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寅次郎な日々
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(ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
『乙女の祈り』の中のエゾエンゴサク(2008年12月20日)
もうひとつの『寅次郎忘れな草』(2008年12月16日)
緒形拳さんの肩にとまるトンボ(2008年12月7日)
透明な悲しみを紡ぐ人 山本直純さんよ再び (2008年11月26日)
マドンナの寅への気持ち 整理箱(2008年11月17日)
『男はつらいよ』の中の『落語ネタ』(2008年11月8日)
新幹線に8回乗った寅次郎(2008年11月3日)
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」 ダイジェスト版(2008年10月27日)
『風のガーデン』の緒形拳さん 緒形拳さんのアリア(2008年10月19日)
『長靴を履いた寅次郎』 寅が思う労働のしるし(2008年10月7日)
なんとか間に合った 『おくりびと』&「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ」(2008年9月14日)
「倅(せがれ)」と「ぼくの伯父さん」(2008年9月8日)
ロケ地めぐり.満男の通う『城東大学キャンパス』(2008年8月30日)
ロケ地めぐり.堤鞠子さんの職場(2008年8月21日)
寅次郎な日々370 ユニークなロケ地巡り.究極のマップ ストリートビュ-(2008年8月10日)
【遠い旅の空から】連載開始(2008年7月31日)
全48作品とらや【お品書き】考察記(2008年7月24日)
ロケ地発見への道 「寅次郎と殿様」 愛媛県 興居島(ごごしま)(2008年7月16日)
即興フラッシュアニメ『駆けて来る寅次郎』(2008年7月14日)
好きだから つよくぶつけた雪合戦(2008年7月3日)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『乙女の祈り』の中のエゾエンゴサク 2008年12月20日 寅次郎な日々 その385 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー もうひとつの『寅次郎忘れな草』 プレスシート 2008年12月16日 寅次郎な日々 その384 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 緒形拳さんの肩にとまるトンボ 2008年12月7日 寅次郎な日々 その383 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 透明な悲しみを紡ぐ人 山本直純さんよ再び 「男はつらいよ.寅次郎音楽旅」 寅さんの“夢”“旅”“恋”“粋” 2008年11月26日 寅次郎な日々 その382 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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マドンナの寅への気持ち 整理箱 苦労人が惚れる寅次郎 モテ率 3割4分1厘の男 2008年11月17日 寅次郎な日々 その381 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
寅の夢で寅は時として大活躍するヒーローとなる。 マドンナがどんなに寅と親しくても男性として惚れているかどうかを基準として考えました。 たとえば、歌子ちゃんは寅を誰よりも大切に思っていますが、男性としてではなく、あくまでも親しい友人としてなので度数は低くなります。
なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『男はつらいよ』の中の『落語ネタ』 2008年11月8日 寅次郎な日々 その380 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
先日、落語の『牛ほめ』を聞いていたら、 【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 新幹線に8回乗った寅次郎 2008年11月3日 寅次郎な日々 その379 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」 ダイジェスト版 2008年10月27日 寅次郎な日々 その378 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 久しぶりに、ダイジェスト版をアップします。 第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」です。
【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『風のガーデン』の緒形拳さん 緒形拳さんのアリア 2008年10月19日 寅次郎な日々 その377 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 緒形拳さんといえば僕にとってはあの『砂の器』に登場する島根県亀岳の三木謙一巡査だ。 あの純粋で人が良く、なによりも高潔な人格は緒形さんそのものだった。 テレビドラマは、1985年NHKドラマ『破獄』の緒形さんがとびぬけていい。 そして今、緒形さんの遺作となったテレビドラマ『風のガーデン』を襟を正して毎週この目に焼き付けている。 遠くバリ島にいてもあのドラマを見る手立ては実はなんとかあるのだ。あれだけはなんとしても見ようと思った。 緒形さんの言葉ひとつひとつが胸に染みわたる。 彼が演ずるのは主人公白鳥貞美の父親白鳥貞三。 第1話と第2話を見た限りでは、中井貴一さんと緒形拳さんが絶品である。 第1回 『スノードロップ』 花言葉は『去年の恋の名残の涙』 第2回 『エゾエンゴサク』 花言葉は『妖精たちの秘密の舞踏会』 全体としての物語は、絶縁関係にあった医師である息子が 不治の病に侵されたことをきっかけに故郷に帰り、 彼の父親や子供たちと最後の日々を過ごし、失ってしまった『家族』を人生の最後に取り戻していく物語だ。 そして、数日前の第2話で『緒形さんのアリア』を見ることができた。 第2話の後半、 祖父の貞三(緒形拳さん)が富良野の自宅へ戻ると老犬・蛍がいなくなったと弟の岳が泣いている。 貞三と一緒にガーデンへ探しに行ったルイと岳は、4kmも離れたグリーンハウスで倒れている蛍を見つける。 蛍はすでに息を引き取っていた。 蛍の遺体を泣きながら抱きしめる岳に貞三は静かにぽつりぽつり語りかける。 悲しむって言葉はね、 つらいって気持ちももちろんありますが もともと愛しい(いとしい)って意味なんです。 愛しい、愛する、…大好きな言葉。 みんな同じ言葉の意味です。 愛しいから悲しい、もう会えないからつらい。 だから泣くのは全然かまいません。 おばあちゃんやお母さんが死んじゃった時、 おじいちゃんもルイさんもいっぱい泣きました。 覚えてるでしょう。 あの頃君はまだ小ちゃかったから、 不思議そうな顔をして、きょとんと見てた。 でも、今はもう君は大人になった。 大人になったから涙が出るんです。 でもねえ岳君。 生きてるものは必ず死にます。 おじいちゃんもいずれ死ぬ。 君だってルイさんだっていつか死ぬ。 死ぬ…ってことはね、 生きてるものの必ず通る道です。 君は犬の死に今泣いてる。 だけど、花が命を終え、枯れて死ぬ時は いちいち涙流さないでしょう。 動物と植物違いはあってもどっちも同じ命なんです。 でも花は死ぬ時血を流さない、 だから人間はそれほど同情しない。 