ここは海水浴場や釣り人たちで賑わうので民宿が多いのだ。

この2つの民宿に電話をして聞いてみた。

まず曲がり角の民宿である「鈴信」さんにお尋ねしてみると
寅さんのロケがこの場所であったことを覚えていらっしゃった。

そしてあの別荘の土地は今は「一郎丸」さんがお持ちだから
「一郎丸」さんがもっと詳しくご存知だと教えてくださった。

さっそく「一郎丸」さんに電話をかけてお聞きしたところ、


先代のご主人がそのロケのことはよくご存知で、
写真も何枚か残っているということだった。
あの別荘は元々その家をお持ちのおばあさんが
一人で住まわれていたそうだ。



    民宿一郎丸さん(この裏手が別荘があった敷地、そしてその向こうに海)
   



民宿「一郎丸」HP↓
http://ichiroumaru.com/minsyuku/index.html


映画では赤い矢印のように車は別荘地へ入っていく。
現在はこのストリートビューの画像のように「一郎丸」さんの
専用駐車場の看板が見える↓


 





向こうに見える空き地がおふでさんと秀吉が再会した場所。
別荘はその右側にあったことになる↓


  



  
画像手前に見えるのは民宿「鈴信」さん
  



  




寅の向こうの森に建つスピーカーが見える

  



ロケ地の向こう側の道からは逆方向だがあの同じスピーカーが
森の上から見える。

   



民宿「鈴信」さんの青い屋根の小屋は今もまったく同じ。
その横の母屋もほとんど同じ。


   





これら下の画像のアングルはストリートビューでは当然確認できない

ここからは現地に乗り込むしかないわけだ。


  



  



  



  



  



  

  


これら
のアングルが今はどのようになっているのか
私は今月1月にこの三浦半島南部の大浦海水浴場のロケ地に行こうと思う。


そのレポートはまた後日。








終わり







    




  
 夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2013年12月27日 寅次郎な日々561


山梨県北杜市

第8作「寅次郎恋歌」のラストシーン
そして第10作「寅次郎夢枕」の名シーンを行く


   




これを読まれているみなさんは
昨年12月の三浦半島の三崎のレポートの事を
覚えていらっしゃるだろうか。






2012年12月18日  寅次郎な日々 その536

大空小百合ちゃんと寅の出会いと別れ

三浦市三崎ロケ地全解明 後編&完結編


http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi29.htm#536




そしてちょうど1年後・・・


そう、第8作「寅次郎恋歌」のOPロケ地探索からちょうど1年、
今度は同じメンバーに調布の寅友「らびお」さんを加えた4人で
同じ第8作のラストシーンと第10作「夢枕」の数々の名シーンを
めぐる旅に出かけたのだ。






今回のロケ地めぐりの関東連合は上にも書いたように

ちびとらさん
寅福さん
らびおさん
そして私

のカルテット





今回の最大の目的は

上にも書いた第8作「恋歌」のラストシーン

あの大空小百合ちゃんとの再会の場所。

山梨県北杜市西井出地区




     




早朝の6時に家を出発し7時半に合流したアタック隊4人は

午前9時59分

最終アタックの末

見事無酸素登頂に成功した。


北東の風 風速2メートル

曇りですがほんのと時たまみぞれ

しかし気持ちは爽快だった。



      






晴れたら甲斐駒ケ岳がはっきり見える。


     




今回は柿を持参した。 
らびおさんに寅のポーズを真似して頂いた。↓

     








     






航空写真でも第8作のラストロケ地はしっかり映っている↓


 





航空写真では本編にでてきたあの農家の母屋はまだあったが
今年になって取り壊されたようだ。あのラストシーンでは3つの大きな山がポイントだった

     






ちびとらさんが昨年行った時の写真 この時はまだ母屋は建っていた。


        






2012年にはまだあの家はあった(ちびとらさん撮影)


         






1年経った今はもうない・・・


        



        



今回はあのラストシーンを再現するために柿を持ってきた。

やはりこの場所は柿があると絵になる。





       





午前9時59分 登頂直後の動画。


ベースキャンプで待機している京都の寅友であるカケちゃんに
無線で報告しているところ(*´∇`*)

http://youtu.be/FwNuvES_Jo0


これは柿を石碑に置いた後、
みなさんが撮影されているところ。



やはりがあるとみなさん真剣になられる。(*´∇`*)


http://youtu.be/V_hwdE3VSm


こちらはその時の動画。


http://youtu.be/S5Qsv8jh99I




寅「おばあちゃん!行くよー!」

おばあちゃん「旅の人ー、これからどちらへ行きなさるな?」

寅「そうよなー、どこってこれからよ、
  寒くなるから南の方へでも行くか、へへ気楽なもんよ!」

おばあちゃん「達者でな!」

寅「あいよ!」柿食べ食べ畦道を歩いていく。

寅が柿を置いた直後にトラックが走ってくるのだ。




       





       






晴れたらあの家の向こうに富士山が見える


       



寅を乗せた町田運輸のトラックは
柿を残したまま立ち去っていく。

八ヶ岳の見える風景はまったく八ヶ岳が見えないので
次回にしまして・・・




次は


明野町に入って行く。

この西井出地区から明野は意外に近いのだ。
車でたtった15分。





まずは明野町の北から攻めて行く。


名作第10作「夢枕」のラストの茶屋に!


しかし、途中

ちびとらさんは、道なき道を進まれ
あげくは行き止まり・・・(ノ_-;)ハア…





ユーターンも困難・・・(T_T)


という修行、難行も2度3度と繰り返されていったのだった。


ロケ地めぐり レジェンドの道は遠くい険しい(-_-)



        
    






で、紆余曲折の末




第10作「夢枕」のラスト

篠原商店にたどり着いた。 ほっ(*´∇`*)





        






        



         




        






        





第10作「夢枕」ラストシーン。
この篠原商店の向こうには「清水橋」はない。道があるだけだ。



       


        




        







篠原商店のあらゆるカットのアングルにこだわる。こういう短いカットも・・↓



        





        




http://youtu.be/b9gCgiT1388







ところで

田中絹代さんの旧家だけが
まだ未登頂だったわけだが
この篠原商店さんのご主人とおばあちゃんが
ちびとらさんが一度行かれたとある家の写真を見て
その家が田中絹代さんの家のロケ地だと言われたのだ↓




篠原さんインタビュー


http://youtu.be/VaNlQvZU6Fo





そして篠原商店をおいとますると・・・


ラストシーンの篠崎商店さんから車でほんのすぐのところに
寅と登が本をバイしていた神社があるのだ。

本編では大きく見えるが
じっさいはとても小さな神社。



この神社は天才小寅さんが日本で最初に
発見した場所だったのだ。




      


らびおさんは寅に扮してくださり
啖呵バイをしてくださった。



      




さすが半沢直樹リーガルハイ2にも出演された
最優秀エキストラ賞の方の演技は冴えてる(*´∇`*)


      






      








