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寅次郎な日々
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(ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
西瓜と藁草履 Dr.コトー診療所(2007,1,31)
寅の新しい居場所の誕生 運命の赤い糸(2007,1,27
寅の仲間、伊賀の為三郎(2007,1,24)
博士の愛した数式の吉岡秀隆さん(2007,1,20),)
キネマ旬報ベストテンと寅さん(2007,1,15)
第49作 寅次郎花へんろ お遍路が一列に行く虹の中(第49作ポスター付き)(2007、1、8)
第48作 寅次郎紅の花 待ち続けた15年の歳月(2007,1,7)
第47作 拝啓寅次郎様 寅が満男に残す言葉(2007,1,6)
第46作 寅次郎の縁談 時空を超えて恋をする満男
第45作 寅次郎の青春 御前様の最後の夢(2006,12,30)
第44作 寅次郎の告白 独り旅ゆく人生(2006,12,10)
第43作 寅次郎の休日 「車寅次郎の背中」(2006,12,7)
第42作 ぼくの伯父さん 「目に見えない白い糸」(2006,12,5)
第41作寅次郎心の旅路そのA 「故郷のかたまり」2006,11,30)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 西瓜と藁草履 Dr.コトー診療所 2007年1月31日寅次郎な日々 その276 (ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 命は神様に。病気は先生にだ。 これは吉岡秀隆さん主演のテレビドラマ 「Dr.コトー診療所(2003).第8話『救えない命』」で、 志木那島の農家の老人『あきおじ』こと山下 明夫さんが、大腸がんの 手術を本土で行うことを拒否し、「コトー先生」こと五島健助先生に、 島での手術をお願いする時の言葉だ。 あきおじは、もし自分が死ぬとしても好きなコトー先生の手にかかって死ねるのなら本望だと言う。 長年丹精込めて耕してきた西瓜畑の土地にも愛着がある、とも言う。 藁草履作りは子供たちに伝承しているほど上手。そういう意味でもこの島を離れたくないのだ。 そして命は神様にしか分からないと言う。 結局、人は誰でも必ずいつの日か死ぬ。 それまでの黄昏を何をするか。そして誰と共に生き、誰に見守られて死にたいか。 最後の黄昏の日々をどんな風景を見て、どんな音を聴いて暮らしたいか。 人はただそれだけである。生きる長さでは決してない。 私はその昔、ちょっとした病気をし、不安に陥った時、 長年お世話になっている主治医の先生に優しく諭された言葉がある。 「治る病気は必ず治します。治らない病気は治せません。」 この言葉を私は心に持ちながら今日も日本から遠く離れた辺境の地で生きている。 第48作「紅の花」の渥美さんも、スクリーンで見る限りはとても辛そうであったが、 私は、彼は自分の人生を全うしたと思う。悔いの無い人生だったと確信がある。 最後まで彼は「役者であること」を選んだのだ。 すべての人には天命がある。 この「Dr.コトー診療所」というドラマでは、いろんな人が病気やケガをこれでもかというくらい するが、まあことごとくコトー先生が治してしまう。スーパードクターなんて巷では言われてもいる。 しかし、『あきおじ』の天命だけは変えることができなかった。 そして、その命が終わるその日までコトー先生も彩佳さんも患者と寄り添い、 共に生きていったのである。 このことこそが、人の間に生きると書く人間としての務めなのだろう。 あきおじは日々思う。 ここからは庭の木が見えるし海の音も聞こえる。 鳥が鳴いているのも、孫達が遊ぶ声も、それから息子が 役場から帰ってくる足音も全部わかる。そしてなによりも毎日コトー先生や 彩佳さんが顔をだしてくれるのが嬉しい…。 ゆったりとした静かな日々…。 しかしやはり別れの日はくる。 あきおじが亡くなった日、無力感が押し寄せるコトー先生。 そんな時、息子さんからそっと手渡されたあきおじの部屋にあった手紙と藁草履。 手紙はこう記されてあった。 