でも、おんなじ命なんですよ。 蛍がわざわざここへ来て死んだのは、 おばあちゃんやお母さんに早く飛びついて、 一刻も早く遊んで欲しかったからです。 今もうきっと二人に会えて嬉しくてキャッキャと遊んでます。 君とかルイさんとかおじいちゃんのことはたぶんもうすっかり忘れてるでしょう。 死ぬっていうことはそういうことなんです。 おそろしいことじゃ決してありません。 明日、裏山に埋めてあげましょう。 紅茶がさめますよ…。 熱いうちに、飲みなさい…。 緒形さんありがとうございます。 合掌 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『長靴を履いた寅次郎』 寅が思う労働のしるし 2008年10月7日 寅次郎な日々 その376 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 その昔、童話からヒントを得た東映のアニメで、宮崎駿さん達が作った『長靴をはいた猫』っていう物語があったが、 今回の話題は『長靴を履いた寅』 先日、第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」のダイジェスト版の作業をしていたら、 釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)の下にある広場で風子と初めて話し、すぐに打ち解け、 大いにはしゃぐが、その時足が映り、なんと黒足袋を履いていたのだ! さすが北海道の端、新緑の季節と言ってもやはりまだまだ冷えるのであろう。 渥美さんは冷えには弱いのでスタンバイ時にはよく足袋を履いているのだ。 山田監督も、高羽さんも、まさかカメラの端に映っているとは思わないで、OKを出したのであろう。 まあ、もっとも、ほんの一瞬であったから、観客は誰も気づいていないことは確かだ。 私が日本で最初に気づいたのかもしれない。 実は、以前にもこういうことはあったのだ。 時々このサイトにもお名前を書かせていただいている敬愛する『寅福』さんが、第6作「純情編」の中で 寅の黒足袋姿を以前発見されていたのだ。 物語の後半、江戸川の河原で夕子さんが寅と話をするシーンで、最初は素足に雪駄だったのだが、 話し終わって寅が一人スタスタ歩いていくシーンでなんと黒足袋なのである。 寅といえば、一年中素足に雪駄だと固定観念があるものだから、ちょっと驚いてしまうだけのことで、 まあそんなものかなと思えばそんなものなのである。 ただ、その直前までが素足なのでやはり、ちょっと不具合かななんて思ってもいる。 寅は粋な男だから、まあよっぽどのことがない限り頑固に素足に雪駄だ。 御前様に「いい年をして草履履きでは」なんて言われてもひたすら粋を通し続ける。 しかし、このシリーズをよくよく見ていくと実は結構いろんな履物を履いているから面白い。 意外なのは『長靴』をなんと7作品で履いていることだ。 あえて数えてみて思っていたより多いのでびっくりしたものだ。 夢のシーンは置いておくとしても、現実の『本編』の中でも 長靴以外で、ゴルフ靴、革靴、白いスニーカー、草履、なども履いている。 ★まず第1作で江戸川土手で風に吹かれている寅はなんと白黒のゴルフ靴を履いているのだ。 これはテレビ版男はつらいよで、柴又に戻ってきた寅が最初に履いていたあの靴なのだ。 こういう細かいところでもテレビ版からのファンの心を掴もうとしているのがわかる。 テレビ版の第1話オープニング 第1作でも同じようなゴルフ靴を履いている。 寅は、この第1作では、さくらの見合いでも黒の革靴を履いている。 雪駄履き一筋になるのはこの見合い騒動のあとからである。 ★第5作「望郷篇」で、北海道で労働に目覚めた寅が、ふたたび帰郷した跡で朝日印刷に押しかけ、 労働を開始する時に履いていたのがなんと白いスニーカーなのだ。 労働の夢破れて小舟で江戸川を流れていく時もまだ履いていた。 さて、長靴である。 シリーズの作品をよくよく見ないとわからないよ。と仰る方々も多いと思うが、そうでもないのである。 寅が雪駄を履いていないとやはりバランスが悪いので違和感を生じてしまうせいか、そのシーンは ヘンに印象に残ってしまうのである。 順番に紹介していこう。 ★まず第5作「望郷篇」、節子さんの住む、浦安の豆腐屋さん『三十七屋』で働く寅の定番が長靴姿。 全シリーズで最も長靴が目立ち、たくさん映った作品。額に汗して働く時、寅は気合を入れる意味も込めて長靴を履く。 『自転車に長靴』はよく似合うのだ。 ★次に、寅が、あぶくのような人生を脱却するべく、しっかり労働を考えた第11作「忘れな草」で、 網走の牧場で牧童として働く時に長靴を履いていた。 これは当たり前といえば当たり前。牧場の労働で長靴をはかない人はいないだろう。 しかし、これは、気合を入れた寅のその格好とその実力が見事に反比例した顛末だった。 ★次は第18作「純情詩集」でのラスト、新潟の六日町の小学校に雅子先生を訪ねる寅。 さすがにこれだけ山深く、そして雪が降り積もっていると長靴を履くね。そしてやっぱり長靴を履いても転んでいた。 ★次は、第20作「寅次郎頑張れ!」で、平戸の藤子さんのお土産屋さんで働く寅。 朝一番の仕入れは、やはり長靴だ。これはほとんどの人が覚えていないかもしれないが、 よくよく考えると、汗をかいて労働している時の寅はやはり長靴を履く。 この時はマドンナパワーでなんと朝5時に起きていた。 ★次もほとんどの人が気づかないかもしれないが、第35作「恋愛塾」で、 鹿角市(かづのし)尾去沢(おさりざわ)にある水晶山スキー場のリフトに乗る寅だが、 乗る前は雪駄履きなのだが、乗ったらいきなり長靴履いていた。 このシーンは結構長く映るので、気づいた人もチラホラいそうな気もする。 ★次は第37作「幸福の青い鳥」で、美保さんが勤めた上海軒の出前をしゃあしゃあとする寅。
なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 追伸: 臨時増刊号 なんとか間に合った 『おくりびと』 2008年9月14日 寅次郎な日々 その375 もう明後日9月16日に日本を出発するのであるが、予定を無理やりこじ開けて3時間だけ時間を作り、 動物的勘で昨日公開初日の『おくりびと』を走って午後に映画館に観に行った。 私が公開初日に映画を見に行くことなんて「男はつらいよ」以外ないことだ。 なんだかどうしても見なくてはならない映画だと強烈な『胸騒ぎ』がしたのである。 これを観ずしてバリには行けない気がしたのである。 公開初日ということや、滝田監督をはじめ、富山出身の関係者がスタッフキャストに多いこともあって 全席指定のその映画館は完全満員だった。この手のテーマでこんなことは超久しぶり。 なんとも清溢(せいいつ)な映画だった。 静謐(せいひつ)ささえ感じられる映画だった。 そしてなんとも淡々とした映画だった。 凛とした空気に満ちていた。 観てよかった。心からそう思える数少ない映画だった。 この1年で観たDVDも含む全ての新作日本映画の中でもっとも私の心を打った映画だった。 誰にでも必ず訪れる死。 愛する人との永久の別れ。 そして、死びとを愛を込めて送り出し、棺に収める 納棺師。 病院での始末とは根本的に違う『古式納棺の儀』 厳かで厳粛な所作、 そしてそれらを包み込む透明な空気の中の山形庄内の四季、月光川、鳥海山、 人々の無理解や差別感の中で、それでも自分の新しい道を今徐々に信じつつ歩み続ける大吾。 ラストでの父の気持ちを想う大吾の果てしなき涙。 哀しくどこまでも白い空に響くチェロ。 久石譲さん作曲の「おくりびと」のメインテーマだ。 この曲は果てしなくいい。 ナウシカのメインテーマも美しいが、この『おくりびと』のメインテーマの澄んだ音色は絶品だった。 彼は遂にやったのだ。 なによりも小山薫童さんの見事なオリジナル脚本。つまり『本』がすばらしい。 これは「博士の愛した数式」の時と同じだ。 本がよければ7割がたは成功したといえるのだ。 