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寅次郎な日々
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(ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
『男はつらいよ』と干し柿を作る日々(2009年11月14日)
満月に聳える冠雪の峰(2009年11月4日)
アリゾナに旅していた寅次郎(2009年10月15日)
贅沢な男 車寅次郎(2009年10月3日)
マドンナを追いかける寅 新マウスポインター(2009年9月23日)
天賦の才 その世界観(2009年9月14日)
兄と妹 胡弓弾きの涙(2009年9月5日)
リアルな演技とは何か(2009年8月27日)
満男と菜穂ちゃんの将来に幸あれ(2009年8月18日)
悲しみの向こうに咲く花 大原麗子さん(2009年8月7日)
車寅次郎 拝 寅からの暑中見舞い(2009年8月6日)
違う部屋なのに同じ部屋?(2009年8月4日)
夫婦になれなきゃ首くくる!(2009年7月26日)
砂漠での一杯の清水 (2009年7月14日)
ロケ地発見への道 「純情詩集」 信州 塩田平 寅の啖呵バイ(2009年7月3日)
今昔物語集と紫陽花の花(2009年6月26日)
劒岳 点の記(2009年6月18日)
執念の探索 寅の啖呵バイ ロケ地 『成田山横浜別院』(2009年6月13日)
冬子さんを殴ってしまう御前様(2009年6月4日)
お風呂で歌を歌うさくら(2009年5月22日)
NHK 『渥美清の”寅さん勤続25年』(2009年5月10日)
寅の背中を流してあげるすみれちゃん(2009年5月3日)
結婚前に満男が生まれてた!?(2009年4月25日)
とらや一同の隠された意識(2009年4月20日)
親を選べない子供たち(2009年4月14日)
『遥かなる山の呼び声』 もうひとつの黄色いハンカチ (2009年4月4日)
ニュピの日に観る『幸福の黄色いハンカチ』(2009年3月27日)
タバコと『男はつらいよ』(2009年3月22日)
バンコクで再会した『寅さん大全』(2009年3月15日)
知られざる山田洋次監督(2009年3月1日)
マンゴケーキと『男はつらいよ』(2009年2月15日)
自分の業をマドンナに吐露する寅(2009年2月7日)
正月、諏訪家に集うおいちゃんおばちゃん(2009年1月26日)
男はつらいよ 全作品書簡集(2009年1月9日)
寅からの年賀状(2009年1月2日)
『乙女の祈り』の中のエゾエンゴサク(2008年12月20日)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『男はつらいよ』と干し柿を作る日々 2009年11月14日 寅次郎な日々 その420 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 日本を出発する日が2日後に近づいている。 今回は一度バリに戻って、仕事の種をまいて、 12月中旬に義父の四十九日のため、また富山に戻り、数週間滞在した後 またバリに帰って、今度は4月末までバリに滞在する予定。 ちょっと忙しいが、これは仕方がないこと。どちらも手を抜くことはできない。 葬儀の後のごたごたしたあらゆる後片付けと諸手続きの合間をぬって山々を淡彩スケッチ。 立冬も過ぎ、霜月半ばの越中富山はかなり寒くなってきた。 もう15年間もこの寒さは体験していないのでそうとうきつい。 しかし、空は高く空気はますます澄んで山はくっきり見えるし、 風が透明で息が白くなんとも気持ちがいい!とも言える。 越中八尾の自宅から義父の家までは車で40分。 諸手続きのため、毎日通っている。 四日前と三日前、息子と二人で義父が残した柿を取った。 取った実はみんな干し柿にする。 今年は沢山柿が実る年に当たっていたので大変だった。 百数十個取った時点で一応止めた。残りは鳥たちにやろう。 義父の供養も込めてたっぷり食べてやろうと思うが、 この量ではさすがに家族だけでは食べきれないからご近所さんに配って…、 それでもちょっと余りそう。 もちろんそのまま食べると渋が残る。 一昨日と昨日、義母、連れ合い、息子で皮をむき、麻布でひとつひとつくくってベランダに干す。 早くできないかな…。 ま、義父の四十九日にまたバリから富山に一旦数週間ほど帰ってくるので、 その時たっぷり食べれるだろう。 ところで 『男はつらいよ』でも寅や満男たちが柿を食べるシーンや柿をむくシーンがある。 とりあえず思い浮かぶシーンは下の↓作品たち。 ■第8作「寅次郎恋歌」 ラスト、甲斐の国、甲斐駒ケ岳が美しく見える北杜市の田舎道、 農家でもらった柿を食べながら歩く寅。 そっと道ばたの地蔵さんに柿を置く、その姿がまさに旅人の背中だった。 柿と言えばまずこのシーンが真っ先に思い浮かぶ。 まさに日本映画史上に輝く名シーンだった。 ■第10作「寅次郎夢枕」 夢から覚めた寅は、信州塩尻の日出塩駅で朝を迎える。 大きく伸びをして目の前にある柿の実をもいで一口かじるが、 なんと渋柿だったのだ。 プハーッ!と吐き出す寅。タイトルイン。 ■13作「寅次郎恋歌」 これは、柿そのものは出てこないが、余命いくばくもない歌子ちゃんのご主人が、 その人生の最期に、実家の庭にある甘い柿の実が色づいたら一番に歌子ちゃんに食べさせてやりたい と語りながら死んでいったという歌子ちゃんによる津和野川べりでの話がしんみり切なかった。 ■第20作「寅次郎頑張れ!」 これは第8作「恋歌」のラストのアレンジヴァージョン。 同じように農家で柿をもらって、道端の石像にお供えする。 第8作と同様、その直後に坂東鶴八郎大空小百合父娘たちと出会うのだ。 ■第22作「噂の寅次郎」 水野早苗さんが柿をむき、寅が↓のようにその細く美しい手を眺めている(^^;) この直後、なんと早苗さんは果物ナイフで手を切り、血を出す。 思わず寅は彼女の指を手にとって眺めるのだった。 ■第25作「寅次郎ハイビスカスの花」 戦後まもなく、お腹を常にすかせていた幼少期のさくらに寅がいろんなものを盗んで 食べさせてやる話が出てくる。 さくら「憶えてるわよ、よくお兄ちゃんがさ、柿とかお芋の干したの盗んで来て 食べさせてくれたわ」 短い話だが、なんだかとても印象に残っている。 ■第28作「寅次郎紙風船」 久留米水天宮でのバイを終え、数日後 寅と愛子は、福岡県 朝倉市 三連水車横のわら束の上に座っている。 寅は光枝さんのことを密かに考えているようだ。 愛子は積みわらの上で柿を食べながらそのことを見抜いている。 ■第42作「ぼくの伯父さん」 泉ちゃんを励ますためにわざわざ東京から佐賀までバイクでやって来た満男。 二人は泉ママの故郷を訪ねる。 富士町東畑瀬の田舎道で三角飛びをして取った柿を持ちながらおどける二人。 青春の甘い香りが漂うちょっといいシーンだった。 ■第47作「拝啓車寅次郎様」 菜穂ちゃんといい仲になった満男は渋柿に当たらないように菜穂ちゃんに選んでもらう。 で、食べてみるとやっぱり渋柿だった…。ああ。。。満男(TT) 菜穂ちゃんいい加減…(^^;)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 満月に聳える冠雪の峰 2009年11月4日 寅次郎な日々 その419 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 『男はつらいよ』は喜劇だが、人と人との絆、憎愛、運命、 そして人間の生き死にに関わる厳しい世界も時にはさりげなく、時には激烈に見せてくれる映画だ。 特に人の生き死に関わるシーンが意外に多いのが特徴だ。 これは山田監督の人生観と深く繋がっているのだろう。 今ちょっと思い出すところでは 第2作「続男はつらいよ」での散歩先生の死と慟哭する寅の姿。 人と人との絆とはこういうものかと思い知らされた秀逸な場面だった。 第5作「望郷編」では北海道の政吉親分の哀れな最期が映し出される。この作品は前半部分は 「死」の匂いが付きまとっていることに気づかれる方も多い。 弾けるようなハイテンポのこの第5作に隠されたこれらの含みは作品を懐の深いものにしている。 第8作「寅次郎恋歌」では博の母親の死を強烈に嘆き悲しむ博が映し出される。 父親のエゴ、兄弟のエゴ、そして博のエゴ。 博は父親や兄弟をなじるが、実は母親に何も出来なかった自分自身をなじっているのである。 第18作「純情詩集」ではこのシリーズで最も悲しい綾さんの言葉「人間はなぜ死ぬんでしょうね」 という永遠の問いかけが行われる。 もし、このシリーズで最も切ない場面を問われればこのシーンかもしれない。 第22作「噂の寅次郎」ではこの世の無常を美しい妻の死にかぶせた今昔物語集の説話が盛り込まれる。 志村喬さんの唯一無二の重厚な演技が印象深い静かなシーンだった。 第27作「浪花の恋の寅次郎」では強い姉と弟の絆が、弟の死によって引き裂かれて行く 過程が映し出される。 あまりにも若い弟さんの死が、この作品をやるせない無常観漂うものにしている。 恋人の信子さんの初々しさが痛々しくもあり、しかし救われもした。 「忘れるということはいいことだな…」とつぶやいた寅の言葉を私は生涯忘れないだろう。 第28作「寅次郎紙風船」では余命が残り少ないカラスの常こと、常三郎を見舞いに行った寅は、 その秋月の自宅の壁に北原白秋の「帰去来」の詩の張り紙を見つける。 そこには20年以上も帰りたくても帰れない人生を背負った 白秋の切実な望郷の念に託した常三郎の故郷への想いが溢れていた。 帰去来 山門は我が産土、雲騰る南風のまほら、飛ばまし、今一度。 筑紫よかく呼ばへば、恋ほしよ潮の落差、火照沁む夕日の潟。 盲ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、また葦かび、籠飼や水かげろふ。 帰らなむ、いざ鵲、かの空や櫨のたむろ、待つらむぞ今一度。 故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。 第35作「寅次郎恋愛塾」では五島の青砂ヶ浦で老婆の臨終に立会う寅とポンシュウの姿があった。 翌朝、寅とポンシュウは老婆の墓穴を掘ってやるのだった。 ヘトヘトに疲れた後、近所の人が作ってくれたおにぎりや漬物を食べる。 二人とも実に美味そうに食べていた。 中身はおそらくただのおにぎりなのに、人のために無償で一生懸命肉体を使った労働をした後、 緑が多い眺めのいい場所で風に吹かれながら食べたせいかもしれない。 何気ないシーンだが、私にとっては印象深い言葉の連続だった。 このように、この映画シリーズはげらげら笑うだけではすまされない要素が多い。 死の影が常に付きまとっているのである。 しかしそれでいて、それらの死の影が、物語全体の笑いやおかしみの邪魔をしていないところが 山田監督の山田監督たるところなのだろう。 悲しい物語を作ることは実はたやすいし、笑いの多い面白い物語を作ることもそう難しくはない。 しかし『おもろうてやがて悲しき…』は至難の業で、 かつ、その中にこそ人間社会の真実が潜んでいるのである。 先日の10月30日、富山県は暖かく見事な快晴だった。 午前9時45分 義父はみんなに見守られ息を引き取った。 入院してから一ヶ月だった。 義母にとっても、連れ合いや私や息子にとっても 人生で最も長い一ヶ月のひとつだった気がする。 そして昨日11月3日 彼が愛してやまなかった立山連峰が大きく雪をかぶった。 文化の日の午前中曇りがちだった空は、 夕方全ての雲が吹き飛び、赤紫に染まる見事な冠雪の峰が目の前に現れた。 大窓、池平山、小窓、三の窓、劒岳、前劒、劒御前山、別山、真砂岳、大日岳、大汝山、雄山、 浄土山、鬼岳、獅子岳、佐良峠、阿弥陀ヶ原、鷲岳、鳶岳、…薄茜色に輝く山々。 今日からこの地の冬景色の登場である。 11月3日は満月。 なんとも幻想的な夜だった。こんな立山を見たのは初めてだ。 義父が生まれ育ち、生涯を生き抜いた越中富山の最も美しい季節がいよいよ訪れようとしている。 合掌
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『寅次郎な日々』バックナンバー アリゾナに旅していた寅次郎 2009年10月15日 寅次郎な日々 その418 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 贅沢な男 車寅次郎 2009年10月3日 寅次郎な日々 その417 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー マドンナを追いかける寅 新マウスポインター 2009年9月23日 寅次郎な日々 その416 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 天賦の才 その世界観 2009年9月14日 寅次郎な日々 その415 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 兄と妹 胡弓弾きの涙 2009年9月5日 寅次郎な日々 その414 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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『寅次郎な日々』バックナンバー リアルな演技とは何か 2009年8月27日 寅次郎な日々 その413 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
現在「おわら風の盆」前夜祭の最中で毎日お客さんの応対に夜までおわれている。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 満男と菜穂ちゃんの将来に幸あれ 2009年8月18日 寅次郎な日々 その412 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
そうこうしている間に最初の出会いから2年が過ぎ、二人は婚約し、同じ葛飾区に新居も決め
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『寅次郎な日々』バックナンバー 悲しみの向こうに咲く花 大原麗子さん 2009年8月7日 寅次郎な日々 その411 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
真実諦めただひとり
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『寅次郎な日々』バックナンバー 車寅次郎 拝 寅からの暑中見舞い 2009年8月6日 寅次郎な日々 その410 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 今朝郵便受けを見てみると寅からハガキが来ていた。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 違う部屋なのに同じ部屋? 第8作の不具合について 2009年8月4日 寅次郎な日々 その409 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 今日は8月4日 渥美さんの命日だ。 あの夏は、ほんとうに暑く 果てしなく長かった…。 ところで とらやの2階部屋の不思議にちては今までもいろいろ書いてきたが、