その後

この田中絹代さんと渥美さんが
伊賀の為三郎の墓を参るシーンの場所に行った。



これもまあ、車で5分くらいの場所。


     




このころになると、かなり雪が降ってきていたが、
私は思い切って寅の演技の再現を敢行した。


           

     





渥美さんになりきる   Д (-人-)



     





      






      






そして、次のシーンに直行。


同じく車で5分。







このあと田中絹代さんと寅は別れていく。

悲しいシーンだ。



北杜市明野浅尾693付近



      





      











      





      






あの本編の柿の木は背が高くなり、今年も実っていた。


      




      





再現動画(*´∇`*)↓

http://youtu.be/pWcNw0CxXFk





寅はそのあと登と出会い
大はしゃぎの旅が始まるのだ。



ヴィヴァルディの四季の「秋」第3楽章
が流れる。


実は田中絹代さんと寅が別れたあの四つ角から歩いて2分、
たった50メートルでこのお坊さんとすれ違う場所なのだ。





北杜市明野浅尾693付近

     





     








この住職さんは実際に近所の大福寺というお寺の住職さん。


     





     






        






さて


ここから約10分


このあとラストシーンの清水橋に向かうが



場所は分かっていたのだが

この時も・・細い道が続き、行き止まりが2度ほどあった(T_T)

でも、なんとか たどり着いた。






北杜市須玉町藤田付近


      






橋はすっかり変わってしまっていたが向こうに見える道と家々にその名残を感じる

      





      




      





実はこの橋では
日本初登頂があった!。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))



第10作の明野シーンでは実はラストの橋以外でも
もう1シーン中盤でなんと寅と登が橋を渡るシーンがあるのだ。

それがこのシーン。↓

お坊さんに道を聞いた直後のシーンだ。


ちびとらさんはずっとこの橋を探されてきた。

でも、私はこの橋はラストの清水橋との共通点がかなり多いので
同じ橋だと助言した。

そしてちびとらさんもご自分で橋脚や欄干、欄干のはじまり部分・・
を見比べた結果同じ橋だという結論に達したのだ。



そうなのだ。

あのラストの橋を渡る前にあの同じ橋を彼らは
すでに一度渡っているのだ。


そしてあの橋の場所は
登がラストで渡っていった側だった。

つまり1度目は渡り終わる場面で、
2度目は渡りはじめる場面で

なんと橋の同じ場所が使われたのだ。

同じ場所だと思わせないために
高台からの橋のだアップだけを撮る方法がとられたわけ。



それがこのカメラ位置。

日本初登頂の場所。



木が生い茂っているので少し位置を変えて撮影した。




     

     


比較的面影が残っているアングル↓


     




     






清水橋
丘の上からの撮影
未踏峰 初登頂  動画



12時54分


北東の風


みぞれ または 雪

かなりみぞれが降り続いて、ややきつくなってきた。



動画 http://youtu.be/nM3O4O6Bo2w





       





さていよいよロケ地も最も南のエリアグループ。

残り3箇所に向かう。

車で7〜8分ほど。


まずはなかなか面白いところにあるバス停。


寅と登がじゃれていた「
大内バス停





北杜市明野町小笠原


     






     





     



このシーンも寅と登が体を寄せ合ってふざけあってる楽しいシーン。
ヴィバルディの四季の「秋」第3楽章が流れ続けている。

バス停は現在手前の道横に移されてる。



雪の中


ちびとらさんが寅に
らびおさんが登になって空気イスを長い時間やってくれました。
ありがとうございます!





     




          



二人とも組んでる足が逆・・・・・……(-。-) ボソッ

このバス停跡はあの石組みがかもす不思議な魅力ゆえ、
みんなで集合写真(*´∇`*)



     



さていよいよ


あの田中絹代さんの旧家を確かめる時が来た。

篠原商店さんのご主人が
おっしゃった通りなら
一度そこまで行かれてたちびとらさんが
日本初登頂になる。



それと、その後にお聞きした
市会議員の篠原さんもそのような気がすると
おっしゃっていた。

もともとはかつてちびとらさんが
その市会議員の篠原さんから聞かれた情報だったのだ。

彼の家は実はあのお坊さんとすれ違う時に
最初に見えた大きな屋根の家だ。

さあどうなるか・・・





八代家の長屋門をみていただきたい。

かなり似てはいる。

だからこそ地元の人もここじゃないかって言うのだろう。


ただね、手前の畑の境目の石垣のあり方が違うのと
長屋門を新しくしたとは言え、
あまりにも変えすぎではないか・・・と思うのだ。

それと門の真ん中のサイズがかなり違う。

こう言う場合は「違う場所」ってことが圧倒的に多いのだ。

ちびとらさんは念のために観光化に電話された。
しかしそのようなロケがこの八代家で
行われた記録はないとのいことだった。




     




この八代家はもともと豪農で
江戸時代は代々、上手村の名主を勤めた旧家。

それでなんと
主屋・長屋門・文庫蔵・味噌蔵・穀蔵が
国の重要文化財文に指定されているのだ。

つまりこの長屋門も国の重文なのですね。

ということは大きく様変わりするほど改築はできないと思われる。


7割がたこの八代家が田中絹代さんのロケ地で
ある可能性は消えてしまった。






     




丸一日かけて明野エリアの聞き込みを続ければ
何か進展はある気がしますが
今回は時間が足らないので結論は次回に持ち越しと
いうことになった。

これだけはっきりした大きな長屋門が映っているのに
探せないのはとても残念だ。

いつの日かそう遠くない将来
快晴の日に山を撮りながら丸一日かけて聞きこんで
この旧家を捜しあてたい。

松竹の当事の文献をあたれば何か出てくる
可能性も少しある。







そしてこの日最後のロケ地めぐりは


このなんとも美しいシーン。






     




このシーンは実は日本で小寅さんだけが登頂している場所なのだ。

今回明野に行きたいとちびとらさんが柴又駅前の「かなん亭」で言った時、
僕はかなん亭ですぐに小寅さんに電話し、
この場所を詳しく教えていただいたのだ。

ここは誰も分からない場所だったので
小寅さんが場所を覚えていなければもうOUTだった。



この地図をクリックで大きく拡大して
ご覧ください↓

ここはストリートビューでもみれる。

左上の写真が小寅さんが
メールに添付してくださった写真。


山や丘の形が見事に一致
する。

小寅さんのすばらしい直感が
見事に適合した奇跡の発見だった(*´∇`*)




まさにここ!!




   





そして実際にたどりついたのがここ↓



北杜市明野町三之蔵


     





最後に再度地図を貼っておこう。
この地図でまあまああのあたりはどこでも行ける。



      




で、3時50分頃でしたか・・・全ての予定を終了し

東京へ戻った。


途中で横浜ラーメンとモツミニ丼のセットを食べた。
らびおさんは名物の「ほうとう」。


4人で行ったので一人当たり3千円チョイ(*´∇`*)

無敗神話が崩れた関東連合・・
このリベンジははたしたい気がする。

重要でありかつ最難関の
田中絹代さんの旧家を捜したい。





I will be back.







