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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 


西瓜と藁草履 Dr.コトー診療所(2007,1,31)

寅の新しい居場所の誕生 運命の赤い糸(2007,1,27

寅の仲間、伊賀の為三郎(2007,1,24)

博士の愛した数式の吉岡秀隆さん(2007,1,20),)

キネマ旬報ベストテンと寅さん(2007,1,15)

第49作 寅次郎花へんろ  お遍路が一列に行く虹の中(第49作ポスター付き)(2007、1、8)

第48作 寅次郎紅の花   待ち続けた15年の歳月(2007,1,7)

第47作 拝啓寅次郎様     寅が満男に残す言葉(2007,1,6)

第46作 寅次郎の縁談   時空を超えて恋をする満男

第45作 寅次郎の青春   御前様の最後の夢(2006,12,30)

第44作 寅次郎の告白   独り旅ゆく人生(2006,12,10)

第43作 寅次郎の休日   「車寅次郎の背中」(2006,12,7)

第42作 ぼくの伯父さん   「目に見えない白い糸」(2006,12,5)

第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」2006,11,30)





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276


                          
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西瓜と藁草履 Dr.コトー診療所


2007年1月31日寅次郎な日々 その276 


(ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
       まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




命は神様に。病気は先生にだ。


これは吉岡秀隆さん主演のテレビドラマ
「Dr.コトー診療所(2003).第8話『救えない命』」で、
志木那島の農家の老人『あきおじ』こと山下 明夫さんが、大腸がんの
手術を本土で行うことを拒否し、「コトー先生」こと五島健助先生に、
島での手術をお願いする時の言葉だ。





       




あきおじは、もし自分が死ぬとしても好きなコトー先生の手にかかって死ねるのなら本望だと言う。
長年丹精込めて耕してきた西瓜畑の土地にも愛着がある、とも言う。

藁草履作りは子供たちに伝承しているほど上手。そういう意味でもこの島を離れたくないのだ。

そして命は神様にしか分からないと言う。


結局、人は誰でも必ずいつの日か死ぬ。
それまでの黄昏を何をするか。そして誰と共に生き、誰に見守られて死にたいか。
最後の黄昏の日々をどんな風景を見て、どんな音を聴いて暮らしたいか。
人はただそれだけである。生きる長さでは決してない。


私はその昔、ちょっとした病気をし、不安に陥った時、
長年お世話になっている主治医の先生に優しく諭された言葉がある。

「治る病気は必ず治します。治らない病気は治せません。」

この言葉を私は心に持ちながら今日も日本から遠く離れた辺境の地で生きている。


第48作「紅の花」の渥美さんも、スクリーンで見る限りはとても辛そうであったが、
私は、彼は自分の人生を全うしたと思う。悔いの無い人生だったと確信がある。
最後まで彼は「役者であること」を選んだのだ。



すべての人には天命がある。

この「Dr.コトー診療所」というドラマでは、いろんな人が病気やケガをこれでもかというくらい
するが、まあことごとくコトー先生が治してしまう。スーパードクターなんて巷では言われてもいる。

しかし、『あきおじ』の天命だけは変えることができなかった。


そして、その命が終わるその日までコトー先生も彩佳さんも患者と寄り添い、
共に生きていったのである。
このことこそが、人の間に生きると書く人間としての務めなのだろう。

あきおじは日々思う。
ここからは庭の木が見えるし海の音も聞こえる。
鳥が鳴いているのも、孫達が遊ぶ声も、それから息子が
役場から帰ってくる足音も全部わかる。そしてなによりも毎日コトー先生や
彩佳さんが顔をだしてくれるのが嬉しい…。

ゆったりとした静かな日々…。


しかしやはり別れの日はくる。


あきおじが亡くなった日、無力感が押し寄せるコトー先生。


そんな時、息子さんからそっと手渡されたあきおじの部屋にあった手紙と藁草履。


手紙はこう記されてあった。



コトー様 

夏 涼しくて 冬 温かい 
わしの自慢は
西瓜と藁草履
人生で このふたつ

あきおじ




遂に泣き崩れるコトー先生。



コトー先生の、そして吉岡秀隆さんの、新しい第2の人生はこの『あきおじ』
の手紙と残された藁草履から本当にはじまったのではないだろうか。

彼は今日も、あの手紙を心に持ち、藁草履を履きながら生きる。





この「Dr.コトー診療所」は、近年のテレビドラマというものが好きじゃない私が、
珍しくぐいぐい引きこまれたドラマである。日本にもこういう、確かな人の
息づかいや風の音が聞こえてくるテレビドラマが誕生する土壌がまだ
残っているのだと安心した覚えがある。映画では出せないテレビドラマ
ならではの軽快な臨場感がなんとも言えず快感だった。

そして、吉岡秀隆さんの新たな出発がはっきり見て取れる記念すべきドラマでもある。


彼の白衣をひらめかして優しい南風が吹き抜けていくような、そんなドラマだった。




        




(先日バンコクでまとめて見た2004年度版も、2006年度版も実に良かった。
 モチベーションは落ちてはいなかった。これは滅多にない凄いことである。
 そのことはまたいつの日か書きましょう)

      

              






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275


                          
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寅の新しい居場所の誕生   運命の赤い糸


2007年1月27日寅次郎な日々 その275 


(ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
       まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。



第48作「寅次郎紅の花」のラスト。

寅と一緒に奄美に帰ったリリーは、正月にさくらたちに手紙を送る。


『あけましておめでとうございます。
みなさんどんなお正月をお過ごしですか。
さて寅さんのことですが、
一週間前、例によってお酒の上でちょっとした口げんか
をした翌朝、置手紙をしていなくなってしまいました。

あの厄介なひとがいなくなって、ほっとしたりもしましたが、
こうして独りで手紙を書いていると、ちょっぴり淋しくもあります。

またいつか、ひょっこり帰ってきてくれるかもしれません。
もっとも、その日まで私がこの島に暮らし続けちゃってるか
わかりませんけどね。

もしかしてこの次寅さんに会うのは北海道の流氷が浮かぶ
港町かもしれません。

寅さんにお会いになったら、どうかよろしくお伝えくださいね。



奄美の浜辺にて  リリー





            



ほんと、寅は奄美大島でも正月を待たずに、年末に旅立っていったんだね。
しかし、それでこそ寅だ。なんといったって正月は一年で最も稼げる時だからね。


リリーは、『訪ねてくれるかも』と書かずに、『帰ってきてくれるかも』と書いていた。
ここに密かなリリーの確信がうかがえる。

寅はもう自分からは離れないだろう。

また必ず『帰ってくる』

そして彼女は長旅で疲れた寅の顔を見て微笑んでこう言うのだ。



おかえり、寅さん




            






「男はつらいよ」は終わってしまったが、寅は今も日本のどこかを旅し、
旅に疲れたら、柴又には、今までよりは寄らなくなり、そのぶん、奄美の
リリーの家に寄り付くようになったのかもしれない…。

なんだか、そんな気がする。

寅の新しい「居場所」誕生だ。




寅は言う

「オレとこの女は生まれたときから
運命の赤い糸で結ばれているんだよ、なあリリー」


リリーは言う

「飲もう、寅さん」




            






『渥美さん、長い間つらい思いをさせてすみませんでした。

でも、僕とそして僕たちスタッフは貴方にめぐり逢えてしあわせでした。

二十七年間にわたって、寅さん映画を作り続ける喜びを与えてくれてありがとう。

渥美さん本当にありがとう』


この山田洋次監督の弔辞の言葉は、
私の気持ちであり、全ての「男はつらいよ」のファンの気持ちだった。



渥美さんほんとうにありがとうございます。







アリア


リリーを想う 寅のアリア


下に、私がこの長い長いシリーズの中で
最も美しいシーンだと思い続けている
第15作「寅次郎相合い傘」のリリーを想う
『寅のアリア』を、私のサイトから抜粋し、紹介します。


一世一代という言葉が頭をよぎります。







寅「あ〜あ……。

 オレにふんだんに銭があったらなあ…




                                   
                                     








さくら「お金があったら…どうするの?



                          









寅「リリーの夢をかなえてやるのよ



                                                                  
                           











寅「たとえば、どっか一流劇場



                            






さくら「うん



寅「な!






寅「歌舞伎座とか、 国際劇場とか、


 そんなとこを一日中借り切ってよ、





                         




寅「あいつに…、好きなだけ歌を

 歌わしてやりてえのよ







                             







                                   
                             




   


さくら「そんなにできたら、
  リリーさん喜ぶだろうね!




寅「んんん…!





さくら、茶の間に座る。





                           




寅「ベルが鳴る


 場内がスー…ッと暗くなるなぁ






                                  







寅「皆様、たいへん長らくをば、
 お待たせをばいたしました

        

                                                




寅「ただ今より、歌姫、
 リリー松岡ショウの開幕ではあります!


                                  
                             











寅「静かに緞帳が上がるよ… 



さくら、嬉しそうに笑う。




                                                       
                       








寅、立ちあがり


寅「スポットライトがパーッ!と当たってね


                                
                           








寅「そこへまっちろけなドレスを着たリリーが
 
 スッ・・と立ってる



              
                      




おばちゃんも上がり口に腰掛ける。






寅「ありゃあ、いい女だよォ〜、え〜


                              
                             









寅「ありゃそれでなくたってほら容子がいいしさ



おばちゃん「うん



                             
                                









寅「目だってパチーッとしてるから、

  
派手るんですよ。ねぇ!




                                    




おばちゃんたち頷きながら「うんうん、フフ…




寅「客席はザワザワザワザワ
 ザワザワザワザワってしてさ




                                  ザワザワザワザワ…
                           








寅「綺麗ねえ…

                           
                                

             








寅「いい女だなあ…

                         
                            




さくら、おいちゃんたちと「フフフ…」と笑いあっている。







寅「あ!リリー!  

                                                
                                  
                          









寅「待ってました! パン!

 日本一!



                         
                          




           



                              












寅「やがてリリーの歌がはじまる…



                            









寅「ひ〜とぉ〜りぃ、

 さかぁばでぇ〜〜〜……、






             ひ〜とぉ〜りぃ                      さかぁばでぇ〜〜〜 
                  








                               ……
                      







 ♪の〜む

 さ
〜け〜は〜〜〜…







                  〜〜                            
                             



                                  ぇ〜                       
                             





                               あ〜〜〜〜……
                      






寅「ねぇ


                              ねえ
                          







寅「客席はシ…ンと水を打ったようだよ


                        
                          









寅「みんな聴き入ってるからなあ……


                            
                          







                              ……
                          









寅「お客は泣いてますよぉ〜…



                          










メインテーマがゆっくり入る。 ー クラリネット ー 









寅「リリーの歌は悲しいもんねぇ……



                                       
                              








                           









寅「……

                             ……                       
                               









やがて歌が終わる…

                          

                                     




                             
                          






寅「花束!


                          






寅「テープ!


                         







寅「紙吹雪!