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『寅次郎な日々』バックナンバー 夫婦になれなきゃ首くくる! 2009年7月26日 寅次郎な日々 その408 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 いやあ、ここのところとにかく生業(小さな展覧会及び準備及び後始末))が忙しい(TT) このままいくとなかなか更新作業ができないままなので、 ちょっと今寅ネタを書こうと思う。 あ、…そういえば第23作「翔んでる寅次郎」本編完全版も進んでいない。あちゃああ〜〜〜(TT) やはり日本滞在はなかなかパソコンがいじれないのだ。 くそ忙しく儲かりもしない生業の凌ぎの合間をぬうように無理やり時間を作り絵を描き、 夜遅くに充電のためDVDや映画館で映画を観る。 で、たまの休みには家の修理が待っている。 先週は4日間かかって2階の白壁のしっくいを塗りなおした。その次はお墓の草むしり&整備に2日。 両方とも大変な重労働だった(TT) で、今週は生業の合間をぬって家の表の柱や板に柿渋とベンガラを塗り、亜麻仁油で仕上げなくてはならない。 なんせ明治時代に建てられた古い町屋なので、しょっちゅう蘇生ケアしていないと どんどん痛んでいくのだ。職人さんに頼むお金が無いので全部家族でやってしまう。そのへんはバリと同じ。 職人さんに頼めば20万円〜30万円かかるが、自分たちでやれば1万円で済む。 その代わり身体はいたるところが痛くボロボロ(TT) と、まあ、要するにサイトの更新が滞っている『言い訳』をしたかった、ということです。 で、話はもどって、ちょっとした寅ネタ。 いま少しだけ作業を進めている↑にも話題に出した第23作「翔んでる寅次郎」の中で とらやに居ついたマドンナのひとみさんが、おいちゃんのお見合いの事を聞くが、 実はおいちゃんとおばちゃんはなんと恋愛結婚だったことがこの作品で分かるのである。 そしてタコ社長が見合い結婚だったことも同じくわかるのである。 おいちゃんとおばちゃんの恋愛中の有名なエピソードは、皆さんもご存知 第32作「口笛を吹く寅次郎」で、寅の口から出てくるあのエピソード、 ふたりはいきなりもう出来てたって話。 まず二人で浅草でデートした。 帰り道に雨が降ってきちゃった。 駒形橋の袂に親戚のおじさんの家があり、 そこで雨宿りをした。 いつまでたっても雨が止まない。 おじさん「もうしょうがないからおまえたちここへ泊まっていきなよ」 おばちゃん「いいえ、私達まだ結婚前だから…」 粋なおじさんの計らいで 若い二人は二階の座敷で二人っきり。 雨がザーって降って 雷が突然ゴロゴロ! おばちゃんキャー怖い〜〜!! あの太った体でもってカマキリみたいな おいちゃんに「キャ〜〜〜!!」って抱きついちゃった。 この寅のこの発言に対して、おばちゃんは「口からでまかせだよ」 って言ってたが、まんざら嘘でもなさそうな雰囲気だった。 その直後、雷が鳴って、数十年前の再現が奇跡的に起こったが、 おいちゃんはもがいて「気持ち悪い」と嘆いていた(TT) 年月はこうも人間関係を変えるという話(^^;) 実はそのずっと前… 確か、歌子ちゃんがバラの花のエピソードを語った第9作「柴又慕情」でも ちょっとこの二人の恋愛時代のことが出てきて、 おいちゃんのプロポーズは「おい、来るか」というそっけないものだったらしい。 おばちゃんがちょっとふてくされてしゃべっていた。 このシリーズではこの二人の馴れ初めはここまでだが… しかし、実はおいちゃんのおばちゃんへのプロポーズ話はもう一つあったのだ。 第6作「純情篇」での脚本第2稿に、 隠された『プロポーズの言葉』があった。 寅が例のごとく岡惚れで夕子さんにかなり参ってしまって寝込んだ時、 博が「恋の病」についておいちゃんとしゃべるシーンがある。 博「恋するあまり食欲はなくなる、胸はさすように痛む。 肺病にでもなったかと思っていると何かの拍子にコロッと治ったりして…。 こりゃ、男でなきゃ分からないかもしれませんね、おじさん」 おいちゃん「へえ、そういうもんかい」 博「あれ、おじさん憶えがありませんか?」 おいちゃん「ないね」 博「しかし、おばさんと恋愛してる時なんか」 おいちゃん「エへへへ、そりゃ出来ちまってさ、 さあ、オレはこいつと夫婦にならなきゃいけねえのかと思ったら ガックリ来て、ニ、三日寝込んじゃったけどね」 社長「アハハハ、オレの場合もそうだった」 おばちゃん、おいちゃんの言葉にカチンと来て、割り込んでくる。 おばちゃん「冗談じゃないよ!『夫婦になれなきゃ首くくる!』って言ったのは誰だい!」 おいちゃん「そりゃ、おまえだろ、だからオレは仕方なくよ…」 おばちゃん「呆れた!何てウソつきなんだろ! このオヤジは!だから男は信用できないだよ!」 と、まあ、こういう喧嘩が続いていくのである。 第9作「柴又慕情」ではおいちゃんのプロポーズは「おい、来るか」だと思っていたが その前の第6作第2稿では「夫婦になれなきゃ首くくる!」だったのだ。 「口笛を吹く寅次郎」での駒形橋そばのエピソード通りかなり激しい恋愛だったようだ。 しかし、結局この「夫婦になれなきゃ首くくる!」のエピソードは本編では採用されなかった。 こういうことは映画作りでは実に多い。 時には脚本どころか、撮影もきちんとされても最後はカットされるシーンは山ほどある。 撮影までして不採用なのはつらい。スタッフもこういうのは断腸の思いで行うのだろう。 たとえば、 第7作「奮闘編」ではおばちゃんはさくらのアパートに行って寅の事を話しているシーンの 撮影を行っているのである。↓しかし本編ではカット(TT) おばちゃんがさくらのアパートに訪問している幻のシーン ああ。。。映画撮影はつらいよ(TT)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 砂漠での一杯の清水 2009年7月14日 寅次郎な日々 その407 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 ただ今展覧会の真っ最中で超多忙だ。 今年の展覧会はすべて不景気の嵐か…、と身構えていたが、 まあなんとか昨年並みにはお買い上げいただいているのでいまのところは順調。 しかし油断はできない。なんせ今年は未曾有の不景気なのだから…。 と、いうことで、心身ともに忙しいのだが、気分転換を込めて 深夜に初期の「男はつらいよ」作品をHDリマスター版であらためて見返している。 ちょっと白っぽいが、以前の黒つぶれやあやふやな部分がクリアに見えているのはありがたい。 この映画は初期の十数作品がやはり痛みがひどかったので、HDリマスター版は本当に役に立っている。 それで初期の作品鑑賞と平行してそれらの作品の雑誌記事や脚本なども見返していたのだが、 懐かしい文章が出てきたのでちょろっと紹介しておこう。 まず、第1作「男はつらいよ」の封切り直前に発売されたキネマ旬報。 山田監督と森崎東監督と渥美さんが小さな文章を 寄せられている。これがなかなかいいのだ。 また、そのまた数ヵ月後、 「続.男はつらいよ」の封切り直前に出されたキネマ旬報でも 山田監督の味わい深い文章が載っているのだ。 この号では小林俊一監督も文章を寄せられている。 それでは、初期の「男はつらいよ」を支えられた御三人の監督のことばと 渥美さんの熱意をご堪能ください。 渥美清について 山田洋次 渥美清は悲しい役者である。 私は渥美清の演技に大笑いしながらも、 時としてふと胸をしめつけられるようなことがある。 それは男が何かに耐えている悲しさである。 つらさを耐えるために軽口を叩いておどけてみせる悲しさである。 悲しい出来事を涙ながらに訴えるのは易しい。 また、悲しいことを生真面目な顔で物語るのもそう難しいことではない。 しかし、悲しい事を笑いながら語るのはとても困難なことである。 だが、この間違った世の中にあっては、 笑いの形を借りてしか伝えられない真実というものがある。 そして、渥美清の存在理由はそこにあると思う。 作者の言葉 森崎東 ある豆腐屋の主人が「男はつらいよ」の寅さん評を聞かれて、 しばし、ムッツリ考えた後、 「あんな男もいにゃいかん」と、一言ったという。 私流によれば、それは、 「生産無線遊民惰民存在有理」ということになる。 「遊惰有理」とはまた、私にとって至極すわり心地のいい思想だが、 人民はもっと、てめえに都合のいい思想ばかり蝶々せねばいけないのではないか、 「正業につくことをすすめ、額に汗して営々と勉める」ことをよしとする庶民が 「あんな男もいにゃいかん」という、過不足ないが、しかし、断固とした肯定によって 遊惰の士を擁護するのは何か。 「正業につく」という、この世の中の、最小生活条件が 「就業規則による囚人化」である事実を、 実は豆腐屋の主人は腹の底から知っているのではなかろうか。 三日も寝させずに討論させる猛烈社員特訓のテレビ.ドキュメンタリーを見た友人(映画監督)は 深いタメイキと共に言ったものだ。 「―映画という道楽家業についててよかったなあ…」と。 断固とした肯定でなく、タメイキ共にでなければ己が家業を肯定できないところに 問題があるにしても、私は今後も「遊惰有理」の思想を造形して行き続けようと思う。 豆腐屋の主人の断固たる支持に、からくも支えながら…。 主演の言葉 渥美清 ぼくが育った東京下町には、 この「男はつらいよ」の寅さんみたいなお兄さんが、 打ち水した敷石にセッタの音を響かせて歩いていた。 日本人なら誰しも肌で接したなつかしい人間像を 山田さんの書いてくれたテレビドラマで思いっきり個性的に演じさせてもらった僕は、 放送終了間際に猛然と映画化を実現したいと思った。 永遠に手元に残る代表作として全力投球でスクリーンに寅さんを蘇らせるつもりです。 (昨年2008年の山田監督ロングインタビューでの『桜の花の事前撮りの件等』がこれで納得させられた気がする。 つまり山田監督のテレビ版放送中における気持ちの変化が渥美さんに何らかの形で伝わっていったと考えてよさそうである。 スタッフからの何らかの事前のアプローチなしではキャストはこういう気持ちにはなれないからである) この記事の中で渥美さんは、並々ならぬ意欲を持ってこの映画に望んでいることがわかる文章を最後に寄せている↓。 寅さんについて 小林俊一 葛飾、柴又の寅さんは愛すべき人間です。 いつ果てるともない夢を見続けています。 夢と現実が混然としているから、彼のすることなすことはとてもおかしい。 また、それ故に悲しいのです。 おかしいことは悲しいことだという山田コメディに魅せられて、 テレビから映画へと一年余り、寅さんと一緒になって生活してきました。 寅さんは啖呵も切れるし、生き方もカッコいい。 自分はヤクザな男だと思っているが、暴力は振るわない。 弟分を殴っても、それは愛情であって、その域を出ない。 もしも現実に、他人と殴り合ったら、寅さんの夢見る任侠の世界は覚めてしまい、 寅さんの存在がなくなってしまうのです。 ヤクザな寅さんであってもヤクザ映画ではないのです。 だからテレビでは愛すべき寅さんとして茶の間の中へ ドンドン入ってゆくことを許されたし、 深夜映画では任侠を夢みるお兄さんたちにも拍手喝采で迎えられました。 寅さんを中心に、それを取り巻くすべての人たちの人間関係は、 濃密なる連帯感を失った現代の人々に温かく、そして強く迎え入れられたのです。 寅さんは渥美清の個性で、見事に肉づけされました。 テレビから映画へ― 寅さんのキャラクターが、新しい人間的な魅力を加えて、ドンドン拡がってゆく作業は 大変に楽しいものでした。 砂漠の中で 山田洋次 砂漠の中に道を失い、 喉がカラカラに渇いた人間が求めるのは一杯の清水である。 決してオレンジジュースでもコカコーラでもないはずだ。 今、私たちが創り出した寅さん像に期待するのは それが断じて人工甘人工着色のジュースや薬臭いコーラではなく 正真正銘の水であって欲しいと思うのである。 もっとも、この水は残念ながら清らかな澄んだ水とは言い難い。 茶色に濁った上に変なにおいがし、もしかしたらボウフラのニ、三匹も 浮いているかもしれない。 しかし、少なくとも砂漠の中で水を求める旅人にとってはまさしく水であり、 充分に喉の渇きを癒すに足るものに違いない。 旅人はとりあえず、ボウフラと共にこの水を飲み干して渇きを癒した後、 澄んだ水を求めて更に、さすらいの旅を続けるのであろう。 そして、いつか緑のオアシスにたどりつき、 こんこんと湧き出る冷たい清水の中に顔をつけた時、 ふと、あの汚いボウフラの浮いた水を夢中になってゴクゴクと、 呑んだ時の自分を思い出し、おかしくもまた、悲しくなるに違いない。
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『寅次郎な日々』バックナンバー ロケ地発見への道 「純情詩集」 信州 塩田平 寅の啖呵バイ 2009年7月3日 寅次郎な日々 その406 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 もうずいぶん前にアップした第18作「寅次郎純情詩集」本編完全版で、 寅がおそらく信州上田、塩田平の神社と思われる赤い鳥居近くでお風呂セットの啖呵バイをするが その作業時、そこがどこなのか、本や雑誌、ネットでかなり調べたものの、赤い鳥居はあっても あの風景との一致が見られず、どうしても分からないまま、私は遂に諦めてしまったのだ。 もちろんどの寅本にもどのサイトにもこの神社のことはなにも書かれていない。 しょうがないのでそのまま塩田平の神社として本編をアップした。 もうそのことはとうに諦めていた今年6月末、三重県在住のk.Nさんから「発見」のメールがあった。 彼は筋金入りの奥深い寅さんファンであり、常々私に多くの示唆を与えてくださっている方だ。 彼とはもう5年来のお付き合いで頻繁に親交を深めさせていただいている。 『2008年7月16日 寅次郎な日々 その367』で書いたように、 愛媛県での愛媛県 興居島(ごごしま)での啖呵バイの場所を現地調査や電話での聞き取りで 突き止められたあの方なのだ。 K.Nさんには、それ以外でも私がどうしてもロケ地が不明な時に、助けていただいたことが何度かある。 前回にも書いたと思うが、彼は青年の時より写真撮影をライフワークに選ばれ、 長年北海道から九州まで細かに旅行されている。 そう言う意味では寅次郎同様全国的に土地勘を持っていらっしゃる稀有の人だ。 実はK.Nさんもこの塩田平の神社のことは私同様お手上げだった。 しかし、昨年4月、雑誌「旅行読売」で【美しい日本に出会う「寅さんの旅」特集】があった時、 信州別所温泉のM旅館の社長さんがこのロケの案内をしているのである。 「塩田平の神社で行われた祭りの撮影では県内の大町市で本物の祭りがあって、 映画に出てもらう露天商を集めるのに苦労しました」とインタビューに答えられているのだ。 この記事をご覧になったK.Nさんは、思い切ってその旅館に電話されたのだ。 あいにく社長さんは留守にされていたが、女将さんが出られて、当時のロケのことを 話してくださったということ。 彼女の話によればロケの撮影は 「塩野神社」という神社で行われ、彼女自身もエキストラとして出たと言うことだった。 K.Nさんは「塩野神社」であることを再度女将さんに確認し、お礼を入って電話を切られたのだった。 その後、 彼は「塩野神社」をネット検索し、写真を見られたが、どうも見た感じがかなり違うと思われたが、 当時実際にロケに関係された人が「塩野神社」と断言したため、信じられたのだった。 それで、この6月、ようやく浅間山の西方、湯の丸高原のレンゲツツジの撮影もあって、 K.Nさんは信州塩田平に赴かれたのだった。 もちろん真っ先に上田市前山1681の塩野神社へ行かれたのだったが…。 この神社は結構有名で、 塩田平で一番森深いところにあり、太鼓橋がかかる独鈷山から涌き出した塩野川は、 滝となって産川の本流に注ぎ、この水がそのまま信仰の対象になっている。 平安期より続く歴史ある神社で、楼閣造りと呼ばれる二階建ての拝殿が見事。 かの武田信玄も朱印状を奉じて武運長久を祈ったらしい。 塩田平の土産神(うぶすながみ)として今も昔も大切にされている。 ところが、…事前にネットで調べていた通り、やはりここは、 作品の中のあの赤い鳥居がどこを探してもなく、またまわりの状況もまったく異なっていたそうだ。 上田市前山の森の中にある塩野神社(下の地図参照) おそらく以前電話で聞かれた時、そのお女将さんが記憶違いをされていたのかもしれない。 もちろん、わざわざ三重県から信州上田まで来てこれでは納得がいかないので、 神社の近所にある「中禅寺」というお寺の休憩所の女性二人に、 K. Nさんは映画の画像を見せ、話を聞かれたのだった。 中善寺 彼女らは「これは塩野神社ではない、またここで30年ほど前 にしろ、寅さん映画のロケがあったことは聞いたことがない」と断言されたそうだ。 K..Nさんが広げた長野県の塩田平の地図をいっしょにながめて考えてくれたそうだが、 どうやら彼らが知っている「赤い鳥居」は「生島足島神社」しかなく、 そこの別社かもしれないと彼らは言われた。 それで、K..Nさんはとりあえず違うと思いながらも、その生島足島神社へ一応行かれたが、 赤い鳥居はあるものの規模が大きく、またその立地は街中で雰囲気がかなり違っている。 そこでK..Nさんは、絵馬など買い、ある巫女さんに携帯画像を見せながら神社のことを尋ねられた。 彼女は親切にも同僚の巫女さん二人と宮司さんまで呼んでくれたが、 うちで寅さん映画が撮影されたことはないということだった。 K..Nさんは、別社の話をしたが、どうもそこも違うようだという。 それでも一応別社場所を聞き車で3分ほどの現地へ行くがやはりここでもない。 再び社務所へ戻り、宮司さんらと相談するが、 赤い鳥居の神社はお稲荷さんが一般的で、この付近にはほかにないという。 駐車場に戻りK..Nさんは新たにこう考えるようになった。 ひょっとして…女将さんのいった「塩野神社」は K.Nさんの聞き間違いの可能性があるのではないか…と. 塩野神社という神社はほかにないか、「塩田神社」の聞き間違い ではないか、 と、思って地図をにらんでいると、舞田という地区 になんと「塩野入神社」というのがあるのが目についたのだ。 K..Nさんは三度目だが生島足島神社の社務所を訪れ聞くと、 塩野神社はほかにはない、 塩田神社はあるが赤い鳥居ではなくい、 また塩野入神社も赤い鳥居ではないと皆さんは言われる。 これは別所温泉の観光協会で聞いたほうがいいということに なり、嫌な顔もせず何度も付き合ってくれた四人の皆さんにお礼 を言い、K.Nさんはそちらへ向かわれた。 しかし、別所温泉へ向って運転している途中で、 やはりこれは自分の目で違うということを確認しなければと思いなおし、 無駄骨だと思いながらも急遽ハンドルを北に切って、 念のためにあえて赤い鳥居がないと言われた「塩野入神社」へ行かれた。 やがて塩野入神社が車窓から見えてくると、 なんと!遠く赤い鳥居があり、まさにあの映画そのものの風景が 運転するK.Nさんのフロントガラスの正面に広がっていたのだった!。 K.Nさんは赤い鳥居と社の全景が飛び込んできた時、 思わず「あっ、ここだ!」と声をあげていたそうだ。 夢にまで見た情景が現実に目の前に存在しているのだ。 K. Nさんが同じような位置から高羽アングルで撮られた写真 こみ上げてくる興奮を抑えながら、その場所に降り立つK.Nさん。 