吉川孝昭 YOSHIKAWA TAKAAKI



1984年   早稲田大学教育学部卒業 在学中「芸術学」を故坂崎乙郎(早稲田大学教授)に4年間学ぶ
      (卒業後も1年間聴講) 

      在学中、美術館学芸員 社会科教員免許 社会教育主事免許などを取得 

      絵画サークル『絵画会』部長(幹事長)当時
      早稲田創立100年記念絵画展覧会に大学側の要望を受け正式参加。



1986年   東京都豊島区立駒込中学校社会科教諭として勤務。(〜91年まで)
      クラス担任を5年連続持ち、油彩画をクラブ活動で、剣道を部活動で教える。


1989年   東京都教員美術展にて「特別優秀賞」を受賞  以後毎年招待出品となる。

      武蔵野美術大学にて教職特別生として通信とスクーリングで「中学校美術」の免許も取得。
      
      長男龍太郎誕生


1990年  埼玉県立近代美術館市民ギャラリーにて妻、宮嶋紀子との2人展(これ以降「夫婦別姓」選択)

      朝日新聞社主催 多摩総合美術展にて「佳作賞」受賞
  
      東京都内のいくつかのグループ展に出品



1991年  本格的な絵画制作に入るため、東京都の中学校教員を辞す。

      東村山カルチャーセンターにて美術部門主任講師として勤務。


      「乙郎会」を結成  第一回乙郎会展を富山市市民プラザにて第一回乙郎会展を開く

       これまでのすべての人間関係を断ち切って、インドネシア、バリ島に移住
       ウブドでギャラリーを開設。そこで常設展を続ける

       インドネシア アグンライ美術館が「自画像」他30号3枚をコレクションとして買い上げる


1992年  第2回「乙郎会展」を富山市市民プラザにて開く。

      インドネシア アグンライ美術館が30号4枚をコレクションとして買い上げる。

      この後数年間、アグンライ美術館は定期的に絵を買い上げ続ける。
    
     

1993年  富山市アートスペース カワモトにて個展

      NHK特集番組制作(10分間 北陸中部地方版)

      EXPO富山 富山国際美術展出品(200号)

      富山新聞上にて、バリ滞在と活動記録の特集連載記事が数回に渡って書かれる。

      富山市 県民会館ギャラリーにて「日本インドネシア作家美術展」を主催。作品10点を出品
       


1994年  東京 京橋ギャラリーうえずみにて個展

      富山市 県民会館にて『日本インドネシア作家絵画展』を主催



1995年  インドネシア国立バリ芸術大学美術学科研究科留学 バリ島古典絵画技法研究(〜97年まで)

      97年以降も大学研究室からの研究ビザを受け、カマサンスタイルの研究を絵画制作に生かす

      インドネシア アグンラカギャラリーがコレクションとして50号Fを買い上げる

      この年は北陸で個展多数開催。



1997年  バリ島ウブド、ブディアルタギャラリーにて個展

      富山野風童ギャラリーにて個展

      富山市 県民会館ギャラリーにて個展

      富山県八尾町立八尾小学校が30号F「バリの道」を1枚、龍の子ホール展示のため買い上げる

      富山チューリップテレビが富山県主催による特集番組を制作(30分間)




1998年  富山県八尾町立八尾小学校が30号F「聞名寺の見える風景」を1枚、新校舎ホール展示のため買い上げる
 
       各地で小さな個展をし、これ以降定期的に法人や総合病院などが買い上げが続いていく。


1999年  岐阜市 ロゼ画廊にて個展

      各地で小さな個展


2000年  インドネシア ブディアルタギャラリーにて長期個展 (以後毎年1ヵ月間)

       各地で小さな個展


2001年  この年から露出を控え、本格的な隠遁生活を決意し、
       日本の画壇とは一切関係のない極めて個人的な絵画制作に入ることを決意。

       制作以外のしがらみの時間がとられる大きな個展をキャンセルし、
       ウブドのさらに奥、渓谷のジャングルの中に、宮嶋紀子、宮嶋龍太郎とともに引っ越す
         

       しかし現実問題として同時に生活もしなくてはならないので、バリのギャラリー、
       北陸地方のギャラリーを中心にこの年以降も、毎年数箇所で
       小さな個展やオリジナル染織工芸の展覧会などを生業として細々と続けている。