                         







寅「ワァ―ッ!と割れるような拍手喝采だよ


                    

                       






                           














寅「あいつはきっと泣くな…



                                       
                                        









                               
                          









寅「あの大きな目に、

 涙が
いっぱい溜まってよ…
  


                                                
                          





                          …
                     





寅「……






                           
                         









                         
                     










寅、堪えきれず後ろを向き…そして座る。










寅「いくら気の強いあいつだって、



                         



                         


 きっと泣くよ…


                          
                         






ハンカチを取り出して…






                                








おばちゃん、前掛けで目を押さえて泣いている。





寅「ハハ……なんだか話がしめっぽく
 なっちゃったな、おい





                          







博「いや、とてもいい話でしたよ


おいちゃん「あ〜あ、よかったァ〜




さくら、下を向いて

さくら「……


寅「
そうかい?



おばちゃん「ほんと、泣けちゃったよぉ〜


                      


寅「夢のような話だよな…




                        







寅「さ、…今夜はこの辺でお開きってことにするか



立ち上がって



寅「おやすみ


口々に「おやすみ

さくら「おやすみなさい




                        




寅、階段上りかけて




寅「あ、その、リリーのケーキよ。
 みんなで食べてやってくんねえか…。な




と上がっていく。



                        









さくら「リリーさんに聞かせて
  あげたかったな
〜…、今の話




                        





おばちゃん「ねえ…




おいちゃんも鼻水をすすっている。



おいちゃん、ゆっくりお茶を飲む。









さくら、リリーのケーキのヒモを解き始める。






                        







柱時計が時を打つ











その昔、世阿弥が『風姿花伝』の序で
ことば卑しからずして、すがた幽玄ならん」と
いうことを芸の達人としていたが、
『真(まこと)の花は、咲く道理も、散る道理も、
人のままなるべし。』とは渥美さんそのものだなと思った。
「花を知る」「秘すれば花」を体得した稀有の役者だと思う。



見事な抑揚。口跡の良さ。
そしてそれらを遥かに凌駕する
渥美さんのその姿、有り方。

何事も大切なのは姿なのだろう。
姿はその人そのものをあらわす。

渥美さんが何に感動し、何を憎んできたか。
何をしようとし、何をしようとしなかったか。
彼の生きざまが全てなのだと、今更ながらに
人間関係の葛藤をも含めたその傷だらけの
壮絶な役者人生を思い、戦慄さえ覚えた。


あれだけの姿。
ただで済むわけはないのだ。








今から、何十年後になるだろうか…。
恐ろしいほど地味で控えめなこのシリーズの、
真の価値が世界中の人たちによって認められ、
そしてなによりも渇望される時が来るかもしれない。

そして、その時、渥美さんの一世一代のこのアリアを聴き、
人々は、人が人を想う柔らかな気持ちをもう一度知る。
また一から歩み始めることはできるのだと。

それは、映画の勝利。物語の勝利。
そんな日がほんとうに来るのではないかと、
このアリアを見ながら思っていた。

人が人を想う。 ただほんとうにそれだけ。
それだけのことがこの世界の全てなのだろう。
他には何ひとつ大事なものはない。

そんなことに気づかせてくれるアリアだった。
かつて、このアリアによって私の人生は変わった。
人の人生を丸ごと変えてしまう力をこのアリアは持っていた。


あとにもさきにも、東にも西にも、こんな切ないアリアは
世界のどこにもない。







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寅の仲間、伊賀の為三郎 


2007年1月24日寅次郎な日々 その274 

ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。



今日から第38作「知床慕情」の本編作業を始めているが、
寅のギャグにはほんと参ってしまう。

今作品も、第32作同様そうとう笑わせてくれる。
さっき、ゲラゲラ笑ってしまったのは、寅のお友達の話。


知床の獣医、上野順吉の家で居候する寅。

寅は、順吉に変わってるなァ…、といった後、
寅「でもな、悲観することはないよ。
 オレの知り合いでもっと変わってるやつがいる」
って慰めるシーンがあるのだが、

★「頭をちょんまげ結ってるヤツ」
★「歯磨きが大好きで、一日にチューブ1本ぺロッと食っちゃう」

りん子ちゃん「うそー?」
寅「ほんとだよ」


極め付きは、

★「いつでも好きな時に屁がこけるヤツ。
 どこでも屁がだせるんだよ。んで、みんなで面白がってさ、
 風呂屋へそいつを連れてって、湯船の中に浸けてさ、
 屁こいてみろって言ったんだ。
 そうしたら、ポコポコポコポコあっちこっち泡が出てね、
 みんな面白がってワイワイ笑ってたんだよ。
 そのうちにフッと気がついたら、顔が真っ青になってんだ。
 慌ててみんなでもって引き上げてみたらね、腹がぺっちゃんこ
 になってんだ。つまり、酸素という酸素が全部出ちゃった。
 あれは酸欠ですね。う〜ん」

りん子ちゃん「いやだ、ハハハハ!」

超頑固者の順吉までが
「そんなバカな」と言ってなんとクスクス笑っていた。



         




まあ、変わりもんの寅の仲間は、それ以外にも
結構このシリーズに登場する。

★夕方の四時ごろなると、タワシみたいにヒゲが
 ダァ〜っと生える
オカマのコナツのジョージ、


★バクチ好きの伊賀のシンベイやシッピンのツネ、

★鬼より怖い秀吉の父親の般若のマサ、

★嫁さんを平気で若い人にとっかえる
 女好きのご存知ポンシュウ。


ちょっとまともなところでは

光枝さんの夫のカラスのツネ、

寅やんと寅を慕うキュウシュウ。

お馴染みかつての舎弟で、
今は盛岡で堅気になった登。

ちょっと古いところでは

北海道の政吉親分。



まあ、もっとも、寅もきっと彼らにこう言われているに違いない。

「オレの仲間にヘンなやつがいてね、フーテンの寅っていうんだけど、
とにかく美人だと思うと見境なくすぐ惚れるんだよ。
もう何十回もふられてるのに、いい年をして今でも美人を見かけると
懲りずにまたすぐくっついていくんだよな。それでやっぱり最後は必ず
ふられてやがるんだ。バカだね〜、まったく」
なんてね(^^)

タコ社長曰く、寅は「女狂い」だそうだ(^^;)

おいちゃんは寅をかばってた。
おいちゃん「あれは女狂いっていうんじゃないんだ、あいつの場合は」
社長「じゃあなんて言うんだ?」

おいちゃん「つまり、その…恋よ」だって(^^)




ところで、寅の仲間といえば、
私が今でもしみじみ思い出す人がいる。

第10作「寅次郎夢枕」

秋の甲州路で、寅がその顛末を聞かされた伊賀の為三郎のことだ。

田中絹代さん扮する、農家の奥さんが、この家で、
突然亡くなった彼のことを寅に話すシーンは今も
私の脳裏に焼きついている。

奥さん「寅次郎さんとか言われましたな」
寅「へい」
奥さん「あなたのお仲間で為三郎
という人を
知っていますか?」
寅「為三郎…。あ、
伊賀の為三郎ですか

奥さん「ええ」
寅「ええ、あいつでしたら、
旅の行きずりに二、三度出会ったことがありますが、
あいつが何かご迷惑を?」



       



奥さん「いいえ、それどころか亡くなった舅のお気に入りでしてな、
    ずいぶん昔から時々寄ってくれてはいろいろと旅の話を
    賑やかに聞かせてくれたものです。私たち女は、その話が面白うて、
    為三郎さんが来ると、うれしゅうて、うれしゅうて」

寅「あー、そうでしたか。そういえばどっかひょうきんな奴でしたね」

奥さん、囲炉裏の灰をかき混ぜながら、


奥さん「…、この夏、まだ暑い盛でしたがの。
    その為三郎さんがひょっこり見えて、あなたのようにそこに腰を下ろして
    お昼をつかいながらいつものように旅のよもやま話を聞かせてくれているうちに、
    急に具合が悪くなったとかでしばらく横にさせてくれと、おしゃいますからな、

    裏の座敷に床をとって休んでもらいましたが、
    そのまま寝込んでしまわれて、

    三日後にポックリと、それこそ言葉どおり、眠るようにあの
世にな…。

   第一番に身内の方にと思うて、
   伊賀を名乗るを手立てに人を走らせましたが、
   結局分からずじまい…。この家で安らかに往生

   をとげられたのも仏の思し召しと思うて、
   形ばかりでしたが、私どもでお弔いをさせて
   いただきました。なんにも手のかからん大人しいご病人でしたよ



寅「…」


奥さん、奥の部屋から為三郎の形見を持って来て、
奥さん「はい、これが形見です…」

トランクかばん 帽子 ダボシャツ 青の腹巻 ← 寅の格好にそっくり

寅「…」


寅「ご親切にしていただきまして、ありがとうございました。
  随分ご迷惑をおかけしたんでしょうねー…」

奥さん「もしお時間があればお仲間のためにお線香を上げていただけますか?」

寅、下を向きながらコックリ神妙にうなずく。


ビバルディの「四季」の中の「秋」が流れる中、お墓で手を合わせる寅。
向こうに晩秋の甲斐駒ケ岳が美しく見える。




       




奥さんに礼を言い、寂しい田舎道を襟を立てながら寒そうに歩いていく寅の背中。

見送る奥さん。
夕暮れで、カラスが『カアー、カアー』と鳴いてうら悲しい。



いつどこで果てるか知れぬ旅暮らしの寅には
伊賀の為三郎の最期は骨身に沁みたことだろう。


自由で、お気楽なフーテン暮らしの果てに、寅には
どのような晩年が待っているのだろうか…。

このシーンは異郷の地で生きる私にも、
ズシンと骨身に沁みた。



            





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博士の愛した数式の吉岡秀隆さん


2007年1月20日寅次郎な日々 その273 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




ここ何回か満男シリーズのことを書いてきて思ったことは、吉岡秀隆さんという役者さんは、
あんなひょろっとした地味な青年なのに、あの映画の中で光るあの静かな存在感は
なんなんだろうか…、ということだった。どうしてこんなに心に残るのだろうか…。

山田監督がメガホンを持ち、渥美さんと倍賞さんが出演するあの映画で、
あれだけの長い時間出演するということは、実はそうとうの地力が必要なのは間違いない。
どことなく頼りのない純朴な青年を自然に、そして延々と演じるにはとてつもない力量が
必要なのだ。とにかく大きな事件らしい事件がほとんどおこらないわけだからなおさら大変である。



そして近年、その吉岡さんの静かな底力をもう一度見せつけられたのが、「博士の愛した数式」の
『ルート先生』役だった。

ああいう静かな淡々とした役はとてつもなく難しい。暴れたり、泣いたり、喚いたり、苦悩したり、
大きな事件に巻き込まれて右往左往しているほうが物語のメリハリに引っ張られて実は役者としては
簡単なのである。

彼はある日、中学校で数学の授業をする。ただそれだけなのだ。そしてその長い授業が物語の
とても重要な進行役になっていくのである。

博士と自分たち母子の日々の、デリケートな心の襞を、言葉で、それも中学校の数学の授業を
通して伝えていくということは、先生としても至難の業である。元中学校教師の私が言うのだから
間違いない(^^;)そこに、風景はなく、あるのは簡素な黒板だけ。生徒は座っているだけ。
ましてやその一言一言が、映画の中での羅針盤の役目を果たしているとなったら、もの凄い
プレッシャーのはずである。セリフもさることながらその役者の持つ「世界観」が問われる役なのだ。




