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今、京都『南座』が面白い!山田洋次の軌跡(2012年8月31日)
京成沿線 京子さんの吉田病院と聖和幼稚園(2012年8月13日)
未踏峰登頂 夏子さんの金町「スカイラーク」(2012年7月27日)
男はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天(2012年7月17日)
第19作寅の啖呵バイ.大船1丁目探索記(後編)(2012年7月10日)
第19作寅の啖呵バイ場所は大船だった!(前編)(2011年7月3日)
処女峰登頂 泉ちゃんの叔母さん宅 裏庭と濠(2011年6月22日)
夏子さんと歩く京都市毘沙門町 完全制覇物語(2012年6月13日)
川井みどりさんとめぐる新緑の柴又(2012年5月25日)
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年8月31日 寅次郎な日々 その528 今、京都『南座』が面白い! 山田洋次の軌跡
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年8月13日 寅次郎な日々 その527 京成沿線 京子さんの吉田病院と聖和幼稚園
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年7月27日 寅次郎な日々 その526 未踏峰登頂 夏子さんの金町「スカイラーク」
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年7月17日 寅次郎な日々 その525 男はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天 寅さんと七夕のめぐりあい 今年の七夕は楽しい夜だった。 摩訶不思議なご縁が重なって、2010年末に柴又に来てから まったく予想外な方々に出会い、そして他方面に渡りお世話にもなっている。 今回もそのようなご縁のひとつ。 寅さんがとりなす仲で、ぐんっと親しくなった寅友の佐藤利明さんが 司会、講演、トークをする 「男はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天 寅さんと七夕のめぐりあい」に、 これまたご縁があって参加させていただいた。 この日の上映は「第9作 柴又慕情」 100人ほどの有志がお座敷に座って座布団の上で映画を鑑賞するのだ。 映画館と違って、お寺で鑑賞会。これがなかなか粋。 しかも本家本元の「帝釈天こと題経寺」の鳳翔館 開場からしばらくして中に入ると・・・。 第9作の序盤、寅が下宿探しをする時の、不動産屋での「寅のアリア」が書かれた紙が テーブルの座る位置にお弁当と一緒に置かれていた。 こういうちょっとしたことが粋だねえ。 サントリーが協賛しているとのことで、 あの「オランジーナ」もみんなに配られている。 オランジーナはフランスではコカコーラよりもたくさん飲まれているらしい。 今ではサントリーがその販売の権利を持っているのだ。 この企画に深く関わり、司会進行および解説も担当しているのは、今回も佐藤利明さん。 佐藤利明(オトナの歌謡曲 . 娯楽映画研究家) プロフィール 1963年東京都生まれ。 娯楽映画研究家、構成作家、ミュージカル.音楽評論家としての多彩な才能をもつ。 CS衛星劇場「私の寅さん」(2008年ー2010年)では「男はつらいよ」関係者に毎回ロングインタビューを行う。 また、2008年『男はつらいよ』40周年プロジェクト(松竹)に協力するなど 『男はつらいよ』への造詣が非常に深い。 いや〜〜〜〜〜〜〜 楽しかった。 場所が場所ゆえ、100人まで限定の企画だったが 思ったより若い人が多かったのはびっくりした。 30歳代40歳代が結構来てました^^ なんだか育ってるなあ って感じで嬉しい(^^) 私は時々浅草や新橋の名画座に「男はつらいよ」を観に行くが たいてい、10人〜15人くらいで、私が一番若いくらいだ。 でも、この日はこの写真のようにざっと見、半分以上は私より若い。 30代の方々も結構いた感じ。 佐藤利明さんが受け持つ池袋西武デパート内「池袋コミニュティカレッジ」での映画講座の方々や 同じく彼が構成作家と出演もしている文化放送の「みんなの寅さん」の リスナーさんたちがこの中にもいるのだと思った。 あきらかに新しい風がこうして吹いているのだ。 この映画シリーズは懐かしさだけで終わってはいけない映画、 っていうか、終わるわけがない映画。 これからの時代にこそこの映画は必要なのだ。 未来人はこの映画シリーズを忘れることはできないだろう。 荒野の片隅で聖書を開くように、砂漠の月明かりのもとでコーランを 唱えるように、これからの日本人はこの映画が必要となってくるに違いない。 映画が終わってからもう十数年たつが色あせるどころか若い人たちに どんどん関心を持たれて来ている。 こんな映画シリーズは世界でも例がない。 普通はプログラムピクチャーなどというものは、年月とともに加速度的に忘れられていくのだ。 まさにこれこそ「スタンダード」 寅さんファッションであろうが、なんであろうがどんどん若い人が 未来へバトンを受け取って行くことが大事なのだ。 人が一生のうちで観なくてはいけない映画などそうそうあるものではない。 「男はつらいよ」はそのような稀有な映画のひとつ。 さて、意識は現場に戻って はじまりはじまり。 まずは佐藤さんのここ数年の仕事の中で 最も大きな仕事だったあのロングインタビューの映像。 数年前にCS(communications satellite)の『衛星劇場』で 「男はつらいよ」に携わった人々の証言や思い出を丁寧に掬い取る作業が行われた。 『私の寅さん』という番組だ。 この番組は、山田監督をはじめ、倍賞千恵子さん、前田吟さんなどのメインキャストや マドンナさんたちはもちろんのこと、 今まで私たちが見聞きすることができなかった、 出川三男、露木幸次、 五十嵐敬司、 青木好文 森崎東監督 、宮崎晃 鈴木功 松本隆司・・・ というスタッフ側の方々に深く突っ込んだインタビューがおこなわれていたのが特徴。 こういうつっこんだ仕事はNHKや民放ではなかなかできない。 それぞれのチャンネルで役割の違いがあるからだ。 それゆえ、なんでもかんでも放送しなくてはならないそれらの局では この「男はつらいよ」を心底愛し、かつ熟知する方がホストとなって インタビューできる時空がないからである。 物事を深く掘り下げたい時は、構成作家や対話するホスト役もやはりこの映画を深く理解していないと どこかで聞いたような、誰でも思いつくような一般的なものしか質問できないし、 なによりもその相槌のニュアンスが違ってくる。 