       また、この、2001年あたりから吉川孝昭.宮嶋紀子オリジナルデザインによる
       「越中おわら風の盆」文様絣織り布やオリジナルろうけつ染めがバリ島やジャカルタを中心に
       インドネシア各地の工芸品店で多く見られるようになり、輸出もされていった。
       図らずも、インドネシアと日本の融合による普遍的な染織の様式美を
       完成させていくという意外な展開となっっていった。


2004年  インドネシア ブディアルタギャラリーにて『 YoshikawaTakaaki の世界展 』を開催。
      ここ数年の新作油彩を延べ50枚展示。

      例年通り、日本に2ヶ月一時帰国し、富山、岐阜、大阪、石川、福井などで絵画と染織工芸の個展。 



2005年  インドネシア ブディアルタギャラリーにて個展、新作油彩を25枚展示 

      例年通り、日本でも富山、岐阜、大阪、石川、福井などで絵画と染織工芸の個展。 


      この展覧会ペースはこの後毎年続いていく。


2008年 読売新聞(東京版)にてバリ島での制作の思い出を「遠い旅の空から」として大きく取材される。


2010年 宮嶋龍太郎と共に100年に一度の規模と言われたウブド王族の葬儀を徹底取材。


2011年  息子の龍太郎の大学入学をきっかけとして
      バリ島ウブド村、越中八尾以外に、第三の拠点として、
      東京都葛飾区柴又の帝釈天前に仮住居兼アトリエを構える。

     
      長年の想いがかなって柴又、金町、江戸川風景を描き続けている。

      東京葛飾柴又「寅さん記念館」にて「吉川孝昭絵画展2011」を開催。


2012年 つくば市「ギャラリー彩花」にて絵画と染織工芸の展覧会を開催。(以後毎年開催)

     東京葛飾柴又「寅さん記念館」にてバリ島滞在も含めた回顧展的な「吉川孝昭絵画展2012」開催。

2013年 兵庫県たつの市「ガレリア」にて絵画と染織工芸の展覧会を開催。(以降毎年開催)
     つくば市「ギャラリー彩花」にて絵画と染織工芸の展覧会を開催。(以降毎年開催)
     富山県黒部市宇奈月「烏帽子山荘・ギャラリー」にて大規模な2ヶ月間の染織工芸展を開催。(以降毎年開催)
     石川県津幡町「古楽屋」にて集大成の「展覧会20周年記念展」を開催。(1994年以降毎年開催)

     東京葛飾柴又「寅さん記念館」にて全国ロケ地行脚のスケッチを中心とした吉川孝昭絵画展2013開催。

2014年 朝日新聞(近畿、中部版)にて柴又での制作の内容を詳細に取材掲載される。
     夕刊フジ(全国版)にてバリ島と柴又の制作の内容を詳細に取材掲載される。

     東京葛飾柴又「寅さん記念館」にて全国ロケ地行脚のスケッチを中心とした吉川孝昭絵画展2014開催


2015年 22年間で収集したインドネシアのアンティークバティックとイカットのコレクション図録が『Yoshikawa Collection』として
     (90点)が Studio Miyaから刊行される。

     刊行記念の企画展が金沢郊外の「蛙鳴舎」で「Yoshikawa Collection 展」として開催される。
     中日新聞がこのコレクション展を詳細に取材。


2015−2021年 東京葛飾柴又「寅さん記念館」にて全国ロケ地行脚のスケッチを中心とした吉川孝昭絵画展2015年〜2021年開催


2023年4月 東京葛飾柴又帝釈天参道 帝釈天目の前、「帝釈天歴史ギャラリー」にて「吉川孝昭絵画展」を開催。



       




       





       





       













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