             





こういう場合大抵の役者は、そのプレッシャーに負けて、自分の癖や型でごまかしてしまう。
これが一番楽だし、それなりの効果もあるからだ。しかしそれでは映画に品格は出ない。
安心して見れるくらいのアベレージは出ても、時代を超えてゆく大きな広がりのある空間は
作り出せないのだ。



吉岡さんはいつの時代もそのような型(パターン)のはめ込みをしない。私はほぼ全て出演作品を
見たと思うが、そんなことをしたことは一度もないと思う。かたくななまでに、その時時の役に対して
真摯に向き合って、醗酵を待っていたように思う。それは彼の幼き日の「遥かなる山の呼び声」から
ずっと今に至るまでその姿勢は変わることはない。

役者は、自分の奥底で醗酵していないものを出そうとしても説明的になったり絵空事になるだけである。




先日も紹介したKさんが伝えてくださった『キネマ旬報のインタビュー』によると、

「博士の愛した数式」の小泉監督は彼のことをこう語っている。



【小泉堯史監督の言葉】

『役を自分に引き寄せて自分流に演じる俳優さんは多いのですが、
演じる人物に対して白紙になって、自分がどう演じるかを謙虚に考え、
その人物に寄り添おうと深い愛情を注ぐ。それが一番大切なことだと思うんです。
吉岡さんはそれができる力を持っている。そういう俳優さんは、なかなかいません。

吉岡さんはさらに、細かい仕草のひとつひとつ、言葉のひとつひとつに対しても、
デリケートに、どう表現したら映画的な要素として成立するかを考えている。
だから、常に僕らが持っているイメージを上回るような役を作り上げてくれる。
今度の「博士の愛した数式」でも、吉岡さんが自分の中できちっと"先生"の像を
つかまえて、愛情を注ぎ、自然に組み立ててくれている。

吉岡さんは、山田洋次さん、黒澤明さん、杉田成道さんらの作品をとおし、
経験を積み重ねることによって、余計なものを削ぎ落とし、より純粋になって役を
演じられる。それが、俳優・吉岡秀隆さんの奥の深さだと僕は思ってます。』



【吉岡さんの言葉】


本番前にありえないくらいに緊張しました。小泉組は、1回でもNGを出すと、
この空気は二度と作れない。「ごめんなさい」が通じない恐ろしさがありますね。
作為もへったくれもない、そのままの自分をさらけ出していかないとすべてがバレる。
常に真剣勝負。いつも脇と背中にすこ゜い汗をかきます。





今の日本の役者であの柔らかいルート先生の役ができそうな人は吉岡さん以外にはあのあたりの
年齢では私には見当たらない。

すぐに飽きるような、癖のある演技や必死の演技は要らないのだ。役者は常に自分の生身の体を
使って世界を表現し、それにより見る人の人生を変えなければならない。
役者というのは、世界観を持ち得ない若いアイドル歌手やタレントがちょっとその場だけ一生懸命
がんばってできるものではないのだ。それは褒められるような演技にはなっても、人の心を洗うような
演技にはなれない。けれんのない静かな演技、というものは神様から与えられた演技なのではないか。


『博士の愛した数式』は何度見ても『美しい映画』だった。
美しく見せようとしている映画は古今東西ごまんとあるが、美しい映画はほとんどない。
それと同じように吉岡秀隆さんの演技は美しい。巧いと感じないで美しいと感じてしまう。
これは渥美清さんや笠智衆さんの時に感じたちょうどあの感覚だ。
心が洗われ、私の人生を変える。

彼は私より10歳ほど若いが、彼と同時期に生きていることに私は誇りさえ感じるのだ。



彼を見ていると天職(Calling)というものはあるのだな、とつくづく思う。




              





2006年8月に書いた「博士の愛した数式」についてのコラムはこちら





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キネマ旬報ベストテンと寅さん


2007年1月15日寅次郎な日々 その272 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




2006年度キネマ旬報のベストテンが発表されたらしい。



第1位 フラガール          監督:李相日

第2位 ゆれる            監督:西川美和

第3位 雪に願うこと         監督:根岸吉太郎

第4位 紙屋悦子の青春      監督:黒木和雄

第5位 武士の一分         監督:山田洋次

第6位 嫌われ松子の一生     監督:中島哲也

第7位 博士の愛した数式     監督:小泉堯史

第8位 明日の記憶         監督:堤幸彦

第9位 かもめ食堂         監督:荻上直子

第10位 カミュなんて知らない   監督:柳町光男



私がここ数年で最も感動した「博士の愛した数式」が第7位とは…。
うーむ、人生は理不尽だ(TT)
見る目が高く、作品の中身で見てもらえるキネ旬ならてっきりベスト3に入ると勝手に固く思っていた。

ちなみに、私は毎年こんな地球の果てに長く暮らしているので、日本での滞在は2ヵ月半と短い。
それゆえ、上の10作品の中で見たのは、「雪に願うこと」「嫌われ松子の一生」「博士の愛した数式」
「明日の記憶」「かもめ食堂」の5作品だけである。「武士の一分」はもちろんまだ見ていない(TT)

その中では、ダントツ「博士の愛した数式」がよかった。ブッチギリである。これは以前このサイトに
書いたとおり。ここ数年の邦画では最も感動した。
「嫌われ松子の一生」も、あのパワーと密度は忘れ難い。「かもめ食堂」もすっきりした映画で、何度か見た。
「雪に願うこと」も「明日の記憶」もまあ、好きなほうだ。だからこれらの作品が入っていることは悪くはない。
悪くは無いが…。

それにしても、う〜ん、「博士の愛した数式」の評価は7位…。この映画の凛とした静かな品格が
分からないのかなあ…。社会性や、話題性、アート性、を念頭に置くとこうなるのかなあ…。
「普遍性」ということをもっと考えて欲しいよ。

そういえばあの「阿弥陀堂だより」も第7位だったけなあ…。確かに両方とも地味で、個人的な物語だが…。
ま、なにも、あの手のベストテンものに一喜一憂しなくてもべつにいいのだが、日本アカデミー賞と違って、
キネ旬はやっぱりちょっと気になる。


しかしまあ、「羅生門」も「七人の侍」も「用心棒」も「幕末太陽伝」も「喜びも悲しみも幾年月」も、
あの「裸の島」でさえも…、そして「飢餓海峡」も、「砂の器」も、「故郷」も、「遥かなる山の呼び声」も、
「死の棘」も…確かみんな第一位には選ばれていない。第二位にも入っていないものも多い。
宮崎さんの傑作「風の谷のナウシカ」なんて第7位だ。

そして、もちろん、そのような巷の評価と違って、やはりいいものはいいのだ。
「阿弥陀堂だより」や「博士の愛した数式」は、「男はつらいよ」同様、このあと百年以上の歳月に
耐えうる映画だと私は思っている。
大勢の人々がこれらの映画を渇望する日がいずれおとずれると信じている。




          




「男はつらいよ」も実は、シリーズ化をはかり、半年に一度、定期的に制作していったゆえに、
一本勝負のキネ旬ベストテンにはそんなに強くない。

第1作「男はつらいよ」第6位
第2作「続男はつらいよ」第9位
第5作「望郷篇」第8位
第8作「恋歌」第8位
第9作「柴又慕情」第6位
第11作「忘れな草」第9位
第15作「相合い傘」第5位
第17作「夕焼け小焼け」2位
第38作「知床慕情」第6位

上のように結局上位に入ったのは第17作「夕焼け小焼け」だけである。
視点を変えれば、結構シリーズ物なのに健闘しているともいえなくもない。

もっとも、シリーズ全体として、1979年に、特別表彰はされているが…。


「男はつらいよ」は確かにある意味軽い映画だし、個々のストーリーの展開も一見似ている。
しかし、いったん見始めると、なんともいい自然な味なのだ。そして噛めば噛むほどどんどん
味わいが出てくるから凄い。
笑って、泣いて、スカッとして…、しかし後でどんどん忘れ難い「人生のボディブロー」が効いてくる。
気づいたら私の人生の一番の深みにこの映画が入り込み、血となり肉となっていたのだ。


この「覚え書ノート」のサイトを本格的に制作する前、私は、日本に帰国した折、家族で久しぶりに柴又を
訪れ、あちこち見たり、寄ったりした後、最後に寅さん記念館で、いろいろな作品のポスターを買い込み、
帰りの電車に乗った。ちょっと混んだ電車の中で、ポスター全部を額に入れようか、とか、どのように
保存しようかと、立ちながら家族3人で真剣に相談していた時に、前の座席で座っていた初老の女性の
方が、私に話しかけた。

「あの…、なにか貴重な映画のポスターなのですか?」と、彼女は質問してきた。
おそらく私があまりにも真剣に保存の話をしていたからだろう。

私は、「ええ、ちょっと手に入りにくい映画のポスターが手に入ったので」と答えた。

女性は「なんという名前の映画なんですか?」と興味深げにまた聞いてきた。

私は「『男はつらいよ』です」と言った。

すると、その女性は、プッと小さく噴き出し、「そうなんですか」と拍子抜けしたように、
クスクス笑っていた。

私はリアクションに困りながら、ちょっと微笑んで「僕はとても好きなんですよ」とだけ言った。


おそらく、彼女にとって「男はつらいよ」は、聞いただけで笑みがこぼれるくらいとても親しみが
あり、有名なんだけれど、中身はたいした映画ではないと思っているのかもしれないな、と私には
感じ取れた。彼女のリアクションは、実は今の日本の多くの方々のひとつの典型なのではないだろうか。

「男はつらいよ」は国民映画として「寅さん」の名で多くの人々に親しまれている。寅さん、といえば誰でも
あーあの寅さんか、と言うくらい有名だ。が、しかし、同時に、まだまだ多くの人はこのシリーズのことを
ただのマンネリ喜劇映画と思っているようだ。しかも、まともに一作品もきちんと見ないで、勝手に
そう思っている人もかなり多いだろう。

もちろん「男はつらいよ」は正真正銘の喜劇映画である。そして歴史の重みに耐えうる味わい深い
喜劇映画だ。あの渥美清さんが命を賭けて演じ続けた長い長い一本の映画なのだ。

私は、あの電車での小さな出来事があった日、決意したのだ。

寅さんのサイトを大真面目に作ろうと。

この映画の本当のすばらしさを何年かかっても、十年以上かかってもいいから、じっくり紹介し、
日本中に発信していこうと固く決意した。


こんなに知名度が高くて大勢の人々から「寅さん寅さん」と親しまれ、そして、それと反比例するように、
こんなに誤解されている映画も珍しいのだから。




ちなみに、私は今、第6作「奮闘篇」のポスター↓をバリ島の自分の部屋に貼っている。




                 






追伸

なお、好評により、息子が勝手に作った第49作「寅次郎花へんろ」のポスターを
もうしばらく貼っておきます。






           

           
制作:龍太郎


 



