鹿児島県指宿市山川成川 鰻温泉
バリ島.吉川孝昭のギャラリー内
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寅次郎な日々
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(ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
リリーの住んでいた町 錦糸町駅北口(2010年8月25日)
濱口國雄「便所掃除」松村達雄さんここにあり!(2010年8月20日)
第39作『寅次郎物語』 超簡単 ダイジェスト版(2010年8月10日)
第18作「純情詩集」オープニングの駅舎判明!(2010年7月30日)
マイケルが見下ろす江戸川、そして去りし夢(2010年7月21日)
「春の夢」ラストの天神社のこと(2010年7月11日)
岐阜県瑞浪市を走る黄色いペプシのトラック!(2010年7月1日)
すみれちゃんの高校と満男の高校は違う学校だった!(2010年6月28日)
兄と弟 二十億光年の孤独(2010年6月20日)
さくらとお千代さんが演じる蝶々夫人(2010年6月14日)
寅さん世界の柴又周辺マップ .柴又住民たちの家(2010年6月4日)
ご近所だった!さくらの家と京子さんのアパート(2010年6月2日)
第37作「幸福の青い鳥」 今回はちょっと長めのダイジェスト版(2010年5月27日)
ついに発見!健吾の働く看板屋とらくだ公園(2010年5月22日)
発見!リリーの母親の住む街(2010年5月12日)
山田監督の『ヨーイはい(2010年4月30日)
外国旅行に行った準レギュラー2人 (2010年4月25日)
白木蓮と青春の輝き(2010年4月18日)
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「メロン騒動」と「寅さんの子守唄」 『おとうと』からの副産物(2010年4月8日)
第36作『柴又より愛をこめて』 超簡単 ダイジェスト版(2010年3月31日)
第35作『寅次郎恋愛塾』 超簡単 ダイジェスト版(2010年3月19日)
第34作『寅次郎真実一路』 超簡単 ダイジェスト版(2010 年2月27日))
『お兄ちゃんとの再会』 長山藍子さん(2010年2月15日)
ついに発見! 神田神保町『大雅堂』(2010年2月5日)
もう一人の『さくら』 長山藍子さんの感覚 前編(2010年2月1日)
なぜか江戸幕末に詳しい寅(2010年1月28日)
長旅から帰って来た人には…。(2010年1月21日)
新年のご挨拶 寅次郎と雪のバス停(2010年1月2日)
寅とさくら 兄妹の青春(2009年12月28日)
男はつらいよの中の雪景色(2009年12月18日)
義母も使っていた「脳天ファイラー」(2009年12月10日)
新郎の名前を呼び間違えた夏子さん(2009年12月4日)
『男はつらいよ』と干し柿を作る日々(2009年11月14日)
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー リリーの住んでいた町 錦糸町駅北口 2010年8月27日 寅次郎な日々 その452 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 私はこのシリーズの全てのマドンナの中でリリーが好きだ。 その一番の理由は寅のことを誰よりも深く強く愛しているからだ。 しかし、リリーの人生は悲しい。 特に第11作「忘れな草」のリリーは可哀想なくらい孤独だった。 それゆえか、彼女は文字通り『忘れな草』。 忘れられない人なのだ。 リリーが素晴らしいのはもう一つ、浅丘ルリ子さんが素晴らしいからだ。 このシリーズにマドンナとして出演した39人の女優さんたち。 みんな山田監督の演出に一生懸命に応え、とても頑張っておられた。 しかし浅丘ルリ子さんだけは違っていた。 彼女は山田監督のイメージと演出を遥かに超えた存在だったのだ。 どの監督よりも繊細緻密な高レベルの山田演出を凌駕した主役マドンナは 後にも先にも浅丘ルリ子さんだけだと思う。 まさに水を得た魚。 リリーは山田監督のイメージと演出をはるかに越えて哀しく光り輝いていた。 だからこそ、山田監督は同一マドンナで4作品も作り上げたのだ。 浅丘ルリ子さんの一生一品。 リリーこと本名『松岡清子』 そんな彼女の孤独が一番深かったシーンは、リリーが深夜に泥酔して寅に絡むシーン。 あの夜、キャバレーで深く傷ついたリリーは、寅に助けを求めるが、寅は常識を持ち出して 結果的にリリーを追い返してしまう。 翌日、リリーのアパートを人に聞きながらなんとか訪ねるが…、 ハーモニカによる『リリーのテーマ』が切なく流れる。 薄暗く、狭いリリーのアパートの階段を寅が上がる。 薄暗いアパートの廊下。 ドアをノックする寅。 悲しみのどん底にいた彼女は 自分の小さな住処さえも引き払ってしまっていたのだ。 慌しく引っ越していったのだろう。 アパートには小物が散乱していた。 さらにノックする。 そしてドアを開ける。 紙の表札で『松岡』 慌しく引っ越していったことが小物の散らかりようで分かる。 そして、リリーの分身である残された『もの』たちが哀しげに 部屋に散らばっている。 ドアの横には松岡という名字が書かれた紙 赤い傘 フランス人形 楽譜(スコア) レオナルド.ダ.ビンチの『モナリザ』のポスター 『旅』の字がついてる壁掛けレター入れ。 赤いポール椅子 電球 スタンドの笠 雑誌 フランス人形は子供心を残しているリリー。 「モナリザ」は『美』を愛するリリーの感性。 「旅」の字がついている壁掛けレター入れは 旅から旅の生活を肯定しているリリーの心。 楽譜は彼女のアイデンティティ。 住人A「何か御用でしょうか?」 寅「ああ、ここの女どこ行ったんだい?」 住人A「さあ?今朝方なんだか急にバタバタ引っ越していきましたけど?」 寅「なんかあったのか?」 住人A「んー、よく知らないんだけど大家さんと喧嘩でもしたんじゃないですか?電気代かなんかのことで」 寅「あんた、この女と親しかったのか?」 住人A「いいえ!」っとさっと消える。 列車が遠くを通っている。 襖にタレントのポスター。 リリーが立ち去った部屋で、ただただ立ち尽くす寅だった。
1973年(昭和48年)映画での同じ場所の映像 ちなみにずっとわからなかったあの『赤い橋』は『長崎橋』と言うそうだ。(北中之橋とも言った) 今でも地元では地名として呼ばれている。 昭和50年前後頃の写真。橋から見える家とビルがぴったり一致。 ↓ 橋そのものは元禄10年(1697年)に木造で創架されたらしい。 昭和46年架設のトラス橋が架けられたそうだ。『わすれな草』公開の2年前だ。 これを最後に、大横川親水河川整備の際、役目を終えて撤去された(昭和63年3月)。 橋の名は西側に本所長崎町があったので、そこから付けられたそうだ。 現在、この橋の脇にある広場では 、ガラス市やフリーマーケットなど各種イベントが開催されている。 長崎橋跡から横を見ると東京スカイツリーが! 流れる川は『大横川』。 今はもうかなりの面積が埋め立てられ公園になっている。 映画撮影当時からずっと長崎橋のたもとにあった津軽稲荷神社は今も健在↓ → 「本所に過ぎたるもの二つあり、津軽大名、炭や塩原」と言われた弘前藩津軽家の下屋敷の跡。 屋敷内に祀られていた稲荷神社のため、津軽稲荷神社と呼ばれている。現在は地元が受け継ぎ、 町会の守護神となっているらしい。関東大震災や戦災で焼失したらしいが、昭和35年に再建された。 祭神は伏見稲荷神社の分神。 ちなみに今、錦糸町駅の北口の同じ場所はこうなっている。左1979年頃。 右は平成の今。 → 映画のアングルで、現在同じ方角を見てみるとこうなる!(右の写真)↓ あちゃ〜〜〜〜まるで別の国…。↓同じ場所とは誰も信じないだろう。 ちなみにリリーのアパートに続いていくこの通りを『北斎通り』と言うのだそうだ。 → 錦糸町は駅南口は以前から発展していたが、京葉道路が通っていることもあって、 南口が表玄関である状態はあの映画の後も変わらず、北口は昔懐かしい雰囲気の町のままで、 リリーの住んでいたあの下町のゴミゴミ感も残っていた。 そして駅北口地区の超再開発が行われた後、状況は嘘のように変わってしまったのである。 リリーが一人で住んでいたあの下町錦糸町駅北口。 今はもうわずかに津軽稲荷神社などやぽつりぽつりと残っている古いアパートなどに その名残を残すのみである。 ちなみに続編に当たる第15作「相合い傘」では、寅はこの錦糸町駅の今度は南口映画館街で 帽子の啖呵売をしている。面白いものだ。 「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 濱口國雄「便所掃除」 松村達雄さんここにあり 2010年8月20日 寅次郎な日々 その451 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 いよいよ『越中八尾おわら風の盆』の前夜祭が始まった。 数日前からの準備。そして今日も忙しかった。 で、第26作「かもめ歌」の本編完全版がほとんど手付かず…(TT) なんとか8月中に前篇を更新しようと思っていたのだが案の定全くダメ。。。 ここから9月3日までの『おわら風の盆』期間中は作業はほとんどできないと思う。前編のアップは9月になりそう…。 後編は10月かな…。 実は密かに第41作「心の旅路」のダイジェスト版も進めているが、 こちらの方も8月末にアップできるかどうか微妙。 ということで、今日は、第26作「かもめ歌」の中で私が最も気に入っているシーンのひとつを紹介します。 そえはすみれちゃんと寅とが会話で絡んだシーンではない。 あ、もちろんすみれちゃんの入浴シーンでもない(^^;) それは、葛飾高校定時制(実際は南葛飾高校)の国語の授業で松村達雄さんが 国鉄職員の濱口國雄さんが作られた「便所掃除」という長い詩を全文朗読する場面だ。 なんとも美しい詩。 そしてこの時の松村さんはまさに当たり役。 松村達雄ここにあり!という感じで光輝いていた。 濱口國雄「便所掃除」。 扉をあけます 頭のしんまでくさくなります まともに見ることが出来ません 神経までしびれる悲しいよごしかたです 澄んだ夜明けの空気もくさくします 掃除がいっぺんにいやになります むかつくようなババ糞がかけてあります。 どうして落ち着いてしてくれないのでしょうか 尻の穴でも曲がっているのでしょう それともよっぽど慌てたのでしょう 唇をかみしめ戸のサンに足をかけます 静かに水を流します ババ糞におそるおそる箒をあてます ボトンボトン便坪に落ちます 乾いた糞はなかなか取れません タワシに砂をつけます 手をつき入れて磨きます 汚水が顔にかかります 唇にもつきます そんなことにかまっていられません ゴシゴシ美しくするのが目的です 朝風が壷から顔をなであげます 心も糞に慣れてきます 水を流します 雑巾で拭きます 金隠しのうらまで丁寧に拭きます もう一度水をかけます クレゾール液を撒きます 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます 便所を美しくする娘は美しい子を産むと言っていた母を思い出します 僕は男です 美しい妻に会えるかもしれません こんな美しい詩は世界中探したってそうそうはない。 これが、私にとっての第26作のもうひとつのメイン。 ♪蛍こいこい 八尾の盆に 夜の流しの オワラ 道照らせ 「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 第39作『寅次郎物語』 超簡単 ダイジェスト版 2010年8月10日 寅次郎な日々 その450 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 第18作「純情詩集」オープニングの駅舎判明! 上田鉄道別所線 中塩田駅 2010年7月30日 寅次郎な日々 その449 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 このシリーズのロケ地探しで、どう考えてもあそこだなあ‥って思うし、他の人もそうだねたぶんと、 言ってもいるんだが、どうも最後の決め手が見つからずに何年もお蔵入り…。っていう場所がたくさんあるが その典型が今回紹介する信州 上田電鉄別所線の駅舎だ。 このシリーズで別所線は3駅も登場する。 ひとつは第18作「純情詩集」で、寅が無銭飲食で捕まり、さくらが半泣きで迎えに行き、 こけそうになっていた「別所温泉駅」 もうひとつは第35作「恋愛塾」のオープニングで谷よしのさんとの掛け合いがある「舞田駅」 しかし、実はもうひとつある。 同じく「純情詩集」で、オープニングで寅はいつものように夢から醒めるが、 それが別所線のある駅舎横の床屋なのである。 近所の家の妹がお兄ちゃんを「昼ごはんだよ」と呼んでいるあのシーンでだ↓ この映画のシーンで左端にギリギリ駅舎が見えるが↓、どうやら駅舎の玄関のほうではなく裏のほうだ。 どうもこの駅舎の形が「別所温泉駅」のスタイルに似ている感じがするのである。 「別所温泉駅」は、一番上の画像でも分かるように 屋根が腰折れになったきれいな「マンサード屋根」のスタイルでなかなかおしゃれな感じだ。 そもそも、この別所線は電車も「丸窓」を採用した「モハ5250 丸窓電車」で、なかなかおしゃれなのだ。 この電鉄の昔からのコンセプトは私のツボ。 丸窓はさくらが乗った時に映っていた。 で、話は戻って、第18作のオープニングのこの駅舎も なんか別所温泉駅舎同様「マンサード屋根」っぽいって前々から思っていた。 別所線の駅舎で当初マンサード屋根を採用したのは確か別所温泉駅と中塩田駅だけ。 中塩田駅のマンサード屋根の写真はいくつもあるが全て表側からのカッコいい写真ばかり。 そりゃそうだ、普通は駅舎の表の方が当然カッコいいのだから(^^;) 駅舎の表側は別所温泉駅舎と似ている。同じ頃にきっと建てたのだろう。 私は実は10年ほど前にこのあたりを一泊旅行で旅している。無言館と信濃デッサン館の2つの美術館が 旅のメインだったのだが、ついでに寅が旅をした場所をぐるっと別所温泉から塩田平そして前山寺と巡ってみた。 しかし、この「中塩田駅」のことは頭をよぎらなかったのだ。残念…。 とにかく映画では上の写真の通り駅舎の裏がスクリーン左隅に映っている。 だから裏側からの写真があれば第18作OPのあの床屋さんの空き地向こうに映っているのが 「中塩田駅舎」の裏手(別所温泉方向側)だとはっきり分かるのに…。 2005年当時インターネットで探しても本で探してもどこにも駅舎の裏手は載っていなかった。 と、思っていたのだが…、 昨日、ご家族でマニアックな冥府魔道のロケ地巡りをされている「ちびとらさん」との会話で この別所線の話題が出たことをきっかけにもう一度頑張っていろいろネットで探してみた。 なんと、数年のうちにいろんなサイトや撮影写真が誕生していたようで、 あっさり駅舎の裏手画像も見つかった(((^^)ゞ 見つかるときは見つかるんだね〜〜。 で、ちょっと拝借して…。すみませんm(__)m やはり写真で見る中塩田駅舎の裏の構造は 第18作のあの駅舎の裏と一緒だった! 壁から突き出たひさしの下のトタンや灰色の物入れもまだ健在。↓ 映画のアップ↓ その後...月日は流れ、ひさしの下のトタンは取り壊され、蔦が絡んできた頃。 この床屋さん、看板は「フジタ」と読める。今はもうないのかもしれない↓ ちなみに中塩田駅舎の表側は↓のようになっている。 別所温泉駅と同じくかっこいい。大正10年の建築。 2つの駅舎はおそらく時期に建られたと思われる。 2つともマンサード屋根の様式だ。 中塩田駅舎↓ 別所温泉駅舎↓ で、現在は別所温泉駅舎同様、ついに中塩田駅舎補修&化粧直しされて綺麗になっている↓ しかし、本音は補修される前にあの風雪にさらされた駅舎をスケッチしたかった!! ああ…無理だあ〜、そこまでの往復交通費が無かった……ガクッ 〇| ̄|_ 補修に対していろいろ思うところはあるがあのまま放置され、どんどん崩れていくよりずっとよかった。 おまけ(^^)↓ ちなみに別所線の中で近年新しく建てた駅舎もいくつかあるが、 上日原駅(うえだはらえき)舎はマンサード屋根の様式を小作りに可愛く再現している(^^) ダイジェスト版もたまには進めないといけないので次回のコラムは 第39作「寅次郎物語」本編の超簡単ダイジェスト版をアップします。 8月8日前後になると思います。 「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー マイケルが見下ろす江戸川、そして去りし夢 第24作「寅次郎春の夢」 2010年7月21日 寅次郎な日々 その448 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 ようやく第24作「寅次郎春の夢」の本編完全版完結編作業が終わった。 この数カ月はいろいろ忙しくて大変だったが、なんとか終わってほっとしている。 予定より3ヶ月も遅れてしまった。 もう誰も待っていないとは思いますが、明日あたりにアップします。 ところで、この作品のラストで、失恋したマイケルがJAL機に搭乗し、アメリカへ帰って行くが その途中、なんと眼下に江戸川の流れが見えるのだ。 航路的にはあり得ないが、映画的にはこれでよし。 あの窓から見下ろした表情から万感の想いが溢れていた。 大の寅さんファンである浜松のKさんが詠まれた歌を思い出す。 『蝶々夫人は「春の夢」 見下ろす江戸川、去りし夢。』 で、今回、あのマイケルが見た眼下の風景は 実際はどのあたりなのかをちょっと確かめてみた。 まず状況はこうである。↓ アメリカ行きのJAL 機内
よかったねマイケル。 君の視野の中にさくらはいたよ。 そしてさくらも君の飛行機を見ていた。 Good luck Michael.