ついにK. Nさんは発見したのだ…。 寅の背中に見えていた独鈷山のあの形そのものが今はっきりと神社の鳥居の場所から見える。 そのひなびた神社は今も当時の姿のまま静かに存在していたという。 赤い鳥居をくぐり、神社の中へ足を踏み入れたK. Nさん。 その時の状況とお気持ちを↓のように書かれている。 「草いきれのする階段横の小さな空間、この場所であの時、渥美さんが バイをしていたんだ、そしてこの石段の下から高羽さんが獅子舞を写していたんだ・・・」 「静まり返っている境内のそこかしこに、今なおスタッフの皆さんの掛け声や息づかいが聞こえ、 祭りのシーンの熱気やざわめきの残響が漂っているような感じがしました」 「そうです!この感じがなんともいえないんです。 このために、この感じを味わいたくて、わざわざやってきたのですから」 「夏草茂る境内につかの間の幻影を見、独鈷山の青い山嶺を見上げながら、 しばしの感慨にふけってしまいました」 K. Nさんのこれらの文章を読むと、気持ちの高ぶりと深い感慨が今も伝わってくる。 寅の後ろに見えるのが、独鈷山 K.Nさんが同じ場所から撮られた、独鈷山 他のサイトで探した同じような見え方の独鈷山 映画の画像と比べ確認しても、まわりの木が大きくなっていたり、 木が切られていたりしているものの、ほとんど30年前と大きな変化はなかったそうだ。 K. Nさんは、鳥居、石段、踊りの舞台、独鈷山などをカメラで写し、間違いないことを確信された。 そして啖呵バイのロケ地が、いわゆる上田市の有名どころの寺院でなく、 小さくとも味わい深いひなびたこの「塩野入神社」を選ばれたその感覚に脱帽され、 まさしく山田監督の『慧眼』には感心しました、とおっしゃっていた。 K. Nさんは、最後に、念のため近所の方二人に聞くと、 二人とも当時勤めに出ていて、ロケに参加したことはないが、ここであったことは確かたという。 K. Nさんが撮られた赤い鳥居。周りの風景は30年以上経った今も当時とあまり変わっていない 映画の中で映る獅子舞『三頭獅子』の舞台 K. Nさんが撮られた同じ角度から撮った現在の舞台 最後に、K.Nさんは、 ここまで来たついでにもう一押しと、 別所温泉駅前の別所温泉の旅館組合兼観光案内所へ行き、 当時を知っていそうな中年の女性と初老の男性に当時の様子を聞かれた。 女性は、そのとき子供だったが、北向観音の近くのシーンで、 縄跳びなどで遊ぶ役ででたことがあるということだった。 二人は親切で、塩田平や別所温泉のマップなどを出してきてくれるが、 「塩野入神社」のロケはおろか、なんと「塩野入神社」の存在すらも知らなかったらしい。 地元の人もその名前をほとんど知らないということだった。 ほかに、上田市ロケ地マップも持ってきて調べてくれたが、 第18作、塩田平、別所温泉とだけ記載されているのみ。 その後、三重県の自宅に戻られたK. Nさんは、 まず、念のため”上田市 塩野入神社”でネット検索された。 すると、なんということか、 2008年4月12日の読売新聞、長野版,企画連載『足あと寅さん』で、 写真付で塩野入神社でのロケの様子が書いてあり、愕然とされたそうだ。 K. Nさん曰く、 初登頂と思って気負って山頂に立てば、そこにはケルンが積 んであった、という心境だったそうだ。 私はこの事実を読んで、 先日先行上映で観た映画『劒岳 点の記」を思い出した。 初登頂だと思って感激していたら、すでに平安時代に密教の行者が登頂していた杖の一部が 頂上で見つかったのである。 ちなみに読売新聞長野版の記事は↓のように書いてあった。 はざかけが並ぶ晩秋の田園。その向こうには、赤い鳥居と大きなのぼり旗、秋祭りに集まった人々の にぎやかな様子が映る。 獅子舞にお囃子(はやし)が調子を合わせる中、声を張り上げ“バイ”をする寅さん――。 ロケ地は、上田市の別所温泉駅から北東に約2キロ、産土神(うぶすながみ)を祭る「塩野入神社」。 田んぼに囲まれた木々の中に、小さな社がひっそりとたたずむ。立派な寺社が並ぶ別所温泉だが、 第18作「寅次郎純情詩集」(1976年)では、寂れたイメージを求めた山田洋次監督が、わざわざ探し出したという。 住民100人ほどが参加したわずか1分ほどのシーンで再現されたのは、 地元に500年以上伝わる雨ごいの祭り「岳(たけ)の幟(のぼり)」の一幕だ。 伝統の「三頭獅子」が舞われ、祭りに花を添える。 この時、獅子舞を演じたのは、若手住民で作る「岳の会」の会員。「三頭獅子」は、 後継者不足で存続が危ぶまれ、ロケの少し前に、地元の小福田正喜さん(73)らが保存会を発足させたばかりだった。 今、会員は20人を超え、全国で公演を行うまでになった。 「獅子舞を踊れる若手がどんどん育った。伝統を守れたことが私の誇り」と小福田さん。 スクリーンで、わずかに描かれただけの小さな祭りにも、地域の歴史と、人々の熱い思いが込められていた。 (2008年4月12日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/feature/nagano1207318818529_02/news/20080411-OYT8T00783.htm しかし、私は思う。 その昨年の長野版読売の記事とは関係なく、 その記事の存在すらも知らないままK.Nさんは現地で、さまざまな思い違い、聞き間違い、記憶違いなどの 逆風にさらされながら悪戦苦闘されたのだ。 K. Nさんの執念と根気、そしてインスピレーションこそがまさに『発見』に値するものだったと。 ちなみに、どうやらK.Nさんと話された多くの現地の方々もその記事を読まれていなかったということになる。 地方には地方に根ざした地元の新聞社があるので、なかなか読売新聞は読む機会がないのかもしれない…。 と、いうわけで、 三重県から遠く信州上田の現地に行き、 旅館の女将さんのうろ覚え(もしくはK.Nさんの聞き間違い)にギャフンとなりながらも、右往左往し、聞き込みをし続け、 自力で地図を見て『塩野入神社』を探しあてた瞬間、K. Nさんは、 まさしく松竹映画の名作『砂の器』で地図の中で出雲の「亀嵩」を探し当てた今西警部と同じ感動を持たれたのだ! しかしその直後、それでも生島足島神社のみなさんは塩野入神社は赤い鳥居ではない というまたもやうろ覚えのアバウト情報(^^;)を与えられ、 それでもご自分の眼であえて確かめようとされたK. Nさんの執念はそれこそ二転三転の映画を見ているようだった。 私もK. Nさんのメールと添付写真を読ませていただいた後、 感動覚めやらぬ思いでネットで「塩野入神社」を調べてみたら、 読売新聞の記事サイト以外にももうひとつ「塩野入神社」が書かれてあり、 例の「舞台」や境内も映っていた。↓(ブログさんの名前は『ゴブリンのつれづれ写真日記』2008年3月アップ) ネットで検索して出てきた映画で獅子舞を踊っていた塩野入神社の舞台 またgoogle地図にも別所温泉近く、数キロの北東、舞田駅近くにしっかり「塩野入神社」名前は出ていた。 上田電鉄別所線舞田駅と言えば、第35作「恋愛塾」の夢から覚めたあとに出てくる谷よしのさんとの共演が印象的なあのさびれた駅だ。 舞田駅ホームでの谷さんと渥美さんのかけあい 赤丸が塩野入神社 黄緑丸が最初に間違えた塩野神社 青丸がK.Nさんがいろいろ御世話になった生島足島神社 今回K.Nさんの発見記を読ませていただいて感じたことは、 やはりロケ地発見とは、「現地調査」が基本だ、ということだ。 今回のK. Nさんや、リンクを貼らせていただいている小寅さん、風工房さん、寅福さん、のように、 まずは資料に目を通し、関係者や土地の人に直接電話し、話を聞き、 最後はもちろん現地へ赴き、聞き込みもする…。 これこそが「ロケ地発見」の本当の醍醐味であり、 彼らこそ「ロケ地発見者」の名に真に値する人々というものだろう。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 今昔物語集と紫陽花の花 諏訪ひょう一郎が語った「今昔物語」への旅 2009年6月26日 寅次郎な日々 その405 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 今回は小難しい日本の古典の話をくどくどするので、退屈な方は速攻で飛ばしてください(^^;)ゞ 第22作「噂の寅次郎」の中で最も好きなシーンは、と、 もし聞かれた場合 私は、木曽路、野尻宿の庭田屋旅館で諏訪ひょう一郎が 寅に今昔物語集のある説話を話して聞かせるあの静かなシーンだと、言うことにしている。 一口に「今昔物語集」と言ってもひょう一郎さんの持っていた文庫本一つくらいじゃ到底追いつかないのだ。 映画で使われたあの文庫本はおそらく 表紙の模様から推測するに一昔前の角川文庫の今昔物語集『本朝仏法部【下】』であろう。 角川文庫「今昔物語集『本朝仏法部 下』 とにかく今昔物語の世界はどこまでも広く大きい。 十二世紀の前半、平安時代の末期にあたる院政期にこの説話集は形成されたが、 あまりにも膨大で多岐にわたっているため、未完成で終わってしまったのだ。 ただの寄せ集めでなく深く考えられて編纂されているゆえの未完成だったと言われている。 その後鎌倉期には、この『今昔物語集』は完全に世の中から忘れられていった。その後原本は失われたが、 鈴鹿家旧蔵の鈴鹿本と言われる写し本が発見され、それによって再認識されてはまたしだいに歴史の中で忘れられ、 江戸時代に本朝部分だけがとりあえず一部の人々に親しまれ始めたのだった。 全部で三十一巻もあり、 一から五までは天竺の話、六から十までは震旦(中国)の話、 十一から三十一までが本朝(日本)のことが書かれてある。 全部でなんと千話を越える説話が書かれているのだ!舞台も日本だけを取ってもほぼ全国に渡り、 階層も実にさまざまだ。 こうなってくると、読むにしたがって果てしない海にさまよう舟のようになってくる。 その表現も王朝文学などどは違い、筆致は力強く、質朴で、実に簡潔である。直球で感動させてくれ、 直球で笑わせてくれもする。そしてたっぷりと怖がらせてくれもする。 この第22作「噂の寅次郎」に出てきた出家に関する説話は『仏法』の枠に入るもので、 巻十一から巻二十にいたる説話グループだ。 これらの『仏に仕えたり、出家する話』つまり発心、道心の話は この大きな大河の中核に位置するものでとても重要なものである。 このあとの『本朝世俗』グループと並んで長く人々に愛されてきた巻なのである。 特にこの話のように、愛するものの死体や匂いなどを直接に体験してしまうことによって 世の中のはかなさを感じ無常を感じる話は、 今昔物語にとどまらず今鏡、発心集など、それ以降の説話集にも時々見られる。 もちろん今昔物語集の中にも同じような説話がいくつかある。 巻十九第2話「参河守大江定基出家語」で主人公の大江定基が亡くなった愛する妻を葬りことをせず、 いつまでも添い寝をして、ある日その妻にキスをしたところ、 その口からおそろしい異臭が出てきた。 それでその「あさましき臭き香」がこの世の無常を感じさせることになり、出家の道を選んでいくのである。 古来よりそのように、人は近いものの死によってこそ数々の事を感じ学ぶのかもしれない。 この、ひょう一郎が語った無常観溢れる話は『春宮蔵人宗正出家語』と言って、 巻十九の10番目に登場する(このグループを『出家機縁譚』と言う)物語の前半部分である。 実際の説話は当然ひょう一郎の語った内容とずれるところもある。 写し 鈴鹿本 巻29 第十八 第十九 一部 それでは具体的にこ第22作「噂の寅次郎」で、諏訪ひょう一郎によって 語られた箇所の部分(第十話の前半部分である)だけを実際の原文通りに紹介してみよう。↓ 今回自分なりに、原文からあえて自分の言葉で現代語訳するに当たり参考になった資料は以下の通り。 新日本古典文学大系36 今昔物語四 (岩波書店) 新編日本古典文学全集 今昔物語集2(小学館) 東洋文庫 今昔物語集3 本朝部 (平凡社) 新装版 日本古典文庫U 今昔物語 (河出書房) 角川文庫 今昔物語集「本朝仏法部 下」(角川書店) 今昔物語集 巻十九 本朝仏法 【出家機縁譚】の第十話 (前半部分) 春宮蔵人宗正出家語 第十 (とううぐうのくろうどむねまさしゅっけすること) 今昔、【三条?】院ノ天皇ノ春宮ニテ御ハシマシケル時ニ、 蔵人ニテ【藤原?】ノ宗正ト云う者有りケリ。 年若クシテ、形チ美麗ニ、心直(ウルワシ)カリケレバ、 春宮此レヲ睦マシキ者ニ思シ食シテ、万ニ仕セ給ヒケル。 而ル間、其の人ノ妻(メ)、形チ端正シテ心アテナリケレバ、 男無限ク、相ヒ思ヒテ棲ミケル程ニ、 其ノ妻世ノ中ノ心地ヲ重く煩ヒテ 日来ヲ経ルニ、夫心ヲ尽シテ嘆キ悲ビテ、様々ニ祈請スト云へドモ、遂ニ失セニケリ。 其ノ後、夫限ク思フト云へドモ、然テ置キタルベキ事ニ非ネバ 棺ニ入テ、葬ノ日ノ未だ遠カリケレバ、十余日家ニ置キタルニ、 夫此ノ死タル妻ノ無限ク恋シク思エケレバ、 思ヒ煩ヒテ、棺ヲ開テ望(のぞき)ケルニ、 長カリシ髪ハ抜ケ落チ、枕上ニヲボトレテ有リ、 愛敬付タリシ目ハ木ノ節ノ抜跡ノ様ニテ空ニ成レリ。 身ノ色ハ黄黒ニ変ジテ恐シ気也。 鼻柱ハ倒レテ穴二ツ大ニ開タリ。 唇ハ薄紙ノ様ニ成テシジマリタレバ、 歯白ク上下食ヒ合セラレテ有ル限リ見ユ。 其ノ顔ヲ見ケルニ、 奇異ク恐シク思へテ、本ノ如ク覆イテ去ニケリ。 果ハ口鼻ニ入ル様ニテ無限ク臭カリケレバ、 ムスル様ニナム有ケル。 其レヨリ後、 此の顔ノ面影ゲノ思へテ、其ヨリ深ク道心発ニケレバ、 「多武ノ峰ノ増賀聖人コソ止事無キ聖人ニテ在スナレ」ト聞テ、 「其ノ人ノ弟子ニ成ラム」ト思ヒ得テ、現世ノ栄花ヲ棄テ、 窃ニ出デタタムト為ルニ、 女子ノ四歳ナル有リケリ。 彼ノ死タル妻ノ子也。 形チ端正也ケレバ、 無限ク悲シク思エケルニ、 母ハ死テ後ハ臥シテ不離ザリケレバ、 既ニ暁ニ多武ノ峰ニ行ムト為ルニ、 乳母ノ許ニ抱テ臥セケルヲ、 長共ニダニ露不令知ヌ事ヲ、幼キ心地ニ心ヤ得ケム、 「父ハ我ヲ棄テハ何チ行カムト為ルゾ」ト云イテ、袖ヲ引カへテ泣ケルヲ、 トカク誘ヘテ叩キ臥ヲ、其程ニ窃ニ出ニケリ。 終道、児ノ取り懸リテ泣ツル音有様ノミ耳ニ留リ心ニ懸リテ、悲しく難堪ク思エケレドモ、 道心固ク発リハテニケレバ、 「然トテ可留キニモ非ズ」ト思念シテ多武ノ峰ニ行テ、 髪ヲ切テ法師トナリテ、増賀聖ノ弟子トシテ懇ニ行ヒテ有ケル… 以下略 ここまでの文章がこの巻十九第十話でのひょう一郎の語った言葉と重なる部分である。 資料や注釈を参考にしながら自分なりに自分の言葉で現代語に直してみた。↓ 今は昔、三条院の天皇様が東宮(とうぐう)におられた時(まだ皇太子であられた時期)に、 (宮中に仕える)蔵人の職で藤原の宗正という者がいた。 年は若く容姿麗しく、心が真っ直ぐな気質であったので、 東宮さまは彼に親しみをお持ちになり、なにかにつけて仕事をお言いつけになられていた。 ところで、この男の妻は姿形が美しく、心が優しかったので、 男は限りなく愛しく思って、相思相愛で仲良く暮らしていたが、 ある日、その妻が流行り病にかかってしまい、何日も床に臥せてしまった。 夫は心から嘆き悲しんで神仏に祈祷したが、妻は遂に亡くなってしまった。 その後、夫は妻のことをいつまでも恋しく切なく思い続けたが、 そのままに置いておくわけにもいかず、亡骸を棺桶に収めたのだった。 葬式まではまだ日にちがあったので、十日あまりの間家に安置いておいたが、 この夫は亡くなった妻をどうにもこうにも恋しく思い、 思い悩んだ末に遂に棺を開けて覗いてしまった。 すると、あの長かった髪は抜け落ちて枕元に乱れ散っている。 愛らしかった瞳は木の節が抜け落ちたようにぽっかりと穴が空いている。 肌の色は黄ばみ、黒ずんで、見るも恐ろしげである。 鼻柱は倒れて穴二つが大きく開いている。 唇は薄紙のように縮んでしまっているので白々とした歯が上下合わさっているのが 残らず見えている。 その顔を見ているうちにあさましく恐ろしくなり、 元のように蓋をして立ち去った。 死臭は口や鼻に染み入るようで限りなく臭く、むせかえるようであった。 このことがあってからというもの、 いついかなる時もその顔が浮かんできて離れず、そうするうちに ついに深く道心(出家隠遁の心)が沸き起こった。 多武の峰におわします増賀聖人こそは真に尊い聖人だと聞いたので、 「その人の弟子にしていただこう」と思いつめ、 この世での栄華を振り捨てて、 こっそり家を出て行こうとした。 そこへ四歳になる女の子が待っていた。 亡くなった妻との間にできた子である。 妻によく似て美しかったので、 どんなにか可愛がったが、 母が死んだあとはいつも一緒に寝ると言ってついぞ離れることがなかったものを この日ばかりは多武の峰に夜明けとともに旅立つつもりで 前もって乳母に抱かせて寝かせておいた。 家に居た大人たちにも出家のことは露ほどにも悟られなかったものを、 幼心ゆえに敏感に気づいたのであろうか、 「お父様は私を捨ててどこへ行ってしまうのですか」 と、袖をひっぱって泣き出した。 それをさまざまになだめすかし、優しく叩いて寝かしつけ、 その隙に密かに家を出て行ったのだった。 道すがら取りすがって泣きじゃくった幼子の声や姿が耳につき心から離れずに 悲しく耐え難い気持ちに襲われたけれども、 道心(出家し、仏に仕える心)はゆるぎなく固まっていたので 「ここで家に踏みとどまってはならず」と決意し、多武の峰にいたり、 髪を切って法師となり、増賀聖人の弟子となって一心に修行を行っていった。 と、まあこのような話なのである。 ひょう一郎が語った筋とは大きく違う部分が2つある。 ■ひょう一郎は男は妻の美しい顔をもう一度見たさに墓場に行って 棺桶を掘り返したというようなショッキングでドラマチックなことを語っていたが、 実際の説話では家に置いてあった棺桶の蓋を開けたのだった。 ■ひょう一郎は妻はすぐ死んでしまったと語るが、 実際の説話ではすでに四歳の女の子がいる。 その子との今生の別れもまたこの説話のヤマである。 映画なので、簡略に、そしてドラマチックに脚色したのであろう。 もちろん妻の死体を見てショックを受け『道心』が発せられる肝心の部分は 説話も映画も同じなのでこういう脚色は許されると思う。 上にも書いたように、 この説話には後半部分もあって、現代語で書くと以下の通りである↓ その後東宮様がこのことをお知りになり、悲しく哀れに思われて 和歌を詠んでおつかわしになられた。 宗正入道はこの歌を見て深く感じ入って泣いてしまった。 それをそっと見ていた師匠である聖人は、 「この入道がこうして泣くからには真の道心が生じたからに違いない」と 尊敬の念を抱かれて、入道に「なぜ泣いておられるのですか」と尋ねたところ、 「宮様からお手紙をいただきまして、出家した身ではございますが なんともお懐かしくて泣いてしまったのでございます」 と言ってまた泣いてしまった。 聖人はそれを聞いて、目を椀のように大きく見開き、 「東宮様の手紙を貰った者は仏になれるのか、あなたはそんな考えで頭を剃ったのか、 いったい誰が出家せよとすすめたと言うのか、出て行かれよ、入道。 さっさと東宮様のところへ参られよ」と強く乱暴な口調で追い出した。 入道はそっと出て、近くの坊へ行き小さくなっていた。 やがて聖人の怒りが静まった頃を見はからって、入道はもう一度師の元に戻っていった。 どうやら、この聖人はひどく怒りっぽい気質のようであった。 そしてすぐ腹をたてるかわりにすぐにおさまりもするのだった。 相手が誰でも厳格に対処し、折れることがなかった。 宗正入道はその後も道心が最後まで揺るがず、熱心に尊く修行を全うされた。 世にも稀な道心強固な人であったとみなが褒め讃え、尊んだということである。 以上である。 こうして愚直に原文をコツコツ写し、下手なりに注釈を見ながら自分で現代語訳してみると、 この時代の空気がほんの少しつかめた気がしてくるし、この宗正の悲しみと その後の一途な道心もなんだか分かるような気がしてくるから不思議だ。 常なるものを見失った私たちもこのように古典の原文に触れ、写し、訳すことによって 余計な垢を少しはそぎ落としてゆけるような気がしている。 追伸: 関係ない話ですが、 今、私の庭の紫陽花がきれいです。写真を撮ってみました。 かがりさんの花ですね。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 劒岳 点の記 2009年6月18日 寅次郎な日々 その404 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 2つのリアリティの混同 先日、車で20分の近所の映画館で「劒岳.点の記」を観て来た。 富山では先週から先行上映されているのだ。 キャストや監督の舞台挨拶がある土日こそ満員で混んでいたらしいが、私が行った月曜日は もういきなり半分以下の入り。 まあ、そんなもんである。 私はこの映画をあまり客観的には観れないのだ。 なぜならば、私が剱岳を登ったルート(前劒からの南碧ルート)が出てきたり、劒沢雪渓、仙人池など、 懐かしい風景が大迫力で惜しみなく出てくるからだ。それだけで満足してしまう。 また、私と連れ合いが22年前に結婚式を挙げた立山の守り神である雄山神社の立山杉の林でのロケが 何度も出てきてこれまた妙に嬉しい気分になれた。 そのような個人的な思い出を抜きにしても、なかなか見ごたえのある映画であった。 映像の迫力と技術は誰もが異論が無いはずだ。 空撮やCGをほとんど使わない剱岳の映像は臨場感を持ってこちらに迫ってくる。 物語は、登山そのものではなく、 測量を仕事としたプロフェッショナルな主人公たちの寡黙な姿を追っていた。 その平常心に心を打たれる。 彼らは山好きの山屋でなく地図を作る測量技師なのだ。 俳優では、 立山連峰を知り尽くした山の案内人である宇治長次郎役の香川照之さんが凄いはまり役! 研ぎ澄まされた感覚的な表情、 徹底的に謙虚で、地味で、それでいて意志の強い目。まさしく明治の富山県人。 彼の一挙一動はなんとも印象的だった。 あの役者さんは間違いなく大器だ。完全に飛びぬけている。 ただひたすら彼の姿を2時間以上見続けるだけでも満足する。 物語に起伏は少なく脚本も荒いが… 劒の圧倒的な臨場感と謙虚な宇治長次郎。 この二つを観に行くと思えば良い。 あえて欠点を言えばクライマックス、雪崩れとクレパスの危険性を指摘されながらも決行した一行が 長次郎谷の急な雪渓を登ってコルまでたどりつき、本峰に取り付いて頂上に着く過程が あまりにも問題なく上手くいったので肩透かしをくらった感はあった。 しかし谷を登っていく一行の上からの『引き』の緊張感ある映像はなんとも美しかった。 このへんは登山好きには嬉しいところ。 「雪を背負って登り、雪を背負って降りる」だ。 言い換えると、 実際の登山では上手くいく時は上手くいく。滑落なんていくら明治時代でも細心の注意をするので滅多にはおこらない。 当然あのクライマックスように緊張感をともなう集中力が持続すれば事故はなにもおこらないことのほうが多いのだという ドキュメンタリー的な「静」の感覚がついつい入り混じっていたともいえる。 実際キャストも本当にあの雪渓をあの明治時代の格好でマジで登っているわけなので、 これほど説得力のある真実の映像は他にない…、はずなのだが…。 しかしそれだけでは「活劇」というものは実は出来ない。 実は、この映画の欠点もこのあたりにあると思われる。 映画のリアリティとドキュメンタリーのリアリティの混同。 木村大作さんの執念の元、200日以上スタッフが山に入り、危険と闘い、寒さと闘い、高度と闘い、苦労しつくし、 数々の映像を撮り尽くしたゆえの限りなき愛着と混同。 それゆえ、山好き、劒好きの私にはその愛着も混同も分かる気がするが、一般の観客には通用しないかもしれない。 彼らは観客として純粋にただただ活劇である「映画」とその「物語」を見に来てるのだから。 厳しいことを言えば、劒のあの迫力満点の映像一切なしでも観客を物語で感動させてこそ、劒の映像が真に活きるのだ。 そう言う意味ではこのような映画にはそもそもあまり「物語性」「娯楽性」を期待しないほうがいいのかもしれない。 それともう一つ、 聴きなれたクラシック音楽の安易な多様は品格を逆に落とす危険があるので かつての「砂の器」の時のような中心となるようなオリジナル曲を作って欲しかった。 しかしそれでもやはり私はもう一度言いたい。 劒の圧倒的な臨場感と謙虚な宇治長次郎。 この2つだけで一度はお金を払う価値はある。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 執念の探索 寅の啖呵バイ ロケ地 『成田山横浜別院』 2009年6月13日 寅次郎な日々 その403 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 先日から月虎さんのSNSの中で、世話人の月虎さん、寅福さん、私などで、あるロケ地を結構本気で探していた。 それは第6作「純情篇」で登場するロケ地で、寅がどんぶりなどの食器を啖呵バイするあの眺めのいい高台の寺院だ↓。 このお寺は今までの寅本や松竹公式サイトなどによると柴又の神社の縁日と書かれてあったり、 東京のとある寺院…などと書かれてあったり、けっこう訂正されることなくいい加減に処理されているのである。 この寺のロケーションは実にかっこよくて、立派な本堂からの長い階段を降りた眺めは抜群なのである。 石垣も立派である。 寅の啖呵バイもマスコミが録音しているという設定のせいか気合が入っている。 結構毛だらけ猫灰だらけ お尻のまわりはクソだらけ、ってね。 タコはイボイボにわとりゃハタチ、 いもむしゃ、ジュウクで嫁に行く、ときた! バシ!! 黒い黒いはなに見てわかる、 色が黒くてもらいてなけりゃ 山のカラスは後家ばかりっ!ね! 色が黒くて食いつきたいが あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった! どう! バシ!! まかった数字がこれだけ!どう! バシ!! ひとこえ千円といきたいが、ダメか、 八百!六百!よし!腹切った つもりで五百両!!もってけ!オイ! なんともいいリズムだ(^^) 階段上の寺院の本堂自体も大きくてどうやら由緒正しい場所のようだ。 そこでなんとか話題が出たついでにここで一気にロケ地をつきとめてしまおうということになり、 何日もあそこでもないここでもないとネットや書物で探っていった。 市谷亀岡八幡宮の中にある「茶木稲荷神社」などが似ていたがちょっと違うようだと月虎さんは言われる。 なるほど似ているがちょっと違う。 寅福さんは、柴又にはあのような高台の場所から町を眺める寺院は無いはずなので、ひょっとして東京の外かもしれない… と推測されていた。 私のたまたま手元にあったスチールにあの啖呵バイのシーンの別角度があった↓。 そこには眼下の町の屋根に『石栄○○所』の看板が出ている。 お!これは!と思い調べてみたがどうもわからない。 寅福さんは五島ロケのことを思い、意外に長崎でロケしたものじゃないかって考えてもいらっしゃる。 なるほどそういうパターンもありかな、と思ったが、山田監督の今までの撮影パターンからして、柴又から通える 設定の時に遠く九州の映像は使わない気もする。 しかし、じゃあどこだと言われれば3人ともお手上げ状態でもう諦めかけていた。 脚本にも第2稿も決定稿も「とある神社」というふうに書かれてあるだけである。 これ以上は、松竹スタッフに電話か何かで聞くという荒業しか残っていない。 もう探しはじめてからそろそろ10日近くが経ってほとんど諦めた精神状態になった。 こんなにしっかり寺の階段や立派な狛犬の石彫や眼下の眺めが映るのに場所が特定できないのは 久しぶりでちょっと挫折感があったが そんなことは1年に何度かあることなので気持ちを切り替えて、最後にもう一度新たな気持ちで、 自分が持っている当時のキネマ旬報などの特集や記事などを読んでみた。 1971年1月10日号、『増刊号』 その中で非常に興味深い記事を発見した。 この号は第6作が放映される直前の特集なのだ。 そこに『39才.映画監督 ― 山田洋次』 という取材記事があった。 もちろん以前にこの記事は一度読んでいるのだが、結構忘れてもいるのだ(^^;)ヾ その中のこういう一文が目に止まった。 『クランク.インは十一月二十一日横浜.野毛山ロケから始まった。 この日は寅さん十八番のバイのシーンであった。 前日の雨もカラリと晴れ「寅さん来る」の報に見物人が殺到。 渥美清の動きに目を凝らしていた。だがそれ以上に目を凝らしているのが山田洋次監督。 意外に澄んだ、そして高い声でテキパキと指示を与える。』 第6作は二度啖呵バイが登場する。一度目はもちろんこの高台の寺の石垣の下。 もうひとつはラストでの啖呵バイ。これは場所がはっきりしていて静岡県浜名湖湖畔である。 ということはこの取材の『横浜.野毛山ロケ』こそが必死で探していた啖呵バイのロケ地に違いないのだ。 はやる気持ちを抑えながらグーグル地図と空撮で大きな寺院を探す。 ありました! 由緒正しき立派な密教のお寺が! 真言宗 智山派 横浜成田山 関東三十六不動霊場 第三番 成田山横浜別院 寺号は延命院 一般的には『野毛山(のげやま)不動尊』と呼ばれる。 本尊:不動明王 いくつかのサイトにはこのように書かれてあった。 成田山横浜別院は、野毛山不動尊の名で知られ、横浜開港の頃(明治初期)、易断で名高い高島嘉右衛門氏等の協力により、 明治26年大本山成田山新勝寺(千葉県成田市)の横浜別院として分霊され、建立される。 成田山には、大本山成田山新勝寺(千葉県成田市)のもと、8つの別院と12の分院、39の末寺、14の末教会があるが、 成田山横浜別院は、その由緒ある8つの別院のひとつ。 世界平和、万民豊楽を祈願している。 本尊である不動明王は、もと徳川家の秘蔵仏であったが、 元禄年間成田山へ徳川家より累代祈願を懇願された際に賜ったもので理源大師の御作といわれるそうだ。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 冬子さんを殴ってしまう御前様 2009年6月4日 寅次郎な日々 その402 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 5月27日夜に富山に帰ってきた。 その夜からすぐさま岐阜市での展覧会準備で昨日まで多忙だったが、 今日から少し時間が空くので、こうしてまたコラムをアップしている。 数日前にこの5月中旬に出たばかりの「男はつらいよ 推敲の謎」という新書(新典新書)を買った。 これは全48作のあらすじと、現存する脚本の準備稿や第一稿などの内容を、杉本元明さんという 国文学を研究されている中学校の先生が、台本を保存してある例の築地の松竹大谷図書館に通われ、 一つの本にまとめたものだ。 (松竹大谷図書館は偶然だが4月末に私のこのコラムでも写真入で紹介している) 本の中身はなかなか貴重な発見などが準備稿などを通して数多く書かれていて私にとっては興味深いものがあった。 ただ、惜しいかな、160ページ足らずの新書ゆえにページにかなり制限があり、かつ、新書ゆえに本編のおおまかなあらすじも 1ページ以上記述しなくてはならないため、ひとつひとつの作品における原案、準備稿、第1稿などの貴重な資料の 具体的な紹介がどの作品も1ページ弱しか書かれていないのだ。 う〜んあまりにもこれはもったいない。ここがページ数の薄い新書の欠点だ。 それと、あまり具体的にかけないのはひょっとして著作権の問題などもあるのかもしれない。 杉本さんもせっかく大谷図書館で全作をコツコツ調べられたのだからほんとうはもっと臨場感を持って、 それらの脚本の推移をたっぷりと各作品何ページにも渡って表現したかっただろうに、悔しかっただろうなあ…と、 自分ごとのように思ってしまった。 それでも原案や準備稿などのエキスはなんとか感じ取ることができるので私は買ってよかったと思っている。 それではこの本から本編とは違う初期段階の脚本のエキスをほんのちょっとだけ紹介してみよう。 たとえば【第1作について】 ■第1作の準備稿(5月5日付け)ではマドンナの名前は「友永冬子」 ■なんと御前様が冬子さんの行動に腹を立て、殴ってしまうというシーンがあるのだそうだ。 もちろんそのようなシーンはその後、すぐ変更されるのであるが、いったいなにがあったのだろうか。 上にも書いたとおり、ページ数に限りがあるのでその肝心の物語が紹介されていないのがなんとも惜しい。 ■同じく第1作で、博がさくらに告白したあと工場を出て行くシーンがあるが、そこでタコ社長が 「小倉梅太郎、一生のお願いだ」と泣きつくそうだ。 第6作でのあの発言「堤梅太郎、一生のお願いだ」の前に小倉姓があったことになる。 つまり小倉→堤→桂と、社長の名前は変わって行ったというわけだ。 ちなみに第31作「旅と女と寅次郎」の第1稿では工場の工員が「社長、桂って名前か」って 聞くシーンがあるそうだ。 「桂」という苗字はどの映画の中でも一度も出てこなかったのだが、第31作で使われようとしていたことがうかがえる。 しかし、これもどういう場面で言われたのかがページの関係で書かれていないのがやはり残念なところ。 たとえば【第3作『フーテンの寅』について】 おそらく森崎東監督が書いたと思われる『準備稿』も少しだけ紹介されている↓。 ■昔のテキヤ仲間の娘「吹雪」を故郷に届けることになった寅がその娘を親戚のお志津さんに預け、 自分は宿屋の番頭に落ち着く。 その後、刑務所から出てきて疎遠になっていたお志津さんの夫を堅気にするべく一芝居打つ。 ここでちょっとした行き違いがあり、この映画シリーズではあるまじき真剣な刃物沙汰になったりするのだが、 まあ、最後は万事上手くいって志津さんと夫は復縁し、寅は故郷の柴又に帰っていくという物語だったらしい。 ご存知のかたもおられると思うが、この森崎案はイメージに合わないということでスタッフや会社の意向で却下されてしまったのだ。 確かにちょっと毛色が違うが、そういう渡世を行く寅も一度くらいは観てみたかった、と、今だから思ってしまうのである。 たとえば【第5作『望郷篇』について】 ■この第5作には『原案』が残っているそうだ。 それによると、物語の舞台は浦安ではなく、熊本だった。 豆腐屋でなくうどん屋の母娘とともに働くという設定。 マドンナの名前は三浦節子ではなく『三浦秋子』 冬夏春秋とマドンナの名前が移って行く予定だったのが分かる。 で、なんと寅と秋子さんが相思相愛となる物語だったそうだ。 私は長山藍子さんと渥美さんとの深い縁を考えたら、このような相思相愛のままの別れが見たかった。 山田監督もテレビ版さくらという長山さんのイメージを重要視して相思相愛を考えたのかもしれない。 たとえば【第9作『柴又慕情』について】 ■この作品も梗概(こうがい)と呼ばれる原案段階のあらすじが残っているそうで、 なんとこの段階ではおいちゃんは亡くなったことになっているらしいのだ。 「おいちゃんが亡くなって半年ほどたった五月の頃」となっているそうだ。 森川さんがこのクランクインの少し前になくなってスタッフが呆然となり、そして右往左往していた様子が このような原案からもうかがい知れる。 このような梗概と呼ばれる原案段階のあらすじはどれもこれもかなり初期の大きなイメージのようなもので その後、具体的に準備稿、第1稿、第2稿、決定稿、本編、と移っていく中でかなり変えられていったのだ。 ちなみに、第16作「葛飾立志編」も梗概が残っていて、礼子さんと田所教授は結婚することになっていたそうだ。 たとえば【第37作『幸福の青い鳥』について】 ■マドンナの美保さんは元はあの大空小百合ちゃんだという設定にもかかわらず、 映画本編では美保さんに「寅さん」などと呼ばせてしまっているが、 脚本第1稿ではきちんと『寅先生』と呼ばせているのだ! 本当は『車先生』が一番正しいのだが、『寅先生』でも小百合ちゃんの雰囲気は出ると思う。 ああ〜、監督はなぜ「寅さん」などと呼ばせてしまったのだろう…。 車先生! 寅さん? → たとえば【第46作『寅次郎の縁談』について】 ■第1稿によると、満男の恋人の亜矢役に予定されていたのは工藤夕貴さんだったらしい。 なぜだめになったかはわからないが、満男とはいい感じになったのではないだろうか。 これまたもったいない話である。 ということで、「男はつらいよ 推敲の謎」(新典社新書1050円)をほんの一部だけ紹介してみた。 純粋に物語や評論を深く味わうための寅本としてはさすがに無理がある。 それぞれ1作品が3ページ弱ほどしかない上にあらすじに半分費やされてしまっているので 奥行きが浅くなってしまっているからだ。そう言う点では物足らないかもしれないが、 「男はつらいよ」を、初期段階の脚本を通して『資料的』に知りたい人にはなかなか意味深い本だと思う。