まさにそれだ!というような的確なフォローが出てこないのである。これが大きな違い。 「何も知りませんので教えてください」と居直って、相手の発言に「なるほど」と、 感心ばかりしていてもしょうがないのだ。 独り言からは『知られざる事実や感覚』はいつまでも出てこない。 同じ土俵で会話をしなければギリギリの『ほんとう』は出てこない。 近年のNHKの「100年インタビュー」が100年の価値、 つまり「普遍性」にまで至っていないのはそこの問題に尽きる。 的確に相手に球を返すキャッチボールができないとそこに「普遍性」は生まれてこない。 だからといって、その分野の専門家同士が 非常にマニアックな質問や楽屋落ちの話題をすればよいと言う意味ではない。 やはり「ホスト」「インタビュア」の才能は当然なければいけないのだ。 つまり、ホスト役の人がその分野の物事を懐深く理解していれば おのずとテーマが絞られ、言葉が選ばれると言いたいのだ。 要は長年温めて来た『このことを昔から一度聞いてみたかった』という問題意識を インタビュアがいくつか持っているかいないかだ。 で、この時の衛星劇場のホスト役は、上にも書いた通り 今日の上映会の司会進行役でもある佐藤利明さん。 日本の映画評論家の中で最もこのシリーズをたくさん繰り返し見続けている 幼少期からの「男はつらいよ」の大ファンである佐藤さんならではの感覚が生かされた 見事な番組だった。 彼がホスト役の場合はインタビューを受ける側も当然適当なお茶濁しはできない。 で、長々と書いてしまったが 話はまた現場に戻って・・・ 今回はその中でも珠玉だった「1時間半の山田監督へのインタビュー」を ダイジェストで30分間分見せてくれた。 やはりこのインタビューは何度観てもすばらしい。 山田監督の奥底にある想いや感覚が聞ける稀有のインタビューだった。 この日上映されたインタビュー部分を抜粋するとこんな感じ。 ■ 【マンネリズムの中の緊張感について】 佐藤:望郷編で一つ完結しようと思った寅さんを、そのクォリティの高さでシリーズが続くことになっていく わけですが、その毎回同じ物語を紡いでいくことに対して当時の山田監督はいかがだったでしょうか。 山田:んー…、そういう批評、悪口は言われましたね。マンネリズム…。 それは随分僕も苦しみましたね…。思い切って変えちゃったほうがいいのかしら、 会社でもそう言われましたよ、少し変えてみたらどうだと。 たとえば寅さんが結婚して子供ができたりなんかしたら面白いんじゃないかって言うんだけれども どうも僕はそういう寅さんを見たいとあんまり思わないなあって…。 マンネリズムというのは聞くとぞっとするけれども、でもね、そんな悪いことでもないような 気がしてくるわけですねえ。 あの、観客は同じ色合いの、同じ匂いのするものを見たくて映画に来るんじゃないか…。 それはたとえば、この店のラーメンが食べたい。次の週も次の週も食べに来る。 それに対して作り手が飽きてしまって、今度思い切って変えました。って…それじゃね、 観客は期待を裏切られてしまうっていうか…。 だから同じようなものを観たいって言う気持ち、それに対して同じような楽しみを提供するっていうことは なかなか実は難しいことじゃないかと…。だからそんなに悪いことじゃない、マンネリズムであることはね。 問題は、その、毎回毎回作る僕たちがある緊張感を持って、これは観客は初めて観るんだぞと、 いう気持ちに僕たちがなってれば、観客だって始めて観た気持ちになれる…。 つまりマンネリズムの楽しさというのはそこにあるんじゃないかっていうこと。 まあいろいろ考えましたねえ。まあ、あんまり変えるまいと。 『馴れ合い』の嬉しさ…、それがこの映画には大事なことなんだ、と思いましたねえ。 佐藤:『十八番(おはこ)』と言う言葉があります、それから『料簡』という言葉があります。 おそらくその寅さんの料簡というのが、観客と一緒に作り手である山田監督や渥美さんが育てて いったんじゃないかという気がします。映画なんですけどライブなところがあるんですね。 山田:そうねえ、うん、そうねえ。 毎回新たな気持ちで同じものを作ることのなんと難しいことか。 落語家が同じ噺を高座で演じることとの共通性をふと感じさせる本質的な話だった。 ■ 【名優 森川信の真髄】 佐藤:この映画のレギュラーメンバーというのがそれぞれ『料簡』を持っていて、 特に森川信さんのおいちゃん、これはテレビからですけど、今見てもほんと絶品ですね。 山田:そうねえ、あの人は、ほんとはもっともっと高い評価を下されていい名優だったと 僕は思いますよ。 森川さんが出る日は僕も楽しかったもの。 今日はこのセリフをどんなふうにしてあの人は言うのだろう。 この芝居の時にどんな表情をするだろう。いつもね、わくわくする思いでいましたねえ。 で、たとえば寅さんがふっと現れるでしょ。 「ええ!?」ってなるでしょ、森川さんがね、「ええ!?」って言っただけで、もう 観客が爆笑してしまう。 渥美さんにね、ある日、聞いたことがあんのねえ、ああいう「ええ!?」って言っただけで 大爆笑する、それは森川さんが長年浅草で培ってきた、その演技力というものなのかしらね、って 言ったら、渥美さんは違います。っていうんですよ。なんですか?「天賦の才です」って言うのね、フフフ、 あーそうか!って、誰にもできることじゃない。「天賦の才です」っていうのは、 イコール、渥美清の芸もそうなんだと僕は思いましたね。天賦の才なんですねえ、あれはねえ…。 『天賦の才です』と、森川さんを言い切った渥美さんの言葉は、修羅場をくぐってきた渥美さんの、 俳優という仕事に対する冷徹で厳しい目と、隠された自負をじわりと感じさせるものだった。 ■ 【媒介者としての寅次郎】 山田:あの…くだらない政治家とか、くだらない会社の社長とか、そういう人とは 寅さんはぜんぜん似合わないんですよね、もうひとつちゃんとした、自分の世界なり、 人間観なり、自分の思想を持った人と、寅さんとは似合うのねえ、 佐藤:ですから、諏訪ひょう一郎さん、志村喬さんが、『人間は自分の運命に逆らっちゃいけない』 って説教して、寅さんは感化される。寅さんはまた感化されやすいんですね。 山田:そうそう、寅さんて言うのはね、正しい意見をね、こうすぐに信じることができるっていうかな、 『君子豹変す』って言うけれども、そっちのほうが正しいと思ったらさっと切り替えられる、 こだわらないって言うか、自分の考え方にね、そういうのはよさじゃないのかな。 佐藤:それはある種我々にとっての理想でもありますよね。 そうかくありたいと。 山田:そうね、で、また、すぐ綺麗な女の人が来たら、それ捨ててそっち行っちゃうかもしれない。 