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 「春の夢」ラストの天神社のこと 第24作「寅次郎春の夢」 2010年7月11日 寅次郎な日々 その447 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 数日前から富山で別の展覧会を開いている。 あー、それゆえ、またしても第24作「春の夢」の本編完結編が停滞。 パソコンが長くいじれない。 それでも、なんとかやっとこさラストまで来ているのだが、ここで解決できない疑問が沸き起こった。 失恋の後、いつものようにラスト、寅は正月にバイをする。 そこへ初代ポンシュウ(小島三児さん)が合流。 奥さんに逃げられている父子を慰めようと思ったらなんと新しい奥さんがもういた、って言うオチ。 あのシーンは海の向こうに見える地形を考えると、 第16作「葛飾立志編」のラストの場所とほぼ同じ、静岡県沼津市西浦足保(あしぼ)だ。 「終」の文字が出るシーン。 遠く連絡船が見える伊豆の海 鷲頭山の勇姿を背景に江浦湾が映っている。 この見え方は確実に西浦足保の海。 グーグルアース↓で映画と同じ風景の見え方を確認。西浦足保地区だと断定。 寅たちのバイはちょうどすぐ前の神社の初詣をねらってのものだったが、その神社の名前が わからないのである。 それと神社の写真画像が最後まで見つからない。 場所が分かっているのに名前がわからない…。 こういうことは稀にある。 赤丸で囲んだエリア↓が西浦足保地区の神社の長い階段と本殿 ↓の航空写真で俯瞰してみた。青で印をつけた部分が寅がバイをしていた場所。 赤丸が初詣で賑わう西浦足保(あしぼ)海辺の神社。 寅が座る斜め前に神社の鳥居があり、長い階段がある。↓ → 神社の鳥居の方から見た寅の位置。↓ → のぼり旗に神社の名前が書かれているがイマイチ読み切れない。 まあ、実はそのまま「ある神社」ということにしてもいいのだが、 どうも後味が悪い。 さんざんいろいろな地図でも探し、ネットでも探したが、そんなに小さな神社でもないのに なぜか名前が出ていないのだ。 その時、神社のすぐ近くに「足保公民館」があることに気づいた。 サイトで調べると電話番号が載っている。 恥ずかしながら、すぐそばの神社の名前だから教えてくれるのではないだろうかと 思い、清水の舞台から飛び降りる気持ちで西浦足保公民館に電話をかけてみた。 ところが何度かけても誰も出ないのである。 後に分かったことだが、ここの公民館は普段は無人で、会合等がある時だけ開けるのだそうだ(TT) それで、もう乗りかかった船なので、恥でも何でもかいてやる…、と割り切り、ちょっと離れた場所にある 西浦の交番に電話をかけてみた。道を聞く人がいるくらいだから、名前を教えてくれるだろうと思ったのだ。 さすがに交番だけあってすぐに電話に出られた。神社名を知りたいことと、その知りたい理由を伝えたのだが、 なんとあの神社のことをご存知でない方だった。ああ。。。(TT) 4キロ以上離れているし、無人ぽい神社だし、わからないのかもしれない…。 向こうの方も申し訳なさそうに謝っておられた。 そのかわり、そういうことだったら西浦の「地区センター」に問い合わせることを巡査さんは勧めてくれた。 電話番号を聞き、今度こそはと、「地区センター」にかけて同じように恥ずかしながら事情を説明し、 尋ねてみたら、さすがにその神社があることはご存知だったが、 そこのスタッフさん全員が神社の名前はわからないということだった(TT) 地区センターから5キロほど離れているので超地元の人しかわからないのかもしれない。 それでも、「地区センター」のスタッフさんは足保のあのあたりに自分の知り合いがいるから 電話で聞いてみてあげると言って、わざわざ神社と同じ足保地区に住むご友人に電話してくださったのだ。 そして、ようやく神社の名前がわかった! 『天』という一文字の神社で『天神社(てんじんじゃ)』というらしい 丁寧にお礼を言って電話を切らせていただいた。 それと同時に、ネットで調べていた時に『神社庁』という組織の存在も知った。 で、恥じかきついでに、『静岡県神社庁』にダメ押しで電話で問い合せてみたところ、 沼津市西浦足保地区にはひとつだけ神社があり、 住所は『西浦足保4-2』名前は「天神社」だそうだ。 いよいよ安心して、お礼を言って電話を置いた。 これで確実。「天神社」 西浦足保4-2 そして、なんとなんと静岡の神社庁が持っているホームページを地道に細かく見ていくと、 一覧表の中にありました! ちゃんと西浦足保地区に「天神社」の文字が!あっちゃ〜〜〜(^^;)ゞ 電話で皆さんにご迷惑をおかけしてしまったことを深く反省するとともに、いつの日か必ずこの 「天神社」を訪問しようと心に誓ったのだった。 電話に出ていただいたみなさん、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。 ちなみに、静岡県には「天神社」と呼ばれる神社は結構たくさんあってきちんと数えてはいないが 7〜8箇所存在していた。 神社の「写真」のほうはネット上では最後まで見つからずだった。これも実によくあること。 なにはともあれ、 24作「春の夢」の本編完全版完結編は今週末か来週初めにはなんとか今度こそアップしたい。 (もう二ヶ月以上こればっか…^^;)
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー ロケ地発見!岐阜県瑞浪市を走る黄色いペプシのトラック! 第9作「柴又慕情」ラスト 2010年7月1日 寅次郎な日々 その446 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 現在展覧会中なのでなかなか第24作「春の夢」の本編完結編が終われない。 あと少しのところまで来ているのだが、なかなかパソコンの前に座れないのだ。 あと一週間ほどお待ちください。(そんなんことわらんでも、誰も待ってないって… ゞ(〜〜;)) ところで。。。 10日ほど前、久しぶりに岐阜の友人からメールがあった。 彼の名は加納さんと言ってバリ島旅行の常連さんだ。彼と知り合ったのもバリ島ウブド。 あれはまだ20世紀末の頃だ。 あの頃、…確か1997年頃だったか、私はパソコンをまだ使い切れていなかった。 教師時代は全ての試験をパソコンを使って書いていたが、それはパソコンをワープロ代わりに 使っていただけで、決してインターネットを使えていたわけではなかった。 そして20世紀末もうそろそろHPを立ち上げたいなと思っていた。 そこでバリでふとしたことから知り合った加納さんにパソコンの選び方及びインターネットの仕方を いろいろ教えてもらったのだ。 息子は当時まだ小学校に入ったばかりで、インターネットのことは私同様まだまだ未知の世界だったのだ。 次の年にWindows98が出るということで、一生懸命その仕組みと使用時の注意点を加納さんは教えてくれたのだった。 そして偶然にも彼もまた「男はつらいよ」の大ファンだった。 そして彼のお父さんが亡くなったのは渥美清さんが亡くなった年だったという因縁もある。 そういう強い縁で、その後も日本での展覧会の初日に来てくださったり、バリで再会したり、深いお付き合いを させていただいている。 初期のバリ日記にも何度か岐阜のKさんとして登場していただいている。 ここ数年お互いに忙しかったせいもあり、音信が途絶えがちになっていたが、上に書いたとおり 10日前にメールを下さった。 そこには驚くべきことが書かれてあったのだ。 彼は岐阜県瑞浪(みずなみ)市土岐町にずっと住んでいるのだが、先日のテレビ放送で「第9作柴又慕情」を観た時、 あのラストシーンの風景がどうも見覚えがあると思い、ビデオで確かめられたところ、 なんと!自分の近所の橋だったああ!!…ということらしい。 こんなことがあるんだな…、と今更ながらにメールを読んだ私も驚いたわけだ。 柴又慕情のラストといえば、ご存知、暑い中、背広を脱いだ寅が田舎の木造橋を渡り、 川原で野○ソをしていた登と再会し(^^;)、 ペプシコーラのトラックに乗って走っていくあのシーンだ。 半信半疑で驚きのメールを返信すると、今度は直接岐阜から電話がかかってきて、 なんとあのペプシコーラのトラックに乗って寅と登が去っていったラストの道は、彼がいつも車で通る近所の道だそうだ! あの川は瑞浪市を流れている美しい土岐川。その味わい深い木の橋は数年前の洪水で壊れてしまい、 少し下流に普通の橋が作り直されたそうだ。 恥ずかしい話だが、私はずっとあのラストの場所を、適当に静岡か山梨か福井かだと思っていた。 もちろんどの本にもどのサイトにもあの場所は書いていない。検索しても何も出てこない。 もう残るは、最後の手、松竹の当時のロケハンの方に恥を偲んで聞くしかなかったのだ。 でも、よくよく考えたら歌子ちゃんの新居があるのが『愛知県春日井市高蔵寺』だということは ラストの手紙の裏の住所で前々から分かっていた。寅は映画のラストで歌子ちゃんを訪ねていったが結局は会えなかった。 あのあと、ふらふらっと、多治見、土岐、そして瑞浪と焼き物の里を放浪していたのだろう。 ちなみに加納さんも若ころは焼き物(美濃焼)を長い間やっておられたのだ。 歌子ちゃんの手紙の住所「春日市高蔵寺」は、偶然にも加納さんのお母さんの妹さんがの住んでいる町だ。 ここにも加納さんは「寅さん」との縁を感じられている。 で、さっそく私は、長年のよしみで、厚かましくも彼に現地に行って写真を撮ってくれるように頼んだ。 彼はもちろん快く引き受けてくれて、さっそく翌日の時間が空いた時に、車で5〜7分ほどの 現場まで彼のパートナーの「ぽめさん」と一緒に調査をしてくださったのだ。 まず現場での聞き取り。…とはいえ、ご近所なので現場付近には当然何人か知り合いの人がいるらしく みなさん、この橋のところで「寅さんロケ」が行われたことをしっかり覚えていらっしゃって「証人」になって あげると加納さんに言ってくれたりしたそうだ。こういう時は地域共同体というのはありがたい(^^) この、元あった橋の袂の住所は 【岐阜県瑞浪市土岐町3006-3】(一般的には土岐町下沢地区) 加納さんが写真を撮っている間、私は地図や航空写真で彼が教えてくれた住所をさぐり、 元あった橋の目安をつけておいた。赤い丸が橋のあった土岐町下沢地区 地図をもう少しアップにしてみる。 赤色の線が、今はなくなってしまった木造橋の場所。 青色の点は寅と登が北から来たペプシの車を止めた場所。↓ 一番下(南)の白色の橋は、元の位置から下流100メートルに新しく架けられた橋。 航空写真の赤で四角く囲ったところが数年前まで橋のたもとがあった場所。 斜めに走っているのが中央本線の線路。 もうちょっとアップして、↓のオレンジ色の二本線が元橋が架かっていた場所だ。写真の下方面が下流 上の映画キャプチャー画像を拡大してみる↓ そうこうしているうちに、翌日加納さんが現場で撮った画像を送ってきてくださった。↓ 下の写真は、加納さんが現場調査の一回目に撮ってくれた「高羽アングル」。 土壁の小屋がコンクリの車庫になったが、手前の家の母屋は当時の面影のまま。 ちょうど道が曲がっているカーブミラーのあたりに橋が架かっていた。 現在の新しい橋はこの下流100メートルに架かっている。 あの土壁の小屋は、なかなか趣があった。↓ 映画と同じアングルで撮ってもらった。 土壁の小屋は現在は車庫になっている。 橋はカーブミラーのあたりに架かっていた。 → 完全 【三菱】 飼料 石田水車 TEL 3○45 の看板 加納さんは、この元小屋があった土地の持ち主さんにも画像を見せたところ、確かに昔はこの小屋を 使っていたことを確認された。加納さんはここの共同体の一員なので事は早く進むのだ。 そしていろいろ写真を撮ってきていただいたのだが、最も引いたラストの写真が高羽アングルとはちょっとずれるものだった。 人の好意を無にしてはいけないと自制しつつも、押えきれない「業」が湧いてきて、加納さんに無理を言って、 再度現場に行ってもらい、高羽アングルを撮ってきて欲しいとお願いした。(鬼ですーー;) 加納さんは私のマニアックな業に笑いながら、またもや映画と同じアングル撮影を快く引き受けてくださった。 それが↓の写真たちである。 加納さんに、再度現場に行ってもらって、ちょっと高台に登っていただいて引いたショットを撮ってもらった写真。↓ あのラストシーンが、この風景の向こうに蘇る。(元の位置より100メートルほど下流に新しく架けられた水色の橋が見える) 元の橋の位置より100メートルほど下流に新しく架けられた橋↓ 高台と同時に川と同じ高さからも撮ってもらった。 こちらのほうがラストシーンの高羽アングルの高さにやや近いのかもしれない↓ 数年前までここに橋がかかっていた。 加納さんは、映画と同じにするため、家の裏手を汽車が通るまで粘ろうとしてくれたが、 そういう時に限ってなかなか通ってくれなかったそうだ。 そして最後にちょっとサービスとして… 元の橋がもし今も健在で、寅が現在この橋を渡ったらこういうふうに見えるはず↓ という想像図を息子に頼んでちょろっと描き足してもらって画像の中にハメ込んでみた。 ↓ 寅が映画同様、背広を脱いでダボシャッツ姿で歩いている。 同じく、もうひとつの高台からの写真にも息子が写真にイラストを挿入してくれた。 もちろん新しい下流の橋は消してある(^^)↓ 2010年、平成22年6月末、岐阜県瑞浪市土岐町下沢地区の古い木造橋を渡る寅。そして野○ソをする登の図↓ ↓ 寅が渡る橋の向こうに登の姿(^^;) 第9作のラスト付近、 失恋した寅は江戸川土手でさくらにこう聞かれる さくら「…やっぱり寂しいの?」 寅「なんで?どうしてオレが寂しいのよ…」 さくら「じゃぁ…、どうして旅に出ちゃうの?」 寅、ちょっと空の方を見て指を差す。 寅「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ」 さくらは手をかざして寅の指さした空を見るのだった。 その直後の歌子ちゃんの手紙と寅のこのラスト。 そういう意味で、この第9作「柴又慕情」のラストは私にとって 寅の「旅の姿」を再認識するという特別な意味を持っていたのだった。 感慨は深い。 加納さん、ぽめさん、2度の取材本当にありがとうございました。 お二人の未来に幸多からんことをお祈りいたします。 ちなみに加納さんは7月1日今朝、ぽめさんとお二人でバリ島に旅立たれました。 私とはすれ違いだったわけです。うーん、残念…。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー すみれちゃんの高校と満男の高校は違う学校だった! 2010年6月28日 寅次郎な日々 その445 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 私が敬愛する寅さんファンの第一人者寅福さんが、多忙なお仕事の中、
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 兄と弟 二十億光年の孤独 イカロス兄弟の別離 2010年6月20日 寅次郎な日々 その444 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
ところで、「イカロス」とは…。簡単に言うと、 この計画は、宇宙空間で帆を広げ、太陽の光を受けて推進力を得ること、