終わり







    




  
 夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
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560


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年12月22日  寅次郎な日々 その560




寅さん記念館絵画展のスナップ写真




遠方ゆえ、
来られない方のために「動画」を撮ってみました。
ほぼ展示してある絵は見れます。

http://youtu.be/4WhxZNSGCjM







      







絵画展にお越しくださいましてありがとうございました。

絵のコレクターさん、美術関係の方々、親友、映画人、
寅さん仲間、大空小百合ちゃん(岡本茉利さん)
葛飾区の仲間たち、記念館のみなさん、等々
80人ほどが私の絵のために遠路来てくださいました。

その他記念館のお客さんたちで、飛び込みの方々は
それこそ数百人ご覧になられました。



写真の説明は極力少なくしまして
順不同でランダムにお顔を紹介いたします。
記念撮影しました方々の全員は載せる事は出来ませんが
どうかご理解いただければと思います。




    
大空小百合ちゃんこと岡本茉利さん
    



2013年 寅さん記念館にて岡本茉莉さんと 
第37作の大空小百合ちゃんについて

動画
http://youtu.be/Rx2KzVRpNas


2013年 寅さん記念館での絵画展と岡本茉利さん
第18作の別所温泉ロケについて

動画
http://youtu.be/8XV8uIcsArs








    



    
彼女の代表作「寅次郎恋歌」の台本を持つ岡本茉利さん
    



    
私の絵を30数枚お持ちのコレクターの生芝さん。
       私の絵画人生を全身で支えてくださっている恩人です。
       今回も大変お世話になりました。

    



    
毎回お世話になっていますコレクターの高藤さん
    



    
学生時代からの大親友 櫛橋君 彼は昔からコレクターでもあります。
    



    
長年お世話になり続けているのコレクターの渡邊さん
    




    



      いつも頻繁にお世話になっているコレクターの植村さん
    



    
 六波羅貴子さんのモデルになられた
       「ローク」のママさんだった六波羅朋子さん。何度も来てくださいました。

     



     
     
3年間応援し続けてくださった村上館長さんと。
         ありがとうございました。

     






以下大勢の皆様 ↓

お写真のみ添付させていただきます。
会場でお写真を撮らせていただいた方々は大勢いましたが
ランダムにその一部を載せさせていただく事をご理解ください。





    




    




    




    




    




    




    




    




    




    




    




    




        




    




    




    




    




    




      

   



     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     




     



     
     




     




     




     




     




     




     




     




     




        




           




      




      



みなさん 本当に遠路、ありがとうございました m(_ _)m





終わり







    




  
 夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




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吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


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                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
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2013年12月10日  寅次郎な日々 その559




小諸病院の院長よ永遠なれ 【すまけいさんのアリア】




先日亡くなられたすまけいさんについて、山田監督は

「すまけいさんを惜しむ」とコメントに書かれ、
 
「寛容で暖かくてユーモラスで、こんな大人がいてほしいと
日本人なら誰もが思うような人間像を創り出してきた、
実にたぐいまれ役者でした」

と述懐し、

「これからの日本でこそ大活躍してほしかったのに、
悔しくてなりません」

と、さらにコメントされていた。




かつて『すまけいとその仲間』を結成し、アングラ演劇の数々の伝説的舞台を生み出し
『アングラの帝王』の名をほしいままにしたすまけいさん。72年突然解散。
以後13年間、演劇活動から離れ印刷会社の校正係として暮らしていたという。

そのようなすまけいさんがこのシリーズに出演されたのは、
その長い沈黙から抜け出した直後だったように思う。


第37作「幸福の青い鳥」で飯塚の『嘉穂劇場』が出てくるが、
そこの従業員「伊藤興行部」のおじさん役で私たちの度肝を抜く。

寅の雪駄の音にあわせて
歌舞伎の勧進帳クライマックス、弁慶の『飛び六方』を演じるが、
これが実に様になっているのである。

寅思わず「
チョーッ!高麗屋〜!!



       




この演技によって、この人の実力はただもんじゃないな、と私たちに知らせてくれたのだ。


その後第38作、第39作、第40作、第46作、第47作、と
山田監督は立て続けに彼を採用している。



第38作ではご自分の生まれ故郷の国後島を間近に見ることが出来る知床の船長として出演された。
すまさんの感慨は随分深かったのではないだろうか…。



船長「ケツの周りはネコだらけ・・あれ?違ったっけ?」

      




第39作でも同じくなぜか「船長」^^; 優しい秀吉の未来のお父さん役だった^^
あの時の「風船芸」は至高だった。

      






第46作では 花嫁の父親(仲人)

      





第47作では、満男の会社、光陽商事の専務さん。
満男がどんなに迷惑をかけても大きな度量で見守り続ける理想の上司役だった。

       




どの役も全部すまけいさんの優しさがにじみ出ていた。
山田監督の言葉じゃないけど

あんな上司がいれば・・
あんなお父さんがいれば・・・
あんな教師がいれば・・・

そんなことを思わせてくれる温かさと大きさがあった。





これらの出演の中で、私が忘れられないすまけいさんの演技がある。

第40作「寅次郎サラダ記念日」で登場する小諸病院の院長先生である。


末期医療のことや、自分の息子との同居のことで悩む真知子先生。
小諸病院を辞めて、しばらく自分を見つめ直したい、先のことをじっくり考えたいと
申し出た真知子先生を院長は真剣な顔で一喝するのだ。




院長「
自分を見つめたいか…、
   結構ですねえ。寅さんの言葉を借りるなら、
   結構毛だらけ猫灰だらけだ。その程度のことで辞められたら、
   医者が何人いたって足りませんよ。こういう土地じゃね。
   いいですか、この病院はあなたを必要としている、
   それが何よりも大事なことで、
   あなたが抱えている問題などはたいしたことじゃない。

   子供と会いたければ呼び寄せればいい。
   悩み事があるのなら働きながら解決すればいい。
   そうやって苦しみながらですね、この土地で医者を続けていくことが、
   自分の人生だってことに、あなたど、どうしてその確信が持てないん…ですか。

   東京の郊外のお母さんの家で花でも眺めながら休息の日々を送る。
   そのうち縁談があって、瀟洒(しょうしゃ)な病院の奥様に納まる。
   そんな人生があなたにとって幸せなんですか。

   …ちっとも幸せなんかじゃない!




