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寅次郎な日々
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(ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
第46作 亜矢ちゃん涙の別れ 動画再現(2015年6月9日)
第46作 琴島ロケ地めぐり全踏破全記録 序曲(2015年5月26日)
「ガレリア」展覧会初日 リリーと寅が来場してくれました!(2015年5月1日)
光映子(ひかりえいこ)さん このシリーズを支えた脇役女優さん(2015年4月5日)
意外に千葉県ロケが多いこのシリーズ御存知でしたか?(2015年3月25日)
第27作「浪花の恋の寅次郎」安治川河口ロケ地めぐり完全踏破!(2015年2月23日)
最初で最後 寅と山田監督のツーショット(2015年2月8日)
全沖縄完全踏破「ロケ地めぐり3日目」完結編(2015年1月24)
全沖縄完全ロケ地踏破2日目 たがみ病院.牧志市場群.琉映本館.ホテル入船(2015年1月2日)
寅とリリーの蜜月の日々 第25作「ハイビスカスの花」 全沖縄完全ロケ地踏破(11月17日)
第25作「ハイビスカスの花」 沖縄全ロケ地踏破 序曲(11月13日)
柴又小学校の同窓会はやっぱり「川甚」だった(10月20日)
BSジャパン 土曜は寅さん !最終作品(9月21日)
米倉斉加年さんを偲んで 牛久沼の日々(8月27日)
第8作「恋歌」 六波羅貴子さんの『ローク』を訪問しました(8月10日)。
第32作「口笛を吹く寅次郎」 因島 一福屋食堂訪問記(7月29日)
第44作「寅次郎の告白」山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇 後編(7月5日)
第44作「寅次郎の告白」山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇 前編(6月14日)
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6月9日2015
お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年6月9日 さらに号外! 第46作 亜矢ちゃん涙の別れ 船からの全ルート動画再現に成功! 船ルート再現動画 https://youtu.be/bbzaJE01Inc 2015年5月26日 第46作「寅次郎の縁談」 瀬戸内 琴島ロケ地めぐり 全カット全踏破完全記録(世界初登頂15箇所含む) 号外 & 序曲 5月6日、5月7日で 亜矢ちゃんと満男の青春の島 琴島(高見島と志々島)に行ってきた。 宿泊は丸亀。 メンバーは最強軍団 昨年の因島洗濯物再現3人衆。 小手寅さん ちびとらさん 私 琴島=実際は高見島and志々島なのはおわかりになりますね。 2日間で高見島も志々島も 全てのロケ地、小さなB班風景まで全踏破したのだ! 世界初登頂だけでも15箇所以上という快挙だった^^ まずは、今回は「つかみ」なので 超難攻不落ゆえに、もう世界中の誰もがあきらめていた 「亀井おばあちゃんの家」を登頂した動画から行きましょう。 志々島 亜矢ちゃんが通う亀井ばあちゃんの家発見!! もちろん 世界初登頂 実はこの家、本村(ほんむら)と言われる 集落の中ではなく、ちょっと離れたほうの小さな集落にあったのだ! このシーンから始まる亀井ばあちゃんへのお手伝い風景。 ここに山田組が持ってきた「琴島 原 籐治郎」と書かれた箕(み、みの)が 置かれていた。 原さんは当事のここの家主さん。すでに引っ越されていたが名義は原さんのままだった。 亀井さんはこの中で寝ていたのだ。↓ ハシゴや郵便受けなどは今も22年前の撮影当事と同じように存在している。 小手寅さんは亜矢ちゃんに扮してくださいました ┐(~ー~;)┌↓ 本編の台詞通り、おばあちゃんの寝床から海が見える! この離れの村は撮影当事は10人以上住んでいたが 現在は3人だけ。 母屋もほぼそのまま残っていた!↓ 奇跡だ。 撮影当事すでに空き家で、亀井久野さんは 本村(中央の村)から呼ばれて、演技をしてくれたとのこと。 朽ちてはいましたが、20年以上経った今も全ての建物はほぼ同じ! ■ 発見の瞬間の動画↓ https://youtu.be/0hqSfiXtMZo ■ 斜め前の家の方にインタビュー https://youtu.be/E4mG1K27t3k ■ 小手寅さん亜矢ちゃんに扮する! https://youtu.be/mB-Vydqgj9o 小手寅さんと私で事前調査を徹底的にしていた結果。 亀井さんの家はここまで絞られていたのです↓ 本集落からは、離れた小さな集落にあったのです。 次回からはひとつひとつのロケ地を紹介して行きます。 播州龍野 寅さんの聖地での展覧会 龍野「ガレリア」での風景画と染織工芸展覧会も今年で3回目を迎えました。 5月のガレリア 水彩 吉川孝昭 バリ島からの贈り物/籠・染・織 展& ジャワトゥバン地方の布・ローマングラス特集 2015年4月30日(木)〜5月12日(火) 【KAT BATIK インドネシアの絣と更紗 吉川コレクション】 2015年5月1日より図録発売開始 龍野、つくば、宇奈月、越中八尾、柴又、高岡、京都 それぞれの展覧会場にて直接販売します。 フルカラー 全66ページ A4サイズ 価格1000円 限定300部 表表紙 裏表紙 2014年の展示風景 https://youtu.be/HncfZFfTqUo 「ガレリア」のホームページ↓ http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 昨年はお客様がガレリアで「男はつらいよ」のハーモニカ演奏をしてくださいました。 https://youtu.be/gpXno3YBZ6k ガレリアに集まった寅さん仲間(2014年) 橋の向こうは情緒あふれる龍野の城下町。 そして目の前にはこんもりとした鶏籠山がそびえ、 眼下には揖保川が流れる。 そんな龍野のシンボルが一望できる特等席に誕生したのが 「ガレリア アーツ&ティー」。 昭和初期に建てられた金融会社の事務所を修復したもので 店内に一歩足を踏み入れると、 西洋文化花盛りし頃を彷彿させるノスタルジックな空気が時間を逆行させ、 ふと窓の外を見ると『ハイカラさん』が闊歩していてもおかしくない、 そんな錯覚に陥ってしまう。フロアにはギャラリーも併設、 ゆっくりアート鑑賞に浸るもよし、または流れる時間にただ身を委ねる、 そんな空虚な時を過ごすことも大切だと、この店はささやいているようだ 「タウンはりま」の記事より抜粋 ギャラリーオーナーの井上美佳さんのお知らせ文章↓ インドネシアのバリ島で家族と共に20年間暮らし、 吉川さんのライフワークでもある寅さん映画のロケ地巡りが縁で、 吉川さんプロデュースによるオリジナル染織や、バリ島のアタ籠、シルクストールなどに加え、 新緑の龍野にお越しいただき、吉川さんの寅さん談議もお楽しみください。 というわけで 今年も男はつらいよの聖地のひとつ「播州龍野」で展覧会を開催します。 寅さんファンの皆様、今年もぜひ気楽にお越しくださいませ。 いろいろ寅さんの四方山話をいたしましょう。 絵画が20点ほど、染織工芸が200点ほど です。 http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 蔵の町をゆく 2014年 油彩 ところで先日のクイズ↓の答え このシリーズを支え続けた 松竹専属脇役女優さん 光映子(ひかりえいこ)さんクイズの答えを書いておきますね。 第13作「恋やつれ」での温泉津温泉での芸者さんもしくは仲居さん。 第15作「相合い傘」のラスト。 函館市日ノ浜町ロケ。日ノ浜海岸での再会。キャバレー「未完成」のベッティ 第19作「寅次郎と殿様」青戸団地、堤鞠子さん宅の近所の主婦 第27作「浪花の恋の寅次郎」石切参道商店街のお店の呼び込みおばちゃん 第29作「あじさいの恋」加納作次郎行きつけの木屋町のお茶屋での芸者さん 第32作「口笛を吹く寅次郎」での備中高梁、ひろみちゃんのお母さんである白神商店の女将さん 第40作「サラダ記念日」小諸病院の看護士さん 第41作「心の旅路」鳴子温泉字新屋敷 付近 花園旅館田舎の旅館の仲居さん これはセリフが無いし、クレジットも無いが 第44作「寅次郎の告白」のOP。奥恵那峡の農業船の奥さん 最後の第47作「拝啓車寅次郎様」と 第48作「紅の花」では 満男の勤める光陽商事の事務の女性 以上です。 次回は光映子さんと同じくこのシリーズを支えた脇役女優さん 村上記代さんを紹介しよう。 私に関する記事 朝日新聞 夕刊 2014年5月21日 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 号外その2:2014年6月5日夕方発売 「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに 私に関する記事が掲載されました。 夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓ http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm 夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html 吉川孝昭展 2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室 裏表紙↓ 2ページ目と3ページ目↓ 2012年正月元旦 吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚 なお、お年玉代わりに、 昨年秋に息子が完成させました 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年5月26日 寅次郎な日々 585 第46作「寅次郎の縁談」 瀬戸内 琴島ロケ地めぐり 全カット全踏破完全記録(世界初登頂15箇所含む) 号外 & 序曲 5月6日、5月7日で 亜矢ちゃんと満男の青春の島 琴島(高見島と志々島)に行ってきた。 宿泊は丸亀。 メンバーは最強軍団 昨年の因島洗濯物再現3人衆。 小手寅さん ちびとらさん 私 琴島=実際は高見島and志々島なのはおわかりになりますね。 2日間で高見島も志々島も 全てのロケ地、小さなB班風景まで全踏破したのだ! 世界初登頂だけでも15箇所以上という快挙だった^^ まずは、今回は「つかみ」なので 超難攻不落ゆえに、もう世界中の誰もがあきらめていた 「亀井おばあちゃんの家」を登頂した動画から行きましょう。 志々島 亜矢ちゃんが通う亀井ばあちゃんの家発見!! もちろん 世界初登頂 実はこの家、本村(ほんむら)と言われる 集落の中ではなく、ちょっと離れたほうの小さな集落にあったのだ! このシーンから始まる亀井ばあちゃんへのお手伝い風景。 ここに山田組が持ってきた「琴島 原 籐治郎」と書かれた箕(み、みの)が 置かれていた。 原さんは当事のここの家主さん。すでに引っ越されていたが名義は原さんのままだった。 亀井さんはこの中で寝ていたのだ。↓ ハシゴや郵便受けなどは今も22年前の撮影当事と同じように存在している。 小手寅さんは亜矢ちゃんに扮してくださいました ┐(~ー~;)┌↓ 本編の台詞通り、おばあちゃんの寝床から海が見える! この離れの村は撮影当事は10人以上住んでいたが 現在は3人だけ。 母屋もほぼそのまま残っていた!↓ 奇跡だ。 撮影当事すでに空き家で、亀井久野さんは 本村(中央の村)から呼ばれて、演技をしてくれたとのこと。 