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー さくらとお千代さんが演じる蝶々夫人 2010年6月14日 寅次郎な日々 その443 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 いやあ、何かと予期せぬ仕事が舞い込んだりして、ここんところなかなか時間が取れない。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 保存版 寅さん世界の柴又周辺マップ 柴又の住人たちの家 2010年6月4日 寅次郎な日々 その442 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 注意:上の地図上、幸子ちゃんの食堂近くから題経寺までの黄色い道路は帝釈天参道ではなく、 もっと大きな道(国道307号線)。間違いやすいので注意です。 ここ数日、せっかく柴又江戸川沿いロケの話題をしたので今回は【特別付録】をお付けしました↑ これで見ると分かるようにやはり山田監督は川のそばがお好きなようだ。 りつ子さんは江戸川ではないが中川のそば。 私も柴又に住めるなら、駅前や帝釈様の近くよりも江戸川土手沿いがいいなあ〜…、なんて思う。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー ご近所だった!さくらの家と京子さんのアパート 2010年6月2日 寅次郎な日々 その441 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 第37作「幸福の青い鳥」 今回はちょっと長めのダイジェスト版 2010年5月27日 寅次郎な日々 その440 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… ついに発見!健吾の働く看板屋とらくだ公園 2010年5月22日 寅次郎な日々 その439 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 ここのところも仕事や用事でなかなか第37作「幸福の青い鳥」のダイジェスト版の作業が終わらない。 そして第24作「春の夢」本編完全版の完結編にいたっては作業もろくに始めていない。 ちょっと時間ができたのでさあ、作業するぞと意気込んでいたら、息子が面白い本を見つけてきたので 読みふけってしまった。 本の名前は「日本辺境論」(新潮新書) 内田樹 著 世界でも類を見ない日本にしかない特異な思考、行動様式を、 余計なアカやゴミを一切払いのけて単刀直入に論じた永遠不滅の日本人論だった。 岸田秀さんと養老孟司さんを混ぜて、より一層わかりやすくしたその展開に 不覚にもぐいぐいのめりこんで最後まで読んでしまった。 というようなことをしていたので、折角作った時間も風のように過ぎていった(TT) それに第37作に関しては絵描きの卵である健吾と美保さんが出会ったあの夜の繁華街や 健吾の看板屋さん、落ち込む健吾を慰めたあの川沿いの公園などがすべて皆目どこかわからなかったので どういにもこうにも進みづらかったのだ。 もちろんどのサイトにもどの本にも彼らの場所は何も書いていない。脚本にも具体名は何も書かれていない。 作っている私も健吾同様落ち込みがちだった。 イメージ的にはあの街は下町。脚本にも『下町』とは書かれている。 そんなに柴又から遠いとも思えないが、やや上野に近い気もする…。しかししぼりきれない 健吾の働く創美社という看板屋さんは映画で観るとちょっと大きめの川のほとり。 健吾は美保さんと食堂を出た後再度出会った時自転車に乗っていたので あの最初の繁華街とその看板屋はもちろん自転車で行ける距離。 で、いよいよ第37作をアップしないと、と思い、今回最後のつもりで、もう一度目を凝らして、 本気で(^^;)本編の中で映る彼らの出会った街の風景をゆっくりスローで見ていった。 これは大きなヒントを見つけました! ほんの0,5秒だが、繁華街の駅前を通るバスの前部分が映る。 そこには「新小岩駅」と書かれてあったのだ。総武本線の駅だ。 そんなに柴又からも遠くない。 ここが総武本線『新小岩駅』の前かどうかはわからないが少なくてもこの時点でその近くを通っているのは間違いない。 そこで本編でそのバスが一瞬映る街並みを画像化し、 「新小岩駅周辺」に特定してストリートビューでチェック。 より繁華街なのは新小岩駅の南口なので、南口の横断歩道をぐるぐる回ってみる。 なんとなんといきなりかなり似ているアングルがあった。 映画のシーンでは、歩道橋向こうに大きなビルが見えるが↑、 ストリートビューでは違う小ぶりなビル↓に変わっている。 これは駅南口前あたりから南を見た画像。 歩道橋のあり方がかなり似ている。 ビルは建て替えられたのかもしれない。 なんせ20年以上も経っているのだ。 そこで、超伝家の宝刀である、『ちょっと昔の航空写真(2005年と1997年)』 の2時代を使って、それぞれタイムスリップし、俯瞰&ズームしてみる。 赤い矢印線が映画での撮影角度。 青丸がバスが通った向こうに歩道橋越しにビルの有った場所。 2005年の時点では↓すでに、向こうに見えていた大きなビルは案の定取り壊されていた。 では1997年はどうかと言うと、おお!!まだあのでかいビルは健在している!!↓ このあと2000年も見てみたがまだあのビルは有った。 つまりおそらく20世紀のうちはあのビルはまだあったことがわかる。 これで美保さんと健吾がいた繁華街はほぼ決定。 しかし新小岩だと確定する確かなものがもう一つ欲しい。 で、最初に映るこの夜の繁華街にもどる↓ メガネ宝石の『時宝堂』という店の看板が見える。 検索してみるとしっかりあった!新小岩1丁目43番地 なんと新小岩駅南口のすぐそばだった。 これも画像をさぐるべく新小岩駅南口周辺をぐるぐる回ってみる。 ありました!同じ場所!南口から南西へ向かう路地入口。 同じく新小岩1丁目43番地 昔はパチンコ屋があった場所がゲーム&漫画喫茶になっていた。 『時宝堂』はもうそこにはなかった…。 それでもう少しこの南口周辺を検索で調べてみると なんとここには、韓国料理屋さんが多いエリアがあるのだ! そういえば、美保さんが食べていた食堂が映る直前にこの映像が先ず入る。 これはどう見たって韓国料理の店がズラリだ。 向こうに見える街灯の鉄柱に『一番街』と書いてあるのがギリギリ見える。 この駅南口のあたりはいろんな商店会が混在している。 「一番街」と「一番通り」はすぐ隣。 残念ながら小さなエリアなので画像はないのだが 「一番通りとほぼ同じ雰囲気」↓ 映画で映った『一番街』のすぐそばの『一番通り』 このあたり韓国料理の店が多いらしい。 で、そのあと美保さんはそのあと体調を崩し、倒れてしまう。 この南口から北口へ渡るガード入り口近くで健吾に助けられそうになるが、 美保さんは健吾を怖がりそのままガードをくぐって行こうとするがそこでチンピラに 絡まれてしまう。 ストリートビューでその前を通ってみた。 その先の南口から北口へ行くガード下をストリートビューで通ってみたのが下の2枚の画像。 映画で使われたガード下の面影が今も残っているようだ。 天井のライトと壁に開けられている窓のような穴。かなり今も面影がある。 もうこれで決まりかなと思うが再度映画を物語のままチェックし続けると こういうシーンがさらにあった。 絡んでいたチンピラをけちらしたあと、 健吾が病気の美保さんを連れて、ガードから北口に上がり、 北口駅前の横断歩道を渡るシーンだ。 ここで信号の向こうに見える看板に注意↓ 横断歩道の向こうに工事中の鉄の壁があり、 小さな看板が貼りつけてあるのだ。 アップにしてみると「うちだ」というステーキ屋さんらしい。 電話番号が書かれている。 897−0147 検索してみると 東新小岩1−8 ちょうど北口の目の前。 電話番号も下4桁は今でも同じまま。 近年まで営業されていたようだ。 「うちだ」という字体が映画に映っていた字体とぴったし一緒。 ここまでを軽くまとめると、 まず美保さんは新小岩駅南口の『新小岩一番街』の路地にある 食堂でラーメンを食べ、そこでとらやに電話をするがとらは留守。 体調が悪くなって北口へくぐるガードの入り口でうずくまってしまう。 その後あのどこかの川のほとりにある健吾の職場兼棲み家にフラフラの高熱でたどり着くわけだ。 と、いうことは普通に考えれば徒歩圏(20〜40分)あたりの川沿いということになる。 とりあえず地図で川を探してみる↓ 上の地図Aの位置が新小岩駅。 その近くにはあの大きな荒川が流れている。 その右(東)がくねくね曲がった荒川よりも狭い川幅の中川。 それよりもうちょっと東にはもっと川幅の狭い新中川。 そしてさらに東にお馴染みの我らが江戸川。 逆に荒川より左(西)すぐにはもっともっとさらに川幅が狭い旧中川。 そのまた西にはご存知隅田川。 まあざっと見てこのあたりの橋の辺りだとは思う。 しかし、ロケは時として全然違う遠い場所でも行われるので 大抵のロケ地探しは徒労に終わりなかなかつきとめられないのが現状。 しかし、せっかく二人の出会いの場所がわかったのだからここは頑張って創美社を 探し当てたい。 まずは一番目立つ荒川から見てみる。 大きな川なので雲をつかむような話だが、 とりあえずストリートビューで川沿いを1qほど歩いてみたのが下の画像。 どこもかしこも荒川沿いはこのように土手がコンクリートでかなり高く積まれている↓ これは大きな川ゆえに自然災害時も影響が半端じゃないためにこうなっているのだろう。 映画に出てくる『創美社』の前と比べてみると、あきらかに『創美社』の前は このような大規模な土手にはなっていない。↓ ということで、『創美社』の前は荒川じゃない。 次は新小岩駅から一直線に北西に歩いていくと30分ほどでブチ当たる 蛇のように曲がりくねる『中川』を探ってみる。 本当は新小岩駅から線路沿いに西に、つまり荒川の方へ歩いていくとその手前ですぐに 荒川に沿うように中川が流れているが、このあたりは首都高速中央環状線が中川に沿って 走ってるのでこのあたりではない。 とりあえず適当に任意の場所を中川のほとりに沿ってストリートビューで降りてみる。 お!ほどよい土手の作り。土手のこぢんまりとしたコンクリート↓ うすみどりの柵のあり方が映画で映る柵に似ている。正解は中川かも!! ここは、美保さんが創美社を訪ねて行く時の橋の様子が最大のポイントになる。 あの橋には水色の水道管が横を通っている。↓ これを探さなくてはならない。 こういう時は航空写真が一番簡単で早い。 いろいろな橋を俯瞰でランダムに次々に見て行く。 中川に掛かる橋、どれも特徴的なので違いがよくわかる。残念ながら2つとも美保さんが渡っていた橋とは違う↓ 3つめ、橋の横に水道管らしき一本のラインが!!これは可能性がある! さっそくストリートビューで降りてみる。きたきたきた! 上の、3つめの橋に上空から降り立ったところ。 おお!見事に右側に水色の水道管がある!きたきたきたきたきた!!!! 映画と再度見比べてみる。 おおお!横の欄干の形が同じ!水道管のあり方も当時の面影のまま。決まり(^^) 一気に橋のたもとの『創美社』までストリートビューで走って行く。 水道管の周りの雰囲気、道の傾斜角度、 川沿いの歩道のあり方。金網のネット、橋の向こうの電灯 などなど、類似点が多数! ここだ。もうこれで決まり。 地図で番地調べると。 葛飾区東四つ木2丁目5番地だった。 あそこは葛飾区だったのかあ〜。 最寄りの駅は京成四つ木よりも京成立石の方が近い。 京成立石駅と言えば、水野早苗さんが一時立石の友人宅に身を寄せていた。 残念ながら『創美社』 のモデルになったプレハブは今はもういない。(あたりまえか(^^;)) そして極めつけは『 隠し剣 ちょっと昔の航空写真 』! ストリートビューではすでになにか建物が建ち始めているが、 この航空写真ではまだ空き地。 『創美社』はこれで分かった。 さて、ここまで来たら最後の難関に挑戦! あの公園! 公募展に落ちてしまった健吾が寂しくハーモニカを吹いていたあの小さな川沿いの公園だ。 美保さんは創美社から歩いて健吾を慰めに行く。 印象としては遊具はあまりなく、 動物のオブジェが何個か地面にあった。 ベンチは4つほど。水飲み場。吸殻入れ。ゴミ入れ。 全体にさほど大きくなかった 川からはすぐ。 公園の名前は分からないが大きなコブのらくだが置いてあったのが とても印象深かった。 だから私はあの公園のことをひとりで勝手に『らくだ公園』と普段は呼んでいた(^^;)ゞ まず看板屋の社長さんの発言 「この川下っていくと小さな公園があるんだよ。 たぶんそこで昼寝してるんじゃないかと思うんだ。 あいつのお気に入りの場所なんだよ」 「川を下る」っていう発言をとりあえずは信じて、 ストリートビューで歩道沿いに川を下ってみる。 ところが行けども行けども公園などない…。 唯一公園らしき空間は↓の木が沢山植えられている場所だったが、どうも違う。。。 だいたい映画に出てくる『らくだ公園』と比べて川からかなり離れてしまっている。↓ 映画では川のすぐそば↓ そしてもっと川を下っていくと、区立中川中学があって、首都高速環状線がドーンと現れる。 おかしい?? 歩いてすぐのはずなのになぜないのだろうか? ひょっとしてこの『らくだ公園』だけかなり離れたところでロケをしたのだろうか。 もう一度原点に戻って美保さんが『らくだ公園』を探しに行く画像を見てみる↓ そうか!!川がぐいっと曲がっている!! しかし…創美社から下って行っても首都高速までの間に緩やかに曲がってはいるものの あれだけしっかりした鋭角のカーブはどこにもない。↓ とはいえ、動物的感で、あの『らくだ公園』は中川沿いにあると私は思っている。 歩道のあり方や金網のあり方、川のあり方などが創美社の部分と同じだからだ。 ひょっとして。。。 映画では「川を下って行くと」と言っているが ロケではほど良い公園を見つけるために 逆に川をさかのぼって行ったのではないだろうか。 『創美社』より上流には川が二つほど かなり鋭角のカーブを描いた場所があるのだ。 下のAとBで囲った場所がそうだ。 上↑のAとBのようにしっかり川が曲がっていないと、この映画↓のようには見えない。 まずは『創美社』から結構近いAエリアからストリートビューで降りてみる↓ Aのエリアで怪しいのは、 唯一木々が茂っていて民家が近くにあるこの場所のみ↓ なんか違うような気がするが、まずはストリートビューで地上に降りる。 降りると、なんとなんとなんといきなりドーンとらくだが見えた!!!。↓ うそのようにドーンといきなり目の前に現れたんですねこれが(^^;) いや正直自分でもびっくりした。 上から見ると丸い空き地に木々が茂っていて公園には見えなかったもので(((^^;) らくだはもちろんのこと健吾が座っていたベンチも健在!! 水色の煙草の吸殻入れ、水飲み場もまだ有った!!20年以上の 歳月に耐えていたのだ!う〜〜〜ん感動(TT) 『らくだ公園』は生きていた!!なんだか無性に嬉しい(^^) 『らくだ公園』は葛飾区東立石1丁目22番地にあった。 公園の近くにあった二階建てのアパートも今も健在!! 今回のロケ地探しに基づいて簡単に地図でまとめてみると↓のようになる。 物語的には 新小岩の南口『一番街』の韓国料理屋が集まるエリアで食事をした後 美保さんは体調を崩し、北口へ向かうガードの近くでうずくまってしまう。 健吾に心配されるがふりきってガード下へ向かう。 ガード下でチンピラに絡まれているところへ再度健吾に助けられて、 二人して、北口に上がり、前の平和通りを一直線に平和橋へ。30分ほど歩いて 中川にかかる平和橋を渡ってすぐのところにある健吾の住処である『創美社』にたどりつく。 それから何週間もたって、公募展に落選してしまった健吾を慰めるために 社長さんに言われた通り中川を下っていくが、見つからないので、念のために 上流にも足を運ぶ。ぐるぐる回って、ユータンして上流から歩いてきてようやく『らくだ公園』を見つける。 『らくだ公園』の位置は社長さんの覚え間違いで、下流ではなく上流だった。 と、まあ・・・無理やりこういう流れなんでしょうね(((^^;) それにしてもいきなり『らくだ』が画面に現れたときはびっくりしたなあ…。 2時間半の長い長いロケ地への旅でした。 チャンチャン(^^) なんとか5月末には 第37作「幸福の青い鳥」のダイジェスト版をアップできると思います。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 発見!リリーの母親の住む街 五反田新開地 2010年5月12日 寅次郎な日々 その438 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 私は寅のマドンナはやっぱりリリーだと思っている。 リリーは寅と同じくその幼少期は恵まれないで育っていった。今も放浪癖が残る。 そういうところは寅にソックリだ。 最後は寅の悲しみが分かる人でないと真の意味でマドンナの資格はない。 リリーの父親は真面目な印刷工で仲が良かったが、リリーは母親には捨てられてしまったのだ。 だからリリーは父親を慕い、母親を恨んで生きてきたところがある。 そんな悲しい彼女の運命が見えるシーンが第11作「忘れな草」にある。 リリーの母親がリリーにお金の無心をするあのシーンだ。 リリーは情けなくて母親に 「親のつもりなの、それでも。はっきり言って、私あんたなんか大嫌いよ! いなくなればいいと思ってんの」 と、なんともキツイ言葉で母親を突き離しながらも、 それでも母親に会いに来て、そしてお金を数万円渡してもやる。 恨んでも憎んでもやはり血のつながった母娘なのである。 リリーはやはり母親が恋しいのだ。 そんな母親が住む街「蒲田」…。 と昨夜までは思っていた。 電柱の質屋さんの住所(大森)やいろんな人々の意見を総合して判断すると 蒲田付近だと思い込んでいたのだが、なんと新事実がわかったのだ。 と、言っても自力でわかったわけではない(^^;)ゞ 昨夜、熱烈な寅ファンである文京区に住むTさんからメールをいただき、 リリーの母親のアパートがピンポイントで判明したのだった。 なんとなんと蒲田よりももうちょっと北の『国鉄五反田駅』の目黒川沿いだったのだ。 まずは肝心の部分。つまりそれを確定するにいたる『証拠』の部分の話。 私が確信を持つためにTさんが紹介してくださった昭和60年の『写真』↓がここにある。 中村さんという方が運営されている古い都会の町並みを写したサイトに まさにリリーの母親が住むあのエリアの写真があったのだ。 これらの写真を映画のそれぞれのシーンと照らし合わせてみる。2枚ほど拝借(すみません)。 この写真は、リリーが歩く新開地飲み屋街にあった『ドリーム』という店が写っている貴重な写真(昭和60年撮影)。 その下の画像は、映画本編でリリーが歩く東五反田1丁目。電柱の住所がかろうじて読めるような感じ。 この映像に『ドリーム』の青い看板ががまさに写っている。 この写真は凄いの一言!これぞ五反田新開地! これがなかったらTさんでさえピンポイントで詰めていけなかったと思う。 それにしてもTさんはよくこの写真を見つけられた。まったく凄い集中力だ。 そしてもうひとつこの写真↓。これで完全に決定! まさしくリリーの母親が住んでいたアパートの隣の中華料理屋さん。 つまりこの隣(JR側の方)が母親のアパートだと言うことだ。 映画では中華料理屋だとはわからないが軒先の雨よけ日よけビニールテントで同じだとわかる。 上の写真と下の画像を見比べていただければわかるが、平和軒の軒先のテント模様と、 真向かいの家の縦のストライプの丸いテント!(写真左端ギリギリで写っている)が映画の中でも写っている。 平和軒の方はひょっとしてテントを新しくしたかもしれないが基本的には同じ模様。向かいの家の丸いテントは全く同じ。 もちろん映画ではカメラの位置は上の写真とは逆である。 だから映画ではアパート2階からは国鉄ではなく逆方向の東急池上線が写っている。 当然中華料理屋さんの軒先は映画では左側に映っている。 これで、100%間違いなく、Tさんが言われるように、リリーの母親のアパートは 五反田新開地、中華料理屋『平和軒』隣(国鉄鉄橋寄り)の目黒川沿いのアパートの2階だ。 上の写真↑では道が折れ曲がっているのでアパートは見えない。 下の映画と上の写真は撮っている位置が逆。 母親の向こうに見える東急池上線『五反田駅』 そこで私も少しは自力で理解しようと思い、 まずは大づかみでそれを確かめるべく、地図や航空写真を見てみた。 場所は東急池上線の五反田駅とJRの線路、そして目黒川の3つに挟まれた三角地帯だった。 このエリアは昔から五反田新開地と呼ばれていたらしく、歓楽街.飲み屋街だったそうだ。 