    







「なんか言っちゃったな・・・」


    






院長を見つめる真知子先生。


看護婦がドアを開けて、患者の様態の急変を告げる。

席を立つ真知子先生。


この時彼女はすでにこの地で医師を続ける決意に溢れた目をしていた。


後期のこのシリーズの中では珍しく、人生に深く踏み込んだシリアスな発言だった。


まさしくこれが「すまけいさんのアリア」






追伸

キネマの天地の小倉監督や
ダウンタウンヒーローズの国語教師も良かった〜。







ご冥福をお祈りします。










         


終わり







  
 夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




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吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
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高い画質の【720p】以上でご覧ください。
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前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


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「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
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2013年11月15日  寅次郎な日々 その558




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                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



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2013年10月29日  寅次郎な日々 その557
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2013年10月13日  寅次郎な日々 その556



ついに陥落、難攻不落の最後の大物柴又ロケ地は
実は自宅のそば、寅さん記念館の裏だった。



10月初旬 ようやく45日ぶりに柴又に戻ってきた。
長い長い長期出張だった。
地元富山 金沢 、関西と流れ流れの展覧会およびその取材の旅だった。


ところで、柴又に戻って早々、あるちょっとした偶然から
今までどうしてもわからなかった柴又ロケ地を解明することに成功したのだ。

その直前、私は
第46作の別のロケ地の話題を寅友とネットでやり取りしていた。
その時にこの柴又ロケの話題も出て、
未だにわかっていない大物ロケ地なので、本腰を入れて探してみたいと、
自らを鼓舞するべく宣言したばかりだったのだ。

柴又ロケは全48作中ほとんど私や仲間で解明し終わっている。
数秒の短いB班ロケなどがいくつか未解明ではあるが役者さんがきちんと
台詞を言うシーンの未解明はさほど残っていないはず。

しかし、その第46作のシーンは残念ながら誰もどこかわからなかったのだ。


どういうシーンかと言うと
第46作「寅次郎の縁談」の中で、就活に失敗した満男が家出をしてしまうが、
その直後、寅が帰ってきて、満男がいるであろう瀬戸内の小島にとらやの代表として
満男を連れ戻しに出発したのだった。

そして、寅が発ったその夜、
満男を心配しながら、博とさくらがしょんぼりと自宅まで自転車を押して帰って行くシーン。

なんとこの柴又ロケのシーンは
30秒もある。
30秒もあるのに誰も特定できなかったのだ。
やはり夜のシーンは土地勘が必要なのだろうか。


そのシーンを画像付きで再現するとこうなる↓

さくら「はあ〜〜あ、お兄ちゃんと会えるといいんだけどねえ満男」

   
   


2013年現在↓ 手前のアパートも向こうのアパートもアパートもいろんな設備もほとんど同じ。
目隠しの白いトタンも同じ。
手前アパートの階段の色は塗り替えられていた。

   


   2013年の同じ場所をさくらのように自転車を息子に押してもらって撮影。↓
   



近所のアパートのOLが階段を上がろうとして
OL「こんばんは」
さくら「あ、こんばんは」

博「なあ、さくら」
さくら「ん」
博「考えてみると・・・オレも子供の時は、親父がひたすら憎たらしくて
  母親がいつも味方になってくれてたよ」
さくら「・・・・・うん」



   


このあたりは柴又駅からも新柴又駅からもまあまあ近いのでアパートが多い。
階段前の石の門も今も同じ、鉄の柵も同じ。

   


博「なんで親父ってのはわけのわからないことばかり言うんだろうって
  思ってたけど・・
  今それとおんなじことを自分の息子にしてんだもんな・・」

さくら「うん」



   



   



   



博たちが曲がる塀に車で(車に乗ったままという意味らしい)お金が借りられる街金の看板がある。
この街金は文字が「新東和」と読める。電話も読める。
ネット検索してみると実際に存在した
綾瀬の会社だったので松竹大船でのロケではなく
正真正銘ここが柴又のどこかだとわかる。
松竹はこの手の会社をわざわざ自分からは大船ロケのカモフラージュに塀に貼らないからだ。


      



さて、探そうという目でシーンを再度チェックしてみると、どこかで見たことがあるアパートが映っている。
っていうより、しょっちゅうこのアパートは見る・・・。
もしそうだとしたら私の日々の自転車通路範囲内といういことになる。

そこで、ちょっと夕方に近所を自転車でうろうろしながらチェック。

偶然か何かわからないが、いきなり怪しいところ発見。

なんと自宅から自転車で3分(徒歩6分)の
寅さん記念館の裏(南)だったのだ。

まさに「
灯台下暗し

いったい今まで何やってきたんだろ┐('〜`;)┌

その気になって本腰を入れないといつまでたっても見えてこないものだということが
しみじみわかった。
意識の違いでこうもすぐに見つかるのかと、ある意味普段の自分の集中力のなさが情けなかった。

場所のピンポイントはここ↓ピンクの印。赤で大きく囲ったのが寅さん記念館。

   


博たちがそのシーンの最後、路地を曲がっていく時に、南から来た銭湯帰りの若者とすれ違うが、
実際この南側、新柴又駅の向こうに興和浴場というのがあるらしい。
このロケ地から徒歩10分くらいかかるがそれ以外に近い銭湯はない。


実はこのロケ地は第36作「柴又より愛をこめて」で
あけみのアパートにさくら、博、満男、で訪問した帰り道で歩いているのである。

つまり2作品で出てくるのだ!!


  
 第36作と第46作は同じ場所がロケ地↓

   



     





ロケ地ネタとは関係のない話題を以下2つ。↓

話は全く変わる。

その大発見の数日後、

私をいつも応援してくださる葛飾のNPOのリーダーの小山さんに紹介されて
ある人にお会いした。

柴又の寅さん記念館横で、私の友人が経営するカフェ「ファンタジア」が
9月からOPENしたのだが
そこで、ある前々からお会いしたかったその女性にお会いしたのだ。

その人とは・・・

なんと第8作「寅次郎恋歌」のマドンナである
喫茶店ロークの六波羅貴子さん(池内淳子さん)のモデルになられた
元喫茶店ロークのママさんであった
六波羅朋子さん。


    


3時間もいろいろお話できた。
明晰な方だった。

六波羅朋子さんはなんとローク以外にも
今の私のマンションの土地も彼女のお父さまが持っておられたのだそうだ。
それでこの土地を売られたのが今のこのビル管理会社というわけだ。
そのご縁で、ロークがなくなったあと十年以上私が賃貸しているマンションの1階で
「志の木」という和物の店をされていたことは結構有名。

彼女とはそういう不思議なご縁がある。

で、意気投合してあっという間に3時間が過ぎた。       
寅さん系の話題4割
柴又のお店のいろいろな・・・ここでは言えない
裏話6割でした^^;

柴又の近くの新柴又駅の近く(柴又5丁目)にお住まいなので
これからはちょくちょくお会いできそう。

六波羅さんは、絵にも興味がある方で
11月末の僕の寅さん記念館での展覧会に来て下さるとのこと。




もうひとつ違う話題↓


先日の午後


帝釈天で 帝釈天 万灯練供養 が行われました。
 

もちろん日蓮さんのお会式関連の行事でもあるので、
葛飾のみなさんの幸福と安全を祈願したのだ。






動画

http://youtu.be/4sk3mHTW-jY



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
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                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



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2013年9月26日  寅次郎な日々 その555



みたびの 播州龍野スケッチ旅行 全日程快晴


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2013年9月10日  寅次郎な日々 その554



車寅次郎は果たして何作品で本当にふられたのか




『男はつらいよ第50作 寅次郎風の盆恋歌』
の舞台となった富山県八尾町にて 

風の盆を取材。


    