そしてすぐれたバランス感覚の滝田洋二郎さんの演出。 慧眼としかいいようのない原案の映画化を推した本木雅弘さんのその感覚、 そして役者としての彼のたたずまいがそれ以上にすばらしい。 彼の納棺師の『所作』がお能のように美しいのは観ればすぐ分かる。 その傍らで、山崎努さんの人生をかけたニュアンスと存在感も渋く大きく光る。 彼の芝居ほど説明の不要な芝居もないだろう。もう彼の真似は現存する役者では誰も出来ない。 笹野高史さんのいぶし銀の名演技、とラスト近くでの彼への私たちの大きな驚き。 今回も実にいい役もらってました。そしてそれに見事に応える役者魂。 凄すぎます笹野さん。 そして何よりも忘れちゃならないのが、今回、地味だが、山田辰夫さん。 出番は少ないが彼がほんとよかった。この映画は彼が役に出会った映画でもある。 私は彼の芝居にも泣きました。研ぎ澄まされたビビッドな感覚だった。 ぶっちぎりの本木さん、山崎さん、笹野さん、そして山田辰夫さん、 そして…吉行和子さんの合わせた手の指。 最後に…本木さんの頬を伝うあの涙。 しかしそれだけではない。 重く狭くメッセージ中心になりがちなこの特異なテーマを 映画の随所に小さな笑いを施すことによって、この映画がそれらの笑いによって 上質のふくよかさをかもし出しているから、う〜んこれはほんとたまらない。 「映画」として見事に成功している。 この近年まれに見る美しい映画の感想はバリに戻ってから、襟を正して腰をすえてもう少し書こうと思う。 たいして書けないかもしれないがそれでももうちょっと具体的に感想を書きたい。 映画館で金を出して観て、観終わった直後に、 またもう一度金を払って二度観たいと思った映画なんてそうそうはない。 第21作「寅次郎わが道をゆく」で留吉がレビューを見た直後に「男子一枚」といきまいて またチケットを買って観に入るが、まさにあの気分だ。 日本映画は今大きな財産を得た。 そしてこの奥ゆかしき厳粛な日本文化を、その生死感を、父と子の絆を、 外国人よりも何よりもまず私たち現在の日本人が見るべきなのだ。 2008年9月14日 臨時増刊号でした。 とら2 「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ」 2008年9月13日 寅次郎な日々 その374 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 いやはや、あと数日で日本出発である。
【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 「倅(せがれ)」と「ぼくの伯父さん」 2008年9月8日 寅次郎な日々 その373 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 先日TBS東芝日曜劇場傑作選の中から1979年放送、 山田洋次さん高橋正圀 さん原作の『倅(せがれ)』というテレビドラマを見た。 渥美さんが主演で出ているからだ。 演出は宮武昭夫さん。 で、ドラマを見ていくうちにどうもどこかで見たことのある展開だなと思ったら、なんのことはない、 それから10年後の1989年に作られた第42作「ぼくの伯父さん」とかなり似ているのである。 青年期を迎えた一人息子勝利が密かに自転車で信州美ヶ原方面へ旅に出る。 往復200キロの道のりである。 知らない間に息子に自転車旅行をされてしまった親父(渥美さん)は怒っている。 親父の名前は金之介。自転車屋を営んでいる。 もちろん親父はそれ以上におろおろ心配している。 店の名前はなんと「タイガー自転車」! それじゃ寅だよ ヾ(^^;) 向かいの喫茶店「バンビ」の親しい女性(音羽信子さん)の名前はなんとお千代さん! お千代さんの娘さんの恵ちゃんは勝利の幼馴染。これはあの大竹しのぶさんの実の妹さん。 日本滞在最後の展覧会で多忙がピークを迎え、手がまったく空きません。 第19作「寅次郎と殿様」完結編は9月14日ごろになると思います。
【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー ロケ地めぐり.満男の通う『城東大学キャンパス』 2008年8月30日 寅次郎な日々 その372 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 いやあ、ここ二週間は殺人的な忙しさで、なかなかサイトの更新ができないでいるが、 どうやらこのままバリへ発つ直前までこの忙しさは続きそうだ。 とはいっても展覧会というのは、ひたすらお客さんを待っている時間も多いのだ。 だから忙しいといえば忙しいのだが、短い空き時間が手に入ることも多い。 先日も、そういう時間を利用して、満男と泉ちゃんの恋の顛末をメモ帳に考察し直していた。 あの東京駅での別れのシーンなどを思い浮かべていたのだ。 あの頃はまだ携帯電話が普及していないので、さくらは満男が通う八王子の『城東大学』の学生課に電話をし、 校内放送で呼び出してもらっていた。そういう時代だったのだ。 それで、満男はキャンパス内を走り、京王バスに飛び乗るのだ。そしてその直後に閉まり出発するバス。 バスの待ち時間ゼロ秒!ここが効率がよかった。 あのバスに乗り遅れたら、泉ちゃんとのファーストキスは実現できなかったのである。 で、今回は「満男の大学」である。 満男は『城東大学経済学部経営学科』に在籍していた。 設定では八王子にあることになっているが、八王子付近にもちろん「城東大学」はない。 私は第45作「寅次郎の青春」本編完全版制作時にちょっとロケ地を調べてみたのだが、 見当がつかなくて、諦めてしまった。 しかし、満男が飛び乗った京王バスがきちんと大学の前で止まってくれる由緒正しい?大学を このまま知らぬ存ぜぬでいいものであろうか…、と気にはなっていた。 満男のキャンバスはそれなりにしっかり映るのだが、俯瞰映像や屋上からの映像など、全貌は映らない。 そこで今回も「必殺ストリートビュー」登場である。 しかしとりえず。航空写真でざっと見ても、どの大学も丘陵地や森林中にあることが多い。 実際何校か試してみたがなかなかストリートビューではキャンパスがしっかり見えないのである。 これではらちがあかない。 それにしても、あの『京王バスの停留所』以外になんの手がかりも無いのだ。 上で書いたように校舎は映るが、八王子付近には膨大な大学の数があるので、 ひとつひとつローラー作戦で確認していくと半日以上かかってしまう。 だからそういう野暮なことをなるべくせずに頭を使いたいところである。 ちなみにおおよそロケに使われそうな八王子駅周辺の大学及び施設候補は以下のとおりである。 もちろん小奇麗な女子大を使った可能性も十分考えられる。 もうこれだけで30校近くもある…とにかく膨大な数なのだ。トホホ…。 中央大学 八王子市東中野742ー1 0426-74-2144 多摩モノレール中央大学・明星大学駅から徒歩1分。京王線多摩動物公園 からは徒歩10分、京王線橋本駅や聖蹟桜ヶ丘駅、JR豊田駅からのバス便 拓殖大学 八王子市館町815−1 0426-65-1441 最寄駅は京王高尾線高尾駅ロータリーよりバス有り5分。広大なキャンパス、 高尾山も近く環境抜群。めじろ台周辺西八王子周辺・八王子駅周辺・北野駅周辺が人気地域。 3年次より文京区へ校舎が変わる学部有り。 法政大学 町田市相原町4342 0427-83-2060八王子市と町田市の境界線の所に位置する。アクセスは京王高尾線めじろ台・ 中央線西八王子及び八王子駅よりバス便。その他横浜線相原駅よりバス便有り、めじろ台が一番 便利で、バス10分。 創価大学 八王子市丹木町1−236 0426-91-4617最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス20分中央高速インターチェンジより 車で5分。大学の前には富士美術館があり、女子短大も同じ敷地内にある。 