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第49作 寅次郎花へんろ  お遍路が一列に行く虹の中



2007年1月8日寅次郎な日々 その271 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




山田監督は1972年に民放テレビ局の日曜劇場で「あにいもうと」と
いうドラマを書いている。
成瀬巳喜男監督の「あにいもうと」のイメージもあったのかもしれない。


大工の兄は渥美清さん、妹は倍賞千恵子さん。

映画の「男はつらいよ」はフーテンで甲斐性無しの兄を、優しく堅実な妹が
時には助け、諭し、人生を共に歩んでいく物語とも言える。

それに対して、このテレビドラマは真逆の設定なのである。


放送日=1972.09.03

スタッフ

原作=室生犀星 脚本=山田洋次、
演出=宮武昭夫 
プロデューサー=石井ふく子


出演

渥美清、倍賞千恵子、宮口精二、乙羽信子 ほか



大工で気性の一本気な兄「伊之助」を渥美さんが演じ、男に捨てられ水商売に
身をやつしている妹「もん」は倍賞さん。昔は二人は本当に仲の良い兄妹だった。
ところが一年前、もんがある男の子供を身籠もった上、
捨てられて家に帰って来て以来、この兄妹は喧嘩が絶えなくなってしまった。

そんな妹を伊之助は本当は心の底ではとても不憫に思っていて、
もんをかばう為に時には悪態をつき、時には喧嘩をした。
ある日、もんを以前捨てた男がもんに謝りたいと訪ねて来た。
もんは留守で、男が帰る途中で伊之助は彼を待ちぶせて、一発殴った。
そのあと、もんに半殺しにしたと誇張して伝えてしまったのでもんが怒り、
遂に大喧嘩になる。ドラマはこの修羅場の直後、もんの放心の姿で終わるが、
兄と妹の心が芯の部分では分かり合えていることは見ていてよく分かった。
最後の凄まじい喧嘩の場面は倍賞さんの渾身の演技が光っていた。まったく映画のさくら
役とは180度逆の設定がなんとも不思議な空間を作っていた。



         





そして「男はつらいよ」の第49作「寅次郎花へんろ」は、
この「あにいもうと」の激しい葛藤を山田監督がもう一度、今度は映画「男はつらいよ」で
設定を少し変えて撮ろうとするものだった。



一本気の兄が西田敏行さん。

出戻りの妹が田中裕子さんである。




しかし、残念ながら渥美さんの死によってそれは叶わぬ夢となってしまった。


もっとも数年後に制作した「虹をつかむ男 .南国奮斗篇」でこの設定が生かされ、
兄役を哀川翔さん、妹役を小泉今日子さんが演じて、形あるものにはしていたが。


ともあれ、第49作「寅次郎花へんろ」は大まかな構想で止まったまま、山田監督の
心の奥底に仕舞い込まれてしまったのである。


山田監督は数年後、あるインタビューで語っていたところによると
この「寅次郎花へんろ」の物語は凡そ次のような内容にするつもりだったらしい。


★ヤクザっぽい兄と、その妹の、愛するが故の乱暴なののしりあいの大喧嘩になっていく
 シーンが見せ場。渥美さんにもうその役は無理だ。だから西田敏行さんにその役を
 考えていた。

★まず、妹の田中裕子さんがふらっとアメリカから帰ってくる。アメリカ人と結婚したんだけれど
 別れて、十五年ぶりくらいで高知県の田舎に帰ってくる。

★そこには工事現場で働く気性の激しい兄がいて、兄と妹が大喧嘩になる。
縁があり滞在している寅が その一部始終を見ていて、ハラハラしたり、怒ったり、
仲裁に入ったり…。(もちろん妹に寅は想いを寄せている。)

★一方、満男と泉ちゃんはついに結婚式をすることになる。

★しかし、寅が行方不明でどこにいるのかわからない。
 みんなでいろいろ探したが見つからない。
 そして最後に、寅がヒュッっと結婚式場に現れて、味わい深いスピーチをぶって、また
 風のように去っていく。

とまあ、このような物語にするつもりだったらしい。

これ以上詳しい内容は山田監督の中にもまだ無かったようだった。






渥美清さんは平成八年(1996年)8月4日に転移性肺癌のために亡くなる。

実はそのひと月ほど前、渥美さんは、山田監督や倍賞千恵子さん、
松竹宣伝部の大西さんらと代官山のレストラン.小川軒で食事をしたのだ。
そしてその年の秋からはじまる第49作「寅次郎花へんろ」の撮影に渥美さんは
意欲を燃やしていたそうだ。食事も肉を全部食べたそうだ。
この様子を見て、山田監督も、倍賞さんも、大西さんもみなさん誰もが第49作が
作られるであろうことを疑わなかったらしい。


また、また、吉岡秀隆さんの一ファンと言われるKさんからの情報によりますと、
キネマ旬報の2005年の11月下旬号での【吉岡秀隆 特集号】インタビューで、

「「学校U」をやっている時に、山田監督が「またやるよ」と49作目の話をしていて、
その心積もりだったんです。「学校U」の撮影が終わって、
僕はオーストラリアに遊びに行っていて、そこで渥美さんの訃報を聞いたんです。
『北の国から』みたいに『2002遺言』で"終わる"と言われていると、
ある程度気持ちの準備ができているんですが、
山田監督も渥美さんもやる気になっているというところで、
しかも、オーストラリアという異国の地で、そんなことを突然聞いて、
もう満男くんを演じられない、今まであんなに嫌だな嫌だなと言ってたのに…。
一人で泣きました。その時に、どれだけ多くのものを僕の心の中に財産として
埋め込んでくれたかと気づきました。」

とおっしゃっていたそうだ(TT)


そういえば…、「虹をつかむ男」の中で、「男はつらいよ」を西田さんと一緒にスクリーンで
見る場面の撮影で、感極まった吉岡さんが泣いてしまって、NGを何度か出したエピソードを
私は思い出した。




渥美さんは俳句も好きで、週刊誌「アエラ」主催の「アエラ句会」の常連でもあった。
俳号はフーテンの寅にちなんで「風天」


お遍路が一列に行く虹の中


前の年に作られたこの句が、渥美さんの最後の句となった。



この第49作「寅次郎花へんろ」は、物語の脚本もなにも無い。あたりまえである。
もう山田監督もこの作品の脚本を書くことは無いかもしれない。
ましてやポスターなんか作っているわけがない。

そこで、私の息子が先日、数時間かかって他の寅さんのポスターや、いろいろな本編、
他の山田監督の映画などから拝借し、合成し、そのあと細部をマウスで描き、
勝手な第49作「寅次郎花へんろ」のポスターを作ってみた。


第49作のキャストは私が自分の想いを込めて下のように書いてみた。
そしてそれをポスターの中に入れ込んでもらった。




渥美 清

倍賞 千恵子

田中 裕子

吉岡 秀隆


下條 正巳
三崎 千恵子
太宰 久雄
佐藤 蛾次郎
関 敬六

笹野 高史
すま けい
桜井 センリ
イッセー尾形
犬塚 弘
神戸 浩


田中 邦衛


前田 吟


夏木 マリ

後藤 久美子


浅丘 ルリ子


西田 敏行





田中裕子さんと浅丘ルリ子さんは二人マドンナになってしまうが、
ラスト付近に行われる満男と泉ちゃんの結婚式にリリーもぜひ出席して
欲しいのだ。リリーは満男と泉ちゃんの縁結びの神さまのようなもの
と、私は思っている。

ギリギリでスピーチに間に合った寅はどんなことを満男たちに語るのだろうか…。

そして最後の最後に寅とリリーの小さな物語があるのだ。


もちろんこれら全ての運びは私の勝手な妄想なのだが…(^^;)ゞ





それでは勝手に作った第49作「寅次郎花へんろ」のポスターをお楽しみください。



ポスター

           

クレジット

ポスターの一番下のスタッフとキャストの部分を拡大すると下のようになる↓。
『挿入歌】が書かれているのは、この第49作の夢の中でさくらが兄を思いながら
ひっそりと『さくらのバラード』を歌うシーンがあるという設定。本当はポスターの中に
浅丘ルリ子さんの顔写真が当然入るはずだが、リリーはこの後完全にレギュラー化
していくので、まあ、あまりポスターをごちゃごちゃさせない方がいいかなって思い、
クレジットだけにしました。

何度も書きますがこれはあくまで私の勝手な妄想なのでご理解ください(^^)


           


           










おまけ

2007年2月9日追加

昨日息子が「第49作寅次郎花へんろ」の台本を書いていた。
書いていたと言っても台本の中身を書いていたわけではない。
「台本」を描いていたのだ(^^;)
あの台本を見開いて、心行くまで脚本をスミからスミまで読んでみたいものだ。
ちなみにこの台本は山田監督所有のものらしい。それで、「山田」と書いてあるのか。
なるほどである。テープで補修したり丸めたりして相当使い込んであるなあ。






             





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第48作 寅次郎紅の花   待ち続けた15年の歳月


2007年1月7日寅次郎な日々 その270 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。



私は青春期に寅とリリーの物語をはじめて見た日から、このカップルの結びつきの
強さに惹かれて彼らの赤い糸を辿るようにこのシリーズを見るようになった。

『寅次郎ハイビスカスの花』以来彼らのその後が気になってしょうがなかったのだ。
それ以後なんと15年もの間私は待ち続けた。マドンナの発表があるたびに今度はリリーか。
今度こそリリーか、もうさすがにリリーだろう、と願って祈っては「あ〜…」と天を仰いでいた。

私だけでなく、おそらくは山田組にとっても本当に待ち焦がれた最愛のマドンナだったのだと思う。
          
しかし山田監督が四たびリリーを呼ぶにはどうしても15年という気の遠くなるような歳月が
必要だったのであろう。タイミングというものはそういうものだとも思う。


浅丘さんは、この15年という歳月をインタビューでこう語っている。

「ほんとに15年経ったんですよねえ〜」

「このお話があったときに、なんか3本目のハイビスカスで終わっておきたいなって
思いと、あー、嬉しい、ほんとは私待ってたの!と言う思いと両方だったんですが、
でも…、お互いにみんな15年歳をとっているわけですから、それなりの寅さんや
さくらさんやとらやのみなさんや、そして…リリーさんが、15年経ってどうなったんだろう
っていう…、そういうあたしたちがあってもいいんじゃないかなっていうことで、
あの…お引き受けさせていただいたんですけれども、
あー、この組に帰ってきたんだ、っていう気がして凄く嬉しかったです」





            






寅にリリー


満男に泉




私はリリーを待ち、そして泉ちゃんを待った。
そしてこの作品でなんと一度に両方が帰って来たのである。



寅にとっても、遂にこの作品で柴又のとらや以外に第2の故郷が誕生したのである。

その場所とは、奄美大島加計呂麻島 諸鈍長浜


そのきっかけとなったのはリリーの一世一代の啖呵だったのではないだろうか。




寅はその人の幸せを考えて愚かな自分じゃ役不足だと立ち去るが、
残された女性はそれで幸せかどうかは分からないのである。
寅の奥深い底なしの優しさの中に隠された強烈なエゴには
実は寅自身はさほど気づいていない。

そして第48作の奄美でのリリーの啖呵によって寅の全貌が初めて
明らかになるのだ。山田監督が、初めて明かした、寅の表と裏。
皮肉にもこのリリーの赤裸々な訴えが、このシリーズの最後の言霊に
なってしまった。とても残念だが、ある意味間に合ってよかったとも言える。