本来風の盆の町流しは、それぞれの仲間で
自由気ままに町を歩きながら演奏し踊るものだ。
それゆえ、そのような行動が世間から許される
午前1時以降が彼らの彼らだけの時間だと言えよう。


午前2時八尾上新町町流し。↓

http://youtu.be/vjKPTZyDjn0


     第50作のポスター
     


(注)第50作「風の盆恋歌」は全部私が作ったデタラメですからね^^;
   結構この作品が本当に存在すると信じていらっしゃる方が多いので困ります^^;ヾ




さて本題に入る。

1年ほど前だったか
なにかのバラエティ番組で「男はつらいよ」のことをタレントさんがしゃべっていた時に
「毎回毎回必ず寅さんはふられるけどそのつど立ち直りラストで明るく旅を続ける」
というような内容のことを言った。
それに対して周りの寅さんが好きだというタレントさんたちも頷いて同調していたように思う。
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                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



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2013年8月7日  寅次郎な日々 その553


備中高梁 マニアックロケ地全解明編 


2013年のGWも真っ盛りの5月1日早朝。
私は展覧会開催のため播州龍野に滞在していた。

龍野の「ガレリア」での展覧会を明日に控え、この日はエアポケット。

そこで小手寅さんに無理やりオラオラとたたき起こされ
半泣きで車に乗り、
ちびとらさんと今はもう忘れてしまった名もなき小さな無人駅で待ち合わせをし、

一路 3人で第32作「口笛を吹く寅次郎」総社&備中高梁へ!

この日いろんなことが待ちうけているだろうなんて知るよしもなかった。

新事実発見、新ロケ地発見もいくつかあった。

小手寅さんの事前の数度に渡る調査
しっかり基礎にあるので
成功成功また成功の連続だった。

小手寅さん
ちびとらさん
そして私

この3人が集まれば難攻不落の城も確実に落ちる。
細かいマニアックな場所も含め全シーン全ロケ地完全網羅。

現地で朝9時半から夕方6時半まで粘ったのだ。



まずは第32作OPの 「
総社

まあ、めったに人が行かないのでしっかり掲載していきましょう。

趣のある
備中国分寺跡。この五重塔は美しい・・・


    


    


タイトルバックもすぐそこにある。

   


   


   


この道もすぐ後ろを振り返ればそこにある。

   

   
   


   


   



総社 動画

動画
http://youtu.be/vuYIOjUqfag







そのあと  「
総社バス 本村」のバス停があった総社市見延本村
小手寅さんの車で向かった。

総社のちょっと北。

第32作のOP歌のバック。
レオナルド熊さん父娘との別れのシーンだ。

ここはてっきり今掛かっている「本村橋」の位置が
ロケ時の橋の位置だと思っていたら、
わずかに横にずれていることを、
ちびとらさんが発見!お手柄でした^^

   

これを↓よ〜〜〜く観ていただきたい。
家との関係を観察するとわかる。
今の橋と、映画の橋は位置が違うのだ。

橋の基礎の残りや排水溝あとがまだ残っているのも見える。


   



証拠動画
http://youtu.be/UiycVTzlJLI


   



   アップで示すとここ↓
   



そしてその後

第32作のOPのラストで映る高梁川の「渡し舟」シーンにも行った。

ここもほとんど今までのロケ地めぐりの方々は行っていない場所。
ここは私やちびとらさんが独自で探すと1時間ほどは
うろうろしていた可能性が高い。

小手寅さんの事前の調査のおかげでロスを省略できた。
ありがとうございます^^



    



せっかく舟で渡ってもそこには町はない。村も遠い。意味ないねえ〜〜^^;

    


動画
http://youtu.be/k5ramHpcSD4



    



そしていよいよ高梁の町に入っていった。


まずは
備中高梁駅

ここは構内にマニアックロケ地が1つある。




第8作でもこの駅前が映る

    



    撮影風景 メイキングビデオより

    



    




第32作で、一道がひろみちゃんに電話していたのはこの場所↓

    


    




第32作では
ホームが映る。

    


    



    


朋子さんが降りてきて、さくらたちと挨拶したのがここ。↓

    



問題はこの次のシーン。


このホームロケで、
朋子さんは階段を降りてきてマツタケをあげるが
会話の途中でいきなり空が晴れて
なんと朋子さんの背後の景色が変わってしまうのを
かつて発見した。今回はその現場検証。

私は、この変わってしまった背後の風景は
前々からどこかピンポイントで知りたかった。
駅員さんにこの背後の風景はどこでしょうかって
聞いて見ると なんと同じホームの一番端だった。

階段の真下にいたはずの朋子さんや寅たちは
一瞬のうちに同じホームの一番端くれに飛んでいたわけだ。

本編をよ〜〜〜く観てみると
なんとほんの0、3秒ほど
博が動いたそのせつな
ホームの端が映っちゃってます!↓

これはスクープだ!

    

    




動画
http://youtu.be/Nu4gyGleuqo


さて駅を出てタクシーは一路 博の実家へへ ―


第8作で、高梁駅を出た後、まずタクシーは高梁川沿いを北上する。

博の実家まで行くのにこのような
本屋さんの角を曲がる。↓

    


本屋さん(山本金星堂書店)はなんと今も健在。

    



高梁市本町101

    



そして暗闇の中

タクシーは 博の実家へ。

まあ、博の実家と言っても、博は小樽で育っているので
ここはひょう一郎の実家だと言ったほうがいいのかもしれない。



    



武家屋敷が続く
岡山県高梁市石火矢町35
 岡村邸

確か・・・以前、火事にあっているが門は残っている。


    



第8作当時は蒸気機関車が通っていた。↓

    


    


第32作では蒸気機関車はもうなくなり、電車の特急が走っていた↓
山田監督はあえて電車を通らせることによって時の移り変わりを表現したのだ。

    


   
   

    
あ、電車が来た・・・
   


岡山県高梁市石火矢町35





当時の岡村邸前での撮影風景

    


そして、メインのひとつである
紺屋川美観地区に入って行った。



ひろみちゃんの実家「
白神(しらが)食品店」に到着。

動画
http://youtu.be/2yQm5EeCRY0

動画
http://youtu.be/1umWhTmFSvA

「白神食品店」の女将さんと息子さんにまずはご挨拶。
とても親切で明るい女将さん。
当時の撮影のこともよく覚えていらっしゃった。
長い間四方山話をさせていただいた。



紺屋川美観地区全体解説動画
http://youtu.be/4pixOQ2ozhc




三つの時代に渡る同じアングル紹介↓


   
1971年 第8作では魚市場なんかもあったのだ・・・ 雰囲気あるなあ・・・
   


   第8作  撮影風景
   


   


   
1983年 第32作での白神食品店↓もうこうなると今とそんなに変わらなくなる。
   

   

   
2013年の現在 白神食品店の横の田中事務用品店はかなり変わった。
   

 
 
     第32作の黄色い電話(この電話は山田組が持ってきたダミー)
   



   




     
小手寅さんと白神食品の女将さん。
   




堤のハンコ店(正式には堤章玉堂本舗)のご主人も
しっかり映画に映っている↓左端でめがねをかけた方。

    


     第8作での堤ハンコ屋さん 撮影風景
    


堤章玉堂本舗はちょっと離れた場所に引っ越していた。今は普通の住宅が建っている。

    



引っ越した先の堤ハンコ店はここにあった。
この日、夕方遅く、最後の最後で判明!