杏林大学 八王子市宮下町476 0426-91-0011 最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス40分中央高速インターチェンジより車 で20分。緑に囲まれた静かな環境 工学院大学 八王子市中野町2665−1 0426-91-0011最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス20分中央高速インターチェンジより車で5分。 本校は新宿西口なのだが、1〜2年は八王子校舎で学ぶ。 東京純心女子大学 八王子市滝山町2−600 0426-92-0326最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス25分中央高速インターチェンジより車で8分。 バス通りから正面の小高い丘にそびえる校舎 共立女子大学 八王子市元八王子町1-710 0426-61-9802 最寄り駅は中央線高尾駅・京王高尾線高尾駅。 JR中央線高尾駅近くよりスクールバスがある。八王子キャンパスは国際文化学部は4年まで、家政 ・文芸学部は1〜2年次まで、その後は千代田区神田の本部校舎へ。 帝京大学 八王子市大塚359 八王子キャンパスは経済・法・文学部0426-76-8211最寄り駅は京王線聖蹟桜ヶ丘バス10分。 多摩都市モノレール・大塚 帝京大学駅から徒歩約13分 明星大学 日野市程久保2−1−1 0425-91-5793 日野キャンパス:最寄駅は多摩都市モノレール中央大学・明星大学から通学専用 エスカレーターで5分。八王子市と日野市の境界の所に位置 東京都立大学 八王子市南大沢1−1 0426-77-1111最寄り駅は京王相模線南大沢徒歩3分 東京都立科学技術大学 日野市旭が丘6−6 0425-83-5111最寄り駅は中央線豊田駅徒歩20分八王子からのアクセスも便利。 多摩美術大学 八王子市鑓水2−1723 0426-76-8611最寄り駅は中央線八王子駅南口よりスクールバスあり。 横浜線橋本駅からもスクールバス有り。八王子ー橋本間の路線バスもある 東京造形大学 八王子市宇津貫町1556 0426-37-8611最寄り駅は横浜線相原駅より、徒歩でも15分。 東京工科大学 八王子市片倉町1401−1 0426-37-2111 最寄り駅は横浜線八王子みなみ野駅(新駅)より スクールバス約5分。 東京薬科大学 八王子市堀之内1432−1 0426-76-5111 最寄駅は京王線平山城址公園駅よりスクールバス5分。 24万平方メートルという広大なキャンパスは、豊かな緑に恵まれている。 東京家政学院大学 町田市相原町2600 0427-82-9411八王子市と町田市の境界線の所に位置する。アクセスは京王高尾線めじろ台・中央 線八王子駅よりバス便有り。その他横浜線相原駅よりバス便有り、めじろ台が一番便利で、バス10分。 戸板女子短期大学 八王子市犬目町139 0426-23-5225最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス25分中央高速インターチェンジより車で 10分工学院大学八王子校舎の近く。 創価女子短期大学 八王子市丹木町1−236 0426-91-2201最寄り駅は中央線八王子駅北口よりバス20分中央高速インターチェンジより 車で5分。短大の前には富士美術館があり、創価大学も同じ敷地内にある。 山野美容芸術短期大学 八王子市鑓水530 0426-77-0111最寄り駅は横浜線みなみ野駅(新駅)よりスクールバス有り。 日本文化大学 八王子市片倉977 0426-36-5211最寄り駅は横浜線片倉駅 徒歩5分。 法学部のみこじんまりとした大学だがアクセスは便利。 大妻女子大 多摩 多摩市唐木田2-7-1 最寄り駅は小田急多摩線唐木田駅徒歩5分。 実践女子学園 日野市大坂上4-1-1 大学(TEL042-585-0311)短大(TEL042-584-5000)の最寄り駅はJR中央線日野駅徒歩15分 実践女子短期大学は日野市役所の東隣り大学は市役所の西へ200m高台の場所にある。 帝京科学大 山梨県上野原市八ツ沢2525 TEL0554-63-4411最寄り駅はJR中央線上野原駅よりバス8分、新宿から1時間15分。 帝京大学薬学部 神奈川県津久井郡相模湖町寸沢嵐1091-1 TEL0426−85−1121 帝京大学経由三ヶ木行13分「帝京大学」下車徒歩3分又は三ヶ木行「寸沢嵐」下車徒歩10分。 国立東京工業高等専門学校 八王子市椚田町1220-2 TEL 0426(68)5126・5127 日本自動車整備専門学校 八王子市館町2193 TEL:0426-63-3211設置学科: それで、今回は『京王バスの乗り場がキャンバスの目の前』ということを重要視してみた。 こういう場合『バス停の名前に必ず大学名が入る』のである。これはおそらくほぼ確実。 JR八王子駅を出発として、南の丘陵に大きく広がるたくさんの大学群に焦点を絞り、かつ、 『京王バスで停留所の名前に大学名がついているもの』を、調べ、大学のHPで 建物をチェックしていった。 まず目立つものでは、 東京家政学院大学、法政大学、拓殖大学、東京工科大学、多摩美術大学、東京薬科大学。 このあたりが、まあまあ駅から近距離で京王バスの停留所にその大学名がある。 それで順番にそれぞれの大学のHP及びその関係サイトで調べていくと、…。 ありました!! 6番目の『東京薬科大』が写真そっくり。 ちょっと見比べてください↓ 煉瓦色と白のコントラストが基調の校舎。赤丸で囲んだところが映画↑の2つの校舎 この渡り廊下↓は、上の航空写真でも左奥に見ることが出来る。 満男が走っていた校内の道もありました。 と、いうことで、満男の通っている『城東大学』のロケは、 八王子市堀之内1432−1に位置し、 明治時代にすでにその前身がある超伝統校であり、 最寄駅は京王線平山城址公園駅よりスクールバス5分。 24万平方メートルという広大なキャンパスは、豊かな緑に恵まれていて…。 …という『東京薬科大』でしたあ〜〜〜!! やったー、1時間半で見つけたぞ!今回は早かった。
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『寅次郎な日々』バックナンバー ロケ地めぐり.堤鞠子さんの職場 2008年8月21日 寅次郎な日々 その371 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 ここのところ生業が忙しくてほとんど本編の更新作業が進んでいない。 このぶんだと第19作「寅次郎と殿様」完結編は8月末になりそうだ
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『寅次郎な日々』バックナンバー 寅次郎な日々370 ユニークなロケ地巡り.究極のマップ ストリートビュー 2008年8月10日 寅次郎な日々 その370 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 Googleは、ついにやってはいけない…かもしれない、究極のマップを作り出した。 アメリカでは昨年から登場していたらしいが、日本では先日からだ。 名づけて『ストリートビュー』 地図上の人物をクリックすると、その道路からの景色が10メートルおきくらいに映し出されるのだ。 そしてその映し出された映像の矢印をクリックすると、映像を見ながら移動できる。 人物をドラック移動することも出来、回転マークで画像を上下左右斜めにぐるりと360度回せる!。 その画像を拡大することも出来る(画像は荒くはなる)。 もちろん車が入りにくい路地などはカバーされていないし、時刻も季節もまちまちだ。 試してみてすぐに思ったのは、こんなことが許されていいはずがないだろう…、ということだった。 個人の家や間取り、車の車種、歩いている人などが、若干ぼかされているとはいえ、 危ない状態でそのまま映っている。 