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『寅次郎な日々』バックナンバー お風呂で歌を歌うさくら 2009年5月22日 寅次郎な日々 その401 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください お風呂で歌を歌うさくら
それでは日本帰国後の6月初旬までお待ちください。
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『寅次郎な日々』バックナンバー コラム400回記念 NHK 『渥美清の”寅さん勤続25年』 2009年5月10日 寅次郎な日々 その400 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください
■ インタビュー 日本への帰国が近いので多忙です。 第23作「翔んでる寅次郎」本編完全版前編 のアップは5月20頃になると思います。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 寅の背中を流してあげるすみれちゃん 2009年5月3日 寅次郎な日々 その399 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 実は先日、ちょっとしたきかけで、とらやに『洗濯機』があったかどうか調べることになった。 洗濯は風呂場でしていることはいくつかの作品で分かっていたが、まさかひょっとして 手洗いではないだろうか思って、ちょっとそれらしいシーンを調べてみた。 まず洗濯機が見つかったのは第7作「奮闘編」、そして第26作「かもめ歌」だった。 二つの作品ともマドンナの肩までの入浴という保守的なサービスシーン((^^;)で洗濯機が映る。 第7作ではポンコツだったが、当たり前だが第26作では 洗濯機新たに買い換えている。時代だねえ〜〜(^^) 風呂桶はいっしょかも。 というわけで、洗濯機はすんなり解決したのだが、 一応それとは関係なく、例のごとく、キネ旬に掲載された第26作の『脚本第2稿』も見てみた。 すると風呂に関して意外なシーンがまたもや見つかったのである。 脚本第2稿によるとすみれちゃんはこのあと物語の中でもう一度お風呂に入るのである。 それはすみれちゃんが葛飾高校の定時制に合格した夜だ。 もっとも今度は服を着たままなのであるが(^^;) 実は、まず最初に寅がお風呂に入っている。 そしてなんとなんと、すみれちゃんが素っ裸の寅の背中を流そうとするのだ。 そして風呂の中で、二人して『江差追分』を歌うという、なかなかのシーンが 書かれてあったのである。 立風文庫の『決定稿』では、もう本編と同じになってしまっている。 よって本編では、これは採用されず、 茶の間で祝宴のさなかにすみれちゃんが江差追分を唄う。 これはこれですみれちゃんがみんなの輪の中にいて、ほのぼのとして実にいい感じだった。 しかし、お風呂の中で二人っきりで唄う「江差追分」。 これも実に聴きたかったと思うのである。 それではいつものように原文のまま書いてみよう↓ とらや 裏庭 すみれ、煙にむせびながら風呂に薪をくべている。 風呂の中から寅の気持ちよさそうな鼻歌が聞えている。 すみれ「寅さん、熱くなった?」 風呂から寅の声「おう、ありがとう」 立ち上がるすみれ。 台所 夕食の支度をしているつねとさくら。 みんな祝宴の支度をしている。 座敷で仏壇に手を合わせている竜造。 風呂場 すみれ、入って来て、風呂場の中に声をかける。 すみれ「寅さん」 寅の声「なんだい」 すみれ「私、背中流してあげる」 寅の声「ありがたいね、それは」 ズボンの裾をまくりあげ、風呂場の中に入っていくすみれ。 その様子を見ているつねとさくら。 風呂場の中から、寅とすみれの楽しげな会話が聞えてくる。 寅の声「かもめ〜♪…」 すみれの声「は、それ…」 寅の声「江差追分よ」 すみれの声「変なの」 寅の声「じゃ、お前唄ってみろ」 すみれの声「♪かもめの鳴く音にふと眼を覚まし…」 台所 仕事の手を止め、その唄を聴いている、さくら、つね、博たち。 社長、ささやかな祝いを手に入ってくる。 社長「さくらさん、これ入学祝いって程じゃないけれど」 さくら「すいません」 社長、風呂場からの二人の唄声にギョッとして、 社長「あれ!一緒に風呂入ってんのか」 博「しいっ」 すみれと寅の楽しげな唄声が聞えてくる。 つね、ふとつぶやく。 つね「可愛いだろうねえ、あんなに慕われちゃあ…」 以上です。 寅とマドンナがお風呂で一緒に唄を歌う。 それも寅は素っ裸。 渥美さんは事情があり肌を見せない人なので、これが実現しても第2稿のように 声だけの芝居になるのかもしれないが、このシリーズの中ではとても 珍しい濃密で温かなシーンになったと思われる。 この文章を書いている時に、後ろを通った息子が、内容を読んで、 「へえ〜〜、ふふん〜」と言って すみれちゃんが寅の背中を流しながら二人して江差追分を唄うシーンを描いてくれた。 近年は息子も仕事が早くなった。ものの十数分で描き上げてくれた。 ま、線に軽みがあってなかなかのものである。 RYOTARO作 次回は寅次郎な日々も遂に400回か…。よく続くなあ、我ながら。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 結婚前に満男が生まれてた!? 実現しなかった『夢』 2009年4月25日 寅次郎な日々 その398 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 先日もちょろっと第23作「翔んでる寅次郎」の本編完全版の作業を進めた。
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『寅次郎な日々』バックナンバー とらや一同の隠された意識 2009年4月20日 寅次郎な日々 その397 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 帰国が近いので絵のことも染織のことも工芸のこともかなり忙しくなってきた。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 親を選べない子供たち 2009年4月4日 寅次郎な日々 その396 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください 昨日、母親ネコのキウイが12月に次いでまたもや赤ちゃんを産んだ。 今度も2匹だった。母子ともに健康。一匹目を産んでからなんと8時間後に 2匹目を産むというとても珍しい産み方をしていた。 深夜12時ごろ、一匹目を産んだあと、数時間経って、これ以上産む気配が無かったので、 私たちも寝てしまった。それで午前中見てみると、なんと2匹目を産もうとしているではないか、 ということで、またもや子猫が増えてしまった。 今度は2匹とも父親のシンディ似の黒トラだ。 ちなみに前回は母親のキウイ似のキジトラだった。 バリの人々ならこういう時は、さっさと田んぼに子猫を捨てに行ったりもするのだが、 私にはとうていそんなことはできない。 また、日本のように次から次へ避妊手術という手がある。 一時期私もネコたちにそうしていた。 これはとても理にかなっているが…しかしどうもこれもあやしい…。 そんなに正しいのだろうか…、と、前々からひそかに思いはじめている。 それで、しょうがないからここ十年は生まれたら飼うのである。 結構可愛いと言って、欲しがる人もいるからその時はオシモのしつけが終わったらあげる。 もらい手が無い限りは飼い続けるつもりだ。 生まれてすぐの子猫たち、まだ目は開いていない。 どうも生まれたばかりの子猫の赤ちゃんを見ていると車寅次郎が産みの母親に捨てられた いきさつを思いだしてしまう。 赤ん坊は親を選べないのだから、私の考えとしては、なるべく成人になるまでは母親と一緒に 育って欲しいのである。 ところで、ここからが寅ネタである。 寅はもちろん生まれてすぐに捨てられたという悲しい身の上を持っているが、 このシリーズに出てくるマドンナも寅並に親に恵まれていない幼少期思春期を持つ人が少なからずいる。 山田監督はマドンナにも過酷な運命を与えるのである。 ちょっと思い出してみると… たとえば、第4作「新男はつらいよ」の春子さんは、父親の顔を知らずに育ち、 ついに最後まで父親に会おうとはしなかった。そうとうの悲しみを背負っている春子さんだった。 そして娘に会えないまま父親は死んでしまうのである。 第9作「柴又慕情」の歌子ちゃんも、母親が父親から逃げ出し行方不明になってしまうのである。 歌子ちゃんは思春期から残された父親と二人暮しで生きてきたのだ。 第11作「忘れな草」のリリーも、中学校のころから母親が男を作って出て行ってしまったので 印刷工の父親との二人暮しをせねばならなかった。その淋しさに耐え切れなくなってリリーは、 寅のように中学生から家出をしてしまうのである。 第17作「夕焼け小焼け」の芸者ぼたんも、思春期に両親ともいっぺんに亡くなってしまって、 幼い弟と妹を芸者をしながら育てて行ったのだ。 第26作の「かもめ歌」のすみれちゃんも、父親はヤクザもので博打好きの酒飲み、 母親は家を出て逃げてしまうという最悪の中で思春期を過ごさなければならなかったのだ。 第27作「浪花の恋の〜」のふみさんも、親に恵まれず、 小さな姉弟が離れ離れに暮らさざるを得なかったのだ。 第28作「紙風船」の光枝さんは両親の顔をほとんど覚えていない悲しい境遇にさらされ、 親戚をたらいまわしにされたあまりにも厳しい過去を持っている人だ。 この人と寅との相性は抜群だった。 第29作「あじさいの恋」のかがりさんも、本当の親とは小さい時に別れ、伊根にもらわれてきたのだ。 小さな頃からあきらめることを見につけてしまった悲しい人だ。 第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」の風子も母親が家を出て逃げてしまい、若くして亡くなってしまう。 自分も結局は母親と同じようなフーテン暮らしをしてしまうのである。 第35作「恋愛塾」の若菜さんも、母親が東京から来た男にだまされ若菜さんを産んだ。 そのあげく村の噂に耐え切れなくて海に身投げしてしまうのだ。 カトリックにとって自殺は許されない行為だったのだから悲しみは計り知れない。 このように、若菜さんはこのシリーズのマドンナの中でも最も深い悲しみを背負っている。 等々とあ〜キリが無いくらい多いのだ。 山田監督もよくもまあこれでもかと言う感じで悲しみをたくさん考えられるものだ((^^;) このように、寅に惹かれる女性たちのその多くは、寅同様、幼少期や思春期から 人生の悲しみや苦しみをいやというほど味わってきた苦労人なのだ。 だからこそ、ある意味、見た目がたいして良くない寅の、 その瞳の奥を見抜くことができるのだろう。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『遥かなる山の呼び声』 もうひとつの黄色いハンカチ 2009年4月4日 寅次郎な日々 その395 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください
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『寅次郎な日々』バックナンバー 前回は満男と泉ちゃんの黄色いハンカチのロケについて 書いたが今日もちょっと号外。 「東京家族」の本編とメイキングの両方で 私が映りこんでいました。 で、その東京家族の本編で 「黄色いハンカチ」がはためいているのだ。 『幸福の黄色いハンカチ』 2009年3月27日 寅次郎な日々 その394 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください
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『寅次郎な日々』バックナンバー タバコと『男はつらいよ』 2009年3月15日 寅次郎な日々 その393 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください タバコと『男はつらいよ』 先日、韓国から私のサイトをいつも見ていますと丁寧なメールを頂いた。 このあとちょっと2週間ほど仕事が忙しくなりますので第23作「翔んでる寅次郎」本編完全版前編の アップは4月中旬頃になります。気長にお待ちください。
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『寅次郎な日々』バックナンバー バンコクで再会した『寅さん大全』 2009年3月15日 寅次郎な日々 その392 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 【3月1日寅次郎な日々391『知られざる山田洋次監督』 CS衛星劇場「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより】はこちらを押してください バンコクで再会した『寅さん大全』
このあとちょっと仕事が忙しくなりますので第23作「翔んでる寅次郎」本編完全版前編の アップは4月中旬頃になります。気長にお待ちください。 【遠い旅の空から】掲載記事画像 記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』 の中の ホーム→地域→東京23区→企画連載のページに全文掲載もされている。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 知られざる山田洋次監督 「私の寅さん」 山田洋次監督ロングインタビューより 2009年3月1日 寅次郎な日々 その391 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 昨年からCS(communications satellite)の『衛星劇場』で「男はつらいよ」に携わった人々の 証言や思い出を丁寧に掬い取る作業が行われている。 『私の寅さん』という番組だ。 この番組は、今まで私たちが見ることができなかった、 出川三男、露木幸次、 五十嵐敬司、 青木好文 森崎東監督 、 宮崎晃 鈴木功 松本隆司 というスタッフ側の方々に深く突っ込んだインタビューがおこなわれているのが特徴。 (現在はスタッフへのインタビューが終わり、キャストへのインタビューに入っている。今月(3月)はなんと倍賞千恵子さん!) こういうつっこんだ仕事はNHKや地上波の民放ではなかなかできない。 一つはそれぞれのチャンネルで役割の違いがあるからだ。 そしてもうひとつは、地上波やNHKあたりではこの「男はつらいよ」を心底愛し、かつ熟知する方がホストとなって インタビューしないからである。 物事を深く掘り下げたい時は、対話するホスト役もやはりこの映画を深く理解していないと どこかで聞いたような一般的なものしか質問できないし、なによりもその相槌のニュアンスが違ってくるのだ。 まさにそれだ!というような的確なフォローが出てこないのである。これが大きな違い。 「何も知りませんので教えてください」と居直って、相手の発言に「なるほど」と、 感心ばかりしていてもしょうがないのだ。独り言からは『知られざる事実や感覚』はいつまでも出てこない。 同じ土俵で会話をしなければギリギリの『ほんとう』は出てこない。 だからといって非常にマニアックな質問や楽屋落ちの話題をすると言う意味ではない。 つまり、物事を深く理解していればおのずとテーマが絞られ、言葉が選ばれると言いたいのだ。 要は長年温めて来た『このことを昔から一度聞いてみたかった』という問題意識をいくつかもっているかいないかなのだ。 