朽ちてはいましたが、20年以上経った今も全ての建物はほぼ同じ! ■ 発見の瞬間の動画↓ https://youtu.be/0hqSfiXtMZo ■ 斜め前の家の方にインタビュー https://youtu.be/E4mG1K27t3k ■ 小手寅さん亜矢ちゃんに扮する! https://youtu.be/mB-Vydqgj9o 小手寅さんと私で事前調査を徹底的にしていた結果。 亀井さんの家はここまで絞られていたのです↓ 本集落からは、離れた小さな集落にあったのです。 次回からはひとつひとつのロケ地を紹介して行きます。 播州龍野 寅さんの聖地での展覧会 龍野「ガレリア」での風景画と染織工芸展覧会も今年で3回目を迎えました。 5月のガレリア 水彩 吉川孝昭 バリ島からの贈り物/籠・染・織 展& ジャワトゥバン地方の布・ローマングラス特集 2015年4月30日(木)〜5月12日(火) 【KAT BATIK インドネシアの絣と更紗 吉川コレクション】 2015年5月1日より図録発売開始 龍野、つくば、宇奈月、越中八尾、柴又、高岡、京都 それぞれの展覧会場にて直接販売します。 フルカラー 全66ページ A4サイズ 価格1000円 限定300部 表表紙 裏表紙 2014年の展示風景 https://youtu.be/HncfZFfTqUo 「ガレリア」のホームページ↓ http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 昨年はお客様がガレリアで「男はつらいよ」のハーモニカ演奏をしてくださいました。 https://youtu.be/gpXno3YBZ6k ガレリアに集まった寅さん仲間(2014年) 橋の向こうは情緒あふれる龍野の城下町。 そして目の前にはこんもりとした鶏籠山がそびえ、 眼下には揖保川が流れる。 そんな龍野のシンボルが一望できる特等席に誕生したのが 「ガレリア アーツ&ティー」。 昭和初期に建てられた金融会社の事務所を修復したもので 店内に一歩足を踏み入れると、 西洋文化花盛りし頃を彷彿させるノスタルジックな空気が時間を逆行させ、 ふと窓の外を見ると『ハイカラさん』が闊歩していてもおかしくない、 そんな錯覚に陥ってしまう。フロアにはギャラリーも併設、 ゆっくりアート鑑賞に浸るもよし、または流れる時間にただ身を委ねる、 そんな空虚な時を過ごすことも大切だと、この店はささやいているようだ 「タウンはりま」の記事より抜粋 ギャラリーオーナーの井上美佳さんのお知らせ文章↓ インドネシアのバリ島で家族と共に20年間暮らし、 吉川さんのライフワークでもある寅さん映画のロケ地巡りが縁で、 吉川さんプロデュースによるオリジナル染織や、バリ島のアタ籠、シルクストールなどに加え、 新緑の龍野にお越しいただき、吉川さんの寅さん談議もお楽しみください。 というわけで 今年も男はつらいよの聖地のひとつ「播州龍野」で展覧会を開催します。 寅さんファンの皆様、今年もぜひ気楽にお越しくださいませ。 いろいろ寅さんの四方山話をいたしましょう。 絵画が20点ほど、染織工芸が200点ほど です。 http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 蔵の町をゆく 2014年 油彩 ところで先日のクイズ↓の答え このシリーズを支え続けた 松竹専属脇役女優さん 光映子(ひかりえいこ)さんクイズの答えを書いておきますね。 第13作「恋やつれ」での温泉津温泉での芸者さんもしくは仲居さん。 第15作「相合い傘」のラスト。 函館市日ノ浜町ロケ。日ノ浜海岸での再会。キャバレー「未完成」のベッティ 第19作「寅次郎と殿様」青戸団地、堤鞠子さん宅の近所の主婦 第27作「浪花の恋の寅次郎」石切参道商店街のお店の呼び込みおばちゃん 第29作「あじさいの恋」加納作次郎行きつけの木屋町のお茶屋での芸者さん 第32作「口笛を吹く寅次郎」での備中高梁、ひろみちゃんのお母さんである白神商店の女将さん 第40作「サラダ記念日」小諸病院の看護士さん 第41作「心の旅路」鳴子温泉字新屋敷 付近 花園旅館田舎の旅館の仲居さん これはセリフが無いし、クレジットも無いが 第44作「寅次郎の告白」のOP。奥恵那峡の農業船の奥さん 最後の第47作「拝啓車寅次郎様」と 第48作「紅の花」では 満男の勤める光陽商事の事務の女性 以上です。 次回は光映子さんと同じくこのシリーズを支えた脇役女優さん 村上記代さんを紹介しよう。 私に関する記事 朝日新聞 夕刊 2014年5月21日 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 号外その2:2014年6月5日夕方発売 「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに 私に関する記事が掲載されました。 夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓ http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm 夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html 吉川孝昭展 2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室 裏表紙↓ 2ページ目と3ページ目↓ 2012年正月元旦 吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚 なお、お年玉代わりに、 昨年秋に息子が完成させました 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 号外 「ガレリア」展覧会初日 リリーと寅が来場してくれました! 寅次郎な日々584 さすが初日 へとへとになりながらも間に合うように準備してくださった 寅さんファンの女性の方も2人来てくださいました。 そして ■寅はもちろん小手寅さんこと江見潮さん。 ■そしてリリーは お二人が私のリクエストに答えていろいろな表情をしてくれました。 素敵なカップルですね(⌒-⌒) 2015年4月16日 寅次郎な日々584 播州龍野 寅さんの聖地での展覧会 龍野「ガレリア」での風景画と染織工芸展覧会も今年で3回目を迎えました。 5月のガレリア 水彩 吉川孝昭 バリ島からの贈り物/籠・染・織 展& ジャワトゥバン地方の布・ローマングラス特集 2015年4月30日(木)〜5月12日(火) 【KAT BATIK インドネシアの絣と更紗 吉川コレクション】 2015年5月1日より図録発売開始 龍野、つくば、宇奈月、越中八尾、柴又、高岡、京都 それぞれの展覧会場にて直接販売します。 フルカラー 全66ページ A4サイズ 価格1000円 限定300部 表表紙 裏表紙 2014年の展示風景 https://youtu.be/HncfZFfTqUo 「ガレリア」のホームページ↓ http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 昨年はお客様がガレリアで「男はつらいよ」のハーモニカ演奏をしてくださいました。 https://youtu.be/gpXno3YBZ6k ガレリアに集まった寅さん仲間(2014年) 橋の向こうは情緒あふれる龍野の城下町。 そして目の前にはこんもりとした鶏籠山がそびえ、 眼下には揖保川が流れる。 そんな龍野のシンボルが一望できる特等席に誕生したのが 「ガレリア アーツ&ティー」。 昭和初期に建てられた金融会社の事務所を修復したもので 店内に一歩足を踏み入れると、 西洋文化花盛りし頃を彷彿させるノスタルジックな空気が時間を逆行させ、 ふと窓の外を見ると『ハイカラさん』が闊歩していてもおかしくない、 そんな錯覚に陥ってしまう。フロアにはギャラリーも併設、 ゆっくりアート鑑賞に浸るもよし、または流れる時間にただ身を委ねる、 そんな空虚な時を過ごすことも大切だと、この店はささやいているようだ 「タウンはりま」の記事より抜粋 ギャラリーオーナーの井上美佳さんのお知らせ文章↓ インドネシアのバリ島で家族と共に20年間暮らし、 吉川さんのライフワークでもある寅さん映画のロケ地巡りが縁で、 吉川さんプロデュースによるオリジナル染織や、バリ島のアタ籠、シルクストールなどに加え、 新緑の龍野にお越しいただき、吉川さんの寅さん談議もお楽しみください。 というわけで 今年も男はつらいよの聖地のひとつ「播州龍野」で展覧会を開催します。 寅さんファンの皆様、今年もぜひ気楽にお越しくださいませ。 いろいろ寅さんの四方山話をいたしましょう。 絵画が20点ほど、染織工芸が200点ほど です。 http://galleria-arts.wix.com/galleria-arts#!artists/cfvg 蔵の町をゆく 2014年 油彩 ところで先日のクイズ↓の答え このシリーズを支え続けた 松竹専属脇役女優さん 光映子(ひかりえいこ)さんクイズの答えを書いておきますね。 第13作「恋やつれ」での温泉津温泉での芸者さんもしくは仲居さん。 第15作「相合い傘」のラスト。 函館市日ノ浜町ロケ。日ノ浜海岸での再会。キャバレー「未完成」のベッティ 第19作「寅次郎と殿様」青戸団地、堤鞠子さん宅の近所の主婦 第27作「浪花の恋の寅次郎」石切参道商店街のお店の呼び込みおばちゃん 第29作「あじさいの恋」加納作次郎行きつけの木屋町のお茶屋での芸者さん 第32作「口笛を吹く寅次郎」での備中高梁、ひろみちゃんのお母さんである白神商店の女将さん 第40作「サラダ記念日」小諸病院の看護士さん 第41作「心の旅路」鳴子温泉字新屋敷 付近 花園旅館田舎の旅館の仲居さん これはセリフが無いし、クレジットも無いが 第44作「寅次郎の告白」のOP。奥恵那峡の農業船の奥さん 最後の第47作「拝啓車寅次郎様」と 第48作「紅の花」では 満男の勤める光陽商事の事務の女性 以上です。 次回は光映子さんと同じくこのシリーズを支えた脇役女優さん 村上記代さんを紹介しよう。 私に関する記事 朝日新聞 夕刊 2014年5月21日 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 号外その2:2014年6月5日夕方発売 「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに 私に関する記事が掲載されました。 夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓ http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm 夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html 吉川孝昭展 2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室 裏表紙↓ 2ページ目と3ページ目↓ 2012年正月元旦 吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚 なお、お年玉代わりに、 昨年秋に息子が完成させました 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年4月5日 寅次郎な日々584 このシリーズを支え続けた 松竹専属脇役女優さん 光映子(ひかりえいこ)さん
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年3月25日 寅次郎な日々583 意外に千葉県ロケが多いこのシリーズ御存知でしたか? 昨日、バリ島から帰国して来たばかり。
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年2月23日 寅次郎な日々582 第27作「浪花の恋の寅次郎」 浜田ふみさんの弟ひでお君が生きた町 安治川河口ロケ地めぐり完全踏破!