引っ越した先 高梁市鍛冶町98

    



    


堤さんはロケ当時、何があったら困るので
お店で渥美さんたちを見守っておいてくださいと言われて
結局映画の中にしっかり映ってしまうはめに・・・^^;

    


動画
http://youtu.be/aIO9QMQgs00




ところでこの場所のシーンでは

稔自慢(みのるじまん)
というお酒がこの映画でよく出てくる。
第8作でも稔自慢のご主人が運転する軽四が通る。

   



第32作でもひろみちゃんの店の中に「稔自慢」が思いっきり飾ってある。↓

   



白神食品店からちょっと道を曲がると「稔自慢」の森澤酒造がある。


あの第8作で軽四を運転していた「稔自慢」の
森澤酒造ご主人さん(森澤さん)と
寅が買ったあの一升瓶を、ここで買われた小手寅さん。↓

    

第8作「恋歌」
寅が持っていた稔自慢の一升瓶
小手寅さんお買い上げ!!



動画
http://youtu.be/OpsdRcge74s


    




さて、ご挨拶も終わり
今回残る大きな未解決ロケ地へ出発。



ここ
白神食品店からひろみちゃんが
一道を追いかける時に走って行くルートを
たどってみよう。


まずは、白神食品店をずっと北へ歩いていく。

山本印刷所の看板が本編で映る。


   



白神食品店の前から徒歩5分以内に山本印刷所が今も健在。

   


そあとの近道路地が未確定なのだ。


これがどうもこうも誰もがお手上げのあの「近道の路地」

未だに日本で誰もわかっていないのが
このひろみちゃんが走ってくる路地。
ひろみちゃんが汽車に乗った一道を追いかけた時のあの近道だ。


    


今回の大きな課題だったがなんとか必死で調査して行った。
小手寅さんが事前にある程度目星をつけてくれていたのも
大きな手助けとなった。

そして聞き込みによってついに確定したのだ。↓今回最大の収穫だった。


    


備中高梁

ひろみちゃんが走る近道の路地発見の証言

路地の斜め向かいのお店の女将さんの決定的証言↓

動画
http://youtu.be/LV3Wqf62BRs






実は・・・
この路地を通っても遠回りにしかならないのだが
そのあたりは映画のご愛嬌^^



そして走りに走るひろみちゃん。

そのあとひろみちゃんは踏切りまで走っていく。


実はひろみちゃんの待つこの踏み切りは2箇所あるのだ。

これは2010年に私がサイトにアップしたので覚えていらっしゃる方も
多いとは思う。

    


佐々木のタバコ屋さんの近くの道を曲がって町の北、
小高下谷川の踏み切りにたどり着く



Art Direction  : 吉川孝昭
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Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
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2013年7月25日  寅次郎な日々 その552


播州龍野 超マニアックロケ地完全制覇 後編



■基本的、代表的な龍野のロケ地は昨年にめぐり終わっている。↓
2012年 517 豪腕小手寅さんとめぐる播州龍野 全ロケ地制覇!


で、今回前半はすでに書いた。

播州龍野 超マニアックロケ地完全制覇前編http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi29.htm#549



『前編』での書き漏れがあったので追加。^^;ヾ

あの黄色い菖蒲風景の直後の風景も
調査済みだったと書いたが
写真を載せるのを忘れていた。

ここ↓






たつの市揖西町前地 (出羽宅のすぐ東付近)

  



あの黄色い菖蒲のすぐそば、同じ地区。

あの本編で映っている
緑の屋根が写真家の竹内一夫氏の家であったことを
覚えていた人が多かったのだ。


ああいう特徴的な屋根がある皆さん覚えているのだろう。

緑の家は向こうの赤で小さく囲った新しい家に生まれ変わっていた。
しかしよく見てみると昔の緑屋根の時と同じ形式で建て替えられている。

手前の大きく映っていた家は
実はこの赤で囲ったまだ新しい家。


僕らの最終決定取材中に
小手寅さんがその朝事前朝取材した時にお世話になった方が
たまたま車で通りかかって「場所見つかってよかったですね」
「楽しそうでいいですね」と励ましていかれた。





さて後編↓


みなさん、このカット覚えておられますか。
第17作「夕焼け小焼け」、寅の龍野滞在二日目の夕方。
『赤とんぼ』が流れる中、夕焼け風景がいくつか映りこむ。
その中のひとつがこのカット。

このカットを特定するのは絶対不可能と言われてきた。
難攻不落の大城
夕闇迫る龍野風景
屋根と丘の上の昔の赤とんぼ荘。

偶然からおこった貴重な証言により落城の瞬間の動画が撮れた↓。




   


きわめて偶然に撮影時に店の3階ベランダをお貸しされた証人の奥様と出会い
一気に発見まで至った瞬間映像が下にある↓。

町のハズレにとても魅力的な元質屋さんがあり
その家を小手寅さん、寅増さん、僕で眺めていると
そこの奥様がたまたま通りかかられて
今は空き家になってしまった当事の質屋さんの
3階ベランダからこの夕焼け風景を撮影したことをおっしゃってくれた。

これはさすがに小手寅、寅増、そして私の3人ともびっくり仰天した。

いきなり偶然に落城!!

たつの市龍野町門の外40付近

    


    



動画

http://youtu.be/RtwmW4OoPOo


  



このような小さなカットはこの龍野ロケにはまだまだ多いのだ。
特に
車窓風景が多いのがこの龍野ロケの特徴。



車窓と言えば
まず、青観が寅と出会う前の車窓風景。
ここのシーンは事前に小手寅さんが見つけてくださった場所。
小手寅さんさすがにばっちり^^


たつの市揖西町前地137 付近

    


    


    



動画
http://youtu.be/moOFVdlSX0k





で、その後の小さなロケ地探しが苦戦・・・難しかった。


市役所のセドリックは、そのあと、寅を清江橋のたもとで
拾って、町の中に入っていく。

その、町の入り口付近のカットがこれ。



     


この場所は・・・・探しても探しても確証が得られないまま
時間が過ぎ去ったが

私の展覧会場のオーナーである井上さんの協力で
思わぬ展開となっていったのだった。

あそこは前日に僕と井上さんが捜しまくって
原田さんと言う井上さんの友人でもある地元の方に
連れて行っていただいた場所なのだ。

原田さんに会えなかったら
あそこは見つかっていたかどうか。。。^^;ゞ




動画

蘇るあの時の原田さんの鮮やかな発見↓

http://youtu.be/xY_FreHTM3Y



ここの場所で数年前まで
喫茶店を開いていらっしゃったのだ↓

http://youtu.be/rRK0fUgS8CY


最後の詰めの部分は長谷川さんと言われる方の家が
本編に映っていたことだった。
これはもう確実。↓

http://youtu.be/7GqE0ZWLtMI


後日仲間の小手寅さん、寅増さんと3人で最終確認。

http://youtu.be/Azmr674YPoY


今も残る共通箇所 赤い囲み↓

   