だから、寅という人間の中に確固たる思想が築かれていくわけじゃない、一つの考え方が、こう 練られて行くわけじゃない、ただそういう誰かに聞いたことを、あーほんとだと思って すぐペラペラ柴又に返って来てみんなにしゃべる。 さくらや博たちは、その話を聞いてほんとにそうだと思ったりするわけですよ。なるほどと。 で、それは寅の考えじゃなくて、ただ、誰かの言葉をただ通訳して聞かせているだけで、 つまり『伝達』する、ある考え方なり、思想なり…それを『伝達』する役割を寅はしている。 だけど、伝達し終えたら、寅はそれ忘れちゃってるかもしれない。 でも確実に寅によって寅から聞いた博やさくらたちは、その言葉を胸の中に仕舞って、自分の 考え方の中にそれを含めていくことができる…。 だから寅は貯まらない、フフフ。すぐ流して行っちゃう、フフ。 佐藤:寅さんは『媒介者』である。 山田:『媒介者』、そうそうそう。 『寅は媒介者である』これは佐藤さんの名言だ。 ■ 【妹とという存在の微妙さ】 佐藤:さくらとの関係で、第8作「恋歌」で、やはり「一度はお兄ちゃんと交代して私のことを心配させてやりたいわ」 「こたつに入りながら今頃さくらはどうしてるのかなって、そう心配させてやりたいわ」 このセリフってさくらと寅さんの本質的な部分と思うんですよ。 山田:そうですね、そんなこと言いましたね…。 佐藤:山田監督の作品の中には兄妹(あにいもうと)というモチーフが多いんですがなぜ妹なんでしょう。 山田:ん、あの…、柳田邦男のねえ、著作の中に『妹の力』っていう有名な言葉があるけれども、 あの、日本人独特なのかもしれませんねえ、こう妹ってのはつまりいわばセックス抜きで 愛することができるっていうのかな…。だから妹を大事に思うって言うお兄ちゃんは 世の中にとっても多い気がしますねえ。 で、異性の場合はどうしてもそこにセックスという問題が付きまとうからごちゃごちゃしたり 最後はひどいことになったりする…、結婚したって、それはなかなか上手く行くもんじゃ ないですよね。やっぱり男と女の関係というのは複雑でごちゃごちゃしてしまう。 妹はもっとスッキリとした付き合いで愛することができる。 あの…、一種の、さくらと寅との関係は、きれいな男女関係だと僕は思っていますよ。 で、寅にとってさくらっていうのは、ま、一種の『宗教』みたいなもんで、 彼女を心配させてはいけないっていうのが一つの自分の生きる基準にしてるっていうかな 彼女はこの場合なんて言うのか、彼女がそういうことはダメよって言うことがらはしないっていうかな。 彼女がとってもいいことしたわねって言うようなことを自分はすればいいっていうかな。 まあ、そういう意味じゃ、さくらは寅にとって、まあ、聖母マリアのような、観音様のような、 そんな存在だったんじゃないでしょうかねえ。 まあ、ほんとにあの、さくらは基本的には『定住者』ですねえ、で、寅さんは『放浪者』で。 もしかして、長い人間の中で女性は定住者だったのかもしれない。 男はあっち行ったりこっち行ったり、餌を獲って帰ってきて、餌を与えるとまたどっか 行っちゃうというね。女性はそこで子供を産んで育てて、という…。 山田監督は、今回、この映画の隠し味である『妹の力』をはっきり言葉にされている。 これはこの映画を観続けていく上でとても重要な要素だと思う。 以上、この日のインタビュー部分の抜粋。 で、上映が終わって 佐藤さんなんと着物姿! 佐藤さんの挨拶があり、 山田監督のインタビューの補足があり、 そして、おもむろに・・・ 今日のサプライズゲストが突然発表されたのだ。 みなさん、驚きの声とともにかなりざわめく。 この日のサプライズゲストは 光本幸子さん 御前様の冬子お嬢さんだったのだ! まさに帝釈天の催しに最適の方。 佐藤さんがこの日の朝、なんと光本さんに突然電話され、お願いしたところ すぐに快諾してくださったそうだ。 私はもちろん光本さんは初めて観させていたのだが、 優しくて陽気で、でも おっとりゆっくり喋る方だった^^ 「男はつらいよ」に3回も出演されたことを中心に、 後にあの「隠し剣 鬼の爪」では見事な演技を見せられたことなどを 佐藤さんが紹介され、そのたびごとに光本さんは、その時々の思い出や感想、 山田監督とのちょっとしたエピソードなどを紹介してくださった。 私も、映画公開当時、スクリーンで彼女を観て、あの冬子お嬢さんなのか!と驚いた。 そして、それ以上に、あの伊勢屋のいじわるな姑役にしっかりはまっている演技には唸ってしまった。 ただたんに意地悪な感じを出していたのではなく、 きちんと店の女将としての威厳や品格、そしてそれでも隠しきれない強い業を 見事に表現されていたのには目を見張った。 あの映画の助演女優賞は私的には間違いなく光本幸子さんなのだ。あの演技は本物だ。 光本さんは、この日のトークで、 渥美さんとは実は・・・映画共演以前に、行きつけのお寿司屋さんで何度か知り合っていて 結構映画に出る以前から親しかったとおっしゃっていた。 そして、そうやって仲良くなってから本当に渥美さんが光本さんの舞台の芝居を 観に行ってくれたことがあるそうだ。 そういう仲だったんだね・・・。 そういうのって意外に映画の中ににじみ出るんだよなあ。 そして、 第7作「奮闘編」で再出演された時、だっこしていたあの赤ちゃんが 第46作「寅次郎の縁談」では、もう高校生になっていた!そらそーだ^^; この、第46作「寅次郎の縁談」で3度目の出演をされた時、 ちょうど光本さん自身にも高校生くらいのお嬢さんがいらっしゃったので 山田監督が同じような設定にされたことは印象深かったということだった。 あの冬子お嬢さんのさくらとの会話によって、笠さん亡きあとも、 御前様が今でもお元気で 帝釈天にいらっしゃることが暗示され続ける重要なシーンでもあったわけだ。 ほがらかな方で、今でも笑顔が素敵だった。 で、30分〜40分ほどの光本さんのトークの後、 今度は夕方6時にあわせて 鐘突き権 ジャンケン大会 ^^; ジャンケンで勝ち残った6人が夕方6時の源ちゃんが撞く鐘を自分の手で あの題経寺のハッピを着て撞けるという超ユニークな企画。 みなさん、大笑いしながらも結構真剣^^; で、勝ち残った方たちは、このように↓あの源ちゃんも着ていたハッピを着て鐘を撞いた。 私は二天門の前、つまり鐘の横に住んでいるのでわかるのだが、 帝釈天の鐘は時報と1秒の狂いもなく毎日撞かれている。 映画では源ちゃんは時々鐘を撞くのを遅れてしまっていたが、本当の鐘撞きは0,5秒すら遅れないのだ。 これはものすごいこと。 朝6時、昼12時、夕方6時 毎日決まって3度撞くが本当にぴったりに撞き始める。 そうそう、この大鐘楼の入り口↓は映画ロケで寅がいましたね^^ さて、ここで問題です。 この入り口↓で寅が立っていたのは第何作でしょうか? 