赤い環状線が
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年1月24日 寅次郎な日々580 寅とリリーの蜜月の日々 第25作「ハイビスカスの花」 全沖縄完全ロケ地踏破 ついに完結!メインエベント 「ロケ地めぐり3日目」完結編 前前回は、旧国内線ターミナル、金武町、嘉手納基地 前回は、牧志市場群、ホテル入船、 たがみ病院、寅の車窓風景、だった。 今回は リリーの下宿国頭郡本部。 海洋博記念公園。 今帰仁村与那嶺の電柱と慰霊碑。 オクマビーチのカーチャシー。 奮闘努力の再現動画 http://youtu.be/SF1IV6GDX_0 奮闘努力の再現動画2 http://youtu.be/z5nWM188WYo
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2015年1月2日 寅次郎な日々579 寅とリリーの蜜月の日々 第25作「ハイビスカスの花」 全沖縄完全ロケ地踏破 「ロケ地めぐり2日目」 寅の銀バス那覇市内の車窓風景。 牧志市場1つ残らず全シーン。 寅がずっと泊まっていたホテル入船とそこからの眺め。 たがみ病院全シーン(現在のオリブ山病院) 前回は、旧国内線ターミナル、金武町、嘉手納基地 今回は、牧志市場群、ホテル入船、 たがみ病院、寅の車窓風景、です。 前回の掲載では初日に空港、そして金武町を取材し、 その後嘉手納基地を取材。 嘉手納を出た後、長距離バスで国際通りまで戻った頃には もう空は暗くなり、このあとは外の写真は撮れない。 もう聞き込みしかできない状況だった。 どうしても事前調査でわからなかった寅の車窓風景。 わずかに遠くに見える高架もしくは歩道橋。 一瞬通り過ぎる映画館もしくは劇場らしき建物。 しかしかつてあった国際通り付近の映画館をサイトや書物でいくら調べても様子が違う。 ストリートビューで調べても似た風景が引っかかってこない。 インターネットや印刷物での調査はこの辺が限界。 もうあとは現地での聞き込みしかない。 そこで、嘉手納から牧志のホテルまでの間で、 県庁前であえて降りて、 そこから徒歩圏の「沖縄タイムス」の本社ビルに思い切って入っていくことにした。 発作的にバスの中で決めたのでアポなしである。 受付の女性に事情を説明し、 当時をよく知っている記者さんや編集委員さんを 呼んでいただけないかと強くお願いしてみた。 それで、社内電話してくださって、石川さんという編集委員の方を 呼んでくださった。 1階に下りてきてくださった石川さんは私の見せた本編キャプチャー 画像を何枚か見られて、しばしいろいろ思い出されていたのだが、 「ひょっとしたら、これは歩道橋ではなくて自動車の高架ではないでしょうか」 とおっしゃったのだ。 赤い囲みで囲った橋は、橋ではなく自動車の高架だった! そう言われてみればそういう風に見える。 で、石川さんはこうも続けられた。 「実はこの国際通りを北に進んで行くと 通りの終着点の先に「安里三叉路」という場所があり、そこには このキャプチャーのような高架が背後に見えます。」 そして、その曲がり角のあたりにかつて「琉映本館」という映画館があった記憶がある とおっしゃられた。 このキャプチャー画像のような映画館だったかどうかははっきり覚えていないけれど 確かに映画館はあったことは確かのようだった。 私は暗闇に一筋の光が差し込んだような思いで、メモを取り 明日の午後にそこを取材することをお伝えして、お礼を言い、おいとました。 最難関のひとつだった寅の乗る銀バス繁華街車窓風景が なんとなく見つかる気配が見えてきたので、ここで一段落をつけようと、 お礼を言って、ビルを出て、ホテルに急いだ。 県庁前から予約した牧志のセントラルホテルは徒歩で20分以上かかったが 気分がよかったので歩いて行った。 ホテルにチェックインし、 荷物を置いて、すぐに今度は牧志市場の取材だ。 時刻はこの時点ですでに夕方6時半を過ぎていた。 レセプションの人の話では市場の店々は早ければ6時、遅ければ8時に閉まるそうだ。 少し早歩きで牧志市場に聞き込み取材に向かった。 この夜の聞き込みでその日のうちにわかった場所が2箇所あった。 ひとつはこの場所↓ 牧志市場 上原果物店発見!! http://youtu.be/iPmQQycdsKc 牧志市場中央通り 上原果物店 おばあ http://youtu.be/wlLjO7yt1CQ もうひとつはこの場所↓ 牧志市場 市場裏(通称野菜市場) 野菜の店 動画http://youtu.be/g45N8PFcrm8 動画 http://youtu.be/qHf6_VVx9V8 なんとか初日に牧志市場で2つの場所をクリアできたので ようやく落ち着き沖縄料理の店で島豆腐のサラダとソーキそばを食べた。 実はこの「寅えもん」という店も、昔は「町田レストラン」と言って この映画に少し映っているのだ。 そのこともあって夕食をこの店で食べたのだが、 いろいろ聞いてみると、そこの従業員の方が小さいころ「琉映本館」に何度か 言ったことがあるっておっしゃられたのだ。 で僕がチャプター画像を見せると、確かにこれくらいの間口で、 こんな雰囲気だったと断言された。 よし!明日は現地で最終確定だ! さて翌朝・・・・ セントラルホテルの窓を開けると曇り空だったが、雨はまだ降ってはいなかった。 予報では曇り。 寅がホテル入船の窓を開けると、ピアノの看板があるビルが映るが あのビルが当時から今でも残る唯一のビルなのだ。 私が吉川明さんの助言で宿泊した「那覇セントラルホテル」はホテル入船の道を 挟んで真向かいにある。 それゆえ、窓を開けたらホテル入船と同じエリアの風景が広がっているのである。 この写真は僕の宿泊した部屋から見た風景だが、 あのピアノの看板があったビルが今も残っているのがわかる。↓ で、さっそく朝食の後、目の前のホテル入船跡に行ってみる。 寅のすぐ後ろの角張った白いビルに注目!↓ 今もまったく同じ! 昨年吉川明さんが世界初登頂された時も この角張ったビルの存在が最終的な決め手になったのだ。 そうなると、その前の丸いアールがついたここが元「ホテル入船」 名前は「ニューシティマキシ」 映画の構図的にはこうである↓電柱の位置はおそらく今も同じ。 ちょうど、住人の方が買い物から帰ってこられたので 事情を説明し、階段の踊り場からの撮影を5分ほど させていただきたいとお願いし、許可をいただき、 共同階段のホテル入船二階あたりの踊り場から撮影したのがこれ。 拡大して見るとあのピアノの看板が見える。ピアノと言う文字も うっすらではあるが残っている。↓あのビルが唯一今も残っているビル。 さて、ホテルに戻って朝食バイキングを食べた後、 今日2日目は、「たがみ病院」と「牧志市場群」を踏破し、 解明しなくてはならないのだ。 まずは、「たがみ病院(現オリブ山病院)」ロケ地めぐりへ話は移そう。 「牧志駅」から「首里駅」へモノレールで行き、 そこから地元の年配のタクシー運転手さんをオーダーし あのたがみ病院があったオリブ山を見渡せる 眺めのいい丘を探してもらった。 西平さんという方だったが、 76歳を過ぎている方だったが、若々しくて驚いた^^; 彼はとても親切でかつこの地元の方なので オリブ山をドーンと眺めれる場所はひとつしかないと知っておられた。 で、連れて行っていただいたのがこの場所。 那覇市との境、浦添市前田の高台 当時とは建物がほぼ全て違ってしまってはいるが、 方向は間違いない。 それ以外の場所もまわってもらったが、 ここからの眺めしかあり得ないだろうと思われた。 運転手さんとの会話 動画 http://youtu.be/W3mW-algP1A 当時とは建物がすっかり変わってしまっていたがこの丘だろう。 そして丘を降りて、車で走ること5分。 たがみ病院に着く。 寅はわざわざ嘉手納基地を通って首里の近くのたがみ病院にたどり着いているが 実際は那覇の中にある。首里から徒歩15分でオリブ山まで行けるのだ。 現在はバス停はないが、あとでスタッフさんにお聞きしたところでは この位置にバス停があり、みなさんここから坂をもう少しあがって病院の本館に 行かれたようだ。 さて、このたがみ病院だが、もう当の昔に大きく建て替えられている。 大きな病院ゆえ「アポイントがなければ案内は難しいです。」と、 受付でまず言われてしまったが、 ここですんなり引き下がれないと思い、 私が本日遠く東京から取材にやってきたこと、この現在は 「オリブ山病院」はいくつかの本やいくつかのサイトに ロケ地として掲載されているが、ひとつとして正しい場所が指し示されていないこと。 それを今回私のサイトでしっかり訂正していきたい、ということを訴えていった。 その気持ちに少しは何かを感じてくださったのか 事務のスタッフさんで当時まだ「たがみ病院」の館が残っていた時期に入社した方が 15分ほどとても親切にいろいろ案内してくださった。 本編ではこの建物↓ それで、スタッフさんが教えてくださったのがここ↓ 動画 http://youtu.be/vs-8aAZS9hA 当時を知る事務の方の案内によると この矢印のように撮影当時の道は現在はビルの中を通っている。 そして、本編で映る坂道 今の建物的にはここの坂。↓ この教会だけは位置が一緒だそうです↓ 教会の下からほぼ教会に対して垂直に伸びていた道↓ ↓ このような病院の建物が教会の前にドデンと建っているので、 あえて言うと、この建物の真ん中を通っていたと言える。 教会からの道について 動画 http://youtu.be/z3P4PQdYswI 動画 http://youtu.be/fZTuiiySd5s ↓ 現在は教会の目の前の道はこのような病棟が建てられているので まったく消えてしまっている。↓ 左に見えるのがたがみ病院本館。 遠く向こうに見える建物は手前に病院の建物が建っていて まず教会からは何の眺めも見えない。 そしてその前に建っている建物のさらに向こうまで歩いて行って、ようやく眺めが見える。 その場所からの眺めでは、 今はほとんど残っていないがたったひとつだけ残っている建物があることがわかるのだ。 この赤丸のビル(那覇市立石嶺小学校) 教会から昔あった道をイメージしながら 2つのビルを乗り越えてようやく見えたこの赤丸のビル(那覇市立石嶺小学校)。 この小学校は今も同じ。本編でのカメラ位置はもう少し左だが、 現在は、左手前に病院の西棟ビルがあるため この小学校風景が見れるのはここの位置からのみ。 いろいろなサイトにはこの道↓が リリーと寅が歩いていた道だという風にかかれてあるが、 実は撮影当時はここの道は、道どころかその横のもう野球グランドの外だったのだ。↓ だからいかにもロケ地に見えるが、この道は実はロケ地ではないのである。 この地図の赤い矢印のように、寅とリリーが歩いていた教会から伸びる道は 今はビルの中に入り込んでいるのがわかる。 野球のグラウンドは赤い矢印の右側、同じく建物の中。 今までのすべてをまとめるとこうなる↓野球をしていたグラウンドも今はビルの中。 さてこれでようやく今まであやふやに示されていた「たがみ病院」の 真実の場所が全て把握できたのである。 よし! たがみ病院は全て終わった!! その足で、すぐタクシーを拾い、 昨夜、新しく見つかった寅の車窓風景「宮里三叉路」に直行した。 ここにはかつて「琉映本館」があった場所。 昨夜ホテルの部屋で1960年代後半あたりの 「琉映本館」の画像を見つけることができていた。 タクシーの方が時間が短縮できるので、 思い切ってタクシーを使うことにした。 そのタクシーの中で高倉健さんの死を知らされたのだった。 動画 http://youtu.be/QCTNtmXjM7A 前日ネットで見つけた1966年の画像↓「唐獅子牡丹」も同じ年に公開 今はマンションが建っている。 車窓風景でも右のオレンジのマンション兼スーパーが建設中↓ さて、たがみ病院を完全踏破したあとは そのまま、那覇の中心までUターン。 前日ほぼ判明したあの寅の車窓風景に映る 「琉映本館」の場所に立つためだ。 スーパー建設現場の横には「琉映本館」があった。↓ この沖縄滞在の最大の難攻不落だったあの車窓風景の 場所に立つことができて感無量だった。 そして高倉健さんの看板が掛かっていたこの場所に 高倉健さんの訃報の日に訪れるなんて・・・。 しかし、その東映専門映画館の琉映本館も今はない。 動画 http://youtu.be/ToLDjiy_Hwk 動画 http://youtu.be/5G12eHGpCLI ここは先を急ごう。 この時点で午後1時。 国際通りに合流し、牧志までバスで戻る。 国際通りのB班本編映像をまずピンポイントで抑える! 地図のA 寅がバスに乗って空港を出て行った直後の本編B班撮影。↓ 当時まだ、掛かっていた歩道橋「むつみ橋」がある。 右横の茶色のビルが今も同じ。その向こうの白いビルも 色はオレンジに変わったが窓は同じ。 下の地図A 地図A むつみ橋 動画 http://youtu.be/ix4woKBN4IE さていよいよ次は、牧志市場群の全踏破だ。 