で、この衛星劇場のホスト役は日本の映画評論家の中で最もこのシリーズをたくさん繰り返し見続けている 幼少期からの「男はつらいよ」の大ファンであるあの佐藤利明さんだ。 彼がホスト役の場合は受ける側も当然適当なお茶濁しはできないはずだ。 私は残念ながらバリ島に住んでいるので、この一連の番組は見れないのだが、なんとかいろいろな知人友人に お願いして一部の番組、ほんの数人のインタビューだけは見ることができた。 その中でも山田監督への3回に分けられた1時間半にわたるロングインタビューは 山田監督の想いや感覚がじっくり聞けてとても大きな意味のある番組に仕上がっていた。 ちょっと今日は、その中で、特に印象に残っている、 私にとって「ああ聞けてよかった」と唸った会話を中心に拾ってみようと思う。 あくまでも私が勝手に選んだ抜粋であり、分量的には全体の3分の2くらいの会話だと思うのだが、それでも 今までの数え切れないくらい聞いてきたよくある山田監督のお話とは一味違う深く掘り下げたものに なっているのは、『衛星劇場』という専門的なチャンネルであることと、 やはり上にも書いた佐藤さんの力技でもあると思う。 『視点がある』ということは最も大事なことなのだ。 だからインタビューというのは実は相手を「凄いですねえ」と持ち上げることではない。 ギリギリでは聞き手と話し手の一期一会の真剣勝負なのである。 それでは『私の寅さん』での山田洋次監督へのロングインタビューのエキスをご覧ください。 あくまでもエキスですので短く抜粋するところも多いですがご了承ください。 それぞれの短いタイトルおよびコメントは意味が分かりやすいように私が勝手につけたものです。 それではお楽しみください。 このオープニングがまたなんともおしゃれだ。 【私の寅さん】 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が流れる。 I see trees of green, red roses too I see them bloom for me and you And I think to myself, what a wonderful world I see skies of blue and clouds of white The bright blessed day, … My memories of torasan special interview 監督 山田洋次 ■ 【渥美さんとは長く付き合いたいと思っていなかった】 「渥美さんとの出会い」についての会話 渥美さんとは最初は『馬鹿まるだし』 そのあと、1966年の『運がよけりゃ』も出てもらった。たった一日だけ時間が取れるというので、 ワンシーンだけの役で出てもらった。 佐藤:『運がよけりゃ』を今拝見すると渥美さんの出演シーンは、 吸引力のあるシーンて言うか、穏亡のね…。 山田:そうねえ… 佐藤:渥美さんがすべてみんなの欲望をお見通しで、やっぱりハナさんを食ってしまうほどのね…。 山田:そうそう、随分ハナちゃん食われちゃったよね…。 だけど、…あの『運がよけりゃ』の場合僕はあまり気に入らなくてねぇ、 いろいろやりすぎるんですよ、渥美さんがねえ、で、 そんな余計なことばっかりする役者だな、ってその時は思ってね、フフフ。 その時そんなにあの…この人と、長く付き合うことになる、あるいは 長く付き合いたいとはあまり思ってなかったですけどね、フフ、ええ。 はっきり、渥美さんとは長く付き合いたいとも思わなかったと言い切った山田監督。 こういう本音がしっかりでるのが専門チャンネルの懐の深さなんだろう。 ■ 【テレビドラマ『男はつらいよ』の思い出】 1968年、TBS『泣いてたまるか』の最終話、山田監督が書かれた「男はつらい」の話題 からフジテレビのドラマ『男はつらいよ』へ。 佐藤:ちょうど「泣いてたまるか」のあの回「男はつらい」は渥美さんと前田吟さんで… 山田:そうそう 佐藤:それが山田監督が渥美清さんのために書いたテレビドラマというのはそれが最初…。 山田:そうですそうです、 まあ、その「男はつらい」というタイトルと、「男はつらいよ」というタイトルは 直接的には繋がっていないんですけどね、 あとで、そういえば、そうだそうだ、「男はつらい」っていうのがテレビドラマで あったっけなと、思いましたけどね。 佐藤:そしてその後、いよいよテレビドラマの『男はつらいよ』がスタートするわけですけど、 ここで初めて渥美さんと山田監督というのが本格的というのがそこが最初だったんですね。 山田: そうそう、あの、フジテレビでしたよね、まだ白黒の時代ですよ、 次は渥美清でシリーズを作って生きたい、次の1クールを僕に書いてほしいと プロデューサーが頼みに来たということで、もう一回この大活躍を続けている 渥美清という役者と付き合ってみようと思いましてね、 で、じゃあそれ引き受ける前に渥美さんとちゃんと話させてくれと、今まで僕の映画にも 少し出たけれどもちゃんと話をする暇もなかったわけで、で、そういう機会を 作ってくれと言った。 いろんな話を彼とした、というよりも、彼の話を聞いたっていうかな…。 特に少年時代の思い出話を、ほんとうにたっぷり聞かせてくれて、 もう面白くて面白くてなんて話の上手い人だろう、ほんとあきれ返るくらいでしたねえ…。 その時テキヤの話も随分してくれて、いわゆる啖呵バイのセリフを、 パーッと僕の前でやるわけですね。なんて人だろうと…。そういうのいくらでも出てくるわけですよ。 記憶力の凄い人だなと思ったんだけども そんなことから始まりましたね『男はつらいよ』っていうのは。 山田:なんか東京の下町の人々が持っている美意識みたいなものが 渥美さんから受け取れたのね。 ああ、こういうのが東京人なんだな、っていうかな、古く言えば 江戸っ子なんだなていう。ああ、こういう時に感動したり美しいと思ったりするんだな…。 東京の下町の人たちはね…、 渥美さんが少年時代憧れたというテキヤの生態の中から、わーかっこいいと思うのは こういう部分なんだということを僕は彼から知ることができてね、 いっそ、テキヤになったらどうなんだろうと。 そうすると、自由じゃないですか、出たり入ったりが、舞台になる妹がいる家に いつぶらっと帰ってきてもいいし、いつ出て行ってもいいし、全国どこを旅してもね、 テキヤだったら可能なんじゃないか、で、啖呵バイも上手だしね、そんなことで、 寅さんをテキヤにする職業もきめたんですね。 佐藤:ホームドラマと言うのは定着者のドラマにもかかわらず、 「男はつらいよ」というのは放浪者が出てくる。これは当時のホームドラマでは なかったことではないでしょうか。 山田:そうねえ、ホームドラマなんですよ、で、そこに放浪者が出たり入ったりすることで、 定着した世界が際立つし、また放浪者の喜びとか悲しみも出てくるんじゃないか、 非常に対照的な世界を描くことができたんじゃないかな。 佐藤:『愚兄賢妹』という仮題がついてた、そのコンセプトの中に、寅さんとさくらという 兄妹なんだけれども、放浪者と定住者というね、…。これがたぶん、後に48作続くシリーズの、 ほんとに大きな原動力になったんでしょうね 山田:まあ最初からきちんと設定したわけではなかったけれど、運がよかったんでしょうね、 妹の世界とお兄さんの世界がうんと対照的になって対照的でありながらお互いに 惹かれあって、続いていくっていうのかなあ、 放浪者は常に定住したいって言う憧れがあるし、定住者は常に旅立ちたいっていう 憧れを持ってるっていうことなんですね。 佐藤:そこに、ひとつ『続男はつらいよ』にも登場しますインテリである散歩先生が出てくるわけですよね。 そこの三者、3つのパートが上手くはまってテレビドラマ全26話の中で渥美さんの車寅次郎という 人物が生き生きとしてきたわけですね。 山田:そうそう、テレビはやってて楽しかったですねえ、 あの時代はねえ、まだ現場が生き生きしていたからねえ、本が間に合わないと、 その時のリハーサルを見ながらね、その俳優の芝居を見ながらね考えるんですよ。 来週撮るのに、これから本を書くからって、そのままテレビ局の応接間でね本書いて、 こんなセットがいる、こんな俳優がいる、交渉してくれって、夜一本作っちゃう。 明け方、家に帰るっていうことをやってましたねえ。 で、散歩先生はとても大事な役を果たしてましてね、ちょうど正月をまたぐことになったから なんか変わったことをやろうか、正月だから…。 たまには1シーンだけって言うドラマもあってもいいじゃないかって、 全部一部屋で始まって一部屋で終わる、そこにレギュラーメンバーが全員がいる。 正月の晩みんなが集まって議論している、それは『幸福について』みんなが…、 おいちゃんなりおばちゃんなり、散歩先生と言うインテリなり、 あるいは寅さんのような、ろくすっぽ字も読めないような男も含めて議論するのを、 1シーン、つまり『シーン1』で全部おしまいっていうのができないかなあって…言ったら やりましょうやりましょうっていうことになってね、そんなのをやったりしましたねえ。 このテレビ版『男はつらいよ』の話はとても面白かった。 山田監督が原点であるテレビ版『男はつらいよ』についてこんなに語るのも珍しい。 当時のテレビ番組制作の情熱と混乱が臨場感を持って迫ってきた。 ■ 【寅次郎を死なせたことの失敗と後悔、そして再起】 佐藤:そしてそのテレビ版が69年の3月に終わるわけですね。 その最終回というのが、今は伝説となっていますが、寅さんが奄美大島で死んでしまうと…、 そこで、なぜ寅さんというそこまで来た主人公をそのように…。 山田:いや、いつものようにね、リハーサル見てて、いよいよこれでお仕舞いですと…。 ほら、このシリーズは段々視聴率が上がってきたんです。 最初は3パーセントとか4パーセントとか酷いんですよね、フフ、 で、ワーワー、フジテレビに言われるわけ、これじゃ困るからもっとあーしろとかこーしろとか、 テキヤはまずいからもっといい職業ないかとか、やたらにションベンだクソだと言うのは やめてほしいとかね、『何言ってやがる』とか僕は思っていたわけだけど、 そのうちね、段々視聴率が上がってきて、13回の約束を、もう1クールやってくれとかね。 で、26回までずっと視聴率が上がりつめたんで、またもう一回やることになりそうな 気がして、もうこのへんで僕は打ち切りたかったんですよね、それで最後に寅さんは 奄美大島でハブにかまれて死んでしまいますって言ったら、出演者から一斉に抗議されたのね。 『そんなバカな、そんな終わり方はないでしょう』、っていう。 『そんな可哀相な、お兄ちゃんが死んで悲しいみたいな芝居わたしやるのいや』なんてね、 長山藍子さんのさくらさんがね、もう涙ぐんで抗議したりなんかして。 しかし、僕は、寅さんのような人間が現代の時代に実は生きていられるっていうのはドラマの 上であって、実際はこの現代って言うのはそんなことが許される時代じゃないんですよって、 それがこの最後のシーンのコンセプトです。なーんて、偉そうなこと言ってね、フフ、 で、作って、そうすると今度は視聴者の評判がものすごい悪くてね、総攻撃くらって、 それで、「あれー…?」って思ったんですよね。これは失敗したなあ…っと。 佐藤:その段階で視聴者の方々、出演者の方々の中に「男はつらいよ」「寅さん」っていうのが それぞれの中で生まれていたっていうことなんですね。 山田:そうなんだねえ、だから、みんなが寅さんをそんなふうに抱いてくれていた、 そして愛してくれていた、それで今度は寅はああするだろうこうするだろうと 想像を描いて楽しみでドラマを見てくれていたのに、突然作者が出てきて、 『はい、死にますよ』って殺しちゃう…。それはね、やるべきことじゃないってことがね、 反響とか手紙とか…それで、僕は知らされちゃったねぇー。 佐藤:これじゃいけないということで、山田監督の中で映画化っていうのはそこで思いたった…。 山田:そうです。 どうもねえ、僕も気持ちが片付かないっていうかね、こんなにみんなが愛してくれたんだなあと、 僕としてはとんでもないことやっちゃったなあと、申し訳ないような気持ちがして… 作る僕たちと観る人たちとの関係もいろいろ考えさせられたし、 そもそも僕たちがドラマや映画を作ることはどういうことなのかっていうことまで考えたりして、 それは観たいものを具体的な形にして作るってことなんだ、で、 何が見たいのかっていうのを、じっと見定めていくっていうことができなきゃいけない…。 ともあれ、そういう反省の上にもう一回寅さんをね。 あんなにみんな楽しがったり、悔しがったりしたんだからスクリーンの中で生き返らせる。 そうすればもう一回観てくれるだろうし、まあ安心してくれるだろうと、映画で寅さんを生き返らせます としたわけです、フフ。 シリーズ化された主人公というものは、途中から制作者のもとを離れ、観客の心に宿っていくことを 大やけどを負いながらつくづく実感した山田監督はこのあと制作者として大きく飛躍したのだと思う。 中略 会社は反対したが城戸さんの一声で押し切ってしまう。 ■【あの『桜のシーン』をすでに撮っていた】 佐藤:そして映画版がスタートするわけですが、映画ではもう桜のシーンから始まるって言うことは わりと直近でクランクインされたという…。 山田:そうか…、 山田:僕はそのうち寅さんを映画にする、その場合、幕開けは桜から始まりたいと、 で、これはものになるかどうか分からないけどとにかく桜を撮っておいてくれと、フフ、 そんなことでね、じゃあ撮りましょうかみたいな。考えたらいい時代ですよね。 これは、なんとも面白い。とりあえず使う可能性があるから撮ってきてくれなんて 本当にチームワークを感じて微笑まくもあり、同時にしたたかさもしっかり感じた。 ■ 【キャストを変えて再出発、しかししょぼくれてた現場】 佐藤:キャストをかなり変えられたことは、映画のためのスケールアップみたいなことでしょうか。 山田:そうですね、みんなそれぞれ素敵な人たちだったんだけども、映画の場合だともう一回 考えなおしてみる。 もう少しふさわしい人がいるんじゃないかってことで、キャストなんかも考えていくわけですね。 だからタコ社長なんて人も御前様みたいな人もテレビ版にはいなかったんですね、 もう一回整理してみたってことかなあ…。 会社は元々反対してるし、なんだか歓迎されない企画がギリギリ実現したという感じで、 なんだか現場もなんだかしょぼくれてたし、僕も気持ちが重かったし、これがシリーズになるなんて もうとう思っていなかったですね。 会社の反対に合いながら制作していったゆえの、現場の不安と重苦しさがあの第1作に隠れていたことが はっきり分かった言葉だった。決して元気いっぱい再出発だと張り切っていたわけでもなかったのだ。 中略 封切られてみると、昼間も、そして深夜興行などでも人が入り、結構ヒットした。 男の人たちがたくさん観に来たのだ。 このあとものすごいハイペースで次々に続編が作られていった。 ■ 【第5作『望郷編』を完結編にして今度こそやめるつもりだった】 山田:で、もう一本どうしてもやりたいってことになった時に、 僕はまあ…その…まあ、その…3作、4作、監督が違うと、不思議なもんで、 いい悪いじゃなくてねえ、同じキャスティングで僕が脚本書いて、同じ衣装を 着て出てるんだけども不思議なもんで監督が変わると、ぜんぜん色合いが変わって きちゃうわけですね。だから、もう一回僕の、僕の味付けで、僕の好きな色合いに映画を作って お仕舞いにしたいと、だから第5作は、『じゃ僕が撮る』って言って、 そう言って1970年僕は家族って言う映画を作ってたんだ。その家族を途中で切り上げて そして『望郷編』っていう作品を作ったんです。 佐藤:そうしますと、望郷編は山田監督の中で『完結編』として取り組んだ作品ですね。 山田:そうです、そうです。 佐藤:で、そこにテレビ版のおばちゃんやくの杉山とく子さん、さくら役の長山藍子さん、 博士役の井川比佐志さんと、 山田:そうそうそう、長山さんが出て、井川さんが出てね、 佐藤:それで有終の美を飾るつもりでつくることになったと。 山田:うん、だからそういう意気込みがあるわけですよ、 これでお仕舞いにすると、 そういう僕の意気込みやら、渥美さんたちの意気込みやらが、こう、 ひとつの力になったんじゃないかなあ、とてもこう元気のある映画ができたんですね。 そしたらこれがまた、今までを上回るヒットを遂げちゃったんで、 まあ、終わるに終われなくなっちゃったっていうか、フフ…、今度はもう、 観客にこう、押されるようにして、今さらやめるわけにはいかないっていう感じがしてきちゃってね。 第1作 第5作 この二つの作品に共通しているのはこれ一本で終わりにしようという 集中力だろう。こういう時はスカッとしたリズム感のいいものができるのだ。 ■ 【マンネリズムの中の緊張感について】 佐藤:望郷編で一つ完結しようと思った寅さんを、そのクォリティの高さでシリーズが続くことになっていく わけですが、その毎回同じ物語を紡いでいくことに対して当時の山田監督はいかがだったでしょうか。 山田:んー…、そういう批評、悪口は言われましたね。マンネリズム…。 それは随分僕も苦しみましたね…。思い切って変えちゃったほうがいいのかしら、 会社でもそう言われましたよ、少し変えてみたらどうだと。 たとえば寅さんが結婚して子供ができたりなんかしたら面白いんじゃないかって言うんだけれども どうも僕はそういう寅さんを見たいとあんまり思わないなあって…。 マンネリズムというのは聞くとぞっとするけれども、でもね、そんな悪いことでもないような 気がしてくるわけですねえ。 あの、観客は同じ色合いの、同じ匂いのするものを見たくて映画に来るんじゃないか…。 