コトー様 夏 涼しくて 冬 温かい わしの自慢は 西瓜と藁草履 人生で このふたつ あきおじ 遂に泣き崩れるコトー先生。 コトー先生の、そして吉岡秀隆さんの、新しい第2の人生はこの『あきおじ』 の手紙と残された藁草履から本当にはじまったのではないだろうか。 彼は今日も、あの手紙を心に持ち、藁草履を履きながら生きる。 この「Dr.コトー診療所」は、近年のテレビドラマというものが好きじゃない私が、 珍しくぐいぐい引きこまれたドラマである。日本にもこういう、確かな人の 息づかいや風の音が聞こえてくるテレビドラマが誕生する土壌がまだ 残っているのだと安心した覚えがある。映画では出せないテレビドラマ ならではの軽快な臨場感がなんとも言えず快感だった。 そして、吉岡秀隆さんの新たな出発がはっきり見て取れる記念すべきドラマでもある。 彼の白衣をひらめかして優しい南風が吹き抜けていくような、そんなドラマだった。 (先日バンコクでまとめて見た2004年度版も、2006年度版も実に良かった。 モチベーションは落ちてはいなかった。これは滅多にない凄いことである。 そのことはまたいつの日か書きましょう) 「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
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『寅次郎な日々』バックナンバー 寅の新しい居場所の誕生 運命の赤い糸 2007年1月27日寅次郎な日々 その275 (ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 第48作「寅次郎紅の花」のラスト。 寅と一緒に奄美に帰ったリリーは、正月にさくらたちに手紙を送る。 『あけましておめでとうございます。 みなさんどんなお正月をお過ごしですか。 さて寅さんのことですが、 一週間前、例によってお酒の上でちょっとした口げんか をした翌朝、置手紙をしていなくなってしまいました。 あの厄介なひとがいなくなって、ほっとしたりもしましたが、 こうして独りで手紙を書いていると、ちょっぴり淋しくもあります。 またいつか、ひょっこり帰ってきてくれるかもしれません。 もっとも、その日まで私がこの島に暮らし続けちゃってるか わかりませんけどね。 もしかしてこの次寅さんに会うのは北海道の流氷が浮かぶ 港町かもしれません。 寅さんにお会いになったら、どうかよろしくお伝えくださいね。 奄美の浜辺にて リリー ほんと、寅は奄美大島でも正月を待たずに、年末に旅立っていったんだね。 しかし、それでこそ寅だ。なんといったって正月は一年で最も稼げる時だからね。 リリーは、『訪ねてくれるかも』と書かずに、『帰ってきてくれるかも』と書いていた。 ここに密かなリリーの確信がうかがえる。 寅はもう自分からは離れないだろう。 また必ず『帰ってくる』 そして彼女は長旅で疲れた寅の顔を見て微笑んでこう言うのだ。 「おかえり、寅さん」 「男はつらいよ」は終わってしまったが、寅は今も日本のどこかを旅し、 旅に疲れたら、柴又には、今までよりは寄らなくなり、そのぶん、奄美の リリーの家に寄り付くようになったのかもしれない…。 なんだか、そんな気がする。 寅の新しい「居場所」誕生だ。 寅は言う 「オレとこの女は生まれたときから 運命の赤い糸で結ばれているんだよ、なあリリー」 リリーは言う 「飲もう、寅さん」 『渥美さん、長い間つらい思いをさせてすみませんでした。 でも、僕とそして僕たちスタッフは貴方にめぐり逢えてしあわせでした。 二十七年間にわたって、寅さん映画を作り続ける喜びを与えてくれてありがとう。 渥美さん本当にありがとう』 この山田洋次監督の弔辞の言葉は、 私の気持ちであり、全ての「男はつらいよ」のファンの気持ちだった。 渥美さんほんとうにありがとうございます。 アリア リリーを想う 寅のアリア 下に、私がこの長い長いシリーズの中で 最も美しいシーンだと思い続けている 第15作「寅次郎相合い傘」のリリーを想う 『寅のアリア』を、私のサイトから抜粋し、紹介します。 一世一代という言葉が頭をよぎります。
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