この市場群はいたるところで撮影していると思われ、 一瞬の撮影もあわせて十数か所ある。 この日この時点で不明の場所は・・・ 昨夜2箇所何とか解明したので4箇所になっている。 そこで秘密兵器登場。 3日目に合流する沖縄フリークの吉川明さんから紹介された むつみ橋横にある【那覇観光協会】那覇市観光案内所 私はここの事務所で、那覇のことなら今のことも一昔のことも 何でもご存知の那覇のコーディネーターガイドを勤める 柴井健司さんを紹介された。 那覇の観光のことなら彼です!↓ なんでもご存知の柴井さん。 彼は本当にこの那覇のことをよくご存知だった。 琉映本館のことも知っておられたし、 この牧志市場の一昔前のこともよく覚えておられた。 私がまだ未解明の難攻不落のうちの大きなポイントになる2箇所を 見事に言い当てられたのだ。 柴井さんには本当に感謝です! いよいよ滞在2日目の中で 最も仕事量の多い「牧志市場全制覇」 本編の時間軸どおりにひとつひとつ紹介しよう。 ほとんどがB班撮影。 寅の啖呵バイだけが高羽さん撮影。 ■ その1 まずはここが映る↓ 牧志が映って最初の映像は平和通入り口付近だった。 これは上にも書いた、観光協会の柴井さんが 昔の富士屋靴店の日よけの緑テントを覚えていらっしゃったのだ。 この場所は柴井さんのおかげ。 よく見ると富士屋靴店と読める。 富士屋靴店の女将さんに確認してもらい、 ここの前だと確認。 動画 http://youtu.be/HSvX1p9_JPU ■2番目 この建物は市場中央通り。 当時はアーケードはなかった。 よく見て下さい。 アーケードができても当時の右側の建物は ずっとそのままなことがわかるでしょう。 動画 http://youtu.be/ampTv8awl_A ■3番目は「えらぶ」や香辛料、ダシなどを売る店。 「えらぶ」は、ウミヘビを一度燻製にしたのち、 戻してから煮込んで出汁をとることがメイン。 その他、粉末などにして、生活習慣病改善の薬として飲むことも多い。 ここも「市場中央通り」。 下に出てくる上原果物店からすぐの場所。 このあたりの数軒はダシ類の店が並んでいたようだ。 今も数件が残る。 「市場中央通り」の上原果物店から20メートル東。 このあたりは、ダシや香辛料を売る店が今も多い。 動画 http://youtu.be/kkaLyf7Y13M ■4番目はここの細い路地の交差の場所。撮影のカメラはぐるりと 左回りに店を映して行く。 ここ↓はえびす通りとうずらん横丁が交差した場所。 いくら事前に探してもずっとわからないままだったが、 ここも上に紹介した那覇観光協会の柴井さんが 「あ、これはえびす通りとうずらん横丁が交差する場所ですね」 と速攻で答えてくださった場所なのだ。 右側の道がうずらん横丁だ。↓ 左がえびす通り 右がうずらん横丁 重要動画 http://youtu.be/F9AC6fqHheo 本編でのえびす通り↓ 金物を売っていた店 今は洋服の店に変わっている。 本編一番左端に見えるカーテンを売る店は今もある。 ■5番目はこの直後に映る 本編で子供服をたくさん売っていた店。 商品しか映っていないのでさすがに確信は持てるわけはなかった。 「市場中央通り」のこの店がもっとも有力と言える。↓ 子供服の飾り方が似ているとも言える↓ なんせ商品とハンガーと価格の書き方くらいなので、 代替わりしてるし、確証は得られない。 上原果物店のそば。 上の店からちょっと2分ほど歩くと別の店で子供服専門がもうひとつあった↓ ■6番目 これは上にも書いた通り、前日の夜に当たりはつけてあった。 この野菜売りの店は、3人のおばあの顔を覚えている方が複数いらしゃったので 見つけることができた。 ちょうど牧志公設市場」の裏で野菜を専門に売っている場所だった。 同じ扇風機がまだ使われている!! 動画 http://youtu.be/g45N8PFcrm8 動画 http://youtu.be/qHf6_VVx9V8 彼女は撮影当時この現場に居合わせていた方↓ ■7番目は、 再度、今度は別の「えらぶ」の店。 上に紹介した「えらぶ」の店の数メートル横。 同じエリア。 ちょうど「牧志公設市場」の前に出している店のひとつ。 この方は奄美大島から引っ越して来られた「いのりさん」という方だったそうだ。 この店の横の店(同じくダシの素材の店)のご夫婦がしっかり覚えていらっしゃった。 この付近は全体的にダシや香辛料の店が多い。 ■8番目 上にもすでに登場したが、前日に完全解明した店だ。 今回よく目印に使わせていただいた上原さんのお店。 ここは今回この映画に映っていた市場の方の中で 唯一話が直接できた上原さんが今もお孫さんと一緒に 営業されている「上原果物店」。「市場中央通り」にある。 現在の上原さん↓ 86歳の今もお元気で店に出る! 牧志市場 上原果物店発見!! http://youtu.be/iPmQQycdsKc 牧志市場中央通り 上原果物店 おばあ http://youtu.be/wlLjO7yt1CQ ■9番目 ここの店も同じエリア市場中央通りの店。「いのりさんの店」のほぼ真向かい。 珍味「スクガラス」の専門店。名前は「浦崎漬物店」 他の市場の人に聞いたら、 ここの店だとみなさん即答してくださった。 店の前にずらりと「スクガラス」が並べてあるのは今も同じ。 動画 http://youtu.be/H1PYsN8T2Mo ■10番目 これは、魚行商のおばさんだったらしい。 行商ゆえに、市場の店の方々は名前までは覚えていらっしゃらなかった。 この位置は映像から察するに、 おそらく市場中央通から折れる横道との交差の場所あたりだ ということだった。↓ 上原果物店のすぐそば。 動画 http://youtu.be/jVRbMbviwJ8 ■11番目 これは、「川満宝石屋さん」のご主人にしっかり教えていただいた。 よくみると「牧志公設市場」の建物の細い窓が左に見える。 事前調査ではこれに気づかなかったが、教えられて目からうろこだった^^;ヾ。 今も全く同じの公設市場の細い窓↓ 当時の服屋さんと今の服屋さんは違う経営者だそうだ。 動画 http://youtu.be/BxEoD7CiJ34 動画 http://youtu.be/G3tyLViDaY0 ■12番目 下の地図でも目印12番 さてようやく寅の啖呵バイの場所。 これは見た通りの場所。^^ 「市場中央通り」と「新天地市場本通り」の間でバイをしているのだ。 寅が立っている場所には今も当時の名残のある店がたくさんあるのでわかりやすい。 まだまだ名残がたくさんある。 動画 http://youtu.be/VCdJUt5uoXo 那覇高等美容学校は今も健在。 寅の向こうにある「市場中央通り」のビルが見える。現在はアーケードがかかっている。 お客さんたちの背後に見えていた中村商店の黄色いテントと文字↓ 現在も健在!中村商店!! 動画http://youtu.be/CpEG0pD3Iko ■13番目 そして最後にカメラは高い位置から寅の啖呵バイを撮影する↓ 現在も当時と同じように上って行く階段がある。 商店街の事務所へ上がる螺旋階段の中へ許可を得て上らせてもらう。 動画 http://youtu.be/lljOf6FyvNA 本編のカメラはそこから横の家々を写して行く。 階段上のテントの隙間から無理やり撮ったので映画と同じ構図は難しい。 手前のグレーの家の雰囲気と屋上への階段は今も健在。 しかしそれ以外の建物はすべてなくなってしまっていた。 動画 http://youtu.be/jxupvWsuawk 商店街の事務所で撮影許可をいただいた時に当時の撮影の様子をお伝えしました。 動画http://youtu.be/M2l7yPbQiGQ 番外話題 聞き取りの合間に上原果物店の裏にある 自家製シークアサを作っているおじさんの生ジュースを飲む。 噂どおり美味しい。 牧志の市場は何でも売っている。 ソーキそばも350円で食べれる店がある。 人気があるらしくいつも混んでいる。 ちょっとお腹がすくとそこに入ってささっと食べる。 これで牧志市場群は全部クリアしたわけだ。 さて次回(1月10日過ぎにアップ予定)はいよいよ3日目!メインエベントだ。 吉川明さんと合流し、リリーの下宿の本部(もとぶ)と あの電柱ギャグの今帰仁村に向かうのだ。 今帰仁村では「動画での本編再現」を紹介いたします! 続く 私に関する記事 朝日新聞 夕刊 2014年5月21日 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 号外その2:2014年6月5日夕方発売 「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに 私に関する記事が掲載されました。 夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓ http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm 夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html 吉川孝昭展 2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室 裏表紙↓ 2ページ目と3ページ目↓ 2012年正月元旦 吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚 なお、お年玉代わりに、 昨年秋に息子が完成させました 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年11月27日 寅次郎な日々578 寅とリリーの蜜月の日々 第25作「ハイビスカスの花」 全沖縄完全ロケ地踏破 第1日目 (旧国内線ターミナル、ドライブイン浜田、金武町新開地、嘉手納基地道路) 寅とリリーは第15作「寅次郎相合い傘」ではふたりの波長がピタリと一致し、 お互いの目を見つめ合うような最高の切ない「恋」をした。 そしてこの「寅次郎ハイビスカスの花」ではもう一歩踏み込み、 共に二人で生き、人生を共に歩もうとした。 たとえそれが真夏の夢の中の幻想だとしても…。 自己の美学の赴くままに奔放に生きる寅やリリーのような渡り鳥にも、 ふとしたタイミングで羽根を休め、 「定住の夢」を見るひと時もある。その夢は必ず、ないものねだりの夢。 そしてそうすることは渡り鳥である彼らの 気質の中では死を意味する。 夢から覚め、娑婆に戻ったリリーは、再び大海原に羽ばたく直前にこう呟く。 「私たち夢を見てたのよ、あんまり暑いからさ…」 この長いシリーズで寅は散々ふられるが、 逆に多くのマドンナたちも寅に恋をした。 一番寅を愛したのはこの第25作「ハイビスカスの花」のリリーである。 彼女の人生最大の悲しみの時を救ってくれた寅。 リリーはこの作品ではいよいよ本気で寅と共に人生を歩もうとしたのである。 そんな熱き想いを秘めたリリーと寅の蜜月の日々があの南国沖縄で 繰り広げられたのである。 そして、かつて、私が親元を離れ、東京に出てすぐに、 人生で一番最初に映画館でお金を出して観た「男はつらいよ」が この第25作「ハイビスカスの花」なのだ。 1980年の夏だった。 だから私はあの寅とリリーの蜜月の土地になんとしても行きたかったのであるが 2つの障害があった。 ひとつは飛行機代が往復4万円ほどするのでなかなか行けなかった、ということ。 しかし、これは近年格安航空LCCが誕生したことによって、往復1万5千円に なったので、クリア!! もうひとつは、この沖縄ロケでとても重要なロケ地のひとつが 皆目わからなかったからである。 沖縄ロケ地は小さな場所は、私が先日コラムに書いた「ドライブイン浜田」をはじめ、 まだまだ不明な部分が10箇所以上残っていて 難攻不落の場所も多かったのだが、しかし実はそれらはおおよその見当はついているので 現地に乗り込めばなんとかなりそうな気配はするのである。 しかし、この沖縄はひとつだけ大物ロケ地もまだ解明されていなかったのだ。 それは、寅が暑い暑いとアイスを持ってうなりながら電柱の細い影に入り込もうとする あの田舎のさとうきび畑の小道。 あそこがいまだに私も私の仲間も他のHPも本も雑誌も公式ページも誰もわからないのである。 このシリーズ最高のナンセンスギャグシーンとして、 今も多くのファンに語り継がれるあの名シーンが解明されないことには あの遠い遠い沖縄には行くわけには行かないのだ。 ああいう何もない場所はなにも取っ掛かりがないので 何十年たってもいつまでも解明されないことも多い。 私も、数年前からなんとか見つけたいと思い、 いろいろな調査は行ってはいたのだがさとうきび畑と近くに見える鳥居の慰霊碑以外 なんにも映っていないので、どうにもこうにも見当がつかない。 唯一のヒントであるあの鳥居もサイトでは見つからない。 リリーの下宿先もストリートビューや聞き込みで調べてはみたものの、 なんのとっかかりもないまま時が過ぎていったのである。 