答えは↓ ね^^ あのシーンですよ。とらやで大喧嘩した後の^^ この映像見ても第何作かわからない人は、ご自分で見つけてください^^; 話は戻って^^ みなさん上手に撞いておられました↓ このちょっとした、エアポケットの時間に、私のサイトを普段から見続けてくださっている方が 何人かご挨拶してくださり、私も驚くやら、嬉しいやらで、途中から鐘の音聴かないで すっかり話し込んでしまった。 特に吉川明さんとおっしゃる熱烈な寅さんファンの方は、 私のこの長ったらしい樹海サイトを隅々までしっかりご覧下さっていて 更新を毎回楽しみにしていただいているとのこと。 吉川明さんは、 「もし、コラム”寅次郎な日々”に万が一私のことを書かれるのであれば 『私は確かに寅さんファンですが、それ以上に吉川さんのサイトのファンです』 と、ちゃんと書いていただきたい。これは本当のことですから」と、はっきりおっしゃった。 いやもう恐縮至極です。はずかしいやら嬉しいやらで、これからの励みになります! ありがとうございます。 だいたい、私が吉川孝昭だから苗字がまず同じ! 私のインターネット上のSNS内でのハンドルネームが「彰」なのでそれも読み方は同じ! 名刺もいただいているので本当にこのお名前なのだ。 そしてなんと新婚当時彼と奥様は数年間富山県の高岡市に赴任されていたのだ! 私も棲家とアトリエが富山県! 「奇遇」とはこのことですね。とお互い感動しあった。 今年10月の「寅さん記念館」での私の絵画展に来てくださるということで、 これからも、この同じ苗字の吉川さんとはますますご縁が深まることは間違いないですねこれは(^^) また、昨年お世話になった方にも何人かお会いできた。 昨年の「寅さん記念館」での絵画展にお越しいただいた、 本格的な寅さんファンの栗原陽さんもその中のお一人。 栗原さんもちょうど、この鐘撞きから食事までのエアポケットの時に声をかけてくださったのだ。 彼は、何を隠そう、昔あの有名なカルトクイズ番組「カルトQ」の「寅さん」の回に出演され! なかなかの好成績で目立っていた方なのだ^^ 私のサイトもいつもしっかり見てくださっていて、ほんと恐縮((^^;ヾ 昨年は奥様の恵美さんと一緒に展覧会の会場に来てくださったことをよく覚えている。 そして今年、待望のお子さん(お譲ちゃん)がお生まれになったということ。 もうお子さんはかわいくてかわいくて・・!っていう感じだった。^^ 今年の10月の絵画展はお子さんと3人で来ていただけるということ^^ そして みなさん ちょっと休憩した後 映画上映会までの間、みなさんいよいよお待ちかねの^^; お弁当を食べた。 佐藤さんの乾杯の音頭に応える参加者のみなさん↓ お弁当のカバーもなかなか凝っていますよ。 「寅次郎子守唄」の京子さんとみんなが大笑いしているいいシーン^^ お弁当を作ったのは東銀座の東劇があるビルのレストラン。「ツキジキッチン」 なぜか・・・寅さんおみくじつき!。 またまた 問題です。 さてこれは↓第何作のセリフでしょうか?^^ 【ヒント】 ある揉め事があった直後ですよね。 それもタコ社長が悔しくて「チクショー、チクショー」って ある紙を破いて泣いてしまうほどの ちょっとシリアスな揉め事。 はい、また話もどって^^; お弁当休憩 開けてみると、「七夕」にちなんで「天の川」が卵で作られていた。 また、寅の大好きな「がんもどきの煮たの」も入っていた。 全体的になかなかボリュームがあった。 ここで、ようやくしばらくの間、超忙しかった佐藤さんも、お弁当を食べながら私たちと30分ほど歓談。 私のそばには、佐藤利明さん、そして美しい奥様、 友人の朝日新聞の小泉信一さん、寅さんタレント&ボランティアで有名な野口さん、 おなじみ私の親友の吉野ほつね君などなどがいた。 佐藤さんの奥様の心配りで、皆さんの近くに座らせていただき、 知らない人の中で食事がしにくい私はちょっと安心(((^^)ヾ みんなお馴染みの仲間なのでわりと普通に食事ができたのだった。 こう見えても私はかなり人見知りなのだが 小泉さんも野口さんもほつね君も、私の展覧会に2回も3回も来てくださっているので、 もうすっかり気心が知れているところが助かった。 食事中も小泉さんは、 今度の朝日新聞日曜版の首都圏版連載コラム「寅さんの伝言」に書くPC原稿を見せたり 今度、あの歌子ちゃんの友達のマリさん役をされた泉洋子さんにインタビューすることを知らせてくれたり、 相変わらず、朝日新聞の記者さんとは思えない永遠の寅さん大好き少年だった^^ そうそう、あのまるぽちゃの泉洋子さんといえば私にとっては、寅さん意外でも 「なんたって18歳」や「サインはV」などでも印象深い女優さんなので興味津々。 確かサインはVではそうとうな戦力だった気がするのだが・・・。 佐藤さんも小泉さんの原稿を見て興味津々^^ で、いっしょに来ていた親友のほつね君は、 ちょっとした合間にいつもノートや紙の裏に絵を描くんんだけれど 今回もアンケートをみんなで書く間に彼は裏に絵を描いていた^^ 今回は第9作「柴又慕情」なので、そこでの面白く楽しいシーンを 思い出して描いていたようだ。 これは、寅と登が歌子ちゃんたちが泊まっている宿(金沢の百山旅館)で大騒ぎして 彼女たちに大ひんしゅくをかってしまう一連のギャグシーン。↓ まあ、見てわかる通り、ほんと彼の絵はいい味がでている。^^↓ ほつね君が描いたのはこのシーン↓ 彼の心の中には今は「寅さん」がいっぱい。 さ、話は戻って その後、上映に先立って 佐藤さんの「柴又慕情」についての解説があった。 急遽、小泉さんも駆出されて、二人で「柴又慕情」のこと 吉永小百合さんとの思い出、 渥美さんが吉永さんに第9作の時に言われた言葉。 ラスト付近の帝釈天ロケのシーンで、あえて大船にわざわざ帝釈天のセットを作ったこと。 それほどまでに、あの夜のシーンはこの物語で重要だったこと。 などを上手に二人でキャッチボールしながら話されていた。 ちなみに渥美さんが吉永さんに言われた言葉は 「役者なんて定めのないもの。 先のことはわからない。 それに1ヶ月先のことは決めたくもない。 でも、そんな時、何かがふとわかるんですよ」 落ち着いて、時間を持って、自分をからっぽにしてみて、 そうしてはじめて見えてくる展望というものの存在を 当時の若く恋のことで悩んでいた吉永さんに言いたかったのかもしれない。 で、トークが終わって あとで、小泉さんに、「トーク上手でしたね〜」って言うと、 最近、ああいう司会やインタビューの仕事なんかも結構やらないといけないんで 上手になってきた。ってテレながらおっしゃっていた。 小泉さんは、一時期重い病気で苦しんでおられたが、 今は回復してバイタリティが戻ってきた感じだ。 この第9作はもう初期の野暮ったさはほとんどなくなっている作品だ。 