悪く言うと「覗き見」を公然と出来る状態が何パーセントかの要素で確実に存在しているのである。 人間と言うのは弱いもので、だれも見ていなければ、やっぱり下世話な気持ちでいろいろ見てしまうものなのだ。 たとえば関心のある誰かの詳しい住所まで知っているとすれば、とりあえず、それなりに大きな道に面していれば おおよその特定が可能になるのだ。これはある意味怖いことでもある。 そうは言っても私も試してみたくなった。 まず、自分の大阪市の実家、自分の昔すんでいた東京豊島区の家、東村山の多摩湖町の家、 教師時代の豊島区の中学校などをすぐに見て回った。 下世話だがこういうものは面白いのだ。家に居ながらにして町を巡れるのだから。 Googleが言うぶんには、1都市をカバーするには3〜4カ月を要するらしい。 相当の台数の撮影車を稼働しまくって、今後もカバーエリアを順次拡大していく予定だそうだ。 まあ、時間の問題であらゆるクレームが噴出してくるのは間違いない。 Googleもそんなことは承知で、それらのクレームに対応しながらこのサービスを綱渡り的に拡大させていこうとしているのだろう。 で、私のほうだが、私は他人の家をピンポイントで覗く趣味はない。そういうのは気持ち悪いものだ。 だからもっぱら【ロケ地めぐり】のみに使っている。 まだまだそんなに多くの都市で見れるわけではない。 今のところ東京都とその近隣県の一部、大阪京都奈良神戸、淡路島 、仙台、函館、小樽、札幌などだ。 それでも結構なロケ地めぐりができる。 ちょいと試しに3時間ほどかけてめぐってみたロケ地をさらりと紹介しましょう。 東京 あの第1作のオープニング、モノクロの映像が実に印象深かった。 あのシーン、満開のさくらの花びらのバックに水元公園の池と橋が見える。 「ストリートビュー」の方は冬の水元公園。 → 第14作「寅次郎子守唄」では京成電鉄の沿線が舞台になっている。 博がお世話になり、赤ん坊が御世話になり、おいちゃんまでが入院した吉田病院。そしてその横の線路高架下。 当時と雰囲気はあまり変わっていない。映画の中ではこの吉田病院は柴又にあることになっているが、 実はこの病院は「京成関屋駅」や東武伊勢崎線「牛田駅」のすぐ北、徒歩3分場所にある。 左は病院側、右の本編は病院の向こう側。 → 下の写真も第14作「寅次郎子守唄」でのロケ地。マドンナの京子さんの最寄り駅である 京成電鉄の「江戸川駅」すっかり新しくなっていた。 → 下の写真も第14作「寅次郎子守唄」でのロケ地。あの大川弥太郎たちが毎週合唱の練習をする京成関屋駅から 徒歩10分の『聖和幼稚園』横の路地。幼稚園は新しい建物になっていた。 → 小樽 小樽と言えばまずは第15作「寅次郎相合い傘」だ。 あの放浪の旅の最中お金が無くなった、寅、リリー、パパは駅の待合室で野宿をするが、 この駅が函館本線 『塩谷駅』であるとこをつきとめたときの感動は今でも忘れられない。 ■(このあと5年も後に、実は隣の駅である『蘭島駅』だとわかるのだが…) 駅の遥か向こうに見える海岸線や山々の地形だけが頼りだった。、結局なんとか探し当てたのだが 後にも先にもあんな難しい作業は無かった。 で、今回「ストリートビュー」で訪ねてみると、駅が変わり果てているのはともかく、駅前の地形が 変わるほどの道路工事が行われていたのだ。駅前に道路が出来、近場を見る限りは もうロケのころの面影は無いもなかった。 わずかに見える海と山々の形だけが頼りだった。 ★このメールに添付しました『相合い傘での駅舎全ぼう』が映っている静止画像の 一番左上の2つの小さな黒く細いものは船だと思われる。 もしそうだとしたらあの左上は海!ということになり、 同じく添付しました近年写された『駅裏の丘からの眺望風景』と 中景の丘陵や遠くの山の形、海の見え方も同じ。水平線が似てくる。塩屋駅の確率が高くなった。 → 現在の塩屋駅裏の丘から海を撮影した画像↓映画の上の拡大図と似ている。 ■(今から思うと『蘭島駅』からの眺めもほぼ一緒だからややこしかったようだ) 遠景右の山々が同じ形。 実は途中、一度立て替えられてこのようになっていた。↓ そして現在三度び立て替えられておもちゃのような小さな駅になっている。 ★向かいのホームへの階段、高架連絡橋は今でもまったく同じかもしれない。
小樽に入ってからパパは初恋の恋人探しを敢行する。 小樽市東雲町付近。水天宮に至る急な石段を上っている3人。 彼らの右下に『小樽聖公会』の赤い屋根が見える。 現在は周りの風景や階段周辺はちょっと変わったが『小樽聖公会』の屋根の雰囲気は同じ。 → 同じく兵頭パパが初恋の人に会いに行った『喫茶店ポケット』 場所は小樽市緑町1丁目あたり。 原田歯科医院の真横に喫茶店ポケットはあった。 現在原田医院はビルになり、その横にあったポケットは無くなり、どこかの事務所前の駐車場人っている。 その横は今は「緑町郵便局」。 原田歯科医院の看板が見える。 → 駐車場になっているところがちょうどポケットがあったところ そして次はあの有名な『小樽運河』に行こう。 こいつはなかなか特定が厄介だった。 小樽運河でロケしたのは当たり前なのだが、この運河、結構橋が多いのだ。 運河南から「浅草橋」、「中央橋」、「竜宮橋」、「北浜橋」である。 それでもこの作品ではあのロケ地で運河の端が映ることから、全長1200メートルほどの運河の どちらかの端っこでロケしたであろうことが推測できる。 ちなみに、 数年前に出版された「寅さん完全最終本」なる本にはこのロケ地が「竜宮橋」と書かれてあって、 いろいろ紹介されているが竜宮橋は実は運河の一番端の橋ではない。基本的なミスだと思われる。 運河が向こうで終わっているのでロケは一番端にある橋である。 この時点で二つに絞られる。端が見えると言うことは…、 つまり南の端の「浅草橋」でロケた」したのか、 それとも北の端の「北浜橋」でロケしたのかだ。 しかし、南の「浅草橋」から見た風景だとすると、余市方面にあの有名なレンガ倉庫群が間近に見えるはずである。 もちろん1975年当時よりずっと前からあの倉庫群はあったのだから。 (もっとも今はみんな中だけリニューアルされて飲食店に変わってしまったが。) ちなみに第22作「噂の寅次郎」のラストでは早苗さんが故郷の小樽へ帰ったということで、 観光スポットとして有名な南側の「浅草橋」からの冬ロケが行われた。(もちろん風景だけ) 第22作「噂の寅次郎」での「浅草橋」ロケ 余市方面を望む 現在、観光名所になった「浅草橋」より余市方面を望む。 → これでまず、第15作は一番北の「北浜橋」でロケしたことが推測された。 そいかし、物的証拠がないと、ギリギリではこれも「推測」でしかないのだ。 そこで「ストリートビュー」に登場してもらった。 そうすると証拠が出てくる出てくる。当時と激変していると思われた運河北側(北運河)でも、 まだまだ同じ建造物は結構あったのだ。 ここにその一部を紹介しよう。 「北浜橋」から見た北側が特に見た目はもう違う街かと思うくらい激変していた。特にあの巨大な工場(缶詰工場)はなんだ…。↓ → しかし上の巨大な工場の後ろに赤レンガの倉庫が見える。あの煉瓦は当時もあった。あのまま。 後で調べると硝子工芸のギャラリーのようなものになっていた。赤丸参照 一方、橋から眺めた南側もかなり雰囲気が変わっていたが、 左岸に見える缶詰工場本社のあり方が当時のままの部分が見受けられた。 特に一、二階部分や、煙突など…。 兵頭パパの背中向こうに当時のビルの一部が見える。 → それと、橋の欄干の質感や形が同じ。 それと、当時から橋の欄干の真ん中が凸字型になっていて、河を眺めることが出来ていたところも、今も同じ。 橋の真ん中が凸型になっているのがわかる↓。 よく見れば橋の欄干の形が当時と一緒。 そしてダメ押しは寅たちの背中向う岸に見える何軒かのトタン屋根煉瓦倉庫が今も保存されていることだ。 現在は、なにやらいろんな店に改装されているようだった。↓ → これで決定だ。 