そして今年の10月、親しい寅友である寅福さんから SNS内で報告があり、なんとあのさとうきび畑が見つかったと言うのである。 寅福さんの運営する「男はつらいよ 飛耳長目録」というブログ(私とは昔から相互リンクの仲)で 「沖縄の寅好き」さんと言う方から貴重な情報をいただいたのだった。 内容はこうである↓ 沖縄から失礼します。最近、男はつらいよを好きになった新参者です。 何作か男はつらいよを見ていたら、沖縄県にも寅さんが来ていたことを知りました。 (寅次郎ハイビスカスの花)内容は、シリーズの中でもやはり人気度が高いだけあって、よい作品だと思いました。 ところで、たまたまこちらのサイトを発見いたしました。内容をみていると、ロケ地の場所が特定されていないとの事で、 色々と調べてみました。恐らくですが、場所は、【沖縄本島北部、今帰仁村の与那嶺という集落にある慰霊碑】のあたりだと思います。googleマップで見たところ、この慰霊碑を左正面に見ると、写真の中央辺りにそれらしき建物(撮影当時の写真では屋根が赤茶っぽい建)が見えることと、慰霊碑を背中にして正面の山々見ると写真とほぼ同じような形をしているように見えたので、はっきりとは断定できませんが、恐らく、この慰霊碑の周辺だとおもいました。 そして、あの慰霊碑(今は新しいものに建て直されている)らしきものが出ている ほかのブログを紹介してくださったのだ。 下記のURLが一番有力かなと思いましたので、ご参考 になればと思います。 あと、其の2の二枚目の写真で寅さんが座り込んでいる慰霊碑ですが、 平成8年に建て替えられており、当時のものとは形が違っているみたいです。 情報不足ですみません。(下記のサイトは現在の慰霊碑の写真が掲載されています) http://phoenixexpress.ti-da.net/e6297852.html 「沖縄の寅好き」さんはストリートビューであの慰霊碑から見た風景が映画本編で出てくる 慰霊碑前の風景とピタッと一致すると言われたのだ。 そうなのである。なんとストリートビューも通っている場所だった! 近年のストリートビューはどんな田舎道も撮影してくれているからありがたい(T_T) で、私も沖縄の寅好きさんと寅福さんからの情報をじっくり検証するうちに 100パーセント確信にいたったわけだ。 上の紹介してくださったブログ「碧血の島」は 今年2014年05月20日になってアップされたようなので 私や寅福さんが調査していたころはまだ立ち上げていなかったのだった。 こまめにいろいろなサイトをチェックし続けることの重要性を今更ながら再認識させられた。 諦めてはいけないのだ。 ストリートビューから見た現在の風景↓ 本編の画像↓ このさとうきび畑は今回の沖縄行きのメインエベント。 沖縄滞在の3日目(11月19日)に初登頂した。 そのことは親友の吉川明さんと一緒にめぐる3日目の日記で 同じ場所での再現動画を掲載します! 上にも書いたように、今回は親友の寅友である板橋の吉川明さん(私と同じ姓^^)も 最後の3日目の11月19日に合流する予定だ。 吉川明さんはかなりの沖縄フリークで もうかれこれ30数回は沖縄に行かれていると思う。 私のこの計画を話すと、多忙の中、参加したいとおっしゃってくださったのだ。 3日目はW吉川であの電柱のシーンの再現動画を撮影しよう、頑張ろうというわけだ。 さて11月17早朝 始発で柴又から成田へ。 寝過ごしたらアウトなので前日はほとんど寝ていない。 成田からLCCのジェットスターで出発だ。 こうして寅さん記念館での恒例の絵画展がもう目の前に迫った2014年11月17日、 私は成田から格安ジェットスターで2時間半、午前10時50分に私は 曇り空の那覇空港に到着した。 寅はあの作品では飛行機が苦手でヘロヘロになっていたが、 実は私も飛行機はかなり苦手だし、絵画制作が続いていて寝不足だったので 体力的にはかなりきつかったのだが、 ここは頑張るしかないと気持ちを強く持って踏ん張った。 さて、この那覇空港国内線バスターミナルも当然ロケ地である。 しかし実は・・・那覇空港は5年ほど前にすっかり建て直して、 撮影当時の旧国内線ターミナルの場所と今の場所はかなりずれてしまっている。 寅が車椅子を押しながら銀バスになだれ込むように乗り込んだ あの旧国内線バスターミナルは、今の新ターミナルから歩くと10分かかる場所だ。 今はなんと貨物のコンテナ倉庫が建ち並び、 一般の観光客は徒歩であろうが自動車であろうが立ち入り禁止になっている。 あの本編で銀バスに乗り込む直前にちらっと見えた灯台 (実際は米軍が戦後建てた航路標識搭)は、今も映画撮影時と同じ姿で近くに建っている。 沖縄戦場を調査したHPにはこのように記されている。↓ 崎原(さきはら)灯台 崎原灯台は1986年(明治29年)に完成した灯台で、 崎原グスク上に高さ12mのレンガ造りの灯台や舎屋等が建設された。 残念ながら昭和20年6月4日からの小禄半島の戦闘においても 上陸海岸の一角にあったために攻撃目標となり徹底的に破壊された。 戦後も灯台は復行されることなく、米軍により航路標識塔が建てられた。 現在もその航路標識塔が残されたままで、 周辺には破壊されたレンガ等が散乱する知られざる戦跡である。 ということだそうだ。 現在の崎原灯台跡(航路標識搭) なんとか、映画と同じアングルから撮影したいと思った私は、 あるアイデアが浮かんだのである。 実はこの一般の人が入れない貨物倉庫は一箇所だけ、 一部のLCC(バニラエアやピーチエア)の離着陸場所に利用されているのである。 つまりバニラやピーチの本当の乗客だけは専用のシャトルバスで 倉庫まで入れるシステムになっているようだ。 周りは貨物倉庫なのでシャトルバスを降りたらガードマンにすぐに中にはいるように 催促されるようなので、たとえ、乗客にまぎれてシャトルバスに乗れたとしても 降りた周りで画像を撮影できるかはきわめて疑わしいのである。 しかし、この方法以外にあの厳戒態勢の貨物倉庫にはいる道はない。 幸い、シャトルバスに乗る時にチケットの提示義務はないようだった。 第一関門突破! そしてほんの5分で貨物倉庫前に着く。 鉄の扉が開いて、シャトルバスは敷地内に入って行ったのだった。 手にデジカメを持って下車と共にすぐさま撮影する準備を整える。 うろうろしていたらガードマンや係員が室内に入るように指示したり、 手でカメラをふさがれることもあり得るからだ。 チャンスはたった10秒〜20秒かもしれない。 バスがLCC専用の入り口に到着。 運の良いことに、なんと、このLCCの入り口は まさにあの寅が車椅子を押していたバスターミナルのほぼピンポイントではないか!! 神様はいるんだなあ・・・と感慨が襲ってきた。 他の乗客はそのまま倉庫内のチェックインカウンターに誘導されていく。 私一人が倉庫に入らず、さっそく倉庫の前の道で動画を回し始める。 係員は私の様子を見てもさほど警戒したり、支持したり、止めようとはしない様子。 ガードマンもちょっと離れたところでこちらを見てはいるが、 別にこちらに歩いて注意をしに来るほどの緊迫した感じではない。 ジリジリとピンポイントに近い場所までずれながら、動画を撮っていく私。 そしてほぼこのあたりかなと思われる場所で膝を地面につけて 動画撮影と写真撮影。 マニアックなことを言えば、このあたりは全て一度完全に更地にしてから 建築しなおしているので、この現在LCCが使用している貨物倉庫の並びと 旧国内線ターミナルの建物は角度にして10度ほどずれているのだが、 さすがに現在トラックがせわしく走っている 倉庫エリアの道に飛び出すのは完全な違反行為でレッドカードものなので、 ここは半分妥協して角度がわずかにずれているLCCの倉庫のラインから撮影した。 ポイントはあの沖縄で最初に作られた灯台(航路標識搭)だ。↓ 撮影を始めて2分以上経ったが、別段ガードマンも係員も あいかわらず注意しにはやってこない↓ ご覧のように、灯台と建物との関係がわずかにずれてはいるがほぼここである。 撮影後にバスの運転手さんに旧国内線ターミナルのラインをお聞きしたが 現在のこのLCC使用倉庫ビル玄関口とはやはりほんのちょっと 十メートルほどのずれだけだそうだ。 当然ながら、新しい貨物ビルに生まれ変わってからは世界初登頂だろう。 ■動画http://youtu.be/dL2jEBoms5Y 後日、晴れた日に、同じ錬金術によって青空をバックに再度動画撮影したのがこれ↓ ■動画 http://youtu.be/ITLH-0DsNAA グーグルアースの1978年と現在を比較してみるとよくわかる。↓ 当時の写真↓ まだ旧国内線ターミナルが機能していたころの地図。 これらの写真と地図を見ると当時のターミナルと灯台の位置関係がわかる。 振り向くと倉庫のL字の角が見える。 このまままっすぐ延長して行くともうすぐ海だ。↓ かつて、このアングルで、寅が銀バスに乗って去って行ったのだ。 さて、撮影を7分ほどさせていただき、同じシャトルバスですぐさま空港ターミナルに戻る。 到着と同時にとなりのバス停に走り、今まさに出発しようとした金武町方面行き長距離バスに 乗り込む。 次に行く場所はあのリリーが歌を再開しようとした金武町キャンプハンセンの前の新開地だ。 ここは映画でもかなり多くのカットを費やしているなかなかやっかいな場所だ。 物語の通り進んでいくと、空港の次は国際通りやバスの車窓風景、嘉手納基地なのだが 長距離バスで金武町まで行ったほうが時間のロスがない。 車窓と嘉手納はそのあとにまわす。 金武町は、時代の流れと共にもうほとんどの店が閉じてしまっているが、 外観がそのままのビルも結構多い。 その前に私が事前調査で当たりをつけておいたあの「ドライブイン浜田」が 現在どうなっているかを調査するべく、 バスを降りたインターチェンジでタクシー(金武タクシー)を オーダーする際にかつての新開地を知っている年配の方を手配してもらった。 優しそうなその年配の運転手さんは「ドライブイン浜田」という名前を覚えていらっしゃった。 その後「レストランKIN」になり、現在はなんとおしゃれな美容院になっているそうである。 ビルは完全に建て替えられたが、場所は数メートルずれただけで位置はほぼ同じ。 ■動画 http://youtu.be/hbUabeyO4pk もともとこの土地を持っておられた前田さんと言う方がテナントで貸していらっしゃったのだが 自分の娘さんたちが美容院を経営するにあたって、ここを新しいビルにし、 1階を娘さんたちの美容院にしたらしい。 まだオープンして1年ほどだ。 中に入らせていただくと、そこには美人姉妹が働いておられた。 ここまでやって来た事情を説明し、当時の「ドライブイン浜田」時代のアングルから 店内や海を映させていただきたい とお願いしましたところ、快くOKをだして下さって海が見える店の奥のベランダまで 案内してくださった。 この外が映る位置は、タクシーの運転手さんには無理を言いまして このように「高志の停め方」をしていただきました(^^;) 高志の車はニッサン・ブルーバードバン この美容院「hair mint」はもともと金武町の街中にあったのだが、 ご家族の土地でもあるこの眺めのよい場所に移動されたのだ。 撮影当時はドライブイン浜田→レストランKIN→美容院 hairMINT ■ 動画 http://youtu.be/-dqIqtGZ-O8 「ドライブイン浜田」は赤い印の場所↓ 美容院に入ると美人姉妹のオーナーさんが 親切にいろいろお店の中や眺めのいいベランダを案内してくださいました。 本編ではこの場所だ。 この場所もロケ地めぐりの意識を持つ人としては、世界初登頂でしょう。 逆から見たらこういう風景↓ これも高志君のほうから見たアングルだ。 ■動画http://youtu.be/1u9gNNeUuKY 地元の人には「浜田ドライブイン」と呼ばれていたようだ。 このアングルも本編で使われた↓ 向こうに見える風景の広がりは今も同じ ■ 動画 http://youtu.be/a5dFW8hM0Sg 「ティーチなターチな」のカウンターのおばさんが映ったのがこの入り口へ向かっての方向。。 厳密に言えばこのような低い目線でのアングル。↓ この最優秀エキストラ賞に輝く「ティーチなターチな」の 味わい深いおばさんは今も元気でこの店の近くでいらっしゃるそうだ。 ■動画http://youtu.be/mTFB2rWVcnw ということで、ロケ地めぐりの意識を持った人としては世界初登頂だ。 先はまだ長い。 お礼を言って美容院mintを後にする。 さてこのあと、再びタクシーに乗って キャンプハンセンのある「金武町」に入って行った。 地図上のAがこの白い建物。Bが信号の前のキャンプハンセンのゲート。↓ 現在はこうなっている↓ リリーを乗せた車はゲートの道向こうを新開地に左折して行く。 現在はこうなっている↓ ■動画http://youtu.be/CQlS9IWH_g8 ■動画 http://youtu.be/U5g_yjjIBiE 現在はこの細い路地は車は通れない。歩行者のみ。 