ただ残念ながら再開発の波の中でこのあたりのエリアはすべて取り壊され、 現在は下の航空写真のように目黒川沿いの飲み屋街は小奇麗な遊歩道になっているのである。 そしてあの、リリーが歩いていた左側の飲み屋街はご覧の通り↓ホテルロイヤルオーク五反田に変わっている。 そこで伝家の宝刀『昭和38年の航空写真』を使って同じエリアを見てみる。 そうすると、映画の中でリリーが歩き、リリーの母親の住んでいた あの『五反田新開地飲み屋街』の道がしっかり写っている。 青印はドリームという店があった位置。 黄印は中華料理屋の横にあるリリーの母親が住むアパート 黄緑印は二人が会話していた国鉄ガード下に近い場所。 赤矢印↓は映画の中のリリーの進路 つまり、リリーは、上の地図(昭和38年の航空写真)の赤い矢印線のように 東急池上線の高架下あたりから、五木ひろしの歌が流れる中、『ドリーム』の前を通り。 アーチ型の『新開地』看板のかかる飲み屋街のメインストリートを 100メートルほど東に歩いてきて、道の右にある目黒川沿いの母親のアパートの下に着き、 二階の部屋にいる母親に声をかけ、 ちょっと国鉄鉄橋よりでお金を渡し、母親と別れたあと、国鉄のガードをくぐって帰っていったのだ。 母親のアパートの住所は品川区西五反田1丁目9番地 今回五反田だと教えてくださったTさんの凄いところは、 それを自らの目で確かめるべく、自分でも五反田に行かれ、詳細な調査をされていることだ。 都市開発後なので跡形もなかったらしいが、道からの電車の見え方は同じだったとおっしゃっていた。 ただ…今回のことでひとつだけ疑問が残る部分がある。 これはどう考えればいいのか…。(下の写真をよく見比べていただきたい。) アップにすると上下の縦幅がマス目がしっかり2列 こちらの高架のサイド(グレーの部分)はマス目が横一列しかなく高さが短い。 一方これは上下のマス目が2列↓ ただし、映っているのは道の右半分。 リリーの左端に高架に張り付けられている「2,9」の赤丸標識が見えるので 川から道の真ん中までずっとマス目は一列だと考えて良いと思う。↓ やはり、あのシーンを再度見ても、 リリーが『ドリーム』の横を歩いていく向こうで茶色の貨物が通っているのであの線路は東急池上線ではなく 当時の国鉄の線路であると今も思う。目黒川を右手に見て歩いていくのだ。 地図で見てみると五反田で目黒川にかかる国鉄の鉄橋は昔からこの位置だけ。 ということは、 角度によってあの国鉄の高架、鉄橋側面の形の見え方が違うということなのだろうか。 会話のシーンではリリーの左端に丸い交通標識がわずかに見えるので 道の真ん中までは鉄橋の側面はマス目横一列であることがわかる。 遠く見えている鉄橋左のあの上下二マスは手前の太い電線が横に通っているのが 混ざって映っていただけなのか?それにしては縦の線と同じくらいはっきり横の線が映っている。 それともし電線だとしたらドリームから遠目で見た時のマスの形がいやに長方形なのが気になる。 あのマス目(黄色いラインの上)はほぼ正方形だということが 母親親とリリーの会話の場所から大きく見えるからだ。 あえてこじつけるなら道の左半分から道の端までは強度を保つため&危険防止安全性確保のために二マスにした。 右半分以降は一マス…。ってことなのだろうか。まあ、そういうことはありうると思う。 おそらく真実はそういうことなのかもしれない。 また、草の土手や木の柵や捨ててあるガラスの戸などは同じなので、 やはりドリームあたりから遠く見えたあの鉄橋とこのリリーが母親から去っていった場所は同じ位置だと思う…、 同じ映画の同時刻の同じ場所なのに高架の側面の見え方がこうも違うのはある意味興味深い。 ガラスの戸や水色のゴミ箱に関しては動かされているので スタッフがそのたびにわざわざ動かしていたのかもしれない。 両方のシーンとも捨ててあるガラス戸が見える。↓位置はずらしてある。 息子が上の鉄橋説明の俯瞰イラストをさらさらっとスケッチ風に描いてくれた。↓ 高架.鉄橋はこうなっていると推測。 道の右側の鉄橋のサイドは一マス。ガードに張り付いた【2,9b】赤丸標識から左は 補強&危険防止のためサイドの鉄は二マス。 リリーの母親がリリーに別れ際に捨て台詞をはかれ、 泣きながらリリーの背中を見つめている様子がさりげなく描かれている。 アーケードの位置が違っているのはご愛嬌((^^;) ■あの鉄橋サイドの区切りの横線はひょっとして手前の電線なのか。 ■道の左半分以降だけ強度を保つため&安全性確保のために二マスにしてあるのか。
この鉄橋の構造謎が解ければ安心して熟睡できるのだが…。 困った〜〜〜(^^;)ゞ
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 バックナンバー 山田監督の『ヨーイ、はい』 徹底的にこだわり続ける演出 2010年4月30日 寅次郎な日々 その437 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 4月初めに観た『おとうと』は久しぶりの快作だったが、 あの作品における山田監督の演出の細部が臨場感を持って再現された本がある。 新田匡央さんという方が書かれた『山田洋次 なぜ家族を描き続けるのか』だ。 今まで一部のメイキングフィルムのみでほんのちょっと垣間見ることができた 山田監督の執拗なまでの演出の再現が、一部ではあるが活字で再現されている。 一見なにげない繋ぎのようなシーンに、山田演出の真骨頂がある。 そのことが伺えるリハーサルでの緊迫したやり取りが何箇所か書かれてある。 新田さんがかなりの回数現場に足を運び、記録をとり、時間と労力をかけられたからこそ なしえた現場のディテール表現が心地よい本だ。 新田さんという方はこれが初めての著作だそうだ。 なるほどである。だからそれぞれの取材に、彼の秘めた気迫が感じられるわけだ。気合が入っている。 近年では珍しい足を使って汗を書いて、取材を何度も執拗に重ねて書かれた映画本だ。 ただ、現場での記録が多いため、一般の映画本としてはなじまないかもしれないが、 山田映画を長く深く愛してこられたファンにとってはこの現場でのディテールの再現は貴重だ。 この点だけ考えても一読の価値はあると思う。 そのディテールの一部をほんのちょっと紹介してみよう。 小林稔侍さん扮する伯父さんの庄平が姪の小春の着付けを見ようと 廊下で手帳に目をやりながら待っている。 茅島成美扮さんする奥さんがドアを開けて「お父さん」と声をかける。 その声に反応して「ん」といいつつ腰を上げ、おもむろに部屋に入っていく、というシーン。 普通に考えるとべつにどうってことのないシーンなのだが、山田監督にとっては どのシーンも登場人物たちの自然な動きという意味では同じ重要度を持っている。 脚本ではわずか3行のト書きの部分だ。 シーン16 〇〇○ホテル 廊下 一隅に腰を下ろしているモーニング姿の吟子の兄、丹野庄平。 着付けのドアが開き、妻の信子が顔を出し、手招きする。 庄平立ち上がる。 たったこれだけのシーン。 以下新田さんの本文から少しだけ抜粋してみる。↓ 山田が発する「ヨーイ、はい」の声でシーン16のリハーサルが始まる。 茅島が「お父さん」と呼びかける。 茅島の声に反応した小林だが視線を上げるタイミングが視線を上げるタイミングが いまひとつしっくりこない。 山田が小林の動作を逐一決めていく。 「ガチャリ(ドアが空く音)こっちみる。『お父さん』」 山田のこっち見るに合わせて顔を上げた小林だったが、茅島に視線を向けたまま 立ち上がろうとする。 「いや立ち上がるべくちょっと一度目が動かないと。見たままというのは何か変ですね」 目を動かすことに意識が傾いた小林は、ドアが開く音と「お父さん」の間に タイミングよく視線を動かすことができない。 「違う、ガチャリ、見る。ヨーイ、はい」 こんどは小林が視線を上げてから茅島の「お父さん」まで、ほんの少し間があいた。 「うーん、ずいぶん長いな。ガチャリと言ってから…」 「はい、はい、もう一回いきましょう、ヨーイ、はい」 目を上げた小林が手帳をポケットに収める。 だが何かに見入られたように茅島から目をそらすことができない。 「もうちょっと目がなんとかならないですかねえ。 いったん手帳に目がいくとか。 『お父さん』と言われて(用意が)できたかという感じで(手帳)をしまう。 ちらっとみればわかるじゃないですか」 たまらず、といった様子で小林の傍らに歩み寄り、山田はしばらくの間黙考する。 頭を上げると、急(せ)くように言葉を並べる。 「じゃ『お父さん』で目を上げて下さい。ちらっと見てすぐ目が下へいく。ヨーイ、はい」 小林はどうしても顔を上げたまま手帳をしまおうとしてしまう。 「いや、ちらっと見て、目を下ろして立ち上がる。ヨーイ、はい」 山田の声にかすかな険しさが含まれるころ、 小林は山田の要求を満たす芝居を見せる。 それを塩に現場はテストに入った。 茅島の「お父さん」の声。 小林がちらっと目を上げる。 すぐに視線を落とす。手帳をしまう。立ち上がる。歩き出す。 リハーサルで山田が納得した芝居そのものに見えた。 その時突然山田が芝居を変えた。 「ドアが開いて明るくなる、目が上がるにしましょうか。 ガチャリ、明るくなる、目が上がる、『お父さん』 ヨーイ、はい」 芝居の最後小林の手帳がうまく内ポケットに入らなかった。 苦笑いを浮かべ「すいません」と謝る小林に構うことなく、 「ヨーイ、ちらっと見て、うんうん、できたかという気持ちで立ち上がる。ヨーイ、はい」 続くテストでも目線が下がらず山田の指摘を受ける。 「じーっと見ているのが変なんですよ。ちらっと見る、『お父さん』。ヨーィ、はい」 どうにか要求に応えてみせた小林に、山田の新たな要求が重ねられる。 「こんどは口の中で『うん』と言って下さい。『お父さん』『うん』。ヨーイ、はい」 うなずいたが「うん」という言葉が出ない。 「いやいや、「うん」と口に出して。『お父さん』『うん』。ヨーイ、はい」 首を上下に動かす動作が大袈裟になった。 「そう大きくうなずかないで、生返事で、ヨーイ、はい」 小林の芝居が終わると山田はうつむいて考え込む。 小林の頷き方に首をかしげる。 「なんか不自然だな。パッと開く。『お父さん』。おおそうかということですからね。 『うん』と言っても言わなくてもどちらでもいいんですけど、ヨーイ、はい」 どうしても大きくうなずく芝居になる。 「うなずかない。首を振るのが不自然なんですよね」 山田が見本の芝居を見せる。 山田の演ずる「うん」は、首を動かさず口の中で「うん」と言っている。 むしろ「ん」という発音に近い。 「口の中でうんと言えばいい、ヨーイ、…、よーし、見てやろうってことですよね。 ちらっと見る。花嫁の父のような心境で。ヨーイ、はい」 鼻眼鏡にした小林が上目遣いで視線を上げる。 「なんだか怖いなあ」 それからただ単に「見る」だけの芝居を八回繰り返す。 山田は黙って見つめていたが、おもむろに口を開いた。 噛んで含めるような物言いだった。 「あのね、『お父さん』と言われて、ちらっと見て立ち上がる。 見る時間が長いんですね。 じっと見ているからおかしんです。 『お父さん』『よし』という、ちらっと目をやって立ち上がる。 ちょっとやってみてください。ヨーイ、はい」 悪くない芝居だ。 だが山田はなおも芝居を続けさせる。 「はい、はい。明るくなる、ちょっと見てください」 小林が視線を上げる。山田自ら「お父さん」の声。 小林の癖なのか大きく首を振ってうなずいてしまう。 山田がはじめて声を荒げた。 「いや、うなずかないで!もう一回。ヨーイ、はい!」 視線を上げるタイミングがわずかに合わない。 「いや、違う!明るくなる、目が上がる。ヨーイ、はい!」 現場の緊張が高まる。 スタッフにもそれは伝播していく。 やがてそれは俳優にも影響を及ぼす。 テストのたび、山田の要求の何かが抜け落ちてしまう。 「『うん』って言って!」 「うなずかなで」 「もっと楽しそうに!よっしゃあって感じ」 小林の手帳にも指摘が飛ぶ。 「あまり一生懸命見ないで!指なんかで追わなくていいから。 漠然と、間が持たないから見ている。ヨーイ…、 『ヨーイ、はい』で一枚めくってみてください。ヨーイ、はい」 手帳をめくる。ドアが開く。目が上がる。『お父さん』。『うん』。 手帳をポケットにしまう。立ち上がる。ドアに向かって歩き出す。 やっとこなした。 「はい、そう、それでいいんですよ。次、本番テスト」 大きなもので数えられただけでも27回のテストが繰り返された。 長時間の緊張を強いられた」スタッフは、山田の「本番テスト」の声で ほんの一瞬だけ息を吐く。その弛緩をかき消すように、 間髪を入れず山田の声が響き渡る。 「ヨーイ!」 張りのある声だ。 「顔ではない、目だけでひょいと見上げる。 ヨーイ、はい!一枚めくる」 手帳をめくっている間にドアが開いてしまう。 「違うまだ早いって!ヨーイ、めくるまでが大事なんだから!ヨーイ、はい」 目線を上げるタイミングがまた遅れる。 「明るくなる。(そこで)目線が上がらないと!光を感じているわけだから。ヨーイ、はい」 見上げている時間がやや長い。 「ほんとにちらっと見るだけでいいんですよ。ちらっと。ちょっと見てください」 鼻眼鏡で、目だけで見る仕草が、山田は気に入らない。 「眼鏡を普通にかけて、普通に見上げたらどうなりますか。 あんまり怖くしないで下さい。柔らかく、楽しそうに見て。ヨーイ、はい!」 延々と続くテストが終わり、山田の本番の声が聞こえたときには、すでに40分近くが経過していた。 「はい、オーケーだね」 以上「山田洋次 なぜ家族を描き続けるのか」からの抜粋でした。 いやあ、実に興味深いレポートだった。 ベテラン俳優さんゆえの染み付いた「色」がその場にそぐわない場合は、 容赦なく自然な色合いになるまでとことん付き合い、根っこから変えていくのが山田監督とスタッフたちのやり方。 このような執拗なまでの「さりげない臨場感、自然な演技」に対するこだわりは彼が若い頃からの大きな特徴であり、 数々の名作はそのようにしてひとつひとつ搾り出すように作り出されてきたことは言うまでもない。 これだけの数を作って長年にわたって弛緩した作品がほとんどないなんてことは 他の映画監督じゃ考えられないことなのだから。 山田監督のあのような感覚がなかったら渥美さんや倍賞さんでさえ、 あそこまでの美しい自然な演技はできなかったと私は思っている。 こんなこと言うのはこのサイトを作って以来初めてかもしれないが、 そういう意味では、渥美清さんのあの大輪の花は山田監督との出会いがなければ開ききらなかったと断言できる。 それは山田監督の方にも実は言えることだったと思う。 あのふたりはそれこそお互いを生かしきることができた運命の出会いだったとつくづく思う。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 外国旅行に行った準レギュラー2人 2010年4月25日 寅次郎な日々 その436 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 今週はとにかく寒かった。今日も寒い 桜が散ったあとなのに、なぜ? でも、庭のチューリップはもう少しで開く。 それにそれなりに生業の仕事がはかどったからよしとしよう。 第37作「幸福の青い鳥」のダイジェスト版も今夜からぼちぼち手をつけ始めている。 しかし、第24作「春の夢」の本編完全版の完結編はいやはや全く手をつけていない(TT) で、第37作「幸福の青い鳥」のダイジェスト版のほうはなんとか4月末にはアップできるとおもう。 もう少しお待ちください。(誰も待ってないって ゞ(^^;)) こういう寒い日は暑い場所の話を少々。 寅は第24作「春の夢」でアメリカ大嫌い、と言ってたわりには 第4作「新男はつらいよ」でアメリカのハワイにマジで行こうとしていた。 登の務めていた旅行代理店がトンズラをしなければ、実際ハワイに行ったのだ。 また、そのハワイへは第41作「心の旅路」で万車券を取った時にもパスポートを用意して再度マジで行こうともしていた。 このように寅はかなりしつこくハワイにこだわっているのだ。でも結局2度ともダメだった。 その代わり、もっと遠いウィーンに行ったけれどもね。 そう言えば、暑いところというとウィーンよりずっと暑い真夏の沖縄にも寅は行ったっけなあ‥。 さくらや博は「ヨーロッパに行きたい」と言っていたが満男の受験期だったので先延ばしにしているうちに 行けなくなってしまったようだ。 寅は身軽だから上記のように外国にも暑い場所にも行っている。 なんせこのシリーズで飛行機に10回も乗っているのだから、結構あちこち飛び回っているのだ。 決していつも汽車の鈍行ばかりに乗っているわけではない。 新幹線にさえ最低7、8回は乗っている可能性が強い。(飛行機も新幹線も1度の乗り降りで1回とカウント) (もっとも新幹線に寅が確実に乗ったことが本編で説明されているのは2回のみ) 新幹線の数は多分に不完全な推測なので深く考えないで下さい(^^;)) でも新幹線はともかく、飛行機10回はほぼ確実。本編でそれなりに説明もされている。 『サイト内検索』をしないで、頭で思い出すだけで 寅の飛行機乗り降り10回がどの物語の時かがほぼ分かった方は完全な『寅さん博士』(^^) 最後にもうひとつ。 レギュラー陣(とらやの面々とタコ社長、御前様、源ちゃん)はついに外国には行かなかったが、 このシリーズの『準レギュラー』の中で外国に行った人が二人もいるから驚き。 この二人はどの作品にも出てくるわけではない。 シリーズ後半の作品群で一人は7作品に出ている。もう一人はもっとたくさんの作品に出ている。 参道で働くチョイ役の備後屋や麒麟堂などとは違って、出演している作品ではかなりセリフも多いし、 物語にもしっかり絡んでくることもあるので完全な準レギュラー。 このうち一人はハワイ。もう一人は日本語がしっかり通じる外国(おそらくハワイかグアム) さて、この二人誰だかわかりますか?(もちろん寅の夢の中ではない) あ、そうそう、さくらや博もレギュラー陣も『寅の夢』の中ではしっかりアメリカやアフリカなどに行っているが、 それはあくまでも夢なので、ご愛嬌ということでこの話とは関係なし。