この第15作「寅次郎相合い傘」でのロケは 小樽運河の一番北にある「北浜橋」の 中央付近でロケされたものだったのだ。 それにしても山田監督はこのしっとりとした古い町が好きなのだ。 テレビドラマ「遥かなるわが町」も小樽が舞台だし、博のお父さんも小樽の大学で勤めていたことがある。 ちなみに、第15作「寅次郎相合い傘」が制作された1975年はちょうど、小樽市と運河保存運動の市民グループが もめていたころだった。 小樽市は、当時、無用の長物と化していた小樽運河を埋め立て、道路として整備する方針を打ち出したが、 これに対し運河の保存運動が全国規模で高まっていったのである。 1973年(昭和48年)に「小樽運河を守る会」が発足され、 この映画が封切られた2年後の1977年(昭和52年)に「小樽臨港線整備促進期成会」がそれぞれ発足され、 運河埋め立てに対する関心が高まり、全国規模で署名運動が行われた。 それで小樽市も1979年(昭和54年)に運河の全面埋め立ての計画を撤回し、 運河の水面幅を40mの半分である20mを残すという妥協案を提案し、 1983年(昭和58年)に着工してしまったのだった。 工事開始してから3年後の1986年(昭和61年)に現在の小樽運河が完成し、 運河に沿ってガス灯や遊歩道が整備された。運河の全長は1140m。 小樽運河北側の整備が始まったのは1989年(平成元年)で、水面幅をかつての運河と同じ40mとされ、 全長は470mの整備が行われ、翌年の1990年(平成2年)に完成した。 だから、あのロケが行われた「北浜橋」のあたりは「北運河」にあたるので、川幅はロケ当時と同じくらい広い。 大阪 大阪と言えば何と言っても「浪花の恋の寅次郎」だ。 この時、私はかなりこの大阪のロケ地を詳細に検証したのだ。 それゆえ、今回の『ストリートビュー」での調査もあっさりと見つけることが出来た。 ここではふみさんの弟の英夫君の仕事場とアパートを「ストリートビュー」で紹介してみよう。 英男君の町、オリジナルマップ 山下運輸のトラック車庫 港区波除6丁目 大村昆さんが、トイレから出てきたところ。 あのトイレは古くはなっていたが今も健在だった。 → 英夫君が住んでいた松風荘。 これは当時、道路の位置、大きな発電所の煙突の見え方、などから判断して 場所を推測したのだ。これも当時は時間がかかった。 現在は違う家が建てられ、道路との間に塀が作られている。 → ふみさんが、「新世界ホテル」で深夜寝てしまい、 朝方複雑な気持ちでタクシーを拾う天王寺動物園前。 これも道路と高架の柱との関係でクリア。 手前の店は今も健在。 → 京都 京都と言えば第29作「寅次郎あじさいの恋」だ。 この作品も、京都市内のロケ探しはだいたいは簡単なのだが、 細い路地は「ストリートビュー」では巡れなかった。 ここでは北区上賀茂御薗口町4の 焼餅(やきもち)の店『神馬堂』を紹介しよう。 やきもちは葵餅とも言う。 → 神戸 神戸と言えば、第48作「寅次郎紅の花」のラストが蘇る。 長田区菅原通4丁目 あの渥美さんが「聖地」と呼んだ、長田区菅原市場はどうなっているのだろうか。 これも簡単に見つかった。 向こうのほうに「新春」と見えるのが「菅原市場」 現在は同じ場所で「味彩館 Sugahara」として人気を集めている。 → 以上だ。 まあ、このように面白いように「ストリートビュー」を使えば ロケめぐりがどんどん出来るのだが、欠点はやはりギリギリではピンポイントでは見つけられないことだろう。 また、ピンポイントで巡れるようなら、逆にそれは社会的に非常に危ないマップだとも言える。 まあ、このいろいろプライバシーの問題が山済みの「ストリートビュー」ではあるが、 これを使ってとりあえず簡単なロケめぐりが出来るなんて遠くバリ島に暮らす私にとってはちょっとした慰めにはなるのだ。 【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 【遠い旅の空から】連載開始 2008年7月31日 寅次郎な日々 その369 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 先日7月29日(火)より読売新聞朝刊「東京版」にて 『男はつらいよ40周年』にちなんで、 『寅さんに影響を受けた人たち』というテーマで連載が行われている。 タイトルは【遠い旅の空から】 この「男はつらいよ」という映画に人生で大きく影響を受けたいろいろな人たちを毎回一人ずつ紹介し、 映画と関連付けてその人たちの人生をも紹介するという企画だそうだ。 毎日連載で9回ほどに渡って、毎回100行〜120行ほどの長さで五段抜きで連載している。 読売新聞朝刊の中でもかなり大きな連載記事だ。 上にも書いたように東京版なので東京以外の道府県にお住まいの人は残念ながら読めない。 それと多摩地区の方々も読めない。 ただし、読売新聞本社内の『ヨミプラザ』(03−3217−8399)に電話連絡すれば 全国どこからでも過去2ヶ月以内の読売新聞「東京版」は2ヶ月以内なら何日のものでも、 何部でも、通販で買えるから、ぜひとも読みたい人は送料(100円ほど)さえ足せば 2日ほどで手元に届いて読める仕組みになっている。 もうひとつ、読売新聞のWEBサイトである、「YOMIURI ONLINE』の中でも 同じ文章と写真が掲載されている。これなら日本全国はもちろん全世界の日本人が見れるわけだ ホーム>地域>東京23区>企画連載とクリックしていけばOK もしくは下↓のURLでいきなり見れる。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231217264378697_02/news/20080729-OYT8T00155.htm 普段世間の企画ものに対して不精な私がどうして珍しくこのような公的なお知らせを 細々と、個人的な『日記』などに書くかと言うと、 実は私も4週間ほど前に取材を申し込まれたからだ。 私などは関係者でもないし、映画人でもないし、有名な文化人でもないし、芸能人でもないし、 仕事自体もちっとも有名な画伯でもないし…、つまり地位も名誉もついでにお金もない男だ。 場違いもいいとこじゃないかってお断りしようと思ったのだが、 私のささやかなサイト「男はつらいよ覚え書ノート」を見て感動してくれたその記者さんは とても熱心な方で、ぜひ直接越中八尾の自宅へ行って話を聞きたいと仰る。 ずいぶん迷ったが、これによって少しでもこの映画が見直されればと、 結局僭越ながら己を無にして直接取材を受けることにした。 『国民映画』『寅さん』などとマスコミにさんざん表面的には持ち上げられながら、 一方でこの映画を評価しないことをまるで文化人、知識人のステイタスのように考えている輩が大勢いるこの国で、 この映画に人生を救われた人間がまさにここにいるのだと伝えたいと思ったからだ。 人の人生を変えてしまえる映画なんてそうあるものではない。 7月初旬の大雨の翌日、 読売新聞東京本社からわざわざ汽車を乗り継いで山を越え5時間以上かけて 山深い越中八尾に来てくださった記者さんは 私の自宅1階板間のアトリエで3時間にもわたる熱心な取材をされた。 地元の北日本新聞、富山新聞やテレビには時々仕事の展覧会に取材していただいて 小さな記事を載せていただいているが、 今回は仕事の展覧会でなく「寅さん」。 しかし記者さんの仰るには「寅さん」の詳しい話だけでなく、 その映画に影響を受けた人間そのものを実は取材したい、ということだった。 この映画のことだけでなく、バリのこと、絵のことなどを全部一つに関連付けての総合的な取材。 それゆえ私の心の底の隠したい部分や苦悩の人生の影の部分を あえて探るような緊張感のある深い取材だった。 新聞記者さんのプロ意識というのはたいへんなものだなとつくづく感じた一日だった。 実は…、 あの徹底した取材を受けて私はもう一度自分が解体された。 そして、あらためて自分の裏表を総合的に見つめることが出来たのだ。 だからあの取材は違った意味でもとても私にとって意味のあるできごとになった。 