3割ほどの建物は今も存在する。↓ 一番奥のシャングリラも建物は今も残っていて営業もしている。 高志の車が停まっていた場所から見えた風景。地図上Dの場所。 今もこの辺りの建物は名残を残している↓ 高志が車を停めていたこの「WASHINGTON ワシントン」「ユートピア」の店の前は 今も面影が残っている。 ユートピアが見える側面も映る↓ まだ今も名残は残る。 「ワシントン」「ユートピア」の正面横でリリーを待つ高志↓ 今も残る「ワシントン」 これは一瞬映る町の風景↓「ハワイ」が右向こうに見える。 今も右向こうには「ハワイ」が残っている。↓ この「ハワイ」が見える坂道は地図上Cから北へ(上へ)向けてのカメラ↓ これも高志がリリーを待ってる間の風景描写↓ クラブ88やチャンピォンやパラスは今も建物が残っている↓ 動画 http://youtu.be/APvULIbAquI この88のクラブが見える坂道は地図上のFから北へ向けてのカメラ↓ リリーが「ワシントン」から出てくる階段。↓ ちょっと名残が残っている↓ ■動画http://youtu.be/ShrcsMRuaVI 最初にリリーが入って行ったワシントンというクラブはDの場所 リリーはもう一軒心当たりがあるからと次の店に向かう。 「ピース」は今も名残が残っている↓ SILBER SPUR(銀の拍車)でたむろする米兵たち↓ 今もシャッターのあり方が同じ↓ ここは本編ではビルの階段から撮影している。 今はその階段は鍵がかかって上がれないので、 今回は三脚にカメラを固定して、手を上に上げて3メートル上から撮影してみた。 これも三脚をおもいっきり伸ばして画像を撮ってみた。↓ 映画撮影時は向かいの建物の階段の上から撮ったと思われる↓ 三脚を持ち上げ高羽アングルを狙った動画↓ ■動画http://youtu.be/zdlMfPMSYic ■動画 http://youtu.be/GhcVxNxWpsk ■動画 http://youtu.be/ShrcsMRuaVI この2番目にリリーが入った店は下の地図上のEの黄緑印 もうこれでドライブイン浜田から始まって95パーセント以上金武町のロケは解明した。 残るのはたった1カットのみ。 この3秒ほど映る「NEWYORK(ニューヨーク)」と書かれた店だけである。 しかし、これがなかなかわからない。 年配のタクシーの運転手さんと聞き込み調査をすること30分以上・・・ ■動画 http://youtu.be/Ipcod5xPAv0 嘉手納ロケ地も今日中に行きたいので、長距離バスの時間が近づき かなり焦って来た・・。 なかなかみなさんもうろ覚えで場所が定まらない・・・ そんな時、私がニューヨークのことを聞いた方が 偶然この金武町の元金武町の「町長」さん吉田勝広さん(現県会議員)だったのだ。 吉田さんは私の事情をお聞きになり、ご親切にも協力してくれることになった。 「ニューヨーク」の場所を唯一知っているであろう、 このエリアの主のような長老おじいがいるとのことで そのおじいのお孫さんにおじいの実家に電話してもらった。 偶然出会った県会議員の吉田勝広さんにいろいろ聞き込みを手伝ってもらう↓ ■動画 http://youtu.be/u6g_yuR2z8I その金武町の大先輩であるおじいはここから徒歩3分の大通り沿いに 「ニューヨーク」があったことをはっきり覚えていた。 そして言われたとおり、今はカレー専門店(KARI-YA)になっている その元クラブ「ニューヨーク」へ歩いていく。 中に入って、そのカレー屋さんの女将さんにお聞きしたところ、 確かに宮城さんと言う方がニューヨークと言うナイトクラブを長い間経営されていた と言われた。 ここの以前の店のことはご主人がもっとよく覚えているということで、 ダメ押しでご主人にも電話していただき、最終確認を取ったのだった。 ■動画 http://youtu.be/Dvint-Z4kII これで決定。 世界初登頂 建物はかなり直されているので当時のあの壁はもうないが この上の壁あたりを撮影したらしい。 「ニューヨーク」は 地図の G の部分↓ これでこの作品の金武町のシーンは全カット解明し、踏破したのだった。 おまけ動画 金武町ナイトクラブを改造した元金武町町長さんの 吉田勝広さんの書斎 ■http://youtu.be/1Sz34gU8aQk さあ、那覇方面の長距離バスが来るまであと8分! 運転手さんにちょっと飛ばしてもらい^^;バス停に時間の3分前に着いた(*^▽^*)セーフ! 1時間半お世話になった金武タクシーの運転手さんにお礼を言って チップも多めに払って、 嘉手納を通るバスに乗り込んだのだった。 バスは一路那覇方面に戻っていく。 途中40分ほど乗ったところで池武当(いけんとう)という場所で停まる。 そこが嘉手納基地への道が走っているところである。 池武当で降りて、そこからタクシーを拾って 40分ほど運転手さんに付き合ってもらう。 嘉手納は寅がリリーの入院している病院に向かう途中で車窓に映るのだ。 実際は病院の位置と嘉手納基地はまったく別な場所で 那覇から病院に行く時にはぜんぜん通る必要がないのだが 山田監督はこの基地の風景や戦闘機の姿を、 つまり、沖縄の現実を作品に入れたかったようだ。 ここは事前調査でかなり掴んでいたので聞き込みは必要なかった。 向こうの丘もしっかり見える↓ そして 寅は北のゲートを通過する。 このあたり一帯をピンポイントで押さえたのはおそらく世界初だ。 このポールたちはこのように今年真っ赤に塗り替えられたそうだ。 ■動画 http://youtu.be/DFdsHw0Vw7E 34年経ってもゲートのあり方と基地への道は同じ。 世界初登頂だ。 あの映画撮影時はF15イーグルが飛んでいた。 私の取材時もジェット戦闘機がビュンビュン飛んでいたが、もちろんイーグルではなく 新型ステレス機のF22Aラプターだ。米軍最強の部類の戦闘機。 この画像は私が実際にロケ地上空を飛ぶ戦闘機を撮った動画から切り取ったもの。 ■ 戦闘機 http://youtu.be/ROmmvZ0k0CU あのゲートからわずか1分で、この曲がり角も通過する。↓ 嘉手納基地の道路はこれで全踏破。 さて、那覇の渋滞にひっかかりそうだったので、タクシーの運転手さんに 急いでバス停まで飛ばしてもらった。 なんとか、8分前について金武町バス停同様セーフ^^; 1日目は全て小さな車窓風景やB班撮影も含めて完全踏破だった。 さてこのあと、暗くなってからも、 寅が那覇空港を出た直後の車窓風景の解明のため 地元の有力紙、沖縄タイムス本社ビルへの突撃取材と 夜6時半以降の牧志の市場取材が待っているのだが、 それは1週間後に「ロケ地めぐり2日目」のアップの中で語るとする。 「ロケ地めぐり2日目」の掲載予定は 寅の銀バス那覇市内の車窓風景。 牧志市場1つ残らず全シーン。 寅がずっと泊まっていたホテル入船とそこからの眺め。 たがみ病院全シーン(現在のオリブ山病院) 12月11日ごろ掲載予定 続く 私に関する記事 朝日新聞 夕刊 2014年5月21日 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 号外その2:2014年6月5日夕方発売 「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに 私に関する記事が掲載されました。 夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓ http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm 寅次郎音楽旅 寅さんの言葉 男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば】 友人の佐藤利明さんがプロデュースした作品。 もちろん彼が大きな骨格であるコンセプトを決め、曲や言葉をセレクトし、 そして全体を俯瞰的に監修された寅さん最新作CDだ。 寅次郎音楽旅の4作目。 いや、もう、4月からこのかたずっと4つの連続展覧会で多忙が続き、 ちょっとした合間の休日も仲間との「ロケ地めぐり」が続き、 そしてその事後処理とサイトへの記事アップが続き、 ようやくそれが一段落した今、 1ヶ月半間寝かせて熟成させておいた、この 「男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば】」を聴いている。 相変わらず使われているスチール写真は貴重で美しいものばかり。 佐藤さんの手にかけたものは、とにかく本の時もCDの時も常にスチールは絶品。 もうね、音楽聴く前に、このスチールだけでわかるでしょ、内容の充実が。 昔からまあ、寅さん名言集なるCDはいくつかは出ている。 しかし、佐藤さんはその名言とそれに関係した音楽を組み合わせた。 ここまで徹底した融合と数は日本初の試み。 こうしてセリフと音楽を混ぜて聴いていると不思議な臨場感に包まれていく。 なんだかこういうのは初めての体験。 これこそ映画の音楽(劇伴)の醍醐味なんだろう。 今回CDは2枚組み。 寅の「言葉」が本編から直接90箇所選ばれている。 そしてそれに関連させた音楽がオリジナル音源から108曲。 合計198トラックをCD2枚にちりばめている。200近い収録って、ものすごい数だ^^; もとより、佐藤さんは佐藤さんの眼があり耳がある。 6歳からこの映画に親しみ、感覚を熟成させてきた言葉のセレクションがある。 たとえば第8作「恋歌」OPで、雨の日に旅の坂東鶴八郎一座を励ます寅の言葉、 「まあ、こんなことはいつまで続くもんじゃねえよ。 今夜中にこの雨もカラッと上がって明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。 お互いにくよくよしねえでがんばりましょう」 あのあと、大空小百合ちゃんとのやり取りの中で流れる曲ががいいんだな〜。名曲ですね。 もちろんその曲も収録されている。 そして同じく坂東鶴八郎一座とのささやかな再会と別れを描いたあの 第18作「純情詩集」で、別所温泉での早朝の別れのせつなの言葉。 「おーい、 しっかりやれよお! またいつか、日本のどっかできっと会おうな!」 このあたりの旅人どうしの一期一会の地味な味わいを入れるのが佐藤さんの眼。 そしてコアなファンたちが待ちに待っていた 第23作「翔んでる〜」の布施明さんが歌う「とまり木」のセレクト これもこの歌の詞の持つ重要さをわかっている佐藤さんの優れた感覚。 そしてこのシリーズの中でも出色の寅のセリフ。 第27作「浪花の恋の〜」の中で、失意のどん底のふみさんや弟の恋人を慰めるあの言葉。 あの言葉によって私たちはどれほど慰められたかしれない。 「そら、今は悲しいだろうけどさ、ね、 月日が経ちゃあ、どんどん忘れていくもんなんだよ. 忘れるってのは、ほんとうにいいことだなぁ…」 第29作の丹後伊根の波打ち際での、失意のかがりさんへの言葉。 あの言葉は万人の男女の胸にしみる。 「そりゃ、こっちが惚れてるぶん、向こうもこっちに 惚れてくれりゃあ、世の中に失恋なんてのは なくなっちゃうからな」 また、第38作「知床慕情」ラストの寅のハガキ 「暑中御見舞い申し上げます・・」 これを渥美さんは 「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」と独特の言い回しで渋くナレーションでつぶやく。 この味わいのある渥美さんの「しょちゅう・・・」のセリフを佐藤さんはなにげに拾うのだ。 この独特の言い方である 「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」は 私もいつか誰かに必ず言ってみたいと昔から思っている言葉だ。 第47作「拝啓車寅次郎様」で寅がとらやで満男に鉛筆を売るバイを見せてやるのだが その鉛筆の話の中で、母親の話をとつとつとするあの「寅のアリア」なども選ばれている。 あのアリアは私が大好きな話。 あの話の中の母親とは、実はさくらのお母さんとの思い出なのだ。 産みの母親に恵まれなかった悲しく孤独な寅に、血のつながりの有無を超えて 寄り添い、分け隔て無く育てたさくらのお母さん。 少年期のデリケートな寅の心のひだを垣間見る美しいアリアだった。 そのような寅の心の琴線を繊細な佐藤さんは必ず拾い上げてくれる。 そして嬉しいことに、 音楽も今回もまた20曲近い本編未発表バージョンを惜しげも無く収録された。 この世の中に初めて出る約20曲を聴くためにだけこのCDを買っていいのだ。 今回も含めて、今まで出された「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」の音楽CD4つは 昔から数々の音楽のプロデュースを仕事にされてる佐藤利明さんの結晶とも言える。 この仕事は、世の中での影響力も含めて 彼のこれまでのあらゆる仕事の中心のひとつとなる大きな仕事とも言えると私は思っている。 