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 白木蓮と青春の輝き 2010年4月18日 寅次郎な日々 その435 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 桜もかなり葉っぱが出てきて、次第に若葉の季節になってきた。 とにかくここ数週間は忙しい。 全く更新ができない状態だ。 4月末には「第37作幸福の青い鳥」を更新する時間が持てると思う。 先日自宅近辺で行ける桜の名所を写真入りで紹介したが ようやく自宅裏山にある城ヶ山公園の桜が満開になった。 それと同時に白木蓮(ハクモクレン)の花が枝いっぱいに大きな花を咲せていた。後ろは丘一面の桜。 木蓮は香りが良い。なんともいえない新緑の香りだ。 白木蓮の香りをかぐ息子。後ろは一面の桜 東京に住んでいた頃も5月になると木蓮の香りがあちこちからしたものだ。 この城ヶ山は桜もいいし木蓮もいいが、梅雨時の紫陽花もそれは見事だ。 そういえば山田監督の映画のクライマックスで 白木蓮が美しく咲いているシーンがあったことを今、思い出した。 映画の名は『馬鹿まるだし』 主人公は寅次郎の原型とも言える安五郎。ハナ肇さんが演じていた。 寅次郎も安五郎もアウトサイダーだが、寅次郎は実は、完全な根無し草ではない。 優しいさくらやとらやの人々がいつも待っていてくれる。 それに対して安五郎は漂泊者であり、 誰からもつまはじきにあった完全な社会からのはみ出し者である。救いがないのである。 それゆえ、車寅次郎のマドンナへの献身と安五郎のそれは、若干その後の状況が違っているのだ。 安五郎の言葉をそのまま借りれば 「吹けば飛ぶよな旅烏」ゆえの悲哀を散々味わうことになる。 寅次郎はマドンナにふられて、旅立っていくが、どこかで優しいとらやを胸に抱いたままでいる。 つまりどんなに惨めでもその惨めさの底はさほど深くないのである。 それに対して安五郎の孤独は深い。散々つくしてきたマドンナの夏子さんにさらに褒めてもらおうと、 町で起こった人質事件を解決するべく、夏子さんが止めるのも聞かず、安五郎は闘いに行ってしまう。 結局敵のダイナマイトが爆発してしまい、安五郎は足を折り、失明をしてしまうのだった。 その後安五郎は町で見捨てられたように暮らすのだった。 ここに安五郎の人生はどん底に達する。 「男はつらいよ」にはこのような主人公の決定的な悲惨さは見あたらない。 そんなどん底の安五郎の日々の中、 やがて…、夏子さんの縁談が持ち上がり再婚が決まってしまうのである。 夏子さんの婚礼も近いある夜。 目が見えない安五郎は、夏子さんの家に訪れる。 夏子さんに最後の別れにやって来たのだ。 暗い庭の片隅にかつて安五郎が植えた白木蓮の木が勢いよく伸び、 真っ白な花がこぼれるように咲いている。 そこにすっと安五郎が立っている。 夏子「あら、安さん、…びっくりした。黙って入ってくるから」 安五郎縁側まで来て 安五郎「このたびの御祝言、おめでとうございます」 夏子「まあ、あらたまって…、どうもありがとう」 安五郎「あっしはこんな身体なんでお見送りもできませんが、ご新造さん、末長くお幸せに…」 夏子「安さんも、元気で暮らしてくださいね」 安五郎「へえ…」 安五郎、しばらく黙っている。 夏子「いい匂いがするでしょう。安さんが植えてくれた木蓮がきれいに咲いてるわよ」 安五郎「へえ…」 安五郎はまた黙り込んでしまう。 夏子「どうかしたの?」 安五郎「あっしゃあ、申し訳ねえ…」 夏子さん驚いて 夏子「え?」 安五郎「ご新造さん、あっしゃ汚れとる」 夏子「…」 夏子さん、下を向く。 安五郎「あっしゃ汚れております」 夏子「別にどこも汚れてなんかいないわ…」 安五郎「へえ…、そうでやすか」 安五郎、沈んだ声でうなだれる。 安五郎は、無法松の告白を真似た自分の一生一代の告白が夏子さんに伝わらないで 空振りに終わってしまったと思い、心が沈んでいくのである。 安五郎を見つめ続ける夏子さんの瞳が潤み、 やがて一筋の涙が頬を伝っていく。 安五郎の気持ちは夏子さんに伝わっていたのだった。 しかし目の見えない安五郎にはそのことが分からない。 なんとも悲しく切ない別れのシーンだった。 桑野みゆきさんの白い肌と涙を浮かべた潤んだ瞳は今も脳裏に焼きついている。 『無法松の一生』のあのセリフをそのまま蘇らせた山田監督。 そしてこの安五郎の言葉は、そのずっと後、第34作「真実一路」における寅次郎のふじ子さんへの セリフに繋がっていったのだ。 山田監督の本格的な映画人としての人生は この『馬鹿まるだし』から始まったのではないかと私は思っている。 山田監督は近年も繊細な演出で力作を作り続けているが、 『馬鹿まるだし』に代表されるような初期作品のなんともいえないあのみずみずしさは、 その当時にしか作り得ない青春の輝きなのかもしれない。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 「メロン騒動」と「寅さんの子守唄」 『おとうと』からの副産物 2010年4月8日 寅次郎な日々 その434 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 春爛漫の大阪の実家で満開の桜を観て、 越中八尾はまだ寒い。いやもうかなり寒い。ちょっと風邪気味。 富山市内のいたち川の桜もまだ5分咲き。 神通川の桜も、家からすぐの城ヶ山公園の桜もまだ5分チョイ咲き。 もう少し待たねばならない感じ。 それでも7年ぶりの日本の桜だ。 スケッチをしたり、ただ眺めたり、満開のあと散り始める頃まで ちょいちょい見に行こうと思う。 宮本輝の小説「蛍川」の舞台になった富山市の「いたち川」↓ ここの地下深くからの湧き水は美味い日本の名水百選。川沿いのさくらはまだ満開まで時間がかかりそう。 私の家での飲み水は全てここの湧き水を汲んで使っている。 追伸 本日4月8日は温かく、5月上旬の陽気。 ひょっとして8分咲きくらいまでいったかもと、スケッチをしに、 私のお気に入りの場所、八尾近くの神通川の土手に車を飛ばした。 ここは桜の名所で土手沿いに何キロも桜並木が続くのだ。 8分とはいかないまでも、7分半…くらいにはなっていた。このままいくともう数日で8分になる。 今日は空に雲がなくかなたには見事な立山連峰がお目見え。 剣岳もくっきり今日は見えた。 コンピューターグラフィックを勉強している20歳になった息子も最近はクロッキー力、デッサン力の必要性を ますます感じているらしく、時々私や連れ合いの画材を借りて油彩やデッサンをしている。 私のこのスケッチにも付き合っていた。(写真左端↓) どうやら来春バリの学校が終わったら日本の美術大学に行く準備をはじめる気配だ。 さらに追伸 4月9日富山城近くの松川沿いの桜並木が超満開になった。↓見事。 おっと、このコラムは寅ネタ中心だったっけ。 で、映画「おとうと」なのだが、…あ、その前に この映画の中でちょろっと「男はつらいよ」のあるシーンが2箇所ほど出て来た。 オープニングのあたりで、まず第9作「柴又慕情」の2回目の帰郷のシーンがちらっと登場。 もう一つは、後半大阪が中心になってくるあたり「みどりのいえ」の談話室でなんと第15作「相合い傘」での あの「メロン騒動」が映った。 ちょうど寅が帰ってきてみんなの前に座るあたりだ。 こういうシーン↓ 寅「いつも言ってるじゃねえかさー、 ここを自分のうちと思って来いってさ!えー」 リリー「どうもありがとう」 寅「う〜んま、そりゃいいや、な! メロン美味しいかい?」 さくら「ウン」 寅「よし、じゃ、お兄ちゃんも一つもらおうか。 じゃ、出してくれオレのナッ」 さくら「あ、お兄ちゃん。これ一口しか食べてないから」 etc. ここから大騒動が始まるわけだ。 もっとも、このシーンはスクリーンの端っこで、主人公たちの会話にかき消されるように 小さくさりげなくテレビに映っているだけだから気づかれなかった人が大部分だと思うが、 今度DVDが出たらみなさん確かめてください(^^) そしてもう一つ、 今回、再確認のためもうひとつのシーン、つまり第9作「柴又慕情」での、寅の2回目の帰郷シーン をチェックしていたところ、あの幻の名曲『寅さんの子守唄』が使われていることをなんと発見したのだ! これは最初、数年前に寅友の寅福さんから聞いた歌なのだが、 私はてっきりレコードだけで、本編では使われていなかったのだ と思っておいたら、どっこい今回ちゃんとメロディが使われていたことを遂に発見したのだ。 これを読まれている方々にとっては「で、なに」という程度の感想だろうが、 この歌の叙情性を高く評価している私としては本編で使われていて大変嬉しかったわけだ。 ちょうどこの第9作の年(昭和47年)、A面『さくらのバラード』B面『寅さんの子守唄』として4月に発売されていたのだ。 だからある意味歌ができてすぐに本編で使われたというわけだ。 今日の今日まで『寅さんの子守唄』は本編ではついに使われなかったと思い込んでいた私にとって、 大きな安堵の気持ちが湧いて来たのはいうまでもない。 本来はもちろん歌がついていて倍賞さんが歌っている。 下にセリフも含めて全部記しておこう。 この歌の間に入る寅とさくらの『セリフ』がまたたまらなくいいんだよなあ〜。。。 「寅さんの子守唄」 作詞 山田洋次 作曲 山本直純 歌 倍賞千恵子 昭和47年4月10日発売 寅「さくら!お前元気だったか。 赤ん坊生まれたんだってな。 あれ、それ、赤ん坊か!お前 赤ん坊生んだの!」 さくら「バカね、お兄ちゃん、どこへいってたのよ。 さんざん心配していたのに」 寅「すまねえ…。 泣くなよ・・・ ほら 赤ん坊泣いているよ ほら・・・」 ねんねん坊や ねんころり ねんねんねんねこ ねんねして 泣き虫坊やの 見る夢は 四角い顔して ちっちゃい眼 二枚目気取りの 寅さんの 楽しい旅の 夢かしら 寅「おい、なんだかこらあ 赤ん坊にしちゃ 面白い顔してるじゃねえか、誰に似てるの?」 さくら「みんな、お兄ちゃんにそっくりだというけど」 寅「ばかやろう、ふざけんな。オレに似てりゃもっと二枚目よ。 どっかちょっと似てるな?デコ坊、お前俺に似てるの、 かわいそうに、この野郎、この野郎」 さくら「ダメよ、お兄ちゃん 起きちゃうじゃないの」 烏もお家に 帰るのに 小鳥もみんなで 寝てるのに 着たきり雀の 寅さんは トランクひとつの 旅がらす 寅「あーあー、やっぱりてめえの家の畳がいいな。 ゆんべ一晩中夜汽車に乗ってたからよ。 なんだかからだ中が痛くって、痛くってたまんないよ。 三等車の腰掛がかたくって、かたくってよ えー」 さくら「シッ」 夕焼け空に 鐘がなる 今ごろどうして いるかしら 私のお兄ちゃんの 寅さんは 本当は淋しい ひとなのよ さくら「お兄ちゃん、だめよ、そんなとこに寝ちゃ、 風邪ひくじゃないの しょうがないわねェー」 寅、寝言を言って「グー…」 ね、なかなかいい歌でしょ。 あ、ところで肝心の映画「おとうと」だが、 映画そのものは直球勝負、映画通が好みそうな旨味のある今風の変化球は一切無し。 ここまでベタでいいのか、これでは嫌がる人多そうだ…と心配するくらいの直球勝負。 だから刺激が好きな若者はこの映画をあまり観ないのだろう…。 それにしても 明らかに鉄郎と吟子に寅次郎とさくらがだぶる。 あの扱われ方、あの啖呵、あのていたらく、あの指にはめた金の指輪。。。 あの披露宴は「男はつらいよ」第1作の「お見合い」&「披露宴」を混ぜたもの以外の何ものでもない。 吉永小百合さんは今もなお美しく清楚で慈愛に溢れている。 彼女はやはりスターの中のスター。 どんな役をしてもそのオーラは変わらない。 そして言わずもがなの、小春と亨にさくらと博の青春がだぶる。 あれもまさしくあの第1作。 蒼井優さんのあの静かなリアリティはなかなかいい。 懐かしい風を運べる稀有な女優さん。 だからこの映画は「男はつらいよ」が好きな人は絶対気に入る。 また、随所に小津監督の構図。 近年ますます小津監督を意識している山田監督を感じる。 山田監督は、この作品の中で「男はつらいよ」を密かに再現しているのだな、と思われた。 これを「くりかえし」「使いまわし」…才能が枯渇した。と見る人もいる…とは思う。 その昔、出来の悪い弟をみんなであいつはダメだと言い合って ずっと踏みつけ続けることによって 逆に家族のまとまりをつけてきた部分が必ずあったはず。 善良な人間の中に潜む人間の弱さ。 亡き吟子の夫はそのことを見事に見抜いていた。 この物語の陰のキーマンは写真以外では一度も出てこない吟子の夫。 そして陰のキーマン2は、鉄郎とともにもう一人の『異物』である邪魔者扱いの義母の絹代。 彼女の最後の鉄郎に対するなんとも優しい言葉が脳裏に今も残る。 この言葉のために映画を作ったことがわかる。 鶴瓶さんのキャラの立ち方は他の追随を許さない凄みがあった。 「ディア.ドクター」の彼も実によかった。 いや、「ディアドクター」の伊野治医師役のほうが鶴瓶さんの本来のキャラを抑えている分 よりいっそう才能の開花を感じた。 「おとうと」のほうはキャラのたちかたが芸人である鶴瓶さんそのものに近い。 それゆえイメージが鉄郎と芸人鶴瓶が混ざり、そこが実はちょっと欠点にもなっている。 地味だが今回気に入った俳優さんが 横山あきおさん。 この人は異空間を作ってくれる。これが映画に不思議さを醸させる。 大阪と東京、まったく違う場所で 吟子も鳥を飼い、 鉄郎も鳥を飼う。 吟子は鳥かごに入れ、きれいに世話をしている。 鉄郎の飼い方はめちゃくちゃ。 部屋のど真ん中に止まり木を作って、いわゆる部屋での放し飼い。 狭いところでは鳥がかわいそうだと鉄郎は言う。幼い子供のような発想。 あの鳥の飼い方の違いが彼らの全人生の決定的な違い。 鉄郎は独善的、自己本位、そして豊穣でまっすぐな愛。 どちらがいい悪いではない。所詮全ては相対的だから。 そして私は鉄郎を選ぶ。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 第36作『柴又より愛をこめて』 超簡単 ダイジェスト版 2010年3月31日 寅次郎な日々 その433 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 一時帰国が迫っていますので生業が忙しく、かなりアップが遅れました。 それでは本日は第36作「柴又より愛をこめて」の超簡単ダイジェスト版をどうぞお楽しみください。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 第35作『寅次郎恋愛塾』 超簡単 ダイジェスト版 2010年3月10日 寅次郎な日々 その432 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 生業が忙しく、少しアップが遅れました。 それでは本日は第35作「寅次郎恋愛塾」の超簡単ダイジェスト版をどうぞお楽しみください。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 第34作『寅次郎真実一路』 超簡単 ダイジェスト版 2010年2月26日 寅次郎な日々 その431 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 いやあ〜、本編の『ダイジェスト版』は超久しぶりだ。(((((^^;)ヾ このサイトを作り始めた2004年当初は、マニアックな『本編完全版』と『コラム』だけを閉鎖的に書こうと思っていたのだが、 ここを訪問してくださる方々の中で、作品をまだ全部は知らない寅さんビギナーの方々も結構多いと聞き、 2007年から30分ほどで読める簡単作品紹介の全48作品の『ダイジェスト版(短く要約したもの)』を 第1作から始めた。 で、数年前まで『本編完全版』の作業の合間にずっと次々と『ダイジェスト版』を作ってはアップしてきたのだが、 昨年あたりから生業の仕事の多忙が続き、ご存知のとおり、なんとなく『ダイジェスト版』は 第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」まで作って、その後止まってしまっていた。 それぞれの作品の『ダイジェスト版(短く要約したもの)』はこちら 時々、何人かの方に『ダイジェスト版』は第48作まで作らないのですか?とメールで聞かれたのだが、 「そのうちまた再開します」、と言ったまま、今日の今日まで怠けていたのだが、 このままいくと、ずっと第34作以降の『ダイジェスト版』を作らなくなってしまうので、今日からまたとろとろ作っていこうと思う。 とは言っても、このサイトはもちろん『本編完全版』のアップこそがメインなので、その作業の合間に『ダイジェスト版』を作る。 そのスタンスは絶対変わらない。ということで、やはりどうしても時間が足らない。 そこでこれから作る第34作以降の『ダイジェスト版』の妥協案として、 @第33作までの『ダイジェスト版』よりも、物語のあらすじの長さもディテールもかなり短くし、要点だけを紹介しようと思う。 マニアックな部分は『本編完全版』のみで堪能してもらうことにする。 Aそしてもう一つの妥協はすでに『本編完全版』を作り終えた作品は、あえて『ダイジェスト版』は作らず飛ばしていこうと思う。 大は小を兼ねる…、ということだ(^^;)ヾ。 それゆえ第34作以降の『ダイジェスト版』は『超簡単 ダイジェスト版』というなんともベタな名前でやっていこうと思う。 残る作品は、第34作、第35作、第36作、第37作、第39作、第41作、第42作、第43作、第44作、第46作、第47作、までの11作品だ。 一週間に一度ほどの間隔でアップしていくので6月頃には終わると思うが、生来の怠け者なのでこれまた7月頃まで かかると思う。コラムもその間に気が向いたら入れていくこともあるかもしれない。 ま、どちらにしても個人の勝手なHPなのでわがままをお許しください。 それでは本日は第34作「寅次郎真実一路」の超簡単ダイジェスト版をどうぞお楽しみください。↓