マドンナには上記の通り、大スターだった吉永小百合さんを遂に起用。 渥美さんも珍しく吉永さん起用に自ら大いに乗り気で、スタッフ、キャスト全てが 地に足をつけながらも乗りに乗り始めたのがこのあたり。 本編を見ていても渥美さんは吉永さんとの共演が実に楽しそう。 吉永小百合がマドンナ! もうこれだけのことで画面が一気に活気付く感じがする。 実際、吉永さんは親との関係に少し問題のある薄幸の美しいお嬢さんを 集中力をもって生き生きと演じていた。 このようにスクリーンで華やいでいた吉永小百合さんを、 山田監督が放っておくはずもなく、 第13作「恋やつれ」で同一人物のマドンナ、つまり続篇として再登場してくるのである。 もっとも山田監督が後に語っていたところによると、 歌子ちゃんをもう一度(3回目の登場)させる案がかなり進んでいたようで、 大島の養護施設を辞めた歌子ちゃんが寅に再会することになっていたらしい。 これは実に、観たかった話だ!残念…。 この第9作は、物語の深さ、構成の力強さでは前作第8作にわずかに及ばないが、 若々しい風が映画の中を吹いていてそれまでの「男はつらいよ」にない「華」がある。 そういう意味ではとても観やすくテンポよく楽しめる人気作品ともいえる。 また、第8作後に亡くなられた森川信さんにかわり、 新しいおいちゃん役を松村達雄さんがこの第9作から演じている。 ところで 実は、 この作品は、私が人生を変えられた2つの名セリフが存在する。 ひとつはさくらたちのアパートで、歌子さんに博が言うセリフ。 歌子「あなたたちからみたら私なんて意気地がなくって迷ってばかりで…、 なんだかみっともないわねえ…」 博「いいじゃありませんか。 みっともなくたって。 それはあなたが優しい人だからですよ」 歌子さんは、ちょっと驚いて下を向く。 博の言葉の意味を受け止め、自分の中で吸収していく歌子さん。 ここに彼女の非凡さがある。 この博の言葉によって、歌子さんの人生は変わり、 そして映画を観ていた私の人生も変わって行ったのだ。 全48作品の博のセリフの中で私が最も感動し、心が震えた言葉だった。 人生を変えられてしまう言葉なんてそうそうはない。 この博の言葉が持つ意味は深く、 その思想はこのシリーズすべてに流れている。 そしてもうひとつ 物語終盤、さくらがどうしてまた旅に行っちゃうの?って聞いた時、 江戸川の土手にねっころがりながら寅が空を指差し言うセリフ 「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ」 これは、私の旅暮らしの心を代弁してくれる永遠の言葉だ。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年7月10日 寅次郎な日々 その524 第19作寅の啖呵バイ.大船1丁目探索記(後編) いざ鎌倉! ついに解明!看板のなぞ。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年7月3日 寅次郎な日々 その523 処女峰登頂 第19作寅の啖呵バイ場所は大船だった!(前編) 2つの場所のどっちだ!?? ロケ地探訪の中で、寅の啖呵バイがあった場所は、第一に行ってみたい場所だ。 特にその時のマドンナや物語と絡ませたり ユニークなオリジナル口上が入った時には、その啖呵バイは 印象深いものとなり、その作品の奥行きとなって行く。 それゆえ、寅の啖呵バイの場所はこの48作品の中でもうほとんど解明が終わっている。 しかし、どうしても解明できない場所もまだ残ってはいるのだ。 今回解明した第19作「寅次郎と殿様」のぬいぐるみのバイもその数少ない場所のひとつ。 マドンナの 堤鞠子さんの話題を口上に入れながら 四国で婿養子となる夢物語を進めていくのだ。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年6月22日 寅次郎な日々 その522 処女峰登頂 泉ちゃんの叔母さん宅 裏庭と濠
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年6月13日 寅次郎な日々 その521 夏子さんと歩く京都市毘沙門町 完全制覇物語 京都市安井毘沙門町 といえば、京都では言わずと知れたラブホ街 今風で言うと「ファッションホテル」、「ブティックホテル」街だ^^; 第2作「続男はつらいよ」では、 その町に寅の産みの母親菊さんは住んでいた。 というわけで、 日本の場合は法律の関係でこの手のホテルは あるエリアに密集する事が多い。 もういかにも「このへんどすえ・・」という感じの街並みになってしまう。^^; 京都市も例外ではない。 まあ、逆に言うと、そのようなラブラブな街並みゆえ、 ほとんどどの雑誌も本もネットも 誰も遠慮してか取材して書かないもんで、じゃあ私が書こうということで・・・((^^;) ちょっと毘沙門町付近をぐるぐるストリートビューで調べてみた。 まあ、場所がしっかり限定されるせいで、さほど時間はかからなかったが ピンポイントがちょっと迷いまして・・・ 「サンデーブランチ」が映画で映っていた旧グランドホテルだとは思うんだが・・・。 さすがにこればっかりは 電話でお聞きするわけにも行かないし、 客のふりをして部屋まで入って 「鏡お好きどすか」とか 「バイブレーションベッド」の説明をされてもとまどうし・・(((^^;) なかなか決めかねていたんだが 先日から急激に親しくなった京都市にお住まいの「さすらいのサラリーマンこと寅増さん」に 思い切ってメールでお聞きしてみたところ 数年前にこの場所は彼もロケ地探訪で行かれてまして お写真も撮られていた。 ただ、場所が場所だけに((^^; 聞き込み調査や写真撮りまくりや 長い時間とどまるのはためらわれたようで 彼もピンポイントは難しいようでしたが・・・ 二人でああでもない、こうでもないと 何度かメールのやり取りをして、最初に僕があたりをつけた 「サンデーブランチ」の場所でOKだということになった。 ちなみにこのホテル、HPもあり、見てみるとなかなか評判はいいようだ(^^) 京都市東山区毘沙門町44−48 電柱は今も昔もほとんどその位置が変わっていない。 最後の最後は、このたくさんの電柱の位置と向こうに見える松との距離がポイントだった。 そんなに松から遠くはないだろうと。 つまり、松から一つ目の四つ角そばの大きなホテル。 これで決定! m 注意:このあたりのロケ地めぐりでのお写真は特にマナーに十分気をつけてくださいね^^ それ以外でも 映画で、ホテルにたどり着く前に寅と夏子さんがうろうろしていた 大きな通り角(お寺の塀が見える大きな通り) のロケ地もピンポイントで探した。 お寺さんが左右にある大きな通り。 実はこの長い横線のある塀は結構有名で。 