そういえば、大きな仕事と言えば、もちろん震災の年に始まって、もう3年以上続いている 文化放送の「みんなの寅さん」も確かに影響力のあるもの凄く大きな仕事だが、 かつて6年ほど前にCS衛星劇場「私の寅さん」で、佐藤さんは、2年間の長きにわたって 「男はつらいよ」の数々のスタッフやキャストに本質的な内容のロングインタビューをしていったのだ。 彼のあの腰が入った強い踏み込みによる濃密な仕事こそが、誰もできない佐藤さんならではの 偉大な仕事だったと今でもしみじみ思う。 山田監督へのインタビューにしても、 数年前に行ったNHKの「100年インタビュー」なんかよりCS衛星劇場での佐藤さんと山田監督の やり取りのほうが山田監督がそれまで言わなかった隠された本質的な会話が多く、 その美しいキャッチボールを見ながら心が心底震えた記憶がある。 あの衛星劇場での数々のインタビューの仕事こそが歴史の長い淘汰にこれからも耐えていくだろう。 私もかつて自分のサイトでこのことは紹介した↓ http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi24.html#391 そして上にも書いたように もうひとつの男はつらいよに関する濃密な仕事。 それがこの「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」シリーズ 4つ(CDにして9枚)というわけだ。 深くこの男はつらいよシリーズを知りすぎたゆえの、愛しすぎたゆえの一人相撲に見える孤高、孤独。 そしてその積み上げたプライドを無理やり自ら打ち破り、格闘し、 彼が長い歳月をかけてこの映画から培った愛情のエキスを この乾燥しきった世知辛く複雑な世の中にあえてわかりやすく優しく、 しかし深く深く本質をこそ何が何でも伝えようとする不断の錬金術的努力。 その結実が、あの歴史を作った衛星劇場の濃密な掘り下げインタビューであり、 みんなのための文化放送の番組であり、誰でも気軽に読める東京新聞の寅さん記事であり、 そして、明快なコンセプトのもと、膨大な音源を収録し続けているこの寅次郎音楽旅シリーズだ。 まったくこの映画が好きじゃないと到底できない凄まじいバイタリティと言えるだろう。 いったいどこまで行く気なんだろう。 ちょっと忙しすぎるのでお体を大切にしてほしい。 それにしても、数々の行動が早すぎて追いつけないよ まったく ふ〜〜〜 ┐('〜`;)┌ 。 寅さんのことば 友人の映画評論家である佐藤利明さんが 昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した 「寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。 東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、 二つの版元から同一の書籍を刊行している。 佐藤さんの寅さん歴は長く、 6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。 だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、 柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。 すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば 「愛情」と「懐」の桁が違う。 深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。 使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。 別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。 はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、 特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない 「言葉」と「流れ」がそこにある。 ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは こういうことなんだなと思わせてくれる文章。 彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。 それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、 この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。 というか・・・ この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。 この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。 実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。 一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。 夕張の炭住をゆく車寅次郎 「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より 第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html 吉川孝昭展 2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室 裏表紙↓ 2ページ目と3ページ目↓ 2012年正月元旦 吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚 なお、お年玉代わりに、 昨年秋に息子が完成させました 「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 ネット上では初公開です。 前回の作品(冬と春)に、 新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。 それではご堪能ください↓ 2011年宮嶋龍太郎 制作 できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。 「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ 表紙 満月と立山連峰 雨降る江戸川風景 吉川孝昭 2011年4月3日 水彩 14cm.×24cm. 帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影) 矢切の渡し 2011 冬 (2月10日) 雪の日の寅次郎 RYOTARO pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年11月13日 寅次郎な日々577 第25作「ハイビスカスの花」 沖縄全ロケ地踏破 序曲 沖縄、金武町 ドライブイン「レストラン浜田」の変遷 おばさん「ティーチ なん ターチ なん? 」
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年10月20日 寅次郎な日々576 柴又小学校の同窓会はやっぱり「川甚」だった 前田武彦さん 二人の「柳」について 3日前にバリから戻ってきた。 昨夜、夕食の食材を買って帰る最中、偶然六波羅朋子さんにお会いした。 以前、このコラムに書いたので覚えておられる方も多いと思うが あの第8作「恋歌」のマドンナ池内淳子さん演じる六波羅貴子さんの モデルになった当時の喫茶店ロークのママさんだった方。 数年前にNPOの小山さんの紹介で知り合い、 昨年も私の展覧会にも何度も来てくださったり、 その後もいろいろな場所でみんなでお会いして親睦を深めさせていただいている。 で、六波羅さん曰く、ちょうど昨日は小学校の同窓会だったそうだ。 彼女はこの柴又で育ち、柴又小学校へ通っていたのだ。 同窓会は数年に一度必ずやっているそうだが、場所はなんとあの「川甚」! やはり「柴又小学校」の同窓会は「川甚」なんだなあとしみじみ思った。 もう賢明な方々はおわかりだと思うが、第28作「紙風船」の序盤で、 寅はよせばいいのに柴又小学校の同窓会に出席する。 その同窓会会場が「川甚」なのだ。 川甚といえば第1作でさくらが結婚披露宴をおこなった場所でもある。 あの同窓会の顛末はとても悲しいイメージが残っている。 なぜかというと、寅が結局小学校当時から今までずっとその学年の完全なつまはじきだったことが 露出してしまう結末なのだ。 唯一寅に「しらみ」とあだ名されて可哀想ないじめ方をされていた気弱な安男だけは 意外にも寅に最後まで付き添って酔っ払った寅を介護しながら 深夜にとらやまで連れてかえって来てくれた。 しかし結局は寅の心ない発言がきっかけになって 心優しい安男にさえ最後は「おまえみたいなやくざな男」と言われてしまうのだった。 身から出た錆とは言え寅にはなんとも辛くシビアな夜だったのだ。 ここでみなさんにどうしても白黒はっきり主張しておきたいことがある。 それはあの時同窓会に出席していた前田武彦さんのことだ。 彼は12作「私の寅さん」で柳文彦として登場する。あだ名は「でべそ」 この第28作でも同窓会のメンバーの「柳」と言う名前で登場する。 あだ名は「かわうそ」 それゆえ、この第28作の「かわうそ」は、 第12作「私の寅さん」に登場するあの柳文彦の「でべそ」と同じ人物のように一見思えるが 寅にまったく会いたがっていないし、寅がやって来たら帰るとまで言って毛嫌いしているので、別人なのだ。 なぜなら第12作の柳文彦なら寅のことが好きだし絶対に寅に会いたがるはずだからだ。 第28作も同じ柳だし、同じ前田武彦さんだが、人物は似て非なるものだと考えて良いだろう。 だいたい上にも書いたように柳文彦のあだ名が第12作では『デベソ』なのに対して、この第28作では 『かわうそ』になっている。山田監督は同じ前田武彦さんなのでついつい安直に柳にしてしまったのだが 実は別人なのだ。だからこそ「車寅次郎ー・・・、いたいた!」なんて何十年も会っていない設定になっているのだ。 実にややこしい…、 山田監督も「柳」ではなく、別の名前にしたら混乱しないのになんて思ってしまう。 こういうところが山田監督のどうも雑なところ。 第12作「私の寅さん」のあの柳文彦を大事に思っている多くのファンの心を失望させてしまうことに 山田監督は鈍感になってしまっている。 このような中途半端な使い回しで大失敗したのが第37作「幸福の青い鳥」での大空小百合ちゃんだろう。 岡本茉利さんを大事に大事に思っている多くのファンの心を考えないで設定してしまったのだ。 あれはスターだった志保美悦子さんを使うことはもちろん問題ないので、 「大空小百合」と言う名前さえ使わなければファンの失望は起こらなかったこと。 あれはとても残念だった。 で、この「柳」だが・・・ 絶対に第12作と第28作は別人(というか時空が違うという感じ)なので、 はっきり認識していただきたいと思う。 『かわうそ』とはご存知の方々も多いと思うが前田武彦さんの仲間内で呼ばれていた本来のあだ名である。 ちなみに、脚本では柳のあだ名は「ひょうたん」になっていた。 一方、大工の茂は、同じく第24作「春の夢」で登場する大工の棟梁の茂だと思われる。これは第24作でも 寅にいろいろいじめられていたので、こちらの方は同一人物だと考えていいと思う。 こういうちぐはぐがファンの心を戸惑わせてしまう。困ったものだ┐('〜`;)┌ なぜこうもくどくど書くかと言えば、私はあの第12作のお人好しでナイーブなあの柳文彦が実に好きなのだ。 幼少期にさくらに惚れていて、妹さん思いでいつもりつ子さんを心配して様子を見に来ていた。 そして一見癖のある寅の本当の良さもちゃんとわかっていた。 寅と一緒にりつ子さんのアトリエで「柱のキズ〜〜はキリギリス〜〜」と陽気に思い出の替え歌を歌う あの柳文彦が愛おしい。 それゆえ、あの柳文彦と寅の友情の物語を崩したくないのだ。 中川の土手を笑いながら歩いて行くあの柳文彦は断じて第28作の「かわうそ」ではないのである。 今日10月19日は柴又帝釈天のお会式でした。 家の前なので動画を撮って来ました。 柴又帝釈天お会式 http://youtu.be/S7w_YRsFb7c
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年9月21日 寅次郎な日々575
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年8月27日 寅次郎な日々574