満男が泉ちゃんの結婚式を壊してしまったことに対して説教をたれる寅。
そこには相変わらず、寅の例の独りよがりの独善と身勝手な美学が入っていた。
それを聞いて遂にリリーが切れるのである。



リリー「バカバカしくて聞いちゃいられないよ。
    それがカッコいいと思ってんだろあんたは。
    だけどねえ、女から見ると滑稽なだけなんだよ。
    カッコなんて悪くてもいいから、男の気持ちをちゃんと伝えて欲しいんだよ女は。
    だいたい、男と女の間っていうのは、どこかみっともないもんなんだ。
    後で考えてみると、顔から火が出るような恥かしいことだってたくさんあるさ。
    でも愛するってことはそういうことなんだろう。きれいごとなんかじゃないんだろ。
    満男君のやったことは間違ってなんかいないよ。
   
寅「ちょっと待てよ、オレの言ってることはな、男は引き際が肝心だってこと言ってんの。
  それが悪いのか?」

リリー「悪いよ、バカにしか見えないよそんなのは。
   自分じゃカッコいいつもりだろうけど、要するに卑怯なの、気が小さいの、
   体裁ばかり考えているエゴイストで、口ほどにも無い臆病者で、つっころばして、
   ぐにゃちんで、とんちきちんのおたんこなすだってんだよー!」



              




この長いシリーズの中で、さくらやおいちゃんおばちゃん、社長、満男、御前様、マドンナたちが
それぞれ、寅を批評してきた。フーテン、甲斐性なし、根気無し、遊び人、等々である。
しかし、こそのような批判はある意味寅の表の欠点だ。そんな欠点は寅も表層意識で分かっているのだ。
そして遂に一度も真正面から触れられることのなかった寅の闇の部分に初めて真っ向からメスを
入れたのが、シリーズ最後の作品になってしまったこの第48作でのリリーの啖呵だった。
これによって満男は寅をほぼ理解することが出来たし、観客も寅の全貌を初めてイメージする
ことが出来たのである。


愛すべき心優しき楽天家の寅。

そしてその陰に潜む『卑怯、体裁主義、エゴイスト、臆病、』の領域を把握していくと、
意外にも、今までより一層寅がいとおしく、可愛くなってくるから不思議だ。
寅もやっぱり臆病で自分のことが一番可愛い生身の人間だと実感できるからかもしれない。

そしてリリーが語ると、それがたとえキツイ啖呵でも「愛の告白」に聴こえるからこの作品は奥深い。

そのリリーの告白とも言える心の叫びが頭に残った寅は、紆余曲折の末、柴又からもう一度二人で
奄美大島加計呂麻島に戻るのである。あのタクシーの中で寅がリリーに言った言葉、

「男が女を送るっていう場合はな、その女の家の玄関まで送るっていうことよ」

これは、寅がこの長いシリーズで初めて女性と共に生きる「決意と覚悟」を表明した言葉だったのでは
ないだろうか。あの言葉は歴史的な言葉である。



            



そうは言うものの、もちろんそのあとしばらくして案の定寅はプィっと旅に出てしまうのだが…。


それでもリリーは寅をいつまでも待っているのだ。

寅はまた戻ってくる。


 
            




寅とリリーの物語以外でもこの第48作はこの長い物語の終結のシーンを見ることが出来る。

泉ちゃんの結婚式をぶっ潰してしまった満男。そのわけを確かめたくて泉ちゃんは、
奄美大島加計呂麻島の浜辺にやって来る。泉ちゃんに迫られ、遂に愛を告白する満男。
それを聞いた泉ちゃんの弾んだ笑顔。そして二人に駆け寄るリリー。

この人たちの笑顔を見るためにこの長いシリーズを見てきたのだ。




         



そして私には実は、忘れられないもうひとつの静かなシーンがある。

正月にさくらと博がリリーへの手紙を書いた後、二人で浅草に映画を見に行くのである。
満男はすでに泉ちゃんと結婚を前提につき合い始め、今日も名古屋の熱田神宮に
二人して初詣をしている。

寅ももう若くはない。これからは奄美に定着したリリーとの縁が一層深くなっていくであろう。
ひょっとして旅に疲れたら柴又でなく、時には奄美に戻って行くのかもしれない。

もうこれからは長い長いさくらと博のたった二人だけの黄昏が始まるのだろう。

そしてこれを見ている私はもうあの二人には会えないのだ。
私は毎作品フーテンの寅に会うためにこのシリーズを見てきたが、ひょっとして、実はその
背後で寡黙に生きるさくらと博をこそ見続けていたのかもしれない。

もう見ることのない最後の彼らの背中が午後の日差しの中で遠く小さくなっていく。

私は遂に感無量になり、こみ上げてくるものを抑えることができなかった。




         





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269

                          
『寅次郎な日々』バックナンバー   






第47作 拝啓寅次郎様     寅が満男に残す言葉


2007年1月6日寅次郎な日々 その269 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




満男は今回も泉ちゃんとは違う時空で滋賀県長浜の菜穂ちゃんと恋をする。
しかし、ちょっとしたすれ違いで、菜穂ちゃんとは疎遠になってしまう。
満男はまたもや心が傷つき、もう恋なんかしたくないと江ノ電の鎌倉高校前駅ホームで
寅に自分の気持ちを吐露してしまう。

そんな満男を寅は珍しく、きつく叱るのだ。


「満男!ちょっとここへ来て座れ。
くたびれたなんてことはな、何十辺も失恋した男の言う言葉なんだよ。
お前はまだ若いじゃないか、えー。

燃えるような恋をしろ、
大声出して、のた打ち回るような、
恥ずかしくて、死んじゃいたいような恋をするんだよ!
ホッとしたなんて情けないこと言うなバカヤロ!
淋しいよオレは




          





これは体力の限界が来ていた渥美さんが満男や私たちに残した言葉だと私は思っている。
この第47作で終わるかもしれない。そう思いながら、スタッフも渥美さんも最後の言葉を
撮っていたのかもしれない、と今はふとそう思うのである。




          





そして満男はラストでこう結ぶ。


『拝啓車寅次郎様、
 伯父さん、僕は近頃伯父さんに似てきたと言われます。
 言う人は悪口のつもりなんだけど、僕にはそれは悪口には聞こえないのです。

 伯父さんは他人の悲しみや淋しさやが、よく理解できる人間なんだ。
 その点において、僕は伯父さんを認めているからです』







寅とさくらのお母さん


また、この作品では寅の幼少期の思い出が茶の間でアリアとして語られている。

私は以前からずっと、寅のことを考える時、さくらのお母さんのこともよく考える。
意外にこのことは、このシリーズを考察していく上で大事なのだ。
なぜならば、寅やさくらの幼少期の人格形成に大きな影響を及ぼした人物だからだ。

寅を育てたのはお菊さんではもちろんなく、そして意外におばちゃんでもなく、
さくらのお母さんだったからだ。

おいちゃんやおばちゃんは第1作をはじめ、何作かの作品で寅やさくらの
父親である車平造のエピソードをよく話題に出したが、さくらのお母さんのエピソードは
ほとんど一度も話題に出てこない。私は寅の人格の優しい部分はさくらのお母さんの心なのだと
思っている。

彼女の写真は第1作に僅かに出てくるものの、なんと名前すら分からない。おそらくおいちゃんや
おばちゃんの印象を弱くしないための演出なのだろうが、さくらのお母さんが小さな寅を育てたのは
間違いのない事実である。




              





しかし、それでもさくらのお母さんと寅のやり取りを垣間見ることが出来るシーンが2ヶ所ある。


ひとつは第39作「寅次郎物語」で、寅の夢の中にお母さんが出てくるのである。
例の如く父親に折檻される寅を、身を挺して止めに入り、寅をかばうのである。
ただ、ここでは障子越しのシルエットではあるが、お母さんの優しさが伺い知れる。

「オレを育ててくれた優しいおふくろ」と寅はその夢の中でもそう言って回想している。



           
    第39作寅次郎物語より
          




もう一つはこの第47作「拝啓車寅次郎様」である。寅が茶の間で鉛筆を満男に売るために
自分の幼少期の母親の思い出を話す場面がある。

鉛筆を売るためのその場限りの適当な作り話とは思えない、しみじみとした情感溢れる語り
だったので、私は、あれはほんとうにあった、さくらのお母さんとの思い出なのではないだろうか…、と
密かに思っている。



寅のアリア

おばちゃん、オレはこの鉛筆のことを見ると
おふくろのことを思い出してしょうがないんだ。

不器用だったからねオレは。鉛筆も満足に削れなかった。

夜おふくろが削ってくれたんだ。
ちょうどこのへんに火鉢があってな、
その前にきちんとおふくろが坐ってさ。
白い手で肥後守を持ってスイスイスイスイ削ってくれるんだ。
その削りカスが火鉢の中に入ってプーンといい香りがしてな…。

綺麗に削ってくれたその鉛筆で
オレは落書きばっかりして勉強一つもしなかったもんね。
でも、これくらい短くなるとな、そのぶんだけ頭が良くなった気がしたもんだった…





         



寅はさくらのお母さんに、わけ隔てなく、愛情深く育てられたのではないか、と近頃は
そう思うようになった。

寅とさくらに共通したあの底抜けの優しさは、おいちゃんでもおばちゃんでもなく、
父の平造でもなく、さくらのお母さんからの影響が大きいのではないだろうか。


もしできるのならば、少年期の寅とさくらの物語を映画で描いて欲しかった。
もちろんさくらのお母さんは倍賞千恵子さんで…。

しかし、もう、そのタイミングも過ぎてしまったのかもしれない…。



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268


                          







第46作 寅次郎の縁談     時空を超えて恋をする満男

僕が思い出になる頃に、君を思い出にできない


2007年1月3日寅次郎な日々その268 




ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。



第45作で満男と泉ちゃんは泉ちゃんのお母さんの病気のことで離れ離れになってしまったが、
お母さんはそのあとすぐに健康を取り戻したと、第45作のラストで満男が語っている。
彼らの今までの歴史を考えると
、遠距離になったことくらいでなにか問題がおこるとは
思えないのである。ちょっとしたすれ違いは遠距離恋愛にはつきものである。しかし、
遠距離だからお互いの想いが進展していくということもある。満男シリーズを楽しんできた
観客にとって、泉ちゃんとの恋愛は紆余曲折を繰り返しながらもいよいよ佳境に入ってきたことが
この第46作を見る強烈な動機づけになっていったはずだ。

しかし、この作品ではなんと、泉ちゃんのいの字も出てこない。まるで最初からそんな女性が
いなかったように物語は進んでいく。どうして泉ちゃんが全く登場しないのか理解できない
まま見ていると、満男は新しい彼女まで作ってしまう。琴島の看護士である亜矢ちゃんである。
亜矢ちゃんは初々しくて、一途で、ある意味満男にピッタリの女性だった。しかし、しかしである…。



             




泉ちゃんと満男は遠距離くらいでたやすく関係が希薄になるわけがない。あの二人の歴史は
そんな柔な歴史ではない。満男やさくらは歳月の経過と共に年をとり、物語を前に進めてきた。
しかし、ここへ来て、後藤久美子さん側の要因か山田監督側の要因かは分からないが、
プッっと満男と泉ちゃんとの恋愛の物語を消してしまったのである。