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『寅次郎な日々』バックナンバー 430 『お兄ちゃんとの再会』 長山藍子さん CS衛星劇場 『私の寅さん』その2 2010年2月15日 寅次郎な日々 その430 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 CS衛星劇場『私の寅さん』長山藍子さんインタビューの後編です。 もちろんホスト役は私の寅仲間でもある映画評論家の佐藤利明さん。 【私の寅さん】 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が流れる。 I see trees of green, red roses too I see them bloom for me and you And I think to myself, what a wonderful world I see skies of blue and clouds of white The bright blessed day, … My memories of torasan 長山藍子さん scene.2 (後編) 中略 佐藤「長山藍子さんがマドンナという形で望郷編にご出演されるんですね」 長山「事務所の者が長山は2週間しかないんですって言ってるんです。 でも私は、先生がせっかく声をかけてくださったから全部2ヶ月開けたかったんですけど 2週間しか出れなくて、でも先生は『わかった』っておっしゃってくださって、 その後、シノップスが送られて来たんですが、それ見て、でんぐり返って笑っちゃって 『先生素晴らしい!』って思ったんです。 結局寅さんが、汗と油にまみれて労働する。あの運びが感動的だったです。 テレビで死んでしまった寅さんでしたが、映画でまた始まった寅さんがほんとにまた みなさんに喜ばれて、そして私を呼んでくださって、寅さんがもう一度労働者として働こう! っていうようなことをお書きになったと思うと、そういう感動もあって。 私の中で寅さん像っていうのがパーッと膨らんで凄く幸せだったんです。 ですから『望郷編』っていうのはパーフェクトな、大好きな映画でした」 佐藤「『男はつらいよ』の要素がほんとに凝縮されていて、テレビシリーズで 培われたものも含めそれからその後に展開される全ての要素がそこに詰まった作品ですよね」 中略 佐藤「それで、素晴らしいなと思うのは、そのお豆腐屋さんのお母さんが杉山とく子さん」 長山「そうなんです、おばちゃんですテレビでは」 佐藤「で、恋人役で井川比佐志さん」 長山「はい、井川さんはテレビでは博(博士)をやっていらした」 佐藤「ですから、もう一度ね、テレビのレギュラーメンバーが茶の間で揃う場面を 山田監督が設定されたんですよね」 長山さん、深く感動している表情。 長山「すごいですね。私深く考えてなかったですが、お話伺っていて、 そうなんですよねえ…」 中略 佐藤「節子さんが始めて登場する時に『寅さん、はいこれ、ハタンキョウ』って言って」 長山「そうなんです、フフフ」 映画の本編の該当場面が流れる。 佐藤「あのシーンが節子さんのキャラクターがスッと出てくるインパクトでした」 長山「最初リハーサルした時、『長山さん、これ、口の中に入れていただけませんか、食べましょう』 っておっしゃって、『は!!』と思ったんだけど、『はい』って言って、フフ、でもおっきいですよね、 何度もテストしましたから、何度も食べた気がします。大変でしたよ、それでセリフ言って 大笑いするわけで。健康そのものの節ちゃん、でした」 佐藤「オキャンなね、長山藍子さんのさくらさんと、映画版の倍賞千恵子さんのさくらさんが そこで対面するわけですよね。」 長山「はい」 佐藤「あの、ファンとしてはね…、フフ、そこで口に含んで、ちょっと恥ずかしそうに ポケットに種を入れるという一連の芝居が…」 長山「そうです」 佐藤「今までテレビだったのが、今度は松竹大船撮影所に入られた。 でも杉山さん、森川さん、渥美さん、というお馴染みの人たちでした」 長山「嬉しかったです。ほとんど全然違和感がなかったです」 佐藤「豆腐屋さんのセットで、葦を持って演技する場面があります」 長山「ありますね、あれは…渥美さんと映画でお会いしたのは久しぶりで、 久しぶりだけど久しぶりの感じがしなくて、で、直しの時間に、ちょうど セットの葦かなんかがあったもんですから、渥美さんがこう…取って、 『藍子なんとかで、こうだろ…』とかしゃべってて、それで私が『んん』とか 言って、同じ葦でまたそういうことしていった、らしいんですよ。 私は覚えてなかったんですけど、それを山田先生が後ろからご覧になってて、 テスト行く時に『ちょっとその葦使ってみましょうか』私はわかりませんから『は?』 って言ったんです。渥美さんはわかってらっしゃるから『あ、じゃ、これ』って。 先生は二人が普通の私語をしていた時の様子をやっぱり見てらして、 見つけられたんですね。さりげなくやっちゃいましたけど二人とも。 よく見た方に印象的だったって言われますけれど。 本編のその場面が流れる。 中略 長山「渥美さんが障子から出てきて『おやすみなさい』って言って、 また行くところがあるんですけど、そこも私たちは死ぬほど可笑しいのに、 何度も何度もテストがあるんですよ。そういうのって瞬発力みたいなものが 必要なんですよね。でも山田先生はどういうところだかわからないけれど 『もう一回いきましょう』って…。 長山「それが見てて毎回可笑しいんです。でも、先生は、また、もう一回とおっしゃるんです。 そしたら、渥美さんは、毎回ほんの微妙だけど違うふうに…。 だからたくさん引き出しがあって…、だからその可笑しいっていうのが本当に可笑しくなる。 毎回凄いテンションでなさってて凄いと思いました」 本編のその場面が流れる。 中略 佐藤「第5作は完成したあと、どこでご覧になられましたか」 長山「渋谷のね、映画館で観たんです。そしたら、一番最初の方で旅館にいる寅さんが 障子によっかかってこういう格好した時にもうお客さんが笑ったんです。 コケル前にお客さんがもう笑ったんですね。「男はつらいよ」はテレビでやらせてもらって 映画になってすっごいテンション上がってるなあって、 『わあ凄い!寅さんがもうみんなの中にいるんだ!』って思っちゃって、 この観ているお客さんの中に。 それが凄い感動しました。もう凄く嬉しくって、凄く誇らしくって、なんか凄い素敵な…、 なんともいえない…ものを創り出してる人たちの気持ち…、なんかそういうの感動しました。 映画って言うのはライブなんですね。しみじみライブなんだなって」 佐藤「映画そのものも、お客様と一緒に観て笑って泣いて怒ったり、 いろんなことを共有することで初めて完成するんですね」 長山「そうですね。山田先生も1作目は怖くてお家にいたっておっしゃっていましたけど、 映画館に行ったら『こうなんだあー』ってやっぱり。それで続いていくっていう…。 なんか、人の心に入ってくるものは何か、みたいなそんなことを教えてもらいました」 長山「…ですから、私は節ちゃんが悪い人…だとか、冷たいとかは、 全然思っていないんです。 ひとつの、寅さんっていう人が通っていく人生の、…寅さんを際立たせるための 凄い素敵なエピソードだって思います。人みな、正直に生きているんだな…って」 長山「『望郷編』ではそういう全体の流れ、物語の重さみたいなものも凄く感動しましたが、 やっぱり寅さんが最後に、海辺に行って、フフフ…、登と会って仁義きるっていう、 やっぱりこれは凄いと思いました。感動しました」 佐藤「労働者に一度は目覚めて額に汗して働こうと思ったけれども 寅さんの居場所というのは、また…ね、という、最後の仁義をきって、 登がいてくれる世界があって…」 長山「居場所っていうより、『寅さんって人はそういう人なの』っていう…。そういうね、 『そういう人なんですよ』って、ふっわかる。それでお客さんもそこでまたワー!って 寅の経験した映画の中で一緒にお客さんもいろいろ経験して、 そして『やっぱり寅さんだー!』って思って終わるっていうのが凄く感動的でした」 やっぱり寅さんだー! 「望郷編」ラストの場面が流れる。 エンデイングの音楽 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 がゆっくり流れ始める。 佐藤「それから…もう、本当に長い時間が経っていますけれど、 今でもこうしてね、衛星劇場で寅さんは毎月放送されていますし、 DVDとか、また上映会などで、いろんなお客さんが、その当時生まれていなかった 人たちまで、こう、夢中にさせてくれるっていうのはとても僕は素晴らしいことだって 思うんです」 長山「すっごいことですね」 佐藤「今、こう『さくら』さん、『節子』さん、のお気持ちを伺ってまいりましたけれど、 長山藍子さんにとって『男はつらいよ』っていう作品は、長い女優生活の中で どういった作品だと思われますか」 長山「そうですね、あの…、光の…、たとえばここに一つの石があったら、 それは宝石じゃなくていいんです。その光のあり方、放射の仕方ってあると思うんです。 あの、『男はつらいよ』っていうのは、なんかちょっと…こう…乱反射的な感じがするのに 一つの凄く鋭い、こう…明るくて深い光をピューって放って私の心の中に残っているような、 そういう…やっぱり『宝物』…ですね。 長山「そんな私は語れるような人じゃないんですけど、 え…っと…渥美さんがやっぱり最後の48作目まで頑張っていらして、 私はなんか…お兄ちゃんはずっと、永遠にこう…、 (涙ぐみながら) 私の中ではずっとテレビの『お兄ちゃん』があるので…、それと『望郷編』だけ 出させていただいているんで言うんですけど…。 しょうがないけど…とても体大事にしてらした方だし、 今も…たとえば、『男はつらいよ』が撮れていなくても、 こう…ベットでもいいから、 今でもこれだけみんなに愛されているってことをね、 見せてあげたいって…思うのと、 長山「ま、『見てるだろうなあ』って思おうと…フフフ…思います」 終わり インタビューの最後の最後、 長山さんの渥美さんへの想いが溢れるような言葉は内容もさることながら、 あのテレビ版『さくら』さんから繋がっている長山さんならではの 大きな歴史を感じる涙そのものであり、声そのものだった。 倍賞千恵子さんでも三崎千恵子さんでもなく、長山藍子さんしか言えない 言葉というものがあるのだな…と、しみじみ感動した夜だった。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 【号外】 ロケ地探訪 ついに発見! 神田神保町『大雅堂』 2010年2月5日 寅次郎な日々 その429 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 昨日、長山藍子さんの後編を書こうと思ったら、思わぬことが起こったので『号外』として ちょろっと書きます。 第17作「夕焼け小焼け」で印象的なシーンというのは名作ゆえにかなり多いが、 あの海坊主のような親父が生息する神田神保町の『大雅堂』での寅とのやり取りは 抱腹絶倒、大滝秀治さんここにありの名演技だった。 この表情が出来る人は大滝さんだけ。 で、問題は、『大雅堂』の場所である。 昔、学生の頃、しょっちゅう神田古本屋街をうろついていたのだが、 ああいう店があった気もするが思い出せない。第17作の本編完全版制作時も 調べようとは思っていたが、生来の怠け癖がある私は 結局まじめに調べることもなくうやむやのままに放置し、忘れかけていた。 で、昨日のこと、 月虎さんのSNSの中で、いつもお世話になっている寅仲間のRさんが、 あの店構えは以前現地で見たことがあるとおっしゃったのだ。 私は、ひょっとして今でもあの店構えは残っているかもしれないと思いはじめた。 もちろんインドネシアのバリからロケ地探しができるはずもない。 そこで昨夜、いつものように必殺技、グーグルのストリートビューで現場を ぐるぐるまわることにした。 当然、まわる前にまずヒントを映画の中から探さねばならない。 本編の中で青観が「神保町交差点の近く」と寅に言っているが、 このあたりの発言はいつものとおりいい加減なので、 あまりあてにしてはいけないことは経験上わかっている。 幸いなことに寅が歩く横の大きな道は間違いなく『靖国通り』だ。 それと寅が歩く後ろに『スルガ台画廊』『○陽堂書店』と『○山書店』の名前が見える。 今でもあるかないかわからないが、それを手がかりにまず探してみる。 まず、スルガ台画廊は銀座本店は検索で出てくるが、 神保町店はとうの昔に閉店したのか引っかかってこない。残念。 今度は本屋さん。 神保町の古本屋街一覧で『○陽堂書店』を探すと 神保町2丁目の『山陽堂書店』が出てきた。 その近くをたどって行くと、 なんとなくショーウインドウが出っ張っている書店が見えてきた。 神田神保町2丁目5番地『古賀書店』だ。 ↓の映画の大雅堂のショーウインドウと表がよく似ている。 隣の大きめの書店の白い外壁もそっくりだ。 ちなみに古賀書店は本来は音楽専門書店。戦前から続く老舗書店だ。 建物も同じく戦前から建つレトロなもの。絵にしたくなるくらい重厚で渋い。 この建物には映画本専門店で有名なあの矢口書店も横に入っている。 と、いうことは…古くからある文化財的な建物なので簡単にはいじれないはず。 しかし実際は外壁の柱部分が違う。 この、外壁柱部分が映画とは違うことがどうも腑に落ちない…。 これは場所が違うな…。長年の勘だ。 もう一度『○陽堂書店』に戻る。 神保町の古書店一覧で再度調べる。 するともうひとつあった! 神保町1丁目の『東陽堂書店』である。 ストリートビューで付近をまわると、東陽堂書店のすぐ近くに 『村山書店』という店がある。 上に書いたように、例の『○山書店』のことかもしれない。 そう思ってもう一度映画のチャプター静止画を見てみると、確かに 東陽堂書店の何軒か向こうの看板は『村山書店』と読むことができる。 と、いうことは…と、はしゃぐ心を落ち着かせて、 さらに大雅堂付近と思われるあたりをストリートビューでまわってみると どこかで見たビルに貼りついた大きなレタリング文字…。八木書店? ひょっとして大雅堂の隣のこのレタリングかも…。 外壁の色は変わっていたが、あの大きな店名の4文字レタリングは同じ。 ということは、『大雅堂』はその隣の店!か…。 ストリートビューで移動してみると、ちょっと道が曲がっている。 そういえば…映画もよく見ると曲がっているように見える。 ピンポイントでもっとしっかり見てみる。 うーん店構えがちょっと違って見える。店の前右部分にリニューアル工事がしてあり、 ちょっと店全体の印象が変わったようだ。 しかし、なにかショーウインドウガラス越しに絵が…。 ネットでもっと近寄った写真を探してみる。 完全に『赤富士』だ!! 映画でショーウインドウに飾ってあった『北斎の赤富士』! そして映画の時に映ったショーウインドウの障子も健在! 店のショーウインドウの北斎の赤富士は 自然光にやられるのでたぶん複製かも…。 実は、『大雅堂』ロケに使われたこの店は あの古地図、浮世絵などの古美術で有名な 神保町1丁目1番地の『大屋書房』だった。 そして問題となっていた外壁の石も映画当時と一緒!。↓ 店の中は実はこうなっているので、 映画の店の中のシーンは大屋書房以外の店か大船セットかだろう。 と、いうことで、 表右側のあたりがちょっと変わってしまっていたが、Rさんのおっしゃるとおり、 あの赤富士が架かったショーウインドウも中の障子もまだ健在だった。 めでたしめでたし!(^^) PS:そういえば、先日見たNHKの『ブラタモリ』であの店が紹介されていた。 まさかあそこが『大雅堂』だったとは夢にも思わなかった。 映画姑獲鳥の夏 (うぶめのなつ)の古書店『京極堂』のモデルにもなったそうだ。 長山さんの衛星劇場「私の寅さん」後編は来週です。お待ちください。