あの「建仁寺」の塀なのだ。 手前のほうの塀は大中院。 毘沙門町付近だということが決まっているので、 地道に見て行くと何とか見つかった。↓ 京都府京都市東山区小松町560あたり 建仁寺の塀と大中院の間を抜ける大通り。 花見小路通り この花見小路通りのロケ地も 上記の「さすらいのサラリーマンこと寅増さん」(京都市在住)からの 実際に現地に行かれた生写真情報でも再確認し、最終決定した。 で、そのあとも夏子さんと寅はこのあたりをうろうろする。 この通りから南に歩いて行くと やがて毘沙門町のラブホ街にたどり着く。 さて、その次のシーン。 夏子さんがおすみさんにグランドホテルの場所を聞く あの道端の祠がある細い道だが、 これは意外になかなか特定できなかった。 それでホテルから方角を逆算して地道にホテルの西の方角に 焦点を絞って見て行った。 「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」はこの祠があった場所が 現地調査ではまったく分からなかったとおっしゃっておられた。 で、ストリートビューを使ってゆっくり探していく。 さすがにちょっと手間取ったがそれでも30分ほどグルグルしていると なんか似た家があった。 とはいえ、 スクリーンに映っている「うなぎ屋」さんらしき建物、 外壁も新しくしてあったり40年の歳月はやはり 厳しいものがある。 と、いうわけで、 イマイチここかどうかはなかなか難しい。 でもまあ、ほかに候補地が見当らないので ここかなあ〜〜・・・とついつい確認バイアス的に思ってしまう。 でも、ここだ!っていう匂いはしないんだよね、 このペンション祇園の横のうなぎ屋さん。 こういう時はたぶん違う・・・ 数日後、「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」がお昼休みを利用して この現場に足を運んでくださった。 どうもそのうなぎ屋の近くに似た場所があると報告してくださったのだ。 あのうなぎ屋らしき店が映る直前のシーンで 夏子さんの遠く背後に見える屋根と大きな樹木がそっくりだと。 その報告を受けて すぐに私もストリートビューで、見比べてみる。 夏子さんの向こうに見える大きな樹木。 そして、電柱との位置関係。 可能性はかなり高い・・・・ 左側の建物の壁は新しくはなっているが、 その様式は今も同じ。 夏子さんがお澄さんに道を聞く直前&直後の場所はここ↓ 京都市東山区小松町563 付近 左のこの大きな建物は 旧「中村甲刀修史館」 現在は「井伊美術館」という名前。 だからこの「井伊美術館」が目印になるので、 今後はみなさんとてもロケ地巡りしやすいです(^^) そして、最後の難関の場所↓ もう一度映画に戻って分析してみた。 祠に花を供え、お祈りしている年配の女性(お澄さん)に道を聞く。 下の4枚の画像を見ていただきたい。 雨どい、電線の白い陶器の止め具、水色ポスター、外壁の木・・・ これらのシーンはすべて同じ場所で撮影されていることがわかる。 上の画像で示したとおり、@はもうすでに場所が確定した。 ということは、あの祠の位置や電柱の位置も自ずとわかってしまうのである。 結局ここに映っていた路地は、 例のうなぎ屋のもうひとつ横の(東の)筋だったのだ。 そしてあのような建物たちはあとかたもなく住宅に変わっていた。 下の地図参照 で、見てみると・・・ あの祠はこの場所にはもうない。その横の旅館もない。 あるのは電柱のみ。 この電柱は何でも知っている! 現在は電柱の向かって右横には「小多福」とういう甘味処ができている。 ・・・っていうか、この祠の土台石組の形をとってはいるが 石じゃないな。よくてセメント。下手したらスタッフさんが作った張りぼてかも。 祠がなくなるってのはそんなに聞いた事ないし、今はここはごみ置き場になっているのを 考えるとやはり…映画用の張りぼて土台の可能性は捨てきれない・・ 下の地図でまとめてみよう。↓ 赤で囲った場所が夏子さんの背後に見えていた路地。 黄緑が遠くに大きな樹木が見える井伊美術館の道。 ピンクが祠と電柱があった場所。 水色が、最初私が見違えていたうなぎ屋さん。 赤い矢印は夏子さんの背後に映っていたあの路地とカメラの方角 もう今やこの風景の面影はご覧のとおり残されていない。 東にあるホテル「サンデーブランチ」まですぐの場所だ。 つまり山田組のスタッフさんたちは ホテルからそんな遠くで別取りしていたわけじゃないことがよくわかる。 まとめるとこうなる。↓ カメラの位置と方向↓ 赤が夏子さんがおすみさんに質問する直前 黄緑が夏子さんがまさに質問している瞬間 青がおすみさんがそれに答え案内しようとするシーン 黄色が電柱 ピンクが祠 紫が現在の「井伊美術館」 で、全部ひっくるめて 今回のロケ地を赤線で囲んでみた。↓ 黄色は電柱 ピンクは祠 Aはお菊さんが経営する「旧グランドホテル」 はい!これで全部^^ こうして「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」と私のコラボで 夏子さんと寅の毘沙門町の全ロケ地が解明されたのだった。 ああ・・・それにしても、あの祠はなぜ移動してしまったのか・・。 あの祠のあった路地をストリートビューで南に歩いていくと数分で行き止まりになるが その突き当たりに同じではないが似たような祠が存在したが… あれがひょっとして移動した後の現在の祠かもしれない。 この一連のシーンは、マドンナの夏子さんが寅のことを思い、 親身になって、ホテルにいる産みの母親を探してやるという物語だ。 この長い長いシリーズの中で、多くのマドンナと呼ばれる女性が登場したが、 寅の人生に介入し、寅のことを心底心配した女性は、第48作のリリーは例外として、 他に、夏子さん以外にいただろうか。私には夏子さんしか思い出せない。 だから、寅が夏子さんと歩いたこの道のりは、寅にとっては忘れられない道のりだったと思うし 私にとってはなんとしても見つけたい場所だったのだ。 このシリーズで、マドンナという名に真にふさわしいのは夏子さんだけだと今も私は思っている。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2012年5月25日 寅次郎な日々 その520 川井みどりさんとめぐる新緑の柴又 5月21日は朝7時に起きて、帝釈天の上空で なんとか金環日食を見ること&撮影ができたので幸先がよかったが お昼からはもっといいことが待っていた^^/ 今日は三崎千恵子さんの百か日。 それで三崎さんと特に親しかった あの山田組の常連キャスト 「川井みどり」さんにお誘いを受け、 三崎さんの供養の意味もこめて いろいろ三崎さんや撮影のことなど、お話のやりとりをさせていただいた。 