取材の後、せっかくはるばる越中八尾まで来られたのだからと、 夕方の淡い光の中、自分の住む多くの絵のモチーフにもしている八尾の町を ゆっくり1時間ほど歩いて案内させていただいた。これも大事な取材の一環だ。 こういうことはとても大事。その土地を知らないとその人は分からないものだ。 記者さんはとても町並みがしっとりしていると気に入ってくださった。 で、帰り際に「7月末頃からおそらく連載が始まります」と言われていた。 そのあとも時々メールを通して本質的なこと、精神的なことを何度か聞かれ、 それに自分なりに誠実に答えることによって自分がもっと見えてきたから面白い。 そうこうしているうちに先日連載が始まったが、 なんとその前日に「連載第1回目は吉川さんです」と、言われた。つまり私だった。 第1回目というのは「つかみ」なので本来とても重要なのだ。 第1回、2回、3回あたりが悪ければ後はこけるとも一般には言われる。 しかしこの場合、厳密に言えば私は『モチーフ』にしか過ぎず、 ポイントは記者さんの優れた筆力の方。 だから私は記者さんを信じるほかなかった。 それで掲載された翌日送られてきた記事を読ませていただくと、 自分の人生を変えた第15作「寅次郎相合い傘」での寅のアリアを文章の核として、 私の人生の明暗がドラマチックに浮かび上がる構成になっていた。 特に最終章は私の気持ちを代弁してくれるような鮮やかで無駄のない、それでいて温かいタッチで 締めくくられていたのはさすがの一言だった。 思っていたよりずっと大きな記事で120行くらいはあると思われた。 世間受けを狙った寅さん寅さんした面白おかしい記事では全くなく、 逆にその影響を受けた人間そのものにじっくりとシリアスにスポットが当てられている 優れた本物の企画だったと思う。取材されたから言うわけではない。 こうして送られてきた新聞記事を眺めながら今しみじみそう感じているのだ。 それでは記事をご覧ください↓。面白いと思った方は『ヨミプラザ』で買ってください(^^) 【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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『寅次郎な日々』バックナンバー 全48作品とらや【お品書き】考察記 2008年7月23日 寅次郎な日々 その368 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。
どの作品で価格を値上げして行ったか。↓ 青文字は値下げ 赤文字は80円以上の急激な値上げ。 値上げ(値下げ)した瞬間の作品とその時の価格のみを記入しました。空白欄は前回の作品と同じ価格だと思ってください。
参考資料消費者物価指数 ■【とらや(くるまや)値上げについての簡単な考察】 ★これを見ると分かるように第9作「柴又慕情」、第12作「私の寅さん」、第13作「恋やつれ」第17作「夕焼け小焼け」、 第19作「殿様」と小刻みに中規模値上げをしていった。 ちょうど上の↑の物価指数のグラフを見ても分かるが オイルショックの起きた1973年は土地の値上がりと共に物価も上昇していたのだだからその年公開の 第12作でいろいろ価格を値上げをしたのは仕方がないのかもしれない。 ★全体に団子系の価格設定に迷いがあるようだ。上がったり下がったり、急激に上げてみたり、 すぐ下げたり…。一折も同じ作品で(小)が200円だったり300円だったり、なんだか落ち着かないのだ。 ★第20作「頑張れ!」でかなり思い切った仁義なき値上げに踏み切っている。 ★その反動か、お客さんから大きな反発を買ったのか、 この第20作のあと、なんと第34作「真実一路」までまったく値上げをしないまま頑張った。 ★しかし、その後第37作「青い鳥」で2回目の仁義なき値上げ決行してしまう。 ★そしてその後も第41作「心の旅路」で中規模の値上げをし、 第46作「縁談」ではまたもや3回目の仁義なき値上げに踏み切ったのである。 ★これも前回の値上げ同様、見て分かるように、 大きな値上げの後は、客離れを防ぐために数年はそのままの価格で据え置きしているようである。 ★茶飯と赤飯はご飯もののせいか、さほど団子やおでんのようには値上げはしなかったようだ。 初期と比べて3倍の値上がりで止まった。 ★最も値上げ率の高かったものは「団子」一般であり、初期と比べて約8倍に値上がりしている。 同じくところてんも8倍。 ★コーラは主に初期の作品のい多く、第13作からは見られなくなった。 ★ビールは勝手に値上げできないのか第37作「青い鳥」で登場してから最後まで300円のまま。 ★団子一折は初期の頃は、(小)が200円で(大)が300円だったが、すぐに(小)が300円になり、 第21作「わが道をゆく」では(小)300、(中)500、(大)800に落ち着き、 その時期が続いたが、第37作の第2次仁義なき値上げ以降いきなり(小)600円、(中)800円、(大)1000円になってしまった。 ★中期の作品では「ミルクコーヒー」が長く登場するが、第28作以降、客が飽きたのか無くなってしまった。 ★下町の店屋につきものの「ラムネ」は意外にも第17作「夕焼け小焼け」から始まった。 おそらく初期の頃は「サイダー」があったせいだろう。 第19作の 飲み物のソーダ水、サイダー、ラムネはそれぞれ似すぎだ(^^;) ★第2作ではクリームを使ったメニューが多い。そしてこのころはかなり安い。 クリームを使ったメニューは第10作「夢枕」以降見られなくなっていった。 ★大福餅や豆大福は、いかにもとらやにいつもありそうだが、実は中期の作品群に限られる。 ★あんみつはほとんどの作品であるが、みつまめは十作台の中の数作品のみ。 ★「カキ氷」の値段は意外にもめったに出てこないが、 第2作で50円だったものが第17作「夕焼け小焼け」では150円になっている。 ★初期の第8作あたりまでは幅の大きな紙にお品書きが書いてある。第11作、第12作も幅の大きな紙 第3作第4作は渋く木の札に書かれてある。 第9作は細い紙。第13作から第19作までは全て細い紙。 第20作から第36作までは、中庸な大きさで安定感のある読みやすいほぼ同じようなお品書き。 第37作から第45作までも同じようなお品書きが続く。 第46作から第48作までも同じようなお品書き。 ほぼ、価格の変動にあわせてお品書きの姿かたちも変わっていく。 値上げと言えば、瞬間的にギネス並みの値上げをしたこともあった。 それは、第17作「夕焼け小焼け」で、 お金が必要な寅がお客さんの谷よしのさんに発作的に「200万円」の団子代を請求したことがあった。 ちなみにおばちゃんは即座にその金額を訂正し「500万円」と言い切っていた。 しかしさすがに払ってくれるはずもなく数秒後には正当な「500円」に落ち着いていた。 ■とらや(くるまや)【冷蔵庫】についての簡単な整理 ただし、あくまでもとらや(くるまや)の店の冷蔵庫のマークのみ対象です。 【森永】 第1作〜第4作 第6作〜第7作まで。 第10作 合計7作品 【ペプシ】 第9作 合計1作品 【雪印】 第5作 第8作 第11作〜第17作まで。 第19作 合計10作品 【サッポロ】 第20作から第26作まで 合計7作品 【スポンサー無し】 第18作。 第27作〜第34作まで。 第37作。 合計10作品 【サントリー】 第35作〜第36作まで。 第38作〜第42作まで。 合計7作品 【キリン】 第43作〜第48作まで。 合計6作品 多い順番で書くと
★意外にもトップの雪印と並んでスポンサーなしの作品も10作品と多かった。 どのスポンサーもある時期に集中してるんだね。 ★あのままシリーズが続いていると間違いなく次は「アサヒ」 アサヒビール が6〜7作品連続でスポンサーになっていたことは想像に難くない。 以上で全ての考察を終わらせていただきます。 あ〜〜〜長かった(^^;) このようなでかいアップをいたしました関係で、寅次郎と殿様完結編は 8月10日ごろになる予定です。気長にお待ちください。