   



   



   





さてもうひとつの難攻不落の車窓風景がある。

梅玉旅館で大騒ぎした翌朝、
寅が無理やり車で町を連れ回されるあの車窓風景だ。


  


龍野でも古くから営業されている「醤油饅頭」で有名な
吾妻堂の女将さんの証言(娘さんが代弁)
菊屋四つ角のある
菊屋通り!の可能性が濃厚に!
つまり梅玉からもまあまあ近いし、
市役所からも近い。


動画

吾妻堂の女将さんと娘さんには
本当にお世話になりました。m(_ _)m


http://youtu.be/ExmT5B08e4E




そして、そういう頭で再度本編の当該箇所を
何度か見続けていると、なんと菊屋の看板が映っていたのだ!


   


   




金網で仕切られた月極め駐車場が今も健在!↓

   


   



車窓から見えるアパートも看板ははずされているが壁面や間取りが今も同じ↓

   


   


赤で囲んだアパートは富士グローブという手袋工場の工員さんのアパートだったのだ。
今も奇跡的に建物は残っていた。

3人で現場検証


動画
http://youtu.be/B4l5PKrD6Z0




動画
そして、その近くのご近所の竹内さんの証言。
http://youtu.be/YoDWEIiAKPw


そしてダメ押しで車窓風景の最後の家が
和菓子屋さんの壁が当事と同じことをつき詰め
完全制覇した。



で、車窓風景動画で再現

菊屋さんの通り
菊屋さんから最後の和菓子屋さんまで
小手寅さんの車で再現。 
再現 テイク1


動画
http://youtu.be/mu8tcEWPvYI


ちなみに観光課長(桜井センリさん)が青観が絵に描いたと寅に伝えた古い民家はこれ。↓

ちょうど菊屋さんの隣の隣あたり。
当事自賠責保険の取扱書をしていたそうで
その看板も画面には映る。
そういうことが聞き込みで分かっていくのはなかなか面白い。

あ、これ、!この建物は昔青観先生もお描きになってますさかい・・」↓

     


      





車窓はそれ以外でもまだある。
寅と青観が梅玉旅館から出てくるシーンでもいっぱい車窓が映る。

梅玉から一応どのカットも徒歩圏ではあるが
位置はちょっと飛んだりしてはいる。


      寅の背後に日山ポンプ倉庫が見える↓
    

     地図のB番
    




    


     地図のC番
    


これは梅玉からほぼ徒歩圏ということもあり、
事前に地元の小手寅さんに見つけていただいていた。

動画
http://youtu.be/Cr8Mo2uuQrg





残す車窓風景ロケ地は車窓の中でも難攻不落だれもお手上げだった
青観が志乃さんを車窓から見つける直前の3秒間の風景。
つまり、上記の
日山ポンプから日山ごはんと車が進んでいって
志乃さんの見送る場所へ行くまでの数秒が不明なのである。


志乃さんが花を持って立っていたのは
ヒガシマル第2工場の前のあの有名な中原さん宅だが
その直前はジグザグに曲がっている。
しかし本編ではまっすぐ走っていて
曲がっていない。


   


志乃さんの永遠の別れのシーンに
直接繋がる大事な3秒の物語でもとても重要。
青観の眼の色が変わる瞬間の風景でもあるからだ。

先日同様、
もう一度「吾妻堂」さんで聞いてみたが、なかなか心当たりは無いようだった。


そんな時道でお尋ねしたあるご婦人がご親切に、
友人とお二人で、私たちのロケ地探しに1時間もお付き合いしてくださったのだ。
実はあとでわかったことなんだが
あの時の青い服を着ておられた富岡さんという方はガレリアの井上さんと仲のいい友人であり、
そしてもう一人の「タル林商店」というお店の奥様は
なんとなんと井上さんがずっと僕に会わせたがっていたあの
山田組の照明監督の青木さんとも親交があった伊藤さんと言う方だった。
あちゃ〜〜〜〜。

僕はそんなこと何も知らないものだから
あつかましくも一緒に場所を探していただいた。


ガレリアに戻ってから、井上さんに富岡さんとタル林商店さんの
事を話したらびっくりされて

「その人ですよ!伊藤さんは!」って言われた。

それで、僕はすぐに電話していただいて
さきほどの失礼とお礼を言ったのだった。

伊藤さん、富岡さんとはそのあともっと仲良くなり
展覧会最終日の午後にいろんな資料を持って
ガレリアにきてくださった。

おまけにお二人ともカゴやアクセサリーも買ってくださり
まことに恐縮でした。


    



さて話は戻って

ロケ地をあそこでもないここでもないといろいろ探しながら
行く先行く先でこのお二人の人脈を使ってくださり、
徐々に場所特定をしていった。

そしてついに行きついた場所は・・・

なんと山下洋館(ぼたんの家の路地入り口)のまん前!!

そう、日山ポンプ、日山食堂と通過してその50メートル向こうの山下洋館。
あの映画の車の順路のままだったのだ!

      


しかしここまで来てはみたものの、実はまだなんの物証も人の確かな証言もまだない。
お二人も含めてみなさんあのあたりだろうと口々に言われるだけだ。
そこで思い切ってお二人は町内のよしみでこの山下洋館のご主人である山下さんを呼んでくださった。


     


私はもうここが正念場だと思って本編のチャプター写真をすぐさま山下さんにお見せした。

山下さんは、僕らのいきなりの大勢での聞き込みに
どうしたどうした? って感じだったが
親切にいろいろ答えてくださった。



      




山下さんは、私のキャプチャー画像を見るなりすぐに
ご自分の家の道向かいを指差し
これはここだよ」といとも簡単におっしゃった。


雨どいの繋ぎ方が今もまったく同じだと指摘される↓(雨どい自体は新しいものになってはいたが)

      



      



確かにそうだ!

なんとぼたんの家のすぐ近くの山下洋館の前を青観の車は通過したのだ。
小細工することなく、そのまま車の順路どおり映っていたのだった。





    



動画
http://youtu.be/OaKCkdRqW44


決定の瞬間 動画
http://youtu.be/HgPKGc2YtDE



そしてもっと大きな物証がその夜に本編映像の中から見つかったのである。

この画像見てください。↓
これは雨どいの位置から約1秒後の映像。
この赤い囲み!
これはあのビクター犬です!

ぼたんの細い路地からも見える
山下さんの横の電気屋さんの端に
置いてあった
ビクター犬を発見!!
そしてこの黄緑色で囲った壁。
まさしく山下洋館ぢゃないですか!