それはたとえば、この店のラーメンが食べたい。次の週も次の週も食べに来る。 それに対して作り手が飽きてしまって、今度思い切って変えました。って…それじゃね、 観客は期待を裏切られてしまうっていうか…。 だから同じようなものを観たいって言う気持ち、それに対して同じような楽しみを提供するっていうことは なかなか実は難しいことじゃないかと…。だからそんなに悪いことじゃない、マンネリズムであることはね。 問題は、その、毎回毎回作る僕たちがある緊張感を持って、これは観客は初めて観るんだぞと、 いう気持ちに僕たちがなってれば、観客だって始めて観た気持ちになれる…。 つまりマンネリズムの楽しさというのはそこにあるんじゃないかっていうこと。 まあいろいろ考えましたねえ。まあ、あんまり変えるまいと。 『馴れ合い』の嬉しさ…、それがこの映画には大事なことなんだ、と思いましたねえ。 佐藤:『十八番(おはこ)』と言う言葉があります、それから『料簡』という言葉があります。 おそらくその寅さんの料簡というのが、観客と一緒に作り手である山田監督や渥美さんが育てて いったんじゃないかという気がします。映画なんですけどライブなところがあるんですね。 山田:そうねえ、うん、そうねえ。 毎回新たな気持ちで同じものを作ることのなんと難しいことか。 落語家が同じ噺を高座で演じることとの共通性をふと感じさせる本質的な話だった。 中略 ■ 【名優 森川信の真髄】 佐藤:この映画のレギュラーメンバーというのがそれぞれ『料簡』を持っていて、 特に森川信さんのおいちゃん、これはテレビからですけど、今見てもほんと絶品ですね。 山田:そうねえ、あの人は、ほんとはもっともっと高い評価を下されていい名優だったと 僕は思いますよ。 森川さんが出る日は僕も楽しかったもの。 今日はこのセリフをどんなふうにしてあの人は言うのだろう。 この芝居の時にどんな表情をするだろう。いつもね、わくわくする思いでいましたねえ。 で、たとえば寅さんがふっと現れるでしょ。 「ええ!?」ってなるでしょ、森川さんがね、「ええ!?」って言っただけで、もう 観客が爆笑してしまう。 渥美さんにね、ある日、聞いたことがあんのねえ、ああいう「ええ!?」って言っただけで 大爆笑する、それは森川さんが長年浅草で培ってきた、その演技力というものなのかしらね、って 言ったら、渥美さんは違います。っていうんですよ。なんですか?「天賦の才です」って言うのね、フフフ、 あーそうか!って、誰にもできることじゃない。「天賦の才です」っていうのは、 イコール、渥美清の芸もそうなんだと僕は思いましたね。天賦の才なんですねえ、あれはねえ…。 中略 山田:いろんなことを、うんとたくさんの複雑なことを伝える、 言葉にすると何十行、何ページにもなることをね、一挙に伝える。だから観客は、 嬉しくなって笑うんですよ。 『天賦の才です』と、森川さんを言い切った渥美さんの言葉は、修羅場をくぐってきた渥美さんの、 俳優という仕事に対する冷徹で厳しい目と、隠された自負をじわりと感じさせるものだった。 中略 ■ 【媒介者としての寅次郎】 山田:あの…くだらない政治家とか、くだらない会社の社長とか、そういう人とは 寅さんはぜんぜん似合わないんですよね、もうひとつちゃんとした、自分の世界なり、 人間観なり、自分の思想を持った人と、寅さんとは似合うのねえ、 佐藤:ですから、諏訪ひょう一郎さん、志村喬さんが、『人間は自分の運命に逆らっちゃいけない』 って説教して、寅さんは感化される。寅さんはまた感化されやすいんですね。 山田:そうそう、寅さんて言うのはね、正しい意見をね、こうすぐに信じることができるっていうかな、 『君子豹変す』って言うけれども、そっちのほうが正しいと思ったらさっと切り替えられる、 こだわらないって言うか、自分の考え方にね、そういうのはよさじゃないのかな。 佐藤:それはある種我々にとっての理想でもありますよね。 そうかくありたいと。 山田:そうね、で、また、すぐ綺麗な女の人が来たら、それ捨ててそっち行っちゃうかもしれない。 だから、寅という人間の中に確固たる思想が築かれていくわけじゃない、一つの考え方が、こう 練られて行くわけじゃない、ただそういう誰かに聞いたことを、あーほんとだと思って すぐペラペラ柴又に返って来てみんなにしゃべる。 さくらや博たちは、その話を聞いてほんとにそうだと思ったりするわけですよ。なるほどと。 で、それは寅の考えじゃなくて、ただ、誰かの言葉をただ通訳して聞かせているだけで、 つまり『伝達』する、ある考え方なり、思想なり…それを『伝達』する役割を寅はしている。 だけど、伝達し終えたら、寅はそれ忘れちゃってるかもしれない。 でも確実に寅によって寅から聞いた博やさくらたちは、その言葉を胸の中に仕舞って、自分の 考え方の中にそれを含めていくことができる…。 だから寅は貯まらない、フフフ。すぐ流して行っちゃう、フフ。 佐藤:寅さんは『媒介者』である。 山田:『媒介者』、そうそうそう。 『寅は媒介者である』これは佐藤さんの名言だ。 中略。 ■ 【寅次郎と渥美清 引き際の美学】 佐藤:寅さんは他者とはまみれない。情に厚いけれどもなれ合わない、っていうところが…。 山田:そうね、そうそう、渥美さんにそういうとこがありましたね…。 こう人間関係が極めてクールっていうか、ベタベタしない。 ベタベタするのは嫌い。だから、ここからは相手に入り込んではいけないっていうのをよく分かっている。 あるいは自分にも、ここからは入ってほしくない…、 だけど、ちゃんと相手のことを思いやることができて、あの、いたわってくれるっていうのかな…。 寅もきっとそういう人間だったと思いますねえ。渥美さんのように頭はよくないけれども 寅なりにそれができたんじゃないかな…。 佐藤:『引き際の美学』というか、特にシリーズ中盤くらいから恋に対しても全ての出来事に対しても 引き際のよさが粋に繋がっていきますよね。 山田:渥美さんって普段そういう人でしたよ。ロケあとなんかで雨の日なんかワイワイみんなで しゃべってるでしょ、そこにふっと現れて、で散々面白い話を聞かせて、スッといなくなっちゃうのね。 で、いなくなる時にね、あ、いなくなったって思わせないのね。 ふと気がつくと、もう、いない。だから、よくみんなで、渥美さんって引き際がきれいだねえ、 気がついたらいなくなるねえ…、って言ってたんだけど。 渥美さんはね、きっとそのようにしてこの世を去りたいと思っていたに違いないと思うな。 はっと気がついたら、あれ、渥美清近ごろ見ないな、どうしたんだ。 いや、あれ死んだよ。 いつ? もう2年前だよ。 あーそうか死んだのか…。 というかたちで、この世を去るのが自分の 理想だって、まあ奥さんにも言ってたことがあるそうですね。あーだこーだって大騒ぎされて 消えるのはいやだって…、だから粋なんですよ。ほんとにスマートなんですよ。 孤独の中で自分や世の中を見据えながらもスマートな生き様を通した渥美さんに寅をダブらせた 山田監督の深い洞察力が言葉の端々に光っていた。 中略 ■ 【妹とという存在の微妙さ】 佐藤:さくらとの関係で、第8作「恋歌」で、やはり「一度はお兄ちゃんと交代して私のことを心配させてやりたいわ」 「こたつに入りながら今頃さくらはどうしてるのかなって、そう心配させてやりたいわ」 このセリフってさくらと寅さんの本質的な部分と思うんですよ。 山田:そうですね、そんなこと言いましたね…。 佐藤:山田監督の作品の中には兄妹(あにいもうと)というモチーフが多いんですがなぜ妹なんでしょう。 山田:ん、あの…、柳田邦男のねえ、著作の中に『妹の力』っていう有名な言葉があるけれども、 あの、日本人独特なのかもしれませんねえ、こう妹ってのはつまりいわばセックス抜きで 愛することができるっていうのかな…。だから妹を大事に思うって言うお兄ちゃんは 世の中にとっても多い気がしますねえ。 で、異性の場合はどうしてもそこにセックスという問題が付きまとうからごちゃごちゃしたり 最後はひどいことになったりする…、結婚したって、それはなかなか上手く行くもんじゃ ないですよね。やっぱり男と女の関係というのは複雑でごちゃごちゃしてしまう。 妹はもっとスッキリとした付き合いで愛することができる。 あの…、一種の、さくらと寅との関係は、きれいな男女関係だと僕は思っていますよ。 で、寅にとってさくらっていうのは、ま、一種の『宗教』みたいなもんで、 彼女を心配させてはいけないっていうのが一つの自分の生きる基準にしてるっていうかな 彼女はこの場合なんて言うのか、彼女がそういうことはダメよって言うことがらはしないっていうかな。 彼女がとってもいいことしたわねって言うようなことを自分はすればいいっていうかな。 まあ、そういう意味じゃ、さくらは寅にとって、まあ、聖母マリアのような、観音様のような、 そんな存在だったんじゃないでしょうかねえ。 まあ、ほんとにあの、さくらは基本的には『定住者』ですねえ、で、寅さんは『放浪者』で。 もしかして、長い人間の中で女性は定住者だったのかもしれない。 男はあっち行ったりこっち行ったり、餌を獲って帰ってきて、餌を与えるとまたどっか 行っちゃうというね。女性はそこで子供を産んで育てて、という…。 山田監督は、今回、この映画の隠し味である『妹の力』をはっきり言葉にされている。 これはこの映画を観続けていく上でとても重要な要素だと思う。 ■ 【旅をやめられない寅の本質】 佐藤:9作目の『柴又慕情』で、あの、ラスト近くさくらと寅さんが江戸川堤で話をして また旅に行くの?どうして旅をするの?って言うんです。 それに対して「ほら、見な、あんな雲になりてえのよ」と寅さんが言うんですね。 これもやはり寅さんがなぜ旅をするのかということを、もしかしたら唯一意思表示した 言葉なんじゃないかって思います。 監督の中でなぜ寅さんは旅をしてるんでしょう?。 山田:あの…、寅さんは仕事で旅してるんですね、商売だから、フフ。 寅さんは、決して旅行者みたいに楽しく旅行してるんじゃない、 つまんなそうな顔してますよ、旅先ではね。 で、故郷に帰りたいなっていうふうにいつも思っている。 だけど、あの、故郷に帰っても長続きはしないっていうのは、 もともと彼の中に非市民的な、なんていうのかな、市民としては失格者なんじゃないのかな。 大部分の人はみんなぼやきながらも我慢することは我慢し、約束ごとを守り、法律もマナーも 礼儀作法も守っていくんだけれども、 寅って言う人間の中にある奔放さとか、不埒さとか、不良性ってものが、 どうしてもそこに落ち着かせないっていうのかね、だから結局『どうもオレは邪魔もんだ』って 結局出て行く、で、もともとそれは商売だから、そんなふうに歩いていくけれども、 故郷に帰りたい、定住したいとか、家族を持ちたいと、願いはいつも持ち続けている、 だから帰ってくる、また出て行くっていう繰り返し、…なんじゃないでしょうかね。 それは、誰でも人間がこう男であれ女であれ、心の中で持っているものであって、 まじめに汗水たらして働きたいという気持ちと、もう一つは面白可笑しく、 年中いいところ旅して、年中素敵な恋愛をして生きていたいっていう気持ちは まことに矛盾しながらもみんな抱えてると思いますねえ。 佐藤:そういう寅さんをおばちゃんが「ぜいたくな男ですから」と言います。 このぜいたくな男という言葉には寅さんを擁護する言葉と、批判する言葉と両方があって、 これも名言だなと…。 山田:ぜいたくに、美味しいもん食べてお酒飲んだり、美女と付き合ったりいいなあという思いと、 人間はそんなぜいたくばかりしてちゃいけませんよ、と、だいたいそんなぜいたくなんか しても何も人生楽しいもんじゃないと、いう戒めとね。 寅はずーっと楽しい思いをし続けたいという不埒な人間だから、そんなもんじゃないというのが どうしても寅には分からないというのかな。 今の世の中、でも、そうじゃないですか。ずーっとぜいたくな楽しいことばかりしてるのが 幸せというような、まことに間違った価値観をね、僕たちは常にいろんな広告やらなにやらで こう押し付けられてる。…そうだろうか、そんなにね、ああ、幸せ幸せってことなんか ありゃしないんじゃないだろうか、思いますねえ。 寅の哀しい業の部分を真正面から言い得た優しくも厳しい言葉。 中略 ■ 【映画の中でこそ花開く歌声】 佐藤:シリーズの中で寅さんはいつも陽気に鼻歌を気持ちよさそうに 歌ったりしていますが、やっぱり寅さんの歌って言うのは心の発露なんでしょうか。 山田:機嫌がいいときに鼻歌を歌うっていうことを今の日本人はもうしないんじゃないかな。 みんなで歌って遊ぶっていうのもしなくなってきちゃったねえ。 だからそういうことが僕なんかとても懐かしいから寅さんに歌を歌わせるんですよねえ。 で、あの、独特の歌い方ができるのねえ、寅さんはねえ。 譜面どおり歌うんじゃなくて、渥美さんが自分の中で消化した独特の節回しとかテンポとかね、 だから渥美さんの歌って言うのはとて好きですよ。 佐藤:譜割りが渥美さん独特のものがありますね「月の法善寺横町」とか 山田:そうそう、だから…結構レコーディングなんかしてたけれど、 カラオケってのはとっても苦痛だと彼は言ってましたね。 だからその、うまいギタリストとかピアニストがいて、彼に合わせて伴奏して くれると、とても彼は歌いやすかったんだと思うんですけどね。 佐藤:むしろ、映画の中で、寅さんが歌う歌い方こそが渥美さんにとって一番気持ちのいい…、 山田:そうそう、そうなの、アカペラで歌う方がねえ。 確かにCDの中での渥美さんの声は、別人のように固いことがある。 渥美さんの歌声は映画の中でこそ花開くのだろう。 中略 ■ 【高羽カメラマンの凄み】 佐藤:高羽さんっていうのは監督からご覧になってどんなキャメラマンでしたか。 山田:ん、ほら、教養のある人は必ずしも創造力が豊かだとは限らない。 物知りだけども、ものを作ればあまり豊かではないと、いう人、だいたいそういったもんなんだけども 高羽さんて言うのはものすごい教養があって、物知りで、なおかつ非常にイマジネーションが豊かな人、 ああいう人は珍しいんじゃないかと思いますね。で、よく勉強している。 だから、映画の作り方、ドラマの作り方、カットの繋ぎ方、あらゆることでどれだけ僕はこの人に 助けられたから僕は、こんなに長く寅さんを続けられたんだろうと、そう思いますね。 まるで二人の監督がいるような錯覚にとらわれるほど、高羽さんは山田監督の演出に 大きな助言と示唆を与え続けたに違いない。映画を見ていると高羽さんの意思が伝わってくる シーンが続々出てくるのだ。 ■ 【役に出会った女優 浅丘ルリ子さん】 佐藤:シリーズ48作で、本当に日本を代表するさまざまな女優さんがマドンナという形で 出演されましたけど、監督の中でやはりキャラクターも含めてということで、印象に残っている ヒロインというのは… 山田:それぞれみな素敵な人だけれども、とにかく出た回数の多いのはなんたって浅丘ルリ子さんですよねえ。 このシリーズに登場して、彼女自身がキャラクターを発見したっていうのかなあ…、 驚くべきもんでしたねえ、最初の「忘れな草」で登場して、彼女が芝居するのを見て、 うわー、この人はこういう演技ができるんだ、と思ったし、それは、彼女自身も非常に 大きな発見だったんじゃないかしら。 中略 山田:ちょっとモノセックスなところあるからね、浅丘ルリ子さんていうのはね。 だから男と女のベタベタした関係じゃなく付き合えたということじゃないのかな、 一番最終回じゃ、奄美大島で言ってみれば同棲しているんだけどね、そういう言葉から 連想させるベタベタした感じがまるでないのね、あの二人が一緒にいるとね、 それこそ兄妹みたいに、兄妹が仲がいいように仲がよかったし、 また、兄妹のように喧嘩するように暮らしていたんだろうなと…、ああいうところは 浅丘ルリ子さんでないと成り立たないですね。 山田監督をして「驚くべきものだった」と言わしめた浅丘さんの水を得た魚のごとき演技は このシリーズのイメージの中心に位置されるべき冴えと鮮やかさを持っている。 ■ 【寅次郎は今も奄美で住んでいる】 佐藤:あの『紅の花』のラスト、あの最後の大団円というのは、まさしくファンが望んだ、 ずーっと思っていたけどそこまでいたらなかった、それが叶ったビジュアルでしたね。 そこには山田監督の、リリーと寅さんを寄り添わせたい… 山田:だって、さくらたちだってそう思ってるんだから、 もし一緒になるんならリリーさんだと思っているんだから、 そういう場面もありましたしね、一緒になってくれたらどんなに幸せかっていったら、 いいわよ、って彼女は言った、そこまで行ってんだからあの二人はね。 さくらたち一族の願いなんですね。 佐藤:寅さんの48作品というのは、繰り返し見ることができる、ひとつのドラマとして、 あの最終話が本当に幸福な最終話になっている気がします。 山田:フフ、そうね、だから、たぶん今でもそんなふうに喧嘩しながら、南国でねえ、 暮らしているだろうと、いうふうにまあ、思っていただきたいと、いうわけですねえ、観客にはね。 この発言は歴史的な発言である。 山田監督が『寅とリリーは今も奄美で暮らしている』と断言したのだ。 ■ 【スタンダードになりつつある『男はつらいよ』】 佐藤:『寅さん』は、オンタイムの娯楽とか映画じゃなく、 やっぱり日本人の中の一つの『スタンダード』に今、なったのかなと思います。 山田:ん、そんなふうに言って下さると僕にとってはとても光栄ですね。 『典型』…、たとえば文学の上での典型って言えばあのー…、『坊ちゃん』なんていうのがあるじゃないですか 『坊ちゃん』って言えばみんなわかるっていうかな、たとえば落語で言えば熊さん、 「おい熊さん」って言えばみんなもうイメージができる。 