川井さんは「男はつらいよ」だけでも20作品以上出演されている。 「幸福の黄色いハンカチ」では桃井かおりさんと絡み長いやり取りのシーンがある。 「学校」でも教師役で存在感を見せられている。 「ダウンタウンヒーローズ」「キネマの天地」「息子」など、山田監督の代表作で出演されている。 かつて、川井みどりさんのことは私もこのコラムで何度も書いてきた。↓ http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#502 謎の女優 川井みどりさん ついに解明! http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#515 三崎千恵子さんと川井みどりさん http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#518 川井みどりさんを「私の寅さん」でさがせ! 高木屋さんの、 渥美さんと山田組の主なメンバーしか座れない あの「予約席」で 草だんごやおでんを食べながら ゆっくりお話に参加させていただいた。 幸福の黄色いハンカチで桃井かおりさんと絡むシーンの川井みどりさん この「幸福の黄色いハンカチ」ではかなりセリフも長く、大きな存在感を見せておられた。 あ、そうそう先日「キネマの天地」を見ていたら 田中健さんと親しい女優さんの役でしっかりなんども映っておられた。 キネマの天地では田中健さん(井川)の女友達の役。 最初は田中健さんに連れられて小春と一緒に飲んだりしていたが… 田中小春に先を越されて、小春に嫉妬する役どころでもあった。 第33作夜霧にむせぶ寅次郎で渥美さんと絡むシーンの川井みどりさん。 この日の待ち合わせは高木屋さん。 今でも亡き渥美さんのためにいつも「予約席」になっている渥美さんがいつも休憩していたテーブルで食事&歓談。 手前で黒い服を着ていらっしゃるのが川井さん、その後ろは由夏さん、、私の後ろは蒲原さん。 川井みどりさんと一緒に来られたのは 生前の三崎千恵子さんと本当に親しくしていた方たち(由夏さんと蒲原さん)。 蒲原さんと川井さんは特に三崎さんの最期を見とられたほど深い絆で結ばれた方々。 由夏さんも三崎さんと彼女のお母さんがかなり親しい友人だったこともあって、 生前の三崎さんには家族ぐるみでいつもお世話になっていらっしゃったということだった。 高木屋さんでは、おでんやお団子を食べながら みなさんの三崎千恵子さんとの繋がりをお聞きした。 蒲原さんは、ただただ三崎さんの着付けのお弟子さんだったのだが、 それゆえ最初の数年は三崎さんがそんな有名な女優さんだと知らないで 自分の自宅が三崎さんと同じ鎌倉だったので教えてもらいに通っていたそうだ。 そんなはじまりもあるんですねえ・・・。ある意味面白い。 川井さんも源ちゃんの女友達として 第20作に出演した時に、三崎さんから声をかけられ、 自分の家にこのシーンにもっとよく似合う衣装があるから持ってきてあげるといって、 収録中にも関わらず、車で家まで戻って衣装を取りに行ってくださったのが親しくなったきっかけ。 ちょうど三崎さんの追悼の記事が 今月の読売新聞夕刊(5月12日(土))の 「追悼抄」の欄に写真入で大きく載ったんです」と言われた。 その中で川井さんがこのエピソードを おっしゃってたということ。 川井さんが、映画撮影でのちょっとした思い出を話されるたびに 私がその当該作品の詳細な内容や役者さんなどの 寅ネタを補足するので 三人とも「えー!凄い」っていつも驚愕されていた。^^; 蒲原さんもしきりにおっしゃっていたが、 三崎さんはほんとうにムーランルージュでの 修羅場体験とご主人の宮阪さんとの二人三脚の思い出がずっと財産だったらしい。 役者として舞台という厳しい場所でもまれ、かつ、 経営側の会計として、座長の奥さんとして体を張った生き方をし、 舞台役者と経営という2つの役目を同時にしてきたのだ。 ムーランの地方講演などの時は、 地元の怖い興行師たちとの交渉も男の人たちに頼まず 三崎さんが一人交渉にのぞむことも多かったという。 そのくせ、巣鴨のやっちゃばで育った気質で、 人にはめっぽう親切で、そこまでするか、というくらい「おせっかい」と誤解されるくらい 全身でお世話してあげる人だったようだ。 そのような豊穣な愛情は寅そっくりだし、やっぱり「車つね」さんそのものだ。 それで川井さんも由夏さんのお母さんも、由夏さんも、 着付けの一番のお弟子さんだった蒲原さんも 三崎さんの生き様や気質は自分たちの人生の大きな羅針盤になっていったようだった。 その後、夜になって隣町の金町中央図書館でその読売新聞夕刊の記事を読み、 コピーしてきた。なかなか味わい深いいい記事だった。↓ 高木屋さんでお団子とおでんをちょいとつまんで1時間ほど歓談して 「さあ、前菜は終わりで、しっかり今からお昼食べましょ」 ということになり、高木屋さんをおいとました。 で、自分の食べた分を支払おうとすると、高木屋さんは、 前々から若女将さんと親しい川井さんの顔を立てて みんなのぶんをごちそうしてくださった。 いや〜〜、川井さん達はともかく 僕までもごちそうになってしまって恐縮でした。 おまけにあの「予約席」で歓談できたなんて! 店を出ると川井さんが鎌倉名物「鳩サブレ」の 大きな詰め合わせを お土産にと僕にくださった。 いや〜〜〜〜、これはまたまた恐縮です。 僕はすぐに 「これはまるで、あの第○○作に出てくる シーンじゃないですか! 「鳩サブレ」を柴又のとらや(くるまや)で さくらがお土産として手渡されるシーンがあるんですよ。 そしてその夜にちゃんと寅の部屋に 箱から出したこの「鳩サブレ」がお菓子入れに置いてある んですよ。」 と言いましたら、「へー!そうなんですか!」と、 みなさん大いに驚いて喜んでくれました。 こういうのって なんか嬉しい^^ さて、問題です。 「鳩サブレ」が出てくるのは第何作でしょうか?^^ で、高木屋さんを出て、すぐ近くの大和家さんにそのまんまみんなで突入。 大和家さんたちとは僕もお馴染みさんなので大旦那さんと大女将さんに挨拶して、 みんなで天丼をおいしくいただいた。 今回は、私も含めて今みんなダイエットしてるので ごはんは小盛にしてもらった。 川井さんは、この大和家さんも、ロケの撮影時などによく食べたそうだ。 大和家さんでも会話は弾んでいく。 ↓ 川井さんは、結婚される時、 渥美さんにそのことをちょっと洩らしたら、 渥美さんは、「みどりちゃん、ヤクシャというのはヤクザだからね・・・結婚なんか滅多にはうまくいきやしないよ。」 って助言をくれたそうだ。 また、川井さんが体調悪い時でも、スタッフや周りの人より渥美さんがいつも気付いてくれて、 ちょっと声をかけてくれたそうだ。 