バリ島.吉川孝昭のギャラリー内
お気楽コラム
寅次郎な日々
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2006年7月と8月分
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井上堯之さんという存在(2006,8,22)
思いつめるリリーの哀しみ(2006、8、19)
2006年夏 『浪花の恋の寅次郎』のロケ地は今(2006、8、16)
博を気に入った圭子さん(2006、8、14)
博士の愛した数式 覚え書き(抽象)ノート(2006,8,11)
自分にとっての幸せとは何かを模索するひとみさん(2006,7,30)
寅に何かを言おうとした早苗さん。(2006,7,28)
自分の歩むべき道に悩む奈々子さん。(2006,7,26)
寅の心の動きが分からなかった藤子さん。(2006,7,24)
殿様との触れあいに涙した鞠子さん。(2006,7,22)
寅と最期の日々を過ごした綾さん。(2006,7,20)
寅の真心に触れ号泣するぼたん(2006,7,18)
忘れがたい寅の初恋の人 雪さん(2006,7,16)
寅から学問のエキスを掬い取った人 礼子さん(2006,7,14)
寅次郎生涯最高の恋の日々 リリー(2006,7,12)
さくらと縁が深い京子さん(2006,7,10)
厳しい人生の試練に立ち向かう歌子さん(2006,7,9)
険しい絵の道を真っ直ぐ歩むりつ子さん(2006,7,7)
寅の生涯たった一つ. 運命の赤い糸 リリー(2006,7,6)
寅に対する好意を隠さなかった女性 千代さん(2006,7,5)
寅によって人生が変わった女性 歌子さん(2006,7,4)
寅の生き様に想いを馳せた女性 貴子さん(2006,7,3)
寅が懸命に護ろうとした女性 花子ちゃん(2006,7,2)
寅の気持ちが見えた最初の人。夕子さん。(2006,7,1)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 井上堯之さんという存在 「カーテンコール」 8月22日「寅次郎な日々」その245 映画というものはまず、原作や脚本があり、演出があり、そしてキャストたちの 演技がある。しかし時として、その中のたったひとりの演技が凡庸な映画に品格を与えることがある。 昨日見た佐々部清監督の映画「カーテンコール」もそのような映画だった。 時代設定やねらいは「ALWAYS 三丁目の夕日」に似ている。しかし「三丁目の夕日」の方が 構成力、物語の簡潔さ、力強さ、広がり(スケール)、エンターテイメント性などで明かに秀でていた。 ただ、このカーテンコールの主人公安川修平(昭和の映画全盛の時代に映画と映画の幕間芸人として生きた人)の 晩年の役の方がただものじゃない存在感だった。いかにもという感じの説明的なおしきせ存在感ではなく、 実にひょうひょうとしてただそこにいるのである。後で知ったのだが、実はこの方は役者さんではなかった。あの、もとスパイダースの メンバーであり、井上堯之バンドのリーダーの井上堯之さんだった。 まあ、はっきり言って役者としては彼はほとんど素人だろう。彼の出番は最後の方。つまりさほど多くない。しかしその全てにおいて なんともいえない柔らかな表情が漂い、あの独特の歌声で「いつでも夢を」を歌われた。 私は実はなんの予備知識もなかったので、最初この老人がどなたか分からなかった。どこかで見たことのある顔なのだが、 こんな柔らかな表情が出せる役者は誰なのだ?イメージを温める時間の許されない今の日本の役者さんにはこんな表情の 方など渥美さんや笠さん、宇野さん亡き後もうどなたもいないし、存在の基盤すらないはずだが…、と驚愕しながらも、誰かは 思い出せないままだった。それで見終わった後気になったので調べてみると、あの音楽家の井上堯之さんだったのだ。 以前から書いているように、役者として素人だからというだけでいい演技ができるほどこの世界は絶対甘くはない。 しかし、役者ばかりやってきたからといっていい演技ができるほどやはりこの世界は同じく甘くはないのである。 これは芸の世界全てにあてはまる恐さなのである。 渥美さんを、そして笠さんを見れば分かる。あれが役者だ。 つまり、役者は膨大な日々の生き様が、そして隠された日常が露出してしまう恐ろしい職業なのだ。 私は井上堯之さんのここ20数年を全く何も知らないが、彼の日々の活動の中でギターや歌が彼自身の心を 洗い続けていたことは間違いない。そうでないとああいう表情や歌声は絶対に出せない。 私は残念ながら井上さんがこの映画によってどれくらい評価されたかは全く知らない。だいたいこの映画自体が説明的な部分や 消化不良な部分、構成的に弱い部分が目立つゆえに映画自体の評判が悪そうだ。ましてや井上さんは出番が少ないので、 『あの人いい味出してたね』程度で終わっている気もする。しかし、一方で密かに私と同じようにラストの彼のなんともいえない 穏やかな表情に心を打たれた方は実は多いのではないだろうか。 藤村志保さんの落ちついた温かみのある演技や鶴田真由さんのラストの迫真の演技はとても光り、これらも心に残ったが、 やはりそれらはギリギリでは所詮は私の予想や過去のデータ―の範ちゅうにあるものなのだ。 しかし、井上堯之さんのラストの「姿」には参った。それこそ心を揺さぶられた。 鶴田さん扮するみさとさんと30年ぶりに再会した時の井上さんのあの表情は演技どうこうでなく井上堯之さんの人生が出ていたと思う。 この映画の陰のテーマであり、実はこれこそが本当のテーマであるところの「宿命としての親子の情愛」の表現に僅かに成功したと するならば、ラストの井上さんの表情が全てだったといってもいい。 その昔山田太一さん脚本、笠さん主演のテレビドラマ「今朝の秋」で、ラストに蓼科で杉村春子さんを見送る笠さんの表情は絶品で、 あれが日本の俳優さんが成しうる最後の到達点だと確信したことを今思い出していた。もちろん井上さんは笠さんのような域の 演技ではない。それこそそんなに人生は甘くない。しかし彼の表情はやはり私にはありがたかったのも事実である。 これだから芸術は怖いのだ。演技をする前からすでに勝負はついているのだから。 歌うたいも絵描きも歌う前に描く前に勝負はほぼついているのだ。人生はどこまでも厳しく正直だ。 次回はもう一度『学ぶこと』を決意するすみれちゃんをちょろっと 書きましょう。たぶん8月24日頃になります。 このページの上に戻る 最新のコラムはこちら |
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