同じように『寅さん』と言えば、うん、こんな人間というふうに、大勢の方が受け止めてくださる、あるいはイメージを かき立ててくださるとすればね、僕にとってはとても、あの、名誉ですね。 「スタンダード」というキーワードを使ってのまとめ方も佐藤さんならではの優れた感覚だった。 中略 ■ 【第7作『奮闘編』の味わい】 佐藤:山田監督は今回3本の作品を選んでいただいてオンエアさせて頂くんですけれども、 まず『奮闘編』をお選びになった理由というのは? (あとの2本は第32作『口笛を吹く寅次郎』と第42作『僕の伯父さん』) 山田:うん、これは地味な映画ですからね、キャストも地味だし、あんまり寅さんシリーズでは 取り上げられることはそっちかというと少ない写真だと思うけれども、 あの、僕はとても好きなのね。津軽から出てきた女の子を寅さんが一生懸命かわいがって 大事にして故郷に送り届けてやるという…、寅さんをお兄ちゃんのように慕うっていいますか 女の子がね、そのへんの心の通い合いがとても上手く出たんじゃないのか…、 で、その子がまあ、ほっとくととっても酷いことになるかもしれなかったのを、 寅が救ってやるっていうのかな、あの、とても僕はね、こじんまりとして地味だけども 好きなんです、そういう意味では。 佐藤:あれの冒頭シーンが、新潟県で、全員が素人の方の中に寅さんがいるという、 今思うととても実験的な演出をされてますね。 山田:集団就職の時代だったんですねえ…。だからあそこに登場している少年たちや見送るお母さんたちは みんな、経験者なのね。去年自分の息子、娘を送ったことがある。そういう人たちが、芝居するからほんとにね、 気持ちが入っちゃってね、自分のことのように…、「さよならさよなら」って言う時もね、みんな泣くのよ、涙流してね。 びっくりしたなあの時はね。 佐藤:で、花子を迎えに来る福士先生役の田中邦衛さん、これも、ほんとうに、シリーズの中でも一番印象的な キャラクターだと思います。 山田:井上ひさしさんがね、『僕はこのシリーズの中で一番好きです』と言ってくれるのが『奮闘編』なんですね。 特に田中邦衛さんがよかったねえ、本人は津軽訛りをしゃべるのが精一杯で、フフ、芝居どころじゃ ありませんでしたって言うけれども、よかったですねえ、あの邦衛さんはね。 なかなか普段聞けない超地味で人気もイマイチの『奮闘編』の良さをたっぷり聞けて 幸せな気持ちになれた。いい話だった。私はこの『奮闘編』の中にこそ、寅の本質がたっぷり 入っていると思っている。 中略 エンディング曲が流れ始める。 Louis Armstrong 『 What A Wonderful World 』 I see trees of green, red roses too I see them bloom for me and you And I think to myself, what a wonderful world… ■ 【渥美さんに褒めてもらえる作品を作りたい】 佐藤:山田監督は渥美清さんと26年に渡って、切れることなくお仕事をされてきましたけど、 今こう思い返して渥美清さんという俳優は山田監督からご覧になってどんな俳優さんだったでしょうか。 山田:…、まあ、一言で言うわけにはいかないですわね、とても渥美さんのことを語りだしたら、 一晩でも語れるけれども…、なんだろう…、 たとえば、あの大変な見巧者で、芝居にしても映画にしても、あの人はほんとに観るのが好きで、 極めて的確な判断をする人だった。 僕たちは映画を観る時に、渥美さんにまず聞く、「損しない?」って言ったら「うん大丈夫」 芝居見るときもね、「どうだ?」って言ったら「うん、いいじゃないですか行けば」 そう言われれば間違いなかった。 だから、僕は渥美さんが死んでからいろんな映画を作ってるけども、 そのたびに思いますよ、渥美さんが褒めてくれるような映画にしたいなあって、 渥美さんが観た後で「よかったよ」と「とても楽しかったよ」と一言いってくれるような 映画を作りたいと、思う。まあ、そんなことを思わせる人ですね、僕にとってはね。 『渥美さんが褒めてくれるような映画を作りたい』 山田監督の渥美さんへの熱い想いが伝わってくる珠玉の言葉だった。 エンディング曲がずっと流れ続けている。 ■ 【作り手としての『本懐』】 佐藤:その四半世紀を超えたシリーズというのはこれまではたぶん日本映画ではそのような 観られ方をする作品ってなかったと思うんですよ。 懐かしい、あの頃観たね、という、寅さんもそうやって見られてる部分もあると思いますが、 同時に、新しい十代二十代のファンの方々が、僕らがファンになってはまってたと同じように 寅さんを今見ているということ、これがやはりスタンダードと…。 山田:ああ。まあそんなふうに今の日本の問題として、あるいは自分たちの問題として その問題と重ねながら寅さんを見て、笑ったり涙ぐんだりしてくれれば、 それは作り手としてね、『本懐』とするところですよね、それはね、とっても嬉しい…。 ぜひそんなふうに観てほしいな。 どの時代でもあらゆる世代に受け入れられる映画なんてこの世界に一体どれくらいあるのだろうか。 そういう稀有な映画がこの『男はつらいよ』なのである。 あの時代、これらの奇跡を作り上げた人たちの青春の輝きを、その結晶を、 私たちは今も臨場感を持って観ることができるのである。 感謝以外の何ものでもない。 この長い1時間半のインタビューが終わり、そしてこの番組も終わる、その一番最後に 山田監督の撮影時の意外なポートレートが映った。 それは私たちがよく見る穏やかなで渋い山田監督でも、元気な山田監督でもなく、 疲れ消耗した体に鞭打ち鬼気迫る勢いで撮影に打ち込む凄まじい姿だった。 番組スタッフたちは最後にこの命を削る山田監督を見せたかったんだなと、その心意気を思い私は唸ってしまった。 楽しい映画『男はつらいよ』は山田監督をはじめ、スタッフ.キャストの命を賭けての共同作業だったのだ。 3月4日から10日間ほど、仕事とビザ関係でタイのバンコクに行って来ます。 バリに戻るのは3月13日ごろです。 しばらく更新できませんがご了承ください。
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『寅次郎な日々』バックナンバー マンゴケーキと『男はつらいよ』 2009年2月15日 寅次郎な日々 その390 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 昨日はバレンタインデーだった。 バリ島では、バレンタインデーの日は、結構男の子が女の子に渡すのだ。 スーパーでもバレンタインデーのためのコーナーがあるが、 女の子に混じって若い男の子たちもそれなりにたむろしている(^^;) 一方、私の家は、バレンタインデーと言えば、近年は『ケーキ』を作る日であり、 食べる日なのだ。 本来の目的と相当かけ離れているのだが、一向に誰も気にしない。 ここ数年はケーキを作るのはもっぱら息子が担当している。 スポンジの焼き方が連れ合いよりも上手になってしまったので、 彼が一人で奮闘してくれるのだ。 で、今回はトッピングはなんとマンゴ。これはちょっと珍しい。 つまりマンゴケーキ。 今までは圧倒的にイチゴが多かったのだが、今日はそういう気分なのだろう。 できばえは、かなりすばらしく感嘆の声が上がったほどだ。 昨年10月の誕生日同様、たいへん美味しくいただきました。 こんな寂しい隠遁生活を何年も続けていると、このようなささやかな時間が なにものにも代えがたいメリハリになる。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 自分の業をマドンナに吐露する寅 2009年2月7日 寅次郎な日々 その389 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 先日アップした第22作「噂の寅次郎」本編完全版.前編のラストでもふれたが、 私はその時こう書いた。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 正月、諏訪家に集うおいちゃんおばちゃん 2009年1月26日 寅次郎な日々 その388 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 まずこの↓大きな画像を見ていただきたい。 これは、第32作「口笛を吹く寅次郎」で、 正月、諏訪家にリコーのパソコンが届いた日に、 居間に集うおいちゃん、おばちゃん、タコ社長たちである。 満男はパソコンをいじり、 さくらとタコ社長はパソコンを珍しそうに見ている。 博はパソコンの説明書を見ている。 おいちゃんとおばちゃんは、寅から諏訪家に来た年賀状を 微笑ましく読んでいる。 この映像を見て何か思われましたか? ここ数日仕事が忙しくてほとんど更新作業ができなかったが、 昨日からまた、第22作「口笛を吹く寅次郎」の本編完全版前編作業をちょこちょこと再開した。 2月初旬にはアップできると思う。 ところで、話は元に戻るが、 今夜ふと思ったのだが、さくらは、アパートにいる時も、一軒家に引っ越してからも とらやに入り浸りだが、おいちゃんやおばちゃんはさくらの家に映画の中で訪問したことがあったっけ? と思い出してみた。 私にはちょっとした特技があって、48作品を早送りで頭の中で第1作から第48作まで 走馬灯のように見ることができるのである。静かな場所で眼をつぶって思い出すのだが、 1作品だいたい3分くらいで頭の中で早送りの映像入りで見れる。 もちろんあたりまえだが細かい微妙な会話までは思い出せない。 でもまあ、おおよその出来事やシーン、メリハリの会話、重要な会話は外さずに順番に思い出していけるのである。 だからいつもああいうシーンあったっけと思い出す時は、この方法で大体見つかる。 で、そのあとで実際の映像できちんと確かめるのである。 それで、思い出してみたのだが、おいちゃんやおばちゃんは、さくらのアパートにも一軒家にも 映画の中では一度も映像として訪問していないことがわかった。 寅はアパートの時も一軒家になってからも何度も何度も訪問している。一軒家ではお泊りもある。 マドンナでさえ何人かはさくらのアパートや家に訪問しているのに、なぜか おいちゃんおばちゃんは映像的には訪問していないのである。 あれだけつながりの深い間柄で映像として一度も行ったシーンがないなんて不自然と言えば不自然だが、 まあ、この映画ではそのような普通では考えられないことも、実によくあることなのだ。 例えば、さくらの亡くなったお母さんのことやさくらの一番上のお兄さんのことなど、いつも最初からいなかったように 誰も話題にしないなんてことは、リアルな現実では絶対あり得ないことだ。 で、脚本の中では、ひょっとしておいちゃんおばちゃんはさくらの家を訪ねているんじゃないかって、 考え、途中の段階の『第2稿』をパラパラめくって調べてみた。 そうするとありました。 第32作「口笛を吹く寅次郎」のラストで、正月、昼、さくらの家にリコーのパソコンが運ばれて来るが、 あの時、本編では社長や工場の中村君、ゆかりちゃんが来ていたが、 『脚本第2稿』ではなんと正月松の内の稼ぎ時にもかかわらず、おいちゃんとおばちゃんがとらやを ほっぽらかして諏訪家に着物姿で遊びに来ているのだ。 第2稿の脚本はこうである↓ 正月 晴れ渡った冬空 中略 さくらの家 居間 大型のダンボール箱から、博と満男がパソコンを掛け声をかけて 持ち上げる。 びっくりしている着物姿の竜造とつね。 にこにこしている赤ら顔の社長。 満男「どっこいしょと。―わあ、すげえ」 竜造「へえ、これがパソコンか」 つね「わたしゃ、テレビかと思ったよ」 社長「いやいやほんのお礼心だよ」 竜造「しかし何でこんなもの張り込んだんだ? 経営難だっていうのに」 社長「あれ?まだ話してないのかい、さくらさん」 さくら「うん、まだ…」 社長「そうだったのか。 実はな、博さんが大事なお父さんの遺産をみんな投資してくれて お陰でオフセットが買えたんだよ」 驚いて、博を見つめる竜造とつね。 竜造「…へーえ、そうだったのか」 つね「よかったね、社長さん」 社長「だからパソコンの一台や二台安いもんなんだよ。 だってそうだろ、その金がなきゃ、 オレは今頃首くくって死んでいたかも知れねえんだ。 今じゃ笑い話だけどな、 去年の十月の給料日…」 社長、目から涙をこぼして絶句する。 うんざりしている竜造、つね、博。 博「泣くのはやめましょうよ」 さくら「そうよ、まだ松の内よ」 竜造「あーあ、今年もお前の泣き面を見て暮らすのか」 つね「縁起でもない、正月くらい笑いなさいよ」 以下略 正月松の内(元旦〜1月7日)の間の帝釈天参道の賑わいはそれはもう凄いものがある。 稼ぐ稼がないは別にして、参道沿いの店はどこも活気付くのである。 しかし、この年の正月のある一日、 なぜかおいちゃんとおばちゃんは諏訪家にいる。 このころはまだ三平ちゃんもかよちゃんも勤めていない。 おいちゃんおばちゃんが諏訪家にいるということは、この日は当然店のとらやは閉まっている。 これはちょっと不自然な脚本である。 で、やっぱり映画本編では、案の定ここの部分は朝日印刷の人々に代えられていたというわけである。 なんといっても正月中はとらやは営業し、寅は旅先でバイをしてもらわないと初春の気分が出ないというもんだ。 で、なぜ山田監督はこんな脚本を書いたのだろうか…。 おそらく最初、山田監督は、博の一世一代の決意である朝日印刷への投資の物語を話す場として、 さくらの親代わりであるおいちゃんおばちゃんの立ち会いはなんとしても必要だと思ったのではないだろうか。 そしてそれに関連して、感激した社長から博がパソコンをもらう物語を合体させると、 おいちゃんとおばちゃんが諏訪家に無理やり訪問していることになってしまったのかもしれない。 ところで、博の投資したお金は、報酬をつけて戻ってきたのだろうか…。 考えるだけでも恐ろしい(TT) あ、言い忘れました。 と、いうわけでこの大きな画像は、 脚本第2稿に基づいて私が勝手にパソコンで第32作の元画像に おいちゃんおばちゃんを入れ込み作リ直した架空のシーンなのです(^^;)ゞ チャンチャン(^^) 【遠い旅の空から】掲載記事画像 記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』 の中の ホーム→地域→東京23区→企画連載のページに全文掲載もされている。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 男はつらいよ 全作品書簡集 2009年1月9日 寅次郎な日々 その387 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
【遠い旅の空から】掲載記事画像 記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』 の中の ホーム→地域→東京23区→企画連載のページに全文掲載もされている。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 寅からの年賀状 2009年1月2日 寅次郎な日々 その386 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 新年 明けましておめでとうございます。 イラスト RYOTARO 皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。 旧年中は思い起こせば更新が例年に無く ものすご〜〜く遅れ続けることの数々、 今はただ、後悔と反省の日々を過ごしつつ 遥か遠い南の島より皆様の幸せをお祈りしております。 なお、わたくし事ではありますが、 絵画をはじめ、日記、男はつらいよ覚え書ノートなど、 相変わらず成長することなく、 ダラダラと愚かで無教養な内容ではありますが、 私のかけがえのない作品でありますれば、今後とも くれぐれもお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。 渓谷から牛の鳴き声が聞こえるバリ島ウブドにて 2009年 正月 吉川孝昭 この文章はご存じ第16作「葛飾立志編」での寅のマドンナへの年賀状からアレンジしたものだ。 私は寅の年賀状や暑中見舞いのはがきの文章も文字も大好きだ。もうそれはかなりの数になる。 今は正月なので、寅の味のある『年賀状』の文字とその響きを 簡単に一部だけ紹介してみよう。 ★一応年賀状の画像がしっかりスクリーンに映るものだけを厳選しました。 たとえば ■ 第10作「寅次郎夢枕」でのお千代さんへの寅の年賀状。 謹賀新年 明けましておめでとうございます。 わたくし、柴又におります日々は 思い起こすだに恥ずかしきことの数々、 今はただ、後悔と反省の日々を 過ごしておりますれば、 お千代坊にもご放念下されたく、 恐惶万端ひれ伏して、 おん願い申し上げます。 末筆ながら、あなた様の幸せを 遠い他国の空からお祈りしております。 車寅次郎
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『乙女の祈り』の中のエゾエンゴサク 2008年12月20日 寅次郎な日々 その385 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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