これは私にはキツかった。かなりこたえた。
ハイビスカスの花のあともリリーが長い年月出てこず、精神的に辛かったが、突如として
泉ちゃんがあとかたもなく消えたことも辛かった。


で、私としては第45作のあと、『遠距離恋愛』以外のなんらかの理由でこのふたりが
少し疎遠になるちょっとした出来事、もしくは、なんらかの誤解、すれ違いがあったのだと
勝手に思うようにしている。そうだとしたら、第48作に繋がりやすくなるのだが…。
しかし、そのすれ違いの具体的な内容は未だに頭に浮かんでいない。


ただ、泉ちゃんのことは異空間に飛んでしまった満男だが、就職活動のことは、さくらたちと
同じリアルな時空で進行し、このシリーズでもっともシリアスな諏訪家の修羅場を繰り広げる
ことになる。これはこの第46作の前半のメイン。

で、肝心の「恋愛」は上に書いたように瀬戸内の小島である琴島に住み着いた満男が
島の看護士である亜矢ちゃんとキスをしてしまうまで急進展する。おまけに手編みのセーターまで
もらって…。しかし満男は結局のところ、就職の事もあって東京に帰るほうを選ぶ。東京に帰って
から正月になってもまだ亜矢ちゃんの手編みのセーターを着て彼女の思い出を忘れられない
満男だったが…、一方の傷心のはずだった亜矢ちゃんは意外にも…。

これを書いている1月2日昼、テレビでは吉田拓郎さんたちの「嬬恋コンサート」が映し出されている。
今、懐かしい曲が流れてきた。


♪僕を忘れた頃に 君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
くもりガラスの窓をたたいて
君の時計をとめてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね

僕が思い出になる頃に 君を思い出にできない
そんな僕の手紙がつく
風に揺れるタンポポを添えて
君の涙をふいてあげたい
ああ 僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
ふり返りながら走った
ああ あれは春だったね


吉田拓郎さんの「春だったね」だ。
この歌の中の男女の意識のコントラストが満男と亜矢ちゃんのコントラストである。

女性はある意味現実的だ。未来に目が向いている。強い。



             




ところでこの作品で2度目の登場となる寅のマドンナ葉子役の松坂慶子さん。
第27作「浪花の恋」の時のような艶かしい美しさではなく、人生の地獄を味わった、なんとも
しっとりとした落ち着きのある大人のオーラが出ていて素敵だった。



寅と葉子さんの、大人同士のちょっといい会話

葉子「寅さんみたいな人もおるのねえ…、どうしてもっとはよう会わんかったんやろう」
寅「ほんとうに、オレもそう思う」

葉子「ねえ、なんかプレゼントさせて」
「いらねえ」

葉子「セーターは?」
「着ない」

葉子「ネクタイは?」
「締めないな」

葉子「コート」
「羽織らない」

葉子「じゃああ……、」


ちょっとうつむいて

葉子「…温泉にでも行く?」

「オレェ…、風呂へは入らねえ」

葉子「…もう!意地悪ゥ!」と寅の手をつねる。
「イタタタァ!」


このような会話が聞けるのは晩年の成熟した寅さんならでは。
この頃の渥美さんはもう限界が近いことがスクリーンからも滲み出るように
なってきてしまっているが、その分静かなたたずまいをその背中で醸し出して
いることもまた事実である。



           




ところで葉子さんはこの作品のラストでとらやに来て満男を驚かそうと
後から手で目を覆って悪戯をするが、これは第27作でふみさんが寅に
した悪戯。

第27作「浪花の恋の寅次郎」のふみさんの寅への目隠し。
第46作「寅次郎の縁談」の葉子さんの満男への目隠し。

こういうところでこの2作品は繋がっているんだね。山田監督の
ちょっとした悪戯だ。






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267



『寅次郎な日々』バックナンバー           






第45作 寅次郎の青春     御前様の最後の夢


12月29日寅次郎な日々その267 



ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。



ハガキくださいね

最後の別れのとき、ドアの閉まった向こうで泉ちゃんは必死でこう言う。
声は聞こえないが口の動きがそう言っていた。

満男は分からない。

「え、なに?何て言ったの?え?」

必死で泉ちゃんとドアのガラス越しに話そうとする満男。

今度ばかりは、昔、大分の日田に一緒に行ったように
満男はその新幹線に飛び乗ることはできなかった。



            



一緒に名古屋に行っても、泉ちゃんに何もしてやれないことが分かっていたからである。
満男の限界だった。

泉ちゃんを乗せた新幹線が必死で追いかける満男の向こうへ過ぎ去っていく。

最後はただ呆然と見送る満男。


直前に泣きながらキスをされたことで、相思相愛だったことを
実感できた満男だったが、それが正に別れの時だったとは
あまりにも皮肉だった。お互い愛し合いながらも別れねば
ならないことは確かにある。ましてやお互いにまだ若すぎるのである。
時が熟していない。

満男は、泉ちゃんが今背負っている人生を、学生の自分が背負い切れない
ことを分かっている。だからこそ、あえて深追いをしなかったのだろう。
つまり、寅同様、最後まで守りきる覚悟がなかったのであろう。
ただ愛しているというだけでうろうろとまとわりつくようなことを
しない満男はさすが寅の甥っ子だと思うが、
何もできなくたってそばにいて欲しい泉ちゃんだったに違いない。

満男は、これより少し前、宮崎宮崎県串間市 石波海岸の南、
幸島(こうじま)の浜で寅と蝶子さんのことをこう言う。

「伯父さんがここに残ったらもっと大きな悲劇が
待ち受けるだけだ。
最初はいいよ。伯父さんは人を笑わせるのが上手いし、楽しい人だから
あのおばさんも幸せかもしれない。
けど、伯父さんは楽しいだけで奥行きがないから
一年もすれば結局飽きてしまう。
伯父さんはそのことをよーく知ってんだ。
だから帰ることを選択したんだ」

寅は「正しいかもしれない」と納得していたが、それは違う。

寅は私に言わせればとても奥行きがある人間である。人間の悲しみや
切なさをよく分かっている人間だ。少し困った時には頼りににならないが、
本当に泣きたいくらい困った時は実に頼りになる人間でもある。
寅が蝶子さんから逃げるのは、いつも書いているように蝶子さんを
幸せにする自信がないからだけではない。その未来に待っている
面倒くさいリアルな二人の実生活が実は煩わしいのである。フーテンの
業がその根っこにあるのだ。人をその気にさせてギリギリで逃げるなんて
どんな理由があれ、ある意味卑怯である。だから奥行きはあるが卑怯なのである。

寅を「奥行きがない人間」と理解してしまう満男は、こうして自分のことにも
実は自信がもてていないのである。つまり、奥行きがないのは寅でなく
満男自身なのかもしれない。

第27作「浪花の恋の寅次郎」で、新世界ホテルのオヤジが寅に「ちよっとくらい
格好悪うても少々アホやなと思われても地獄の底まで追いかけていく根性が
ないとあきまへん、この道は」と男女の仲の問題を忠告していたように、寅同様、
この泉ちゃんと満男との結末は潔すぎると私は思った。あれだけの歴史がある
泉ちゃんと満男だ。二人がこんなこと(お母さんの入院)くらいで別れてはいけないと
思ってしまった。

「でも、オレは伯父さんみたいに簡単に諦めないよ」とは言ってはいたのが救いか。

まあ、もっとも最後の第48作で、満男は遂に切れて、地獄の底まで泉ちゃんに
つきまとい、大勢の人に迷惑をかけてしまうのだが、そのことはまたあとで。


ちなみにこの新幹線ロケで、
まず、16時7分発、『ひかり23号博多行き』の掲示板がスクリーンに大きく映る。
『こだま新大阪行き』から泉ちゃんが出てきて、同じ新幹線に戻る。 
『ひかり広島行き』に乗っていてガラス越しの泉ちゃんを追いかける。
というわけで、なんと3つの新幹線を泉ちゃんは利用していた。忍術使いか(^^;)



また、この第45作は笠智衆さん最後の出演となった作品でもある。


御前様の最後の夢


御前様「髪結いの亭主なら、寅にも勤まると思いませんかさくらさん。
    ふたりが結ばれたら門前町に小さな店を持たせて、週に一度
    その綺麗なおかみさんの手で私の頭を剃ってもらうんです」

さくら「まあ…夢見たい…」

と、遠くを見るさくら。

御前様は、やんちゃでチャランポランだが、
無欲で少年の心を今も持つ寅のことが大好きだったのだ。



           




そしてなんともまろやかな蝶子さんの存在。


蝶子「♪あなたとふたりで

   来た〜丘〜は、…」



宮崎県串間市 石波海岸の南、

幸島(こうじま)の浜



寅も歌に入って



寅と蝶子「♪港が見える丘〜…。

  色あせた桜ただひとつ、

  さみしく咲いていた〜」




         




寅の涼しい目。



蝶子さんの可愛い日傘。


肌色のカーディガン



お互い目を見て微笑みながら歌っていく。





そしてまたふたりとも海を見る。




          




寅と蝶子さんの相性は相当のものである。
こんな息のあったカップルもそうそういない。
この、二人の短いデュエットと、満男と泉ちゃんの
別れのシーンと御前様の最後の夢の話があるばっかりに、
第45作をベスト24に入れてしまった私でした。(^^)ゞ


今日バンコクからバリに戻って来ましたが、なんとサイトの更新が極めて不安定になっている
ではないか。何度も失敗してようやく更新できた。
やはり台湾沖での海底ケーブルの影響が大きいのかもしれない。
と、いうことで今後更新ができるかどうかは闇の中です。数日以内に復興するかもしれないし、
何週間も不安定な状態が続くかもしれない。この国は先が見えません。困った〜(TT)





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266


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー           






第44作 寅次郎の告白     独り旅ゆく人生


12月10日寅次郎な日々その266 



ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
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満男は、小学生の頃から間近で寅の失恋を垣間見て来ている。

遠くは第27作「浪花の恋の寅次郎」でふみさんがとらやに結婚の
報告をしにきた時にも、満男は真横で立ち会って「結婚するんです」と口真似し
ませたことを言っているし、
第29作「寅次郎あじさいの恋」の時もわざわざ鎌倉まで無理やり付き添わされて、
寅の失恋の涙まで垣間見て衝撃を受けてしまっている。


そんな満男は、しだいに大きくになり、青年になるのだが、寅の気質の本質に迫る
分析を言葉によって人に伝えるほどに成長していく。これは彼が、寅という非常にややこしい
人間をある意味把握しつつある証なのである。
数日前にこのコラムで書いた「幸せ」に対する考察も、満男は寅の人生と絡み合わせて
なかなか突っ込んだところまで考えていた。


そして、今回、
第44作「寅次郎の告白」で満男は泉ちゃんに寅伯父さんのことをこう言う。

満男「あの伯父さんはね、手の届かない女の人には夢中になるんだけど、
   その人が伯父さんのことを好きになるとあわてて逃げ出すんだよ。
   今までに何べんもそんなことがあってその度に、オレのおふくろは泣いてたよ。
   『ばかね、お兄ちゃんは…』って」

実に満男は寅をよく観察している。





         