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『寅次郎な日々』バックナンバー もう一人の『さくら』 長山藍子さんの感覚 前編 CS衛星劇場『私の寅さん 長山藍子さん』 ― 兄を恋人と思っていたさくら 2010年2月1日 寅次郎な日々 その428 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 先日、「男はつらいよ」仲間の知人からCS衛星劇場の番組「私の寅さん」での .『長山藍子さん』の映像をいただいた。 彼はもうそれは本物の寅さん好きで、長山藍子さんの回がとてもよかったのでわざわざ送ってくださったのだ。 こういう時は、持つべきものは仲間だなってやっぱり思う。 早速見てみると、番組中の長山さんのほとんど全ての話がまさに「珠玉」だった。 長山藍子さんしか言えない感覚が、包み隠さずほとばしっていたのがなんとも楽しく嬉しかった。 そしてそれぞれの言葉はもちろん、それと同時に長山さんの表情が豊かで才能に満ち溢れていた。 テレビ番組に感動したのは久しぶりだ。 いつも思うことだが、このCS衛星劇場の『私の寅さん』はほんとうにじっくり作りこんだいい番組だ。 それで今回、久しぶりに番組のエキスを紹介してみようと思う。 本来前編と後編に分かれる長いインタビューなので、 本日の前編はテレビ版、来週の後編は映画版の「男はつらいよ」に関する部分だけに絞って 紹介することをお許し願いたい。 もちろん、聞き手であるホスト役は、お馴染み、寅仲間の映画評論家、佐藤利明さん。 それではCS衛星劇場 「私の寅さん. 長山藍子さん」ダイジェストをお楽しみください。 【私の寅さん】 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が流れる。 女優 長山藍子 佐藤「長山さんと言えば『さくらさん』」 長山「はい」 佐藤「もう一人の『さくらさん』という言い方が正しいと思うんですが」 長山「……は」 佐藤「『男はつらいよ』の原点となったテレビ版でね」 長山「はい」 佐藤「さくらさんを演じてこられた方」 長山「はい」 佐藤「今日はね、たっぷりとその頃のお話も、お伺いできればと思います」 長山「はい、ずいぶん昔のことになりますね。フフフ、よろしくお願いします」 佐藤さんが「もう一人の『さくらさん』と言った方が正しい」と言われた時の、 長山さんの微妙な表情は彼女の複雑な心理状態を表していたように思う。 彼女は『二人のさくら』について色々思うことがあるのかもしれない…。 大きく中略 佐藤「このドラマ、それまでのね、いわゆるホームドラマとは本当に趣が違う…。今我々は どういう世界かは知った上で拝見してますけど、当時は視聴者も出演される方も、 まずあの世界というのはまったく未体験なわけですよね」 長山「そうですねえ…」 佐藤「いかがでした、さくらさんを演じるにあたって」 長山「脚本を読ませていただいた時、まるでこう、ひとつの一編の小説を読むように緻密で ディテールがちゃんとこう…裏づけされていて、それでいて突拍子もなく面白い寅さんの シチュエーションがあって、吸い込まれるように読ませていただきました。はい。 それでまた出演なさるそれぞれのポジションの方たちが、すごく、ちゃんとした立ち位置で いらっしゃるって印象を受けましたね」 佐藤「『おいちゃん』とか『おばちゃん』とか『お兄ちゃん』って言うふうな言い回しが…」 長山「最初の山田さんの脚本には『おじさん』で、『お兄さん』だったんです。 それで書いておありになって、でもなんとなくみんな集まってやってるうちに 最初のリハーサルで、なんとなく『お兄ちゃんって呼びたい。お兄ちゃんでいいかな』 って、演出の小林俊一さんに伺ったり、山田さ先生もいらしてたんですけど…、 そしたら渥美さんが、すぐ、『よお、おいちゃん』にしょうかな。で、おばちゃんになって。 みんなが『ちゃん』ですっと寄っちゃったんですね。あの、最初にもう。 それはもう渥美さんの感性がもうほんと凄く大きく、…あのなんていうのかな。 山田先生の本は丸いんだけれども、ちゃんと四角い囲いがある、みたいなご本なんですね。 で、渥美さんによって、その四角い囲いを飛び越えて丸さがあって、ちゃんと四角が中にあるって言うような そういう感じの作品になっていったのかな、って。 その四角い囲いを飛び越えて丸さがあって、ちゃんと四角が中にある この長山さんの作品観は単純で抽象的だが、実に真実を言い切っている言葉だと感じ入った。見事だ。 あと、小林俊一さんっていう監督、演出家が、あの、プロデュースさんもしていらしたんですけれども、 凄く…、その世界っていうんですか、それを緻密に作られていかれました。 映画が一番先に走ってて、テレビは…って言われてたからなおさら逆にテレビドラマをちゃんと作ろう 見たいな勢いのあった頃でしたので、大変現場は楽しかったです」 佐藤「舞台の脚本のようにしっかりとしたシナリオがあって、キャストが徹底的に本読みをしていく リハーサルを重ねていく…。それゆえ人間関係もより濃密に…」 長山「そうですね、一回目とか二回目、っていうよりも一回目からあっという間に、その寅さんととらやのみんなの 濃密な世界ができちゃったっていう感じです。 まあ26回も続いたわけですから毎週集まってお稽古するわけですから、それはもう深い繋がりみたいなものが できていました」 佐藤「やはり、この…渥美清さんを中心に、スタッフ、キャストが一丸となって行くって感じはありましたか?」 長山「一丸でもないですね。あの…、渥美さんって、映画の時もそうだったけれど、どっかいなくなっちゃって、 『お兄ちゃんは?』って言うと、なんか、外に出て空を見てたり、どっか隅っこの方でしゃがんでたり、 あの…、テレビの収録の時も、そんな風でしたよ。ただ、間では、凄いエネルギッシュですから、 冗談言って、うんと笑わして…、芝居以外でもよく笑ってましたあ、もうほんとうに、フフ」 佐藤「テレビ版のさくらさんというのは、とてもオキャンというか、明るい…」 長山「ええ、まったく影をしょってない感じ…、ですね。ですから、私の印象としては、… あの、…憂いはあるんだけれど、つまりお兄ちゃんに対する心配とか、そういうのはあるんだけれど 基本的には凄く明るくって、 で…お兄ちゃんのことは、私自身のさくらは、ん…恋人と思っていました。 あの…テレビは結婚してないんですよね」 佐藤「ずっと車さくらさんですよね」 長山「だから、こう…、さくらちゃんが、母性、お兄ちゃんにとって母みたいな、お兄ちゃんに母性を感じるような…、 またそうなんですよ、寅さんが。それとちょっと…愛してるっていう…愛するってことが…母性と兄妹愛と、 それからちょっと恋人みたいな…。そういうような感覚で…やってたようなそんな感覚がするんです。 この発言はある意味私にとっては意外ではなかった。 テレビ版「男はつらいよ」での長山さんを見ていると、寅を「恋人とも思っていた」ことが よくわかる微妙な演技だったからだ。 倍賞さんの『さくら』は母性は大いに存在するが、この『恋人』の要素もないわけではない。 しかし、やはり長山さんに比べて薄いようだ。 長山さんは『母性』と『恋人』の天秤のバランスが『恋人』にやや傾き、 倍賞さんは『母性』にやや傾いていった気がする。 佐藤「今は残念なことに第一話と最終回しか残っていないんですけど、 長山さんが覚えていらっしゃる当時の現場のことなどは?」 長山「そうですねえ…、とにかく仲良かったから、ワーッって言う間にいろんなことが通り過ぎたような気がするんですけど、 山田先生がよくね、現場にもいらっしてくださって、それからみんなでお寿司食べに行ったり、 収録以外でもみんなで楽しく過ごしたこととか、 …あの、森川さんがほんとに…、映画のほうでもおいちゃんやってらして、 素敵だったんですけど、フフフ…、とらやのお茶の間があって、キャメラがいっぱいスタジオに並んでて、 ある日突然、すっごく大きな本当に大きな字で、真っ白い紙がスタジオの壁いっぱいに貼られたんです。 それで、フフフ、『あれ、なあに?』って…、私なんかまだほんとにその経験が薄いですから…。 そしたら、おいちゃんのセリフが全部書いてあったんですね。ね。それで『見ながらできるのかなァ〜』なんて 思いますよね。で、やってて『おまえそこ邪魔なんだよ』なんておっしゃりながら、やってんですけれど、フフフ、 繋がってみると、読んでるなんて思えないような、あれは一つの魔法を見たような感じでした。 森川さんは全部『おいちゃん』でしかなくて、読んでらっしゃるなんて全然。渥美さんもみんなも笑いながら ほんとうに楽しく撮影が進んでいったことを思い出します」 長山「そうですね…。それで、最終話の26話に近い24話くらいの時に、やっぱり山田先生がいらして、 あのー…静かに…『寅さんは死にますよ』と、おっしゃったんですね。で『え!!』って言って、 『なんでー!』とか私言って…、小さい声でおっしゃったんです。 『奄美大島でハブに噛まれて死ぬんです』っておっしゃって、 『んんん、何で死ぬんですか!?何で死ななきゃいけないんですか!?』って言って、 だからその時のお稽古場は最終回でもないのに、もう蛾次郎さんなんか泣いちゃってできなくなっちゃったです」 佐藤「その時の長山さんは、さくらそのものだったんですね、気持ちも」 長山「ん…、さくら…もあるし、私個人としても、こんなにね優しくって、思いやりがあって…、 そりゃすごいヤクザかもしれないけど、ちょいとヤクザかもしれないけど、こんなに人間らしい人が、 死んじゃうなんて、って思ったんですよね。お兄ちゃん、寅さんのことをね」 当時のキャストたちがいかに車寅次郎に対して 役者を越えて強い思い入れを持って寄り添っていたかがよくわかるエピソードだ。 佐藤「そのようにいろんなエピソードがあったと思うんですけど、僕が印象的だったと思うのは、 あの…僕らは数少ない台本を拝見するしかないんですけど、お正月に放送された回(第14話)で、 あの、散歩先生」 長山「はい」 佐藤「東野栄治郎さん、のお宅にみんなで…」 佐藤、長山「集まって、フフ」 佐藤「レギュラー全員がね、おいちゃん、おばちゃん、冬子さん、佐藤オリエさん、」 長山「オリエちゃん、はい」 佐藤「登君、」 長山「はい」 佐藤「みんながあつまって、こう…幸せについて、恋愛論についてこう…、語り合うという回があったと思うんですが。 あの回なんかは、山田監督のね、寅さんを見つめる優しさだったり、家族の寅さんに対する愛情、冬子さんの思い、 などがきちっと描かれています。 そして、さきほどその台本を読んでいただいたんですけれど」 長山「はい。そうですねえ…」 と、再び佐藤さんから14話の台本を渡され、読み始める長山さん。 長山「散歩先生が、『人間誰しも愚かしさを備えとるもんだ。それゆえにまた人間でもある。どこが悪いか』 寅が、『なるほど、そうかわかった」 散歩先生が、『なんだ』 寅が、『早い話がよ、人間はバカだってこと。 これが本日の結論。ね、先生』 散歩先生が、『そうそう』 冬子、さくらたち笑い出す。 この前が面白いんですけどね。フフ 、まあそれで、寅が『さくらだってバカ。そのバカの親分、お兄ちゃんのことも バカ』 そう言って、そしたら『竜造がひょいと顔を上げ、よだれをすすりながら、わけがわからない…』 まあ、寝てたんですよね」 佐藤「おいちゃんですね」 長山「ええ、おいちゃんが『そう、バカヤロウだ」って言ったので、一同どっと笑う。寅、『自分で説明した。 おばちゃんもバカ。オレや登はもちろんバカ。先生だってバカ。な、ここにいるみーんなバカだって』 そしたらさくらが、『なにがみんなよ』って言って、『冬子さんはどうなるの?』って言うんですよね、フフフ。 冬子さんは、寅さんの本当に想い恋焦がれているマドンナですからね。マドンナの始まり。 で、寅が、しまったっていう顔して、寅、『お嬢さんか…、お嬢さんは…お利巧』(↓ポーズ) って言うんでしょうね、フフ、きっとフフフちょっとわかんないけど、フフフ」 お嬢さんは…お利巧 長山「そしたら、散歩先生が、『バカモノ』って言って、そしてみんなが笑って、そしたら冬子が真剣な顔になってうつむいて。 で、寅が赤くなって、バレちゃったか、こりゃまずいな。と、いうようなことがあって、ま、逃げ出すっていう…。 寅さんが全部出てるし、みんなが出てるでしょ、このシーン、抜粋なさってくださったけど、好きですこのシーン」 佐藤「一幕もので、しかも、それが最後にさくらのナレーションで、 僕はここが一番たまらないんですけど、最後のここです」 と台本の箇所を指差す佐藤さん。 長山さん、微笑みながら 長山「読みましょうか、フフ」 佐藤「この、一行を」 エンディングの音楽 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が静かに流れ始める。 長山「さくらの声 『あれは兄と過ごした初めての、そしてただ一度きりの正月の夜のことでした』 佐藤「このドラマは必ず『さくらのナレーション』でね、こう、始まって、さくらのナレーションで終わる、という 45分のドラマですけど、これね、実は寅さん、お正月映画の顔としてこのあと映画がずっと48作まで 作られていくんですけど」 長山「映画ね、はい」 佐藤「その48作のどの作品でも、寅さんはお正月は柴又にはいないんです」 長山「いないの?」 佐藤「一度もいないんです」 長山「やっぱりいないの」 佐藤「ということは、寅さんと唯一お正月を過ごされたのが」 長山「みんな。テレビのみんな」 佐藤「そうなんです。テレビのみなさんなんです」 長山「うわー…、ん、…凄い。山田先生、もう徹底してらっしゃる」 佐藤「昭和44年の、お正月」 長山さん、感慨深く何度も頷く。 佐藤「の…放送だったんです」 長山「想いがね…」 大きく頷く佐藤さん。 長山「ん…、じゃ幸せだったんだんですね…私…」 佐藤「もちろんその段階では、映画が作られることは誰も想定してませんし、 山田監督もまだ考えておられなかったかもしれないですが、そのシナリオ、その演出、その演技が あるから、視聴者の心を掴んで続いていくわけですね」 長山「そうですね、先生が、寅さんは任侠の世界に生きているから死んだ方がいいんだよっておっしゃった時、 私にはわからなかったから、…っていうより、悲しくて受け入られなかったのかな…。 先生のおっしゃることは『そうか』と思ったけど、悲しくて受け入られなかったから、 映画で寅さんが復活した時はとてもうれしかったですね」 前編 終わり あの、第14話の最後のナレーションを再現される長山藍子さんの声を 私はいつまでも忘れないだろう。 長山さんがいかにこのテレビドラマを愛していらっしゃったかが 強く伝わってくる言葉と表情の数々だった。 「じゃ幸せだったんだんですね…私…」とおっしゃった長山さんに、 私までもなんだかちょっと救われた気持ちになった。 来週は『長山藍子さん』の後編のエキスを紹介しましょう。 後編は映画版「第5作『望郷編』を中心に語られます。 おわび: 1月31日にサーバー障害が起こり、 24時間このサイトが見れませんでした。申し訳ありませんでした。
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『寅次郎な日々』バックナンバー なぜか江戸幕末に詳しい寅 2010年1月28日 寅次郎な日々 その427 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 そろそろ、滞在も落ち着いてきたので、絵画制作と染織デザインの合間に 昨日から第24作「春の夢」の本編完全版作業を進めている。 ちょうど寅が紀州から帰ってきて、アメリカ嫌いをおいちゃんたちにぶちまけるシーンを DVDで見ていたが、意外と寅は江戸幕末のことは物知りなのである。 なぜだかわからないが、日本が鎖国を止め、開国をせざるを得なくなった理由を知っているのである。 寅「どうして日本とアメリカが仲良くしなきゃいけないんだ!?いいかあ、 あの黒船が浦賀の沖へ来て、徳川三百年天下太平の夢が破られて以来!日本人は ずーっと不幸せなんだぞ!それもこっちが頼み込んだんじゃないんだ。向こうからいきなり 来たんだ勝手に。大きな大砲で脅かして、無理やり仲良くしようってんだい、そんなバカな話があるか?」 確かに。あの当時日米和親条約についで結ばれた日米修好通商条約は 「関税自主権を行使させない」ことや「治外法権などを認めさせる」などの全くの不平等条約だった。 しかし寅って意外に幕末の歴史把握してるんだね。 社長「はあ…、つまりその…寅さんは尊王攘夷のほう…」社長言うねえ…なかなか言えないよその言葉(^^;) 寅「あたりめえだよォ!」 おいちゃん、おろおろしながら おいちゃん「いやいや、あのな、たとえそんなことがあったにしても、不幸な過去は水に流してさァ…」 寅「流せない、流せませんよ。いままであいつらに日本人がどれほど酷い目にあったかァ、えー、 唐人お吉、ジャがタラお春、蝶々夫人、ほら、枚挙にいとまがない、なァ」 さて、寅はどうしてこんなに江戸幕末の歴史を知っているのか。 少年期に講談を聞いたのか、少年用赤本(講談本)を読んだのか。 紙芝居かなんかで新撰組かなんかがやってたのか。 それとも啖呵バイの中で黒船騒動が出てくるのか。 で、思うに寅はやはり赤本といわれる少年用講談本でチャンバラを好んで読んだのではないだろうか。 寅のチャンバラ好きは第15作「相合い傘」や第17作「夕焼け小焼け」で垣間見ることができる。 その中に『新撰組』とか『鞍馬天狗』とかが登場し、その背景としてメリケン(アメリカ)の黒船が 出てきたりしたのかもしれない。 物語が面白くできているので、そういう歴史的なものも寅少年の記憶にスッと入っていったのかもしれない。 ところで、この江戸幕末当時、列強諸国の餌食になってもおかしくなかった日本がなぜ、 奇跡的に明治維新を独立を保ったまま迎え、進めることができたのか…。 これはいくつもの偶然と必然の条件が重なって成しえたことなのだが、 またそのことは本編完全版で述べてみる。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 長旅から帰って来た人には…。 2010年1月21日 寅次郎な日々 その426 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 バンコクに一週間滞在し、常夏のバリ島に昨日帰ってきた。 厳寒の北陸との気温差は25℃近くにもなる。 それにしても昨年秋から義父の死に直面したこともあっていろいろきつかった。 11月から12月まで一度バリに戻ったが、今度はまさかのアグンライの父親の死の知らせを受けてしまった。 納骨を控えて、少しあわただしくバリ滞在を過ごしていった。 その後年末にもう一度日本に納骨のため一時帰国し…、 ようやく今、じっくり腰を落ち着けて3ヶ月間絵を描き、ものを作ろうと思っている。 精神的にもきつかったこの数ヶ月だったが、 アグンライの家族が、留守宅を毎日しっかり守ってくれていたので助かった。 屋根の修理、門の修理、垣根の修理、草刈、猫のえさなどを全部やってくれていた。 バリに住みはじめて今年で20年目を迎えるが、いろいろな人との人間関係が年月と共に深まってきているので 留守の日々が長くとも自宅も仕事もさほど心配が要らなくなってきている。 特に長旅から戻った当日は心身ともに疲れているので、 しっかり敷地も部屋もきれいにしてスタンバイしてくれていると本当に助かるのだ。 第12作「私の寅さん」で留守番をする寅が、九州旅行から帰ってくるさくらたちを心を込めて迎えてやるが、 ああいうやり取りは実に心温まるものだ。 寅は旅人なので、誰よりも旅の心労は骨身にしみているのだ。 寅「あーあ、久しぶりの長旅から帰ってきて家の中が カッ散らかってると気分が悪いからなー、なあ、社長」 寅「いずれそのうちにその入り口からおいちゃん、 おばちゃん、さくらがよ、 こんな大きな荷物を抱えて、 あーあー、くたびれたくたびれた、 家が一番いいよー、 なんて言って帰ってくるんだよねー」 寅「そのときの、この迎える言葉ってのが大切だな。 『あ、お帰り疲れたろう?さあ、上がって上がって』ねー! 熱い番茶に、ちょっと厚めに切った羊羹のひとつも添えて出す。 ホッと一息いれたところで、 『風呂が沸いてますよ』っと手を差し出す。 長旅の疲れを、すっと落とす。出てくる。 心のこもった昼飯が待っている。ねー! 温かいご飯!しゃけの切り身 山盛りのお新香 『どうだい、旅は楽しかったかい…?』 たとえこれがつまらない話でも『面白いねー』って 聞いてやらなきゃいけない。 長旅をしてきた人は 優しくむかえてやらなきゃナー…」 なんともいいアリアだね。名場面だ。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 新年のご挨拶 寅次郎と雪のバス停 2010年1月2日 寅次郎な日々 その425 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 新年 あけましておめでとうございます。 ■第6作「純情篇」 寅が柴又駅ホームで回想する幼きさくらとの別れも、