   



青観の向かって右の背後に『ビクター犬』。
左の背後の電柱から曲がっていく路地の行きつくところは『ぼたんの家』

   


小手寅さんと翌朝、再度検証。
ちょうど
ビクター犬が置いてあったところに座っていただいた。↓地図のD番

   




下の地図の説明

@梅玉旅館を出発
A梅玉の先、菊屋四つ角
B日山ポンプ倉庫
C日山ごはん
D山下洋館前
Eぼたんの家
Fラストで寅が樽乗る場所
G志乃さんが手を振る「中原邸」


   



ちなみにあのビクター犬の電気屋さんは「山本電機」さんで
ちょっと今は車で5分のところに引っ越されていた。

昔も今も山本電機さんは
消火器をかなり手広く扱っていらっしゃったということ。
だから青観の背後にも丸い消火器扱い店の看板が見えるのである。↓






実は・・・

あの
ビクター犬は柴又にも有る。

帝釈天参道 ちょうど私のマンション下あたりの
細長い骨董屋さん店先においてあるのだ。

ちょと不思議な気分^^

    



さて次回はバリ島から更新かな・・・

明日バリに旅立ちます。



続く







     夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2013年6月18日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ









551


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年7月11日  寅次郎な日々 その551


号外!男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ


現在龍野や高梁や伊根のロケ地めぐりの発表の最中だが
もう1回「号外」をださせていただく。


1977年10月に公開され、
あらゆる世代の観客を集め大ヒットを記録。
その年の映画賞を独占した、
日本映画史に残る不朽の名作
「幸福の黄色いハンカチ」の
スピンオフ作品として
翌年に公開されたもう一つの名作

男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ

の名場面を水彩画にしてみた。



  



物語は

勇作が刑務所を出所し、紆余曲折の後
光枝の待つ夕張の家に戻り、涙の再会をし、
その1週間後・・・・

寅は夕張でバイをしていた。


遠く黄色いハンカチがはためく風変わりな風景に
惹かれた寅が勇作たちの家を
ちょいとなにげに覗いてみるのだった。



竿の下で黄色いハンカチを見上げている寅。

食事中の光枝さんがちょっと玄関から外に顔を出す。


寅「よ」

光枝「・・・ あ、・・・何か?」

寅「あ、ごめんよ おかみさん、
  めしの途中におどろかせしちゃって」

光枝「いえ」

寅「いや、オレは旅のものなんだけれども
  こんな殺風景な場所に黄色いハンカチが
  パタパタいっぱいはためいていたんで
  ついつい惹かれてふらっと見に来ちまったんだ」



勇作も玄関から顔を出す。


勇作「渡辺さん・・・・」

寅「あ、旦那さんかい」

勇作「渡辺さん・・・じゃないですか?」



この渡辺係長に関する会話から
3人の不思議な物語が
はじまっていくのだ。

寅の陽気な気質に気を許し
ついつい中に上がらせて盛り上がる3人。

勇作は恩人である渡辺係長そっくりの寅に
妙に親近感を覚えて行くのだった。



まあ、この続きはいずれまた^^


(もちろんこのような映画は本当は存在しませんからね)





話は、変わって・・・・

それはそうと「東京家族」の本編にも黄色いハンカチ群が出てくるのだが
みなさんご存知だろうか。


この、妻夫木君が屋根瓦を動かしているシーンで、遠くに映るのだ。
映画館ですでに気づかれた人もいると思う。

    



メイキングDVDではしっかりと紹介されている↓

    



    



この特典メイキングDVDでは柴又の参道ロケでの取材も取り上げられていて
私がちょうど山田監督を動画に撮っているところがたまたま映っていた。
薄紫のシャツが私。↓

    



黄色いハンカチの話題ついでにもうひとつ。

本家本元の「幸福の黄色いハンカチ」のクライマックスシーンで
黄色いハンカチがあるかどうか不安に思いながらも
3人を乗せた勇作たちの車が光枝さんが住む夕張の炭住前の銭湯の前に停車するのだが・・・
停車する直前に、実はあの黄色いハンカチの場所が1秒か2秒見えるのである。
しかし、そこには「黄色いハンカチ群」はない!


    


次に車を降りた欽也と朱美がぐるぐる見渡すシーンで、実は欽也の顔の向きがあのハンカチ群に
向いてしまう瞬間がある。
彼はすっと視線をそらして見つけられていない感じを出すが、普通はあれだけのハンカチ
見つけられないわけはない。
つまりこれらはすべて映画の進行上のトリックなのだ。
映画館で見ている限りはまったくこのあたりは気にならないし、
お客さん自体もそこまで空間把握はできない。
だからこれで成功なのである。

    



で、欽也は車の中で怖がって頭を抱えている勇作に向かって何か話しかけようと
したそのせつな、欽也の背後に黄色いハンカチ群がぼんやり、しかし誰もが分かるように
映るのである。
欽也は気づいていない。朱美も勇作も。

つまり映画館の観客が最初にさりげなくぼんやりとではあるがギリギリ気づくように作られているのだ。
最高の演出。

    



あの1977年ごろは
山田監督の感覚が最も冴え渡っていた時期だったのかもしれないと、
このような見事な演出を見ながら、今こうしてしみじみ思い返している。
前年に、シリーズ屈指の名作「寅次郎夕焼け小焼け」を制作している。
全盛期といって良いだろう。

          見事な高羽カメラマンのシュート回転ズーム。↓
     




     夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より

   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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2013年6月30日  寅次郎な日々 その550


号外! 満男と泉ちゃんの黄色いハンカチ風景 世界初登頂


龍野のロケ地めぐりの発表途中だが
先日ある重要なロケ地を発見したのだ!

実は、ここ数週間、第44作「寅次郎の告白」の本編の作業中なのだが、
あの満男と泉ちゃんの山陰本線での幸福の黄色いハンカチのシーン覚えてる方も多いと思うが、

      


あの時、車窓から日本海の美しい眺めと町並みが映るのだ。

もちろん山陰の海岸線なのだが
誰もあの風景がどこの風景かを知らないまま今に至っている。

そこで、私がYOUTUBEの鉄道ファンの方たちが撮影してくださった動画を
見ながらローラー作戦を展開したところ運のいい事に2箇所とも
数時間以内にわかったのだ。

あの感動のシーンが蘇る。

       


まずこの車窓風景

        本編↓

        



        YOUTUBE動画の当該箇所

     



あきらかに世界初登頂。


     


   
場所はここだった!↓

竹野の切浜海水浴場が見える場所。

兵庫県豊岡市竹野町切濱


     




そしてもう一つの車窓風景 この場所。

    



    






上が映画本編 下がYOUTUBE動画で観た現在。
建物も残っているものが多く、まったく同じ位置だと分かる。


   



本編に見えた特徴のあるビルも、今も存在する。↓
上が本編、下がYOUTUBE動画


   



なんと、満男たちが乗った鳥取駅より西の倉吉駅から北へ上がった漁港
「鳥取県
泊漁港だった」

鳥取県東伯郡湯梨浜町泊


   



   




号外でした(^^)




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



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裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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