泉「どうしてなの?どうして逃げ出すの?」

満男「つまりさあ…、きれいな花が咲いてるとするだろう、
   その花をそっとしておきたいなあって気持ちと
   奪い取ってしまいたいという気持ちとが男にはあるんだよ」

泉「ふーん…」

満男「あの伯父さんはどっちかというとそっとしておきたいなって気持ちの
    ほうが強いんじゃないかな…」


かなり鋭い分析である。
青年になった満男は寅の本質のすぐ近くまで迫っている。


しかし、人は花ではない。

花はそっとしてもらったほうがその生をまっとう出来るし、本当に花を愛する人は
決して切って花瓶に入れて活けようなんてしない。

しかし、人は時として奪い取ってもらった方が幸せな時があるのだ。

寅はマドンナの幸せを考えて、愚かな自分、フーテンの業を持つ自分じゃ力不足だと
自分の想いを振り切ってさっそうと立ち去るが、残された女性はそれで幸せか
どうかは実は分からないのである。いや、幸せのわけがない。
人を好きになるということはそういう理屈ではない。

寅の奥深い底なしの優しさと相手のことを考えた引き際の妙のその果てに隠された
強烈なエゴには満男はまだ気づいていない。独り旅ゆく人生の根っこには、ぞっとする
ような業がつきまとっている。

その昔、柴又駅ホームで目を潤ませて、張り裂けそうな気持ちで首を振った朋子さんの
切なさ、悲しさは、まだ満男には分からないのかもしれない。

そして、第48作で、寅の自己中心性の全てを言い切ったリリーの決定的な最後の啖呵までは
まだもう少しの歳月がある…。


鳥取駅ホームでの別れ際、満男は寅に…

満男「伯父さんは淋しくなることないの?」

寅「バカ野郎、オレは男だい、淋しさなんてのはな、
歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらあ」

満男は寅の人生の孤独を少し分かり始めているのかもしれない。

満男と泉ちゃんを乗せた大阪行きの山陰線を見送った寅は、
孤独の影がいつにもまして濃かった。





         




帰りの山陰線の汽車の中で満男は黄色いハンカチを持った泉ちゃんの手を握る。
そして泉ちゃんも手を添える。
このシーンは満男が寅のトラウマ的影響を乗り越え、寅とは違う人生を歩み始めた
記念すべき第一歩の瞬間なのだと思う。

満男、それでいいんだ。人は甲斐性があろうとなかろうと、収入が不安定であろうと
なかろうと、放浪癖があろうとなかろうと、覚悟し、決意し、愛する人と共に歩んでこそ
人なのだから。




       


       


しかし、いくらこのころすでに渥美さんの体調がかなりキツイからと言って、
それでもやはり満男と泉ちゃんはサブでなければならない。
寅とマドンナの哀しい恋の物語がこのシリーズの核なのは譲れないところであるのだが…。

満男と泉ちゃんのロマンスでは若い観客が入るかもしれないが、それでは「男はつらいよ」として、
作品たり得ないのである。しかし渥美さんの体調を考えると、それができない状況に
なっていることも認めなくてはならない事実である。


特にこの第44作「寅次郎の告白」はあの吉田日出子さんという稀有の役者魂を持った俳優を
起用しながらも、彼女を十分には生かしきれていなかった。

こんなもったいないことはない。あの人が放つオーラは、良質の物語の中でさぞかし輝きを
放つことは他の彼女出演作品の演技を見ていれば分かる。



彼女は自分のエッセイの中でこの時の出演のことをこう書いているらしい。

『台本を読んでもこの聖子さんというのはどういう人かぜんぜん分からない。
「寅さん」の台本って、山田洋次さんの頭の中にあるものを書いてあるだけだから、何通りにも
読めるんだけど、どうしたら一番いいのかがわからない。
「だったらまず、監督の話を聞いてみよう」聞きに行った。話をして、それでも分からない』

結局、吉田日出子さんは出演し、映画封切りの時に映画館に観に行く。そして自分の絡みの部分に
物足りなさを感じ、「うーん、つまらなかった」と言ってしまうのである。

そしてこうも言う

「今は昔の寅さんと違って、作品の中に話が2つくらいしかなくて、それもとってつけたような話だから、
寅さんまでとってつけたような人になっちゃう。これじゃ、芝居ができないだろうなあ…、とわたしなんかは
思うんだけど、でも渥美さんは台本に素直にやっちゃうでしょ。不思議だなあ、どうしてもっといろいろ
やっちゃわないんだろうと思った。 ……。

でも渥美さんは手を抜いてるんじゃないのよ。あんなに映画のことをよく分かっている人が台本に注文を
つけたりしないで大きな流れに身を任せてやっていく。

それもまた格好いいなあって…」




           





先日も書いたように、渥美さんは長い長い一本の映画に出演し続けているのだろう。
それゆえ大きな流れのなかの今はもう最後の静かなゆったりとした晩秋の意識の中で
山田監督を信じながら自分の体調の内で出来うることを粛々と演じていたに違いない。

これも以前にも書いたが、初期の、つまり青春期の「男はつらいよ」と十作台の壮年期の渋くて素敵な
「男はつらいよ」とが私は大好きだ。ひとつひとつの作品をそれぞれ何十回と見ていると思うが、
後半の膨大な量の老年期の「男はつらいよ」もなぜか、見る回数は実はそんなに変わらないのである。

それは、吉田日出子さんが言うように、大きな流れの中のゆったりとした長い黄昏に身を任せ
ながら、繰り返し淡い恋をしてゆく寅が、そしてその背中がやはり渋く、格好いいからなのだと思う。

このシリーズはこのような見方が許される数少ない映画だと私は思っている。映画評論家のみなさんは
このような見方は許されるはずもない。1作品1作品をしっかり批評しなくてはならない。仕事だからである。
私は一ファンだからこの見方が許される。この晩年の作品群は大きな流れの中で見るべきものである。

誤解を招くかもしれないが、この晩年の作品だけを見ても、なぜこの映画たちがすばらしいかは分かりづらい
いと私は思う。もし私が、初期、中期を見ずして、この晩年の作品を見たらやはり物足りなさを相当
感じただろう。一つの映画作品として晩年の一作品だけを見た場合、起承転結としての物語の構造が
弱いことは否定し難いからである。そしてその原因として、あまりにも過去の作品群を見ていないと感じれない
カットが多いからである。たとえばこの第44作を見るためには、少なくとも第42作と第43作を見ていなければ
泉ちゃんの孤独や悲しみはギリギリでは観客には分からないはずである。ましてや満男と寅のことは
遠く過去の作品群を見ているかどうかでは感慨が違ってくる。そういう見方は邪道だとか、そういうことで
はないのだ。そういう見方ができ得る壮大な稀有の映画だということだ。


だから、「男はつらいよ」は48作品の別々の物語を持つ映画ではない。たった一本の長い長い映画である。
それゆえ人間と同じくその流れの中で青春期があり、壮年期があり、そして最も時間的には長い老年期の
黄昏があるのだ。

人生は歴史であり、トータルであるのと同じく、このシリーズの晩年も一見、そこだけを見ると、ただ止まって
いるように見えても、大きな流れのなかで見るとゆっくりと流れていくのが見える。


そうだからこそ、あの一見正視できないような悲しい渥美さんが登場する最後の第48作「紅の花」が、
全48本、
4891分(81時間31分)の壮大な物語の流れの中で、最後の光に包まれて静かに
淡く輝き始めるのだろう。





           




12月12日よりバンコクへ用事ででかけます。
12月28日にバリに戻ってまいります。
それゆえ次回「寅次郎の日々」の更新は12月30日ごろです。





2004年から始めたこのページも12月10日で
33万アクセスを超えました。ありがとうごいざいます。

            


イラスト 龍太郎




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265


                          
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第43作 寅次郎の休日     車寅次郎の背中

12月7日寅次郎な日々その265 



ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




備後屋「おい、誰だ?」

寅「オレの娘よ。ざまあみろい」

さっそうと歩いていく寅。

これは第43作「寅次郎の休日」で、帝釈天参道を泉ちゃんと歩く寅の姿である。


渥美さんの背中はますます渋く、格好よく、そして孤独と哀愁が色濃くなっていた。



          



楽しい青春、惨めな老後。
昔、アリとキリギリスの物語を聞いて兄のことを想い、涙したさくらじゃないが、
晩秋の車寅次郎の素の姿がスクリーンに漂うようになると、見るほうもその姿から哀愁を感じ、
その後姿にその人生を見るようになる。そして、それはとりもなおさず、渥美清さんの人生の背中でも
あったのだと思う。この頃から、渥美さんは渥美さんであることを演技の中で隠さなくなった。
時々見せる姿や立ち振る舞いが寅であると同時に素の渥美さんなのである。意外にもそのことで
私は今までの作品にはない深い味わいを感じることになっていった…。


そして寅はラスト付近で満男に、このような印象的なことも言うようになる。


寅「
満男困ったことがあったらな風に向かってオレの名前を呼べ。
  おじさんどっからでも飛んできてやるからな。じゃあな




            




この第43作のラストも前作第42作のラスト同様、このシリーズが終わりに近いことを
予感させる内容である。もう秋は色濃く、晩秋の風が吹きすさんでいる。





さて、この第43作「寅次郎の休日」で満男は重要なことを呟く。



「おじさん、人間は誰でも幸せになりたいと、そう思っている。
僕だって、幸せになることについてもっと貪欲になりたいと考えている。
でも、それじゃ幸せってなんなんだろう。

泉ちゃんは、お父さんは幸せそうに暮らしてると言ったけど、
あのお父さんは、本当に幸せなんだろうか。

おじさんのことについて言えば、タコ社長は、寅さんが一番幸せだよと、
よく言うけど、おじさんは本当に幸せなんだろうか。かりに、おじさん自身は
幸せだと思っていたとしても、お母さんの目から見て、不幸せだとすれば、
一体どっちが正しいのだろうか。

人間は、本当に分かりにくい生き物なんだなあと、近頃しみじみ僕は思うんだ」



              



満男は、『幸せ』というものは、努力して掴むもの、めざすもの、と思っているのかもしれない。
おそらく世界中でこのように考えている方々は非常に大勢いると思うが、人間が幸せと感じる状態は
努力をして掴むものではないと私は考えている。『幸せになることについて貪欲』になっているうちは
幸せにはなかなかなれないのである。実は、貪欲にならなくたって幸せは自分の隣にいつもあるものだし、
自分の中にも最初からあるものなのだと私は思う。探すものでもないし、勝ち取るものでもない。
はじめからそこに存在することを、知るものであり、分かるものでり、感じるものだ。

寅はそのことを心のどこかで無意識に知っている。だから何も財産を持たず、何も権力や
肩書きも持たず、カバン一つであのようなひょうひょうとした生き様ができるのだと思う。

さくらが仮に寅のことを、あんなフーテン生活をいい歳をして送っていて不幸せなのだと思っても、
それはさくらが、もし自分がああいう生活をいい歳をして迷惑をかけながらしたとしたら、
不安で、淋しくて、情けなくて毎日が地に足が着いていない気がしてとてつもなく不幸せな気分に
なってしまうと想像して思っているのである。つまり、あくまでもさくらの心配はさくら側の感覚なのだ。
寅の幸せはどんなに血を分けた兄妹でも、本当のところはさくらには分からないし、さくらが当たり前の
ように信じているさくら自身の幸せも実は同じ理由でギリギリでは寅には実感はないはずだ。