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『寅次郎な日々』バックナンバー 寅とさくら 兄妹の青春 イメージボード3枚 2009年12月28日 寅次郎な日々 その424 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 ようやく市川準監督の『トキワ荘の青春』DVDを手に入れた。 私は市川準監督の作品はほとんど見ているが、その中でもこの「トキワ荘の青春」が一番好きだ。 巷では市川準監督と言えば「BU・SU」「病院で死ぬということ」「東京兄妹」「東京夜曲」などが評価されているようで、 青春の輝きと挫折をひそやかに描いたこの「トキワ荘の青春」は過去も今もほとんど注目されていない。 市川準監督作品の中では埋もれがちなこのはてしなく静かでメリハリのないのっぺりした作品を VHSでここ十年以上何十回と見てきた。私にとっては何物にも変えがたい物作りの真実がそこにあったからだ。 で、今回ようやくVAPさんからDVDが出たのだ。 おまけに当時の『メイキング映像』もたっぷり見ることができる! どんな人にも、グループにも黎明期はあり、青春期もある。 みんな生き方が下手でぶざまではあるが、その年齢、その時代でしか感じられない真実を抱えている。 人生の夜明け前とは実に切なく甘く哀しいものである。 その昔…、 あの寅とさくらにも、「男はつらいよ」以前の蜜月期や黎明期はもちろん存在したはずだ。 シリーズの本編では黎明期のさくらと寅の再現フィルムは、 第39作「寅次郎物語」での江戸川土手の別れの夢を除いては一切出てこないが、 二人の強い繋がりがうかがえる言葉での回想は何度かある。 今回私が選んだ寅とさくら幼少期の3つの名場面↓。 これを息子に頼んでちょろちょろっと早描きで3枚描いてもらった。 どうぞそれぞれのイメージボードをお楽しみください。 ■第1作 さくらの結婚披露宴で御前様が回想する寅とさくらのエピソード。 御前様「兄さんの寅次郎君と違って、さくらさんは 子供の頃から実におとなしい、心の優しい子供だった。 兄さんの寅次郎君が父親に叱られて 外で泣いていると、自分もそばにいって、 しくしく泣いている。そんな優しい子だった」 なにげない小さなエピソードだが、さくらと寅の繋がりをよく表した言葉だと思う。 さすが御前様、見る目が鋭い。 RYOTARO 作画 寅次郎とさくら 幼き日々 ■第6作「純情篇」 寅が柴又駅ホームで回想する幼きさくらとの別れも、
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『寅次郎な日々』バックナンバー お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 男はつらいよの中の雪景色 2009年12月18日 寅次郎な日々 その423 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 義父の納骨が終わったあとも連れ合いの実家で事務処理のためしばらく寝泊りしている。 富山は昨晩から異常な冷え込みが始まり、寝る前に『雪起こし』の雷が鳴りまくる。 ああ。。。これは来るな…。 と思ったら、朝起きて寝室の二階から窓の外をみるとやはり下の写真のごとく雪景色が広がっていた! 私にとっては15年ぶりの雪景色である。 息子も5歳のころに雪だるまを作ったかすかな思い出が蘇ったようだった。 まさに「枕草子」のとおり、 『冬は つとめて。 雪の降りたるはいふべきにもあらず』 だ。 亡き義父が育て、秋に干し柿として取った柿の木(左)もすっかり今日で雪化粧(右)。 → 雪の中、お昼に用事のため車で神通川付近を通ったその時に、雲がサーッと切れて青空が見えた! 雪と青空との見事なコントラストに、思わずカメラを向けていた。 そういえば『男はつらいよ』でも雪景色が何度か出てくる。 ロケで思い出すところでは、第7作「奮闘篇」のオープニング、第18作「純情詩集」のラストなどである。 しかし正月映画と言えども、そうそう頻繁には雪は出てこない。 あたりまえである。冬作品は放映は正月でもロケ撮影は秋から晩秋なので 当然雪はほとんど間に合わないのである。 それゆえ時々はスタジオでのセット雪景色となる。 とは言え、とらやの雪景色はそれはそれでなかなかの風情なのだ。 スタッフが心を込めて丁寧に作りこんでいるのでなんともいえない趣があり、 いつまでも心に残るシーンとなっている。 セットの雪景色で印象深かったのが第20作「寅次郎頑張れ!」と第24作「寅次郎春の夢」でのとらやの雪景色だ。 なんと言っても私が一番好きなのが第20作「寅次郎頑張れ!」の雪景色。 美しい幸子のテーマ曲がしっとりと流れる中、 寅が去り… そして正月元旦 さくらが幸子ちゃんからの年賀状を読む。 なんと障子ガラスの向こうは雪景色… 米倉さん演じる柴又参道のおまわりさんが故郷長万部から戻って来てみんなと挨拶をしている。 ちょっとしばらくして 庭で満男が雪遊びをしに行く。 おいちゃんの盆栽も雪がかぶって… しっとりとした幸子のテーマ曲が流れる中、庭で雪を丸めて遊ぶ満男。 窓から見守るさくら。 いたずらっ子の満男はさくらに雪を投げつける。 微笑むさくら。 そしてその頃寅は… 正月日本晴れの中、 あの懐かしい『坂東鶴八郎一座』とまた巡り逢うのである。 今日の富山の雪景色を見て凍えながら息子がしみじみこう言った。 「この雪景色が長く続くから、あの春の桜がきれいに見えるんだねきっと」 かつて、いつも常夏の国から日本の春にやって来て肌寒い思いで桜を見ていた息子が 今回初めて実感した彼なりの新しい感覚だった。 冬の次に春が来る。雪が解けて春になる。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 義母も使っていた「脳天ファイラー」 2009年12月10日 寅次郎な日々 その422 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 さきほど、鳩山首相がこのバリ島に到着したらしい。 なにやらアジア諸国の民主主義の推進のための会議だとか…『バリ民主主義フォーラム』と言う。 ユドヨノ大統領と鳩山首相が共同議長を務めるということ。 ユドヨノさんにとっては鳩山さんの多額の円借款もおいしいところなんだろう。 巷では山田監督は、「おとうと」だけでなく、現在、小津監督の「麦秋」を舞台化しようともしている…。 これもちょっと興味あるなあ…。 ちなみに映画「おとうと」は1月30日公開。その頃はバリにいる。ああ残念…。 で、現在の私の方は、ようやくバリ滞在も3週間が経ったと思ったら、日本への一時帰国が迫ってきた。 前にも書いたとおり、義父の四十九日の納骨ために家族で一ヶ月ほど富山に帰るのだ。 それでも、先日、第24作「寅次郎春の夢」の本編完全版をようやくスタートした。 その作業中に思い出したのだが、劇中、マイケルが寅に騙され紀州梅干を3つも口に入れられ 怒り心頭で寅を追いかける時、おばちゃんが寅を指して 「ノーテン.ファイラー ノーテンファイラー」と叫ぶシーンがある。 私は当初、「ファイラー」とは『FAILURE』、つまりFAIL(不足する、衰弱する、なくなる)の名詞形で 「不足、欠乏、不全、衰弱、失敗者」と言う意味だと思っていた。ノーテンはもちろん脳天。 つまり脳天が欠乏…(^^;)…と思っていた。 その後、私の知人の寅さんファンであるSさんがアイデアを下さり、 「ノーテン.ファイヤー(脳天爆発炎上)」のほうがおばちゃんらしくて面白いしと言われた。 確かに「ファイヤー」なら、おばちゃんでも言葉を知ってるだろうし、あのおばちゃんの 手を上げたアクションにぴったりだ。なるほど、さすがSさんだと納得していたら、 今度は、「男はつらいよ」をこよなく愛するNさんが、いやいや、そうではない。 おばちゃんの言った「ノーテン.ファイラー」は、英語ではなく 中国語の脳天壊了(nao tian huai le) だと、きっぱりおっしゃった。 「ファイラ」とは中国語で「壊れた」の意味であり「壊了」と書くらしい。 私は驚き、ちょっと、いろいろその後調べてみたら、 おっしゃるとおり戦前の大陸に渡った方々や軍隊などで使っていた言葉のようなのだ。 当時の大陸での「兵隊中国語」と、言うそうだ。 シナリオでは「ノーテン.ファィラーね、ノーテン.ファィラー」となっているので、それだけではわかりかねるが おばちゃんの年齢を考えると英語よりも、Nさんの仰るように 中国から来た兵隊言葉としての脳天壊了のほうが説得力があるようだ。 それではなぜ英語しかわからないアメリカ人のマイケルに言っちゃったかが疑問がとても残るところだが、 あわてたおばちゃんがとりあえず「外国の言葉」として若い頃流行っていた 大陸での兵隊言葉が出ちゃった可能性はある。 そして、そうこうしているうちに月日は流れていった。 で、今年11月、義父の葬式のため、連れ合いの実家に2週間ほど宿泊した際、 なにかの話の際に、なんと義母が「それはノーテン.ファイラーだね」と笑いながら言ったのだ。 私は心の中で「おおお!この言葉だ!」と、思い、さっそくその意味を聞いてみると、 「ちょっと間抜け」「オバカさん」というような時に使うようだ。 彼女が言うぶんには、随分若い時から年上の人たちがすでに使っていたらしい。 そして実際その言葉が何語かも、その由来も、彼女は全く知らないらしい((^^;) ただ、なんとなく大陸からの言葉だということはみんなわかっていたということ。 まあ、なんにしても、私が思っている以上に戦前もしくは戦中からこの兵隊中国語の類は 日本全国にすでに広がり、大人も子供も頻繁に使っていたことは間違いないようだ。 これでようやくすっきりしました(^^)
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『寅次郎な日々』バックナンバー 新郎の名前を呼び間違えた夏子さん 2009年11月30日 寅次郎な日々 その421 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 先日いつもお世話になっている寅さんファンのT. Sさんから面白いメールを頂いた。 T.Sさんは毎回面白い発見をしてはメールで知らせてくださり、私を唸らせてくれるのだ。 今回の内容は坪内夏子さんとその新郎さんのことだ。 佐藤オリエさん扮する坪内夏子さんは、テレビ版「男はつらいよ」からの寅のマドンナだ。 テレビ版の時も同じく坪内散歩先生のお嬢さんの坪内冬子さん役だった。 で、直後の映画版では第1作に坪内冬子さんの名前が使われてしまったので、 第2作の今度はテレビ版と同じ設定ながら名前が変わって坪内夏子さんとなったわけだ。 ドラマ全26回を通してただ一人の寅の愛しい憧れのマドンナを演じ通した佐藤オリエさんだった。 そして第2作「続男はつらいよ」では胃痙攣で入院した寅の主治医だった藤村(山崎努さん)と恋仲になる。 T.Sさんは、この物語のラストで京都に新婚旅行に出かけた夏子さんが 新郎の藤村さんを「努さん」と亡き父親につぶやくように言っているのを今から数ヶ月前に発見された。 実は…、私は、夏子さんが「努さん」と呼ぶことに違和感を感じていなかった。 なぜならば夏子さんがそう呼ぶくらいだから、新郎の名前は「藤村努」だと勝手に決めつけていたからである。 また山崎努さんが演じていらっしゃったことも「努」に違和感を覚えなかった理由の一つだ。 ところがT.Sさんは当時の松竹の設定が「藤村薫」だということを公式ホームページでご存じだったのだ。 不思議に思われたT.Sさんはなんと松竹にメールでこのことを直接聞かれたのだ。 そして待つこと1ヶ月、松竹さんから遅まきながらT.Sさんに回答のメールがあり、 「当時の台本では設定同様「藤村薫」となっていた」 「ラストのシーンではおそらく佐藤オリエさんがつい「努さん」と言ってしまったのを、 当時のスタッフは誰も気づかず、OKを出してしまったのではないか…」 という内容が送られてきたそうだ。 もちろんこれらは「あくまでも推測で、当時のスタッフが残っていないので正確なところはわからない」 ということらしい。 これは私にとっては実に面白い推測で、当時の映画作りの在り方からしていかにもありそうなことだ。 T.Sさんのメールに刺激され、私は第2作のラストにある夏子さんのセリフを確かめたくなった。 そこで、私の持っている当時の『キネマ旬報』に載った『脚本第2稿』でさきほど見てみると 夏子「そうなのよお父さん、私今京都にいるの。薫さんと二人でね。」 となっている。 このように脚本でも設定でも「薫」なので、あきらかに現場で名前が変わってしまったのは間違いないだろう。 山崎努さんが演じる藤村薫さんを、つい「努さん」と呼んでしまった佐藤オリエさんって、私は大好きだなあ(^^)。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 『男はつらいよ』と干し柿を作る日々 2009年11月14日 寅次郎な日々 その420 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 日本を出発する日が2日後に近づいている。 今回は一度バリに戻って、仕事の種をまいて、 12月中旬に義父の四十九日のため、また富山に戻り、数週間滞在した後 またバリに帰って、今度は4月末までバリに滞在する予定。 ちょっと忙しいが、これは仕方がないこと。どちらも手を抜くことはできない。 葬儀の後のごたごたしたあらゆる後片付けと諸手続きの合間をぬって山々を淡彩スケッチ。 立冬も過ぎ、霜月半ばの越中富山はかなり寒くなってきた。 もう15年間もこの寒さは体験していないのでそうとうきつい。 しかし、空は高く空気はますます澄んで山はくっきり見えるし、 風が透明で息が白くなんとも気持ちがいい!とも言える。 越中八尾の自宅から義父の家までは車で40分。 諸手続きのため、毎日通っている。 四日前と三日前、息子と二人で義父が残した柿を取った。 取った実はみんな干し柿にする。 今年は沢山柿が実る年に当たっていたので大変だった。 百数十個取った時点で一応止めた。残りは鳥たちにやろう。 義父の供養も込めてたっぷり食べてやろうと思うが、 この量ではさすがに家族だけでは食べきれないからご近所さんに配って…、 それでもちょっと余りそう。 もちろんそのまま食べると渋が残る。 一昨日と昨日、義母、連れ合い、息子で皮をむき、麻布でひとつひとつくくってベランダに干す。 早くできないかな…。 ま、義父の四十九日にまたバリから富山に一旦数週間ほど帰ってくるので、 その時たっぷり食べれるだろう。 ところで 『男はつらいよ』でも寅や満男たちが柿を食べるシーンや柿をむくシーンがある。 とりあえず思い浮かぶシーンは下の↓作品たち。 ■第8作「寅次郎恋歌」 ラスト、甲斐の国、甲斐駒ケ岳が美しく見える北杜市の田舎道、 農家でもらった柿を食べながら歩く寅。 そっと道ばたの地蔵さんに柿を置く、その姿がまさに旅人の背中だった。 柿と言えばまずこのシーンが真っ先に思い浮かぶ。 まさに日本映画史上に輝く名シーンだった。 ■第10作「寅次郎夢枕」 夢から覚めた寅は、信州塩尻の日出塩駅で朝を迎える。 大きく伸びをして目の前にある柿の実をもいで一口かじるが、 なんと渋柿だったのだ。 プハーッ!と吐き出す寅。タイトルイン。 ■13作「寅次郎恋歌」 これは、柿そのものは出てこないが、余命いくばくもない歌子ちゃんのご主人が、 その人生の最期に、実家の庭にある甘い柿の実が色づいたら一番に歌子ちゃんに食べさせてやりたい と語りながら死んでいったという歌子ちゃんによる津和野川べりでの話がしんみり切なかった。 ■第20作「寅次郎頑張れ!」 これは第8作「恋歌」のラストのアレンジヴァージョン。 同じように農家で柿をもらって、道端の石像にお供えする。 第8作と同様、その直後に坂東鶴八郎大空小百合父娘たちと出会うのだ。 ■第22作「噂の寅次郎」 水野早苗さんが柿をむき、寅が↓のようにその細く美しい手を眺めている(^^;) この直後、なんと早苗さんは果物ナイフで手を切り、血を出す。 思わず寅は彼女の指を手にとって眺めるのだった。 ■第25作「寅次郎ハイビスカスの花」 戦後まもなく、お腹を常にすかせていた幼少期のさくらに寅がいろんなものを盗んで 食べさせてやる話が出てくる。 さくら「憶えてるわよ、よくお兄ちゃんがさ、柿とかお芋の干したの盗んで来て 食べさせてくれたわ」 短い話だが、なんだかとても印象に残っている。 ■第28作「寅次郎紙風船」 久留米水天宮でのバイを終え、数日後 寅と愛子は、福岡県 朝倉市 三連水車横のわら束の上に座っている。 寅は光枝さんのことを密かに考えているようだ。 愛子は積みわらの上で柿を食べながらそのことを見抜いている。 ■第42作「ぼくの伯父さん」 泉ちゃんを励ますためにわざわざ東京から佐賀までバイクでやって来た満男。 二人は泉ママの故郷を訪ねる。 富士町東畑瀬の田舎道で三角飛びをして取った柿を持ちながらおどける二人。 青春の甘い香りが漂うちょっといいシーンだった。 ■第47作「拝啓車寅次郎様」 菜穂ちゃんといい仲になった満男は渋柿に当たらないように菜穂ちゃんに選んでもらう。 で、食べてみるとやっぱり渋柿だった…。ああ。。。満男(TT) 菜穂ちゃんいい加減…(^^;)
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