現場では川井さんは「みどりちゃん」と呼ばれていたということ。 あ、そうそう由夏さんは、 若い頃実はずっと舞台のお芝居をしていたんだけれど、 そのころに「男はつらいよ」でチラッと出た事があるそう!。 その後ハワイにご主人と一緒にお店を出し、20年も滞在し、 今は実業家として日本で、ある小さな会社の取締役をされている。 上にも書いたように由夏さんのお母様と 三崎さんが親しいお友達だったので家族ぐるみのお付き合いだったようだ。 ところで・・・ 川井さんは、寅さんに第12作、第20作と出た後 しばらく出なかったのだけれども、 その間は役者から距離を置いてアメリカのロスアンゼルスで ご主人と暮らしておられたのだ。 でもご主人はなんとアメリカで亡くなられてしまった・・・ その後、また日本で活動されるようになって、 「男はつらいよ」にも出られるようになったのだけれども、 ずっと山田組に出続ける事に迷いと躊躇があったそうだ。 なぜなら、山田組に深く関わると、 ほんとうに役者という仕事の 厳しさと充実が病み付きになってしまって、 抜け出れなくなると思ったらしいのだ。 それほどまでも山田監督の要求は厳しくて それはもう毎回毎回怒られっぱなしだったということ。 たぶん、メインの役者ではない目立たない自分が このまま役者の世界にのめりこんでしまう危うさを 自分で恐れていらっしゃったのだと思った。 それはとても分かる気がする。 川井さんの芝居のうまさがわかっている私は 「山田監督は演技にはとても厳しい人だから 役者さんに素質があると思わないと 絶対にこんなに使い続けないんですよ。 川井さんはかなり認められていたと思います。 そうでないと渥美さんと直接セリフで絡ませたりしませんよ」 と彼女に言った。 映画現場の人間でない私がそんなことを言うのは とても僭越なのは百も承知でそう言った。 そして、川井さんはちょっとうなずいてくれたような気がした。 で、寅さんに立て続けに出ている間に、ある時三崎さんのマネージャーさんが 家の事情で辞められてしまったことがあって、、 しばらくのあいだちょっと撮影現場で自分のお世話をして欲しいと三崎さんに言われて いろいろ役者兼付き人のような形でお手伝いをされたそうだ。 そして、新たにご縁があって 再婚もされた。 そしてそれ以来いつも三崎さんとプライベートでも 付き合うようになっていったということだ。 三崎さんの最期のことも少しお聞きした。 川井さんと蒲原さんが三崎さんのお嬢さんたちと 一緒に三崎さんの最期を見取ったのだが、 あの2月13日も お昼まで川井さんは病室にいらっしゃって、 お医者さんは「ここ数日ですね・・」って おっしゃってたようで 一応家に戻られたが、なんとなく胸騒ぎがして 夕方にもう一度病室に行かれたら、 ちょっとシリアスな状況になって行ったのだそうだ。 ずっと三崎さんと40年も行動を共にされていた蒲原さんも お嬢さんにすぐ呼ばれて病室に行かれて 何とか間に合った。 お二人でこん睡状態に入られた三崎さんのそばで お名前を何度か呼ばれたら 奇跡が起こって なんと一度だけ眼をうっすら開けられてみなさんのほうを見られたそうだ。 そんなこともあるんですね・・・ そう語られる川井さんや蒲原さんは 目を潤ませていらっしゃった。 あ、そうそう 時々、山田監督も三崎さんの家で お昼を食べられることもあったそうだ。 みなさんが覚えていらっしゃるところでは、 第29作「あじさいの恋」の脚本執筆中に鎌倉の三崎さんの家に山田監督たちが来られて 「三崎さん・・・鎌倉ロケ、どのあたりがいいかなあ・・いいとこありますか?」 なんて話もされていたとか・・・いい話だなあ・・・ 驚いたことに蒲原さんは、十年間以上、大船ロケの時は 三崎さんと一緒に山田監督にお弁当を作って持って行ってあげていたそうだ。 大船での撮影は何日も続くことは当たり前の山田組だから、 ほんとうに何度も何度もお弁当を 持って行かれたということだ(味噌汁お茶つけて!) 蒲原さんは着付けのお弟子さんなので 上にも書いたように、映画にはそんなに最初は興味がなかったのだが、 ご縁が深くなって撮影所に三崎さんとともに一緒に通われるようになったそうだ。 さてこのようなまじめでシビアな話はここまで。 このあとはのんびりと帝釈天にお参りして 寅さん記念館で遊んで、 江戸川土手の風に吹かれましょう ということで 大和家さんをおいとまし、 帝釈天にお参りに行く事にした。 店の前で大和家の若奥さんに写真を撮ってもらった。 お土産にいただいた「鳩サブレ」目だってますね^^ 帝釈天は川井さん10年ぶりだそうだ。 どこもかも懐かしい・・・って感じだった。 帝釈堂の中に入って、お堂の中に正座してお参りした。 ちゃんとろうそくも立てて 三崎さんの百か日のためにお祈りした。 そのあと川井さん達は三崎さんのご家族の方から 預かってきたお供えものを 帝釈天のお坊さんに渡し、帝釈天をあとにした。 かつて三崎さんが寄付された帝釈天の石の塀の前で。 みなさん一緒に^^。↓ さてさて次は「寅さん記念館」 記念館にいくまでに、普通の道じゃ面白くないんで、 「山本亭」の庭を通って記念館に入った。 入場券を買って中に入ると 入り口に山田組スタッフさんの等身大写真がズラーッと並んでいるのを見て 懐かしい知人のお名前を連発されていた! 「あ!青木さんだ!(照明)」 「ああ!鈴木さんだ!(録音)」 などなど、スタッフさんとも深いつながりだったことがうかがい知れる反応だった。 大船から持ってきたとらやのセットもみなさん大喜びで、 この貼付した写真は団子を蒸す部屋を指差して、 「ここの作業部屋はこんな綺麗にセットしてなかったわよね〜」って 笑っておられた。 茶の間に設置されたスクリーンに映し出される 寅のギャグシーンの数々にみなさん大笑い。 さすがにずっとスクリーンに見入られていた。 私は、記念館で一番の寅さんファンである職員の中村さんと 村上館長さんに川井さんを紹介した。 勢いに任せて 記念館ために色紙にサインしていただいた。 その後記念館をおいとまして 土手に上がり、みんなでしばらく渡し舟を遠くで眺めながら風に吹かれた。 その後、また帝釈天に戻り、境内を歩き、 二天門の見事な彫刻群を見られて 高木屋さんでお土産を買われ、 柴又駅前で記念に宝くじもチョロット買われ^^;。 そして、最後は、みなさん帝釈天の駐車場に戻られ、 そこでお別れをした。 川井さんもお友達も、みなさん人生の達人で、とても優しくて、 ソシテ、みなさん大人なので僕に気を遣わせないで、 まったりゆったりいい時間を過ごさせていただいた。 川井さん、由夏さん、蒲原さん、いろいろ勉強になりました。 ありがとうございました。
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