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『寅次郎な日々』バックナンバー ロケ地発見への道 「寅次郎と殿様」 愛媛県 興居島(ごごしま) 2008年7月16日 寅次郎な日々 その367 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。
船から見た興居島と伊予小富士そして泊の港
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『寅次郎な日々』バックナンバー 即興フラッシュアニメ『駆けて来る寅次郎』 絵は運動神経を使って描かねばならない 2008年7月14日 寅次郎な日々 その366 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 最近息子はかなり熱を入れて漫画やフラッシュアニメを作るようになったが、 その分以前より欲が出てきたのかいわゆる完成度を高くしようという傾向にある。 これは絵描きにも言えることだが、前作より、いっそうしっかり作ろうとし始めるわけだ。 一見とても前向きで向上心があっていいように見えるが、あまりそれが高じると時には線が硬くなったり、 小奇麗になりすぎたり、うまげだが変にまとまったりしてどこか商品ぽくなるのだ。 そう言うスケベ根性からは時代を超えるものは出てこない。 まあ、彼も18歳なのでいろいろプロっぽいものを作りたいと思うのだろうが、まとめてはいけない。 想像と破壊の連続の狭間にしか感覚的なものは決して生まれないのだ。 普段は彼に何の助言もしない私だが、もっと生意気に運動神経で絵を描くようにちょっと助言した。 絵は油彩であろうが、漫画であろうが、アニメであろうが右脳をフルに使って感覚的に描かないと ギリギリではどこかで見たような、どうでもいいようなものが出来てしまうから怖い。 で、まあ、本人なりにちょっと納得したのか、そのあと2時間ほどで即興アニメを作ったらしい。 見せてもらうと、 寅次郎が草原で「さくらー」って叫び、途中でこけそうになりながらこちらに走ってくるのだ。 確かに破綻だらけで何が何か分からないが、とにかく上手くまとめようとしていない絵ではあった。 それと全体的に運動神経で描いている線だったので、これに関しては文句は言わなかった。 まあ、あえて気に入ったところをあげるとすれば 「カチンコ」に描かれている絵と文字がちょっと感覚的で良かったかな。 で、助言をした手前、この日記に載せてやることにした。 タイトルは「駆けて来る寅次郎」 何だか全体によく分からないが、退屈な絵ではないのが救い。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 好きだから つよくぶつけた雪合戦 2008年7月3日 寅次郎な日々 その365 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 ようやく森英介さん著 「風天 渥美清のうた」を読み終えた。 一つ一つ渥美さんの句をかみしめるようにめるように読んでいった数日だった。 私が新たに気に入ったのは、以下のとおり。 好きだからつよくぶつけた雪合戦 蓋開けたような天で九月かな ただひとり風の音聞く大晦日 夢で会うふるさとの人みな若く 少年の日に帰りたき初蛍 子に先立たれカンナ咲く 肌寒く母帰らぬろ地に立つ そばあっけなく食って扇風機 そして亡くなる少し前に作った句の中で特に好きなものがこの二つ。 花道に降る春雨や音もなく ポトリと言った気がする毛虫かな 4月28日にこの「寅次郎な日々」でも「バリ日記」でも、 私の留守の家に健気に咲く赤いチューリップの話を書いたばかりだが、 なんと渥美さんも同じことを俳句で表現していたのだ。これにはびっくりした。 「 チューリップ 風に震えて 家は留守 」 さて、ここで、この本で興味深かった話をちらっと紹介しよう。 本の中で山田監督が森さんのインタビューに答えているのだが、 実はその昔、このシリーズで俳句を題材にしたある一つの作品が、渥美さんとの雑談の中で 生まれつつあったことを懐かしく語られていたのだ。 かいつまんで言うと話はこうである。 ある時、寅が旅先で山頭火みたいな放浪の坊さんと一緒になった…。 寅はその乞食坊主を哀れがってなけなしの金をはたいてご馳走したりする。 旅を続けるうちに坊主が俳句を好きだということが分かって寅はその作品を見るんだけれど、 「こんなのダメだ」って生意気にもけなしてしまう。 坊主が「じゃあどんなのがいいんだ」と言うと、 寅はちょっと間があって、 「こんなのどうだい、五七五にはうまくはまらねえけれど」 と、その場の思いつきの句をひょろっと口にしてみる。 坊主はそれ聞いてひどくびっくりして 「それいい句だよ。あんた俳人になれるよ」 と、感動したと言う話。 寅が友達になったその人は、乞食坊主のような格好をしているが実は有名な俳人で、 あとになってその人が句集を出す。 ある時俳句をはじめた博が句集を見ながら 「兄さんこの俳句いいでしょう」 と言うので見てみたら、 「あっ、それはオレが作った俳句だ」って寅が言う。 それで、いろいろ事の顛末をみんなに話してやる寅だったが、 「兄さん、この人は有名な俳人ですよ」って博が教えると 寅はそれに対してにこう言うのだ 「オレのを盗むくらいだから大したことはねえな」 チャンチャン(^^) これは観たい。なんとしても映画を観たかった。 第17作「夕焼け小焼け」の池ノ内青観や第29作「あじさいの恋」の加納作次郎との一期一会と 一見よく似ているが実は大事なところが違う。 決定的に違うのは、寅が実際にひょいと見事な俳句をリアルに作ってしまうところである。 そうなのだ。寅は人生の達人であり、詩人なのだ。 絵画や焼き物のような「物」と違って寅はすでに人生の機微を熟知するゆえに「言葉」というものをよく知っている。 もちろん知識という意味ではない。難しい熟語や季語などは知るはずもないが、見事にその情景に的を得た日本語が スッと出てくるのである。時々目の覚めるような鋭敏な言葉使いをする時もある。 言葉は技術でもなく説明でもなく飾りでもなく、その人の感覚であり、その人の生きてきた道のりの証である。 学問や知識は常に二次的なものであって、手助けにしか過ぎない。いや、かえってその知識が邪魔になるときすらある。 そんなもの最後はどうでもいいのだ。生きて行く上で大切なものは「感覚」である。 だからこそ寅はあんなに切なくて優しいアリアを語ることができるのだろう。 ところで寅はその脚本ではどんな俳句を作ったのだろうか。 赤とんぼじっとしたまま明日どうする って感じかな…。 それとも さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎 かな…。 それとも冗談ぽく 立ちションベンする気も失せる冬木立 かな…(^^;) 寅の言葉と言えば、私は一連のアリア以外では、あの第14作「寅次郎子守唄」の呼子港での踊り子との やりとりを思い出す。あれは私にとってまさにこの第14作の白眉だった。あそこにクライマックスがあったのだ。 「ここで踊ってんのかい?」 「こんな景色のいいとこまで来て、暗かところで女の裸観てどこがよかすかねェ」 「フフ…別に裸を観るわけじゃねえよ。姐さんの芸を観に来たと思えば腹もたたねえだろう」 「フフ…兄さん、よかこと言ってくれるね」 「そうか」 これこそが車寅次郎の言葉である。 もちろんこれは短歌でも俳句でも自由律詩でもない、ただの会話、ただの言葉である。 しかし、この研ぎ澄まされた無駄のない寅の言葉が琴線に触れ、詩を感じ、余韻を感じ、人生を感じ、 人の世の情けを感じるのは私だけではないだろう。 技術や伝統や形式はすべて目的の下にしかないのだから。
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