泉ちゃんがお父さんのことを幸せそうだと言おうが不幸せそうだと言おうが、同じ意味で本当のところは
お父さんにしか分からない。もし自分だったら…としか分からない。
そのお父さん自身だって、時と場合によっては新しい日々の幸せを深く感じる時もあれば、
少しメランコリックになって自分の過去の過ちを悔やみ、何日も落ち込んでしまうこともあるだろう。

『かけがえのないこの運命に対するある種の感謝の感覚』さえ心のどこかに棲みついていれば、
人は他人から見てどんなに惨めであろうとも、意外にひっそりと幸せを感じることができるものなのだ。

『幸せ』とは個人的なある満ち足りた心の状態であって、社会的な地位や他人の評価の集積
からだけでは成り立ち得ないものだと思う。幸せとは静かなものなのだ。

それをみんな心のどこかでうすうす知っている。だからこの映画を見続けるのだと思うし。
だからこそ、あのような車寅次郎の人生が、そしてあの歳月を経た背中が限りなくいとおしいのだと思う。




               






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264


                          
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第42作 ぼくの伯父さん    目に見えない白い糸

12月5日寅次郎な日々その264 



ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




第36作「柴又より愛をこめて」で、家出したあけみが寅を頼っているのを知って、満男はさくらたちに
こう言うのである。


満男「
オレ、わかるよあけみさんの気持ち。
   おじさんのやることはドンくさくて常識はずれだけど、世間体なんか全然気にしないもんな、
   人におべっかを使ったり、お世辞言ったり、おじさんは、絶対そんなことしないもんな


博「
へえー、尊敬してるのか?

満男「
尊敬まではいかないけどさ」と、ちょっと照れる。

満男は、あの第29作「あじさいの恋」で寅の涙を見てしまった日から、
寅への見方が明らかに変わってきている。
そして上の第36作での発言が来る。

第39作「寅次郎物語」ではもうすっかり高校生で、
寅を頼って遠く旅をしてきた秀吉君にむかってこう言うのである。

満男「寅さんに会ってがっかりしたんだろう」
秀吉「うん…」
満男「
でも、見かけほどひどくはないんだぞ、オレ買ってるんだ。わりと

このように満男は1年に数回しか滞在しない寅おじさんの影響を
真綿が水を吸い込むように受けていったのだ。


そして、この第42作からいよいよ切ない恋をするようになる満男


ますます『恋に一生を捧げた男』寅の影響を受けていく。

リリーと寅が目に見えない赤い糸で結ばれているように、満男と
寅は目に見えない白い糸で結ばれているのだ。

もちろん満男の場合は花も実もある本物の恋になっていくところがギリギリで
寅とは違うところ。その対比が見ていて悲しくもあるのだが…。

そしてこれと反比例するように寅の恋は淡白になっていく。
この第42作などは寅はほとんど恋をしない。相手の寿子さんも
マドンナではない。人妻だし、寅に恋愛感情もない。寅も憧れだけで終わっている。
あくまでも今回の主役は泉ちゃんと満男なのだ。だからマドンナはあえて言うなら
泉ちゃんとも言えなくもない。実際、泉ちゃん役の後藤久美子さんは当時まだ
高校生とは言え、すでに品格ある姿かたちで大きなスクリーンの中でも十分
このシリーズのマドンナとしての輝きを放っていた。




          




満男たちが中心になっていったもう一つの背景は、渥美さんの体調だ。見ていて分かるように
この作品あたりからいつものやんちゃな動きがかなり影を潜めてきている。やはり体がキツク
なってきているのだ。それで、山田監督は、寅の出番を少なくしていったのである。
だからと言ってこれ以降の作品がつまらないと考えてしまうのは感覚的ではない。

渥美さん自身が言っていたように、このシリーズは個々の作品が独立して存在しているのではなく、
シリーズ全体で長い長いひとつの映画だということだ。

春があり、夏が来て、秋となり、そして冬を迎える。

このシリーズを第1作から見続けて来た者だけに許される観方なのだと思う。そのような特殊な
映画鑑賞が許される、世界でただひとつの映画だと私は思っている。


これ以降の渥美さんは晩秋を迎える。
彼が培ってきた役者としてのただならぬ存在感を、その走らない背中から感じることができれば、
この長い長い物語はますます奥行きを持ち始め、私たちに忘れ難い稀有の作品となっていくだろう。




さて、今回の42作「ぼくの伯父さん」本編である。


寅は言う。

「恋をしてるのかおまえは…ふーん」



             



寅「こないだまで飴玉ひとつやりやあ喜んでとんできたガキだと思っていたのに、
  はあー、恋をする年になったか…


この寅の深い感慨は、このシリーズを見続けてきた私たちの感慨でもあるのだ。第1作で
産声を上げた満男は、もう大人になりつつある。


しかし、満男は彼女の事で自分が悶々といやらしいことを考えてしまうことに自己嫌悪を
抱いていると寅に告白する。

寅「おまえは正直だな、偉い!さすが博の息子だ」

寅「博がいつかオレにこう言ってくれたよ。自分を醜いって思った人間はもう決して醜くない」



       


寅「な、考えてみろ
 田舎から出てきて、タコの経営する印刷工場で職工として
 働いていたおまえのオヤジが、3年間、じーっとさくらに恋をして、
 なにを悩んでいたか、今のおまえと変わらないと思うぞ、
 そんなオヤジをおまえ、不潔だと思うか?


その言葉に満男はどれだけ救われただろうか。


博は工員をしながら、向かいのさくらの部屋をずっと眺めて暮らしていた。
工員をしてから3年間それだけが楽しみだったと、自分で涙ながらに告白していた
あの時の博の心を寅も満男も、そして観客である私たちも20年以上経ったこの作品で
いとおしく思えてくる。これこそがシリーズ映画ならではの味わいなのだ。


その後、満男は意を決して、はるばるバイクで佐賀の泉ちゃんの住んでいる家まで
行ったものの…、


満男「おじさん、オレもう東京へ帰るよ。彼女、ほんとは迷惑なんじゃないかな…。
  だって、年上の男がバイクで東京から会いに来たりして、近所の人たちに
  ふしだらな娘だと思われちゃうじゃないか。オレ…、彼女の都合も考えずに
  突然来たりして相当厚かましいよ」

寅「おまえ、本当にあの娘が好きだったら、そんなこと気にするな」

満男「だってオレ、しつこいと思われたくないもん」

寅「そのおまえの気持ちはおじさんもよーくわかるけどなあ、
  実は、女はそんなふうには思わない」
 なるほど(−−)

そして、啖呵バイにも出てくる例の小野小町と深草の少将の恋の逸話、
百日百夜通い詰めた話を満男に聞かせてやる。そしてこう言うのだ。

寅「せめて5日か10日その乙女のところへ通ってみたらどうだ?」



       



まあその助言も含めて、寅も一緒に泉ちゃんの家に付き添ってやったこともあり、
まあ、いろいろあって、なんとか泉ちゃんと進展があった満男。


満男の若気のいたり的行動を非難する泉ちゃんの伯父に向かって寅は、
静かな啖呵を切ってやるのである。


寅「
先生、わたくしのような出来そこないがこんなことを言うと笑われるかも
 しれませんが、わたくしは甥の満男は間違ったことをしていないと思います。
 慣れない土地へ来て淋しい思いをしているお嬢さんを慰めようと、親にも
 内緒ではるばるオートバイでやってきた満男を、わたくしはむしろ、よくやったと
 褒めてやりたいと思います



こんなこと、実の父親母親なら言えない。伯父さんであり、しがらみのないフーテンの寅だからこそ
言える真実なのだ。
この寅の啖呵のことは実は満男は知らない。そこがまたいいではないか。


ラスト近く、このシリーズが意外にもかなりもう終わりに近づいていることを、監督は
私たちに暗に知らせてくれているシーンがある。

寅が佐賀から遠く柴又へ電話した時

とらやを含めいろいろな人々が電話口で寅に語りかけるのだ。
あのシーンは怖かった。あれはまるで最終回のラストだ。
もう第43作は作られないんじゃないかと真剣に思ったものだ。
おそらく、そのような可能性が実はあったからこその演出だったのだろう。


           



その時の電話でお世話になった寅に満男はこう言う。


満男
おじさんの老後は僕が面倒見ますから

冗談なんだけどなぜか私はあの満男の気持ちが嬉しかった。


追伸だが、今回の笹野高史さんの演技は絶品である。
心臓の弱い方や食事中の方は気をつけてください。ぞわわわ…((((^^;)


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263


                          
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第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」

11月30日寅次郎な日々その263 


ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
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第41作「寅次郎心の旅路」は寅がウイーンに行く話。
しかし、やっぱり寅とウイーンは似合わない。無理がありすぎる。
シリーズもこのあたりになってくると、なんとか目新しいことを取り入れなくては
続かなくなる。苦肉の策ともいえる外国ロケだった。
しかし、そこは地力のある山田監督、見せ場をやはり作ってくれた。


久美子さんは、ドナウ川のほとりで寅のことをこう言う。

「寅さんって『故郷のかたまり』みたいな人」

寅は実は少年期からすでに故郷を捨てた男。だからいつも胸に
懐かしい故郷の想いを秘めて旅をしている。
故郷にどっぷりつかっている人であったならば、ああはならない。
故郷と自分が一体化しているので故郷を想わなくていいからだ。
故郷に帰れないからこそ、故郷のかたまりに見える。

寅の心の中にある江戸川の風景。
久美子さんの故郷も長良川のほとり。

その寅の心と久美子さんの望郷の念がシンクロしたのだ。


「何かわけがあったのか?こんな遠い国へ来たのは…」

この言葉は、日本を離れて十数年、こんな地の果てに隠遁して暮らす私の
望郷の念ともシンクロして、目頭が熱くなってしまった。
故郷に帰りたくても帰れないあの久美子さんの
ぼろぼろ流した涙は、私の涙でもあった。



寅は言う。

その海をずーぅっと行くと、オレの故郷の江戸川に繋がるわけだ…





          




寅は、とうとうと流れ行く美しき青きドナウを眺めながら
腕を組んでゆったりと歌いだす。

なんと「大利根月夜」である。


「♪…あれをごらんと、指さぁ〜すかぁたあーにぃ〜とくらああ、
 利根の流れのぉ〜、流れぇ〜月〜、てねぇー、
 昔、わろおてぇ、眺めたつぅ〜きぃ〜もぉ〜…」



望郷の念を思い起こさせる静かないいシーンだった。
外国で暮らす日本人や故郷を遠く離れて暮らす人々にとって
あのシーンは目が潤んでしまったことだろう。




           








ところで、余談だが、ウィーンロケに渥美さんの仲間である関敬六さんも
プライベートで同行したそうだ。
それでウィ―ンロケにもきちんと後姿とは言え、
飛び入りで映っていて、おまけにセリフまである。


こういう隠されたサプライズゲストを探すのは実に面白く、ワクワクする。
お暇な方はウィ―ンロケのどこで出てくるか見つけてみてください。
結構すぐ見つかりますよ。



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