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年8月10日 寅次郎な日々573 第8作「恋歌」 六波羅貴子さんの『ローク』を訪問しました。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年7月29日 寅次郎な日々572 第32作 因島 一福屋食堂訪問記
一福屋食堂の例の看板は、 今はもうない・・・
こうして、寅とレオナルド熊さんはこの天文学的確率の再会を喜ぶのだ。
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年7月5日 寅次郎な日々571 第44作「寅次郎の告白」 山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇 後編 河原町と山陰本線車窓 さて
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 たぶん…一週間に一度くらいアップかな… 2014年6月14日 寅次郎な日々570 第44作「寅次郎の告白」 山陰本線ロケ地めぐり車窓も含めて完全制覇 前編 倉吉と鳥取砂丘 さて、いろいろ展覧会が重なり、 アップが遅れましたが、5月のGW直前に2日間に分けて めぐった山陰の全てを2回に分けてレポートして行こう。 1991年秋 泉ちゃんを想いながら鳥取砂丘の馬の背のてっぺんで海を見る満男 2014年5月 同じ場所で再現を試みる私の息子(龍太郎) 今回の2日間の内 4月28日は、兵庫県竹野切浜海岸の山陰本線車窓、安部駅、聖子さんの川原町、鳥取駅周辺は おなじみ私のサイトにも何度も登場しているロケ地めぐりの達人【小手寅さん】と私の二人。 4月30日は倉吉、日本海の泊、青谷、宝木、あたりの山陰線車窓、鳥取砂丘は小手寅さん、私、そして東京から 龍野へ展覧会に訪れた息子の龍太郎の三人。 2日間で450キロ走破。 ミラノレッドのホンダ風天号を飛ばしまくった(*´∇`*) 結局この滞在中山陰と因島全部あわせて風天号の走行距離は750キロメートルになった。 さて、まずはどこから紹介するかな・・・ 本編の順番に行きましょうか。 最初は、第44作の物語通り 美しい白壁の町「倉吉」行きましょう。 ロケ地めぐりは4月30日 まずは、倉吉 打吹公園での悲しみの泉ちゃんです。 泉ちゃんが悲しみを抱えてるのは銀座の山野楽器への就職に失敗したからではない。 母親の心の変化が唐突で、無神経だからなのだ。 確かに泉ちゃんも言うように、かつて父親に捨てられてしまった母親は、 新しい男性と幸せになる権利はある。 しかし、ものには順番があり、手続きがある。 泉ちゃんが心底納得でき、母親を祝福できるまで母親は結婚を急ぐべきではないのだ。 第43作から第48作まで続く泉ママのあのような自己本位な無神経な言動は泉ちゃんを 傷つけ続けたのではないだろうか。 倉吉シーンの一番最初の俯瞰映像は ふしみ屋の裏手、 美容院を経営されている林さんという方のビルの屋上から撮影したものと今回判明。 二つともまったく同じ位置から方向だけを変えて撮影しているのでとても分かりやすい。 私たちが行った日は林さんのお店はものすごく混んでいまして 靴を脱いでおじゃまして屋上に上がっての撮影を お願いできる雰囲気はなかった。 地上からの写真はこういう感じ ↓ 蔵沿いに歩いてふと振り返ると白いビルが見える。これが林さんのビル。 そして・・・ 俯瞰が終わって吹打公園内での泉ちゃんが映る。 息子の龍太郎が泉ちゃんのいた場所辺りにたたずんでくれています。 母親に恋人ができてしまった泉ちゃんはなんだか傷ついてしまい山陰への旅に出かけたのでした。 同じく息子が寂しい後姿を演出してくれています。 動画 http://youtu.be/e9_5NfOqA60 NG動画 http://youtu.be/a9ov1b0QD7M 泉ちゃんは葛飾高校時代の満男との思い出を回想していくのだった。 好きなんだね満男のことが・・・ この場所は世界初登頂ですね^^ そのあと泉ちゃんは鍛冶屋の「ひろせや」を見学する。 ひろせやは現在大きな道が現在は横切っています。↓ 向こうの家々も電柱は同じかもしれませんが 当時を思わせる家はないですね。 僕が取材した日はあの味わいのある看板は取り外されていました。 廃業したのか休業なのかは不明です。 このひろせやがここから移転していないことがわかる 貴重なアングル (これも一応高羽アングル)↓ ひろせやを通過した泉ちゃんが伏見屋さんの前にやってくるのです。 そして ふと「ふしみ屋」という駄菓子屋で足をとめるのです。(実際は店ではなく普通の民家) そこにはテレビ版寅さんのおばちゃんが住んでいたのでした 現在は「赤煉瓦3号館」の建物になっている。 ふしみ屋でアンパンを食べている時に 洞察力の鋭いおばあさんに夕食を一緒に食べようと勧められ、 いきなり豆腐を買ってきてくれと頼まれます。 普通はありえない展開ですが おばあちゃんの洞察力が鋭敏なので泉ちゃんの心が読めたと解釈しましょう。 今は、ふしみ屋はもう閉じています。 っていうよりあのふしみ屋はもともと普通の家を山田組のスタッフさんが 駄菓子屋さんにしたてたという話だ。 今はふしみ屋ロケがあった民家の引き戸に男はつらいよのロケ時のスナップ写真が貼ってある。 で、泉ちゃんは、このように豆腐を買いに行くのだが 実は、実際は、あのふしみ屋から徒歩で20分はかかる場所に豆腐屋さんはあるのだ。 豆腐屋さんは今はそこだけ無くなっていました(T_T) 豆腐屋さんは今はそこだけ無くなっていました(T_T) その横の家は今も同じ。 三角のずいぶん狭い空間にあの店があったことがわかる。 隣の家の軒先や向こうの電柱などはそのまま 「すいません、お豆腐ください」 「自分で取ってください」 「・・・はい」 じつはこれも本編と同じアングル(高羽アングル) 電柱付近を見てください。同じでしょ^^ 豆腐屋への道 動画 http://youtu.be/2LZ8Aa-jrCI そしてとぼとぼと、泉ちゃんは豆腐が入った鍋を持ちながら伏見屋に戻っていくのです。 このシーンの撮影は伏見屋から徒歩3分で、 かなり近い場所です。 つまりあのお地蔵さんと豆腐屋さんだけが遠いんですね。^^; この川辺の小屋は今もあります。 この日は前日の雨の直後で川の水が多かったこともあり川の中に入り、 子供たちの再現はやめました。 そしてここで寅登場! もの凄い偶然で^^;寅と泉ちゃんの再会 小手寅さんが寅の役をしてくださいます。 柿の木や 向こうに見える家の窓など 面影がまだある。 柿の木は大きくなった。 驚いた泉ちゃんは 我を忘れて寅の元に走っていくのだった。 独りぼっちだった泉ちゃんは嬉しかったんだろうね(*´∇`*) 泉ちゃんの走りを再現してみた。 採用動画 テイク3 http://youtu.be/j5-BUb-9Tu8 不採用動画 テイク2 http://youtu.be/xdJZ4GL6_e4 この場所及び柿についての簡単な解説動画 http://youtu.be/QzjBHIq2wy4 おじいちゃんが現れてNG 動画 テイク4 http://youtu.be/t0Ru1NOL7u8 息子は欄干をうまく乗り越えて鍋を川に落としてくれた↓ 映画撮影当時はこの小さな橋に欄干はなかったが 現在は安全の事を考えてこのようなかなり高い欄干がある。 それゆえ、再現時にはナベを真下に落とすというより 斜め横に放り投げるに近い動きが必要だ。 そしてこれだけは何度も撮影がしにくいので ぶっつけ本番で1回で決めた。 息子の龍太郎がナベを欄干の外に投げながら 小手寅さんに抱擁する段取り↓ 1回でOKがでました。 本当はもう少し引いて撮影されているのだが せっかくのぶっつけの演技なのであえて アップでお見せしようと思い近くで撮影した(*´∇`*) やってみるとわかるが、抱擁する形のままナベを高い欄干越しに投げるのは なかなか難しいのだがなんとか息子は上手に欄干の外に落としてくれた。 この日は前日が雨で水量が多く流れもあったので ナベにタコ糸をつけて流されるのを防いだ。 再現動画↓ 泉ちゃんと寅 涙の再会 抱擁シーン 。 そのあとのナベだけのシーンもあえてカットしないでそのまま撮影している。 ★涙の鍋落し再現動画成功! http://youtu.be/YTs5U8s3fH0 このシーンでは豆腐(ゲキオチ君)が ナベからはみ出して失われる可能性が 非常に高かったため豆腐は入れていない。 豆腐をナベに入れたのはナベだけが落ちるシーンから。 ナベが大きな音をたてて水面に落ちたため 鯉たちが寄ってきているのが見えるでしょ。 この衝撃で ほんの少しですがわずかに小さくナベがへこんだ^^ なお、別のカットで鍋だけがポチャンと落ちる 短いカットもある。 この動画はその鍋だけのカットの撮影↓。 本編 再現 豆腐落とし 鍋だけのメイキング動画 http://youtu.be/m50mfdoqIAM そのあと安心したのか泉ちゃんは寅の胸で泣きじゃくるのだった。 再現動画 http://youtu.be/gZVejdCmDes 予告編では 橋から落ちるときに豆腐は こなごなになっていたが 本編ではカットを変えてなんとか豆腐は 鍋の中で助かっていた^^ 子供たちが豆腐が入った鍋を持ち上げて助けてくれるのだ^^ なかなかいいシーンだった。 地図上Aがふしみ屋 Bが鍋落としの橋 さて 話は進んで 翌朝の朝の風景 女子高生自転車通学 とにかく山田監督はどの作品でも この手の朝の高校生通学を 100パーセント入れる┐('〜`;)┌ ふしみ屋のあの横の路地をずっと歩いて行って つき抜けた四つ角から逆にカメラを伏見屋の方へ向けた時の撮影。 ふしみ屋から蔵沿いを歩いていくだけ。徒歩4分。 このエリアの全体説明動画 動画 http://youtu.be/elCZvQjO7xQ で、早朝 ワゴン車が伏見屋さんにやってくるわけだ。 そんなに早く来て 満男が朝っぱらから砂丘にいるのかなあ・・・ 倉吉から1時間半以内で砂丘に着いてしまうけどねえ・・・ そして 寅と泉ちゃんを乗せて砂丘へと出発して行く。 すばらしき杉山とく子おばあちゃん。 一人の娘さんの人生を救ってくれた人生の達人。 見送る杉山とく子おばあちゃん。 泉ちゃんにとっては 観音さまのようなおばあちゃんでした。 さらば倉吉。 僕らの旅も日本海へと移りましょう。 さて、泉ちゃんと寅を乗せたワゴン車は 遂に日本海沿岸に到達します。 まず、「魚見台」がロケ地になっています。 動画 http://youtu.be/oYdJRYmwOxE BGMつき歩き動画 http://youtu.be/iySQUaCZPEg そのあとのシーン。 丸い岬が見えてきます。 ここは、世界初登頂 動画 http://youtu.be/SSGSosmFwBQ 次に 鳥取砂丘に着く直前のシーン。 気高中学校の目の前。 ここも、世界初登頂 遂に泉ちゃんは鳥取砂丘に到着する。 小手寅さんはこの石碑は移動しているんじゃないかっていうが 移動していない可能性もあるのでは・・・と思っている。 石の積み方 小山との関係などが似ているからだ。 茶色の建物は今もそんなに変わらない。 満男は鳥取砂丘の一番高い場所である「馬の背」のてっぺんで待っていたことが分かる。 ↓ 1991年秋 泉ちゃんを想いながら鳥取砂丘の馬の背のてっぺんで海を見る満男 2014年5月 同じ場所で再現を試みる私の息子(龍太郎) こけ方がうまく行かなかったがかなり雨が降ってきたので 1回でやめた。 それゆえ、走りよるところまでの動画にしますね^^; 動画 http://youtu.be/kmk_0HIrsvM そして今回の大きな収穫 泉ちゃん、悲しみの絵ハガキ 回想シーン。 これは本編ではなくなんと【予告編】から映像を取り出して 徹底的にストリートビューや数々のサイトで調べ上げた結果 事前に見つかったのだ。 ここも世界初登頂 これね、ちょっと見たら普通に波打ち際に見えるのだが、 実はね、海から10メートル以上高い位置なのだ。 動画で説明↓ 動画 http://youtu.be/HxfsQd8W1TY 砂丘の中にもストリートビューは徒歩で入っていた! 今回はこのあたりでお開きとしましょう (^_^) 次回6月下旬更新は、鳥取駅周辺と 満男と泉ちゃんが手を握り合う山陰本線車窓風景再現と 聖子さんの住む川原町、その後の安部駅などを紹介。 続く^^; 朝日新聞夕刊に連載中のコラム「これでいいのだ!」に掲載された私に関する記事 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では このように写真も大きく拡大できます。↓ 終わり pos 『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作
『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
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